貴州省の宋代と明代の人類のゲノムデータ

 貴州省の宋代と明代の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究(Wan et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、貴州省の松山遺跡の宋代および明代の古代人8個体のゲノムデータを新たに報告し、松山遺跡の個体のほとんどは黄河流域農耕民と遺伝的に密接に関連しているものの、アジア東部南方やアジア南東部の古代人との遺伝的類似性があることも示しており、南方からの遺伝的影響も明らかになりました。また、一部の松山遺跡の個体はミャオ・ヤオ語族話者人口集団との高い遺伝的類似性を示しました。

 略称は、 SEA(Southeast Asia、アジア南東部本土)、sEA(Southern East Asia、アジア東部南方)、EA(East Asia、アジア東部)、貴州省のXJZ(Xiejiazhai、謝家寨)地域とFBT(Fenbading)地域とDLT(Dalintou)地域とYGT(Yanggoutu)地域、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、HO(Human Origins、ヒト起源)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、o(outlier、外れ値)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、HE(historical era、歴史時代)です。本論文で取り上げられるユーラシア東部南方の人類集団には、貴州省のバイク・ヤオ人(Baiku Yao)、貴州省の従江(Congjiang)県と西秀(Xixiu)地区とのミャオ人やマオナン人(Maonan)、広西チワン族自治区のチワン人(Zhuang)や大化(Dahua)地区のヤオ人、マン人(Mang)、ホム人(KhoMu)がいます。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は、貴州省では大松山(Dasongshan、略してDSS)遺跡(本論文では松山遺跡と表記されます)とラセン(Lacen)遺跡とシェンシアン(Shenxian)遺跡、広西チワン族自治区(以下、広西と省略)では隆林洞窟(Longlin Cave)と独山洞窟(Dushan Cave)と宝剣山(Baojianshan)洞窟および高峰(Gaofeng)遺跡と花橋(Huaqiao)遺跡と化図岩(Huatuyan)遺跡(高峰遺跡と花橋遺跡と化図岩遺跡の人類集団はGaoHuaHuaと呼ばれます)およびバロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡(バロン遺跡とバンダ遺跡とキンチャン遺跡と岑遜遺跡の千年紀半ばの古代人はBaBanQinCen集団と呼ばれます)、雲南省では高山(Gaoshan)遺跡と海門口(Haimenkou)遺跡、チベット高原ではゾングリ(Zongri、宗日)遺跡、福建省では奇和洞(Qihe Cave)遺跡と曇石山(Tanshishan)遺跡、台湾では漢本(Hanben)遺跡と公館(Gongguan)遺跡、山東省では博山(Boshan)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。


●要約

 中国南西部は農耕の拡大と民族形成と文化拡散にとてって重要でした。しかし、この地域の遺伝的多様性と人口構造は、とくに歴史時代では依然として充分には調べられていません。本論文は、宋および明王朝にさかのぼる貴州省の松山遺跡の古代人8個体のゲノム規模データを報告します。本論文の結果から、松山遺跡のほとんどの個体は黄河流域農耕民と密接に関連しているものの、広西と福建沿岸部とアジア南東部の古代人との類似性を含めて、アジア東部南方からの有意な遺伝的影響も示す、と明らかになります。さらに、一部の松山遺跡の個体は、ミャオ・ヤオ語族話者人口集団との高い遺伝的類似性を示しました。これらの調査結果は、歴史時代における遺伝的相互作用と人口移動の複雑さを強調しており、中国南西部における遺伝的景観および民族形成への新たな洞察を提供します。


●研究史

 中国南西部は複雑な地形と独特な気候条件の地域で、歴史的に農耕拡散と言語進化と民族形成で重要な役割を果たしてきました。先行研究では、先史時代のホアビニアン(Hòabìnhian、ホアビン文化)関連の狩猟採集民はSEA本土全域および中国南西部に広く分布しており、現在のSEA人口集団に遺伝的遺産を残した、と明らかになってきました[2、3]。近隣の広西地域の隆林洞窟の1個体は、別の深い系統を表しています。独山洞窟や宝剣山洞窟のようなその後の個体群は、この系統と福建沿岸地域の奇和洞遺跡個体関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)のような他の南方祖先系統とSEAのホアビニアン関連祖先系統[4]の混合を示しており、中国南西部における遺伝的交流は農耕の大規模な拡大前にすでに起きていた、と示唆されます。

 黄河流域からの雑穀農耕関連の人口拡散に伴って、古代ゲノムの証拠は後期新石器時代から青銅器時代における黄河関連祖先系統とSEAホアビニアン関連祖先系統の拡大を示唆します[5]。歴史時代には、多数の漢文化関連の埋葬遺跡の発見に反映されているように、中原と中国南西部との間の相互作用が激しくなりました[7、8]。これらの調査結果は地域的な移動動態の理解を深めますが、中国南西部における歴史時代の人口集団の現在の特徴づけは、とくに異なる地理的位置のさまざまな遺跡間の限られた比較分析において、依然として空間的に制約されています。

 本論文は、大松山埋葬遺跡(以前には「DSS」もしくは「松山」と呼ばれており、以後、一貫性のため「松山」と呼ばれます)の近くに位置する報告されていないXJZ地域の8個体の古代ゲノム規模データを報告しました。松山遺跡には複数の空間的に異なる埋葬群があり、以前に調べられたFBT地域やDLT地域やYGT地域が含まれます。2022年の中国の十大考古学的発見の一つに選ばれた松山遺跡は、漢および晋王朝から明王朝(紀元前206~紀元後1644年)にまたがる貴州省中央部の社会的変容に鮮やかな証明を提供します。利用可能な松山遺跡のデータ[7、8]は、刊行されている現代人[16]および古代人[2、3、5、20~31]のデータとともに共同分析され、(1)貴州省の松山遺跡個体群の遺伝的構造および中国南西部の以前に報告された古代人との違い、(2)松山遺跡人口集団が中国南部の現時点で知られている主要な祖先系統からの追加の遺伝的影響を受けたのかどうか、(3)具体的な(複数の)祖先系統およびそれに対応する割合は何か、調査が試みられました。


●貴州省の松山遺跡人口集団の古代ゲノム規模データ

 貴州省の貴安新区(Gui’an New Area)の馬場(Machang)町の松山遺跡の古代人22個体のゲノム規模データが生成されました。これらの個体は宋王朝(M52)および明王朝の期間に相当する墓から得られた標本です。特徴的な損傷パターンとミトコンドリアDNA(mtDNA)およびX染色体DNA上の汚染率の検査によって、古代DNAの真正性が評価されました。高い汚染率と低い網羅率の標本の除外後に、8個体が、5%未満の汚染率および124万パネルでの重複するSNPの数の範囲が65534~1198839ヶ所で保持されました。松山遺跡の全個体で片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の割り当てに成功しました。しかし、いくつかのハプログループの特定は、マッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)された読み取り数が少なかったため、容易ではありませんでした。

 READ第2版を用いてのさらなる親族関係分析は、XJZ個体群の1組が2親等の親族関係であることを明らかにしました。注目すべきことに、密接な親族関係の一部は、XJZやFBTのような松山遺跡内の異なる埋葬地区にまたがっています。この調査結果から、これらは孤立した集団ではなく、むしろ松山遺跡全体で共有された埋葬慣行のあるより大きな相互につながった共同体の一部だったことを示唆しており、より広範な社会と家族の交流網を反映しています。より少ない数のSNPの親族個体は、接尾辞「_親族」で分類表示され、下流分析から除外されました。最後に、ます。の親族関係にない7個体から得られた新たなデータが、アジア東部の既存の現代人[16]および古代人[2、3、5、7、8、20~31]のゲノムデータセットと組み合わされました。


●松山遺跡の人口構造の概要

 松山遺跡の人口構造の概要を得るために、まずアジア東部人口集団のPCAが実行されました。以前に観察されたように、PCAの結果はアジア東部における多様な人口構造を示しました。左側ではアジア東部南方勾配がオーストロアジア語族とオーストロネシア語族とミャオ・ヤオ語族とタイ・カダイ語族の話者人口集団によって形成される一方で、右側にはチベット・ビルマ語派とツングース語族とモンゴル語族の話者人口集団のアジア東部北方勾配があります。中央部には漢人勾配が位置し、そこに新たに報告される松山遺跡の標本が位置します。現代のアジア東部南方およびアジア南東部の人口集団に焦点を当てると、松山遺跡の1個体(M93)は他の松山遺跡の標本から逸れており、ミャオ・ヤオ語族およびタイ・カダイ語族話者とより密接にクラスタ化します(まとまります)。PCAにおける空間的偏差とADMIXTUREにおける独特な祖先組成とqpwave検定における低いp値を考慮すると、M93外れ値個体の遺伝的異質性が確証されたので、M93個体は「松山2_o」と呼ばれます。残りの松山遺跡の6個体は「松山2」と呼ばれ、他のアジア東部南方およびアジア南東部人口集団の方へのわずかな遺伝的移動を示しながら、おもに以前に報告された松山遺跡の個体群(「松山」と「DSS_HE」)および近隣の南方漢人(つまり、漢_福建と漢_広東)とまとまります(図1A)。以下は本論文の図1です。
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 ADMIXTUREおよびDyStruct分析で、遺伝的構造がさらに確認されました(図1B)。ADMIXTUREのK(系統構成要素数)=7では、松山2と松山とDSS_HEの遺伝的特性は、後期新石器時代および青銅器時代~鉄器時代における黄河流域の雑穀農耕民(つまり、黄河_LN、黄河_LBIA)とほぼ同様でした。しかし、松山人口集団はアジア南東部(SEA)に居住している人口集団(つまり、マン人、ホム人、ラオス_LN_BA、タイ_1700年前、ベトナム_LN)で見られる独特な構成要素(橙色)を有しており、それに続くのが古代の広西人口集団(つまり、BanBanQinCen、ラセン遺跡個体、シェンシアン遺跡個体)です(図1B)。同じSEA関連祖先系統(橙色)は松山2_o個体でも観察されるものの、以前に刊行された松山遺跡の外れ値2個体(松山_o1、松山_o2)には存在しません。注目すべきことに、外れ値3個体はすべて、ミャオ・ヤオ関連祖先系統(紫色)の追加の構成要素を示しており(図1B)、松山_o2は最高の割合を示し、GaoHuaHuaと遺伝的により均質になっています(図1B)。このパターンは、松山遺跡人口集団内の遺伝的多様性を反映しています。それは、近隣集団との遺伝子流動および相互作用の可能性を含めて、複雑な人口統計学的過程を示唆しており、中国南西部とアジア南東部との間の動的な移動および文化的交流を浮き彫りにしています。


●中国南西部における古代の人口集団の多様な遺伝的類似性

 これらのパターンをさらに調べるためには、松山遺跡人口集団を古代中国南西部のより広範な遺伝的枠組み内に位置づけることが重要です。そこで、f₃形式(中国南西部古代人、アジア東部の現代人/古代人;ムブティ人)の外群f₃統計を用いて、中国南西部の他の刊行されている古代人との比較において、松山遺跡人口集団の遺伝的類似性が評価されました。参照人口集団の最大f₃値の上位6集団を浮き彫りにすることで、先史時代と歴史時代両方の広西の古代の個体群が、相互におよびアジア東部南方沿岸部人(沿岸_sEA、つまり台湾_漢本と曇石山遺跡個体)と最も多くの遺伝的浮動を共有していた、と観察されました。とくに、宝剣山遺跡個体がその後SEA人口集団(つまり、ラオス_LN_BA)と遺伝的浮動を共有していた一方で、GaoHuaHuaは黄河人口集団(つまり、黄河_LBIA)のようなアジア東部北方からの影響をより多く示しました(図2A)。以下は本論文の図2です。
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 対照的に、貴州省の松山遺跡人口集団は黄河人口集団や鉄器時代台湾人(たとえば、台湾_漢本や台湾_公館)や現代漢人(たとえば、漢_上海や漢_重慶)と共有された遺伝的浮動を示しました。注目すべきことに、松山遺跡の外れ値の3個体(松山2_o、松山_o1、松山_o2)はGaoHuaHuaおよびミャオ・ヤオ語族話者集団(つまり、バイク・ヤオ_貴州、ミャオ_従江)と余分な類似性を示しました(図2B)。中国南西部の古代の人口集団は、時空間両方の差異および相互接続によって特徴づけられる、複雑で多様な遺伝的類似性を示しています。このパターンは、この地域全体で観察される現在の言語および人口集団の多様性と一致します。


●松山遺跡人口集団へのアジア東部南方の遺伝的影響の追跡

 本論文で対象となっている松山遺跡人口集団への具体的な南方からの遺伝的影響を分析するために、f₄形式(ムブティ人、参照;松山2/松山2_o、黄河)の形式的な定量的f₄検定が実行されました。視覚図は二分されたパターンを示し、すべての負の値は広西と福建とSEAの古代南方人口集団で見られました(図3A)。f₄統計(ムブティ人、松山2/松山2_o;広西、福建/SEA)が実行され、どの古代の南方人口集団が松山遺跡人口集団により近かったのか、さらに比較されました。その結果、歴史時代の広西古代人が貴州の松山遺跡人口集団と福建地域およびSEAの他の古代の人口集団よりも多くのアレル(対立遺伝子)を共有していた、と分かりました(図3B)。この観察は、南西地域の地理的近さと、歴史時代に出現した遺伝的混合兆候の強化を反映している可能性が高そうです。以下は本論文の図3です。
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 さらに、台湾_漢本関連祖先系統とBanBanQinCen関連祖先系統が松山遺跡人口集団に寄与したのかどうか判断し、共有されているアジア東部南方祖先系統と区別するために、後期新石器時代の黄河農耕民(黄河_LN)が参照として選択されます。その結果、「松山(Z得点は− 0.516)」を除いて、松山2(Z得点は0.269)とDSS_HE(Z得点は0.895)が台湾_漢本祖先系統よりもBanBanQinCen関連祖先系統の方とわずかに多くのアレルを共有している、と分かりました。対照的に、松山遺跡の外れ値3個体は、台湾_漢本祖先系統よりもGaoHuaHua関連祖先系統およびラオス_LN_BA関連祖先系統の方とより密接な関係を共有しています。


●歴史時代の中国南西部における遺伝的景観

 f₄統計の観察に基づき、qpWaveおよびqpAdmモデルを用いて、貴州省の松山遺跡人口集団の混合割合を調べるために、黄河_LNとSEA関連人口集団と歴史時代の広西古代人が近位代理として選択されました。循環戦略を用いると、新たに報告された松山2は黄河_LN(74%)とラオス_LN_BA(26%)もしくは黄河_LN(63.7%)とGaoHuaHua(17.2%)とラオス_LN_BA(19.2%)のいずれかの混合としてモデル化できます。対照的に、松山2_o個体は黄河_LN(45.9%)とGaoHuaHua(37.4%)とラオス_LN_BA(16.7%)の3方向混合としてモデル化できます(図4A)。本論文では、松山2は以前に報告された松山およびDSS_HEとほぼ均質で、同様の混合割合を共有している、と結論づけられました。したがって、松山遺跡人口集団は「松山_主要」と命名された集団に統合されました。以前に特定された松山_o2はミャオ・ヤオ語族話者人口集団とのとくに高い類似性の個体群を表しており、重要な参照として機能します。有意ではあるものの僅かに異なるミャオ・ヤオ構成要素を有している、XJZ地域における松山2_o(M93)に関する本論文の調査結果は、より広範な松山遺跡全体に存在する空間的異質性と多様な混合状況を浮き彫りにします。遠位モデルも実行され、歴史時代の中国南西部における人口動態が論証されました(図4B)。以下は本論文の図4です。
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 さらに、現在の貴州省および近隣の広西のさまざまな民族集団への、「松山_主要」および外れ値の遺伝的影響が調べられました。本論文の分析から、ミャオ人およびヤオ人の特定の下部集団(つまり、ミャオ_従江とヤオ_大化)は「松山_o2」人口集団によって1方向でモデル化できる、と明らかになりました。しかし、他のミャオ人およびヤオ人の下部集団は、「松山_主要」人口集団からのかなりの遺伝的寄与を示します。対照的に、タイ・カダイ語族話者集団はおもに、祖先のタイ・カダイ系統からのより多くの寄与を示します。混合時期の推定値から、ほとんどのミャオ・ヤオ語族およびタイ・カダイ語族話者人口集団では、平均混合事象は2000年前頃に起きた、と明らかになりました。しかし、観察された遺伝的多様性は、明確な地理的パターンには従わないようで、これらの複雑な関係をより適切に解明するには、より解像度の高い遺伝学的研究が必要です。


●考察

 古代ゲノム研究では、アジア東部の南北の人口集団間の相互作用がすでに初期新石器時代以降に始まっていた、と明らかになってきました[21]。中国南部沿岸人口集団(奇和洞遺跡個体によって表されます)がすでに北方沿岸地域から少量の遺伝的構成要素を有していたのに対して、山東沿岸の同時代の人口集団(博山遺跡個体によって表されます)は南方からの遺伝的混合を示しました。この南北の相互作用は新石器時代における農耕の拡大で大きく強化されました[20]。黄河流域の仰韶(Yangshao)文化の雑穀農耕民は、複数の経路で大規模に南方へと拡大しました。南西へは、黄河流域雑穀農耕民は横断山脈[5]、さらにはチベット高原北東部のゾングリ遺跡人口集団[24]やアジア南東部本土の人口集団[2、3]に到達しました。南方へは、黄河流域雑穀農耕民は長江流域および中国南部沿岸へと拡大し、それには台湾からが含まれます[22]。現代の漢人集団はおもに、黄河農耕民と関連する遺伝的構成要素を59~84%保持しており、歴史時代における北方人口集団の南方へのかなり大規模な移動が示唆されます。

 中国南西部の独特な地理は、南北の人口動態およびアジア南東部との相互作用にとって重要な回廊として位置づけられ、より広範なアジア東部のパターンと地域的独自性を融合する、遺伝的特性を形成しました。たとえば、広西の宝剣山遺跡の1個体はこの複雑さを例証しており、在来の隆林祖先系統と沿岸部の福建系統とアジア南東部のホアビニアン関連系統からの混合を示します[4]。一方で、1500~500年前頃の広西の人口集団は、それ以前の在来の古代の個体群とは異なっている、と分かり、アジア東部北方集団とのより強い類似性や、現代のタイ・カダイ語族およびミャオ・ヤオ語族話者とのより密接な関係を示しました[4]。

 現時点で、中国南西部からの古代ゲノムデータは依然として限られています。本論文では、松山埋葬遺跡のXJZ地域の個体群でこのデータを補完し、それには宋王朝の貴重な1個体の標本が含まれます。刊行されている松山遺跡のデータ[7、8]との統合によって、人口動態のより包括的で詳細な描写が提供され、歴史時代の中国南西部における移住事象と文化的交流と濃厚拡大の相互作用が浮き彫りにされました。本論文の結果から、宋および明王朝のXJZ地域の松山遺跡個体群は以前に刊行された松山遺跡個体群と高度な遺伝的浮動および遺伝的均質性を示す、と分かりました(図2A)。さらに、これらの個体はすべて、その祖先系統の19~70%を黄河雑穀農耕民から継承しており(図4A)、松山遺跡人口集団の大半(松山_主要)は63%以上の割合を継承していました(図4B)。これは、松山遺跡人口集団の遺伝的構造が少なくとも宋王朝以降に中原の漢人関連集団によって大きな影響を受けていた、と示唆しています。

 注目すべきことに、優勢な黄河祖先系統以外に、本論文のf₄統計はかなりの南方からの遺伝的影響を明らかにしました(図3A)。アレル共有パターンは、福建およびアジア南東部の古代人と比較して、広西古代人とのより強い類似性を論証しており、おそらくは地理的近さによって促進された南西からの遺伝子流動を示唆しています。この南方からの影響は時間的動態を示しており、ほとんどの松山遺跡個体においてBanBanQinCen関連祖先系統は台湾_漢本関連構成要素より顕著ですが、松山遺跡の外れ値個体はGaoHuaHua関連系統とのより密接な遺伝的関係を示しました。これらの調査結果は全体的に、遺伝的混合地帯としての松山遺跡人口集団を描き出しており、そこでは北方から南方への拡大が在来の南西部遺伝子プールと相互作用しました。

 歴史的記録では、漢王朝(紀元前206~紀元後220年)以降、とくに明王朝(1368~1644年)期における中原と中国南西部との間の相互作用の強化が述べられています。明代中期の前には、漢人【という分類を明代中期の人類集団に用いてよいのか、疑問は残りますが】の移住は規模では限られており、初期の移民は地元の生活様式を採用しました。しかし、明代中期以降、貴州への漢人入植者の流入は顕著に増加しました。軍事的植民に加えて、政治的および商業的交易要因がこの地域へと移民を引き寄せました。これらの移民は中原および江南地域から牛耕などの発展した農耕技術をもたらし、それは山岳地帯の生態系のミャオ・ヤオ語族話者人口集団によって行なわれていた、原始的な焼畑農耕体系を大きく変えました。雲南貴州高原の農耕の基礎は連続的に作物導入によって築かれ、まず稲作が長江中流域から長江流域経由で到達し(紀元前4800~紀元前3900年頃)、その後で四川回廊西部経由で黄河流域から雑穀が拡散して(紀元前3900~紀元前3400年頃)、コムギとオオムギがチベット高原もしくは四川から高地経路でその後に流入しました(紀元前3400~紀元前2300年頃)。この長期の農耕発展に続いて、トウモロコシやコムギや綿花やサトウキビのような多様化した作物が、明代後期に貴州へともたらされ、農耕生産性と経済発展がさらに高まりました。

 本論文の分析は、貴州省における現代の在来のミャオ・ヤオ語族およびタイ・カダイ語族話者への松山遺跡人口集団の遺伝的寄与、とくに松山_o2と特定のミャオ・ヤオ語族話者集団との間の強い遺伝的関係を明らかにしており(図2B)、このパターンは以前に示唆されたGaoHuaHuaと松山_o2のようなミャオ・ヤオ語族関連の祖先と類似しています[4、8]。考古学的および言語学的証拠から、ミャオ・ヤオ語族祖語話者人口集団はかつて、長江中下流域に居住していた、と示唆されています。さらに、貴州省と中国南西部は、中国における現代のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の主要な分布地域です。この地理的および人口統計学的状況を考えると、貴州省の松山遺跡で特定された外れ値個体は、ミャオ・ヤオ語族話者人口集団と関連する祖先の系統を表している可能性が高そうで、その系統は、歴史時代の移住強化の前およびその期間における、地域的な人口統計学的景観の一部でした。さらに、現在の中国南西部における多民族構成の状況内では、貴州省におけるこれら現代の在来のミャオ・ヤオ語族およびタイ・カダイ語族話者人口集団は、松山遺跡人口集団からの遺伝的遺産のみではなく、地元のミャオ人やヤオ人やチワン人やマオナン人など、他の民族集団との最近の混合によっても特徴づけられます(図4B)。これらの調査結果は全体的に、長期の在来人口集団とさまざまな移住の波との間の相互作用から生じた、貴州省における豊かな民族形成の歴史を強調します。


●まとめ

 本論文は、貴州省の松山遺跡の報告されていなかったXJZ地域で発掘された古代人8個体から得られた新たなゲノム規模データを報告し、歴史時代の中国南西部における遺伝的景観および人口相互作用の包括的な分析を提供します。本論文では、松山遺跡個体群の大半(松山_主要)は黄河流域の雑穀農耕人口集団とかなりの遺伝的祖先系統を共有し、アジア南東部および広西人口集団からの顕著な影響が伴う、と明らかになります。さらに、外れ値3個体、とくに松山_o2は、地元のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と特有の類似性を示しており、中国南西部の現在の人口集団、とくにミャオ・ヤオ語族およびタイ・カダイ語族話者人口集団の遺伝的多様性を形成した複雑な過程に関する、貴重な手がかりを提供します。これらの調査結果は、南北の祖先系統が混合したこの地域における人口動態の理解を深め、遺伝的および文化的相互作用としての中国南西部の歴史的役割を浮き彫りにします。しかし、松山遺跡人口集団への南方からの影響の具体的な経路は、直接的な沿岸部の相互作用だったのか、内陸部貴州人口集団経由での間接的交流だったのか、依然として不明です。中国南西部におけるこれらの複雑な人口動態および進化的過程を解明するには、さらなる学際的研究が必要です。


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[29]Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
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[30]Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
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[31]Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
https://doi.org/10.1126/science.aar7711
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