ウラル語族およびエニセイ語族話者の遺伝的起源

 ユーラシア北部の古代人の新たなゲノムデータを報告した研究(Zeng et al., 2025)が公表されました。本論文は、現在のウラル語族およびエニセイ語族話者の居住地域を中心に、ユーラシア北部の古代人のゲノムデータを新たに報告し、既知の古代人および現代人のゲノムデータと比較することで、この地域の人口史を検証しています。この地域の前期~中期完新世の人類集団は遺伝的に、バルト海地域集団的な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)から完全なアジア東部関連祖先系統の連続的勾配を示していました。シベリア北東部の同時代の集団はアメリカ大陸先住民の主要な起源集団の子孫で、この遺伝的勾配から外れており、この集団がアジア東部内陸部およびアムール川流域の人口集団と混合したことで生じた2人口集団の拡大によって、青銅器時代前のこの地域の人口構造は崩壊しました。初期ウラル語族話者共同体の最初の拡大と関わったと考えられる、高度な冶金技術を有するセイマ・トルビノ現象の担い手は遺伝的に多様で、文化伝播と移動の両方がセイマ・トルビノ現象には重要だった、と推測されます。こうした人類の移動が性別の偏ったものだったかどうかについては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)の分析が役立ちます。

 略称は、kya(kilo years ago、千年前)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、NEAHG(North Eurasian hunter-gatherer、ユーラシア北部狩猟採集民)、AIEA(Admixed Inner Eurasian、混合したユーラシア内陸部人)、WHG(Western hunter-gatherer、ヨーロッパ西部狩猟採集民)、EHG(Eastern hunter-gatherer、ヨーロッパ東部狩猟採集民)、APS(Ancient Paleo-Siberian、古代旧シベリア)、、ANE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)です。こうした人類の移動が性別の偏ったものだったかどうかについては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)の分析が役立ちます。

 時代区分の略称は、M(Mesolithic、中石器時代)、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、EMN(Early and Middle Neolithic、前期~中期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、LNBA(Late Neolithic–Bronze Age 、後期旧石器時代~青銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)です。

 本論文で取り上げられる主要な地名は、ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)、オビ(Ob’)川、レナ(Lena)川、ヴィティム(Vitim)川、コリマ(Kolyma)川、セレンガ(Selenge)川、トボル(Tobol)川、エルティシ(Irtysh)川、カンスク(Kansk)川、タタルカ(Tatarka)川、カマ(Kama)川、アンガラ(Angara)川、ミヌシンスク(Minusinsk)盆地です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、ガナサン人(Nganasan)、ケット人(Kets)、アサバスカ人(Athabaskan)、ユカギール人(Yukaghir)、アリュート人(Aleut)、ヴェプス人(Veps)、カレリア人(Karelian)、サモエド人(Samoyed)、セリクプ人(Selkup)、トゥバ人(Tuvinian)ヤクート人(Yakut)、ドルガン人(Dolgan)です。本論文で取り上げられる主要な言語は、ナ・デネ(Na-Dene)語族、アサバスカ(Athabaskan)諸語、イヤック(Eyak)語、トリンギット(Tlingit)語、チペワイアン(Chipewyan)語、ナバホ(Navajo)語、チュクチ・カムチャツカ語族(Chukotko-Kamchatkan)、デネ・エニセイ(Dene-Yeniseian)語族、ナ・デネ(Na-Dene)語族、ケット(Ket)語、エスキモー・アレウト(Eskimo-Aleut)語族です。

 本論文で取り上げられる主要な文化は、セイマ・トルビノ(Seima-Turbino、略してST)現象、ウスチ・ユムルチェン(Ust’-Yumurchen)文化、キトイ(Kitoi)文化、シャラフ(Syalakh)文化、ベルカチ(Belkachi)文化、セロヴォ(Serovo)文化、イサコボ(Isakovo)文化、グラズコヴォ(Glazkovo)文化、ユミャックタク(Ymyyakhtakh)文化、デュクタイ(Dyuktai)文化、クズネツク・アルタイ(Kuznetsk-Altai)文化、古エスキモーのサカク(Saqqaq)文化、ドーセット(Dorset)文化、エルシャンカ(Elshanka)文化、櫛目文土器(Pit-Comb Ware)文化、リヤロヴォ(Lyalovo)文化、ヴォロソヴォ(Volosovo)文化、ボタイ(Botai)文化、ファチャノヴォ(Fatyanovo)文化、シンタシュタ(Sintashta)文化、アンドロノヴォ(Andronovo)文化、オディノヴォ(Odinovo)文化、クロトフォ(Krotovo)文化、アバシェヴォ(Abashevo)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、ドーセット(Dorset)文化、カラスク(Karasuk)文化、ルガフスカヤ(Lugavskaya)文化、アンゼフスキー(Anzhevsky)文化です。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は、アフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora、略してAG)遺跡、ハティスティール(Khatystyr)洞窟、ヅヒリンダ(Dzhilinda)遺跡、ハイヤルガス(Khaiyrgas)洞窟、ウスチ・キャフタ3(Ust-Kyakhta-3)遺跡、ネフテプロフォド2(Nefteprovod-2)遺跡、ロストフカ(Rostovka)遺跡、サチュガ16(Satyga-16)遺跡、チェルノオゼルイェ1(Chernoozerye-1)遺跡、クラノヤルスク・クランスク(Krasnoyarsk Kansk)遺跡、キョルデュゲン(Kyordyughen)遺跡、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の裕民(Yumin)遺跡です。


●要約

 ユーラシア北部の森林地帯および森林草原地帯は数千年にわたって、北方の人々の社会文化的つながりを維持してきましたが、その歴史のほとんどはよく理解されていません。とくに、現在のウラル語族およびエニセイ語族話者の人口集団のゲノム形成は分かっていません。本論文では、この地域一帯の古代人180個体のゲノム規模データの生成によって、前期~中期完新世狩猟採集民はバルト海のヨーロッパ関連祖先系統からトランスバイカル地域の完全にアジア東部関連の祖先系統までの連続的勾配を有していた、と示されます。シベリア北東部の同時代の集団はこの勾配から外れており、アメリカ大陸先住民の主要な起源だった1人口集団の子孫で、この集団はその後、アジア東部内陸部およびアムール川流域の人口集団と混合し、2人口集団を生み出し、その2集団の拡大は青銅器時代前の人口構造の崩壊と一致しました。シスバイカルの後期新石器時代~青銅器時代一方の人口集団(シスバイカル_LNBA)は、エニセイ語族話者集団およびこの集団と混合した集団と関連しており、ヤクーチアの後期新石器時代~青銅器時代のもう一方の人口集団(ヤクーチア_LNBA)の祖先系統は、先史時代のウラル語族話者の移動と関連しています。本論文では、ヤクーチア_LNBAがまず4000年前頃にレナ川流域からアルタイ・サヤン地域、およびアルタイ地域から爆発的に拡大した高度な青銅鋳造技術一式であるセイマ・トルビノの冶金と関連するシベリア西部共同体へと西方へ拡散した、と示されます。セイマ・トルビノ期の16個体の祖先系統は多様で、インド・イラン語派話者関連の牧畜民およびさまざまな狩猟採集民集団からのDNAも有していました。したがって、文化伝播と移動の両方が、初期ウラル語族話者共同体の最初の拡大と関わったセイマ・トルビノ現象にとって重要でした。


●研究史

 ウラル語族はヨーロッパ中央部からシベリア北東部までユーラシア北部全域で話されていますが、その故地は議論になっており、シベリアのオビ川とエニセイ川の間のアルタイ・サヤン山脈や、ヴォルガ川下とカマ川の合流点周辺のヨーロッパや、バルト海東部を示す学説があります。現在のウラル語族話者はかなりのシベリア祖先系統(約2%のエストニア人からほぼ100%のガナサン人まで)と、シベリア起源のYHg-N系統を高頻度で有している点で、インド・ヨーロッパ語族話者の隣人とは体系的に異なります[3]。古代DNAの時間横断区から、このシベリア祖先系統はカレリアでは3500年前頃[4]、バルト海東部では2600年前頃にヨーロッパに到来した、と示されています。ヨーロッパ草原地帯のヤムナヤ(Yamnaya)文化の祖先系統の拡散にたどることができるインド・ヨーロッパ語族とは対照的に、ウラル語族話者人口集団の先史時代の拡散については、遺伝学的「追跡染料」は見つかっていません。

 エニセイ語族はエニセイ川中流および下流沿いの人口集団のみで確認されており、ケット語は唯一の現存する言語です。しかし、エニセイ語族は過去にはより広く地理的に分布しており、アラスカからアリゾナにかけて話されている、チペワイアン語やナバホ語などナ・デネ語族(アサバスカ諸語やイヤック語やトリンギット語)と深い時間でつながっていました[6]。先行研究はアサバスカ人とケット人との間の遺伝的つながりを見つけようと試みましたが[7、8]、これは非エニセイ語族話者の隣人とのケット人の遺伝的類似性のため困難でした。インド・ヨーロッパ語族やテュルク語族やモンゴル語族などのその後の拡大と関連する移動の破壊的影響[7、8]も、現代人の遺伝的差異に基づくウラル語族およびエニセイ語族話者の先史時代の移動の再構築を困難にしています。

 ヴォルガ・ウラル地域からシベリア中央部のレナ川流域にかけての、中石器時代(11000年前頃)から青銅器時代(4000年前頃)までの考古学的文化について、ユーラシア北部全域の180個体のゲノム規模データが生成されました(図1)。以下は本論文の図1です。
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 拡張図1は遺跡の地図を示しています。以下は本論文の拡張図1です。
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 拡張図2は、地理的地域内のおよび各地域の文化編年における遺跡の位置考古学的文化を示す、包括的な図表を提供し、各遺跡のと文化の考古学的文脈は補足情報第3項で地域別に提供され、分類されています。補足情報案内では、文章中の各参照に対応する補足情報の項目を見つけるのに必要な情報や、補足情報内のみで参照される、補足表1~35および補足図1~101の説明が提供されます。120万ヶ所以上のSNPについて、溶液内濃縮が用いられました。新たなデータは、関連する場所と期間の以前に報告された古代人1312個体からのデータと統合されました。88点の直接的な放射性炭素年代も報告され、これは最大で千年の過大評価の原因となるかもしれない淡水貯蔵効果のため、注意深く検討されるべきです。人口集団の分類は1ヶ所の遺跡の遺伝的に均質な個体群を識別しますが(地域_遺跡_考古学的期間_年代)、一部の分析については、より集合させた部下瑠依が用いられます(表1の用語集、遺跡の地理的および時間的配置と考古学的文化については拡張図2)。以下は本論文の拡張図2です。
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 PCAとADMIXTUREを含めて教師無遺伝的分析が実行され(図1)、こうした分析では、10000~5000年前頃のユーラシア北部森林草原地帯および森林地帯の南端の土器を使用している採食文化帯の個体群が、今ではもう存在しない約7000kmにわたって広がる遺伝的勾配を形成している(図1b)、と示されます。これはNEAHG(ユーラシア北部狩猟採集民)勾配と呼ばれます。この勾配の中心はANEのアフォントヴァ・ゴラ遺跡3号(AG3)およびタリム盆地の初期青銅器時代の人々(タリム_EMBA)[14]の近くに位置します(図1b)。しかし、多くの他の人口集団はこの勾配上に位置せず、それにはさらに北方(森林地帯のより深くもしくは北極圏)のシベリア中央部および北東部人口集団や、アムール川流域の人口集団や、5000年前頃以後のシスバイカルの人口集団が含まれます。

 この地域における17000~4000年前頃の遺伝的差異と人口集団の変化への洞察を得るために、NEAHG勾配沿いの人口集団の個体群、シベリア北東部のより深くの個体群、バイカル湖周辺の個体群への分類が行よれ、集団遺伝学的手法一式でそれらの個体が分析されました。拡張図6は本論文の重要な調査結果を図で要約しました。以下の項目では、以下の順に本論文の分析が提示されます。まず、シベリア北東部の人口史、次にNEAHG勾配についてで、その後で、青銅器時代の2人口集団の分類を結びつけるつながりへと進み、それは、シスバイカル_LNBAとヤクーチア_LNBAとエニセイ語族およびウラル語族話者人口集団です。以下は本論文の拡張図6です。
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●アジアとアメリカ大陸における古シベリア人の遺産

 この地域の人口史を調べるために、シベリア北東部とシスバイカルおよびトランスバイカル地域の完新世の100個体が、f₄統計を用いて遺伝学的人口集団にまとめられました。これらの分類は、おもに考古学的文化と一致します。本論文では7クラスタ(まとまり)が識別され、そのうち5クラスタには複数の構成員が、2クラスタには単一の構成員がいます。年代順は以下の通りで、レナ川中流_ハティスティール洞窟_M_10.2kya (レナ川中流沿いのハティスティール洞窟の10200年前頃の新たに報告された1個体)、ヴィティム川中流_ヅヒリンダ1_M_N_8.4kya(ウスチ・ユムルチェン文化の、ヴィティム川沿いのヅヒリンダ1遺跡の中石器時代~新石器時代の境界)[16]、トランスバイカル_EMN(バイカル湖の東側に位置する前期および中期新石器時代のキトイ文化、8800~6200年前頃)、シスバイカル_EN(バイカル湖の西側の前期新石器時代のキトイ文化、8000~6600年前頃)、シャラフ・ベルカチ(レナ川中流域の前期新石器時代シャラフ文化と中期新石器時代ベルカチ文化、6800~6200年前頃)、シスバイカル_LNBA(バイカル湖の西が世の後期新石器時代および青銅器時代のセロヴォ文化とイサコボ文化とグラズコヴォ文化、5100~3700年前頃)、ヤクーチア_LNBA(おもにユミャックタク文化と関連しており、4500~3200年前頃)です。残りの個体は遺伝的中間で、分析された他集団の混合であることと一致します。これら7クラスタに加えて、より古い3個体が追加され、それは、レナ川中流_ハイヤルガス_16.7kya[16]、セレンガ_ウスチ・キャフタ_14kya、コリマ_M_10.1kyaで、10個体の横断区が生成されました。

 qpAdmを用いて、最初の適合モデルを相互と直接的に競合させ、最適なモデルを見つける「外群循環」手法で、各対象人口集団が、先行する人口集団もしくは同時代の人口集団に由来するものとしてモデル化されました。10人口集団のそれぞれについて、1もしくは少数の品質的に類似した合格モデルが見つかりました。多数のモデルでのすべての調査は、誤っているいくらかのモデルを許容するので、本論文の実施要綱は堅牢なモデル選択手順とみなされるべきではなく、代わりに、モデル棄却手順とみなされるべきで、合格モデルは本論文で行なわれているように、一貫した調査結果を識別するよう詳しく調べられるべきです。データはウエットラボ過程の組み合わせでも生成され(SNP濃縮とショットガン配列決定)、これは人口史とは関係ない技術的偏りに起因する誤った推定の懸念を惹起します。しかし、本論文の推定は、単一のウエットラボ過程で生成された配列を用いて、qpAdm構成で再現可能です。本論文の定性的調査結果は、シベリア北東部の移住とおそらくは関連する遠い関係にある人口集団との類似性について検証する、単純なf₄統計とも一致します(図2a・b)。以下は本論文の図2です。
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 本論文の横断区で最古の個体であるレナ川中流_ハイヤルガス_16.7kya[16](ヤクーチアのレナ川中流、デュクタイ文化)はアメリカ大陸先住民の姉妹集団として適合し、アメリカ大陸先住民関連供給源に完全に由来するとモデル化できます。APSという用語は本論文の横断区における第三の個体の祖先系統(コリマ_M_10.1kya)の命名に用いられ、本論文ではこの用語を拡張し、完新世の前の(メタ)個体群【遺伝的交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団】を呼ぶのに用いられ、この集団はANE祖先系統とアジア東部祖先系統との間の混合で、アメリカ大陸先住民を生み出し、そのうちレナ川中流_ハイヤルガス_16.7kyaはほぼ混合していない代表かもしれません。APS祖先系統は、本論文のシベリア横断区および北アメリカ大陸北極圏のその後の全集団の遺伝的形成に重要な役割を果たしました。

 本論文の調査結果から、APS祖先系統はシベリア北東部の円錐形および楔型の小型石核の豊富な石器の「ベーリンジア(ベーリング陸橋)伝統」とともに上部旧石器時代に拡大したかもしれない、と示唆されます[21]。APS祖先系統は高水準で存続していますが、その後の2個体、つまりセレンガ_ウスチ・キャフタ_14kya(バイカル湖の南側のセレンガ川沿いで、この同じ伝統の石器があります)とコリマ_M_10.1kya(ベーリング海峡の近く)では、追加のアジア東部祖先系統と混合しています。アルタイ山脈のさらに西方では、初期完新世(9000年前頃)までに、APS関連供給源とANE関連供給源との間の混合がNEAHG勾配上でアルタイ_Nを形成し、これはオビ川上流およびアルタイ山麓の新石器時代のクズネツク・アルタイ文化と関連しています。

 先行研究では、「新シベリア」のアジア東部祖先系統が増加した一方で、APS祖先系統は完新世を通じてシベリア北東部では減少した、と示されました。アジア東部祖先系統の増加は少なくとも2供給源にたどることができる、と分かり、それは、8400年前頃のモンゴル南部の裕民遺跡個体(中国_アジア北東部_内陸部_EN)[22]が代理として用いられるアジア北東部内陸部関連祖先系統と、14000年前頃のアムール川流域の完新世前の狩猟採集民[23]によって表される、アムール川流域関連祖先系統です。高い割合のアジア東部祖先系統と低い割合のAPS祖先系統を有する本論文のシベリア横断区で最古級の1個体である、レナ川中流_ハティスティール洞窟_M_10.2kyaは、アムール川狩猟採集民と強い類似性を有していますが(図2b)、その後のさらに南方の人口集団(キトイ文化関連のトランスバイカル_EMN、8800~6000年前頃のシスバイカル_EN、7500年前頃のモンゴル_N_北部)はアジア北東部内陸部供給源との類似性が増加しています(図2b)。その後の集団はアジア東部祖先系統の混合によって区別され、シスバイカル_EN とトランスバイカル_EMN を含めてNEAHG勾配沿いに位置する個体群は、アジア東部内陸部関連供給源とアムール川関連供給源ととの間で類似性では中間となる、アジア東部祖先系統の特徴的な混合を有していますが、アムール川流域もしくはシスバイカル_LNBA の採食民などNEAHGではない人口集団は異なる比率です。

 中期完新世のシスバイカル地域では、シスバイカル_EN(8000~6600年前頃)の祖先系統はシスバイカル_LNBA(5100~3700年前頃)に置換され、これは、前期新石器時代のキトイ文化から後期新石器時代および青銅器時代のセロヴォ文化やイサコボ文化やグラズコヴォ文化への志向と一致する転換です。シスバイカル_LNBAは、ウスチ・キャフタ_14kya関連供給源にのみ由来するとモデル化できるその先行者よりAPS祖先系統の割合がずっと高いものの、これは両人口集団を隔てる長期の空白のため注意深く解釈すべきです。シスバイカル_LNBAは、本論文の横断区において最も強くアジア東部内陸部祖先系統を有している点でも独特です(図2b)。APS祖先系統の増加にも関わらず、シスバイカル_LNBAはANE祖先系統とアジア東部祖先系統の類似した混合の他の集団(ウスチ・キャフタ_14kyaやレナ川中流_ハイヤルガス_16.7kyaやエニセイ川上流のNEAHG)と比較して、アメリカ大陸先住民もしくはベーリング海峡人口集団との共有された浮動が増加していません。代わりに、シスバイカル_LNBAはシベリア中央部、とくにエニセイ川流域の現在の人口集団と高水準の浮動を共有しています。以下では、シスバイカル_LNBA関連祖先系統は、APS祖先系統が現在の人口集団へと存続する2経路の最初かもしれない、と示され、ここではシベリア中央部の人口集団で、つまりは「経路1」人口集団です(図2cおよび図3b)。以下は本論文の図3です。
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 レナ川沿いのバイカル湖地域の北側では、レナ川中流_ハティスティール洞窟_M_10.2kyaの1個体はその祖先系統のほとんどがアムール川流域狩猟採集民に由来しますが、コリマ_M_10.1kya関連供給源からの混合が、その後のヴィティム川中流_ヅヒリンダ1_M_N_8.4kyaにおけるAPS祖先系統の増加をもたらしました。その後、考古学的文化間の移行と一致するように見える一連の人口置換において、APS祖先系統はアジア東部供給源からの混合で減少しました。最初の移行はヴィティム川中流_ヅヒリンダ1_M_N_8.4kyaからシャラフ・ベルカチ人口集団(6800~6200年前頃)で、バイカル湖地域のアジア東部供給源からの約20%の混合がありました。第二の移行はトランスバイカル_EMNからシャラフ・ベルカチへの約50%の別の混合で、ユミャックタク文化関連のヤクーチア_LNBA人口集団(4500~3200年前頃)が生じました。

 シベリア北東部の4人口集団のこの系列(コリマ_M_10.1kya、ヴィティム川中流_ヅヒリンダ1_M_N_8.4kya、シャラフ・ベルカチ、ヤクーチア_LNBA)は、PCAではアメリカ大陸先住民およびベーリング海峡人口集団の方へと独特に動いています(図1)。f₄統計では、これら4人口集団は、ANE祖先系統とアジア東部祖先系統の同様の割合の集団(レナ川中流_ハイヤルガス_16.7kya、ウスチ・キャフタ_14kya、シスバイカル_LNBA、アルタイの東側の全NEAHG)よりも、古代および現在のベーリング海峡人口集団の方と多くの浮動を共有しています(図2a)。qpAdmを用いると、この系列の3番目の集団(シャラフ・ベルカチ)は北アメリカ大陸の北極圏小型道具伝統の人々(古エスキモーのグリーンランド_サカクやドーセットおよびその関連文化の他の個体群によって表され、先行研究[16]でも報告されています)に大きく寄与した(約70%)、と確証されます。このシャラフ・ベルカチ関連の古エスキモー祖先系統はベーリング海峡周辺のその後の全人口集団で存続しており、それには現在のエスキモーのアリュート人やチュクチ・カムチャツカ語族話者やユカギール人が含まれ、この4集団の順序の独特なベーリング海峡横断の遺伝的つながりを説明します。本論文では、これはAPS祖先系統が存続した第二の主要な経路を表している、と提案され、つまりはこれらが「経路2」人口集団です(図2c)。

 しかし、古代のアサバスカ人は例外で、グリーンランド_サカクからこの祖先系統を必要とせず、これはf₄統計での挙動によって裏づけられます。これは、アサバスカ人と古エスキモーのAPS祖先系統が同じ供給源に由来しないことを示唆しており、依然の調査結果[7、8]と矛盾し、ユーラシアからアメリカ大陸への複数の完新世の移動との提案を確証します[24]。本論文は代わりに、古代アサバスカ人へのAPS混合における経路1人口集団の関わりについて、示唆的ではあるものの弱い証拠を見つけました。言語学者は、シベリア中央部のエニセイ語族と北アメリカ大陸のナ・デネ語族との間のつながりを発見してきており[6]、本論文の結果はデネ・エニセイ語族仮説のいくらかの遺伝学的裏づけを提供するかもしれません。


●NEAHG勾配

 さらに南方では、10000~4000年前頃に、すべての新たに報告された150個体とユーラシア北部森林草原地帯および森林草原地帯の南端の以前に刊行された81個体は遺伝的な弧、つまりNEAHG勾配に収まり、NEAHG勾配は土器を使用するヨーロッパ東部採食民をトランスバイカル地域の採食民とつなぎ、これはADMIXTURE(図1c、底部)と複数のPCAで明らかです(図1b)。NEAHG個体群が、遺跡と年代とPCAおよびADMIXTUREでの遺伝的類似性ごとに分類されました(図1a)。大半は4祖先系統の混合としてqpAdmでモデル化でき(124万データ[25]に制約)、それは、WHG祖先系統(1万年前頃以後のセルビアの標本[26]によって表されます)、EHG祖先系統(ヴォルガ川中流のエルシャンカ文化の個体I6413によって表され、これはヨーロッパ東部では最古級の土器使用文化で、8000年前頃となります)、ANE(16000年前頃のAG3個体[27]によって表されます)、アジア東部(19000年前頃のアムール川流域採食民[23]によって表されます、図1c底部)です。

 西方では、エルシャンカ文化や櫛目文土器/リヤロヴォ文化やヴォロソヴォ文化などバルト海からウラルまでの狩猟採集民の祖先系統はほぼEHGで低い割合のWHGを有しており、依然の調査結果[28、29]と一致します。ウラルの東側では、トボル川およびエルティシ川中流の新石器時代人口集団と、櫛目文土器を用いた金石併用時代のシベリア西部文化圏において、EHGは、カザフ草原地帯のボタイ文化人口集団(5400~5100年前頃)および以前に報告されたシベリア西部狩猟採集民(8100~6600年前頃)[30]と同様に、ANEおよび低水準のアジア東部祖先系統と混合しました。さらに東方では、オビ川上流とアルタイ山麓のクズネツク・アルタイ文化の個体群は、ANE祖先系統とアジア東部祖先系統の2方向混合としてモデル化できます。これはエニセイ川上流およびカンスク川流域の新石器時代遺跡の個体群へと続き、そこではANE祖先系統が減少し、アジア東部祖先系統が増加します。この勾配はシスバイカル_ENを通じてバイカル地域のキトイ文化へと広がり、トランスバイカル_EMNで終了します。

 124万データに限定したqpAdmを用いて、アルタイ山脈の西側のNEAHG人口集団のANE祖先系統について、時間的に近い供給源が検索されました。2供給源がこの祖先系統を説明でき(図1c)、それはアジア中央部の4000年前頃となるタリム_EMBA的人口集団[14]とクズネツク・アルタイ文化の新石器時代人口集団(アルタイ_N_9kyaが代理)です。タリム_EMBAはNEAHG人口集団よりも年代が後ですが、ADMIXTUREとPCAはタリム_EMBAと関連する1供給源とシベリア西部のNEAHGとの間の遺伝子流動を示唆します(図1b・c、底部)。シベリア西部のNEAHGはタリム_EMBA関連供給源なしではモデル化できず(図1c)、タリム_EMBAと関連する狩猟採集民人口集団が青銅器時代の前にアジア中央部に居住し[14、25]、北方で居住する集団に寄与した、と示唆されます。

 NEAHG勾配は、東西両方からの移動に伴って中期完新世に断片化しました。西方からは、これらの移動がヤムナヤ文化牧畜民とともに草原地帯_EMBA祖先系統をもたらし、その後で、ファチャノヴォ文化やシンタシュタ文化やアンドロノヴォ文化とともにヨーロッパ_LNBAおよび草原地帯_LNBAが続きました[29~31]。東方では、他の移住がシスバイカル_LNBA祖先系統を楔形のようにNEAHG勾配のバイカル地域へと5400年前頃に流入しました。その後、草原地帯_MLBAおよび他のアジア東部祖先系統との間の混合によって、テュルク語族とモンゴル語族とツングース語族とウラル語族の話者人口集団をつなぐ、複数の遺伝的勾配で混合集団が出現しました。NEAHG勾配とアジア中央部人口集団がユーラシア全域のその後の人口集団に残した遺産を評価するために、AIEA(混合したユーラシア内陸部人)人口集団の一式が分析され、AIEAは、現在のウラル語族とテュルク語族とモンゴル語族とツングース語族とエニセイ語族の話者人口集団に加えて、スキタイ人やサルマティア人や匈奴など後期青銅器時代および鉄器時代の牧畜民を説明する本論文の用語です[32、33]。NEAHG人口集団はこれらその後の集団にほとんど寄与しなかったものの、NEAHGではない2人口集団、つまりシスバイカル_LNBAとヤクーチア_LNBAが重要な寄与をした、と分かりました。


●シスバイカル_LNBAはエニセイ語族をたどります

 シスバイカル_LNBA集団(5100~3600年前頃)はAPS祖先系統が多く、PCAでは独特な位置を占めており、アジア北東部内陸部人とのひじょうに強い類似性を有しています(図2b)。シベリア北東部の他のAPSの多い集団(つまり、経路2の4人口集団すべて)はベーリング海峡集団とより密接に関連していますが、4通りの分析から、シスバイカル_LNBAははエニセイ盆地の現在の人口集団とより多くの浮動を共有している、と示されます。

 第一に、ADMIXTURE(図3)では、減少ケット人やサモエド人やシベリアのテュルク語族話者は、シスバイカル_LNBA関連構成要素を有している点で独特である、と示されます(図3b・c、底部)。第二に、これらの集団のqpAdmモデルは一貫して、シスバイカル_LNBAが参照人口集団として用いられた場合には破綻し、シスバイカル_LNBAはすべての合格モデルで供給源です(図3cの下段)。第三に、さまざまなアジア東部集団との類似性においてAIEA人口集団間の差異を検出するために設計されたf₄統計に対するPCAにおいて、エニセイ語族とサモエード語派とシベリア南部のテュルク語族話者は、シスバイカル_LNBAとの共有された浮動の増加によって生じた方向で体系的に動いています(図3aの主成分3)。第四に、ケット人において高頻度で見られ、サモエード語派話者およびセリクプ人やトゥバ人などシベリアのテュルク語族話者において低頻度で見られるYHg-Q1b1a3b1a(YP1691)と関連するY染色体配列は、シスバイカル_LNBAに属するグラズコヴォ文化の男性のみから回収されました。

 民族言語学的データと歴史記録から、シベリア南部のテュルク語族話者は、6世紀におけるエニセイ・キルギス人の到来以降、近世に至るまで、エニセイ語族話者を同化した、と示唆されています。他のシベリアのテュルク語族であるヤクート語とドルガン語を話しているのは、祖先が、過去千年間にシベリア南部のテュルク語族話者が現在暮らす地域から移住した人口集団です。さらに北方では、民族誌的記録から、一部のサモエード語派話者集団はエニセイ語族話者と密接な関係を維持しており、通婚が多かった、と示唆されています。

 意外なことに、エニセイ川上流沿いのミヌシンスク盆地の刊行されている後期青銅器時代(3000~2900年前頃)のアジア東部の外れ値2個体(RISE497、RISE554)が、ほぼ完全なシスバイカル_LNBA祖先系統(85~95%)を有していることと一致する(図3b)、とも分かりました。この2個体は、現代もしくは古代の中で、シスバイカル_LNBAと図抜けて最も強い遺伝的類似性を有していました(図3a・c)。この2個体は元々の刊行物ではカラスク文化に由来する、と分類されていましたが、他の考古学的調査は代わりにルガフスカヤ文化への代替的な割り当てを示唆します。したがって、ひじょうに高いシスバイカル_LNBAを有する人口集団は、近くでシスバイカル_LNBAが現在最大である、エニセイ川上流沿いに3000年前頃の後期青銅器時代までに存在しました。ケット人を除いて、すべての他の今では消滅したエニセイ語族の6系統の言語は、シスバイカル_LNBAが現在最大の地域で話されていました(図3b)。ケット人自体は、17世紀という最近の拡大で現在の北方の位置に到達しました。

 これらの調査結果は、エニセイ語族の水名の分布に基づく、シスバイカル地域とエニセイ川上流との間のエニセイ語族の故地の再構築と一致します。シスバイカル_LNBA人口集団はまず5400~3800年前頃に、セロヴォ文化とイサコボ文化とグラズコヴォ文化で出現します。アンガラ川(バイカル湖からエニセイ川に流れています)中流沿いでは、シスバイカル_LNBAはグラズコヴォ伝統に従って埋葬された標本のグラズコヴォ文化の人工遺物とともに現れます。したがって、シスバイカル_LNBA祖先系統は、さらに先史時代にさえエニセイ語族話者の移動をたどることができるかもしれません。


●ヤクーチア_LNBAはウラル語族をたどります

 ヤクーチア_LNBA(図1)個体群はおもにレナ川流域のユミャックタク文化に属しており、ベーリング海峡集団と独特な遺伝的浮動を共有している経路2人口集団の一つです(図2a)。ヤクーチア_LNBA個体群は、レナ川流域の先行するシャラフ・ベルカチ人口集団とトランスバイカルのキトイ文化人口集団(トランスバイカル_EMN)との間の、約50%ずつの混合としてモデル化できます。トランスバイカル_EMNとのつながりは、共有されているYHg-Nの下位単系統群によっても裏づけられ、ユミャックタク文化起源についての考古学的再構築と一致します。しかし、レナ川流域の南西側のはるか遠くに位置するラノヤルスク・クランスク森林草原地帯から回収された4200年前頃の1個体(ネフテプロフォド2遺跡のKra001)は、NEAHG勾配の人口集団によって占められている位置にあり、遺伝的にもヤクーチア_LNBAで、ヤクーチア_LNBA個体群は、この地域へのユミャックタク文化土器の拡大と一致する時期の4000年前頃の直前に、シベリア北東部からアルタイ・サヤン地域の北側の森林草原地帯へと拡散したかもしれない、と示唆されます。

 ヤクーチア_LNBAは明らかに、古代および現在のウラル語族話者人口集団と関連しています。第一に、K(系統構成要素数)=18でのADMIXTUREでは、ヤクーチア_LNBAで最大化する構成要素が出現し、これはガナサン人において現在最高の割合で、ウラル語族話者におけるほぼすべてのアジア東部祖先系統を説明しており、非ウラル語族話者のAIEAはヤクーチア_LNBAを有していないか、ヤクーチア_LNBAに加えて他のアジア東部構成要素を有しています(図3c)。第二に、f₄統計のPCAでは、ウラル語族話者は他のアジア東部祖先系統と比較して、ヤクーチア_LNBAの方との類似性増加を示唆する方向へと動いています(図3aの主成分2)。第三に、f₄統計の別の一式から、アジア東部祖先系統のどの水準でも、他のアジア東部祖先系統に対してヤクーチア_LNBAと最高の類似性を有するAIEA人口集団は、常にウラル語族話者人口集団である、と示唆されます。第四に、ウラル語族話者のqpAdmモデルは常に供給源としてヤクーチア_LNBAを必要とし、通常はすべてのアジア東部祖先系統を説明しており、これは常に他のアジア東部供給源を有するAIEAの他の民族言語学的分類とは対照的です。最後に、ヤクーチア_LNBAの男性は、ウラル語族の現在の話者において高頻度で存在する、YHg-Nの下位単系統群を有しています。


●セイマ・トルビノ現象におけるヤクーチア_LNBA

 MLBAのヨーロッパ東部からシベリア西部の人口集団(ファチャノヴォ文化とシンタシュタ文化とアンドロノヴォ文化)はヤクーチア_LNBA祖先系統を示しませんが[3、4]、同じ地域の現在のウラル語族話者はヤクーチア_LNBA祖先系統を示しており、ヤクーチア_LNBA祖先系統の西方への拡大がを最古の時期では4000年前頃に、草原地帯_MLBAおよびヨーロッパ_LNBA祖先系統を部分的に置換した、と示唆しています[29~31]。この移行はウラル語族話者と関連するYHg-Nの拡散を伴っていたかもしれず、YHg-Nはヤクーチア_LNBA祖先系統の到来の前にはヨーロッパ東部とシベリア西部には存在しませんでした。本論文では、ヤクーチア_LNBA祖先系統のこの西方への拡散の最初期段階がセイマ・トルビノ現象内で起きた、と示されます。

 セイマ・トルビノ現象は、4000年前頃に中国からバルト海までユーラシア北部の広大な地域全体に広がった高度な鋳造技術で製作された、青銅製人工遺物の類似した一式の突然の出現を指します。考古学者は、セイマ・トルビノ現象がかアジア東部への冶金技術の導入と、ヨーロッパへの錫青銅の高度な鋳造技術の拡散に寄与した点で、合意しています。セイマ・トルビノの遺物は、その精巧さと洗練さで知られています。そのほとんどは武器ですが、一部は儀式で重要な遺物です。ほとんどのセイマ・トルビノの遺物は多様な文化の遺跡にまたがって散在する孤立した発見ですが、多くはシベリア西部とヨーロッパ東部全域で見られる儀式用のネクロポリス(大規模共同墓地)で発掘され、そうしたネクロポリスは埋葬の大規模な複合体で、時には以外のない儀式用の墓、つまり記念碑(cenotaph)で、セイマ・トルビノの人工遺物や鋳型の豊富な集合があります。この珍しい分布は、セイマ・トルビノ現象の社会的性質や、その所有者の出自に関する推測を刺激してきました。これまでに、セイマ・トルビノの青銅製人工遺物の製作について見つかった唯一の物質的証拠は、オビ川およびエルティシ川流域と、オビ川とエニセイ川上流との間の地域の、金属を用いる漁撈採食民居住遺跡から回収されており、これは考古学的文献で多くの批判を招いた、並外れた文化的関連性です。

 4000年前頃の狭い間隔の年代の4ヶ所の遺跡の16個体から、ゲノム規模データが生成されました。2ヶ所の遺跡、つまりオビ・エルティシ盆地のエルティシ川中流域河岸の9個体のロストフカ遺跡と、ウラル山脈中部の東側の2個体のサチュガ16遺跡は、セイマ・トルビノのネクロポリスです。セイマ・トルビノ現象との関連の直接的証拠が少ないものの、本論文の遺伝学的分析ではセイマ・トルビノ現象とのつながりの可能性が示唆されるセイマ・トルビノ期の2ヶ所の遺跡のこれらの標本に、ロストフカ遺跡の近くに位置するチェルノオゼルイェ1遺跡の1個体と、以前には報告されていなかった遺跡である、アルタイ山脈の北側のクラノヤルスク・クランスク森林草原地帯におけるエニセイ川上流沿いのタタルカ丘陵の男性4個体が追加されます。

 qpAdmを用いて本論文の遺伝学的モデル化では、タタルカ丘陵の4個体は完全にヤクーチア_LNBAであることと一致します。対照的に、ロストフカ遺跡とサチュガ16遺跡とチェルノオゼルイェ1遺跡の個体群は祖先系統の主要な3供給源と小さな2供給源のさまざまな割合を有しています(図1bおよび図4)。qpAdmに基づくと、これらの祖先系統は、(1)ヤクーチア_LNBA、(2)NEAHG勾配のANEの豊富な祖先系統、(3)草原地帯_MLBAで、混合していない個体の代表、もしくは混合している個体内で混在して見られます(2方向でのNEAHG祖先系統+草原地帯_MLBA、もしくは3方向でのNEAHG祖先系統+草原地帯_MLBA+ヤクーチア_LNBA、図4b)。さらに西方のサチュガ16遺跡の2個体は混合しており(3種類の祖先系統すべてを有しています)、ロストフカ遺跡個体群(9個体のうち4個体は単一祖先系統で、2個体がNEAHG、1個体がヤクーチア_LNBA、1個体が草原地帯_MLBA)とは対照的です(図4b)。以下は本論文の図4です。
画像

 近位qpAdmは、セイマ・トルビノの人々への洞察を提供します。ロストフカ遺跡とサチュガ16遺跡とチェルノオゼルイェ1遺跡の個体群におけるヤクーチア_LNBA祖先系統は、タタルカ丘陵の人々と関連しており、シベリア中央部におけるヤクーチア_LNBAからの追加の混合はありません(図4b)。このつながりは、タタルカ丘陵の男性4個体全員も有している、ロストフカ遺跡におけるYHg-N1a1a1a1a(L1026)の存在(ヤクーチア_LNBAの個体I32545)によって補強されます。ロストフカ遺跡個体における下位単系統群であるYHg-N1a1a1a1a2(L1026、Z1936)は、シベリア西部からバルト海までの現在のウラル語族話者人口集団に広がっており、現在フィンランド人やヴェプス人やカレリア人において最大頻度(最大で約40%)に達しています。セイマ・トルビノ個体群のNEAHG祖先系統はおもに、シベリア西部の在来の新石器時代および金石併用時代人口集団に由来し(図4e)、セイマ・トルビノ人工遺物の体系的な鋳造に関わった、オディノヴォおよびクロトフォ文化の冶金技術採食民における起源と一致します。しかし、一部の個体はさらに遠方の追加のNEAHG祖先系統を必要とし、つまりはEHG関連もしくはアルタイ_N関連供給源に由来します。

 主要な3祖先系統供給源には、低い割合の2祖先系統が伴い、それは、ヤクーチア_LNBAではないアジア東部祖先系統と、はるか遠く西方のバルト海地域のWHG祖先系統です(図4e)。チェルノオゼルイェ1遺跡のセイマ・トルビノ期の1個体(I6787)は、ADMIXTURE分析と、すべての適合qpAdmモデルでは、高い割合のWHGを必要とします(図4e)。これは、近い過去の祖先系統がユーラシアの広範な別々の地域(バルト海地域、シベリア西部、アルタイ・サヤン地域)の狩猟採集民の少なとも3人口集団にたどる、1個体の顕著な事例です。ロストフカ遺跡の2個体、つまりI32816とI33369は東方からの祖先系統を有しており、個体I32816の場合はシスバイカル_LNBAに由来し、それは恐らく、同時代のグラズコヴォ文化の採食民です。

 本論文の結果から、セイマ・トルビノ人工遺物は、大陸規模の交流網にまたがる複数の人口集団から、単一のネクロポリスに埋葬された統合された社会集団へと人々を統合した社会文化的状況で、製作されて交換されて拡散した、と示唆されます。本論文の標本はこの過程の断面を捉えており、この時代の文化的集団では珍しい、広大な地理的距離にまたがる人工遺物の類似性についての考古学的証拠と相関する、ヒトの移動性のパターンが示唆されます。


●考察

 まとめると以下のように、本論文はユーラシア北部における5回の大きな祖先系統の変化を明らかにします。

 (1)本論文ではAPS祖先系統と呼ばれる、アメリカ大陸先住民と関連する更新世の1人口集団は、アジア東部の2祖先系統供給源であるアジア北東部内陸部関連祖先系統およびアムール川流域関連祖先系統と混合し、シベリア全域のその後の人口集団に寄与しました。APS祖先系統は2経路で存続し、一方(経路1)ははシベリア中央部のAPS祖先系統に、もう一方(経路2)はベーリング海峡のどちらかの側の人口集団におけるAPS祖先系統に寄与しました。

 (2)森林草原地帯および森林草原地帯に隣接する森林帯を含めて、前期~中期完新世(15000~10000年前頃)のユーラシア北部全域の緯度帯における初期の土器使用者は、EHGとANEとアジア東部の祖先系統から成る、大陸規模の東西の遺伝的勾配を構成します。このNEAHG勾配は、中期完新世(5000年前頃以降)における数回の主要な人口拡大のため融解し始め、それはNEAHG勾配集団を完全に置換したか、大きく混合しました。

 (3)5400年前頃の遺伝的置換では、バイカル湖の西側でシスバイカル_LNBAの1人口集団、つまり経路1人口集団が出現しました。この祖先系統は3100年前頃の後期青銅器時代までに、シスバイカル地域からエニセイ川地域まで広がりました。現在、この祖先系統の存在は、エニセイ語族話者人口集団およびエニセイ語族話者人口集団と歴史的に混合した可能性が高い人口集団と強く関連しています。古エスキモーのグリーンランド_サカク人口集団が、ベーリング海峡のどちらかの側のその後の古代の人口集団すべてに高水準のAPS祖先系統をもたらし、経路2関連人口集団との高い類似性を説明しますが、アラスカの古代のアサバスカ人(1000年前頃)は例外で、別の供給源にAPS祖先系統が由来しており、これは、アサバスカ人におけるAPS供給源が経路1人口集団と類似性を有する、との証拠によっても強化される結果で、デネ・エニセイ語族仮説を裏づける最初の遺伝学的データを提供することも分かりました。

 (4)4500年前頃の遺伝的置換では、シベリア北東部に人口集団、つまりヤクーチア_LNBAが出現し、これは経路2の人口集団の一つです。現在、この祖先系統はウラル語族話者人口集団に存在する唯一のアジア東部祖先系統である傾向が見られ、これは他の民族言語学的分類には共有されていない顕著な特徴です。この祖先系統は、ウラル語族を広げた人口移動によって拡散した可能性が高そうです。

 (5)4000年前頃に、ユーラシア北部の広大な場所において独特な青銅製人工遺物一式が突然出現はたことを表す考古学的用語である、セイマ・トルビノ現象の時期に生きていた個体群は遺伝的異質でしたが、多くはヤクーチア_LNBA祖先系統を有しており、ヤクーチア_LNBAはウラル山脈に近いセイマ・トルビノ遺跡でも見られ、これはヤクーチア_LNBA祖先系統の元々の分布のはるか西方です。この地理的分布は、セイマ・トルビノ現象が初期ウラル語族話者共同体の拡散に関わっていた、との学説を裏づけます。セイマ・トルビノ遺跡に埋葬された人々の遺伝的祖先系統の残りはひじょうに多様で、究極的な起源はバルト海からバイカル湖にまでわたります。遺伝的祖先系統のこのパターンは、遺伝的および文化的に相互とひじょうに遠かった個体間の少なくとも数世代の接触と通婚を可能とした、社会的過程を示します。

 大規模な社会における言語伝播は、必ずしも人々の移動を伴いませんが、より小規模な社会における同じ過程は、遺伝的混合として明らかな、少なくともある程度のヒトの移動を必要とします。主要な分析調査結果の一つは、初期エニセイ語族話者の拡大についての、遺伝的染料としてのシスバイカル_LNBAの特定です。さらに、11000年前頃のアラスカの古代アサバスカ人は、古エスキモー人口集団からの祖先系統が欠けている点で、北極圏北アメリカ大陸人では珍しいものの、エニセイ語族話者集団にも別に寄与した経路1APS人口集団からの祖先系統の暫定的な兆候を有している、と示されます。これらの結果は、初期のエニセイ語族話者集団の移動をシスバイカル地域と結びつけるのに役立ち、シベリアのエニセイ語族と北アメリカ大陸のアサバスカ諸語との間の言語学的つながり、つまりデネ・エニセイ語族仮説への暫定的な遺伝学的裏づけも提供するかもしれません。本論文の第二の主要な分析調査結果では、ヤクーチア_LNBAは初期ウラル語族話者共同体の拡大の、優れた追跡染料として機能するかもしれず、この祖先系統の最初期の拡散はセイマ・トルビノ現象と関連する人々によって媒介された、と示されます。

 考古学者は、そうした広範な文化にわたるセイマ・トルビノの人工遺物の急速な拡大をもたらした社会的過程について議論しています。本論文では、セイマ・トルビノのネクロポリスに埋葬された人々は遺伝的に高度に多様だった、と分かり、均質なセイマ・トルビノの人々との仮説と矛盾します。本論文の結果は、遺伝的および文化的に異なる社会集団の個体群の、遊動的な人口集団への一時の融合(さまざまな場所でセイマ・トルビノの遺跡時代の前に起きたかもしれない事象)か、あるいはセイマ・トルビノのネクロポリスにおける複数方向の混合に基づいて、多くの世代にわたって遺跡を生み出した活動における、複数集団の人々の活発で継続的な相互作用を示唆します。これらの調査結果は、セイマ・トルビノのネクロポリスにおける他の文化的人工遺物の異質性と一致し、たとえば、土器(シベリア西部の採食民や、タタルカ丘陵周辺のクラノヤルスク・クランスク森林草原地帯の人々によって製作された土器と類似しています)や、燧石か骨か翡翠の人工遺物(シベリア北東部およびバイカル湖の分化と類似しています)や、非セイマ・トルビノ伝統(シンタシュタ文化やアンドロノヴォ文化)の金属製品などです。こうした物質文化の3起源は、セイマ・トルビノ遺跡における主要な3遺伝的祖先系統と対応しており、それは同時に報告されたロストフカ遺跡に関する考古遺伝学的研究[48]でも検出されました。最後に、セイマ・トルビノ遺跡における広範な距離(シスバイカル地域から遠く西方ではバルト海地域まで)にまたがる複数の狩猟採集民人口集団の祖先系統の存在は、青銅器時代における金属交換網の変容する社会的影響と、蓄積されつつあるものの、採食人口集団における社会政治的および経済的動態についての無視されることが多かった証拠を浮き彫りにします。

 ヤクーチア_LNBA祖先系統がまず、セイマ・トルビノ現象でほぼヨーロッパまで西方へ拡散した、との本論文の調査結果には、考古学的および言語学的重要性があります。タタルカ丘陵個体群に近く、その直前となる4200年前頃の、ネフテプロフォド2遺跡の1個体Kra001から、ヤクーチア_LNBA祖先系統は、さらに西方でセイマ・トルビノのネクロポリスに寄与する前に、クラノヤルスク・クランスク森林草原地帯へと4200年前頃までに浸透し、そこで存続した、と示されます。ネフテプロフォド2遺跡とタタルカ丘陵は類似した埋葬儀式を共有しており、セイマ・トルビノのネクロポリスに影響を及ぼした、ヤクーチア_LNBA祖先系統をクラノヤルスク・クランスク森林草原地帯へともたらした遺伝的人口集団も、文化的に統合されていた(本論文ではアンゼフスキー複合体と呼ばれます)、と示唆されます。セイマ・トルビノのネクロポリスと究極的にシベリア北東部起源の集団との間の遺伝的つながりへの別の物質的証拠は、グラズコヴォ文化およびとくにユミャックタク文化で発見された、骨板で製作された甲冑一式で見ることができます。1組はヤクーチア_LNBA男性(キョルデュゲン遺跡の個体N4a1)とともに埋葬され、他の事例はネフテプロフォド2遺跡およびタタルカ丘陵周辺のクラノヤルスク・クランスク森林草原地帯に由来します。ロストフカ遺跡では3組を見ることができ、1組はヤクーチア_LNBAおよびシスバイカル_LNBAの両祖先系統を有していた男性(33号墓の個体I32816)と関連しています。

 言語学者は、現在のウラル語族がウラル語族祖語話者共同体もしくはウラル語族の分岐直後の初期ウラル語族共同体から継承してきた、インド・イラン語派の何百もの借用語を記録してきました。インド・イラン語派の拡大は、トランスウラル地域のシンタシュタ文化人口集団からアジア中央部および西部の他地域(ここでは、歴史的に証明されているイラン語群話者へと存続しました[32、56、58])、さらにはアジア南部[29]への、草原地帯_MLBA祖先系統の拡大と関連づけられてきました。草原地帯_MLBA人口集団(考古学的検討から、おそらくはアバシェヴォ文化の人口集団です)とヤクーチア_LNBAとの間の接触と混合を示した、ロストフカ遺跡およびサチュガ16遺跡から得られた本論文の調査結果は、この言語交流が最初に始まったかもしれない魅力的な文脈を提供し、以前の提案と一致して、ウラル語族話者集団がセイマ・トルビノ遺跡群に存在した一連の証拠を提示します。

 シベリア西部からヨーロッパ中央部に分布するウラル語族は、東方草原地帯やはるか遠くのシベリア北東部から地理的に離れていますが、言語学者は一方でユカギール語族およびエスキモー・アレウト語族との古代のつながりの痕跡を、もう一方では、「アルタイ諸語」地域の言語(モンゴル語族とツングース語族とテュルク語族)との高水準の類型論的類似性を発見してきました。この難問を解決するために、一部の言語学者は、ウラル語族話者のその後の拡大を生み出した、人口集団の最近の東方起源を示唆してきました。それはたとえば、「ウラル語族祖語の祖型がさらに東方で話されており(中略)おそらくはどこかで(中略)モンゴル高原およびエニセイ川とレナ川との間の分岐点両方の近くで、おそらくは新しければ紀元前3000年頃でした」といった、本論文の結果と一致する想定です。この地域からの将来の古代DNA標本抽出は、ウラル語族祖語話者共同体の考古学的帰属のより正確な決定を可能とし、ウラル語族祖語話者共同体とシベリア西部青銅器時代のより広範な社会世界との間の関係を解明するでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化遺伝学:古代DNAから明らかになったウラル系民族とエニセイ系民族の先史

進化遺伝学:古代ゲノムから読み解く先史時代の集団と文化の広がり

 今回、北ユーラシアの森林帯と森林ステップ帯の古代ゲノムデータから、中石器時代、新石器時代、青銅器時代の集団史や、ウラル語族とエニセイ語族の拡散についての詳細な手掛かりが得られている。



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この記事へのコメント

熊笹
2025年08月10日 22:38
 牧畜は農耕の次の段階に出現する生業とするのが一般的です。しかし、本記事で挙げられたシベリアやモンゴル周辺では、狩猟採集民が定住農耕を経ずに牧畜民化していくように見えるので興味深いですね。
管理人
2025年08月11日 08:33
モンゴル高原でも南部など一部地域で新石器時代に農耕が行なわれていたようですが、全域ではなかったので、アファナシェヴォ文化集団から牧畜を導入したと思われる在来集団には、狩猟採集民が多かったのでしょう。

文化の「発展」というか歴史の変遷を、特定の「法則」に当てはめて理解することは難しいとは思います。