エジプトの古代人のゲノムデータ

 エジプトの初期王朝~古王国時代の男性1個体の新たなゲノムデータを報告した研究(Jacobs et al., 2025)が報道されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、カイロの南方265kmに位置するベニハッサン(Beni Hasan)村近くのヌワイラート(Nuwayrat、Nuerat、نويرات、ヌエラート)遺跡のネクロポリス(大規模共同墓地)で発見された、初期王朝~古王国時代の男性1個体の新たなゲノムデータを報告し、これはゲノムデータが得られたエジプトの古代人としては最古となります。この男性個体は社会的地位が高いと考えられ、当時としては比較的高齢の44~64歳頃まで生きていました。このヌワイラート個体のゲノムは、約8割のアフリカ北部新石器時代集団的な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と、約2割の新石器時代メソポタミア個体的な祖先系統でモデル化でき、当時のエジプトと肥沃な三日月地帯との間のつながりを示唆しています。

 以下の略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、cM(centimorgan、センチモルガン)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、VSMOW(Vienna Standard Mean Ocean Water、ウィーン標準平均海水)VPDB(Vienna Peedee belemnite、ウィーンのピーディー層ベルムナイト)、carb(carbonate、炭酸塩)、ストロンチウム(Sr)、炭素(C)、酸素(O)、窒素(N)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)です。

 本論文で取り上げられるヌワイラート遺跡以外の主要な遺跡は、エジプトのアブシール・エル=メレク(Abusir el-Meleq)遺跡とアビドス(Abydos)のU-j墓(Tomb U-j)、モロッコのスヒラット・ロウアジ(Skhirat-Rouazi)遺跡、シリアのエブラ(Ebla)遺跡、バクア(Baq’ah)遺跡、イスラエルのアシュケロン(Ashkelon)遺跡とメギド(Megiddo)遺跡とイェハド(Yehud)遺跡、エチオピアのモタ(Mota)洞窟です。本論文で比較対象として取り上げられる主要な人類集団は、アフリカのクン・ホアン(Kx`a)語族話者のジュホアン人(Juǀʼhoan)です。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、以下の翻訳では「civilization」の訳語として使います。


●要約

 古代エジプト社会は数千年にわたって反映し、王朝時代(紀元前3150~紀元前30年頃)に最盛期を迎えました。しかし、DNAの保存状態が悪いため、経時的な地域間の相互接続性についての問題は、全ゲノム配列決定がまだ可能ではないので、取り組まれていませんでした。この研究は、ヌワイラート遺跡で発掘されたエジプトの成人男性1個体から2倍の網羅率の全ゲノムを配列決定しました。この男性個体は、放射性炭素年代測定では較正年代で紀元前2855~紀元前2570となり、初期王朝と古王国時代を橋渡しする、エジプト統一の数世紀後に生きていました。この男性の身体は岩窟墓内の陶器の壺に納めて埋葬されており、これがDNAの保存に寄与したかもしれません。この男性のゲノムのほとんどは、現時点で利用可能な情報源の中では、アフリカ北部新石器時代祖先系統によって最適に表されます。しかし、この男性の遺伝的祖先系統の約20%は、メソポタミアおよびその周辺地域を含めて、肥沃な三日月地帯東部集団を表すゲノムにたどることができます。この遺伝的類似性は、新石器時代および青銅器時代のアナトリア半島とレヴァントで見られる祖先系統と類似しています。初期エジプト人のゲノム多様性を完全に理解するためにはより多くのゲノムが必要ですが、本論文の結果から、エジプトと肥沃な三日月地帯東部との間の接触は物品や象徴(家畜化された動物や栽培化された植物や文字体系など)に限られておらず、ヒトの移動も含んでいた、と示唆されます。


●研究史

 数千年間にわたって、エジプトの王朝文明(紀元前3150~紀元前30年頃)は記念碑的建築物や洗練された技術や比較的安定した信仰体系を発展させ、既知の最長の文明になりました。紀元前四千年紀末におけるエジプトの南北の地域(下エジプトと上エジプト)の政治的統一に続いて、古王国(紀元前2686~紀元前2125年)時代には、ジェセル王の最初の階段ピラミッド群やクフ王によって建造された「ギザの大ピラミッド」を含めて、大きな進歩がありました。当時のエジプトの人口は地元起源で、近隣地域からの流入は限定的と考えられてきました。しかし、より最近の考古学的証拠から、交易のつながりは少なくとも紀元前六千年紀以降に、それ以前にはなかったとしても、新石器時代一括(家畜化された動物や栽培化された植物)の出現とともに肥沃な三日月地帯全体で存在していた、と示されています。文化的交流は紀元前四千年紀後期を通じて、メソポタミアのシュメール文明とともに発展し続けしました。この期間はエジプトにおける追加の革新(轆轤など)や、紀元前3320~紀元前3150年頃のアビドスのU-j墓における象牙の札の形の象形文字の最初期の証拠と重なっています。

 エジプトの古代人に関する知識は数十年間の生物考古学的分析を通じて増加してきており、それにはアフリカ北部およびアジア西部の他の人口集団と近縁性に関する歯の形態学的研究が含まれています。しかし、とくにエジプト王朝史の初期の古代ゲノムの不足は、この地域における人口連続性および遺伝子流動についての理解にとって依然として障壁です。古代エジプトの個体群はDNAを単離する最初の試みの対象となりましたが、直接的なゲノム配列決定は困難な地域的DNA保存状態条件のため、依然として分かりにくいままです。これまで、アブシール・エル=メレク遺跡(図1a)の3個体のみから核DNAが得られており、すべてエジプト王朝の出現から数千年後[紀元前787~紀元後23年頃]となります[20]。さらに、これらは完全なゲノム配列ではなく、約9万~40万個の標的濃縮遺伝子型に限られています。王朝時代の数千年にわたって、エジプトではいくつかの広範な戦争や、外国の支配者による占拠や、内政崩壊の劇的な出来事(第一・第二・第三中間期)がありました。まとめると、これらの過程はエジプトの人口集団の全体的な遺伝的構造および祖先系統を大きく変えたか、再形成したかもしれません。本論文は、ヌワイラート遺跡のネクロポリスから回収された、エジプトの古代人1個体の全ゲノム配列(網羅率は2.02倍)を提示します(図1a)。以下は本論文の図1です。
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●ヌワイラート遺跡個体

 ヌワイラート遺跡は、カイロの南方265kmのベニハッサン村の近くに位置します(図1a)。骨格遺骸の放射性炭素年代測定から、ヌワイラート個体は、初期王朝および古王国時代と重なる紀元前2855~紀元前2570年頃(95.4%の確立)に死亡した、と示されました(図1e)。この結果は、ヌワイラート遺跡における物質文化および葬儀慣行は古王国時代の第3および第4王朝と一致していた、との最初の考古学的評価を裏づけます。ヌワイラート個体の身体は岩窟墓内の大型の土器容器に埋葬されました。この扱いは通常、初期王朝時代の他地域やメンフィス市の近くの古王国時代の王族墓地で観察されるように、ヌワイラート遺跡の他の個体と比較してより高位の社会的階級の個体群に行なわれました。

 研究されていない人口集団での表現型予測における既知の限界は認められますが、ヌワイラート個体は茶色の目と黒色の髪と濃い色から黒い色の皮膚の色素沈着を有していた、と予測され、中間城の皮膚だった可能性は低そうです。ヌワイラート個体は遺伝学的に男性(性染色体はXY)で、標準的な骨格の特徴の発現と一致します。本論文のさらなる骨学的調査から、ヌワイラート個体は身長が157.4~160.5cmだっただろう、と明らかになりました。ヌワイラート個体は当時としては長生きし、これはその重度の葉の摩耗や、一部は重度であるほとんどの関節および椎骨における加齢に伴う骨関節炎によって証明されます。これとさまざまな活動によって引き起こされる筋骨格系の負荷指標から、ヌワイラート個体は長期の肉体労働を経ていた、と明らかになり、これはヌワイラート個体の高位の墓の埋葬とは対照的なようです。骨関節炎および負荷指標のパターンは、ヌワイラート個体が日常的に従事していた身体活動の形態をさらに示唆しており、一部の研究者はこれが職業に関する手がかりを提供できる、と主張しています。この場合、状況証拠ですが、古代エジプトの絵画に描かれた、陶工の症状とは矛盾しません。歯の形態学的特徴および頭蓋計測に基づく生物学的類似性の推定は、ゲノムの結果と一致します(後述)。ヌワイラート個体についてのより詳細な情報は、補足情報第2項に、顔画像は補足情報第3項に示されています(拡張図2)。以下は本論文の拡張図2です。
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 複数同位体分析(δ¹³Cとδ¹⁵Nとδ¹⁸Oと⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)が左側下顎第二大臼歯の歯のエナメル質および歯のコラーゲンで実行され、ヌワイラート個体の子供期の食性および地理的起源が判断されました。すべての結果は、ヌワイラート個体がナイル川流域の暑くて乾燥した気候で育ったこと(δ¹⁸Ocarb VSMOW = 23.6‰、⁸⁷Sr/⁸⁶Sr = 0.707888)、およびコプト期までエジプト人にとって典型的だった、動物性タンパク質とコムギやオオムギなどの植物を消費していたこと(δ¹³CVPDB = −19.6‰、δ¹⁵NAIR = 12.3‰)と一致します。エジプト古代人の同位体研究で頻繁に観察されるδ¹⁵N値の上昇は、乾燥した環境、肥料を使った畑で生育された食料の摂取、および/もしくは食性にナイル川の魚が含まれていたことによって引き起こされたかもしれません。


●古代のゲノム配列決定

 7点のセメント質濃縮DNA抽出物が、一本鎖DNA配列決定ライブラリへと調整され、イルミナ(Illumina)社の構築基盤で検査されました。これらのライブラリのうち5点は古代DNAで予測される分解パターンを示し、配列の第1塩基におけるシトシンからチミンへの置換率上昇(30%以上)と、核DNAおよびミトコンドリアDNA(mtDNA)両方での低い汚染推定値(0~3%)の証拠があり(図1d)、残りの2点のライブラリは高い汚染推定値のため破棄されました。参照ヒトゲノムにマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)される読み取り率が最高である2点のライブラリ(Y11475とY11477)は、さらにイルミナ社のNovaSeq 6000および NovaSeq X構築基盤で配列決定され、合計で83億個の2 × 100配列読み取りの組み合わせが生成されました。

 ヌワイラート個体のゲノム(NUE001)ゲノムは、全ゲノム配列決定されたかヒト起源配列で遺伝子型決定された現在の3233個体、および全ゲノムか120万ヶ所のSNP捕獲データの古代人805個体と統合されました。まず、現在の世界規模の遺伝的多様性を表す人口集団区画を用いて、PCAにヌワイラート個体のゲノムが投影されました。ヌワイラート個体は遺伝的にはアフリカ北部およびアジア西部の現代人と最も類似しており(図2a)、これはADMIXTUREのクラスタ化(まとめること)の結果と一致します。ヌワイラート個体のmtDNAハプログループ(mtHg)はI(N1a1b2)、Y染色体ハプログループ(YHg)はE1b1b1b2b~で、これは現在のアフリカ北部およびアジア西部集団において最も一般的です。さらに、ヌワイラート個体のゲノムには4cM超の長いROHはなく、ヌワイラート個体における近い過去の近親婚がなかったことを示唆しています[41]。以下は本論文の図2です。
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●ヌワイラート個体のゲノムの祖先系統

 qpAdm枠組みを用いて、完全循環モデル競合手法を使うことで、ヌワイラート個体のゲノムを最適に表す遺伝的祖先系統構成要素がモデル化されました。この手法では、候補人口集団一式が1供給源と2供給源と3供給源の人口集団祖先系統モデルを構築する供給源として反復的に用いられるのに対して、残りの候補は外群(右側)人口集団として設定されます[43]。潜在的供給源として、ヌワイラート個体に先行する、新石器時代および銅器時代のアジア西部とアフリカ北部と地中海北部地域の13の人口集団一式が用いられました(図3c・d)。単一供給源モデルはデータに適合しませんでした(単一供給源として観察された最大P値は、モロッコ_MNでの2.39 × 10⁻⁶)。代わりに、単一の2供給源モデル(P値は0.12)が有意基準(P値が0.05超)を満たし、中期新石器時代モロッコの紀元前4780~紀元前4230年頃となるスヒラット・ロウアジ遺跡個体群のゲノムによって表される祖先系統(モロッコ_MN)が77.6±3.8%と、紀元前9000~紀元前8000年頃の新石器時代メソポタミアの個体群のゲノムと関連する祖先系統が22.4±3.8%の混合から構成されます(図3a)。さらに、2通りの3供給源モデルが同様の祖先系統の割合を示したものの、新石器時代および銅器時代レヴァント個体群のゲノムによって表される第三の祖先系統構成要素の寄与はわずかでした(新石器時代個体群ではP値0.11で4.7±8.2%、銅器時代個体群ではP値0.07で1.1±8.7%)。以下は本論文の図3です。
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 すべての受容されたqpAdmモデルは、ヌワイラート個体のゲノムにおける中期新石器時代モロッコ個体群と関連する祖先系統の存在を示したので、本論文の結果はこの期間におけるアフリカ北部全域で共有された祖先系統を、したがって、物質文化や生物考古学的分析から示唆されているように、在来のエジプト新石器時代人口集団が初期王朝および古王国の人々に遺伝的に寄与したことを示唆します。しかし、中期新石器時代モロッコ個体群のゲノムは以前には、イベロモーラシアン(Iberomaurusian)文化集団的およびレヴァント新石器時代集団的祖先系統構成要素の両方で構成される、と以前にモデル化されており[45]、それは本論文で裏づけられたので、レヴァント新石器時代集団との類似性は数回の移動事象を反映しているかもしれません。これらの代替的な仮説を詳細に調べるためには、アフリカ北部の青銅器時代の前の個体群のゲノムに関するさらなる古代DNA研究が必要です。

 ヌワイラート個体で検出された第二の遺伝的祖先系統構成要素は、モデル競合に含まれる潜在的供給源の中では、新石器時代メソポタミア人と最も密接に関連しています。新石器時代メソポタミア集団との推定される類似性をさらに長谷部るために、一連のf₄統計が計算され、集団の一式が中期新石器時代モロッコ個体群とよりもヌワイラート個体の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有しているのかどうか、f₄形式(NUE001、モロッコ_MN;X、ジュホアン_北)で検証され、ここでのXはqpAdmモデルの循環供給源を表しており、レヴァントの旧石器時代個体やアナトリア半島の旧石器時代個体や青銅器時代のレヴァント個体のゲノムが追加されました。この統計量は、Xとして新石器時代メソポタミア個体群で最大化され、統計的に有意(Z得点は3.2)でした(図3b)。この類似性はf₄統計(NUE001、モロッコ_MN;メソポタミア_N、X)でも見られ、Xとして検証された全人口集団について正で、ヌワイラート個体と新石器時代メソポタミア個体群との間の祖先系統類似性と一致し、Z得点は、ザグロスおよびコーカサス集団と、銅器時代および青銅器時代レヴァント集団を除いて、すべて2超でした。

 これらの結果が、単一のエジプト個体のゲノム【NUE001】に基づいていることは要注意ですが、新石器時代におけるメソポタミアおよびザグロス地域からアナトリア半島を含めて周辺地域への遺伝子流動の証拠を見つけた、別の研究[2]を反映しています。文化的交流についての考古学的証拠とまとめると、これらの調査結果は、メソポタミア地域起源のより広範な文化的および人口統計学的拡大がこの期間にエジプトとアナトリア半島の両方に到達した可能性を開きます。しかし、銅器時代および青銅器時代における肥沃な三日月地帯東部からのより新しい移動は、アナトリア半島とレヴァントの遺伝的景観をさらに変えました[3、5]。関連する移動は、エジプトとにおいてより新しいメソポタミア個体群的祖先系統をもたらしたかもしれません。

 青銅器時代のアナトリア半島およびレヴァント集団(青銅器時代レヴァント個体群のゲノムは8ヶ所の考古学的遺跡に分類され[3、5、46、47]、とメギド遺跡およびイェハド遺跡の個体群のモデルはすべて却下されました)を対象として、同じ完全なqpAdmモデルの適用によってこれが検証されました。すべてのレヴァントの青銅器時代集団はその祖先系統の18.7~79.8%が新石器時代もしくは銅器時代レヴァント集団にたどる、との以前の調査結果[3、5、46、47]が再現されましたが、差異的モデルを検証すると、3ヶ所の遺跡(エブラとバクアとアシュケロン)で新石器時代メソポタミア個体群の祖先系統も検出され、その割合(41.8~54.8%)はヌワイラート個体のゲノムを上回っています(図3a)。しかし、潜在的供給源として青銅器時代レヴァント集団を含めるよう拡張された当初の完全なqpAdmモデルは、ヌワイラート個体のゲノムについて事実上却下されるかもしれません。注目すべきことに、ヌワイラート個体のゲノムの最適モデルの適合は、これらの集団が参照集団に含まれるとより悪くなります(P値は0.021)。これが意味しているのは、ヌワイラート個体のゲノムにおける新石器時代メソポタミア個体群的祖先系統が、レヴァントにおけるより新しい標本抽出されていない媒介者によって到来したかもしれない可能性を除外できないことです。

 混合事象の時期を直接的には推定できませんが、この調査結果は、古代エジプトにおける肥沃な三日月地帯東部と関連する遺伝的祖先系統の直接的証拠を提供します。考古学的証拠は、エジプトとアジア西部との間で共有されていた前期新石器時代の地域的な祖先系統を裏づけます。その近さを考慮すると、エジプトはアジア西部全域で早くも紀元前六千年紀かそれ以前に出現した新石器時代一括を作用した最初の外部地域の一つで、これは人々の移動と対応していたかもしれません。この期間は、メソポタミアからアナトリア半島への観察された遺伝子流動と同時で、それは同様にエジプトへと拡大下かもしれません。この裏づけとして、歯の計測および歯の組織の割合における大きな変化がナイル川流域で紀元前6000年頃に起きており、その後はおおむね連続しました。生計(栽培化された植物やより強い定住性)と物質文化(土器の導入)における顕著な時間的差異とともに、これは中石器時代(紀元前八千年紀~紀元前七千年紀)と新石器時代の人口集団間の不連続性を示唆しています。その後、文化的交流と交易は紀元前四千年紀を通じて続き、その頃に、メソポタミアの後期ウルク期の特徴がその後の先王朝期にナイル川流域へと流入しました。交易はシナイ砂漠ではなく地中海および紅海経由だったかもしれません。そうした海上移動性は、供給源人口集団が銅器時代/青銅器時代レヴァント人と接触しなかった状況を説明できるかもしれません。本論文の結果から、この千年にわたる長い過程には、文化伝播だけではなく、移動およびその後の混合も含んでいたかもしれない、と示唆されます。

 さらに、本論文のqpAdmモデル化とADMIXTUREクラスタ化(まとまること)の両方で、ヌワイラート個体のゲノムにおいて、エチオピアのモタ洞窟の4500年前頃の個体やアフリカの中央部か東部か南部の他の個体群と関連する実質的な祖先系統[53]が除外されたことは注目に値します(図2および図3)。それにも関わらず、ヌワイラート個体のゲノムは、アフリカ東部牧畜民のゲノムのユーラシア西部関連構成要素についてレヴァント銅器時代集団と等しく適切な供給源として適合する、と分かりましたが、多くの推定供給源地域では依然として古代DNAデータが欠けています[54、55]。


●その後のエジプトにおける祖先系統

 ヌワイラート個体のゲノムは第三中間期の以前に刊行されたデータ(紀元前787~紀元前544年B)を超えて、古代エジプトの遺伝的記録を拡張します。古王国時代と第三中間期との間に生きていた、アフリカ北部(ヌワイラート個体を含みます)とアジア西部とギリシアの9人口集団一式の推定される供給源でのqpAdmを用いて、これらその後の個体群がモデル化され、中期新石器時代モロッコおよび新石器時代メソポタミアの個体群のゲノムも含められました。ヌワイラート個体期から第三中間期までの100%の連続性でのモデルを含めて、すべての1供給源モデルを却下できます。2通りの同様の2供給源モデルがデータに適合し(図4a)、ヌワイラート個体か中期新石器時代モロッコ個体群が最適な供給源の一つなのかどうかで、わずかに異なります。両モデルで、祖先系統の主要な供給源は青銅器時代レヴァント個体群です(たとえば、中期新石器時代モロッコ個体群でもモデルでは、64.5±5.6%)。これらの結果は、第三中間期個体群のゲノムが部分的にはヌワイラート個体と関連する在来集団からの祖先系統に由来するものの、レヴァント祖先系統の顕著な増加を証明していることと一致します。以下は本論文の図4です。
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 第三中間期までにレヴァントからの遺伝子流動があった証拠は、中王国時代末に始まる提案された青銅器時代カナン人の拡大と関連しているかもしれません。考古学的調査結果に基づくと、これが漸進的な銅化過程だったのか、あるいはヒクソスの支配者の定着のような急速な変化だったのかどうか、依然として議論されています。全体的に、この期間はよく特徴づけられている後期青銅器時代の崩壊とも重なっており、この期間には、地中海地域全体の急速な社会的および経済的激変があり、広範に人口移動につながったか、広範な人口移動によって激変が起きました。しかし、現在のゲノムデータの時間的および地理的限界のため、確たる結論を導き出すことはできません。

 次に、qpAdmを用いて、現在のエジプト人の祖先系統は、ヌワイラート個体を含めてアフリカ北部やアジア西部やヨーロッパやサハラ砂漠以南のアフリカに暮らす青銅器時代人口集団にどのようにたどることができるのか、検証されました。かなりの異質性にも関わらず、ほとんどの現在のエジプト人のゲノムは、以下の5供給源と関連する祖先系統に由来するとモデル化でき、それは、(1)ヌワイラート個体(32.1~74.7%)、(2)中期新石器時代モロッコ個体群(28.9~72.7%)、(3)青銅器時代レヴァント個体群(11.6~57.1%)、(4)エチオピアの4500年前頃のモタ洞窟個体(7.4~56.0%)、(5)コンゴの230年前頃の2個体(4.8~52.0%)です(図4b)。したがって、本論文における多くの現在のエジプト人の祖先系統を青銅器時代にたどるならば、その大半はヌワイラート個体と関連する集団か、あるいはヌワイラート個体の祖先系統の約80%が由来する中期新石器時代モロッコ個体群によって最適に表される供給源で見つかるでしょう。二番目に多い祖先系統構成要素は青銅器時代レヴァント個体群で、第三中間期で検出された祖先系統と一致します。青銅器時代コーカサス祖先系統は現在のエジプト人の一部に存在しますが、青銅器時代レヴァント祖先系統と類似しています[60]。本論文のモデルは、現在のエジプト人におけるアフリカ東部および西部祖先系統のより新しい到来を示し、これは以前にも示唆されており[20]、連鎖不平衡に基づく混合年代測定を用いると27世代前のことです。さらに、エジプト全体で祖先系統にかなりの多様性があることは注目され、本論文に含まれる現在のエジプト人のゲノムの約20%は、上述のモデルに適合しませんでした。


●まとめ

 本論文の結果は、エジプト王朝文明の最初期段階からの古代ゲノム配列決定が可能であることを論証します。全ゲノム回収の成功のあり得る理由の一つは壺埋葬で、これはエジプトで以前に報告されていなかったDNAの保存状態の程度をもたらしたかもしれません。これは、エジプトから古代DNAを得るための将来の研究にとっての工程表に寄与します。本論文の分析は、比較的高位の埋葬に基づくと、一般人口を表していないかもしれない単一のエジプトの個体に限られていますが、本論文の結果は、このヌワイラート個体以前のアフリカ北部集団および肥沃な三日月地帯東部の人口集団と関連する祖先系統を明らかにしました。同様のつながりは、ヌワイラート個体の歯の形質および頭蓋計測に関する本論文の生物学的類似性分析や、完全な標本に基づく以前の形態学的研究で示唆されました。肥沃な三日月地帯東部との遺伝的つながりは、以前に報告された文化的拡散(栽培化された植物や家畜化された動物や文字体系や轆轤)も反映しており、これらの1もしくは複数の期間のエジプトにおける人々の定住の可能性を開きます。ヌワイラート個体のゲノムによって、その後のエジプト人における祖先系統の青銅器時代の起源の調査も可能となり、この地域における人口移動と人口連続性との間の相互作用が浮き彫りになりました。より多くの個体からのDNAの将来の全ゲノム配列決定は、古代エジプト文明およびその住民に関するより詳細で微妙な理解を可能とするでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


ゲノミクス:古代DNAがエジプト人の祖先の謎を解明する

 上エジプトのヌワイラート(Nuwayrat)にある古王国時代の墓から回収された古代エジプト人の全ゲノムシーケンス解析のデータを報告する論文が、今週のNature にオープンアクセスで掲載される。第3–4王朝時代に遡るこの分析結果は、北アフリカやメソポタミアを含む中東地域の古代集団との遺伝的つながりを明らかにし、古代エジプト人の遺伝的多様性に関する新たな知見を提供している。

 古代エジプトの古王国時代(紀元前2686年–2125年)は、上エジプトと下エジプトの統一と初期王朝時代(紀元前3150年–2686年)に続き、最初の階段ピラミッドの建設を含む、顕著な安定と革新の時代であった。数十年にわたる研究が古代エジプト人に関する一般的な理解に貢献してきたが、古代エジプト人の遺伝的構成についてはほとんど知られていなかった。現在までに、古代エジプト人のゲノムが部分的に解読された古代エジプト人はたった三人しかおらず、DNAの保存状態の悪さが依然として大きな課題となっている。

 Adeline Morez Jacobsら(リバプール・ジョン・ムーア大学〔英国〕)の研究によって新たに解読されたゲノムは、放射性炭素年代測定で紀元前2855–2570年頃と推定される男性のものに属し、これは初期王朝時代の終わりと古王国時代の始まりにまたがる時期である。彼は、ヌワイラートで密封された陶器の壺に埋葬されており、高い社会地位を示唆している。また、当時としては比較的高齢の44–64歳まで生きていた。採取された7つのDNA抽出物の中から、2つが良好な保存状態であったため、配列解読のあと、3,233人の現代人と805人の古代人のゲノムライブラリーと照合して解析された。遺伝的モデル化により、著者らはヌワイラートのゲノムのほとんどを北アフリカの新石器時代の祖先に遡ることができた。さらに、ゲノムの約20%は、東部の肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent)と関連しており、両地域間の交易と影響の証拠を補強している。

 この個体が当時の広範な人口を必ずしも代表するわけではないものの、この発見は古王国時代エジプト人に関する理解を深める重要な進展である。今回の研究はまた、より良好なDNA保存状態をもたらす埋葬状態を明らかにしており、今後の発見への道を開いている。研究者らは、エジプトの早期人口史に関する理解を深めるため、さらなるゲノム解読を推進することを提言している。


進化遺伝学:全ゲノム塩基配列解読で明らかになった古王国時代のエジプト人の祖先系統

進化遺伝学:古代エジプト人の全ゲノム塩基配列解読

 今回、エジプト初期王朝時代と古王国時代にまたがる年代に生存していたと見られるエジプト人成人男性の古代ゲノムデータから、エジプトと東部の肥沃な三日月地帯との接触があったことが示唆されている。



参考文献:
Jacobs AM. et al.(2025): Whole-genome ancestry of an Old Kingdom Egyptian. Nature, 644, 8077, 714–721.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09195-5

[2]Lazaridis I. et al.(2022): Ancient DNA from Mesopotamia suggests distinct Pre-Pottery and Pottery Neolithic migrations into Anatolia. Science, 377, 6609, 982–987.
https://doi.org/10.1126/science.abq07629
関連記事

[3]Skourtanioti E. et al.(2020): Genomic History of Neolithic to Bronze Age Anatolia, Northern Levant, and Southern Caucasus. Cell, 181, 5, 1158–1175.E28.
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関連記事

[5]Agranat-Tamir L. et al.(2020): The Genomic History of the Bronze Age Southern Levant. Cell, 181, 5, 1146–1157.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.044
関連記事

[20]Schuenemann VJ. et al.(2017): Ancient Egyptian mummy genomes suggest an increase of Sub-Saharan African ancestry in post-Roman periods. Nature Communications, 8, 15694.
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関連記事

[41]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
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関連記事

[43]Skoglund P. et al.(2017): Reconstructing Prehistoric African Population Structure. Cell, 171, 1, 59–71.
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