カルパチア盆地のサルマティア人の起源
ハンガリーとカルパチア盆地の1~5世紀の156個体のゲノムデータを報告した研究(Schütz et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。サルマティア人は紀元前3世紀からポントス草原地帯を、紀元後50年から大ハンガリー平原を支配し、それはフンの4世紀の拡大まで続きました。本論文は、ハンガリーおよびカルパチア盆地で発見された1~5世紀の古代人156個体のゲノムデータを報告しています。分析の結果、カルパチア盆地のサルマティア人は低い割合のアジア東部祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しており、他地域の集団と異なることが示されました。カルパチア盆地のサルマティア人が、ウラルおよびカザフスタン起源のサルマティア人の子孫だったことも推測されました。また、フン期になっても、サルマティア人集団の連続性は続いていました。
サルマティア人もユーラシアを広範に移動した集団でしたが、こうした人類の移動が性別の偏ったものだったかどうかについては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)の分析が役立ちます。最近の研究では、本論文でも言及されているスキタイ人(Andreeva et al., 2025)や匈奴とフンの関係(Gnecchi-Ruscone et al., 2025)や中世前期カルパチア盆地の人口史(Gerber et al., 2024)が検証されています。以下は本論文の要約図です。
以下の略称は、CB(Carpathian Basin、カルパチア盆地)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、cM(centimorgan、センチモルガン)、CONQ(Conquer、征服者)、FR(Fruchterman-Reingold、フラチュテルマン・ラインゴールド)、NE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)、WHG(Western hunter-gatherer、ヨーロッパ西方狩猟採集民)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、ROU(Romania)、AUT(Austria、オーストリア)、ROM(Roman、ローマ)、HRV(Republika Hrvatska、クロアチア共和国)、UKR(Ukraine、ウクライナ)、ANAT(Anatolia、アナトリア)、RUS(Russia、ロシア)、MDA(Moldova、モルドバ)、KAZ(Kazakhstan、カザフスタン)、MNG(Mongolia、モンゴル)、です。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)、EP(Early Sarmatian Period、サルマティア前期)、EMP(Early-Middle Sarmatian Period、サルマティア前期~中期)、MLP(Middle-Late Sarmatian Period、サルマティア中期~後期)、LP(Late Sarmatian Period、サルマティア後期)、UP(Sarmatian Unkown Period、サルマティア時期不明)、HUN(Late Sarmatian-Hun Period、サルマティア後期~フン期)、AC(Avar and Conquest periods、アヴァールおよび征服期)、です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、プロホロフカ(Prokhorovka)文化、BMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)、レンジェル(Lengyel、略してLGY)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、石板墓(Slab Grave、略してSG)文化、シンタシュタ(Sintashta)文化、スルブナヤ(Srubnaya、Zrubna、ズルブナ)文化、ヴィェルバルク(Wielbark)文化、サカ(Saka)文化です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、サルマティア人(Sarmatian、略してSARM)、ヤジゲ人(Iazyges)、スキタイ人(Scythian、略してSCY)、ケルト人(Celtic、略してLT)、クァディ人(Quadi)、マルコマンニ人(Marcomanni)、ヴァンダル人(Vandal)、キンメリア人(Cimmerian、略してCIMM)、アヴァール人(Avar)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、モンゴル東部のフブスグル(Khovsgol、Khövsgöl)県、オーストリアのオヴィラワ(Ovilava)です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、MIJ(Makó-Igási Járandó、マコ=イガシ・ジャランド)墓地、HVF(Hódmezővásárhely-Fehértó、ホドメゾヴァサーヘリー=フェヘルト)墓地、OFU(Óföldeák - Ürmös、オフェルデアク=ウルメス)遺跡、TD(Tiszadob - Sziget、ティスザドブ=ズィゲト)遺跡、CSO(Csongrád - Kenderföldek、ソングラド=ケンデルフェルデク)遺跡、SPT(Szihalom - Pamlényi tábla、ズィハロム=パムレニー・タブラ)遺跡、NKL(Nagykálló - Kis Ludas-tó dűlő、略してナギカッロ=キス・ルダス=トデュロ)墓地、MDH(Madaras - Halmok、マダラス=ハルモク)墓地、LMO(Lișcoteanca - Movila Olarului、リスコテアンカ=モヴィラ・オラルルイ)墓地、RAK(Rákoscsaba、ラコスクサバ)墓地、RAM(Râmnicelu、ラムニセル)墓地、FKD(Füzesabony - Kastélydűlő、フュゼサボニー=カステリデュロ)墓地です。
●要約
遊牧民のサルマティア人は紀元前3世紀からポントス草原地帯を支配し、50年からフンの4世紀の拡大まで大ハンガリー平原を支配しました。本論文で提示されるのは、1~5世紀のハンガリーおよびカルパチア山麓から発見された156個体のゲノムの大規模な遺伝学的分析です。本論文の調査結果は、カルパチア盆地のサルマティア人における低い割合のアジア東部祖先系統を明らかにし、他地域の人口集団と区別します。F4統計とqpAdmとIBD分析を用いて、カルパチア盆地のサルマティア人はウラルおよびカザフスタン地域起源の草原地帯サルマティア人の子孫で、ルーマニアのサルマティア人がこの2集団間の遺伝的橋渡しとして機能したかもしれない、と示されます。サルマティア期における以前には知られていなかった2回の移動の波と、アジア起源個体群のより小さな流入にも関わらず、フン期へのサルマティア人集団の顕著な連続性も特定されます。これらの結果は、サルマティア人の移動と、ローマ帝国の近隣の重要な人口集団の遺伝的歴史に新たな光を当てます。
●研究史
サルマティア人は紀元前4世紀および紀元前2世紀のウラル南部地域遊牧民の集団で、考古学的にはプロホロフカ文化と特定されています。その後の数世紀に、サルマティア人はポントス草原地帯へと拡大し、文化的に関連しているスキタイ人を置換しました。鉄器時代には、サルマティア人はドン川とヴォルガ川とコーカサス北部とウラル山脈の間の地域で、最初の重要な政治体制を築きました。古代の資料に残る名称に基づくいて、サルマティア人はイラン語群話者の集団の一部だった、と考えられています。
1世紀までに、サルマティア人集団はカルパチア盆地(CB)の東山麓とドナウ川下流域の間の地域(現代のルーマニア)に定住していました。紀元後の初期の数十年間、ヤジゲ人としていられている最初のサルマティア人部族がCBに侵入し、ドナウ川とティサ川の河間地域の北部および中央部を占拠しました。サルマティア人は次第にトランスティサ地域へと拡大し、最終的には大ハンガリー平原全体を占拠し、在来のケルト人およびスキタイ人集団へと支配を拡大した可能性が高そうです。
1世紀末および2世紀初頭までに、当初は良好な関係だったにも関わらず、サルマティア人はドナウ川流域において次第にローマ帝国の手強い敵になりました。マルコマンニ・サルマティア人戦争(166~180年)後、サルマティア人の物質文化はローマ帝国の周縁的広がりとなりました。サルマティア人の到来から1世紀以内でのCBにおける密な集落網から、遊牧民も農耕を採用し、大きな人口規模に達した、と示唆されます。それにも関わらず、多くの草原地帯の伝統が日常生活や文化や戦争で存続しました。CB東部のサルマティア人は草原地帯の他のサルマティア人集団と密接な関係を維持しており、考古学的発見は2世紀後半から4世紀における東方集団の移動の数回の事例を示しています。サルマティア人はゲルマン部族(クァディ人やマルコマンニ人やヴァンダル人)と密接な関係および軍事同盟を形成しており、それはとくに周辺の境界地域におけるサルマティア人の物質文化に大きな影響を及ぼしました。興味深いのは、広範な地域を支配し、古代および中世初期世界に大きな影響を及ぼした(軍事革新、ローマ帝国との関係、アーサー王伝説とのつながりさえ)このかつての支配的な人々が、どの現代のヨーロッパの国家を形成している民族の祖先として主張されておらず、古代の今では忘れられた人々の集団のままであることです。
以前の考古学的研究では、ローマとサルマティア人との関係の主要な歴史的事象および物質文化の変化に基づいて、CBのサルマティア人の考古学的遺物は3期間に分類されました。その期間は以下の通りで、(1)サルマティア前期は、大ハンガリー平原におけるサルマティア人の到来(50年頃)から2世紀後半まで、(2)サルマティア中期は、マルコマンニ戦争の期間から3世紀末のダキア放棄まで、(3)サルマティア後期は3世紀末から5世紀の第3三半期までです。残念ながら、CBのサルマティア人の考古学的年代体系は、ヨーロッパ中央部のゲルマン地域およびヨーロッパ東部地域で用いられている年代体系と完全には一致していません。
4世紀後期から5世紀半ばの間に、フン人によって始まった大きな移動で多様な共同体が大ハンガリー平原へと侵入し、それには東ゲルマンの諸部族やフン人や他の東方サルマティア人集団が含まれます。フン帝国がCBの中心に移動した後で、サルマティア人はその故地に留まりました。サルマティア人の墓地は5世紀初期まで使用され、サルマティア人の集落はフン帝国の5世紀半ばの崩壊まで続きました。文献によると、サルマティア人は470年代まで独立した政治組織を維持していたかもしれません。フン帝国の崩壊後に、サルマティア人はゲピド王国の人口集団へと同化しました。
これまでに、7点の異なる研究にわたって、ウラル地域と中央草原地帯のサルマティア人45個体の刊行されているゲノムが利用可能です[27~29、31、32]。これらの研究のうち、2本の論文のみが当時の状況におけるサルマティア人の詳細な考察を提供していますが[28、32]、他の研究はこの問題をわずかにしか扱っていません。ウラルのサルマティア人と東方草原地帯のサルマティア人(まとめと草原地帯サルマティア人と呼ばれます)で特定された重要な特徴は以下の通りで、(1)そのゲノムは主要な3系統の祖先構成要素の混合を示し、つまりは、70%の草原地帯中期~後期青銅器時代構成要素(草原地帯_MLBA)と、18%のBMAC関連構成要素と、12%のバイカル湖前期青銅器時代構成要素(バイカル_EBA)となり、(2)東方スキタイ人と比較してのより低い割合のフブスグル関連のアジア東部構成要素は、草原地帯サルマティア人が異なる、ウラル地域の独立した後期青銅器時代人口集団に由来する可能性を示唆し、(3)広範な地理的分布と比較的高い遺伝的多様性にも関わらず、500年以上にわたって遺伝的にはひじょうに均質なままでした。
CBからは、サルマティア期の17個体が先行研究で刊行されました[33]。詳細な分析は提供されませんでしたが、これらのゲノムは草原地帯サルマティア人と比較してヨーロッパ人の遺伝的特性へと向かう独特な移行を示しており、これらの人口集団間の潜在的関係についての問題を提起します。CBサルマティア人の起源と遺伝的関係を明らかにし、ユーラシア草原地帯の他の人口集団や前後の期間の在来集団とのつながりを調べるために、サルマティア期とフン期にわたるCBおよび周辺地域の156個体のゲノムが配列決定されました(図1A)。CBのサルマティア人は、現在のルーマニアのカルパチア山麓から移動した、ウラルおよびカザフスタン地域のサルマティア人の子孫だった、と本論文では示されました。大規模なCBサルマティア人集団の子孫は、その後のフン期において人口の大きな割合を形成しました。以下は本論文の図1です。
●標本
156点の標本のうち、118点が大ハンガリー平原から収集され、その期間は1~4世紀にわたり、ハンガリー_SARMと命名されたCB外国(Barbaricum、ローマ帝国にとっての、蛮族が暮らす外国)のサルマティア期人口集団を表します。サルマティア期に使用されていた2ヶ所の墓地は明らかにフン期にまで及んでおり、ハンガリー_SARM_フンと分類されました。サルマティア人の到来への知見を得るために、ルーマニア平原の17個体も標本抽出され、これは侵入してきたサルマティア人集団(ROU_SARM)を表している可能性が高そうです。さらに、4~5世紀の21個体の全ゲノム配列が生成され(ハンガリー_フン)、この地域へのサルマティア人集団の長期の影響の可能性が評価されました。156点のショットガン配列決定された全ゲノムは、平均網羅率が1.42倍(0.24~3.75倍の範囲)で、汚染は無視できる程度です。新たに配列決定されたゲノムは、先行研究[33]で刊行されているサルマティア期17個体および別の先行研究[34]で刊行されているフン期の9個体とともに分析され、これらの期間のこの地域の最も包括的なゲノムデータベースが作成されました(図1A)。
これらの標本は、正確な考古学的分類のため徹底した再調査を経ました。68点の標本で放射性炭素測定も実行され、考古学的年代測定手法が検証されました。これら2通りの手法ではほとんどの事例で一致した年代が得られましたが、一部の標本は貯蔵効果の可能性を示唆しました。このため、標本の分類について放射性炭素の結果のみに依拠せず、代わりに放射性炭素年代のある検証されている考古学的データが統合されました。これは、不確実な時代区分の個体群の別の集団の基準につながり、ハンガリー_SARM_UPと命名されました。ルーマニアの2点の標本(LMO-8とRAK-7)の放射性炭素年代から、この2個体はずっと古く、前期鉄器時代で、その乏しい考古学的記載と一致する、と明らかになりました。文献のこの2個体は、ルーマニア鉄器時代に含められました(ROU_IA)。
統合された年代測定手順にもとづいて、本論文の標本は段階的な考古学的期間を表す9集団へと分類され、それは、ROU_IA、ROU_SARM、ハンガリー_SARM_EP、ハンガリー_SARM_EMP、ハンガリー_SARM_MLP、ハンガリー_SARM_LP、ハンガリー_SARM_UP、ハンガリー_SARM_フン、ハンガリー_フンです。遺伝的親族関係は、correctKinを用いて判断されました。15の親族群が特定され、その一部はサルマティア期とフン期を直接的にアヴァール期と結びつけます。
●サルマティア期およびフン期の標本の遺伝的多様性
本論文の標本における遺伝的構造を判断するために、PCAとADMIXTUREが適用されました。先行研究[34]で詳細に報告された現在のユーラシア人口集団一式から主要な主成分(PC)軸が計算され、これらの軸に研究対象のゲノムが投影されました(図2A)。これらの分析では、地理的起源および年代によって分類された、刊行されている草原地帯サルマティア人45個体も含められました。以下は本論文の図2です。
以前の調査結果と一致して草原地帯サルマティア人は数個体の外れ値を除いてPCAでは密接にまとまっており(クラスタ化し)、ヨーロッパ人口集団とは明確に区別されます。対照的に、ほとんどCBサルマティア人は現在のヨーロッパ中央部人口集団の近くでまとまっており、おもに前期および前期~中期の数個体のみが草原地帯サルマティア人クラスタ(まとまり)との強い類似性を示します。ヨーロッパのクラスタ内では、一部の個体が現代のヨーロッパ北部人口集団とより密接なのに対して、他の個体はヨーロッパ南部人とより近くなります。さらに、いくつかの遺伝的外れ値はアジア人口集団の方へと動いており、草原地帯サルマティア人を超えた他の遊牧民集団とのつながりが示唆されます。しかし、この祖先系統は一部の草原地帯サルマティア人の外れ値でも見られ、これらの遺伝的外れ値が草原地帯サルマティア人とともに到来したかもしれない可能性が提起されます。注目すべきことに、ルーマニアのサルマティア人の大半が草原地帯サルマティア人の間に位置するのに対して、他の個体は草原地帯とCBのサルマティア人の間で勾配を形成します。
教師無ADMIXTUREの結果は明らかに、個体のPCAの異なる位置の原因となるゲノム構成要素を示唆します。K(系統構成要素数)=6では、典型的な大地域祖先系統構成要素が特定され、それは、WHG、ANAT_N、イラン_N、ANE、ANAです(図2B)。さらに、CB個体群で最大化される独特な構成要素(図2Bの青色)が現れ、これは分析におけるこの地域の標本の過剰提示に起因する可能性が高そうです。
CBのほとんどのサルマティア期およびフン期個体は、この地域の同時代の人口集団(たとえば、オーストリアとクロアチアのローマ期のAUT_ROMやHRV_ROM)もしくは直前の期間の人口集団(たとえば、ハンガリー_IA_SCYと表記されるハンガリーのスキタイ人や、ハンガリー_IA_LTと表記されるハンガリーのケルト人)とひじょうに類似しています。しかし、本論文の研究対象の集団の特有の特徴は、低いものの有意な割合であるANA構成要素の存在です。この構成要素は最初期集団(ハンガリー_SARM_EP、ハンガリー_SARM_EMP)において最高で、その後の期間にかけて減少するようです。ANA構成要素は、ひじょうに類似したゲノム組成を有する草原地帯サルマティア人およびルーマニアサルマティア人においてより顕著で、PCAでのクラスタ化(まとまること)およびヨーロッパ人集団からの顕著な移動に対応しています(図2B)。PCAのアジアの外れ値個体もADMIXTURE分析では際立っており、それは草原地帯サルマティア人よりもずっと高い割合のかなりのANA構成要素に起因します。
ルーマニアの鉄器時代の2個体はひじょうに意外なADMIXTUREパターンを示し、RUS_IA_SARM集団と同じ構成要素比を示しており(図2B)、これはその密接なPCAの位置にも反映されています。これはルーマニアの鉄器時代の2個体を、同時代のスキタイ人およびケルト人集団(ハンガリー_IA_SCYもしくはハンガリー_IA_LT)とはっきりと区別します。
●CBサルマティア人は草原地帯サルマティア人との遺伝的類似性を示します
CBサルマティア人は、そのゲノムで見られるアジア東部祖先系統によって、同時代の近隣個体群でとは区別され、歴史および考古学的資料で支持されているように、草原地帯サルマティア人の子孫だったかもしれない、と示唆されます。サルマティア人の2集団【CBと草原地帯】間の遺伝的類似性の可能性を検証するために、まず刊行されている充分な網羅率の草原地帯サルマティア人個体群が再分析されました。草原地帯サルマティア人個体群はひじょうに均質ではあるものの類似した2集団にまとめることができ、原地帯_IA_SARM_ウラルおよび草原地帯_IA_SARM_草原地帯と命名され、これは本論文の祖先系統分析で代理として用いられました。
F4統計が適用され、サルマティア期およびフン期標本が以前にCBに居住していた集団と共分析されました。まず、おそらく在来要素を反映している後期新石器時代CB人口集団(レンジェル文化)に対する草原地帯サルマティア人の方との標本の直接的な類似性が、F4(エチオピア_4500年前、検証対象;ハンガリー_LN_LGY、草原地帯_IA_SARM_ウラル)で測定されました。この統計における正の値が草原地帯サルマティア人の代理への大きな類似性を示唆するのに対して、負の値は在来の代理へのより多くの共有された浮動を示します。これはF4(エチオピア_4500年前、草原地帯_IA_SARM_ウラル;ハンガリー_LN_LGY、検証対象)での別の組み合わせとともに図示されており、ここでは同じ参照が使用されたものの、実際には、在来の代理との共有された浮動を除外する場合には、サルマティア人の代理の方との標本の類似性が測定されます(図3A)。以下は本論文の図3です。
図3Aでは、鉄器時代CBのスキタイ人およびケルト人集団の標本を含めてほとんどの標本が、在来の代理と遺伝標識の大半を共有している、と示されています。しかし、数個体、とくにROU_SARMとハンガリー_SARM_EP集団は、x軸の正の側に位置しています。この傾向はy軸によってさらに裏づけられ、ほぼすべての個体は正の側に位置しており、在来集団との類似性に加えてね草原地帯サルマティア人の代理との少なくとも限定的な類似性が示唆されます。図3Aの右上象限に位置するゲノムは、強い草原地帯サルマティア人との類似性を示唆しています。注目すべきことに、これらの標本は草原地帯サルマティア人の標本と重複するPCAの位置および同様のADMIXTUREパターンも示しています。
右下象限の数個体はy軸上で強い負のF得点を示しますが、x軸上では草原地帯サルマティア人との類似性を保持しています。この数個体では、PCAおよびADMIXTUREで見られるように、アジア東部ゲノム構成要素も増加しており、草原地帯サルマティア人の代理とは区別されます。一方で、これらの標本はx軸上で草原地帯サルマティア人と有意な浮動を共有しており、これはアジア東部祖先系統に起因する可能性が高そうです。これは、y軸上で草原地帯サルマティア人との類似性を有する他の標本が、アジア東部祖先系統の増加のため同様のパターンを示しているかもしれない、との可能性を提起します。
この不確実性に対処するために、2通り追加のF4分析が実行され、それは、(1)MNG_EIA_SG[38]を用いて、標本のアジア東部人との類似性を測定するはF4(エチオピア_4500年前、MNG_EIA_SG;草原地帯_IA_SARM_ウラル、検証対象)と、(2)同じアジア東部人との類似性を評価するものの、草原地帯サルマティア人の代理と共有された遺伝標識を除外する(エチオピア_4500年前、MNG_EIA_SG;草原地帯_IA_SARM_ウラル、検証対象)です。図3Bでは、F値の代わりにZ得点が図示され、それは、統計量の有意な水準が本論文の問題への正確な回答を提供するからです。
図3Bのx軸から、図3Aの右側の全個体は在来祖先系統以外にアジア東部人の代理との有意な共有された浮動を示す、と論証されます。しかし、y軸からは、図3Aの右上象限の標本のアジア東部人との類似性はウラルのサルマティア人と同等で、それは、この類似性が、ウラルのサルマティア人と共有されない遺伝標識のみを検証すると、ほぼゼロに位置するからである、と明らかになります。対照的に、図3Aの右下象限の個体群は両軸で有意なZ得点を示し、草原地帯サルマティア人の代理のみに帰することができない、より高水準のアジア東部人の遺伝的類似性を示唆しています。これらの個体の存在は、サルマティア人とは異なる供給源の存在を示唆しています。
CBの鉄器時代の2集団、つまりハンガリー_IA_SCYとハンガリー_IA_LTは、図3Aでは草原地帯サルマティア人の代理とのいくらかの類似性を示しますが(とくに、ハンガリー_IA_SCY)、この類似性は異なる構成要素に由来する可能性が高そうです。これは図3Bによって裏づけられ、これらの集団はどの有意水準よりもずっと下に位置しており、検出可能なアジア東部人との遺伝的類似性がないことを示唆しています。
次に、草原地帯サルマティア人がCBサルマティア人のモデル化に不可欠なのかどうか判断するために、qpAdm分析枠組みが考案されました。予備的なqpAdm実行に基づいて、ほとんどの個体で潜在的な在来CB要素を最適に表す、15供給源人口集団の包括的な一式が組み立てられました。草原地帯サルマティア人の2集団が、提案されたサルマティア人の移民の代表的供給源として用いられました。さらに、他の8供給源が含められ、それは、CBとの既知のつながりのあるアジア中央部および内陸部の人口集団か、あるいはサルマティア人とは別のさらなるアジアからの移民を表しているかもしれない人口集団で構成されます。分析枠組みのさらにまる詳細と左右の人口集団の正確な組成は、方法論と表S5に示されています。
考古学的データおよび放射性炭素年代測定によると、CBで最古級のサルマティア人個体だった2個体、つまりDZS-41とFKD-150は、ルーマニアのサルマティア人1個体(OSU-1)とともに、明確なモデルを提供し、そのモデルでは、これらの個体は草原地帯サルマティア人と遺伝的クレード(単系統群)を形成しました。在来のヨーロッパ人および草原地帯サルマティア人供給源を用いて、12点の標本を除き、すべての他の個体について適切な2もしくは3供給源モデルの取得に成功しました。これら残りの標本をモデル化するために、より広い時空間的範囲から追加の供給源候補が組み込まれ、1個体(HVF-10)を除く全個体で有効なモデルの開発に成功しました。ルーマニアのサルマティア人では、約2/3(15個体のうち9個体)が50%以上の草原地帯サルマティア人祖先系統を有していましたが、CBサルマティア人では12%(118個体のうち14個体)のみがこの水準を示しました。
標本の半数近くはひじょうに低い割合のアジア東部構成要素を有しており、qpAdmが正確な供給源を特定できなくなっていることに要注意です。これらの標本には、実行可能なモデルにおけるサルマティア人と他のアジア中央部~東部の供給源が含まれており、アジア東部祖先系統の正確な起源について疑問を提起します。それにも関わらず、多くの明示的なモデルがいくつかの疑問を解明します。たとえば、いくつかのモデルは明確に、低い割合の構成要素として草原地帯サルマティア人を示します(たとえば、MDH-265、A181015)。これらは不確実なモデルと同じ墓地で見られることが多く、草原地帯サルマティア人祖先系統が最も妥当な供給源である、と示唆されます。
まとめると、この仮説検定はF4の結果を確証し、ほとんどのCBサルマティア人が草原地帯サルマティア人供給源で最適にモデル化される、と示しています。さらに、qpAdmモデルは本論文の標本時代区分と一致します。ルーマニアのサルマティア人は最高の割合の草原地帯サルマティア人構成要素を有しており、PCAでの位置と一致します。CBサルマティア人のうち、圧倒的な草原地帯サルマティア人祖先系統を有する個体は、おもに前期および中期に由来します(ハンガリー_SARM_EPおよびハンガリー_SARM_MLP集団)。その後のフン期の1個体(ASZK-1)のみが、高い割合の草原地帯サルマティア人祖先系統を示します。しかし、この個体は同じ草原地帯サルマティア人集団からのフン期の移民だった可能性が高く、低い割合のアジア東部遺伝的構成要素を有しています。全体的に、すべての分析から、ルーマニアのサルマティア人は草原地帯サルマティア人とCBサルマティア人との間の遺伝的つながりを表しているかもしれない、と示唆されます。
PCAのアジアの外れ値サルマティア人(たとえば、MIJ-1、MIJ-3、MDH-209、NKL-135)について、明確なモデルが得られました。その東方祖先系統は、フンか匈奴かアヴァールの支配層供給源からモデル化されましたが、草原地帯サルマティア人からはモデル化されず、そのかなりのANA祖先系統構成要素と一致します。しかし、高い割合のアジア東部祖先系統を有するほとんどの個体は、ハンガリー_フン集団で見られ(NKL-157、KMT-2785、MSG-1、VZ-12673)、歴史資料で報告されている4世紀の人口変化が示唆されます。新たな東方からの移民の出現にも関わらず、ほとんどのハンガリー_SARM_LPとハンガリー_SARM_フンとハンガリー_フンの個体は依然として、少なくともわずかな草原地帯サルマティア人祖先系統を示しており、かなりの人口連続性が浮き彫りになります。
●IBD分析はすべてのサルマティア人集団を結びつけます
ヨーロッパ中央部および草原地帯中央部のさまざまな地理的地域および期間にまたがる系図的つながりを調べるために、IBD分析が実行されました。この目的のため、本論文で提示された158個体のゲノムに加えて、鉄器時代から中世初期にまたがる504個体が選択および補完されました。
個体選択の主要な基準は時空間的起源とライブラリ調整手法で、補完での誤った遺伝子型推定を避けるために、捕獲濃縮されたゲノムは除外されました。先行研究で推奨された補完の厳格な開始閾値が適用され、最小限0.5倍の網羅率と低い汚染率が要求され、7点の新たな標本が除外されました。さらに、先行研究[33]で刊行されたサルマティア人17個体が、捕獲配列決定手法のため除外されました。IBD分析に用いられた標本の最終的な一覧は、表S6Bに示されています。
方法論の項目で説明されている最適化されたancIBDソフトウェアを用いて、少なくとも長さ8cMのIBDゲノム断片が特定されました。IBD接続網はFR重み付け演算法を用いて、図として視覚化されました。これらの図では、個々の標本は点(頂点)として表され、点間のIBD接続は線(辺)として示されます。
まず、さまざまな期間にわたるさまざまな人口集団間の系図的つながりが調べられました。この理由のため、考古学的期間および文化によって標本が分類されました。これによって、草原地帯中央部およびアジアの関連する集団を含めて、さまざまなヨーロッパおよびCB集団間のつながりの調査が可能となりました。これらの分析では、集団群が単一の点として扱われ、集団関連の配置図がFR演算法で計算され、FR演算法では、重みは各集団間のIBDの接続数でした。このように、一群の分布自体が、集団間のつながりをじっさいに反映しています(図4)。以下は本論文の図4です。
この図では、先行研究[34]で刊行されたCBのフン期およびアヴァール期の個体群とともに、サルマティア人が中心部の位置を占めています。この中心部の位置が意外ではないのは、これらの集団は人口密度が高く、中心的な時間的位置を占めているからで、前後の字をつなぐ検出可能な系図の作成に、絶好の機会を提供します。しかし、これは遠いように見える集団、とくに相互との多くのつながりの重要性を損なうわけではありません。
興味深いことに、草原地帯関連集団であるスキタイ人と草原地帯サルマティア人とルーマニアのサルマティア人はすべて、CBサルマティア人の近くでまとまります。これらの集団は、CBサルマティア人および相互と最も多くのIBD断片を共有しています。とくに注目すべきは、これらの集団内で、西方スキタイ人(ハンガリー_IA_SCY、MDA_IA_SCY、UKR_IA_CIMM、UKR_IA_SCY)が、地理的により遠い草原地帯サルマティア人と顕著により多くのつながりを有していた、近隣および同時代のCBサルマティア人を含めて、他のどの集団とも最小限のつながりしか示さないことです。
また興味深いのは、集団内の近縁性のパターンほとんど示さず、代わりに、とくに先行するサルマティア期およびその後のアヴァール期の個体群と、集団間のつながりの不釣り合いに高い割合を有しているフン期集団です。これは、フン期集団が明確に別の人口集団を表していないかもしれない、と示唆しています。
これらの観察は図4Bでさらに示されており、図4Bでは、繰り返しを100回に制約した別のFR演算法が用いられ、主要な誘因に基づく集団間の変化を示すことができます。以上のように、図の境界に沿ったローマ属州の標本はほとんど動いておらず、CB個体群との疎らなつながりを反映しています。対照的に、ルーマニアと草原地帯中央部で発掘されたサルマティア人は内部へと急速に動いており、CBサルマティア人とまとまっています。予測されたように、フン期個体群もその集団の統一性を急速に失っており、サルマティア期およびアヴァール期個体群の方へと動いています。
個体水準でのIBD共有パターンをより適切に示すために、分類化なしの図が作成されました(図5)。ここでは、CBのすべての研究対象の集団(ハンガリー_SARM、ハンガリー_SARM_フン、ハンガリー_フン、ハンガリー_アヴァール、ハンガリー_征服者)およびその近隣集団(ROU_IA、ROU_IA_SARM)や草原地帯サルマティア人(KAZ_IA_SARM、RUS_IA_SARM)が含められました。図4Aで示される他の集団から、研究対象の個体と少なくとも5個のIBD接続を有していた標本17点のみが含められました。この閾値は、追加の個体の数を10%以下に抑えることによって、図の乱雑さを減らし、明瞭性を改善するために選ばれました。これによって423個体の集合が得られ、この423個体は図4Aで見られるように同じ元の座標位置に図示されましたが、FR演算法によって、1000回の繰り返しで自由に再配置できるようになりました。個々のIBD共有データは、表S6Cで詳しく確認できます。以下は本論文の図5です。
図5では、主要な3集団、つまりCBのサルマティア期とアヴァール期と征服期の標本が明確なまとまれを形成しており、高い時代間の接続性を反映しています。中世の各集団の第1世代の移民「中核」個体群は、とくに征服期において中心的位置を占めているようで、そこでは第1世代の移民「中核」個体群はひじょうに高水準の集団内および集団間両方のつながりを示しています。サルマティア期には、この中心的位置は、ROU_SARMおよびハンガリー_SARM_EP個体群内で、草原地帯サルマティア人へと委ねられているようです。逆に、フン期個体群は孤立した分類を形成するのではなく、代わりに「サルマティア人群」へと融合しているようです。注目すべきことに、一部のハンガリー_SARM_UP個体(たとえば、NKL-157)とハンガリー_フン個体(たとえば、MSG-1やVZ-12673やKMT-2785)は、その後のアヴァール期個体群と多くの共有されたIBDを有しています。このパターンは、草原地帯サルマティア人とは異なる東方からの移民もこれらの期間に現れた、さらなる証拠を提供します。
●時代間のIBD接続は新たな移動を示唆します
次に、その後の時間枠における集団接続性の対での組み合わせが分析されました(図6)。検出された接続をあり得る接続の総数で割ることによって次数中心性データが慎重に正規化され、方法論の校門で説明されているように、満たされた接続の比率が得られました。図6のx軸が各集団の短縮分類表示を示している一方で、縦軸は示唆された集団と他の各集団との間の満たされたIBD接続の比率を表しています。以下は本論文の図6です。
図6では、草原地帯サルマティア人(草原地帯_IA_SARM)がCBの代表的な期間にわたって一貫して減少する共有パターンを示す、と明らかになります。この傾向は、あり得る創始者効果と一致し、創始者効果では、最初期始皇帝陵のゲノム巨乳がその後の世代では自然に減少します。さらに、集団間の接続の着実な減少パターンは、連続的な考古学的期間を通じて急激な人口置換のない、世代間伝承の連続的つながりを示唆しています。
同様の傾向はその後の期間のROU_SARMおよびハンガリー_SARM_EP集団で観察されます。しかし、ハンガリー_SARM_EMP集団との接続において顕著で大きな減少があり、サルマティア前期~中期のIBD継承における大きな空白が示唆されます。ハンガリー_SARM_EMP集団は再びその後の期間とのIBD接続の減少パターンを示しますが、サルマティア期後およびアヴァール期および征服期(ハンガリー_アヴァール、ハンガリー_征服者)との広範なつながりも明らかにしており、これはそれ以前のサルマティア人では無視できる程度でした。
この現象は、新たな集団を含めて、EMP期における移民の第二の波に起因する可能性が高そうです。ハンガリー_SARM_EMP集団は2ヶ所の大規模な墓地、つまりMIJとHVFによって表されます。F4およびqpAdm分析は、アジア中央部もしくは東部からの潜在的な移民として、MIJの少なくとも2個体(MIJ-1とMIJ-3)を特定しました。対照的に、HVFの4個体(HVF-4とHVF-8とHVF-10とHVF-21)は、顕著なヨーロッパ北部関連祖先系統を示し、そのうち3個体は遺伝的外れ値で、HVF-10を正確にはモデル化できませんでした。これは、HVF人口集団はヨーロッパ北部からの新たな移動を表している可能性が高い、と示唆しています。それにも関わらず、MIJおよびHVF墓地はハンガリー_SARM_EMP期の全人口を完全には表しておらず、それは、ハンガリー_SARM_EMPおよびハンガリー_SARM_LP期の人口集団がハンガリー_SARM_EP集団とのずっと強い接続を示しているからです。
ハンガリー_フン集団は自集団内でのIBD共有が最も少ないものの、サルマティア期およびアヴァール期との高いつながりを示しており、ハンガリー_SARM_LP集団とハンガリー_アヴァール集団をつないでいます。しかし、この集団の多くの個体は単葬墓もしくは単一の代表に由来し、これは真の集団内の接続を過小評価しているかもしれません。
先行研究[34]によって報告されたその後のアヴァール期および征服期のいわゆる「移民中核」(ハンガリー_アヴァール_AC、ハンガリー_征服者_AC)は、草原地帯_IA_SARMを除き、他の集団と比較して、独特なIBD共有パターンを示します。その顕著な集団内IBD共有および同時代の近隣集団との相対的に低いIBD共有は、独特な族内婚人口集団を示唆しています。対照的に、アヴァール期および征服期の配列決定された個体の大半(ハンガリー_アヴァール、ハンガリー_征服者)は、より正常なパターンを示しており、そうした個体はその時代の人口集団のより広い断片を表している可能性が高そうです。つながりの減少にも関わらず、サルマティア期個体群とのつながりがこれらその後の集団では観察でき、フン期より前の人口集団の少なくとも一部がCBで存続していたことを示唆しています。図S2では各期間の各個体の正規化された集団内および集団間の接続性も視覚化されており、草原地帯の3集団(草原地帯_IA_SARM、ハンガリー_アヴァール_AC、ハンガリー_征服者_AC)は他の集団と比較して集団内IBD共有の異常に高い比率を示す、と浮き彫りになります。
墓地ごとの集団内IBD共有を図示すると(図S3)、サルマティア後期(ハンガリー_SARM_LP)およびフン期(ハンガリー_フン)墓地の約半分で、それ以前と比較してIBD接続の顕著な減少が明らかになります。この現象は、アジア東部ゲノム構成要素の増加した顕著な新しい移民が検出された、フン期については充分に説明できます。そのIBD接続のほとんどは、先行するサルマティア人とではなく、その後のアヴァール期および征服期の集団とのものです。サルマティア後期で観察された同様のパターンも、標本抽出誤差ではなく、新たな移民に起因する可能性が高そうで、それは、このパターンがサルマティア後期の墓地の半分で見られるからです。これは、こうした墓地(OFU、TD、CSO、SPT)は移民の新たな波に属している可能性が高いことを示唆しています。
●サルマティア期における男系の置換
CBのさまざまな期間のYHgの分布を調べると(図7)、経時的な男系の顕著な置換が観察されます。新石器時代の置換はアナトリア半島農耕民の移動と関連しており[42~44]、ヤムナヤ文化の移動と関連している青銅器時代の置換は、よく記録されています[42、44、45]。しかし、サルマティア期には、新しく以前には報告されていなかった移行が観察され、YHg-R1a1a1b1(Z283)とYHg-R1a1a1b2(Z93)が多数出現し、フン期まで優勢であり続けます。とくに顕著なのはYHg-R1a1a1b2(Z93)で、これはシンタシュタ文化やスルブナヤ文化など中期~後期青銅器時代人口集団[31]や、その鉄器時代の子孫である東方スキタイ人[27、32、46]に特徴的です。YHg-R1a1a1b2(Z93)は草原地帯サルマティア人およびルーマニアのサルマティア人において最も優勢で、すべてのサルマティア人集団間の直接的なつながりを浮き彫りにし、常染色体データから導かれた結論を補強します。以下は本論文の図7です。
父系とは対照的に、母系はサルマティア期のCBなおいてほぼ変わらないままです(図S4)。以下は本論文の図S4です。
最後に、極東のYHgの流入がアヴァール期に観察され、以前に報告されたように、同様の変化は征服期にも示されています。
●草原地帯サルマティア人との関連
CBサルマティア人の起源と遺伝的関連を研究するために、この期間および地域のこれまでで最も包括的なデータベースが編集されました。本論文では、CBサルマティア人は草原地帯サルマティア人とは有意に異なっており、その低い割合ではあるものの有意なANA構成要素を除いて、それ以前の在来の人口集団とより密接に類似している、と示されました。対照的に、ルーマニアのカルパチア山脈外のほとんどのサルマティア人は草原地帯サルマティア人とより類似しており、2集団【CBサルマティア人と草原地帯サルマティア人】間の遺伝的つながりを形成しているようです。それにも関わらず、ROU_SARMとハンガリー_SARMの両集団が同じ起源人口集団に由来していた、との島嶼モデル型移動事象の可能性を完全には除外できません。
ルーマニアおよびCBのサルマティア人が地理的に最も近く、時代的に直前のハンガリーやモルドバやウクライナの西方スキタイ人と、無視できる程度のIBDを共有していたのは、本当に衝撃的です。むしろ、その直接な供給源人口集団である草原地帯サルマティア人は、より遠いウラルおよびカザフ地域に由来したことが明らかです。
本論文では、研究対象のほとんどのサルマティア人はそのゲノムモデル化において草原地帯サルマティア人供給源を必要とし、この構成要素は経時的に減少する、と論証されました。このパターンは、単一の移動に由来する創始者効果を示唆しており、新たに到来した移民は、CBへの移動後に在来人口集団と混合した草原地帯サルマティア人の近い子孫だった、と示唆されます。IBDデータはこれを裏づけており、草原地帯とルーマニアとCBのサルマティア人間の強い接続を示しています。注目すべきことに、CBサルマティア人の女性個体FKD-150は、ポントス草原地帯の草原地帯サルマティア人女性個体DA139と合計48.5cMの4ヶ所のIBD断片を共有しています。個体DA139はさらに、ウラルのサルマティア人個体chy001と88cMのIBDを、ルーマニアのサルマティア人個体POG-10と64cMのIBDを共有しています。
サルマティア期には、CBにおける男系組成は顕著な変化を経ており、それはYHg-R1aの急速な拡大によって浮き彫りになります。注目すべきことに、明らかに草原地帯およびルーマニアのサルマティア人に由来するアジアの下位単系統群であるYHg-R1a1a1b2(Z93)が傑出しており、草原地帯とルーマニアのサルマティア人ではYHg-R1a1a1b2(Z93)がとくに一般的です。利用可能な草原地帯サルマティア人のゲノムは一般的低網羅率なので、より広いYHg-R1a1a1の下に分類されるYHgの高い割合は、YHg-R1a1a1b2(Z93)下位単系統群に属す可能性が高いことは、注目に値します。対照的に、母系は顕著な変化を経ておらず、これは、サルマティア人の西方への移動がおもに男性参加者によって推進された可能性を示唆しています。それにも関わらず、サルマティア期の初期の墓地では、「黄金の地平線」墓のような女性埋葬がとくに目立つことは注目に値します。これらの調査結果は、移動してきたサルマティア人が当初、ドナウ川下流の北方の国境沿いでローマ帝国を標的にしていた、と示唆する歴史的文献と一致します。
分析された草原地帯サルマティア人や草原地帯から近い過去に到来した他の集団(ハンガリー_アヴァール_AC、ハンガリー_征服者_AC)間での、意外に高水準の集団内IBD断片共有が観察されました。対照的に、CBに定着し、より定住的な生活様式へと移行したその阿野サルマティア人は、集団内接続性の減少傾向を示します。草原地帯集団で観察される高度な接続性は、おもに移動的な遊牧民生活様式に起因し、その後のCBサルマティア人における減少パターンは、先行研究で指摘されたその生活様式の移行および人口規模増加に起因するのが妥当と考えられます。
●複数の移動の波
サルマティア人の考古学的資料で観察された変化に基づいて、考古学者はサルマティア人の移住の複数回の波を仮定しており、2世紀後半と4世紀における新たな人口集団の到来を示唆しました。本論文の調査結果はこれを裏づけ、新たな集団は、ほぼ考古学的年表と一致する、サルマティア前期~中期と後期の両方に到来した可能性が高い、と示唆されます。
サルマティア前期~中期には、HVFとMIJの両墓地の人口集団は、サルマティア人およびそれ以前の在来人口集団の両方と有意な違いを示し、アヴァール人および征服者集団とは大きなIBD接続を共有しています。HVF個体群はヨーロッパ北部人口集団への遺伝的移動を示しており、qpAdm分析はHVF墓地におけるヨーロッパ北部祖先系統の存在を確証します。たとえば、個体HVF-4およびHVF-21がスカンジナビア半島人のゲノムのみからモデル化できるのに対して、個体HVF-8はポーランドの、ヴィェルバルク文化人口集団と単系統群を形成します。残りのHVF墓地個体の在来構成要素は通常、ドイツ_中世前期_アレマン人_ヨーロッパ南部[49]でモデル化されました。
一方でMIJ個体群は、アジア東部人のゲノムと混合したヨーロッパ北部人のゲノムを有しているようで、MIJ個体のほとんどはPCAではアジアの方へと顕著に動いています。その在来構成要素は通常、ドイツ_中世前期_アレマン人_ヨーロッパ南部でモデル化されましたが、個体MIJ-1およびMIJ-3はそれぞれ25%と20%の匈奴/フン上流階層祖先系統も有しています。さらに、サルマティア人との遺伝的類似性を有する個体MIJ-7およびHVF-2は密接に関連しており、142cM合計長の6ヶ所のIBD断片を共有していました。
これらの調査結果から、サルマティア前期には異なる2回の移動の波があったかもしれず、一方はおそらくマルコマンニ戦争のゲルマン部族と関連するヨーロッパ北西部にからで、もう一方は東方草原地帯からで、サルマティア人とは異なるアジア東部起源の人口集団で構成される、と示唆されます。
サルマティア後期で検出された、可能性の高い移動の第二の波は、OFUとTDとCSOとSPTの墓地の個体群から明らかです。これらの個体はサルマティア人とIBD接続は希薄であるものの、アヴァール期との顕著な結びつきを示します。PCAでは、これらの個体は在来のヨーロッパ人口集団と一致し、3個体はヨーロッパ南部現代人への明確な移動を示します。qpAdm分析では、これら3個体はすべて、ローマ帝国と関連する供給源(たとえば、ドイツ_ローマ期、イタリア_IA_共和政、オーストリア_オヴィラワ_ローマ期、イタリア_帝政期)と最も顕著な類似性を示し、いくらかの在来集団およびサルマティア人との混合がありました。したがって、サルマティア後期には、新たな移住は草原地帯からではなく近隣のローマ属州から来た可能性が高そうです。
遺伝学的に、最初のサルマティア人への同様の組成の集団の新たな流入の可能性を、とくにこれらの移動が飛び石パターンに従っていた場合には、検出できないことに注目するのは重要です。たとえば、考古学的データが2世紀後半~3世紀初頭の間の東方からの上流階層の移動の可能性を示唆している一方で、これらは遺伝学的には検出されてきませんでした。
すべての分析で、サルマティア期のANA祖先系統の増加を示す外れ値の5個体が特定され、これについて草原地帯サルマティア人を原因とすることはできません。この外れ値5個体はMIJとMDHとNKLの墓地から発掘されました。MIJ遺跡の2個体については、すでに上記で考察されました。サルマティア中期~後期となる個体MDH-209は、複数のアヴァール期標本、およびサルマティア初期やフン期やローマ期の個体群とIBD断片を共有しています。
NKL墓地は考古学的に2区画に分けられており、一方はサルマティア期、もう一方はフン期です。しかし、サルマティア期のNKL墓地標本4点はすべて不確実な区分(ハンガリー_SARM_UP)へと分類されており、それは、その放射性炭素年代が非現実的なほど広範な期間にまたがっていたからです。それにも関わらず、外れ値個体NKL-7とNKL-135とNKL-157の東方構成要素は一貫して、匈奴/フン上流階層祖先系統からモデル化でき、アヴァール人上流階層を含めて、ほぼアヴァール人標本とのみIBD断片を共有しています。これらの調査結果から、こうした外れ値個体はフン期の移動と関連している可能性がより高いものの、いくぶん早く到来したかもしれない、と強く示唆されます。
フン期の標本は、IBDを共有する2クラスタ(まとまり)へと、明確に区別されます。新たに配列決定されたハンガリー_フンのゲノムはほぼすべて在来祖先系統を有し、草原地帯サルマティア人を含めてサルマティア人クラスタと関連しており、ローマ期やアヴァール期や征服期の個体群とのつながりはごくわずかです。対照的に、以前に刊行されたフン期のゲノム[34]には顕著なアジア構成要素が含まれており、数個体の征服者上流階層を含めてアヴァール人クラスタと一致します。これらの結果から、フン期には、CB人口集団のほとんどは既存の在来人口集団を表しており、そうした在来人口集団は征服期にも充分に生き残った一方で、アジア起源の新たなフン期の移民は少数派だった、と明確に示唆されます。これは、サルマティア人の、墓地が5世紀初期まで、集落が5世紀半ばまで使用されていた、と示唆する歴史的データと完全に一致しています。
とくに注目すべきは、フン期の個体ASZK-1で、この個体はほとんどのqpAdmモデルで草原地帯サルマティア人と単系統群を形成する一方で、他の有効なモデルではいくらかのアジア東部人との混合も示します[34]。この孤立して豊かなフンの埋葬は明確に年代測定されており、カザフ草原の発見物と同様の多くの類似点があります。埋葬慣行と発見物全体は、東方の環境からの頭部出身個体を示唆しており、この個体はフン人とともに到来した可能性が高そうです。このゲノムから、草原地帯サルマティア人の子孫も侵入してきたフン人に存在していた、と示唆されます。IBD接続は図5では、3回の連続した移動の波の人口集団(サルマティア人、アヴァール人、ハンガリー征服)を異なる3クラスタ(まとまり)に区分し、3回の移動の波はおもに異なる人口集団と関連していた、と示唆されます。
●鉄器時代の標本
カルパチア山麓の前期鉄器時代の2点の標本(LMO-8とRAM-7)は、ヨーロッパスキタイ人の同時代の隣人で、放射性炭素年代測定は2700~2600年前頃となり、最初の草原地帯サルマティア人に先行します。男性個体LMO-8は胸郭ないにスキタイ様式の青銅製の鏃があり、これはLMO-8の死因となったか、あるいは首飾りとして装着していたかもしれません。意外なことに、大きな時空間的距離にも関わらず、個体LMO-8およびRAM-7のADMIXTUREパターンは草原地帯サルマティア人と同じです。qpAdmモデルでは、個体RAM-7が草原地帯サルマティア人とほぼ単系統群を形成するのに対して、個体LMO-8は約7~90%の草原地帯サルマティア人と、約10~25%のアジア東部人もしくは中央部人との混合のようです。さらに、個体LMO-8のYHg-R1a1a1b2a2(Z2124)は、草原地帯サルマティア人で見られる典型的なYHgです(RAM-7は女性です)。
草原地帯サルマティア人とのつながりの可能性は、IBDデータによってさらに裏づけられます。個体LMO-8は草原地帯サルマティア人3個体とIBDを共有しており、長さ22.5cMのIBD断片1ヶ所が含まれています。さらに、個体LMO-8は、サカ中央部および天山サカの個体群や、初期CBサルマティア人である個体FKD-150とIBDを共有しています。同様に、個体RAM-7ははウラル地域の初期サルマティア人2個体およびモルドバのスキタイ人1個体とIBDを共有しています。
これらのデータから、鉄器時代の2個体【LMO-8とRAM-7】はじっさいに遺伝的にサルマティア人とみなすことができる、と論証されます。ROU_IAの標本2点におけるサルマティア人的ゲノムの発見は、草原地帯サルマティア人とROU_SARM標本との間の500~600年の空白を考えると、とくに予想外です。ルーマニアの同時代の鉄器時代標本は利用できませんが、モルドバやウクライナやハンガリーなど近隣地域はこの期間にサルマティア人的祖先系統の存在を示していません[27、28]。
本論文の新たなデータから、西方へのウラル地域からの移動は、少なくとも散発的にはすでに前期鉄器時代には起きていた、と示唆されます。注目すべきは、これら2個体【LMO-8とRAM-7】の年代がキンメリア人のヨーロッパでの出現にずっと近いことと、キンメリア人と特定された充分な網羅率の1個体(MDA_IA_CIMM)がじっさいに、同様のADMIXTUREパターンを示すことです。したがって、その出現がキンメリア人の移動と関連しているかもしれない可能性を除外できません。
ROU_IAおよび草原地帯サルマティア人のゲノムはROU_SARMのqpAdmモデル化では同等に有効な供給源で、鉄器時代の移民との連続性の可能性を示唆しています。しかし、ROU_I個体群は鉄器時代にはこの地域では遺伝的外れ値です。さらに、草原地帯サルマティア人個体であるDA139との個体FKD-150の密接な系図のつながり(48.5cM)など、歴史とIBDの証拠はこの解釈に反論します。
●この研究の限界
この研究の主要な限界は、ルーマニアのサルマティア人の1世紀の到来に先行する期間の、ルーマニアのカルパチア山麓の包括的標本の不足です。さらに、近隣地域(モルドバやウクライナ)の利用可能な鉄器時代のゲノムのかなり割合は、ショットガン手法を用いて配列決定が行なわれていないか低網羅率で、補完およびIBD分析に適していません。この問題はある程度、鉄器時代標本が依然として限られている大ハンガリー平原にも当てはまります。これらの制約が、この地域へのサルマティア人の移動に先行する期間における、カルパチア山脈以外とCB内両方の、人口動態の詳細な理解を妨げます。さらに、この期間の異なる小地域のヨーロッパ人のゲノム間の高い遺伝的類似性は、F統計やqpAdmなどの統計的手法を用いての、「在来」ゲノム構成要素の正確な識別を妨げます。
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サルマティア人もユーラシアを広範に移動した集団でしたが、こうした人類の移動が性別の偏ったものだったかどうかについては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)の分析が役立ちます。最近の研究では、本論文でも言及されているスキタイ人(Andreeva et al., 2025)や匈奴とフンの関係(Gnecchi-Ruscone et al., 2025)や中世前期カルパチア盆地の人口史(Gerber et al., 2024)が検証されています。以下は本論文の要約図です。
以下の略称は、CB(Carpathian Basin、カルパチア盆地)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、cM(centimorgan、センチモルガン)、CONQ(Conquer、征服者)、FR(Fruchterman-Reingold、フラチュテルマン・ラインゴールド)、NE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)、WHG(Western hunter-gatherer、ヨーロッパ西方狩猟採集民)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、ROU(Romania)、AUT(Austria、オーストリア)、ROM(Roman、ローマ)、HRV(Republika Hrvatska、クロアチア共和国)、UKR(Ukraine、ウクライナ)、ANAT(Anatolia、アナトリア)、RUS(Russia、ロシア)、MDA(Moldova、モルドバ)、KAZ(Kazakhstan、カザフスタン)、MNG(Mongolia、モンゴル)、です。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)、EP(Early Sarmatian Period、サルマティア前期)、EMP(Early-Middle Sarmatian Period、サルマティア前期~中期)、MLP(Middle-Late Sarmatian Period、サルマティア中期~後期)、LP(Late Sarmatian Period、サルマティア後期)、UP(Sarmatian Unkown Period、サルマティア時期不明)、HUN(Late Sarmatian-Hun Period、サルマティア後期~フン期)、AC(Avar and Conquest periods、アヴァールおよび征服期)、です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、プロホロフカ(Prokhorovka)文化、BMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)、レンジェル(Lengyel、略してLGY)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、石板墓(Slab Grave、略してSG)文化、シンタシュタ(Sintashta)文化、スルブナヤ(Srubnaya、Zrubna、ズルブナ)文化、ヴィェルバルク(Wielbark)文化、サカ(Saka)文化です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、サルマティア人(Sarmatian、略してSARM)、ヤジゲ人(Iazyges)、スキタイ人(Scythian、略してSCY)、ケルト人(Celtic、略してLT)、クァディ人(Quadi)、マルコマンニ人(Marcomanni)、ヴァンダル人(Vandal)、キンメリア人(Cimmerian、略してCIMM)、アヴァール人(Avar)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、モンゴル東部のフブスグル(Khovsgol、Khövsgöl)県、オーストリアのオヴィラワ(Ovilava)です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、MIJ(Makó-Igási Járandó、マコ=イガシ・ジャランド)墓地、HVF(Hódmezővásárhely-Fehértó、ホドメゾヴァサーヘリー=フェヘルト)墓地、OFU(Óföldeák - Ürmös、オフェルデアク=ウルメス)遺跡、TD(Tiszadob - Sziget、ティスザドブ=ズィゲト)遺跡、CSO(Csongrád - Kenderföldek、ソングラド=ケンデルフェルデク)遺跡、SPT(Szihalom - Pamlényi tábla、ズィハロム=パムレニー・タブラ)遺跡、NKL(Nagykálló - Kis Ludas-tó dűlő、略してナギカッロ=キス・ルダス=トデュロ)墓地、MDH(Madaras - Halmok、マダラス=ハルモク)墓地、LMO(Lișcoteanca - Movila Olarului、リスコテアンカ=モヴィラ・オラルルイ)墓地、RAK(Rákoscsaba、ラコスクサバ)墓地、RAM(Râmnicelu、ラムニセル)墓地、FKD(Füzesabony - Kastélydűlő、フュゼサボニー=カステリデュロ)墓地です。
●要約
遊牧民のサルマティア人は紀元前3世紀からポントス草原地帯を支配し、50年からフンの4世紀の拡大まで大ハンガリー平原を支配しました。本論文で提示されるのは、1~5世紀のハンガリーおよびカルパチア山麓から発見された156個体のゲノムの大規模な遺伝学的分析です。本論文の調査結果は、カルパチア盆地のサルマティア人における低い割合のアジア東部祖先系統を明らかにし、他地域の人口集団と区別します。F4統計とqpAdmとIBD分析を用いて、カルパチア盆地のサルマティア人はウラルおよびカザフスタン地域起源の草原地帯サルマティア人の子孫で、ルーマニアのサルマティア人がこの2集団間の遺伝的橋渡しとして機能したかもしれない、と示されます。サルマティア期における以前には知られていなかった2回の移動の波と、アジア起源個体群のより小さな流入にも関わらず、フン期へのサルマティア人集団の顕著な連続性も特定されます。これらの結果は、サルマティア人の移動と、ローマ帝国の近隣の重要な人口集団の遺伝的歴史に新たな光を当てます。
●研究史
サルマティア人は紀元前4世紀および紀元前2世紀のウラル南部地域遊牧民の集団で、考古学的にはプロホロフカ文化と特定されています。その後の数世紀に、サルマティア人はポントス草原地帯へと拡大し、文化的に関連しているスキタイ人を置換しました。鉄器時代には、サルマティア人はドン川とヴォルガ川とコーカサス北部とウラル山脈の間の地域で、最初の重要な政治体制を築きました。古代の資料に残る名称に基づくいて、サルマティア人はイラン語群話者の集団の一部だった、と考えられています。
1世紀までに、サルマティア人集団はカルパチア盆地(CB)の東山麓とドナウ川下流域の間の地域(現代のルーマニア)に定住していました。紀元後の初期の数十年間、ヤジゲ人としていられている最初のサルマティア人部族がCBに侵入し、ドナウ川とティサ川の河間地域の北部および中央部を占拠しました。サルマティア人は次第にトランスティサ地域へと拡大し、最終的には大ハンガリー平原全体を占拠し、在来のケルト人およびスキタイ人集団へと支配を拡大した可能性が高そうです。
1世紀末および2世紀初頭までに、当初は良好な関係だったにも関わらず、サルマティア人はドナウ川流域において次第にローマ帝国の手強い敵になりました。マルコマンニ・サルマティア人戦争(166~180年)後、サルマティア人の物質文化はローマ帝国の周縁的広がりとなりました。サルマティア人の到来から1世紀以内でのCBにおける密な集落網から、遊牧民も農耕を採用し、大きな人口規模に達した、と示唆されます。それにも関わらず、多くの草原地帯の伝統が日常生活や文化や戦争で存続しました。CB東部のサルマティア人は草原地帯の他のサルマティア人集団と密接な関係を維持しており、考古学的発見は2世紀後半から4世紀における東方集団の移動の数回の事例を示しています。サルマティア人はゲルマン部族(クァディ人やマルコマンニ人やヴァンダル人)と密接な関係および軍事同盟を形成しており、それはとくに周辺の境界地域におけるサルマティア人の物質文化に大きな影響を及ぼしました。興味深いのは、広範な地域を支配し、古代および中世初期世界に大きな影響を及ぼした(軍事革新、ローマ帝国との関係、アーサー王伝説とのつながりさえ)このかつての支配的な人々が、どの現代のヨーロッパの国家を形成している民族の祖先として主張されておらず、古代の今では忘れられた人々の集団のままであることです。
以前の考古学的研究では、ローマとサルマティア人との関係の主要な歴史的事象および物質文化の変化に基づいて、CBのサルマティア人の考古学的遺物は3期間に分類されました。その期間は以下の通りで、(1)サルマティア前期は、大ハンガリー平原におけるサルマティア人の到来(50年頃)から2世紀後半まで、(2)サルマティア中期は、マルコマンニ戦争の期間から3世紀末のダキア放棄まで、(3)サルマティア後期は3世紀末から5世紀の第3三半期までです。残念ながら、CBのサルマティア人の考古学的年代体系は、ヨーロッパ中央部のゲルマン地域およびヨーロッパ東部地域で用いられている年代体系と完全には一致していません。
4世紀後期から5世紀半ばの間に、フン人によって始まった大きな移動で多様な共同体が大ハンガリー平原へと侵入し、それには東ゲルマンの諸部族やフン人や他の東方サルマティア人集団が含まれます。フン帝国がCBの中心に移動した後で、サルマティア人はその故地に留まりました。サルマティア人の墓地は5世紀初期まで使用され、サルマティア人の集落はフン帝国の5世紀半ばの崩壊まで続きました。文献によると、サルマティア人は470年代まで独立した政治組織を維持していたかもしれません。フン帝国の崩壊後に、サルマティア人はゲピド王国の人口集団へと同化しました。
これまでに、7点の異なる研究にわたって、ウラル地域と中央草原地帯のサルマティア人45個体の刊行されているゲノムが利用可能です[27~29、31、32]。これらの研究のうち、2本の論文のみが当時の状況におけるサルマティア人の詳細な考察を提供していますが[28、32]、他の研究はこの問題をわずかにしか扱っていません。ウラルのサルマティア人と東方草原地帯のサルマティア人(まとめと草原地帯サルマティア人と呼ばれます)で特定された重要な特徴は以下の通りで、(1)そのゲノムは主要な3系統の祖先構成要素の混合を示し、つまりは、70%の草原地帯中期~後期青銅器時代構成要素(草原地帯_MLBA)と、18%のBMAC関連構成要素と、12%のバイカル湖前期青銅器時代構成要素(バイカル_EBA)となり、(2)東方スキタイ人と比較してのより低い割合のフブスグル関連のアジア東部構成要素は、草原地帯サルマティア人が異なる、ウラル地域の独立した後期青銅器時代人口集団に由来する可能性を示唆し、(3)広範な地理的分布と比較的高い遺伝的多様性にも関わらず、500年以上にわたって遺伝的にはひじょうに均質なままでした。
CBからは、サルマティア期の17個体が先行研究で刊行されました[33]。詳細な分析は提供されませんでしたが、これらのゲノムは草原地帯サルマティア人と比較してヨーロッパ人の遺伝的特性へと向かう独特な移行を示しており、これらの人口集団間の潜在的関係についての問題を提起します。CBサルマティア人の起源と遺伝的関係を明らかにし、ユーラシア草原地帯の他の人口集団や前後の期間の在来集団とのつながりを調べるために、サルマティア期とフン期にわたるCBおよび周辺地域の156個体のゲノムが配列決定されました(図1A)。CBのサルマティア人は、現在のルーマニアのカルパチア山麓から移動した、ウラルおよびカザフスタン地域のサルマティア人の子孫だった、と本論文では示されました。大規模なCBサルマティア人集団の子孫は、その後のフン期において人口の大きな割合を形成しました。以下は本論文の図1です。
●標本
156点の標本のうち、118点が大ハンガリー平原から収集され、その期間は1~4世紀にわたり、ハンガリー_SARMと命名されたCB外国(Barbaricum、ローマ帝国にとっての、蛮族が暮らす外国)のサルマティア期人口集団を表します。サルマティア期に使用されていた2ヶ所の墓地は明らかにフン期にまで及んでおり、ハンガリー_SARM_フンと分類されました。サルマティア人の到来への知見を得るために、ルーマニア平原の17個体も標本抽出され、これは侵入してきたサルマティア人集団(ROU_SARM)を表している可能性が高そうです。さらに、4~5世紀の21個体の全ゲノム配列が生成され(ハンガリー_フン)、この地域へのサルマティア人集団の長期の影響の可能性が評価されました。156点のショットガン配列決定された全ゲノムは、平均網羅率が1.42倍(0.24~3.75倍の範囲)で、汚染は無視できる程度です。新たに配列決定されたゲノムは、先行研究[33]で刊行されているサルマティア期17個体および別の先行研究[34]で刊行されているフン期の9個体とともに分析され、これらの期間のこの地域の最も包括的なゲノムデータベースが作成されました(図1A)。
これらの標本は、正確な考古学的分類のため徹底した再調査を経ました。68点の標本で放射性炭素測定も実行され、考古学的年代測定手法が検証されました。これら2通りの手法ではほとんどの事例で一致した年代が得られましたが、一部の標本は貯蔵効果の可能性を示唆しました。このため、標本の分類について放射性炭素の結果のみに依拠せず、代わりに放射性炭素年代のある検証されている考古学的データが統合されました。これは、不確実な時代区分の個体群の別の集団の基準につながり、ハンガリー_SARM_UPと命名されました。ルーマニアの2点の標本(LMO-8とRAK-7)の放射性炭素年代から、この2個体はずっと古く、前期鉄器時代で、その乏しい考古学的記載と一致する、と明らかになりました。文献のこの2個体は、ルーマニア鉄器時代に含められました(ROU_IA)。
統合された年代測定手順にもとづいて、本論文の標本は段階的な考古学的期間を表す9集団へと分類され、それは、ROU_IA、ROU_SARM、ハンガリー_SARM_EP、ハンガリー_SARM_EMP、ハンガリー_SARM_MLP、ハンガリー_SARM_LP、ハンガリー_SARM_UP、ハンガリー_SARM_フン、ハンガリー_フンです。遺伝的親族関係は、correctKinを用いて判断されました。15の親族群が特定され、その一部はサルマティア期とフン期を直接的にアヴァール期と結びつけます。
●サルマティア期およびフン期の標本の遺伝的多様性
本論文の標本における遺伝的構造を判断するために、PCAとADMIXTUREが適用されました。先行研究[34]で詳細に報告された現在のユーラシア人口集団一式から主要な主成分(PC)軸が計算され、これらの軸に研究対象のゲノムが投影されました(図2A)。これらの分析では、地理的起源および年代によって分類された、刊行されている草原地帯サルマティア人45個体も含められました。以下は本論文の図2です。
以前の調査結果と一致して草原地帯サルマティア人は数個体の外れ値を除いてPCAでは密接にまとまっており(クラスタ化し)、ヨーロッパ人口集団とは明確に区別されます。対照的に、ほとんどCBサルマティア人は現在のヨーロッパ中央部人口集団の近くでまとまっており、おもに前期および前期~中期の数個体のみが草原地帯サルマティア人クラスタ(まとまり)との強い類似性を示します。ヨーロッパのクラスタ内では、一部の個体が現代のヨーロッパ北部人口集団とより密接なのに対して、他の個体はヨーロッパ南部人とより近くなります。さらに、いくつかの遺伝的外れ値はアジア人口集団の方へと動いており、草原地帯サルマティア人を超えた他の遊牧民集団とのつながりが示唆されます。しかし、この祖先系統は一部の草原地帯サルマティア人の外れ値でも見られ、これらの遺伝的外れ値が草原地帯サルマティア人とともに到来したかもしれない可能性が提起されます。注目すべきことに、ルーマニアのサルマティア人の大半が草原地帯サルマティア人の間に位置するのに対して、他の個体は草原地帯とCBのサルマティア人の間で勾配を形成します。
教師無ADMIXTUREの結果は明らかに、個体のPCAの異なる位置の原因となるゲノム構成要素を示唆します。K(系統構成要素数)=6では、典型的な大地域祖先系統構成要素が特定され、それは、WHG、ANAT_N、イラン_N、ANE、ANAです(図2B)。さらに、CB個体群で最大化される独特な構成要素(図2Bの青色)が現れ、これは分析におけるこの地域の標本の過剰提示に起因する可能性が高そうです。
CBのほとんどのサルマティア期およびフン期個体は、この地域の同時代の人口集団(たとえば、オーストリアとクロアチアのローマ期のAUT_ROMやHRV_ROM)もしくは直前の期間の人口集団(たとえば、ハンガリー_IA_SCYと表記されるハンガリーのスキタイ人や、ハンガリー_IA_LTと表記されるハンガリーのケルト人)とひじょうに類似しています。しかし、本論文の研究対象の集団の特有の特徴は、低いものの有意な割合であるANA構成要素の存在です。この構成要素は最初期集団(ハンガリー_SARM_EP、ハンガリー_SARM_EMP)において最高で、その後の期間にかけて減少するようです。ANA構成要素は、ひじょうに類似したゲノム組成を有する草原地帯サルマティア人およびルーマニアサルマティア人においてより顕著で、PCAでのクラスタ化(まとまること)およびヨーロッパ人集団からの顕著な移動に対応しています(図2B)。PCAのアジアの外れ値個体もADMIXTURE分析では際立っており、それは草原地帯サルマティア人よりもずっと高い割合のかなりのANA構成要素に起因します。
ルーマニアの鉄器時代の2個体はひじょうに意外なADMIXTUREパターンを示し、RUS_IA_SARM集団と同じ構成要素比を示しており(図2B)、これはその密接なPCAの位置にも反映されています。これはルーマニアの鉄器時代の2個体を、同時代のスキタイ人およびケルト人集団(ハンガリー_IA_SCYもしくはハンガリー_IA_LT)とはっきりと区別します。
●CBサルマティア人は草原地帯サルマティア人との遺伝的類似性を示します
CBサルマティア人は、そのゲノムで見られるアジア東部祖先系統によって、同時代の近隣個体群でとは区別され、歴史および考古学的資料で支持されているように、草原地帯サルマティア人の子孫だったかもしれない、と示唆されます。サルマティア人の2集団【CBと草原地帯】間の遺伝的類似性の可能性を検証するために、まず刊行されている充分な網羅率の草原地帯サルマティア人個体群が再分析されました。草原地帯サルマティア人個体群はひじょうに均質ではあるものの類似した2集団にまとめることができ、原地帯_IA_SARM_ウラルおよび草原地帯_IA_SARM_草原地帯と命名され、これは本論文の祖先系統分析で代理として用いられました。
F4統計が適用され、サルマティア期およびフン期標本が以前にCBに居住していた集団と共分析されました。まず、おそらく在来要素を反映している後期新石器時代CB人口集団(レンジェル文化)に対する草原地帯サルマティア人の方との標本の直接的な類似性が、F4(エチオピア_4500年前、検証対象;ハンガリー_LN_LGY、草原地帯_IA_SARM_ウラル)で測定されました。この統計における正の値が草原地帯サルマティア人の代理への大きな類似性を示唆するのに対して、負の値は在来の代理へのより多くの共有された浮動を示します。これはF4(エチオピア_4500年前、草原地帯_IA_SARM_ウラル;ハンガリー_LN_LGY、検証対象)での別の組み合わせとともに図示されており、ここでは同じ参照が使用されたものの、実際には、在来の代理との共有された浮動を除外する場合には、サルマティア人の代理の方との標本の類似性が測定されます(図3A)。以下は本論文の図3です。
図3Aでは、鉄器時代CBのスキタイ人およびケルト人集団の標本を含めてほとんどの標本が、在来の代理と遺伝標識の大半を共有している、と示されています。しかし、数個体、とくにROU_SARMとハンガリー_SARM_EP集団は、x軸の正の側に位置しています。この傾向はy軸によってさらに裏づけられ、ほぼすべての個体は正の側に位置しており、在来集団との類似性に加えてね草原地帯サルマティア人の代理との少なくとも限定的な類似性が示唆されます。図3Aの右上象限に位置するゲノムは、強い草原地帯サルマティア人との類似性を示唆しています。注目すべきことに、これらの標本は草原地帯サルマティア人の標本と重複するPCAの位置および同様のADMIXTUREパターンも示しています。
右下象限の数個体はy軸上で強い負のF得点を示しますが、x軸上では草原地帯サルマティア人との類似性を保持しています。この数個体では、PCAおよびADMIXTUREで見られるように、アジア東部ゲノム構成要素も増加しており、草原地帯サルマティア人の代理とは区別されます。一方で、これらの標本はx軸上で草原地帯サルマティア人と有意な浮動を共有しており、これはアジア東部祖先系統に起因する可能性が高そうです。これは、y軸上で草原地帯サルマティア人との類似性を有する他の標本が、アジア東部祖先系統の増加のため同様のパターンを示しているかもしれない、との可能性を提起します。
この不確実性に対処するために、2通り追加のF4分析が実行され、それは、(1)MNG_EIA_SG[38]を用いて、標本のアジア東部人との類似性を測定するはF4(エチオピア_4500年前、MNG_EIA_SG;草原地帯_IA_SARM_ウラル、検証対象)と、(2)同じアジア東部人との類似性を評価するものの、草原地帯サルマティア人の代理と共有された遺伝標識を除外する(エチオピア_4500年前、MNG_EIA_SG;草原地帯_IA_SARM_ウラル、検証対象)です。図3Bでは、F値の代わりにZ得点が図示され、それは、統計量の有意な水準が本論文の問題への正確な回答を提供するからです。
図3Bのx軸から、図3Aの右側の全個体は在来祖先系統以外にアジア東部人の代理との有意な共有された浮動を示す、と論証されます。しかし、y軸からは、図3Aの右上象限の標本のアジア東部人との類似性はウラルのサルマティア人と同等で、それは、この類似性が、ウラルのサルマティア人と共有されない遺伝標識のみを検証すると、ほぼゼロに位置するからである、と明らかになります。対照的に、図3Aの右下象限の個体群は両軸で有意なZ得点を示し、草原地帯サルマティア人の代理のみに帰することができない、より高水準のアジア東部人の遺伝的類似性を示唆しています。これらの個体の存在は、サルマティア人とは異なる供給源の存在を示唆しています。
CBの鉄器時代の2集団、つまりハンガリー_IA_SCYとハンガリー_IA_LTは、図3Aでは草原地帯サルマティア人の代理とのいくらかの類似性を示しますが(とくに、ハンガリー_IA_SCY)、この類似性は異なる構成要素に由来する可能性が高そうです。これは図3Bによって裏づけられ、これらの集団はどの有意水準よりもずっと下に位置しており、検出可能なアジア東部人との遺伝的類似性がないことを示唆しています。
次に、草原地帯サルマティア人がCBサルマティア人のモデル化に不可欠なのかどうか判断するために、qpAdm分析枠組みが考案されました。予備的なqpAdm実行に基づいて、ほとんどの個体で潜在的な在来CB要素を最適に表す、15供給源人口集団の包括的な一式が組み立てられました。草原地帯サルマティア人の2集団が、提案されたサルマティア人の移民の代表的供給源として用いられました。さらに、他の8供給源が含められ、それは、CBとの既知のつながりのあるアジア中央部および内陸部の人口集団か、あるいはサルマティア人とは別のさらなるアジアからの移民を表しているかもしれない人口集団で構成されます。分析枠組みのさらにまる詳細と左右の人口集団の正確な組成は、方法論と表S5に示されています。
考古学的データおよび放射性炭素年代測定によると、CBで最古級のサルマティア人個体だった2個体、つまりDZS-41とFKD-150は、ルーマニアのサルマティア人1個体(OSU-1)とともに、明確なモデルを提供し、そのモデルでは、これらの個体は草原地帯サルマティア人と遺伝的クレード(単系統群)を形成しました。在来のヨーロッパ人および草原地帯サルマティア人供給源を用いて、12点の標本を除き、すべての他の個体について適切な2もしくは3供給源モデルの取得に成功しました。これら残りの標本をモデル化するために、より広い時空間的範囲から追加の供給源候補が組み込まれ、1個体(HVF-10)を除く全個体で有効なモデルの開発に成功しました。ルーマニアのサルマティア人では、約2/3(15個体のうち9個体)が50%以上の草原地帯サルマティア人祖先系統を有していましたが、CBサルマティア人では12%(118個体のうち14個体)のみがこの水準を示しました。
標本の半数近くはひじょうに低い割合のアジア東部構成要素を有しており、qpAdmが正確な供給源を特定できなくなっていることに要注意です。これらの標本には、実行可能なモデルにおけるサルマティア人と他のアジア中央部~東部の供給源が含まれており、アジア東部祖先系統の正確な起源について疑問を提起します。それにも関わらず、多くの明示的なモデルがいくつかの疑問を解明します。たとえば、いくつかのモデルは明確に、低い割合の構成要素として草原地帯サルマティア人を示します(たとえば、MDH-265、A181015)。これらは不確実なモデルと同じ墓地で見られることが多く、草原地帯サルマティア人祖先系統が最も妥当な供給源である、と示唆されます。
まとめると、この仮説検定はF4の結果を確証し、ほとんどのCBサルマティア人が草原地帯サルマティア人供給源で最適にモデル化される、と示しています。さらに、qpAdmモデルは本論文の標本時代区分と一致します。ルーマニアのサルマティア人は最高の割合の草原地帯サルマティア人構成要素を有しており、PCAでの位置と一致します。CBサルマティア人のうち、圧倒的な草原地帯サルマティア人祖先系統を有する個体は、おもに前期および中期に由来します(ハンガリー_SARM_EPおよびハンガリー_SARM_MLP集団)。その後のフン期の1個体(ASZK-1)のみが、高い割合の草原地帯サルマティア人祖先系統を示します。しかし、この個体は同じ草原地帯サルマティア人集団からのフン期の移民だった可能性が高く、低い割合のアジア東部遺伝的構成要素を有しています。全体的に、すべての分析から、ルーマニアのサルマティア人は草原地帯サルマティア人とCBサルマティア人との間の遺伝的つながりを表しているかもしれない、と示唆されます。
PCAのアジアの外れ値サルマティア人(たとえば、MIJ-1、MIJ-3、MDH-209、NKL-135)について、明確なモデルが得られました。その東方祖先系統は、フンか匈奴かアヴァールの支配層供給源からモデル化されましたが、草原地帯サルマティア人からはモデル化されず、そのかなりのANA祖先系統構成要素と一致します。しかし、高い割合のアジア東部祖先系統を有するほとんどの個体は、ハンガリー_フン集団で見られ(NKL-157、KMT-2785、MSG-1、VZ-12673)、歴史資料で報告されている4世紀の人口変化が示唆されます。新たな東方からの移民の出現にも関わらず、ほとんどのハンガリー_SARM_LPとハンガリー_SARM_フンとハンガリー_フンの個体は依然として、少なくともわずかな草原地帯サルマティア人祖先系統を示しており、かなりの人口連続性が浮き彫りになります。
●IBD分析はすべてのサルマティア人集団を結びつけます
ヨーロッパ中央部および草原地帯中央部のさまざまな地理的地域および期間にまたがる系図的つながりを調べるために、IBD分析が実行されました。この目的のため、本論文で提示された158個体のゲノムに加えて、鉄器時代から中世初期にまたがる504個体が選択および補完されました。
個体選択の主要な基準は時空間的起源とライブラリ調整手法で、補完での誤った遺伝子型推定を避けるために、捕獲濃縮されたゲノムは除外されました。先行研究で推奨された補完の厳格な開始閾値が適用され、最小限0.5倍の網羅率と低い汚染率が要求され、7点の新たな標本が除外されました。さらに、先行研究[33]で刊行されたサルマティア人17個体が、捕獲配列決定手法のため除外されました。IBD分析に用いられた標本の最終的な一覧は、表S6Bに示されています。
方法論の項目で説明されている最適化されたancIBDソフトウェアを用いて、少なくとも長さ8cMのIBDゲノム断片が特定されました。IBD接続網はFR重み付け演算法を用いて、図として視覚化されました。これらの図では、個々の標本は点(頂点)として表され、点間のIBD接続は線(辺)として示されます。
まず、さまざまな期間にわたるさまざまな人口集団間の系図的つながりが調べられました。この理由のため、考古学的期間および文化によって標本が分類されました。これによって、草原地帯中央部およびアジアの関連する集団を含めて、さまざまなヨーロッパおよびCB集団間のつながりの調査が可能となりました。これらの分析では、集団群が単一の点として扱われ、集団関連の配置図がFR演算法で計算され、FR演算法では、重みは各集団間のIBDの接続数でした。このように、一群の分布自体が、集団間のつながりをじっさいに反映しています(図4)。以下は本論文の図4です。
この図では、先行研究[34]で刊行されたCBのフン期およびアヴァール期の個体群とともに、サルマティア人が中心部の位置を占めています。この中心部の位置が意外ではないのは、これらの集団は人口密度が高く、中心的な時間的位置を占めているからで、前後の字をつなぐ検出可能な系図の作成に、絶好の機会を提供します。しかし、これは遠いように見える集団、とくに相互との多くのつながりの重要性を損なうわけではありません。
興味深いことに、草原地帯関連集団であるスキタイ人と草原地帯サルマティア人とルーマニアのサルマティア人はすべて、CBサルマティア人の近くでまとまります。これらの集団は、CBサルマティア人および相互と最も多くのIBD断片を共有しています。とくに注目すべきは、これらの集団内で、西方スキタイ人(ハンガリー_IA_SCY、MDA_IA_SCY、UKR_IA_CIMM、UKR_IA_SCY)が、地理的により遠い草原地帯サルマティア人と顕著により多くのつながりを有していた、近隣および同時代のCBサルマティア人を含めて、他のどの集団とも最小限のつながりしか示さないことです。
また興味深いのは、集団内の近縁性のパターンほとんど示さず、代わりに、とくに先行するサルマティア期およびその後のアヴァール期の個体群と、集団間のつながりの不釣り合いに高い割合を有しているフン期集団です。これは、フン期集団が明確に別の人口集団を表していないかもしれない、と示唆しています。
これらの観察は図4Bでさらに示されており、図4Bでは、繰り返しを100回に制約した別のFR演算法が用いられ、主要な誘因に基づく集団間の変化を示すことができます。以上のように、図の境界に沿ったローマ属州の標本はほとんど動いておらず、CB個体群との疎らなつながりを反映しています。対照的に、ルーマニアと草原地帯中央部で発掘されたサルマティア人は内部へと急速に動いており、CBサルマティア人とまとまっています。予測されたように、フン期個体群もその集団の統一性を急速に失っており、サルマティア期およびアヴァール期個体群の方へと動いています。
個体水準でのIBD共有パターンをより適切に示すために、分類化なしの図が作成されました(図5)。ここでは、CBのすべての研究対象の集団(ハンガリー_SARM、ハンガリー_SARM_フン、ハンガリー_フン、ハンガリー_アヴァール、ハンガリー_征服者)およびその近隣集団(ROU_IA、ROU_IA_SARM)や草原地帯サルマティア人(KAZ_IA_SARM、RUS_IA_SARM)が含められました。図4Aで示される他の集団から、研究対象の個体と少なくとも5個のIBD接続を有していた標本17点のみが含められました。この閾値は、追加の個体の数を10%以下に抑えることによって、図の乱雑さを減らし、明瞭性を改善するために選ばれました。これによって423個体の集合が得られ、この423個体は図4Aで見られるように同じ元の座標位置に図示されましたが、FR演算法によって、1000回の繰り返しで自由に再配置できるようになりました。個々のIBD共有データは、表S6Cで詳しく確認できます。以下は本論文の図5です。
図5では、主要な3集団、つまりCBのサルマティア期とアヴァール期と征服期の標本が明確なまとまれを形成しており、高い時代間の接続性を反映しています。中世の各集団の第1世代の移民「中核」個体群は、とくに征服期において中心的位置を占めているようで、そこでは第1世代の移民「中核」個体群はひじょうに高水準の集団内および集団間両方のつながりを示しています。サルマティア期には、この中心的位置は、ROU_SARMおよびハンガリー_SARM_EP個体群内で、草原地帯サルマティア人へと委ねられているようです。逆に、フン期個体群は孤立した分類を形成するのではなく、代わりに「サルマティア人群」へと融合しているようです。注目すべきことに、一部のハンガリー_SARM_UP個体(たとえば、NKL-157)とハンガリー_フン個体(たとえば、MSG-1やVZ-12673やKMT-2785)は、その後のアヴァール期個体群と多くの共有されたIBDを有しています。このパターンは、草原地帯サルマティア人とは異なる東方からの移民もこれらの期間に現れた、さらなる証拠を提供します。
●時代間のIBD接続は新たな移動を示唆します
次に、その後の時間枠における集団接続性の対での組み合わせが分析されました(図6)。検出された接続をあり得る接続の総数で割ることによって次数中心性データが慎重に正規化され、方法論の校門で説明されているように、満たされた接続の比率が得られました。図6のx軸が各集団の短縮分類表示を示している一方で、縦軸は示唆された集団と他の各集団との間の満たされたIBD接続の比率を表しています。以下は本論文の図6です。
図6では、草原地帯サルマティア人(草原地帯_IA_SARM)がCBの代表的な期間にわたって一貫して減少する共有パターンを示す、と明らかになります。この傾向は、あり得る創始者効果と一致し、創始者効果では、最初期始皇帝陵のゲノム巨乳がその後の世代では自然に減少します。さらに、集団間の接続の着実な減少パターンは、連続的な考古学的期間を通じて急激な人口置換のない、世代間伝承の連続的つながりを示唆しています。
同様の傾向はその後の期間のROU_SARMおよびハンガリー_SARM_EP集団で観察されます。しかし、ハンガリー_SARM_EMP集団との接続において顕著で大きな減少があり、サルマティア前期~中期のIBD継承における大きな空白が示唆されます。ハンガリー_SARM_EMP集団は再びその後の期間とのIBD接続の減少パターンを示しますが、サルマティア期後およびアヴァール期および征服期(ハンガリー_アヴァール、ハンガリー_征服者)との広範なつながりも明らかにしており、これはそれ以前のサルマティア人では無視できる程度でした。
この現象は、新たな集団を含めて、EMP期における移民の第二の波に起因する可能性が高そうです。ハンガリー_SARM_EMP集団は2ヶ所の大規模な墓地、つまりMIJとHVFによって表されます。F4およびqpAdm分析は、アジア中央部もしくは東部からの潜在的な移民として、MIJの少なくとも2個体(MIJ-1とMIJ-3)を特定しました。対照的に、HVFの4個体(HVF-4とHVF-8とHVF-10とHVF-21)は、顕著なヨーロッパ北部関連祖先系統を示し、そのうち3個体は遺伝的外れ値で、HVF-10を正確にはモデル化できませんでした。これは、HVF人口集団はヨーロッパ北部からの新たな移動を表している可能性が高い、と示唆しています。それにも関わらず、MIJおよびHVF墓地はハンガリー_SARM_EMP期の全人口を完全には表しておらず、それは、ハンガリー_SARM_EMPおよびハンガリー_SARM_LP期の人口集団がハンガリー_SARM_EP集団とのずっと強い接続を示しているからです。
ハンガリー_フン集団は自集団内でのIBD共有が最も少ないものの、サルマティア期およびアヴァール期との高いつながりを示しており、ハンガリー_SARM_LP集団とハンガリー_アヴァール集団をつないでいます。しかし、この集団の多くの個体は単葬墓もしくは単一の代表に由来し、これは真の集団内の接続を過小評価しているかもしれません。
先行研究[34]によって報告されたその後のアヴァール期および征服期のいわゆる「移民中核」(ハンガリー_アヴァール_AC、ハンガリー_征服者_AC)は、草原地帯_IA_SARMを除き、他の集団と比較して、独特なIBD共有パターンを示します。その顕著な集団内IBD共有および同時代の近隣集団との相対的に低いIBD共有は、独特な族内婚人口集団を示唆しています。対照的に、アヴァール期および征服期の配列決定された個体の大半(ハンガリー_アヴァール、ハンガリー_征服者)は、より正常なパターンを示しており、そうした個体はその時代の人口集団のより広い断片を表している可能性が高そうです。つながりの減少にも関わらず、サルマティア期個体群とのつながりがこれらその後の集団では観察でき、フン期より前の人口集団の少なくとも一部がCBで存続していたことを示唆しています。図S2では各期間の各個体の正規化された集団内および集団間の接続性も視覚化されており、草原地帯の3集団(草原地帯_IA_SARM、ハンガリー_アヴァール_AC、ハンガリー_征服者_AC)は他の集団と比較して集団内IBD共有の異常に高い比率を示す、と浮き彫りになります。
墓地ごとの集団内IBD共有を図示すると(図S3)、サルマティア後期(ハンガリー_SARM_LP)およびフン期(ハンガリー_フン)墓地の約半分で、それ以前と比較してIBD接続の顕著な減少が明らかになります。この現象は、アジア東部ゲノム構成要素の増加した顕著な新しい移民が検出された、フン期については充分に説明できます。そのIBD接続のほとんどは、先行するサルマティア人とではなく、その後のアヴァール期および征服期の集団とのものです。サルマティア後期で観察された同様のパターンも、標本抽出誤差ではなく、新たな移民に起因する可能性が高そうで、それは、このパターンがサルマティア後期の墓地の半分で見られるからです。これは、こうした墓地(OFU、TD、CSO、SPT)は移民の新たな波に属している可能性が高いことを示唆しています。
●サルマティア期における男系の置換
CBのさまざまな期間のYHgの分布を調べると(図7)、経時的な男系の顕著な置換が観察されます。新石器時代の置換はアナトリア半島農耕民の移動と関連しており[42~44]、ヤムナヤ文化の移動と関連している青銅器時代の置換は、よく記録されています[42、44、45]。しかし、サルマティア期には、新しく以前には報告されていなかった移行が観察され、YHg-R1a1a1b1(Z283)とYHg-R1a1a1b2(Z93)が多数出現し、フン期まで優勢であり続けます。とくに顕著なのはYHg-R1a1a1b2(Z93)で、これはシンタシュタ文化やスルブナヤ文化など中期~後期青銅器時代人口集団[31]や、その鉄器時代の子孫である東方スキタイ人[27、32、46]に特徴的です。YHg-R1a1a1b2(Z93)は草原地帯サルマティア人およびルーマニアのサルマティア人において最も優勢で、すべてのサルマティア人集団間の直接的なつながりを浮き彫りにし、常染色体データから導かれた結論を補強します。以下は本論文の図7です。
父系とは対照的に、母系はサルマティア期のCBなおいてほぼ変わらないままです(図S4)。以下は本論文の図S4です。
最後に、極東のYHgの流入がアヴァール期に観察され、以前に報告されたように、同様の変化は征服期にも示されています。
●草原地帯サルマティア人との関連
CBサルマティア人の起源と遺伝的関連を研究するために、この期間および地域のこれまでで最も包括的なデータベースが編集されました。本論文では、CBサルマティア人は草原地帯サルマティア人とは有意に異なっており、その低い割合ではあるものの有意なANA構成要素を除いて、それ以前の在来の人口集団とより密接に類似している、と示されました。対照的に、ルーマニアのカルパチア山脈外のほとんどのサルマティア人は草原地帯サルマティア人とより類似しており、2集団【CBサルマティア人と草原地帯サルマティア人】間の遺伝的つながりを形成しているようです。それにも関わらず、ROU_SARMとハンガリー_SARMの両集団が同じ起源人口集団に由来していた、との島嶼モデル型移動事象の可能性を完全には除外できません。
ルーマニアおよびCBのサルマティア人が地理的に最も近く、時代的に直前のハンガリーやモルドバやウクライナの西方スキタイ人と、無視できる程度のIBDを共有していたのは、本当に衝撃的です。むしろ、その直接な供給源人口集団である草原地帯サルマティア人は、より遠いウラルおよびカザフ地域に由来したことが明らかです。
本論文では、研究対象のほとんどのサルマティア人はそのゲノムモデル化において草原地帯サルマティア人供給源を必要とし、この構成要素は経時的に減少する、と論証されました。このパターンは、単一の移動に由来する創始者効果を示唆しており、新たに到来した移民は、CBへの移動後に在来人口集団と混合した草原地帯サルマティア人の近い子孫だった、と示唆されます。IBDデータはこれを裏づけており、草原地帯とルーマニアとCBのサルマティア人間の強い接続を示しています。注目すべきことに、CBサルマティア人の女性個体FKD-150は、ポントス草原地帯の草原地帯サルマティア人女性個体DA139と合計48.5cMの4ヶ所のIBD断片を共有しています。個体DA139はさらに、ウラルのサルマティア人個体chy001と88cMのIBDを、ルーマニアのサルマティア人個体POG-10と64cMのIBDを共有しています。
サルマティア期には、CBにおける男系組成は顕著な変化を経ており、それはYHg-R1aの急速な拡大によって浮き彫りになります。注目すべきことに、明らかに草原地帯およびルーマニアのサルマティア人に由来するアジアの下位単系統群であるYHg-R1a1a1b2(Z93)が傑出しており、草原地帯とルーマニアのサルマティア人ではYHg-R1a1a1b2(Z93)がとくに一般的です。利用可能な草原地帯サルマティア人のゲノムは一般的低網羅率なので、より広いYHg-R1a1a1の下に分類されるYHgの高い割合は、YHg-R1a1a1b2(Z93)下位単系統群に属す可能性が高いことは、注目に値します。対照的に、母系は顕著な変化を経ておらず、これは、サルマティア人の西方への移動がおもに男性参加者によって推進された可能性を示唆しています。それにも関わらず、サルマティア期の初期の墓地では、「黄金の地平線」墓のような女性埋葬がとくに目立つことは注目に値します。これらの調査結果は、移動してきたサルマティア人が当初、ドナウ川下流の北方の国境沿いでローマ帝国を標的にしていた、と示唆する歴史的文献と一致します。
分析された草原地帯サルマティア人や草原地帯から近い過去に到来した他の集団(ハンガリー_アヴァール_AC、ハンガリー_征服者_AC)間での、意外に高水準の集団内IBD断片共有が観察されました。対照的に、CBに定着し、より定住的な生活様式へと移行したその阿野サルマティア人は、集団内接続性の減少傾向を示します。草原地帯集団で観察される高度な接続性は、おもに移動的な遊牧民生活様式に起因し、その後のCBサルマティア人における減少パターンは、先行研究で指摘されたその生活様式の移行および人口規模増加に起因するのが妥当と考えられます。
●複数の移動の波
サルマティア人の考古学的資料で観察された変化に基づいて、考古学者はサルマティア人の移住の複数回の波を仮定しており、2世紀後半と4世紀における新たな人口集団の到来を示唆しました。本論文の調査結果はこれを裏づけ、新たな集団は、ほぼ考古学的年表と一致する、サルマティア前期~中期と後期の両方に到来した可能性が高い、と示唆されます。
サルマティア前期~中期には、HVFとMIJの両墓地の人口集団は、サルマティア人およびそれ以前の在来人口集団の両方と有意な違いを示し、アヴァール人および征服者集団とは大きなIBD接続を共有しています。HVF個体群はヨーロッパ北部人口集団への遺伝的移動を示しており、qpAdm分析はHVF墓地におけるヨーロッパ北部祖先系統の存在を確証します。たとえば、個体HVF-4およびHVF-21がスカンジナビア半島人のゲノムのみからモデル化できるのに対して、個体HVF-8はポーランドの、ヴィェルバルク文化人口集団と単系統群を形成します。残りのHVF墓地個体の在来構成要素は通常、ドイツ_中世前期_アレマン人_ヨーロッパ南部[49]でモデル化されました。
一方でMIJ個体群は、アジア東部人のゲノムと混合したヨーロッパ北部人のゲノムを有しているようで、MIJ個体のほとんどはPCAではアジアの方へと顕著に動いています。その在来構成要素は通常、ドイツ_中世前期_アレマン人_ヨーロッパ南部でモデル化されましたが、個体MIJ-1およびMIJ-3はそれぞれ25%と20%の匈奴/フン上流階層祖先系統も有しています。さらに、サルマティア人との遺伝的類似性を有する個体MIJ-7およびHVF-2は密接に関連しており、142cM合計長の6ヶ所のIBD断片を共有していました。
これらの調査結果から、サルマティア前期には異なる2回の移動の波があったかもしれず、一方はおそらくマルコマンニ戦争のゲルマン部族と関連するヨーロッパ北西部にからで、もう一方は東方草原地帯からで、サルマティア人とは異なるアジア東部起源の人口集団で構成される、と示唆されます。
サルマティア後期で検出された、可能性の高い移動の第二の波は、OFUとTDとCSOとSPTの墓地の個体群から明らかです。これらの個体はサルマティア人とIBD接続は希薄であるものの、アヴァール期との顕著な結びつきを示します。PCAでは、これらの個体は在来のヨーロッパ人口集団と一致し、3個体はヨーロッパ南部現代人への明確な移動を示します。qpAdm分析では、これら3個体はすべて、ローマ帝国と関連する供給源(たとえば、ドイツ_ローマ期、イタリア_IA_共和政、オーストリア_オヴィラワ_ローマ期、イタリア_帝政期)と最も顕著な類似性を示し、いくらかの在来集団およびサルマティア人との混合がありました。したがって、サルマティア後期には、新たな移住は草原地帯からではなく近隣のローマ属州から来た可能性が高そうです。
遺伝学的に、最初のサルマティア人への同様の組成の集団の新たな流入の可能性を、とくにこれらの移動が飛び石パターンに従っていた場合には、検出できないことに注目するのは重要です。たとえば、考古学的データが2世紀後半~3世紀初頭の間の東方からの上流階層の移動の可能性を示唆している一方で、これらは遺伝学的には検出されてきませんでした。
すべての分析で、サルマティア期のANA祖先系統の増加を示す外れ値の5個体が特定され、これについて草原地帯サルマティア人を原因とすることはできません。この外れ値5個体はMIJとMDHとNKLの墓地から発掘されました。MIJ遺跡の2個体については、すでに上記で考察されました。サルマティア中期~後期となる個体MDH-209は、複数のアヴァール期標本、およびサルマティア初期やフン期やローマ期の個体群とIBD断片を共有しています。
NKL墓地は考古学的に2区画に分けられており、一方はサルマティア期、もう一方はフン期です。しかし、サルマティア期のNKL墓地標本4点はすべて不確実な区分(ハンガリー_SARM_UP)へと分類されており、それは、その放射性炭素年代が非現実的なほど広範な期間にまたがっていたからです。それにも関わらず、外れ値個体NKL-7とNKL-135とNKL-157の東方構成要素は一貫して、匈奴/フン上流階層祖先系統からモデル化でき、アヴァール人上流階層を含めて、ほぼアヴァール人標本とのみIBD断片を共有しています。これらの調査結果から、こうした外れ値個体はフン期の移動と関連している可能性がより高いものの、いくぶん早く到来したかもしれない、と強く示唆されます。
フン期の標本は、IBDを共有する2クラスタ(まとまり)へと、明確に区別されます。新たに配列決定されたハンガリー_フンのゲノムはほぼすべて在来祖先系統を有し、草原地帯サルマティア人を含めてサルマティア人クラスタと関連しており、ローマ期やアヴァール期や征服期の個体群とのつながりはごくわずかです。対照的に、以前に刊行されたフン期のゲノム[34]には顕著なアジア構成要素が含まれており、数個体の征服者上流階層を含めてアヴァール人クラスタと一致します。これらの結果から、フン期には、CB人口集団のほとんどは既存の在来人口集団を表しており、そうした在来人口集団は征服期にも充分に生き残った一方で、アジア起源の新たなフン期の移民は少数派だった、と明確に示唆されます。これは、サルマティア人の、墓地が5世紀初期まで、集落が5世紀半ばまで使用されていた、と示唆する歴史的データと完全に一致しています。
とくに注目すべきは、フン期の個体ASZK-1で、この個体はほとんどのqpAdmモデルで草原地帯サルマティア人と単系統群を形成する一方で、他の有効なモデルではいくらかのアジア東部人との混合も示します[34]。この孤立して豊かなフンの埋葬は明確に年代測定されており、カザフ草原の発見物と同様の多くの類似点があります。埋葬慣行と発見物全体は、東方の環境からの頭部出身個体を示唆しており、この個体はフン人とともに到来した可能性が高そうです。このゲノムから、草原地帯サルマティア人の子孫も侵入してきたフン人に存在していた、と示唆されます。IBD接続は図5では、3回の連続した移動の波の人口集団(サルマティア人、アヴァール人、ハンガリー征服)を異なる3クラスタ(まとまり)に区分し、3回の移動の波はおもに異なる人口集団と関連していた、と示唆されます。
●鉄器時代の標本
カルパチア山麓の前期鉄器時代の2点の標本(LMO-8とRAM-7)は、ヨーロッパスキタイ人の同時代の隣人で、放射性炭素年代測定は2700~2600年前頃となり、最初の草原地帯サルマティア人に先行します。男性個体LMO-8は胸郭ないにスキタイ様式の青銅製の鏃があり、これはLMO-8の死因となったか、あるいは首飾りとして装着していたかもしれません。意外なことに、大きな時空間的距離にも関わらず、個体LMO-8およびRAM-7のADMIXTUREパターンは草原地帯サルマティア人と同じです。qpAdmモデルでは、個体RAM-7が草原地帯サルマティア人とほぼ単系統群を形成するのに対して、個体LMO-8は約7~90%の草原地帯サルマティア人と、約10~25%のアジア東部人もしくは中央部人との混合のようです。さらに、個体LMO-8のYHg-R1a1a1b2a2(Z2124)は、草原地帯サルマティア人で見られる典型的なYHgです(RAM-7は女性です)。
草原地帯サルマティア人とのつながりの可能性は、IBDデータによってさらに裏づけられます。個体LMO-8は草原地帯サルマティア人3個体とIBDを共有しており、長さ22.5cMのIBD断片1ヶ所が含まれています。さらに、個体LMO-8は、サカ中央部および天山サカの個体群や、初期CBサルマティア人である個体FKD-150とIBDを共有しています。同様に、個体RAM-7ははウラル地域の初期サルマティア人2個体およびモルドバのスキタイ人1個体とIBDを共有しています。
これらのデータから、鉄器時代の2個体【LMO-8とRAM-7】はじっさいに遺伝的にサルマティア人とみなすことができる、と論証されます。ROU_IAの標本2点におけるサルマティア人的ゲノムの発見は、草原地帯サルマティア人とROU_SARM標本との間の500~600年の空白を考えると、とくに予想外です。ルーマニアの同時代の鉄器時代標本は利用できませんが、モルドバやウクライナやハンガリーなど近隣地域はこの期間にサルマティア人的祖先系統の存在を示していません[27、28]。
本論文の新たなデータから、西方へのウラル地域からの移動は、少なくとも散発的にはすでに前期鉄器時代には起きていた、と示唆されます。注目すべきは、これら2個体【LMO-8とRAM-7】の年代がキンメリア人のヨーロッパでの出現にずっと近いことと、キンメリア人と特定された充分な網羅率の1個体(MDA_IA_CIMM)がじっさいに、同様のADMIXTUREパターンを示すことです。したがって、その出現がキンメリア人の移動と関連しているかもしれない可能性を除外できません。
ROU_IAおよび草原地帯サルマティア人のゲノムはROU_SARMのqpAdmモデル化では同等に有効な供給源で、鉄器時代の移民との連続性の可能性を示唆しています。しかし、ROU_I個体群は鉄器時代にはこの地域では遺伝的外れ値です。さらに、草原地帯サルマティア人個体であるDA139との個体FKD-150の密接な系図のつながり(48.5cM)など、歴史とIBDの証拠はこの解釈に反論します。
●この研究の限界
この研究の主要な限界は、ルーマニアのサルマティア人の1世紀の到来に先行する期間の、ルーマニアのカルパチア山麓の包括的標本の不足です。さらに、近隣地域(モルドバやウクライナ)の利用可能な鉄器時代のゲノムのかなり割合は、ショットガン手法を用いて配列決定が行なわれていないか低網羅率で、補完およびIBD分析に適していません。この問題はある程度、鉄器時代標本が依然として限られている大ハンガリー平原にも当てはまります。これらの制約が、この地域へのサルマティア人の移動に先行する期間における、カルパチア山脈以外とCB内両方の、人口動態の詳細な理解を妨げます。さらに、この期間の異なる小地域のヨーロッパ人のゲノム間の高い遺伝的類似性は、F統計やqpAdmなどの統計的手法を用いての、「在来」ゲノム構成要素の正確な識別を妨げます。
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