カルタゴの遺伝的起源
カルタゴの遺伝的起源に関するゲノムデータを報告した研究(Ringbauer et al., 2025)が公表されました。本論文は、地中海の多様な地域のカルタゴの遺跡から発掘された古代人のゲノムデータを用いて、カルタゴとフェニキアの豊富な考古学的結びつきにも関わらず、カルタゴ人のゲノムにレヴァントのフェニキア人と関連する遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の寄与はほとんどない、と示しています。カルタゴ集団は地中海中央部および西部全域で同様の高い遺伝的多様性を示しており、その遺伝的祖先系統の大半がシチリア島やエーゲ海地域の古代人集団と類似し、残りの低い割合はアフリカ北部古代人集団と類似しています。これは、カルタゴの勢力拡大を反映しているようです。遺伝と文化とを安易に結びつける危険性が、本論文で改めて示されているように思います。ただ、本論文でも言及されていましたが、フェニキアでは紀元前600年頃以前には火葬が主要な埋葬だったため、それ以前のフェニキアの古代人のDNAデータが不足しており、レヴァント古代人集団の遺伝的祖先系統が過小評価されているのではないか、との指摘もあります。
略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、cM(centimorgan、センチモルガン)、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、HP(Hallstatt Plateau、ハルシュタット平坦域)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、スペイン南東部のビジャリコス(Villaricos)遺跡、チュニジアではケルクアン(Kerkouane)遺跡、アルジェリアではヘンケラ(Khenkela)遺跡、シチリア島ではビルギ(Birgi)遺跡と西部のモティア(Motya)遺跡とセリヌンテ(Selinunte)遺跡とヒメラ(Himera)遺跡、サルデーニャ島ではタロス(Tharros)遺跡、イスラエルではアグジブ(Akhziv)遺跡とメギド(Megiddo)遺跡、レバノンではシドン(Sidon)遺跡です。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、以下の本論文の翻訳では「civilization」を「文明」と訳し、本論文の「Punic」はカルタゴではなくポエニと訳します。
●要約
レヴァントの海洋フェニキア文明は、紀元前千年紀に地中海全域を変容させました。しかし、レヴァントのフェニキアの故地と地中海中央部および西部のフェニキア-ポエニ人の集落との間のヒトの移動の規模は、包括的な古代DNA研究がないため不明でした。この研究は、レヴァントとアフリカ北部とイベリア半島とシチリア島とサルデーニャ島とシビサ島のフェニキアおよびカルタゴと伝統的に特定されていた14ヶ所の遺跡の196個体と、アルジェリアの初期鉄器時代の1個体を含めて、210個体のゲノム規模データを生成しました。レヴァントのフェニキア人は、文化と歴史と言語と宗教のつながりの豊富な考古学的証拠にも関わらず、紀元前6世紀~紀元前2世紀の間には、地中海中央部および西部のポエニの集落にほとんど遺伝的寄与をしていませんでした。むしろ、レヴァントのフェニキア文化のこうした継承者は、その祖先系統のほとんどがシチリア島およびエーゲ海地域の人々と類似した遺伝的特性に由来していました。残りの祖先系統の大半はアフリカ北部に由来し、カルタゴの影響力増加を反映しています。しかし、これは、カルタゴ自体を含めて、標本抽出された遺跡のすべてにおける祖先系統のわずかな寄与でした。地中海中央部および西部全域のさまざまなカルタゴ遺跡は、高い遺伝的多様性の同様のパターンを示します。地中海全域での遺伝的関係も検出され、ポエニ世界を形成した共通の人口統計学的過程を反映しています。
●研究史
カナン・フェニキア文化は青銅器時代レヴァントの都市国家で出現しました。紀元前千年紀初期に、フェニキア人は広範な交易拠点網を遠くイベリア半島南西部にまで築き、その文化と宗教と言語を地中海中央部および西部に広げました。紀元前6世紀半ばまでに、現在のチュニジアにおけるフェニキアの沿岸植民地であるカルタゴは、地中海中央部および西部における覇権勢力として台頭しましたが、レヴァントの諸都市は新アッシリアと新バビロニアの支配下に置かれたため、衰退しました。カルタゴは紀元前5~紀元前4世紀にギリシアと、紀元前3~紀元前2世紀にはローマと大規模な激しい紛争に突入し、紀元前146年の破壊と共和政ローマによる併合に至りました。
多くの歴史家と考古学者は、紀元前6世紀半ば以後にはカルタゴと関連していたか、支配さえされていた地中海西部の文化的にフェニキアの共同体を呼ぶのに、ローマの用語である「ポエニ」を使います。そのような単純化された分類表示の問題点が指摘されてきましたが、本論文はフェニキアとポエニの最近の参考書に従って、フェニキア起源の物質文化、もしくはこの地域におけるカルタゴの覇権期である紀元前6世紀後期と紀元前2世紀の間の含意と関連する地中海中央部および西部の遺跡群を呼ぶのに、「ポエニ」を用います。これらの遺跡に埋葬された人々を呼ぶのにも、ポエニ人との用語を使いのす。しかし注意してもらいたいのは、「ポエニ」としての遺跡および人々の分類表示によって、均質な文化もしくは民族性と主張しているわけではないことです。さらに、本論文におけるフェニキアとポエニの遺跡間の区別は、その住民のレヴァント文化起源を問うわけでも、カルタゴやカディスなどフェニキア・ポエニの遺跡群の創始者がレヴァント人だったか、との問題に取り組むわけでもなく、これらの問題に取り組むのに必要な遺跡からの初期の標本はありません。本論文では「ポエニ」が上述の定義の遺跡および住民群を呼ぶ手段として単純に用いられ、本論文の分析では共有された遺伝的特徴が見つかります。
古代DNAは遺伝的祖先系統に関する情報を明らかにし、これは伝統的な歴史および考古学のデータの範囲を超えて、問題の解決に役立つ可能性があります。ポエニ人遺骸に関する以前の古代DNA研究はミトコンドリアDNA(mtDNA)に焦点を当てており、多様な母系を明らかにしました[15]。しかし、mtDNAは単一の系統のみを追跡するので、そうした分析はゲノム規模データと比較して限られた統計的解像度を提供します。レバノンのシドン遺跡の青銅器時代5個体およびベイルートの鉄器時代12個体の全ゲノム分析配列解析は、レヴァントのフェニキア人が遺伝的に在来の青銅器時代カナンの人々と類似していた、と示唆しています。しかし、カルタゴのミトコンドリアゲノムおよびケルクアンの近隣のポエニ遺跡の12個体から得られた全ゲノムデータは、在来のアフリカ北部祖先系統とともにかなりのヨーロッパ南部祖先系統を示します。部分的なアフリカ北部祖先系統は、より広範な地中海東部祖先系統と組み合わさって、サルデーニャ島のポエニの2ヶ所の遺跡の8個体から得られたゲノム規模データでも見つかりました[20]。同様に地中海東部祖先系統を有している、と解釈されたイビサ島の1個体の全ゲノム配列の分析とともにこれは、ポエニ人が複雑な祖先系統を有していた、と示唆しました。しかし、これらの観察は合計21個体の組み合わせかられ得られたゲノム規模データ分析に基づいており、カルタゴやモティアやカディスなど、初期フェニキアの創設したイベリア半島もしくはシチリア島の重要な地域や集落は含まれていませんでした。小さな標本規模と祖先系統の複雑な組み合わせのため、ポエニ遺跡全体の祖先系統の体系的な研究はできませんでした。
●データ一式の収集
120万ヶ所以上のSNPおよびミトコンドリアゲノムの溶液内濃縮を用いて[22]、イベリア半島とサルデーニャ島とシチリア島とアフリカ北部とレヴァントの14ヶ所の遺跡で発掘された398個体から得られたヒト骨格遺骸が検査され、標本規模は多様な文化と時間と地理の背景を網羅しています。これらには、アグジブのレヴァントのフェニキア人集落、カディスやモティアやカルタゴなどおそらくはレヴァント人創設の大規模な都市集落、ビジャリコスもしくはケルクアンの農村集落などカルタゴとの明確な文化的つながりのある遺跡が含まれています(図1a)。古代DNAの真正性について最低限の基準を満たすゲノム規模データを生成した、独自の210個体の結果が刊行され、そのうち196個体はフェニキアもしくはポエニの状況に由来しました。後述のように、充分なデータのある157個体の部分集合で集団遺伝学的分析が実行されました。以下は本論文の図1です。
これらの個体のうち99個体の骨で、111点のAMS年代が生成されました。これらの放射性炭素年代が考古学的背景の確証に重要だったのは、いくつかの標本抽出されたポエニ遺跡が後期に居住されており、分析された標本の部分集合の発掘が、現代の考古学的手法の確立の前だった(一部の事例では1世紀以上前)からです。対象期間における大気中の炭素14の割合の変動のため、紀元前800~紀元前400年頃(放射性炭素年代測定に用いられた較正におけるいわゆるHP)もしくは紀元前400~紀元前200年頃としか通常は標本を割り当てることができません。それにも関わらず、これによってカルタゴ拡大のより初期の段階(紀元前400年頃以前)に生きていた人々と、この期間の後ではあるものの依然としてポエニの状況で生きていた人々と、紀元前250~紀元前150年頃のローマ支配への移行後におそらくは暮らしていた人々の区別が可能となりました。本論文の標本抽出の重要な限界は、紀元前600年頃(墓の考古学的年代測定に基づいています)に先行する標本抽出された個体の欠如で、これは、火葬が紀元前600年頃以前の地中海中央部および西部のフェニキア集落では支配的な形態だったからです(考察の項目で後述)。
より高品質なデータ(SNPが2万ヶ所超で、重度の汚染の証拠がないこと)があり、考古学的背景が実証されている個体群が選別され、集団遺伝学的分析では15個体一式が得られました。このデータセット内で、フェニキアもしくはポエニの背景の131個体が特定され、そのうち108個体には、フェニキア人もしくはポエニ人と確実に分類できることを示唆する、確固たる背景がありました。サルデーニャ島の2ヶ所の遺跡[20]とイビサ島の1ヶ所の遺跡の8個体について、以前に刊行された配列が追加されました。最近の研究は、アフリカ北部の遺跡のケルクアンの12個体について、全ゲノムショットガン配列決定データを報告しました。溶液内濃縮(これによって、内在性DNAの割合の低い標本を分析可能なデータに変換できました)を用いて、ケルクアンの新たな17個体のデータと以前に報告されたデータのある10個体について、データが生成されました。生成されたデータは、他の関連する時代および地域の以前に報告された古代の個体群や、関連する背景の新たに配列決定された26個体(フェニキア人もしくはポエニ人ではありません)とともに、分析されました。これらのうち、アフリカ北部祖先系統のモデルで使用されるアルジェリア北東部内陸のケルクアン遺跡から発見された前期鉄器時代の1個体や、放射性炭素年代がローマの覇権期間内に位置づけられる、シチリア島とサルデーニャ島とイベリア半島の元々のポエニ遺跡の20個体があります。
●遺伝的祖先系統と混合モデル化
本論文で新たに報告されたデータにおける遺伝的差異を調べるために、古代の個体群から得られた全ゲノムが、現在のユーラシア西部およびアフリカ北部の1196個体から計算され、最初の2主成分(PC)に投影されました(図1b)。状況説明のため、地中海全域の関連する考古学的文化から得られた青銅器時代および鉄器時代個体群も投影され、そうした個体は地理的分布に基づいて大まかにクラスタ化します(まとまります)。レヴァントのフェニキア人のアグジブ遺跡の個体群は、以前に刊行された青銅器時代および鉄器時代理の個体群とともにクラスタ化し(まとまり)、それには、現在のイスラエルのメギド遺跡[25]や現在のレバノンのシドンやベイルートのフェニキア諸都市の個体群[17、18]が含まれます。対照的に、地中海中央部および西部のポエニ遺跡の個体群は、レヴァントの個体群とクラスタ化しません(まとまりません)。地中海中央部および西部のポエニ遺跡の個体群は代わりに、標本抽出された場所に関わらず、シチリア島およびエーゲ海地域の青銅器時代および鉄器時代個体群と重なる主要な形態で広く分布しています。このクラスタ(まとまり)に加えて、個体群の狭い勾配はこの形態からアフリカ北部個体群へと向かっており、それにはヨーロッパ勢力との接触前のカナリア諸島のグアンチェ人個体群や、ヘンケラの新たに配列決定された前期鉄器時代1個体が含まれます。これが示唆するのは、アグジブ遺跡のフェニキアの人々の祖先系統の大半がレヴァントの以前の人口集団に由来する一方で、地中海中央部および西部のポエニ遺跡の人々はシチリア島およびエーゲ海地域の人口集団と近い過去の共通の祖先系統を有しており、アフリカ北部人口集団との追加の近い過去の混合があることです。
人口混合について知るための他の有益な手法は、PCAによって示唆された主要な仮説を確証しました。ADMIXTUREを用いて、アフリカ北部人と東方人口集団(レヴァント/イラン)と地中海中央部および西部集団で最大化されるクラスタでの3構成要素が推測されました。アグジブ遺跡の個体群は、レヴァントの青銅器時代個体群と同様の祖先系統パターンを示します。対照的に、ポエニ遺跡の個体群は地中海中央部および西部とアフリカ北部の青銅器時代および鉄器時代人口集団に典型的なクラスタに分類されます。代替的なモデルの適合性の形式的検証を実行し、適合モデル下での割合の定量化のために、祖先系統供給源の代理としてさまざまな遺伝的に均質な8集団の古代人78個体で、qpAdm[27]が用いられました。複数祖先系統のモデルがほとんどの個体に適合しましたが、いくつかの堅牢な観察が浮かび上がりました。まず、フェニキアのアグジブ遺跡の全個体は、その祖先系統の80%以上がレヴァントの青銅器時代の1人口集団に由来します(図2)。対照的に、ポエニ遺跡の3個体のみが、かなりの割合のレヴァント祖先系統に分類され、それはシチリア島の2個体(その放射性炭素年代はシチリア島におけるローマ支配期と重なりクス)とサルデーニャ島の1個体で、この3個体すべてレヴァントの個体群とPCAでクラスタ化しました(まとまりました)。ほとんどのポエニ個体における祖先系統の主要な供給源は、シチリア島およびギリシアの青銅器時代個体群を用いた本論文の分析で最適に代理化されます。アフリカ北部を含めての各地域と各期間では、一部のポエニ個体はその祖先系統のほぼすべてがこの供給源に由来します。しかし、本論文の分析は、この供給源人口集団の地理的起源をより正確には特定できず、それは、青銅器時代のシチリア島供給源とエーゲ海地域供給源との間を確実には区別できないからで、両者では微妙な祖先系統の違いしかありませんでした。以下は本論文の図2です。
ポエニ遺跡で2番目に一般的な祖先系統供給源は、アフリカ北部先住民に由来することと一致し、これは本論文では、アルジェリア北東部内陸の前期鉄器時代1個体と遺伝的に類似した人口集団と定義されます。アフリカ北部祖先系統はケルクアン遺跡の個体群のかなりの割合で紀元前6世紀と紀元前5世紀の間に早くも現れ、低い割合でシチリア島の遺跡(モティアとビルギ)で散発的に見られ、紀元前4世紀以前の標本抽出されたイベリア半島およびサルデーニャ島の個体群ではまったく見られません(図2)。アフリカ北部外での紀元前400年頃以後の祖先系統の増加は、サルデーニャ島のタロス遺跡においてとくに顕著です。アフリカ北部先住民祖先系統は紀元前400年頃以後にポエニ世界に広がっていましたが、ケルクアン遺跡の3個体とビジャリコス遺跡の2個体とタロス遺跡の1個体を除いて全個体において、低い割合の祖先系統構成要素(50%未満)のままでした。アフリカ北部でさえ、ケルクアン遺跡の27個体のうち10個体とカルタゴの17個体のうち5個体は、アフリカ北部祖先系統が皆無とモデル化でき、これらの遺跡の個体の84%は50%以上のシチリア島・エーゲ海地域祖先系統を有しており、それがアフリカ北部のポエニ遺跡でも優勢な祖先系統構成要素になっています。
シチリア島とアフリカ北部のポエニ遺跡の多くの個体は、同じ地理的地域のそれ以前の人々と一致する、かなりの割合の祖先系統を有していました(この祖先系統は、必ずしも在来ではありません)。対照的に、近隣のポエニ遺跡の個体群へのサルデーニャ島とイベリア半島の青銅器時代の人々の遺伝的寄与の証拠は、クラスタ化分析もしくは形式的モデル化分析のいずれかでは、観察されません(図1bおよび図2)。イビサ島とカディスのイベリア半島の2個体のみが、かなりの割合の青銅器時代イベリア半島祖先系統を確実に有していました(図2)。むしろ、地中海西部のポエニ遺跡は、おもにシチリア島・エーゲ海地域もしくはアフリカ北部起源の祖先系統のパターンの同様の分布を共有しています(図1および図2)。
●遺伝的異質性とつながり
5通りの集団遺伝学的分析から、ポエニ遺跡の個体群は遺伝的に異質で相互につながっていた地中海人口集団の一部だった、と明らかになります。第一に、以前の人々と比較しての、1ヶ所の考古学的遺跡あたりのY染色体ハプログループ(YHg)のかなり高い多様性が観察されます(図3a)。標本抽出された各ポエニ遺跡では、ほとんどの男性が異なるYHgを有しています。全体的に、遺跡全体で優勢になる単一系統はなく、最も一般的なYHgとして、58個体のうち、E1b(14個体)とR1b(10個体)とJ2a(8個体)とG2a(7個体)とJ1a(5個体)が含まれます。高いY染色体の多様性は、YHg-J2(M172)をフェニキアの人口統計学的拡大および現在のその遺伝的遺産の痕跡とする以前の提案を踏まえると、注目に値します。ポエニ男性のわずか20%でYHg-J2が観察され、同様の低い割合で青銅器時代および鉄器時代のレヴァントにおいて、さらに高い割合で青銅器時代およびミノア期人口集団(J2a)と青銅器時代および鉄器時代のバルカン半島人口集団(J2b)で観察されます。この兆候は、YHg-J2がレヴァントからのフェニキア人拡大の明確な診断ハプログループである、との仮説に異議を唱えます 。むしろ、高いY染色体の多様性は、単一のYHgがフェニキア人拡大の有効な標識として機能できない可能性を示唆しています。以下は本論文の図3です。
第二に、ゲノム規模祖先系統における高い異質性が観察されます。PCAにおける位置の多様性によって測定されるように、ほとんどのポエニ遺跡における遺伝的差異は、紀元前五千年紀以降の地中海全域のそれ以前に標本抽出された遺跡より高くなっています(図3b)。さまざまな割合のアフリカ北部祖先系統はポエニ遺跡で観察される高い多様性の主因ですが、いくつかの遺跡におけるYHgの多様性水準は、この特定の寄与を除外してさえも、以前の人口集団より高いままです。
第三に、本論文の遺伝的データでは、個体の祖先系統の差異はポエニ遺跡内では高かったものの、この差異はさまざまな地域間、つまりサルデーニャ島とイベリア半島とシチリア島とアフリカ北部で全体的に同様だった、と報告されます(図2)。この重なりの最も節約的な説明は、さまざまなポエニ遺跡の人口集団は同じ祖先系統供給源に由来し、高度な相互結合を有していた、というものです。それは、個体間の祖先系統の差異のそのような同様のパターンが、共通の祖先供給源を有していなければ、異なる在来の祖先系統で地理的に遠い地域において観察される可能性は低いからです。
第四に、拡張系図内でさまざまな遺伝的背景の人々の混合の証拠が見つかりました。生物学的に親族関係にある個体を検査するために、個体の組み合わせ間のIBDである長いゲノム断片が用いられました。とくに、複数の共有された長いIBD断片は最大5~7親等の生物学的親族を示唆しており、これを用いて、ケルクアン遺跡の5個体の系図とタロス遺跡の3個体の系図を推測できました(拡張図7)。両方の系図は、多様な祖先系統の個体を統合する、拡張家族を明らかにしており、祖先系統の混合が一部のポエニ人口集団で進行中だったことを示しています。以下は本論文の拡張図7です。
第五に、地中海で隔てられた複数の系図上の親族が報告されます。16cM超の長さのIBD断片を共有する個体の31組が特定され、このIBD断片は直近20世代以内の可能性が高い共有された祖先を示唆しています。ほとんどの組み合わせ(31組のうち21組)は同じ遺跡内(上述の2系図を含みます)もしくはビルギやモティアなど近隣の2ヶ所の遺跡に由来しますが、10組は2ヶ所の異なる遺跡の個体の組み合わせでした。これらの遺跡は通常、相互に近く同じ地理的地域内に位置します(マラガやビジャリコスやセリヌンテなど)。しかし、6事例では、ビルギもしくはモティア遺跡(シチリア島)の1個体と、ケルクアンもしくはカルタゴ(アフリカ北部)かマラガ(イベリア半島)の1個体との間の、地中海にまたがるIBD共有が見つかりました。このIBD共有は、本論文のデータセットにおいて複数回観察できる、ポエニ共同体間の海洋移動性の充分な高率を示唆しています。これがとくに目立つのは、地中海が、ポエニの拡大前および現代人集団でもシチリア島とアフリカ北部の人口集団間の高水準の遺伝的文化を維持していた、地理的障壁だからです。ビルギ遺跡の1個体とケルクアン遺跡の1個体は3ヶ所の長いIBD断片を共有しており、この2個体はマタイトコ~ミイトコなど5~7親等の親族だった、と示唆されます(図4)。したがって、これらの個体もしくは直近の祖先がアフリカ北部とシチリア島の間を少なくとも一度は移動しており、この親族の組み合わせは人口集団のつながりの明確な事例となります。以下は本論文の図4です。
●ポエニ遺跡内の散発的な族内婚
1個体のゲノムにおけるROH分析によって、個体の両親の近縁性を測定し、ポエニ遺跡内の族内婚の頻度を定量化できます。そうした推測のための充分なデータのある本論文のデータセットの90個体のうち、11個体は20cM超のROHによって網羅される50cM以上のゲノムを有している、と分かり、これはイトコもしくはマタイトコ水準での両親の近縁性を示唆しています[30、31]。ケルクアン遺跡とカルタゴ遺跡とモティア遺跡の3個体はROHによって網羅される350cM超のゲノムさえ有しており、これは両親が2親等の親族(姪とオジもしくは両親の一方のみを共有する半キョウダイ同士)だったことを示唆しています。検出された近親婚のこの割合(分析された86個体のうち11個体)は、他の青銅器時代および鉄器時代の地中海の状況より高く、例外は、同様に近親婚の割合が高かった後期青銅器時代の「ミケーネ人」です。標本抽出された4ヶ所の地域すべての6ヶ所の異なるポエニ遺跡の個体群で密接な両親の近縁性の事例が見つかった事実は、近親間の配偶の地理的に広範な慣行を示しています。しかし、分析された個体の大半における全体的に低水準のROHから、この近親婚慣行はほとんどの地域で散発的に留まっていたことと(イベリア半島は例外かもしれません)、ポエニ人の祖先系統のかなりの割合が強い創始者事象を経た人口集団[30、31]に由来する、との仮説と一致しない、近い過去の大きな有効人口規模が示唆されます。
親族との間に子供を儲けた、イベリア半島のポエニ遺跡の人々の間の社会的慣行への洞察を提供した事例研究は、18個体の遺骸が収容されたビジャリコス遺跡の墓774号に由来します。5個体について有効な配列データが生成され、その年代は紀元前5世紀と紀元前4世紀の間でした。本論文の分析では、これらの5個体はPCA上ではポエニ祖先系統の主要な形態とクラスタ化する、と示されます(図5b)。この5個体は、相互に親族関係にはありました。各組み合わせは3~2親等の親族に典型的な平均的親族係数を示します。充分な配列網羅率のある3個体については、複数の長いIBD断片を介して密接な関係が観察されました(図5c)。さらに、充分な網羅率のある3個体におけるひじょうに高水準の長いROHが特定され、その両親は密接な生物学的親族だったことが示唆されます。以下は本論文の図5です。
これらの観察から、墓774号の個体群はビジャリコス遺跡の多様なポエニ共同体内のシチリア島・エーゲ海地域祖先系統の配偶間共同体の一部だった、と示唆されます。この墓は独特な物質文化を示しており、ポエニの葬儀文脈に典型的な彩色されたダチョウの卵や、ギリシアの題材と元々は関連づけられていたイオニア様式の柱頭を描いた象牙細工が含まれます。しかし、後者がギリシア文化の伝統の採用を示唆していた、と考える説得力のある理由はなく、それは、イオニア様式の柱頭はポエニの図像学の頻繁な特徴で、象牙の加工はフェニキアとポエニの専門だったからです。この特定の共同体は、ビジャリコス遺跡のこの特別な墓を超えて広がっていた可能性が高く、それは、墓774号の個体群と、同様にROHの過剰と類似した祖先系統パターンを示したマラガの個体群との間で、複数の短いIBD断片の共有が見つかったからです(図2)。これらのパターンは、ケルクアン遺跡およびタロス遺跡において再構築された2組の系図とは対照的で、この両遺跡は、多様な祖先系統を組み込んだ、ポエニ遺跡における拡張家族の事例を提供し、ポエニ遺跡における多様な社会的慣行を浮き彫りにします。
●考察
イビサ島とサルデーニャ島の古代DNAに関する以前の分析は、ポエニ遺跡における地中海東部祖先系統の顕著な割合を仮定しました[20]。アフリカ北部のケルクアン遺跡の人々に関する研究ではね有意なレヴァント祖先系統の証拠が見つかりませんでしたが、1ヶ所の遺跡に焦点を当てていたので、より一般的な記載はできませんでした。5倍以上のポエニ遺跡からの1桁大きな規模の本論文の分析は、以前に刊行された21個体のゲノムおよび新たに配列決定された80個体のゲノムすべてにおける顕著なレヴァント祖先系統を除外し、この80個体には、カルタゴやモティアやカディスのようなカナン・フェニキア文化の証拠のある著名な都市遺跡からの古代人も含まれます。本論文の多様な標本によって、さまざまな研究[20]の事例を超えて、ポエニ遺跡におけるアフリカ北部祖先系統の拡大を追跡でき、紀元前400年頃以後に、アフリカ北部祖先系統がサルデーニャ島およびイベリア半島にどのように拡大したのか示され、拡大するカルタゴの影響がこの広がりを促進した、と示唆されます。
本論文の結果は、ポエニの人口統計学的拡大がおもにエーゲ海的祖先系統の人々によって起きたことを示唆しています。本論文でこのように結論づけられるのは、本論文のポエニデータセットで観察された優勢な祖先系統は青銅器時代のエーゲ海地域およびシチリア島人口集団で観察された祖先系統と一致しており、同様に青銅器時代および鉄器時代シチリア島住民はその祖先系統の大きな割合が中期~後期青銅器時代および鉄器時代の拡大に起因するエーゲ海地域人口集団に由来したからです[36]。ポエニ集団におけるシチリア島・エーゲ海地域祖先系統の最も近い起源は、青銅器時代のシチリア島とエーゲ海地域の人口集団間の低い分化と、青銅器時代および鉄器時代の地中海東部、とくに小アジアとキプロス島の沿岸の疎らな古代DNA標本抽出のため、解決困難です。一つの可能性は、エーゲ海地域的祖先系統はシチリア島のフェニキア人と、それ以前の青銅器時代の自他に由来するそうした祖先系統を有する在来シチリア島人口集団との初期の相互作用に由来した、というものです。別のあり得る供給源は、ポエニ集団と、地中海中央部とアフリカ北部東方(キレナイカ)で紀元前8世紀以降に確立した、ギリシアの植民地との間の相互作用かもしれません。シチリア島におけるフェニキアとポエニの集落の、ヒメラやセリヌンテなどこれらギリシアの植民地との近さは、遺伝子流動にさらなる機会を提供したでしょう。
本論文の結果によって提起される重要な問題は、カナン・フェニキアの文化と言語が、検出可能なレヴァント祖先系統のない人々によって、どのようにいつ採用されたのか、ということです。一つの仮説は、レヴァントのフェニキア人が地中海中央部および西部で紀元前千年紀初期に集落を築いた後で、これらの共同体が継続的にシチリア島・エーゲ海地域祖先系統の人々を継続的に取り入れた、というものです。結果として、紀元前6世紀もしくはそれ以後のこれらポエニ集落に居住していたほとんどの個体は、検出可能な水準のレヴァント祖先系統を有していませんでした。紀元前6世紀以前に地中海中央部および西部のフェニキア人共同体で支配的な葬儀慣行だった火葬のため、標本からの古代DNA配列決定は困難になったので、この期間のデータはありません。それにも関わらず、紀元前6世紀半ばから後半における選好された埋葬慣行としての火葬から土葬への変化は、かなりの数の新たな人々がこれらの共同体に取り込まれたことを反映しているかもしれない、文化的移行でもあります。
最後に、本論文で報告された祖先系統の長期の人口統計学的影響は、依然として明らかになっていません。シチリア島のローマ期個体群から得られた本論文のデータでは、ローマ期地中海の他の場所で以前に観察されたように[37~39]、祖先系統のパターンが地中海東部へと変わっていた、と示唆されています。ただ、シチリア島ではポエニ期から祖先系統特性が部分的に置換されただけです。遺伝学者と考古学者と歴史家の間の緊密な共同研究で行なわれる、シチリア島とアフリカ北部とイベリア半島とサルデーニャ島のローマ期とビザンツ期と中世前期の資料を分析する研究が、地中海を永続的に形成したこれらの移行を理解するのに重要です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
人類学:カルタゴとフェニキアの間に家族的なつながりはほとんどない
カルタゴ(Carthage)の人々は、フェニキア(Phoenician)文化の創始者らとは密接な関係になかったことを報告する論文が、Nature に掲載される。この発見は、カルタゴ人の起源とその文化の獲得を形作った力に光を当てるものである。
フェニキア人は、レバント(Levant)地方の古代海洋文明である。紀元前1千年紀、フェニキア人は現在のチュニジアにカルタゴを含む多くの植民地を築いた。カルタゴ人(ポエニ人〔Punic〕としても知られる)は、フェニキア文化を言語と宗教の形で取り入れた。しかし、フェニキア人の遺伝的遺産については、レバント・フェニキア人(Levantine Phoenician)の故郷と他の居住地との間の移動の程度を含めて、ほとんど知られていない。
この疑問を解決するために、David Reich、Harald Ringbauer、Ilan Gronauらは、レバント、北アフリカ、イベリア(Iberia)、シチリア(Sicily)、サルデーニャ(Sardinia)、およびイビサ(Ibiza)にある14の主要なポエニ遺跡から発掘された210人の古代のゲノムを研究した。ポエニ人は、レバント文化の祖先からの遺伝的祖先はほとんど持っていなかった。著者らは、フェニキア人が全く異なる祖先を持つ人々に自分たちの文化を伝え、遺伝的な寄与はほとんどなかったことを示唆している。加えて、ポエニ人の遺伝的多様性は高く、ポエニ人が遠く離れた場所、主にシチリアやギリシャから来た人々と混血していたことを示唆している。
集団遺伝学:ポエニ遺跡の人々はレバント地域にほとんど祖先を持たない遺伝的に多様な集団だった
集団遺伝学:フェニキア文化の担い手の祖先をたどる
今回、古代フェニキア文化の継承者である地中海地域の中部と西部のポエニ遺跡の人々は、当時勢力を拡大したカルタゴからはわずかに遺伝的寄与を受けていたが、レバント地方のフェニキア人からの寄与はほとんどなかったことが明らかにされている。
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略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、cM(centimorgan、センチモルガン)、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、HP(Hallstatt Plateau、ハルシュタット平坦域)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、スペイン南東部のビジャリコス(Villaricos)遺跡、チュニジアではケルクアン(Kerkouane)遺跡、アルジェリアではヘンケラ(Khenkela)遺跡、シチリア島ではビルギ(Birgi)遺跡と西部のモティア(Motya)遺跡とセリヌンテ(Selinunte)遺跡とヒメラ(Himera)遺跡、サルデーニャ島ではタロス(Tharros)遺跡、イスラエルではアグジブ(Akhziv)遺跡とメギド(Megiddo)遺跡、レバノンではシドン(Sidon)遺跡です。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、以下の本論文の翻訳では「civilization」を「文明」と訳し、本論文の「Punic」はカルタゴではなくポエニと訳します。
●要約
レヴァントの海洋フェニキア文明は、紀元前千年紀に地中海全域を変容させました。しかし、レヴァントのフェニキアの故地と地中海中央部および西部のフェニキア-ポエニ人の集落との間のヒトの移動の規模は、包括的な古代DNA研究がないため不明でした。この研究は、レヴァントとアフリカ北部とイベリア半島とシチリア島とサルデーニャ島とシビサ島のフェニキアおよびカルタゴと伝統的に特定されていた14ヶ所の遺跡の196個体と、アルジェリアの初期鉄器時代の1個体を含めて、210個体のゲノム規模データを生成しました。レヴァントのフェニキア人は、文化と歴史と言語と宗教のつながりの豊富な考古学的証拠にも関わらず、紀元前6世紀~紀元前2世紀の間には、地中海中央部および西部のポエニの集落にほとんど遺伝的寄与をしていませんでした。むしろ、レヴァントのフェニキア文化のこうした継承者は、その祖先系統のほとんどがシチリア島およびエーゲ海地域の人々と類似した遺伝的特性に由来していました。残りの祖先系統の大半はアフリカ北部に由来し、カルタゴの影響力増加を反映しています。しかし、これは、カルタゴ自体を含めて、標本抽出された遺跡のすべてにおける祖先系統のわずかな寄与でした。地中海中央部および西部全域のさまざまなカルタゴ遺跡は、高い遺伝的多様性の同様のパターンを示します。地中海全域での遺伝的関係も検出され、ポエニ世界を形成した共通の人口統計学的過程を反映しています。
●研究史
カナン・フェニキア文化は青銅器時代レヴァントの都市国家で出現しました。紀元前千年紀初期に、フェニキア人は広範な交易拠点網を遠くイベリア半島南西部にまで築き、その文化と宗教と言語を地中海中央部および西部に広げました。紀元前6世紀半ばまでに、現在のチュニジアにおけるフェニキアの沿岸植民地であるカルタゴは、地中海中央部および西部における覇権勢力として台頭しましたが、レヴァントの諸都市は新アッシリアと新バビロニアの支配下に置かれたため、衰退しました。カルタゴは紀元前5~紀元前4世紀にギリシアと、紀元前3~紀元前2世紀にはローマと大規模な激しい紛争に突入し、紀元前146年の破壊と共和政ローマによる併合に至りました。
多くの歴史家と考古学者は、紀元前6世紀半ば以後にはカルタゴと関連していたか、支配さえされていた地中海西部の文化的にフェニキアの共同体を呼ぶのに、ローマの用語である「ポエニ」を使います。そのような単純化された分類表示の問題点が指摘されてきましたが、本論文はフェニキアとポエニの最近の参考書に従って、フェニキア起源の物質文化、もしくはこの地域におけるカルタゴの覇権期である紀元前6世紀後期と紀元前2世紀の間の含意と関連する地中海中央部および西部の遺跡群を呼ぶのに、「ポエニ」を用います。これらの遺跡に埋葬された人々を呼ぶのにも、ポエニ人との用語を使いのす。しかし注意してもらいたいのは、「ポエニ」としての遺跡および人々の分類表示によって、均質な文化もしくは民族性と主張しているわけではないことです。さらに、本論文におけるフェニキアとポエニの遺跡間の区別は、その住民のレヴァント文化起源を問うわけでも、カルタゴやカディスなどフェニキア・ポエニの遺跡群の創始者がレヴァント人だったか、との問題に取り組むわけでもなく、これらの問題に取り組むのに必要な遺跡からの初期の標本はありません。本論文では「ポエニ」が上述の定義の遺跡および住民群を呼ぶ手段として単純に用いられ、本論文の分析では共有された遺伝的特徴が見つかります。
古代DNAは遺伝的祖先系統に関する情報を明らかにし、これは伝統的な歴史および考古学のデータの範囲を超えて、問題の解決に役立つ可能性があります。ポエニ人遺骸に関する以前の古代DNA研究はミトコンドリアDNA(mtDNA)に焦点を当てており、多様な母系を明らかにしました[15]。しかし、mtDNAは単一の系統のみを追跡するので、そうした分析はゲノム規模データと比較して限られた統計的解像度を提供します。レバノンのシドン遺跡の青銅器時代5個体およびベイルートの鉄器時代12個体の全ゲノム分析配列解析は、レヴァントのフェニキア人が遺伝的に在来の青銅器時代カナンの人々と類似していた、と示唆しています。しかし、カルタゴのミトコンドリアゲノムおよびケルクアンの近隣のポエニ遺跡の12個体から得られた全ゲノムデータは、在来のアフリカ北部祖先系統とともにかなりのヨーロッパ南部祖先系統を示します。部分的なアフリカ北部祖先系統は、より広範な地中海東部祖先系統と組み合わさって、サルデーニャ島のポエニの2ヶ所の遺跡の8個体から得られたゲノム規模データでも見つかりました[20]。同様に地中海東部祖先系統を有している、と解釈されたイビサ島の1個体の全ゲノム配列の分析とともにこれは、ポエニ人が複雑な祖先系統を有していた、と示唆しました。しかし、これらの観察は合計21個体の組み合わせかられ得られたゲノム規模データ分析に基づいており、カルタゴやモティアやカディスなど、初期フェニキアの創設したイベリア半島もしくはシチリア島の重要な地域や集落は含まれていませんでした。小さな標本規模と祖先系統の複雑な組み合わせのため、ポエニ遺跡全体の祖先系統の体系的な研究はできませんでした。
●データ一式の収集
120万ヶ所以上のSNPおよびミトコンドリアゲノムの溶液内濃縮を用いて[22]、イベリア半島とサルデーニャ島とシチリア島とアフリカ北部とレヴァントの14ヶ所の遺跡で発掘された398個体から得られたヒト骨格遺骸が検査され、標本規模は多様な文化と時間と地理の背景を網羅しています。これらには、アグジブのレヴァントのフェニキア人集落、カディスやモティアやカルタゴなどおそらくはレヴァント人創設の大規模な都市集落、ビジャリコスもしくはケルクアンの農村集落などカルタゴとの明確な文化的つながりのある遺跡が含まれています(図1a)。古代DNAの真正性について最低限の基準を満たすゲノム規模データを生成した、独自の210個体の結果が刊行され、そのうち196個体はフェニキアもしくはポエニの状況に由来しました。後述のように、充分なデータのある157個体の部分集合で集団遺伝学的分析が実行されました。以下は本論文の図1です。
これらの個体のうち99個体の骨で、111点のAMS年代が生成されました。これらの放射性炭素年代が考古学的背景の確証に重要だったのは、いくつかの標本抽出されたポエニ遺跡が後期に居住されており、分析された標本の部分集合の発掘が、現代の考古学的手法の確立の前だった(一部の事例では1世紀以上前)からです。対象期間における大気中の炭素14の割合の変動のため、紀元前800~紀元前400年頃(放射性炭素年代測定に用いられた較正におけるいわゆるHP)もしくは紀元前400~紀元前200年頃としか通常は標本を割り当てることができません。それにも関わらず、これによってカルタゴ拡大のより初期の段階(紀元前400年頃以前)に生きていた人々と、この期間の後ではあるものの依然としてポエニの状況で生きていた人々と、紀元前250~紀元前150年頃のローマ支配への移行後におそらくは暮らしていた人々の区別が可能となりました。本論文の標本抽出の重要な限界は、紀元前600年頃(墓の考古学的年代測定に基づいています)に先行する標本抽出された個体の欠如で、これは、火葬が紀元前600年頃以前の地中海中央部および西部のフェニキア集落では支配的な形態だったからです(考察の項目で後述)。
より高品質なデータ(SNPが2万ヶ所超で、重度の汚染の証拠がないこと)があり、考古学的背景が実証されている個体群が選別され、集団遺伝学的分析では15個体一式が得られました。このデータセット内で、フェニキアもしくはポエニの背景の131個体が特定され、そのうち108個体には、フェニキア人もしくはポエニ人と確実に分類できることを示唆する、確固たる背景がありました。サルデーニャ島の2ヶ所の遺跡[20]とイビサ島の1ヶ所の遺跡の8個体について、以前に刊行された配列が追加されました。最近の研究は、アフリカ北部の遺跡のケルクアンの12個体について、全ゲノムショットガン配列決定データを報告しました。溶液内濃縮(これによって、内在性DNAの割合の低い標本を分析可能なデータに変換できました)を用いて、ケルクアンの新たな17個体のデータと以前に報告されたデータのある10個体について、データが生成されました。生成されたデータは、他の関連する時代および地域の以前に報告された古代の個体群や、関連する背景の新たに配列決定された26個体(フェニキア人もしくはポエニ人ではありません)とともに、分析されました。これらのうち、アフリカ北部祖先系統のモデルで使用されるアルジェリア北東部内陸のケルクアン遺跡から発見された前期鉄器時代の1個体や、放射性炭素年代がローマの覇権期間内に位置づけられる、シチリア島とサルデーニャ島とイベリア半島の元々のポエニ遺跡の20個体があります。
●遺伝的祖先系統と混合モデル化
本論文で新たに報告されたデータにおける遺伝的差異を調べるために、古代の個体群から得られた全ゲノムが、現在のユーラシア西部およびアフリカ北部の1196個体から計算され、最初の2主成分(PC)に投影されました(図1b)。状況説明のため、地中海全域の関連する考古学的文化から得られた青銅器時代および鉄器時代個体群も投影され、そうした個体は地理的分布に基づいて大まかにクラスタ化します(まとまります)。レヴァントのフェニキア人のアグジブ遺跡の個体群は、以前に刊行された青銅器時代および鉄器時代理の個体群とともにクラスタ化し(まとまり)、それには、現在のイスラエルのメギド遺跡[25]や現在のレバノンのシドンやベイルートのフェニキア諸都市の個体群[17、18]が含まれます。対照的に、地中海中央部および西部のポエニ遺跡の個体群は、レヴァントの個体群とクラスタ化しません(まとまりません)。地中海中央部および西部のポエニ遺跡の個体群は代わりに、標本抽出された場所に関わらず、シチリア島およびエーゲ海地域の青銅器時代および鉄器時代個体群と重なる主要な形態で広く分布しています。このクラスタ(まとまり)に加えて、個体群の狭い勾配はこの形態からアフリカ北部個体群へと向かっており、それにはヨーロッパ勢力との接触前のカナリア諸島のグアンチェ人個体群や、ヘンケラの新たに配列決定された前期鉄器時代1個体が含まれます。これが示唆するのは、アグジブ遺跡のフェニキアの人々の祖先系統の大半がレヴァントの以前の人口集団に由来する一方で、地中海中央部および西部のポエニ遺跡の人々はシチリア島およびエーゲ海地域の人口集団と近い過去の共通の祖先系統を有しており、アフリカ北部人口集団との追加の近い過去の混合があることです。
人口混合について知るための他の有益な手法は、PCAによって示唆された主要な仮説を確証しました。ADMIXTUREを用いて、アフリカ北部人と東方人口集団(レヴァント/イラン)と地中海中央部および西部集団で最大化されるクラスタでの3構成要素が推測されました。アグジブ遺跡の個体群は、レヴァントの青銅器時代個体群と同様の祖先系統パターンを示します。対照的に、ポエニ遺跡の個体群は地中海中央部および西部とアフリカ北部の青銅器時代および鉄器時代人口集団に典型的なクラスタに分類されます。代替的なモデルの適合性の形式的検証を実行し、適合モデル下での割合の定量化のために、祖先系統供給源の代理としてさまざまな遺伝的に均質な8集団の古代人78個体で、qpAdm[27]が用いられました。複数祖先系統のモデルがほとんどの個体に適合しましたが、いくつかの堅牢な観察が浮かび上がりました。まず、フェニキアのアグジブ遺跡の全個体は、その祖先系統の80%以上がレヴァントの青銅器時代の1人口集団に由来します(図2)。対照的に、ポエニ遺跡の3個体のみが、かなりの割合のレヴァント祖先系統に分類され、それはシチリア島の2個体(その放射性炭素年代はシチリア島におけるローマ支配期と重なりクス)とサルデーニャ島の1個体で、この3個体すべてレヴァントの個体群とPCAでクラスタ化しました(まとまりました)。ほとんどのポエニ個体における祖先系統の主要な供給源は、シチリア島およびギリシアの青銅器時代個体群を用いた本論文の分析で最適に代理化されます。アフリカ北部を含めての各地域と各期間では、一部のポエニ個体はその祖先系統のほぼすべてがこの供給源に由来します。しかし、本論文の分析は、この供給源人口集団の地理的起源をより正確には特定できず、それは、青銅器時代のシチリア島供給源とエーゲ海地域供給源との間を確実には区別できないからで、両者では微妙な祖先系統の違いしかありませんでした。以下は本論文の図2です。
ポエニ遺跡で2番目に一般的な祖先系統供給源は、アフリカ北部先住民に由来することと一致し、これは本論文では、アルジェリア北東部内陸の前期鉄器時代1個体と遺伝的に類似した人口集団と定義されます。アフリカ北部祖先系統はケルクアン遺跡の個体群のかなりの割合で紀元前6世紀と紀元前5世紀の間に早くも現れ、低い割合でシチリア島の遺跡(モティアとビルギ)で散発的に見られ、紀元前4世紀以前の標本抽出されたイベリア半島およびサルデーニャ島の個体群ではまったく見られません(図2)。アフリカ北部外での紀元前400年頃以後の祖先系統の増加は、サルデーニャ島のタロス遺跡においてとくに顕著です。アフリカ北部先住民祖先系統は紀元前400年頃以後にポエニ世界に広がっていましたが、ケルクアン遺跡の3個体とビジャリコス遺跡の2個体とタロス遺跡の1個体を除いて全個体において、低い割合の祖先系統構成要素(50%未満)のままでした。アフリカ北部でさえ、ケルクアン遺跡の27個体のうち10個体とカルタゴの17個体のうち5個体は、アフリカ北部祖先系統が皆無とモデル化でき、これらの遺跡の個体の84%は50%以上のシチリア島・エーゲ海地域祖先系統を有しており、それがアフリカ北部のポエニ遺跡でも優勢な祖先系統構成要素になっています。
シチリア島とアフリカ北部のポエニ遺跡の多くの個体は、同じ地理的地域のそれ以前の人々と一致する、かなりの割合の祖先系統を有していました(この祖先系統は、必ずしも在来ではありません)。対照的に、近隣のポエニ遺跡の個体群へのサルデーニャ島とイベリア半島の青銅器時代の人々の遺伝的寄与の証拠は、クラスタ化分析もしくは形式的モデル化分析のいずれかでは、観察されません(図1bおよび図2)。イビサ島とカディスのイベリア半島の2個体のみが、かなりの割合の青銅器時代イベリア半島祖先系統を確実に有していました(図2)。むしろ、地中海西部のポエニ遺跡は、おもにシチリア島・エーゲ海地域もしくはアフリカ北部起源の祖先系統のパターンの同様の分布を共有しています(図1および図2)。
●遺伝的異質性とつながり
5通りの集団遺伝学的分析から、ポエニ遺跡の個体群は遺伝的に異質で相互につながっていた地中海人口集団の一部だった、と明らかになります。第一に、以前の人々と比較しての、1ヶ所の考古学的遺跡あたりのY染色体ハプログループ(YHg)のかなり高い多様性が観察されます(図3a)。標本抽出された各ポエニ遺跡では、ほとんどの男性が異なるYHgを有しています。全体的に、遺跡全体で優勢になる単一系統はなく、最も一般的なYHgとして、58個体のうち、E1b(14個体)とR1b(10個体)とJ2a(8個体)とG2a(7個体)とJ1a(5個体)が含まれます。高いY染色体の多様性は、YHg-J2(M172)をフェニキアの人口統計学的拡大および現在のその遺伝的遺産の痕跡とする以前の提案を踏まえると、注目に値します。ポエニ男性のわずか20%でYHg-J2が観察され、同様の低い割合で青銅器時代および鉄器時代のレヴァントにおいて、さらに高い割合で青銅器時代およびミノア期人口集団(J2a)と青銅器時代および鉄器時代のバルカン半島人口集団(J2b)で観察されます。この兆候は、YHg-J2がレヴァントからのフェニキア人拡大の明確な診断ハプログループである、との仮説に異議を唱えます 。むしろ、高いY染色体の多様性は、単一のYHgがフェニキア人拡大の有効な標識として機能できない可能性を示唆しています。以下は本論文の図3です。
第二に、ゲノム規模祖先系統における高い異質性が観察されます。PCAにおける位置の多様性によって測定されるように、ほとんどのポエニ遺跡における遺伝的差異は、紀元前五千年紀以降の地中海全域のそれ以前に標本抽出された遺跡より高くなっています(図3b)。さまざまな割合のアフリカ北部祖先系統はポエニ遺跡で観察される高い多様性の主因ですが、いくつかの遺跡におけるYHgの多様性水準は、この特定の寄与を除外してさえも、以前の人口集団より高いままです。
第三に、本論文の遺伝的データでは、個体の祖先系統の差異はポエニ遺跡内では高かったものの、この差異はさまざまな地域間、つまりサルデーニャ島とイベリア半島とシチリア島とアフリカ北部で全体的に同様だった、と報告されます(図2)。この重なりの最も節約的な説明は、さまざまなポエニ遺跡の人口集団は同じ祖先系統供給源に由来し、高度な相互結合を有していた、というものです。それは、個体間の祖先系統の差異のそのような同様のパターンが、共通の祖先供給源を有していなければ、異なる在来の祖先系統で地理的に遠い地域において観察される可能性は低いからです。
第四に、拡張系図内でさまざまな遺伝的背景の人々の混合の証拠が見つかりました。生物学的に親族関係にある個体を検査するために、個体の組み合わせ間のIBDである長いゲノム断片が用いられました。とくに、複数の共有された長いIBD断片は最大5~7親等の生物学的親族を示唆しており、これを用いて、ケルクアン遺跡の5個体の系図とタロス遺跡の3個体の系図を推測できました(拡張図7)。両方の系図は、多様な祖先系統の個体を統合する、拡張家族を明らかにしており、祖先系統の混合が一部のポエニ人口集団で進行中だったことを示しています。以下は本論文の拡張図7です。
第五に、地中海で隔てられた複数の系図上の親族が報告されます。16cM超の長さのIBD断片を共有する個体の31組が特定され、このIBD断片は直近20世代以内の可能性が高い共有された祖先を示唆しています。ほとんどの組み合わせ(31組のうち21組)は同じ遺跡内(上述の2系図を含みます)もしくはビルギやモティアなど近隣の2ヶ所の遺跡に由来しますが、10組は2ヶ所の異なる遺跡の個体の組み合わせでした。これらの遺跡は通常、相互に近く同じ地理的地域内に位置します(マラガやビジャリコスやセリヌンテなど)。しかし、6事例では、ビルギもしくはモティア遺跡(シチリア島)の1個体と、ケルクアンもしくはカルタゴ(アフリカ北部)かマラガ(イベリア半島)の1個体との間の、地中海にまたがるIBD共有が見つかりました。このIBD共有は、本論文のデータセットにおいて複数回観察できる、ポエニ共同体間の海洋移動性の充分な高率を示唆しています。これがとくに目立つのは、地中海が、ポエニの拡大前および現代人集団でもシチリア島とアフリカ北部の人口集団間の高水準の遺伝的文化を維持していた、地理的障壁だからです。ビルギ遺跡の1個体とケルクアン遺跡の1個体は3ヶ所の長いIBD断片を共有しており、この2個体はマタイトコ~ミイトコなど5~7親等の親族だった、と示唆されます(図4)。したがって、これらの個体もしくは直近の祖先がアフリカ北部とシチリア島の間を少なくとも一度は移動しており、この親族の組み合わせは人口集団のつながりの明確な事例となります。以下は本論文の図4です。
●ポエニ遺跡内の散発的な族内婚
1個体のゲノムにおけるROH分析によって、個体の両親の近縁性を測定し、ポエニ遺跡内の族内婚の頻度を定量化できます。そうした推測のための充分なデータのある本論文のデータセットの90個体のうち、11個体は20cM超のROHによって網羅される50cM以上のゲノムを有している、と分かり、これはイトコもしくはマタイトコ水準での両親の近縁性を示唆しています[30、31]。ケルクアン遺跡とカルタゴ遺跡とモティア遺跡の3個体はROHによって網羅される350cM超のゲノムさえ有しており、これは両親が2親等の親族(姪とオジもしくは両親の一方のみを共有する半キョウダイ同士)だったことを示唆しています。検出された近親婚のこの割合(分析された86個体のうち11個体)は、他の青銅器時代および鉄器時代の地中海の状況より高く、例外は、同様に近親婚の割合が高かった後期青銅器時代の「ミケーネ人」です。標本抽出された4ヶ所の地域すべての6ヶ所の異なるポエニ遺跡の個体群で密接な両親の近縁性の事例が見つかった事実は、近親間の配偶の地理的に広範な慣行を示しています。しかし、分析された個体の大半における全体的に低水準のROHから、この近親婚慣行はほとんどの地域で散発的に留まっていたことと(イベリア半島は例外かもしれません)、ポエニ人の祖先系統のかなりの割合が強い創始者事象を経た人口集団[30、31]に由来する、との仮説と一致しない、近い過去の大きな有効人口規模が示唆されます。
親族との間に子供を儲けた、イベリア半島のポエニ遺跡の人々の間の社会的慣行への洞察を提供した事例研究は、18個体の遺骸が収容されたビジャリコス遺跡の墓774号に由来します。5個体について有効な配列データが生成され、その年代は紀元前5世紀と紀元前4世紀の間でした。本論文の分析では、これらの5個体はPCA上ではポエニ祖先系統の主要な形態とクラスタ化する、と示されます(図5b)。この5個体は、相互に親族関係にはありました。各組み合わせは3~2親等の親族に典型的な平均的親族係数を示します。充分な配列網羅率のある3個体については、複数の長いIBD断片を介して密接な関係が観察されました(図5c)。さらに、充分な網羅率のある3個体におけるひじょうに高水準の長いROHが特定され、その両親は密接な生物学的親族だったことが示唆されます。以下は本論文の図5です。
これらの観察から、墓774号の個体群はビジャリコス遺跡の多様なポエニ共同体内のシチリア島・エーゲ海地域祖先系統の配偶間共同体の一部だった、と示唆されます。この墓は独特な物質文化を示しており、ポエニの葬儀文脈に典型的な彩色されたダチョウの卵や、ギリシアの題材と元々は関連づけられていたイオニア様式の柱頭を描いた象牙細工が含まれます。しかし、後者がギリシア文化の伝統の採用を示唆していた、と考える説得力のある理由はなく、それは、イオニア様式の柱頭はポエニの図像学の頻繁な特徴で、象牙の加工はフェニキアとポエニの専門だったからです。この特定の共同体は、ビジャリコス遺跡のこの特別な墓を超えて広がっていた可能性が高く、それは、墓774号の個体群と、同様にROHの過剰と類似した祖先系統パターンを示したマラガの個体群との間で、複数の短いIBD断片の共有が見つかったからです(図2)。これらのパターンは、ケルクアン遺跡およびタロス遺跡において再構築された2組の系図とは対照的で、この両遺跡は、多様な祖先系統を組み込んだ、ポエニ遺跡における拡張家族の事例を提供し、ポエニ遺跡における多様な社会的慣行を浮き彫りにします。
●考察
イビサ島とサルデーニャ島の古代DNAに関する以前の分析は、ポエニ遺跡における地中海東部祖先系統の顕著な割合を仮定しました[20]。アフリカ北部のケルクアン遺跡の人々に関する研究ではね有意なレヴァント祖先系統の証拠が見つかりませんでしたが、1ヶ所の遺跡に焦点を当てていたので、より一般的な記載はできませんでした。5倍以上のポエニ遺跡からの1桁大きな規模の本論文の分析は、以前に刊行された21個体のゲノムおよび新たに配列決定された80個体のゲノムすべてにおける顕著なレヴァント祖先系統を除外し、この80個体には、カルタゴやモティアやカディスのようなカナン・フェニキア文化の証拠のある著名な都市遺跡からの古代人も含まれます。本論文の多様な標本によって、さまざまな研究[20]の事例を超えて、ポエニ遺跡におけるアフリカ北部祖先系統の拡大を追跡でき、紀元前400年頃以後に、アフリカ北部祖先系統がサルデーニャ島およびイベリア半島にどのように拡大したのか示され、拡大するカルタゴの影響がこの広がりを促進した、と示唆されます。
本論文の結果は、ポエニの人口統計学的拡大がおもにエーゲ海的祖先系統の人々によって起きたことを示唆しています。本論文でこのように結論づけられるのは、本論文のポエニデータセットで観察された優勢な祖先系統は青銅器時代のエーゲ海地域およびシチリア島人口集団で観察された祖先系統と一致しており、同様に青銅器時代および鉄器時代シチリア島住民はその祖先系統の大きな割合が中期~後期青銅器時代および鉄器時代の拡大に起因するエーゲ海地域人口集団に由来したからです[36]。ポエニ集団におけるシチリア島・エーゲ海地域祖先系統の最も近い起源は、青銅器時代のシチリア島とエーゲ海地域の人口集団間の低い分化と、青銅器時代および鉄器時代の地中海東部、とくに小アジアとキプロス島の沿岸の疎らな古代DNA標本抽出のため、解決困難です。一つの可能性は、エーゲ海地域的祖先系統はシチリア島のフェニキア人と、それ以前の青銅器時代の自他に由来するそうした祖先系統を有する在来シチリア島人口集団との初期の相互作用に由来した、というものです。別のあり得る供給源は、ポエニ集団と、地中海中央部とアフリカ北部東方(キレナイカ)で紀元前8世紀以降に確立した、ギリシアの植民地との間の相互作用かもしれません。シチリア島におけるフェニキアとポエニの集落の、ヒメラやセリヌンテなどこれらギリシアの植民地との近さは、遺伝子流動にさらなる機会を提供したでしょう。
本論文の結果によって提起される重要な問題は、カナン・フェニキアの文化と言語が、検出可能なレヴァント祖先系統のない人々によって、どのようにいつ採用されたのか、ということです。一つの仮説は、レヴァントのフェニキア人が地中海中央部および西部で紀元前千年紀初期に集落を築いた後で、これらの共同体が継続的にシチリア島・エーゲ海地域祖先系統の人々を継続的に取り入れた、というものです。結果として、紀元前6世紀もしくはそれ以後のこれらポエニ集落に居住していたほとんどの個体は、検出可能な水準のレヴァント祖先系統を有していませんでした。紀元前6世紀以前に地中海中央部および西部のフェニキア人共同体で支配的な葬儀慣行だった火葬のため、標本からの古代DNA配列決定は困難になったので、この期間のデータはありません。それにも関わらず、紀元前6世紀半ばから後半における選好された埋葬慣行としての火葬から土葬への変化は、かなりの数の新たな人々がこれらの共同体に取り込まれたことを反映しているかもしれない、文化的移行でもあります。
最後に、本論文で報告された祖先系統の長期の人口統計学的影響は、依然として明らかになっていません。シチリア島のローマ期個体群から得られた本論文のデータでは、ローマ期地中海の他の場所で以前に観察されたように[37~39]、祖先系統のパターンが地中海東部へと変わっていた、と示唆されています。ただ、シチリア島ではポエニ期から祖先系統特性が部分的に置換されただけです。遺伝学者と考古学者と歴史家の間の緊密な共同研究で行なわれる、シチリア島とアフリカ北部とイベリア半島とサルデーニャ島のローマ期とビザンツ期と中世前期の資料を分析する研究が、地中海を永続的に形成したこれらの移行を理解するのに重要です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
人類学:カルタゴとフェニキアの間に家族的なつながりはほとんどない
カルタゴ(Carthage)の人々は、フェニキア(Phoenician)文化の創始者らとは密接な関係になかったことを報告する論文が、Nature に掲載される。この発見は、カルタゴ人の起源とその文化の獲得を形作った力に光を当てるものである。
フェニキア人は、レバント(Levant)地方の古代海洋文明である。紀元前1千年紀、フェニキア人は現在のチュニジアにカルタゴを含む多くの植民地を築いた。カルタゴ人(ポエニ人〔Punic〕としても知られる)は、フェニキア文化を言語と宗教の形で取り入れた。しかし、フェニキア人の遺伝的遺産については、レバント・フェニキア人(Levantine Phoenician)の故郷と他の居住地との間の移動の程度を含めて、ほとんど知られていない。
この疑問を解決するために、David Reich、Harald Ringbauer、Ilan Gronauらは、レバント、北アフリカ、イベリア(Iberia)、シチリア(Sicily)、サルデーニャ(Sardinia)、およびイビサ(Ibiza)にある14の主要なポエニ遺跡から発掘された210人の古代のゲノムを研究した。ポエニ人は、レバント文化の祖先からの遺伝的祖先はほとんど持っていなかった。著者らは、フェニキア人が全く異なる祖先を持つ人々に自分たちの文化を伝え、遺伝的な寄与はほとんどなかったことを示唆している。加えて、ポエニ人の遺伝的多様性は高く、ポエニ人が遠く離れた場所、主にシチリアやギリシャから来た人々と混血していたことを示唆している。
集団遺伝学:ポエニ遺跡の人々はレバント地域にほとんど祖先を持たない遺伝的に多様な集団だった
集団遺伝学:フェニキア文化の担い手の祖先をたどる
今回、古代フェニキア文化の継承者である地中海地域の中部と西部のポエニ遺跡の人々は、当時勢力を拡大したカルタゴからはわずかに遺伝的寄与を受けていたが、レバント地方のフェニキア人からの寄与はほとんどなかったことが明らかにされている。
参考文献:
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