福井憲彦『教養としての「フランス史」の読み方』
PHP文庫の一冊として、PHP研究所より2025年4月に刊行されました。本書の親本は2019年にPHP研究所より刊行されました。電子書籍での購入です。疎いフランス史の復習になると思い、読みました。本書が強調しているのは、国境や「民族」など現在の枠組みを過去に当てはめないことです。現在の枠組みを大前提として過去、とくに前近代を見ていけば、それだけ妥当ではない理解や見落としが多くなり、それはフランスやヨーロッパに限らず、世界のどの地域の歴史にも当てはまることなのでしょう。これは私のような歴史愛好者の多くが認識していることでしょうが、一方で私も含めてそれを徹底できない歴史愛好者は少なくないでしょうから、本書のような一般向けの文庫で強調されることには意義があると思います。
本書の主要な対象は時間的にはフランク王国以降ですが、その前史としてのガリア期やローマ期も簡潔に取り上げられています。ガリア人は現代フランス人の起源の一つですが、その後でゲルマン系集団も含めてさまざまな人々が流入し、西ローマ帝国が崩壊する過程で、フランク王国が生まれます。本書はフランク王国について、「フランク」という民族集団が存在したわけではなく、「フランク人」とは、さまざまなゲルマン系民族集団の集合体とローマ人認識されていたことを指摘します。本書は古代や中世と現代の大きな違いとして、属人原理から属地原理への移行を指摘します。フランク王国ではオイル語が中心となり、その系統が現在のフランス語につながりますが、オイル語の源流にはラテン語が含まれており、現在のフランス語にはラテン語起源の言葉が多く存在します。ガリア南部では話されていたオック語は、フランス南部では20世紀初頭まで日常的に使用していた人もいたそうです。オイル語とオック語はかなり異なるので、フランク王国ではラテン語が通訳言語のように用いられていたのではないか、と本書は推測します。フランク王国のガリア支配については、本書でもカトリックへの改宗が重視されています。
フランク王国からフランスへの転換点として本書が重視しているのはカロリング朝からカペー朝への交替で、とくにフィリップ2世を、フランス王国発展の起点として評価しています。フランス国王はそれまで、内外の敵の制圧を求められていましたが、フィリップ2世以降、統治能力が求められるようになっていきます。パリの基礎を築いたのも、フィリップ2世でした。ただ、この時点では王の直轄地は王領地に限られており、フィリップ2世が没してから約100年後に起きた「英仏百年戦争」にしても、現在のイギリスとフランスを想定した「国家間戦争」と把握することは妥当ではないわけです。本書はこの百年戦争を歴史の大きな転換点と評価しており、後の絶対君主へとつながっていく王権強化の契機になったことと共に、国家の領域が個々の人間関係とは別に確立されていきます。イタリア戦争の最中のフランソワ1世の時代には、フランス国王がフランス国内の高位聖職者の任命権を有する、とローマ教皇に認めさせたことで、高位聖職者の供給源だった貴族層に対する国王の権力強化につながりました。フランソワ1世の治世ではさらに、教会組織を利用した行政機構の強化も図られ、国王が直接的に住民を把握する起点となるとともに、公文書におけるフランス語の使用が義務づけられ、現在のフランスへとつながる基盤が整備されていきます。一方で、この時期の「宗教改革」の影響とその結果としての「宗教戦争(ユグノー戦争)」によって、フランスは政治的に混乱し、王権強化は一時的に停滞します。
この「宗教戦争(ユグノー戦争)」を経て17世紀には、フランスは「絶対王政」へと進みますが、フロンドの乱に見られるように、一直線に進んだわけではありませんし、ルイ14世がユグノーを弾圧し、ユグノーの優れた技術者や職人や商人がフランスから亡命したことで、経済的には大きな痛手となりました。ルイ14世の時代に王権強化が進んだものの、諸侯による地方支配も根強く、この時代の王権強化に限界があったことも本書は指摘します。この時期にフランスがイギリスに勝てなかったのも、充分に軍隊を動かす前提となる国力と経済力と金融財政制度の差だろう、と本書は指摘します。この時期に、フランスでは「知の共有化」が進み、それは書籍や新聞による情報とそれに基づく議論の場によって達成されたものでした。フランス革命の前提にそうした「知の共有化」があったことを、本書は重視しています。
そのフランス革命については、立憲王政につながる可能性も充分にあったものの、ルイ16世の優柔不断な態度が災いし、立憲王政に変わる機会を逃してしまった、と本書は評価しています。このフランス革命の対内的にも対外的にも厳しい状況の中からナポレオンが台頭し、皇帝に即位するわけですが、本書はナポレオンについて、自己宣伝に長けた人物で、人々が求めていたことをよく理解していた、と評価しています。ナポレオンの退位から復古王政と七月革命と二月革命を経て第二帝政が成立する目まぐるしい政治的激動の過程で、急激ではないものの、フランスでも産業革命が進展していき、本格的に展開するのは第二帝政期でした。第二帝政は時代錯誤的な政権と長く考えられてきましたが、近年ではある種の「開発独裁」との認識が有力になりつつあるそうで、パリの大規模な改造も行なわれています。第二帝政崩壊後の第三共和政において、政治が安定してくると、それまで否定的に考えられていたフランス革命への評価が高まり、フランス国民にとっての共有すべき歴史的記憶で歴史的根拠である、との認識が定着していきます。
第一次世界大戦では、フランス北部が主戦場となり、この地域はフランスの工業地帯で、石炭などの資源地でもあったため、その荒廃からの経済の立て直しに1920年代のフランスは苦しみます。さらに、すでに第一次世界大戦前から高齢化がじょじょに進んでいたフランスにとって、第一次世界大戦で青年期および壮年期の男性が多数犠牲となったことも、経済的打撃となりました。そこで第一次世界大戦後のフランスでは、移民が推奨されます。世界恐慌では、フランスへの影響はイギリスやイタリアやドイツよりも遅かったことが指摘されており、その理由として、当時のフランスでは経済の中心を自己資本で運営している中小企業が占めていたことや、小規模な自営農層が厚かったこともあるのではないか、と本書は推測しています。とはいえ、フランスでも1931~1932年にかけて経済は顕著に悪化し、政治も不安定化する中で第二次世界大戦が勃発します。本書は第二次世界大戦後のフランスの動向も、アルジェリア独立戦争といった植民地の喪失やヨーロッパの経済的および政治的統合など簡潔にまとめており、現在のヨーロッパ連合(EU)にしても、この先変わっていくだろう、と予想しています。本書はEUについて、核になるのはフランスとドイツで、どちらか一方でもEUから外れたらEUは終わりで、ヨーロッパにおいて国家間の対立が激化するのではないか、と懸念しています。
本書の主要な対象は時間的にはフランク王国以降ですが、その前史としてのガリア期やローマ期も簡潔に取り上げられています。ガリア人は現代フランス人の起源の一つですが、その後でゲルマン系集団も含めてさまざまな人々が流入し、西ローマ帝国が崩壊する過程で、フランク王国が生まれます。本書はフランク王国について、「フランク」という民族集団が存在したわけではなく、「フランク人」とは、さまざまなゲルマン系民族集団の集合体とローマ人認識されていたことを指摘します。本書は古代や中世と現代の大きな違いとして、属人原理から属地原理への移行を指摘します。フランク王国ではオイル語が中心となり、その系統が現在のフランス語につながりますが、オイル語の源流にはラテン語が含まれており、現在のフランス語にはラテン語起源の言葉が多く存在します。ガリア南部では話されていたオック語は、フランス南部では20世紀初頭まで日常的に使用していた人もいたそうです。オイル語とオック語はかなり異なるので、フランク王国ではラテン語が通訳言語のように用いられていたのではないか、と本書は推測します。フランク王国のガリア支配については、本書でもカトリックへの改宗が重視されています。
フランク王国からフランスへの転換点として本書が重視しているのはカロリング朝からカペー朝への交替で、とくにフィリップ2世を、フランス王国発展の起点として評価しています。フランス国王はそれまで、内外の敵の制圧を求められていましたが、フィリップ2世以降、統治能力が求められるようになっていきます。パリの基礎を築いたのも、フィリップ2世でした。ただ、この時点では王の直轄地は王領地に限られており、フィリップ2世が没してから約100年後に起きた「英仏百年戦争」にしても、現在のイギリスとフランスを想定した「国家間戦争」と把握することは妥当ではないわけです。本書はこの百年戦争を歴史の大きな転換点と評価しており、後の絶対君主へとつながっていく王権強化の契機になったことと共に、国家の領域が個々の人間関係とは別に確立されていきます。イタリア戦争の最中のフランソワ1世の時代には、フランス国王がフランス国内の高位聖職者の任命権を有する、とローマ教皇に認めさせたことで、高位聖職者の供給源だった貴族層に対する国王の権力強化につながりました。フランソワ1世の治世ではさらに、教会組織を利用した行政機構の強化も図られ、国王が直接的に住民を把握する起点となるとともに、公文書におけるフランス語の使用が義務づけられ、現在のフランスへとつながる基盤が整備されていきます。一方で、この時期の「宗教改革」の影響とその結果としての「宗教戦争(ユグノー戦争)」によって、フランスは政治的に混乱し、王権強化は一時的に停滞します。
この「宗教戦争(ユグノー戦争)」を経て17世紀には、フランスは「絶対王政」へと進みますが、フロンドの乱に見られるように、一直線に進んだわけではありませんし、ルイ14世がユグノーを弾圧し、ユグノーの優れた技術者や職人や商人がフランスから亡命したことで、経済的には大きな痛手となりました。ルイ14世の時代に王権強化が進んだものの、諸侯による地方支配も根強く、この時代の王権強化に限界があったことも本書は指摘します。この時期にフランスがイギリスに勝てなかったのも、充分に軍隊を動かす前提となる国力と経済力と金融財政制度の差だろう、と本書は指摘します。この時期に、フランスでは「知の共有化」が進み、それは書籍や新聞による情報とそれに基づく議論の場によって達成されたものでした。フランス革命の前提にそうした「知の共有化」があったことを、本書は重視しています。
そのフランス革命については、立憲王政につながる可能性も充分にあったものの、ルイ16世の優柔不断な態度が災いし、立憲王政に変わる機会を逃してしまった、と本書は評価しています。このフランス革命の対内的にも対外的にも厳しい状況の中からナポレオンが台頭し、皇帝に即位するわけですが、本書はナポレオンについて、自己宣伝に長けた人物で、人々が求めていたことをよく理解していた、と評価しています。ナポレオンの退位から復古王政と七月革命と二月革命を経て第二帝政が成立する目まぐるしい政治的激動の過程で、急激ではないものの、フランスでも産業革命が進展していき、本格的に展開するのは第二帝政期でした。第二帝政は時代錯誤的な政権と長く考えられてきましたが、近年ではある種の「開発独裁」との認識が有力になりつつあるそうで、パリの大規模な改造も行なわれています。第二帝政崩壊後の第三共和政において、政治が安定してくると、それまで否定的に考えられていたフランス革命への評価が高まり、フランス国民にとっての共有すべき歴史的記憶で歴史的根拠である、との認識が定着していきます。
第一次世界大戦では、フランス北部が主戦場となり、この地域はフランスの工業地帯で、石炭などの資源地でもあったため、その荒廃からの経済の立て直しに1920年代のフランスは苦しみます。さらに、すでに第一次世界大戦前から高齢化がじょじょに進んでいたフランスにとって、第一次世界大戦で青年期および壮年期の男性が多数犠牲となったことも、経済的打撃となりました。そこで第一次世界大戦後のフランスでは、移民が推奨されます。世界恐慌では、フランスへの影響はイギリスやイタリアやドイツよりも遅かったことが指摘されており、その理由として、当時のフランスでは経済の中心を自己資本で運営している中小企業が占めていたことや、小規模な自営農層が厚かったこともあるのではないか、と本書は推測しています。とはいえ、フランスでも1931~1932年にかけて経済は顕著に悪化し、政治も不安定化する中で第二次世界大戦が勃発します。本書は第二次世界大戦後のフランスの動向も、アルジェリア独立戦争といった植民地の喪失やヨーロッパの経済的および政治的統合など簡潔にまとめており、現在のヨーロッパ連合(EU)にしても、この先変わっていくだろう、と予想しています。本書はEUについて、核になるのはフランスとドイツで、どちらか一方でもEUから外れたらEUは終わりで、ヨーロッパにおいて国家間の対立が激化するのではないか、と懸念しています。
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