新石器時代アナトリア半島の社会構造

 古代ゲノムデータに基づいて新石器時代アナトリア半島の社会構造を検証した研究(Yüncü et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡の考古学的データと35ヶ所の家屋に埋葬された131個体の古代ゲノムデータを組み合わせることで、UNESCO(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization、国際連合教育科学文化機関)の世界遺産遺跡である、アナトリア半島中央部南方のチャタルヒュユク(Çatalhöyük)の社会構造を検証しています。チャタルヒュユク遺跡では、紀元前9000~紀元前8000年頃にかけの人類の居住の痕跡が確認されており、大規模で平等主義的な社会構造や、子供と成人が使用時の家屋内に埋葬された床下埋葬で有名です。チャタルヒュユク遺跡は多数の女性像でも知られており、「地母神」信仰の象徴や母権制社会の可能性が議論されてきました。

 チャタルヒュユク遺跡の家屋に埋葬された個体間の遺伝的つながりには、経時的変化が見られます。当初は、遺伝的につながった家族と思われる個体の埋葬が多かったものの、後期には、遺伝的つながりのない個体も埋葬されるようになりました。しかし、これらの個体では、遺伝的つながりはなくても、食性は類似しています。こうした経時的変化は、里子保育や養子縁組のような仕組みが次第に広がっていったことによって説明できます。

 チャタルヒュユク遺跡において、こうした経時的変化があった一方で、最初から最後まで、母系的つながりが中心だったことは変わりませんでした。ただ、これは建物単位のことで、チャタルヒュユク遺跡全体に当てはまるわけではなく、チャタルヒュユク遺跡全体では、性別の偏った移動の証拠は得られていません。当時のチャタルヒュユク社会では、女性が出生家屋に留まり、男性が出生家屋から離れる傾向にあったようです。大規模な集落の父方居住と母方居住の問題では、集落全体とともに、家屋もしくは家族単位も考慮に入れねばならないのでしょう。また、女性の乳児および子供が優先的に埋葬されていたことや、女性の副葬品は男性の5倍になることも明らかになりました。こうした女性中心的な社会は、アナトリア半島の新石器時代集団に主要な起源がある、その後のヨーロッパの新石器時代集団とは著しく対照的で、ヨーロッパの新石器時代社会では、女性が出生集団から離れ、男性が出生集団に留まる父方居住社会や、男性の精巧な埋葬処置が確認されています。以下は本論文の要約図です。
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 本論文は、家屋単位での「母系的」というか母方居住の現時点では最古となる証拠を示しているように思います。本論文から、初期新石器時代社会が「父系的」というか父方居住のみではないことも示され、しかも新石器時代ヨーロッパ社会の主要な起源は、チャタルヒュユク遺跡も含めてアナトリア半島の新石器時代社会だったわけですから、チャタルヒュユク遺跡は「母系社会」が「父系社会」よりも古い証拠になり、人類の「原始社会」は元々一様に「母系制」で、「社会の発展」に伴って「父系制」へと移行した、と現在の文化人類学の主流的見解や「唯物史観」的な立場から解釈する人もいるかもしれません。

 しかし、現生類人猿や更新世の人類社会の事例から、人類の「原始社会」が一様に「母系(あるいは母方居住)」だった、と考えることには無理があるように思います(関連記事)。現生類人猿や更新世の人類社会の事例から、人類系統は元々、男性が出生集団に留まり、女性が出生集団を離れる父方居住的社会で、それによって近親交配が避けられており、現生人類(Homo sapiens)につながる系統である時点以降に、母方居住社会も含めて多様な社会が築かれるようになったのではないか、と私は考えています。チャタルヒュユク遺跡の女性中心の新石器時代社会についても、「太古」の慣習を継承しているのではなく、定住して共同体の規模が大きくなる過程で形成された、末期更新世以降の比較的新しい慣行かもしれません。

 現生人類につながる系統がいつから、母方居住社会も含めて多様な社会を築くようになったのか、現時点では分かりませんが、現生人類が世界中に広く拡散するようになった5万年前頃には、すでに現生人類では多様な社会が築かれていた可能性は高いように思います。その意味で、今後数万年前の現生人類集団で母方居住社会が確認される可能性は低くないかもしれません。しかしそれは、「唯物史観」で長く想定されてきたような、人類の「原始社会」は元々一様に「母系制」で、「社会の発展」に伴って「父系制」へと移行した、との想定を裏づけるわけではないでしょう。

 略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、MDS(multidimensional scaling、多次元尺度構成法)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、FROH(ROHを用いて推定された近親交配係数)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、cM(centimorgan、センチモルガン)、F(inbreeding coefficient、近親交配係数)、θ(親族関係係数)、Nb(breeding population size、繁殖人口規模)、炭素(C)と窒素(N)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、PPN(Pre-Pottery Neolithic、先土器新石器時代)、PN(Pottery Neolithic、土器新石器時代)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、PPN(Pre-Pottery Neolithic、先土器新石器時代)、PN(Pottery Neolithic、土器新石器時代)です。

 本論文で取り上げられるチャタルヒュユク遺跡以外の主要な遺跡は次の通りです。アナトリア半島中央部ではアシュクル(Aşıklı)遺跡とボンクル(Boncuklu)遺跡とテペシク・シフトリク(Tepecik-Çiftlik)遺跡とムスラール(Musular)遺跡、アナトリア半島北西部ではアクトプラクルク(Aktopraklık、Aktopraklik)遺跡とバルシン(Barcın)遺跡、アナトリア半島南東部ではネヴァル・チョリ(Nevali Çori)遺跡、上メソポタミア(メソポタミア北部)ではティグリス川流域のチャヨニュ(Çayönü)遺跡、フランスではギュルジー(Gurgy)のレス・ノイサッツ(les Noisats)遺跡。


●構造化要約

○前提
 チャタルヒュユクはアナトリア半島の新石器時代の集落で、 UNESCOの世界遺産遺跡です。1000年間(紀元前9000~紀元前8000年頃)にわたって居住されたチャタルヒュユク遺跡は、その規模、明らかな平等主義的な社会構造、子供と成人が使用時の家屋内に埋葬された床下埋葬で有名です。チャタルヒュユク遺跡は多数の女性像でも知られており、それは「地母神」信仰の象徴や母権制社会の兆候である可能性として長く議論されてきました。

○理論的根拠
 本論文は、豊富な考古学的データを35ヶ所の家屋に埋葬された131個体の古ゲノムデータセットと組み合わせることで、チャタルヒュユク遺跡の社会組織を調べました。本論文は、同じ建物の内部にともに埋葬された個体間の遺伝的つながりの特定に焦点を当てました。

○結果
 建物内および建物間の遺伝的つながりを比較すると、各建物内の埋葬によって表されるように、母系がチャタルヒュユク遺跡の家屋の構成員のつながりに重要な役割を果たした、と分かりました。当時の70~100%の割合で、女性の子供は建物とのつながりを保持したのに対して、成人男性の子供は他に移動したかもしれない、と推定されました。女性の乳児および子供の埋葬の優先的扱いも見つかり、男性よりも女性の方が副葬品は5倍でした。
 本論文のデータはさらに、社会組織のパターンがチャタルヒュユク遺跡で経時的にどのように変わったのか、示します。集落の初期段階では、家屋内にともに埋葬された個体群は、しばしば拡張家族の構成員を表していました。経時的に、家屋埋葬の遺伝的組成は均質ではなくなりました。後期には、遺伝的に親族関係になったものの、同じ家屋に埋葬された新生児の集団が見つかりました。一方で、その母親は同様の食性だったようです。これは、遺伝的近縁性が経時的に社会組織の中心ではなくなったことを示唆しており、それは、さまざまな社会で現在も観察される、里子保育や養子縁組のような仕組みが次第に広がっていったことによって説明できます。この変化にも関わらず、女性中心の慣行はチャタルヒュユク遺跡において居住期間には継続しました。

○結論
 本論文の結果は、新石器時代の村落における社会組織の柔軟な性質を明らかにしており、家族構成はおそらく数十世代以内に変わりました。新石器時代アジア南西部における女性中心慣行の最初の直接的な指標も見つかり、これはよく議論になっていた問題です。チャタルヒュユク遺跡で特定されたこの女性中心性は、アナトリア半島起源のその後のヨーロッパ新石器時代の遺跡群で観察されたパターンとは著しく対照的です。これらヨーロッパ社会の多くは、男性が成人後も出生共同体内に留まり、女性が共同体を離れる父方居住と、男性と関連することが多い精巧な埋葬処置の証拠を示します。今やチャタルヒュユク遺跡の証拠は、男性中心の慣行が初期農耕社会の固有の特徴ではなかったことを示しています。


●要約

 131点の古ゲノムを生物考古学的および考古学的データと組み合わせることによって、アナトリア半島中央部チャタルヒュユク遺跡の東墳丘における社会組織と性別(ジェンダー)慣行が調べられました。初期のチャタルヒュユク遺跡では、同じ建物の埋葬は密接な遺伝的親族であることが多く、家屋が生物学的家族の構成員によって使用されていたことを示唆しています。しかし、後期には、同じ食性を共有しているにも関わらず、同じ建物に埋葬された個体群は遺伝的に親族関係になかったことが多くなります。チャタルヒュユク遺跡への性別の偏った移動性の兆候は見つかりませんでした。一方で、全期間において、建物内の遺伝的つながりは父系ではなく母系が優勢でした。女性の未成年の埋葬も、男性の未成年よりも贈り物の頻度がより高くなっていました。本論文の結果は、女系を優先する特定の慣行が新石器時代のチャタルヒュユク遺跡において約1000年間続きながら、親族関係の慣行がどのように変化したのか、明らかにします。


●研究史

 先史時代の社会における社会組織および性別(ジェンダー)の役割の分化は、物質文化のテータから解明することは困難かもしれず、論争の主題になることが多くあります。そうした長年の議論の一つが、初期食料生産社会における母権制組織の可能性をめぐるものでした。これは、アナトリア半島とエーゲ海全域で見つかった女性像に触発され、広く知られるようになり、多産と「地母神」信仰を象徴する神と解釈されました。しかし、物質文化も生物考古学も、これらの社会における女性中心の慣行の決定的証拠をまだ提供していませんでした。

 最近、考古ゲノム学的データが、先史時代の社会慣行を研究するための証拠の、以前には未開発だった情報源として台頭してきました。これらの研究のほとんどはこれまでヨーロッパ新石器時代社会に焦点を当ててきており、遺伝的親族に基づき父方居住もしくは父系の組織の状況を明らかにし、墓地内の世代は父方の遺伝的系統[9、10、12]か、密接な親族関係の男性被葬者を収容している記念碑的な墓[13~15]でつながっていることが多くありました。しかし、これらの組織パターンが、ヨーロッパの数千年前に食料生産文化が出現した新石器時代の近東に当てはまるのかどうかは、不明です。アナトリア半島(現代のトルコ)からこれまでに刊行された限られた遺伝的データから、これらの社会における遺伝的親族関係と性別の偏った移動性慣行は新石器時代のヨーロッパで見られたものとは異なっていたかもしれない、と示唆されましたが、その結果は限定的な標本規模のため依然として決定的ではありません[17、18]。

 本論文は、鮮やかな壁画や多様な女性像を含めて精巧な象徴性で知られている、アナトリア半島中央部の主要な新石器時代遺跡であるチャタルヒュユクから得られた古ゲノムおよび考古学的データを用いて、これらの問題に取り組みました(図1A~C)。主要なチャタルヒュユク遺跡の東墳丘は断続せずに紀元前七千年紀(紀元前7150~紀元前5950年頃)を通じて居住されており、類型学的変化に基づいて、前期(紀元前7100~紀元前6700年頃)と中期(紀元前6700~紀元前6500年頃)と後期(紀元前6500~紀元前6300年頃)と末期(紀元前6300~紀元前5950年頃)に区分されてきました。この集落は当時としては比較的大きく、最盛期には推定で500~800個体もしくは3500~8000個体がいました。近隣のチャタルヒュユク遺跡の西墳丘の年代はアナトリア半島の初期銅器時代で、その居住は紀元前6100~紀元前5500年頃となり、東紛糾と部分的に重なっています。農耕と畜産が両墳丘において生計の主要な生計源でしたが、野生動物の狩猟も続いており、チャタルヒュユク遺跡の象徴性に強く反映されていました。

 新石器時代のチャタルヒュユク遺跡は家屋に基づく比較的平等主義の社会として出現し、私的な食料貯蔵の存在や家屋および埋葬数の違いにも関わらず、公共建築物もくしは家屋間の体系的な社会経済的不平等の証拠はありません。支配的な社会規則は建物内の構造および建物内埋葬の共通パターンで観察でき、死者は建物内で床下に埋葬されたものの、建物は依然として使用されており、成人は通常、中央の部屋の高い基壇の下に、未成年(たとえば、新生児や乳児)は炉床の近くもしくは貯蔵室の下に埋葬されることが多くありました。生物考古学的証拠は、多産を示唆する未成年の埋葬が多いことから、一般的に人口が健康だったことを示唆しています。性別間の食性の違いは限定的で、個人間の暴力は記録されていますが、致命的な弧売劇は記録されていません(ヨーロッパの新石器時代の証拠とは対照的です)。チャタルヒュユク遺跡についてのこうした豊富な知識にも関わらず、近隣人口集団との人口統計学的つながり、移動性のパターンにおける性別の偏りの可能性、本論文では共同埋葬と呼ばれる、同じ建物に埋葬された個体間の遺伝的親族関係のつながり性質など、重要な問題が依然として未解決です。家屋の共同埋葬間の遺伝的つながりは、家族構成や親族関係の種類、つまり社会的類似性に関する情報をもたらすことができますが、母系対父系の遺伝的つながり、性別(ジェンダー)化された慣行を解明できます。


●標本

 浅い古代DNA配列決定によって、新石器時代のチャタルヒュユク遺跡の395個体の骨格遺骸が遺伝学的に検査され、有機物の保存状態の悪さと低い内在性ヒトDNAの割合(中央値は0.03%)が明らかになりました。さらなるショットガン配列決定と、このデータを以前に刊行されたチャタルヒュユク遺跡個体群のゲノム(この研究で網羅率が向上した4個体を含みます)[17、40]を組み合わせた後で、集団遺伝学的および/もしくは遺伝学的親族関係分析に用いられた本論文の最終的なデータセットは、チャタルヒュユク遺跡の東墳丘の131個体(紀元前7100~紀元前5900年頃)と西墳丘の2個体(紀元前5900~紀元前5800年頃)で構成され、ゲノム網羅率は0.001~5.5倍(中央値は0.06倍)です(図1D)。これには1993~2017年の間に新石器時代のチャタルヒュユク遺跡で発掘された、891個体の骨格遺骸の15%が含まれます。以下は本論文の図1です。
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 チャタルヒュユク遺跡の未成年遺骸におけるより良好な古代DNAの保存状態のため、本論文の標本の約75%は未成年で構成されます。179個体の遺伝学的性別が推定され、ほとんどの未成年の性別は初めて決定されました(図1E)。成人被葬者では女性の頻度がわずかに高かった(58%)のに対して、未成年の性比は同じでした(図1D・E)。新生児1個体はターナー症候群核型(X0)でした。人口統計学的分析のため、東墳丘の網羅率0.03倍超の親族関係にない67個体のゲノムが、5539組における遺伝的親族関係の推定のために123個体のゲノムが使用されました。ハプロタイプに基づく分関および二倍体親族関係推定を実行するために、ゲノム2組の補完も行なわれました。


●地域的な移動性および近隣集団との遺伝的相互作用

 チャタルヒュユク遺跡の遺伝子プールはアナトリア半島における同時代の紀元前七千年紀の新石器時代集落と類似していた、と以前に示されました[17、42]。この遺伝的特性は紀元前7500年頃に起きた人口統計学的事象から生じた可能性が高く、そのさいに、東方、おそらくは上メソポタミア(メソポタミア北部)起源の人々がアナトリア半島中央部および西部へと移動して在来人口集団と混合し、この事象はこの地域における本格的な農耕共同体の出現と関連しているかもしれません[18、40]。

 未解決の問題は、チャタルヒュユク遺跡が一度確立した後で、人口統計学的に孤立したままだったのか、それとも新参者に開かれていたのか、ということです。チャタルヒュユク遺跡の共同体の持続的な文化的特徴(たとえば、家屋の内部構造)と近隣に大規模な同時代集落がないことは、閉鎖性を示唆しているかもしれません。逆に、チャタルヒュユク遺跡における輸入された原材料や生産物の存在は、広範な交流網を示しています。チャタルヒュユク遺跡の骨格のストロンチウムおよび酸素同位体分析から、調べられた77個体のうち7個体は地元ではない値を有していた、と明らかになり、移動性が示唆されます。ただ、移動性と文化的交流は遺伝的混合なしで起きることがあります。

 これを研究するために、まず経時的な平均的チャタルヒュユク遺跡個体群の遺伝的特性における変化の可能性が調査されました。チャタルヒュユク遺跡の親族関係にない67個体のクラスタ化(まとまめること)分析は、他の紀元前七千年紀の新石器時代のアナトリア半島西部および中央部の遺跡と類似した、相対的に均質な集団を示唆しました(図2A)。qpAdmモデル化は平均的なチャタルヒュユク遺跡個体群の遺伝的特性を、紀元前九千年紀~紀元前八千年紀のアナトリア半島中央部人上メソポタミア人との間の混合として説明し、これはチャタルヒュユク遺跡の約1000年間にわたる居住全体で安定していました(図2B)。アレル(対立遺伝子)もしくはハプロタイプ多様性水準や、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)およびY染色体ハプログループ(YHg)組成は同様に経時的に安定した折、遺伝的に遠い人口集団からの大規模な遺伝子流動事象がなかったことを示唆しています。以下は本論文の図2です。
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 一方で、f₄統計を用いて測定されたように、チャタルヒュユク遺跡の前期の個体群は遺伝的に、他の期間の個体群とよりも相互の方と類似していたものの、このパターンは中期もしくは後期にはより弱かった、と分かりました(図2C)。経時的な遺伝的均質性のこの減少は、チャタルヒュユク遺跡集団への低水準の遺伝子流動(移動性と混合)によって引き起こされたかもしれず、これは模擬実験で再現されたパターンです。f₄統計を用いると、紀元前八千年紀の上メソポタミア(チャヨニュ遺跡)個体のゲノムは、前期より後のチャタルヒュユク遺跡個体群とよりも前期のチャタルヒュユク遺跡個体群の方とより高い遺伝的類似性を示すのに対して、紀元前七千年紀のアナトリア半島北西部(バルシン遺跡)の個体群は、中期のチャタルヒュユク遺跡個体群とよりも後期のチャタルヒュユク遺跡個体群の方と高い類似性を示すことも分かりました。これらの結果は、多様な供給源からの低水準の遺伝子流動(背景移動性)を通じての、チャタルヒュユク遺跡個体群の遺伝子プールにおける微妙な変化を示唆しています。

 次に、個体水準での地域的な移動性が調べられ、クラスタ化(まとめること)手法(MDSとPCA、図2A)および形式的検定(f₄とqpWave)を用いて、チャタルヒュユク遺跡および他のアナトリア半島新石器時代個体群における遺伝的外れ値が検索されました。チャタルヒュユク遺跡の67個体のうち、28個体は5回の異なる検定のうち1回で異なる特性を示しましたが、複数の分析にわたって遠い地域の人口集団との一貫した類似性を示した個体はいませんでした。比較のため、アシュクル遺跡の1個体[17]は5回の検定すべてで同じ遺跡の個体とよりもレヴァント個体群の方と高い類似性を示しました。したがって、チャタルヒュユク遺跡の67個体のうちどれかを遺伝的外れ値として確実には特定できません。しかし、チャタルヒュユク遺跡への移動の可能性は、この地域からの遺伝的に類似した集団が関わっていたかもしれません。じっさい、補完されたゲノムのあるチャタルヒュユク遺跡の中期もしくは後期14個体のうち6個体が、さまざまな遺伝的に標本抽出された新石器時代アナトリア半島共同体との12~16cMのIBD断片を共有している、と分かり、これは遠い(10世代超の可能性が高そうです)関連性を表しています。さらに、f₄統計では、チャタルヒュユク遺跡の67個体(中期および後期の未成年の全個体)のうち5個体は、他のチャタルヒュユク遺跡個体のゲノムとよりもバルシン遺跡個体の方と近く、再びチャタルヒュユク遺跡個体群における移動性が示唆されます。一方で、移住者が差別された証拠は見つからず、異なるゲノム特性の個体群の埋葬は、核なくとも「地元」特性の個体群と同数の副葬品を受け取っていました。

 本論文の結果は、人口の約10%が地元民ではなかった、と示唆しているストロンチウムおよび酸素同位体分析と一致します。チャタルヒュユク遺跡は孤立しておらず、無視できない数の移住者を受け入れており、それはおもに最も近い、したがって遺伝的に同様の共同体で、たとえば、在来人口集団と混合した、アナトリア半島中央部および西部の個体群です。チャタルヒュユク遺跡へのこの背景移動性はおそらく、紀元前七千年紀のアナトリア半島西部における発展と同時に起きており、この頃に、在来の採食民の子孫がおそらく東方(アナトリア半島中央部および/もしくは上メソポタミア)から到来した集団の子孫と混合し、そこで新たな新石器時代共同体が築かれました。


●チャタルヒュユク遺跡における性別の偏った遺伝子流動もしくは近親婚慣行の証拠はありません

 チャタルヒュユク遺跡が移住者を受け入れた、との観察は、そうした移動性と混合が性別の偏ったものだったかもしれないのかどうか、との問題を提起します。性別の偏った遺伝子流動は、それぞれ女性もしくは男性が繁殖相手の出生共同体に加わる、父方居住(女性族外婚)もしくは母方居住(男性族外婚)か、あるいは、両方の選択が利用可能である両方居住と関わっているかもしれません。民族誌的データから、食料生産社会は平均的に、採食民よりも父方居住が多い、と示唆されています。ヨーロッパの新石器時代および青銅器時代の社会から得られたストロンチウムおよび遺伝学的証拠も、性別の偏りが検出された場合の父方居住的パターンを報告していますが(8~12)、同位体研究では、性別間の移動性の違いがないことや、別の解釈も示唆されています。

 チャタルヒュユク遺跡個体群への遺伝子流動が厳密に父方居住的、つまり、女性のみに関わっていたならば、成人男性の組み合わせ間の遺伝的類似性は、平均して成人女性の組み合わせ間の類似性より高いでしょう。さらに、Y染色体の遺伝子プール(集落で孤立し、浮動を受けます)はmtDNAの遺伝子プール(遺伝子流動によって豊富です)より多様性が低くなるでしょう。逆のパターンは、厳密な母方居住したで予測されます。チャタルヒュユク遺跡では成人男性の組み合わせ間の類似性と成人女性の組み合わせ間の類似性は同等だった、と分かりました。3期間すべてで、同等のYHgとmtDNAの多様性も検出されました(図2E)。次に、これらの結果が、フランスの中期新石器時代埋葬集団であるギュルジーで確認された結果と比較され、ギュルジーでは、系図復元が強い父方居住を示唆し、男性の組み合わせ間の遺伝的類似性は女性の組み合わせ間より有意に高くなっていました[11]。ギュルジーにおけるY染色体の多様性はmtDNAの多様性より明らかに低く(図2E)、ギュルジーのY染色体の多様性はチャタルヒュユク遺跡よりも有意に低い者でした。チャタルヒュユク遺跡および他の新石器時代アナトリア半島の遺跡における成人女性が子孫ではない親族と埋葬されていたゲノム証拠とともに、このデータは父方居住的伝統が多くの新石器時代アナトリア半島集落では弱かったか存在しなかったことを示唆しています。これは、男女両方の移民が共同体に加わった可能性を示唆している、チャタルヒュユク遺跡から得られたストロンチウム同位体の結果とも一致します。

 次に、チャタルヒュユク遺跡における近親婚慣行(近親者間の婚姻、たとえばイトコ同士)の遺伝学的証拠が調べられました。この問題が興味深いのは、現代の採食民対食料生産集団の比較が、食料生産者におけるより高い平均頻度の近親婚を示唆しているからで、これは恐らく、財産関係によって形成された社会的力学に起因します。過去の社会から得られた遺伝的データもこの一般的な結論を裏づけており、近親婚は食料生産社会においてより高頻度です。チャタルヒュユク遺跡共同体も近親婚を行なっていたのかどうか、検証されました。網羅率0.3倍超のチャタルヒュユク遺跡の18個体のゲノムにおいて、4cM超のROHが推定されました[52]。ROHに基づく近親交配係数F(FROH)によって測定されたチャタルヒュユク遺跡個体群の同型接合性水準は平均的に、それ以前のアナトリア半島共同体からの推定値より低かったものの、同時代のバルシン遺跡とは同等でした(図2F)。平均的な同型接合性におけるこの時間的違いは、上述の紀元前7500年頃の混合事象によって起きた遺伝的多様性の増加に起因するかもしれません(図2B)。

 検証されたチャヨニュ遺跡の18個体のうち14個体のみが4cM超のROHを有しており、最も極端な2事例はマタイトコ間の交配の子供の可能性を表しています。近親交配係数Fの系図に基づく模擬実験を用いてこの結果が評価され、繁殖個体のあり得る数(Nb)の範囲は考古学的分析と一致します。観察された平均Fは、(1)チャヨニュ遺跡のNbは1000超で、配偶選択は無作為だった(近親婚への選好も抵抗もありません)か、(2)チャタルヒュユク遺跡のNbは1000未満だったものの、集落内で繁殖した移民を受け入れたか、チャヨニュ遺跡共同体が生物学的家族関係の追跡によって近親婚を避けたことによって説明できるかもしれない、と分かりました。いずれの場合でも、近親婚慣行はチャタルヒュユク遺跡では広く行なわれていませんでした。


●チャタルヒュユク遺跡の遺伝的親族網

 新石器時代アジア南西部における建物内床下埋葬の一般的な慣行は、居住期間に同じ建物に埋葬されたことでつながっている個体間の遺伝的関係を通じての組織研究への、独特な機会を提供します。本論文はこれらの個体一式を「家屋共同埋葬」と呼び、これらの個体が建物の異なる場所で異なる時期にしばしば埋葬されたことに注目します。これらの個体はその生涯において、相互および他の建物の住民と社会的につながっていたかもしれません。家屋共同埋葬では、他の建物の被葬者とよりも相互の方と近い食性同位体値もあり、再び生涯における共有された環境が示唆されます。

 これまでに調べられた初期新石器時代(紀元前九千年紀と紀元前八千年紀)アナトリア半島の集落における家屋共同埋葬は、密接な遺伝的親族を含むことが多くあります。対照的に、紀元前七千年紀のチャヨニュ遺跡およびバルシン遺跡に関する先行研究では、家屋共同埋葬における密接な遺伝的つながりは少なかった、と分かり、経時的な慣行の変化が示唆されました[17]。歯の特徴およびmtDNAの分析でも、チャヨニュ遺跡における建物内対建物間の類似性は殆どもしくは全く見つかりませんでした[57]。しかし、限られた標本規模と無意味な上方のあるデータのため、家屋共同埋葬の親族関係についての最終的な結論は妨げられてきました。

 精度を損なわずに情報を最大化するために、複数の手段と手法を同時に用いて(たとえば、広範なSNPパネルや補完された二倍体遺伝子型や多層的な遺伝的親族分類体系の使用)、123個体間の遺伝的近縁性[十分な数の重複するSNPがある5539組]が推定されました。代替的な閾値が用いられ、曖昧な分類(たとえば、2もしくは3親等)が含められました。これによって、1親等から3親等の遺伝的親族の組み合わせ網が得られ、それはすべての検証された組み合わせの2.9%になります(期間と人口規模を考えると、予測通りでした)。合計で31ヶ所の建物にわたって109個体がつながっており、そうした建物のうち19ヶ所には、少なくとも1組の確実な近縁性推定値のある複数埋葬が含まれていました(図3A)。成人間と未成年間の両方の組み合わせは建物内で同様の割合(約30%)でつながっていましたが、成人が未成年よりも建物全体でわずかに多くつながっていました(5%対2%)。以下は本論文の図3です。
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 埋葬空間の共有は、生涯における親族のつながりを明らかにするかもしれませんが、それは遺伝的つながり基づく可能性も基づかない可能性もあります。チャヨニュ遺跡の埋葬が表しているのは、核家族なのか拡張家族なのか遺伝的関係のない親族集団なのかどうか、広く議論されてきました[57]。本論文の標本では、すべての1親等の親族関係の組み合わせ(14組)は、同じ建物内に埋葬されていました(図3A)。2親等および3親等のつながり(132組)も、建物内か同じ場所の連続した建物間か同じ地域と期間の建物間で空間的に集中する傾向にありましたが、それのみではありませんでした(図3A)。建物6号におけるイトコによって表される核家族および/もしくは拡張家族(図4A・D)は、おそらくチャタルヒュユク遺跡の家族構造の形成において役割を果たしました。これは、アシュクル遺跡やボンクル遺跡やチャヨニュ遺跡など紀元前九千年紀および紀元前八千年紀のアナトリア半島の集落における考古遺伝学的観察と同様で、そうした遺跡では家屋共同埋葬ガ遺伝的親族であることも多くありました[17、18]。以下は本論文の図4です。
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 関係のつながりの少なさにも関わらず、いくつかの多世代の系図が復元されました。ほぼすべての系図で、含まれている個体は同じ建物に埋葬されました。ほとんどの場合、キョウダイやオジ(オバ)とオイ(メイ)やイトコの関係が含まれていましたが、親子や半キョウダイ【両親の一方のみを共有するキョウダイ】の組み合わせも少数含まれていました(図4A~C)。キョウダイやオジ(オバ)とオイ(メイ)のつながりの(親子もしくは祖父母と孫のつながりと比較しての)明らかな過剰出現は、本論文の遺伝学的標本における成人の不足によって引き起こされています。

 建物間のつながりも調べられ、前期において最も高頻度(15%)だったものの、中期(2%)および後期(5%)には減少した、と分かりました(図3B)。これは、チャタルヒュユク遺跡前期におけるより高い均質性を示唆したf₄統計と一致しているようですが、限られた空間を含む前期の発掘によっても説明できます。建物間の遺伝的つながりの強度は、先行研究で示されているように、そうした建物の物質文化の類似性と相関しているようです。


●チャタルヒュユク遺跡の家屋内の遺伝的つながりの経時的減少

 図3Aは、家屋共同埋葬間の遺伝的つながりの密度の経時的変化を示唆しています。チャタルヒュユク遺跡前期の建物では、組み合わせの63%が密接な遺伝的親族で(図3C)、家屋共同埋葬がしばしば核家族もしくは拡張家族の構成員だった初期新石器時代アナトリア半島の集落[17、18]を想起させます。チャタルヒュユク遺跡の中期および後期には、同じ頻度がそれぞれ30%と22%に低下しました(図3C)。建物あたりの遺伝的親族の頻度も、建物の年代とともに有意に減少しました(図3D)。銅器時代のチャタルヒュユク遺跡の西墳丘から回収された唯一の個体群、つまり同じ建物に埋葬された新生児2個体も同様に遺伝的に親族関係ではありませんでした。より詳しい検査では、中期および後期の建物にはともに埋葬された複数の生物学的家族(たとえば、図4B・C・Eの建物50号)か、遺伝的親族のつながりのない埋葬(たとえば、図4Fの建物54号)がしばしば伴っていた、と明らかになりました。遺伝的親族ではなかった家屋共同埋葬のうち、多数は未成年で構成されていました。全体的に、中期および後期のチャタルヒュユク遺跡の家屋共同埋葬は、核家族もしくは拡張家族ではなかったことが多くありました。

 交絡因子で、DNA保存状態の差異や各期間の人口規模や標本異質性(たとえば、遺伝的に標本抽出された埋葬の数や建物における未成年頻度の差異)などで、家屋共同埋葬の遺伝的つながりの密度における観察された経時的変化を説明できるのかどうか、検討されました。各期間の内在性DNAの割合もしくはゲノム網羅率には、大きな違いはありませんでした。遺伝的つながりにおける単調な経時的減少とは異なり、チャタルヒュユク遺跡では中期に人口が最大となるので、原因として人口規模も除外できます。標本異質性を説明するために、各期間における違いのない帰無仮説のモンテカルロ模擬実験が実行され、19ヶ所の建物内の埋葬が、仮定的な生物学的家族に割り当てられ、実証的データにおける確実な近縁性推定値のある組み合わせの数に基づいて無作為に選択されました。全個体を含めるか、未成年のみを用いることによって、さまざまな遺伝的親族の精細度と仮定的な家族規模と建物あたりの埋葬の実証的な数に基づいて、36通りの想定が生成され、各想定は1万回模擬実験されて、模擬実験から得られた無作為標本全体との各時期の間で観察された違いの比較によって、統計的有意性が計算されました。その結果、チャタルヒュユク遺跡の前期と後期の間の違いおよび図3Dにおける直線的減少は予想外だった、と分かりました。したがって、家屋共同埋葬構成におけるこの経時的変化は、チャタルヒュユク遺跡の居住期間における組織および/もしくは埋葬慣行の実際の移行を反映しています。


●遺伝的に親族関係にない新生児間で共有された食性の特性

 同じ建物における遺伝的に親族関係にない個体の埋葬は、興味深いように見えるかもしれません。本論文のデータセットにおけるこれらの個体のほとんどは新生児と乳児と子供で、これはチャタルヒュユク遺跡の未成年におけるより良好な古代DNAの保存状態に起因します。これらの未成年はその生涯においてつながっていなかった、たとえば、異なる遺伝的集団によって使われていた異なる建物に暮らしていたかもしれませんが、別の理由で同じ家屋での埋葬が選択されました。もしそうならば、経時的な遺伝的つながりの観察された減少は埋葬慣行の変化を表しており、それが今度は、居住期の集落で観察された他の埋葬および社会経済的変化と関連しているかもしれません。

 あるいは、これらの共同で埋葬されているものの、遺伝的に親族関係にない組み合わせは、里親家族に養われていた、および/もしくは食料の共有など、その生涯においてつながっていたのかもしれません。この問題に取り組むために、刊行されている食性に関する炭素(δ¹³C)と窒素(δ¹⁵N)の同位体データが活用されました。これらのデータの分析は、以前に報告された家屋共同埋葬における同位体の違いを確証し、つまり、中期における家屋内の均質性と家屋間の差異です。成人男性と成人女性の食性間の有意な違いの欠如も再現され、これは一部のヨーロッパ新石器時代共同体における成人男性のより高品質な食性との報告と対照的です。

 次に、食性同位体と遺伝的データの両方がある、後期の5ヶ所の建物の新生児(生後0~2ヶ月)13個体に焦点が当てられました(図4G)。おもに授乳期間と母乳組成を反映している乳児の食性同位体値とは対照的に、新生児の同位体値は妊娠中の母親の食性をより密接に反映しています(ただ、授乳や代謝や病原性圧力にも影響されます)。したがって、新生児の食性同位体値は、共同体の短期の食性の差異や妊娠中の女性の特別な食事規則についての情報をもたらすかもしれません。

 5ヶ所の建物に埋葬された新生児13個体の食性同位体値を比較すると、炭素と窒素両方の建物間の違いが見つかり、これは建物固有の食性があった可能性を示唆しています(図4G)。しかし、同じ建物に埋葬された新生児では、12組のうち4組のみが遺伝的親族(1組のキョウダイと2組の2親等もしくは3親等の親族)だったのに対して、残りは親族関係ではありませんでした。5ヶ所の建物すべてで、未成年の埋葬の方が多かったので(61~100%)、一部の母親は別の場所に埋葬されたに違いなく、一方で他の母親はDNAの保存状態が悪いため、見過ごされたかもしれません。

 要約すると、親族だったか否かに関わらず、各建物に埋葬された新生児の母親は同居していた可能性のある人々と同様の食料を摂取していたかもしれません。したがって、里子保育や養子縁組や他の親族形成の仕組みが、遺伝的に親族関係にある個体とない個体にとって共有環境を築いていたのかもしれません。遺伝的親族網は、そうした慣行がチャタルヒュユク遺跡において顕著になったことを示唆しています。


●母系のつながりがチャタルヒュユク遺跡の建物内埋葬では優勢でした

 別の興味深い傾向が復元されたチャタルヒュユク遺跡の系図から浮かび上がり、家屋共同埋葬における世代間のつながりは、母系を通じていることが多くなっています(図4)。これは、mtHgの共有やYHgの違いや常染色体とX染色体で計算された親族関係係数(θ)に反映されていました。たとえば、建物6号および102号の両方には、母親を介してつながっている3世代にまたがる埋葬がありました(図4A)。建物1号の埋葬には3人の姉妹の子供が含まれていたのに対して、この姉妹の兄弟の子供(3姉妹の子供にとっては父方のイトコ)は他の場所に埋葬されていました。建物内の父系のつながりは、母系のつながりよりもずっと少なかったようです。

 この傾向を体系的に調べるために、建物内および建物間のmtHgとYHgの類似性が計算されました。建物内のmtDNAの同型接合性(均質性)は建物間よりも顕著に高く、これはチャタルヒュユク遺跡の居住全体で維持されているパターンです(図5A)。対照的に、建物内のY染色体の同型接合性は低く、建物間と同様でした。次に、常染色体とX染色体の親族関係係数が比較されました。その結果、建物内のX染色体の親族関係係数は平均的に常染色体の係数より高いと分かり、これは遺伝的つながりがおもに母系である場合に予測されます。一方で、X染色体と常染色体の親族関係係数は、異なる建物の組み合わせを考慮すると、同様でした。全体的に、これらのパターンは母系のつながりの優勢を示唆しています。以下は本論文の図5です。
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 次に、ABC(近似ベイズ計算)を用いて、チャタルヒュユク遺跡における母方居住率の事後確率、つまり、各世代における成人男性が出生家屋を離れる割合と、別の家屋で繁殖する割合が推定されました。本論文では、1ヶ所の集落内の移動性が調べられたので、母方居住は家族間の母系制と類似していることに要注意です。事後確率を計算するために、各世代で4~6人の子供が生まれた、2~4世代にまたがる村落の家族の系図に基づく模擬実験が実行されました。母方居住率は、0%(厳密な父方居住)から100%(厳密な母方居住)ので変わりました。単一および複数両方の家族埋葬がチャタルヒュユク遺跡では観察されているので(図4)、模擬実験では建物あたり1もしくは2家族のどちらかが仮定されました。3通りの要約統計量(mtDNA同型接合性、YHg同型接合性、常染色体対X染色体の親族関係係数の違い)が計算され、観察されたデータ模擬実験の結果を比較するために、棄却演算法が適用されました。その結果、建物あたり1もしくは2家族を仮定した場合には70%の母方居住が実証的結果を最適に説明する一方で、2家族を仮定した場合には100%の母方居住が最適にデータを説明した、と分かりました(図5C)。したがって、家屋共同埋葬が遺伝的につながっていた場合、そのつながり母系に高度に偏っていました。この母方居住的パターンは、両性の移住者を受け入れる共同体とは関係ないことに要注意です。


●未成年女性の埋葬の装飾の優先

 チャタルヒュユク遺跡の成人骨格の古代DNAの保存状態は、未成年より悪い者でした(平均的な内在性DNA含有量の割合は0.4%対1.7%)。並行して行なわれた研究では、これは成人遺骸の特別な埋葬処置に起因し、未成年は直接的に埋葬されたことが多かったかもしれない、と分かりました。女性の乳児と子供と思春期については、男性の乳児と子供と思春期よりも内在性DNAの割合が低い、有意ではない傾向も認められました。もしそうならば、これが示唆するのは、女性の未成年が男性の未成年より成人的な埋葬処置を受けていたことでしょう。

 別の埋葬慣行、つまり墓穴におけるビーズや貝殻や顔料や石器などの配置に関わる性別の違いの可能性が調べられました(図6A)。先行研究では、成人女性と関連する副葬品(埋葬品)のわずかにより高い頻度が見つかりましたが、その違いは統計的に有意ではありませんでした。本論文で遺伝学的に性別決定された未成年を用いると、副葬品を含む女性の埋葬は男性の埋葬より5倍頻度が高い、と分かりました。家屋共同埋葬における母方居住の兆候と同様に、この違いはチャタルヒュユク遺跡3期間すべてで観察されました。以下は本論文の図6です。
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 保存状態の偏り、つまり、男性の未成年の埋葬が木材など腐敗しやすい物質でより高頻度に装飾されていたならば、観察された性別の違いの原因になるかもしれない、と考えるのは妥当でするこの問題に取り組むために、相対的に腐敗しやすい物質や木材や籠を含めて、副葬品8種類が別々に分析されました。その結果、副葬品は8種類すべてで男性の未成年よりも女性の未成年の方で高頻度であり、女性の埋葬ではとくにビーズが豊富だった、と分かりました(図6C)。成人女性の埋葬でも同様の傾向が観察されましたが、有意ではありませんでした。チャタルヒュユク遺跡共同体は明らかに、未成年の男性よりも女性の方で墓の装飾を優先していました。


●考察

 物質文化と遺伝学的証拠の統合は、チャタルヒュユク遺跡の埋葬慣行および社会組織の以前には特徴づけられていなかった特色を明らかにし、他の新石器時代アナトリア半島の遺跡で共有されているものや、チャタルヒュユク遺跡に固有かもしれないものもあった可能性が高そうです。全体的なチャタルヒュユク遺跡の遺伝子プールを調べると、集落への性別の偏った移動の指標、つまり父方居住もしくは母方居住の遺跡(地域)間の移動性の兆候は見つかりませんでした。他の新石器時代アナトリア半島集落の証拠も、疎らですが、遺伝学[17、18]と同位体の両方で同じ方向性を示しています。したがって、遺跡間の移動性と混合は新石器時代アナトリア半島ではおもに双方向で行なわれており、それは以前の遊動的な採食民の伝統の継続を表しているかもしれません。紀元前六千年紀以後のヨーロッパで確認された父方居住的慣行は、ヨーロッパ大陸全域での農耕拡大後に、無作為な文化的変化もしくは社会的圧力への対応で出現したかもしれません。

 本論文のデータは、居住期間におけるチャヨニュ遺跡の葬儀伝統および/もしくは社会関係の驚くべき変化も明らかにしており、これはおもに遺伝学的に調べることができた未成年の埋葬を通じて観察されました。チャタルヒュユク遺跡前期では、家屋共同埋葬は遺伝的親族だったことが多いのに対して、チャタルヒュユク遺跡中期および後期では、家屋共同埋葬の遺伝区的つながりは次第に希薄になりました。同じ空間の遺伝学的に親族関係にない埋葬は、一部の上部旧石器時代および中石器時代の社会で特定された慣行[77]を想起させますが、ユーラシア西部の新石器時代およびその後の状況ではさほど一般的ではなく、遺伝学的研究ではともに埋葬された親族の密集したクラスタ(まとまり)が報告されています。この例外には新石器時代アナトリア半島の(チャタルヒュユク遺跡と同年代の)バルシン遺跡[17]と、青銅器時代ヨーロッパ中央部の墓地における特定された親族のいない低い社会経済的地位の個体群[9]が含まれるかもしれません。

 チャタルヒュユク遺跡の家屋共同埋葬構成組成における変化を説明できるものは何でしょうか?あり得る一つのモデルは儀式慣行の変化で、その場合、共同体はおそらく1年の特定の時期に、選択された建物の異なる家族(異なる遺伝的系統を表します)から個体を埋葬し始めます。これは、など、家屋の連続性や家屋に基づく記憶がさほど重視されなくなることや、非一次埋葬(つまり元々の埋葬場所から遺骨を移動させること)の頻度増加や、後期までに生じた建物内のウシの頭部や同様の設備の減少など、チャタルヒュユク遺跡の他の時間的変化と共鳴しているかもしれません。また、後期の建物はそれ以前の期間と比較して、建物内埋葬の年代構成でそれ自体により高い差異(つまり、一部の建物は未成年もしくは成年の埋葬が支配的です)を示しています。これら後期埋葬クラスタ(まとまり)の一部は家族間埋葬を表している可能性があり、それは意図的か否かに関わらず、新石器時代共同体における共同体間のつながりの形成もしくは強化に役立ったかもしれません。

 別の相互に排他的ではないモデルは、家族構成における変化に関わっています。このモデルでは、建物に埋葬された個体のかなりの割合が家族の一部で、つまりは生涯において建物と関連していた、と仮定されます。建物間の埋葬の数と年代分布は、建物を使用した全個体が建物に埋葬されたわけではなかった、と示唆していますが、成人と新生児の両方での建物内の食性同位体の類似性の観察された傾向は、家族の構成員としての共有された環境を示唆しています。したがって、チャタルヒュユク遺跡前期には、家族は核家族および/もしくは拡張家族として、おもに母系を通じてつながっていた遺伝的近縁性で組織されていた、と推測されます。家屋共同埋葬における遺伝的親族の高頻度は、アナトリア半島における紀元前九千年紀と紀元前八千年紀それ以前の新石器時代共同体を想起させます。それは、初期新石器時代の家族は遺伝的親族のつながりで組織されていたかもしれない、との見解と一致します。

 対照的に、チャタルヒュユク遺跡中期および後期では、家屋共同埋葬が遺伝的親族だった頻度は低くなりました。これは、家族構成員および親族関係の規則が、を通じて、子供および/もしくは成人の養子縁組や里子保育か、遺伝的に親族関係にない成人が新たな家族を築くか、女性の移民がチャタルヒュユク遺跡の在来女性団体に到来することを通じての、遺伝的に親族関係にない個体群を含むことへと変化したことによって説明できるかもしれません(図4E・F)。異なる遺伝的家族の妊娠中の女性がともに食事をしていたことは、同じ建物に埋葬された新生児の共有される食性値を説明できるかもしれません。副葬品の存在や埋葬処置(一次埋葬対非一次埋葬)や埋葬場所や食性同位体や異なるゲノム特性に関して、同じ建物内で見つかった遺伝的親族の有無に関わらず、個体間の有意な区別の欠如も注目されます。たとえば、建物50号で特定された遺伝的親族のいない高齢女性であるF.1710(10829)は、主室で例外的な埋葬を与えられており(図4E)、イノシシの牙や骨と石製のビーズや模造のシカの遣使のビーズの足首飾りが与えられており、F.1710は重要な社会的役割を有していたかもしれない、と示唆されます。全体的に、証拠は遺伝的非親族の他の家族構成員による偏りのない処置を示唆しており、これはその後出現した階層社会のそうした証拠とは対照的です。

 家族構成の経時的な推定される変化には複数の玄関があるかもしれず、本論文ではそのうち二つが考察されます。第一に、チャタルヒュユク遺跡で記録されている社会経済的変化の関連で、たとえば、家屋が経時的に経済的により独立するようになり(たとえば、ヒツジをさまざまな地域に放牧し、より大きな貯蔵地域を含めること)、生産水準の増加(たとえば、磨製石器や土器の数の増加)、ウシの飼育の導入、より高い移動性の兆候と景観のより広範な利用です。これらの変化によって、家族が異なる生物学的家族群の構成員を受け入れるか、募集することにつながったかもしれません。第二に親族の認識と関連しており、養子縁組や里子保育が、共同体内の新たな結びつきの構築に機能し、遠心的な経済力に直面して平等主義的関係の維持に役立ったかもしれません。民族誌的記録では、子供の循環が両方の目的で役立つ可能性を示しています。ただ、これらの機能的解釈は推測的で、再編は移民動態の変化など複数の他の過程によって引き起こされるかもしれないことに要注意です。

 これらの経時的変化とは対照的に、チャタルヒュユク遺跡の3期間すべてで、未成年の女性への例外的な埋葬処置と、建物内埋葬での母系のつながりの優勢(一方で、遺跡間の移動性水準は性別の偏りがないようです)が見つかりました。建物内の母系の関連は、必ずしも証明とはならないものの、共同体における母系の親族関係制度に対応します。未成年女性死亡時に受けた精巧な処置は、世代にまたがる女系の役割をつなぐことと関連しているかもしれません。成人および未成年の女性を優先するこれら女性中心の慣行は、チャタルヒュユク遺跡における地母神信仰および母系社会の観点で興味深く、チャタルヒュユク遺跡では、女性が家族とさまざまな社会階級内で権力を行使していたのでしょう。チャタルヒュユク遺跡の生活の他の側面における性別(sexとgenderの両方)役割の違いは、稀にしか観察されていないことに要注意です。食性同位体および骨格圧力指標もしくは成人の副葬品における性別と関連胸とする違いは限られています。女性と明らかに特定できる胸部と臀部と腹部を強調する人物像はチャタルヒュユク遺跡では後期にやっと出現し、性別(ジェンダー)役割および機能との関連は依然として不明です(たとえば、そうした人物像はおもに貝塚で発見されています)。家族および社会生活の他分野内でのチャタルヒュユク遺跡の女性の権力についてはさらなる調査を俟つべきですが、本論文では、特定の女性中心の慣行がチャタルヒュユク遺跡の居住期を通じて維持された、と結論づけることができます。

 チャタルヒュユク遺跡の状況は、ヨーロッパの多くの新石器時代および青銅器時代社会で観察された男性中心の慣行とは対照的です。ヨーロッパでは、性別の違いが報告されるたびに、父方居住やより目立つ男性の埋葬や特定の成人男性によるより高品質な食料への利用可能性が示唆されています。ヨーロッパの農耕共同体はおもに文化的には(および遺伝的にも)アナトリア半島集団の子孫だったので、ヨーロッパ大陸における農耕共同体の確立期の数十世代のうちに性別関係の再構築が起きたに違いありません。一方で、チャタルヒュユク遺跡の証拠から、男性中心の社会組織は初期食料生産社会の必然的な特徴ではなかった、と論証されます。


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