河南省の中期新石器時代遺跡の古代人のゲノムデータ
河南省の中期新石器時代遺跡で発見された古代人のゲノムデータを報告した研究(Sun et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、仰韶文化の地域的異形となる秦王寨文化に分類されている、河南省鄭州市の站馬屯遺跡で発見された古代人12個体のゲノムデータを報告し、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も決定されました。站馬屯遺跡個体群は、仰韶文化の中核地域および周縁部地域の既知の個体群、および山東省の西夏侯遺跡個体群と遺伝的に均質で、アジア東部南方の新石器時代集団からの遺伝的影響はなかった、と推測されました。これによって、仰韶文化の拡大が単なる文化伝播ではなく、人口拡大を伴っていた、との見解が改めて裏づけられました。
略称は、UDG(uracil-DNA-glycosylase、ウラシルDNAグリコシラーゼ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、HO(Human Origins、ヒト起源)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)、WLR(West Liao River、西遼河)、cM(centimorgan、センチモルガン)、C(シトシン)、T(チミン)、A(アデニン)、G(グアニン)です。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、秦王寨(Qinwangzhai)文化、大河村(Dahecun)文化、仰韶(Yangshao)文化、大汶口(Dawenkou)文化、後期大汶口文化(Late Dawenkou、略してLDWK)、龍山(Longshan)文化、斉家(Qijia)文化、紅山(Hongshan)文化、裴李崗(Peiligang)文化、屈家嶺(Qujialing)文化、崧沢(Songze)文化、大渓(Daxi)文化、馬家窯(Majiayao)文化です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、河南省では站馬屯(Zhanmatun)遺跡と汪溝(Wanggou)遺跡と暁塢(Xiaowu)遺跡と西山(Xishan)遺跡と平糧台(Pingliangtai)遺跡と仰韶村(Yangshaocun)遺跡と青台(Qingtai)遺跡、山東省では西夏侯(Xixiahou)遺跡と博山(Boshan)遺跡と扁扁(Bianbian)遺跡と小高(Xiaogao)遺跡と小荊山(Xiaojingshan)遺跡、甘粛省では佛爺廟湾(Foyemiaowan)遺跡、中国南方ではバロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡(これらの遺跡の千年紀半ばの古代人はBaBanQinCen集団と呼ばれます)、台湾では漢本(Hanben)遺跡です。
また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事の以下の翻訳では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
黄河中流域起源の仰韶文化は、新石器時代の中国における最も影響力のある考古学的分かの一つです。中核的な仰韶文化の遺跡と、秦王寨文化など仰韶文化の地域的異形を表す文化の遺跡との間に遺伝的下部構造があったのかどうか、長く議論されてきました。秦王寨文化に属していた站馬屯遺跡の埋葬から発掘されたヒト遺骸は、文化の拡大に伴う人口動態の推測にとって理想的な資料を提示します。本論文では、站馬屯遺跡で得られたヒト12個体の遺骸からのゲノム規模データが分析されました。その結果、站馬屯遺跡個体群は、仰韶文化中核地域およびその周縁部のすべての刊行されている仰韶文化関連個体や、東方では大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団と遺伝的に均質で、南方の新石器時代アジア東部南方人からの遺伝的影響の痕跡はなかった、と示唆されました。本論文の調査結果は、仰韶文化の拡大についての人口拡散モデルを裏づけ、単なる文化的拡散ではなくヒトの移動が、中国北部全域における仰韶文化関連祖先系統の拡大に支配的な役割を果たしました。
●研究史
7000~5000年前頃まで、仰韶文化は中国北部で最も影響力のある考古学的文化の一つです。仰韶文化はおもに黄河流域の中原地域(おもに現在の河南省と陝西省と山西省)で栄えました。河南省では3000ヶ所以上の仰韶文化関連の遺跡が発見されています。仰韶文化の影響は黄河中流域の境界を越えて近隣地域に達し、それには現在の河北省や青海省や甘粛省や寧夏回族自治区や内モンゴル自治区(モンゴル南部)や四川省が含まれます。重要な文化的問題は、仰韶文化がどのように拡大したのかで、人口拡散モデル(つまり、仰韶文化集団の拡大に伴う遺伝的相互作用)なのか、文化拡散モデル(つまり、在来の狩猟採集民集団が仰韶文化集団から遺伝的影響を受けずに仰韶文化を採用しました)なのか、ということです。
最近の古代DNA研究は、仰韶文化がアジア東部人の最も重要な生物学的起源の一つでもあったことを浮き彫りにしました。仰韶文化関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は周辺の新石器時代集団の祖先構成要素の一つを形成し、それには黄河上流域の斉家(Qijia)文化関連集団や紅山(Hongshan)文化関連集団や山東の大汶口文化関連集団が含まれます[1~3]。これまでに、仰韶文化関連個体群のゲノム規模SNPデータは小さな標本規模の3ヶ所の考古学的遺跡に限られており、それは、河南省の汪溝遺跡(鄭州市)の7個体と暁塢遺跡の1個体と河南省西部の仰韶村遺跡(三門峡市)です[1、4]。仰韶文化の人口統計学的歴史は、さらに考察されねばなりません。
興味深いことに、仰韶文化関連集団の顔面の形質では地域的差異が観察されました。秦王寨文化(もしくは大河村文化)関連の遺跡の一つである、河南省の中央部地域の站馬屯は、仰韶文化の周縁部遺跡群に属していました。站馬屯遺跡個体群の顔面の形質は汪溝遺跡や西山遺跡や平糧台遺跡の秦王寨文化関連集団と類似していましたが、仰韶文化の中核地域、つまり陝西省南部や山西省南部や河南省西部の集団とは異なっていました。站馬屯遺跡集団は山東省の大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団とも類似性を示しました。後頭骨の変形や抜歯など一部の慣行が站馬屯遺跡や汪溝遺跡や西夏侯遺跡で観察されましたが、仰韶文化の中核地域では観察されませんでした。仰韶文化の中核地域遺跡と、秦王寨文化など仰韶文化の地域的変形を表している文化との間に遺伝的下部構造があったのかどうか、祖先の違いが仰韶文化の中核地域と站馬屯遺跡との間の顔面形態の区別を説明できるのかどうか、古代DNAデータの不足のため依然として判断できません。
さらに、仰韶文化後期までに起きた、山東の大汶口文化の西方への拡大と中国南部の屈家嶺文化の北方への拡大は、秦王寨文化の発展を促しました。秦王寨文化集団と山東および中国南部集団との間の文化的相互作用に伴っていた遺伝的相互作用の程度は、まだ判明していません。これらの問題に取り組むために、仰韶文化後期となる中国北部の河南省鄭州市の站馬屯考古学的遺跡(図1a)から発見されたヒト標本のゲノム規模配列決定が実行され、站馬屯遺跡集団の人口統計学的歴史の調査および周辺人口集団との遺伝的関係の調査が可能になりました。以下は本論文の図1です。
●站馬屯遺跡個体群のゲノム規模データの生成
站馬屯遺跡で新たに収集された14個体について、UDG処理のされた二本鎖配列決定ライブラリが、歯および錐体骨から抽出されたDNAを用いて生成されました。まず、站馬屯遺跡から収集されたヒト遺骸すべてが、浅いショットガン戦略によって検査されました。站馬屯遺跡個体群は、低い現代人による汚染率と、典型的な古代DNAの損傷パターンを示しましたが、124万SNPパネルでは2万ヶ所未満のSNP部位しかなく(疑似二倍体遺伝子型決定構築のため断片の両端の最初の9塩基対は隠されました)、さらなる124万捕獲実験のため選択されました。
新たに生成された站馬屯遺跡の14個体のうち8個体はショットガン配列決定され、分析に充分な遺伝子量が生成されて、残りの6個体は124万パネルで濃縮後に配列決定されました。古代DNAの真正性を評価するために、配列決定データのいくつかの特徴が確認されました。全個体が古代DNA損傷の典型的パターン(5’末端の最初の部位における20%超のC→T置換率と、3’末端の最初の部位における19%のG→A置換率)と、短い断片長(45.9766~58.5035塩基対)を示しました。6個体が生物学的男性、8個体が生物学的女性と特定されました。
次に、現代人による汚染率が推定されました。ミトコンドリアに基づくプログラムSchmutziを用いて、各個体のmtDNA汚染率が推定されました。その結果、すべての女性は低いmtDNA汚染率を示す、と分かりました。HapConXおよびANGSDソフトウェアを適用して、生物学的男性のX染色体の汚染率が推定されました。低いX染色体汚染率(つまり、5%未満)ではあるもののわずかにより高い割合のmtDNA汚染率(つまり、5%超)の男性については、これらの標本の汚染率は低い、と判断されました。男性個体M59のみで高い割合のX染色体の汚染率が観察されました。全個体で核汚染率の推定に用いられた、ContamLD分析も実行されました。参照パネルとして「SG」を用いると、新たに生成された個体群のContamLDの結果は、警告「モデル_誤特定」を示しました。警告「モデル_誤特定」は通常、網羅率がひじょうに低いことを示唆するので、この推定値は信用できないかもしれません。参照パネルとして「124万」を用いると、3個体を除く全個体が、警告「モデル_誤特定」を示す、と分かりました。これら3個体のうち、個体H217およびM59は警告「超_高度_汚染」を示し、個体W5には警告が出ず、個体W5については信頼できるContamLDの結果と低い核汚染率が示唆されます。したがって、ContamLDの結果に基づいて、下流分析から個体H217およびM59が除外されました。
内在性ヒトDNA含有量の範囲は0.39~15.72%でした。古代DNAのパターンを軽減するために、各個体について断片両端の最初の9塩基対が切り落とされ、124万SNPパネルで疑似二倍体遺伝子型が呼び出されて、20230~321182ヶ所の範囲の124万SNPが得られました。データ管理に合格した新たに配列決定された站馬屯遺跡の12個体と、以前に刊行された暁塢遺跡と汪溝遺跡の仰韶文化関連の8個体のうち、新たに生成された站馬屯遺跡個体において最大で2親等の親族関係が4組検出されました。下流分析において、密接な親族関係の個体群によってもたらされる偏りを避けるために、より少ない数のSNPの個体が除去され、集団遺伝学的分析では親族関係にない8個体が得られました。10万ヶ所以上のSNPがある新たに生成された站馬屯遺跡の5個体について、ROHパターンが推定されました。多数の長いROH断片(20cM超)は最近の近親交配事象を、短いROH断片(4~8cM)の過剰は小さな有効人口規模を示唆しているかもしれません。本論文では、HapROHは站馬屯遺跡個体群では長いもしくは短いROHのどちらかを検出しませんでした。
●站馬屯遺跡個体群の遺伝的起源
AADRのHOデータセットの現在のアジア東部人口集団に基づくPCAを用いて、新たに生成された站馬屯遺跡個体群の遺伝的特性が調べられました。その結果、站馬屯遺跡個体群(黄河_站馬屯_仰韶と分類表示されます)は以前に刊行された暁塢遺跡(黄河_暁塢_仰韶と分類表示されます)や汪溝遺跡(黄河_汪溝_仰韶と分類表示されます)や仰韶村遺跡(黄河_仰韶村_仰韶と分類表示されます)の仰韶文化関連個体群とかなり重複する、と分かりました。PCAから得られたのと同様の傾向は、モデルに基づくADMIXTURE分析で観察されました。K(系統構成要素数)=4では、黄河_站馬屯_仰韶個体群は黄河_汪溝_仰韶と同様の遺伝的特性を示しました。f₃形式(黄河_站馬屯_仰韶、X;ヨルバ人)の外群f₃統計では、最上位の兆候は黄河_汪溝_仰韶で観察され、それに続くのが黄河_仰韶村_龍山と黄河_仰韶村_仰韶と、新石器時代黄河中流域関連祖先系統を有する他の人口集団(西夏侯_LDWKや佛爺廟湾_唐や黄河_LN)です(図2a)。これらの結果は、黄河_站馬屯_仰韶と以前に特定された黄河中流域関連祖先系統との間の密接な遺伝的関係を裏づけました。以下は本論文の図2です。
考古学的研究は、仰韶文化後期における秦王寨文化の領域内の、中原と山東と長江流域の間の頻繁な文化的相互作用を示唆しました。遺伝的相互作用が秦王寨文化関連集団と周辺文化社会との間の文化的伝達に関わっていたのかどうかは、依然として不明です。本論文は秦王寨文化関連系統の代表として站馬屯遺跡個体群を用いて、站馬屯遺跡集団が仰韶文化の中核地域の仰韶文化関連集団(黄河_仰韶村_仰韶と黄河_暁塢_仰韶によって表されます)と比較して、他の系統を有しているのかどうか、定量的に調べました。これまで長江の稲作農耕民関連のゲノムが欠けていることに要注意で、中国南部沿岸関連人口集団は通常、稲作農耕民の遺伝的特性を表しているものとして使用されています。
まず、f₄形式(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、黄河_仰韶村_仰韶/黄河_暁塢_仰韶)のf₄統計が実行されました。すべてのf₄統計で有意ではないf₄値(− 2.848 < Z-scores < 2.259)が得られ(つまり、124万パネルでの1万ヶ所超のSNPでのすべてのf₄統計はZ得点が3未満を示しました)、站馬屯遺跡集団はアジア東部南方関連祖先系統(BaBanQinCen集団および台湾_漢本によって表されます)および山東(博山遺跡と扁扁遺跡と小高遺跡と小荊山遺跡の個体群から構成される、初期新石器時代狩猟採集民関連系統によって表されます)と大汶口文化関連の山東集団(接頭辞「DWK」で示されます)からの追加の遺伝子流動を受けなかった、と示唆されます。対でのqpAdm分析も、仰韶文化の中核地域集団(黄河_仰韶村_仰韶と黄河_暁塢_仰韶によって表されます)と黄河_站馬屯_仰韶が単一の祖先系統の流れに由来したことを裏づけます(図2b)。仰韶文化関連の人々は生物学的に均質な集団に発展した、と示唆されました。しかし、黄河_仰韶村_仰韶と黄河_暁塢_仰韶を表すのが1個体のみであることに要注意です。仰韶文化の中核地域からのより古いゲノムが、統計的検出力の改善に必要です。
f₄統計および対でのqpAdm分析で、黄河_汪溝_仰韶と黄河_站馬屯_仰韶のゲノムも比較されました。対でのqpAdm分析は、黄河_汪溝_仰韶と黄河_站馬屯_仰韶との間の遺伝的均質性を裏づけました(図2b)。f₄形式(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、黄河_汪溝_仰韶)のf₄統計では、2組を除いてすべてで、有意ではないf₄値(− 1.283 < Z-scores < 2.716)が得られました(つまり、124万パネルでの1万ヶ所超のSNPでのすべてのf₄統計ではZ得点が3未満でした)。さらに、すべてのSNPに基づくこれら2点の有意なf₄兆候は、塩基転換(transversion、ピリミジン塩基とプリン塩基との間の置換)のみのSNPでは裏づけられず(Z得点は0.986と0.337)、古代DNA損傷がWLR_MN/WLR_BAと黄河_汪溝_仰韶との間の追加の誘引をもたらしたかもしれない、と示唆されます。黄河_站馬屯_仰韶と黄河_汪溝_仰韶についての対でのqpAdmモデル化の堅牢性は、WLR_MN/WLR_BAを外群一式に追加することによって確証されました。
全個体のmtHgは典型的なアジア東部系で、つまりはそれぞれAとDとFとGとZです。これらのmtHgは、青台遺跡の仰韶文化関連個体群などアジア東部北方人において優勢でした。6個体は生物学的男性と特定され、そのすべてでYHgの割り当てに成功しました。父系の起源はYHgのOとNとCによって表され、これらのYHgはおもにアジア東部および北東部に分布していました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)に基づく結果も、站馬屯遺跡人口集団とアジア東部北方関連系統との間の遺伝的つながりを裏づけました。
●站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の遺伝的関係
站馬屯遺跡に関する頭蓋計測研究では、秦王寨文化関連の站馬屯遺跡個体群は山東の西方地域の大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団ともいくらかの類似性を示した、と示唆されました。本論文では、站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の遺伝的関係の調査にのみ焦点が当てられました。外群f₃統計では、站馬屯遺跡集団は西夏侯_LDWKと密接な関係を示しました(図2a)。f₄統計(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、西夏侯_LDWK)のほとんどで、有意ではないf₄値(− 2.409 < Z-scores < 2.625)が得られました。Xが日本_縄文の場合にのみ、f₄統計(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、西夏侯_LDWK)で有意なf₄値(Z得点は3.178)が得られました。しかし、站馬屯遺跡個体群と日本_縄文との間の遺伝的誘引は塩基転換のSNPでのf₄統計では裏づけられませんでした。対でのqpAdm分析では、日本_縄文を外群一式に含めた場合でさえ、一連の外群人口集団は站馬屯遺跡個体群と西夏侯_LDWKとの間の遺伝的特性を区別できませんでした(図2b)。要するに、本論文のゲノムの結果は、站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の遺伝的均質性を裏づけました。站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の骨格の特徴の類似性が、遭遇した同様の外部環境圧によって説明できるのかどうかは、将来の研究のひじょうに興味深い主題となるでしょう。
●考察
本論文では、仰韶文化がどのように拡大したのか、調べるのかが目的でした。仰韶文化の拡大は、人口拡散モデル(つまり、仰韶文化集団の拡大に伴う遺伝的相互作用)か、あるいは文化的拡散モデルのどちらだったのでしょうか?秦王寨文化は仰韶文化の地域的異形でした。以前に刊行された仰韶文化関連のゲノム規模データと新たに生成された秦王寨文化関連のゲノム規模データの共同分析によって、秦王寨文化集団の遺伝的組成は仰韶文化の単一供給源によって適切に説明できる、と観察されました。節約的なモデル(つまり、より複雑なモデルよりも少ない供給源でのモデルを優先します)下では、中原の仰韶文化と秦王寨文化との間の遺伝的均質性は、単純な文化拡散ではなく人口拡散が中原における仰韶文化の拡大に支配的役割を果たした、と本論文は主張します。
とくに、站馬屯遺跡個体群と山東の後期大汶口文化関連の西夏侯遺跡個体群との間の遺伝的類似性は、地域間の相互作用について興味深い問題を提起します。定量分析ではアジア東部南方もしくは山東の大汶口文化の固有系統から站馬屯遺跡個体群への遺伝子流動は検出されませんでしたが、これらの集団間で共有された文化的慣行(たとえば、後頭骨変形)から、文化的交流は大汶口文化から仰韶文化関連人口集団への限定的な生物学的接触とともに起きた、と示唆されます。この逆説は新石器時代の相互作用の複雑さを浮き彫りにし、技術および儀式的慣行は交易網もしくは社会的同盟を介して、実質的な人口移動なしで拡散するかもしれません。
利用可能なゲノムでは広範な時空間的空白があったことに幼虫で、それによって現時点では、仰韶文化人口集団の詳細な遺伝的構造を説明する能力が制約されています。甘粛・青海やホータオや長江地域など周辺地域の仰韶文化関連遺跡からの追加のゲノムデータ取得は、文化的変化に伴う人口動態の推測に役立つかもしれません。さらに、中原で仰韶文化に先行するゲノム(初期新石器時代の裴李崗文化など)はありませんでした。黄河下流域とアムール川と中国南部の以前に刊行された狩猟採集民の標本は、仰韶文化農耕民の遺伝的形成を適切に説明できないかもしれません。したがって、本論文では仰韶文化の祖先の形成は考察されませんでした。裴李崗文化関連遺跡からのゲノムデータの取得は、仰韶文化の遺伝的形成過程を明らかにするでしょう。
●まとめ
仰韶文化は、中国の黄河中流域および周辺地域に紀元前5000~紀元前2900年頃まで存在した新石器時代文化でした。仰韶文化は先史時代の中国において最も影響力のある考古学的文化で、中華文明の初期の発展に大きな意味を有していました。仰韶文化の影響圏は北方ではホータオ地域にまたがり、東方では現在の山東省の大汶口文化、南方では長江地域の崧沢文化および大渓文化、北西では馬家窯文化に囲まれていました仰韶文化の周縁部遺跡となる秦王寨文化関連の站馬屯遺跡で得られた12人の遺骸からのゲノム規模データの分析によって、仰韶文化の中核地域(暁塢遺跡と仰韶村遺跡によって表されます)およびその周縁部(汪溝遺跡と站馬屯遺跡によって表されます)のみならず、山東の後期大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団からも利用可能な仰韶文化関連の全個体で、遺伝的均質性が観察されました。本論文の結果から、中国北部において仰韶文化の拡大に人口拡散が支配的な役割を果たした、と示唆されます。
参考文献:
Sun L. et al.(2025): The demic expansion of Yangshao culture inferred from ancient human genomes. BMC Biology, 23:186.
https://doi.org/10.1186/s12915-025-02286-9
[1]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[2]Du P. et al.(2024): Genomic dynamics of the Lower Yellow River Valley since the Early Neolithic. Current Biology, 34, 17, 3996–4006.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2024.07.063
関連記事
[3]Wang F. et al.(2024): Neolithization of Dawenkou culture in the lower Yellow River involved the demic diffusion from the Central Plain. Science Bulletin, 69, 23, 3677-3681.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.08.016
関連記事
[4]Li S. et al.(2024): Ancient genomic time transect unravels the population dynamics of Neolithic middle Yellow River farmers. Science Bulletin, 69, 21, 3365-3370.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.09.002
関連記事
略称は、UDG(uracil-DNA-glycosylase、ウラシルDNAグリコシラーゼ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、HO(Human Origins、ヒト起源)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)、WLR(West Liao River、西遼河)、cM(centimorgan、センチモルガン)、C(シトシン)、T(チミン)、A(アデニン)、G(グアニン)です。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、秦王寨(Qinwangzhai)文化、大河村(Dahecun)文化、仰韶(Yangshao)文化、大汶口(Dawenkou)文化、後期大汶口文化(Late Dawenkou、略してLDWK)、龍山(Longshan)文化、斉家(Qijia)文化、紅山(Hongshan)文化、裴李崗(Peiligang)文化、屈家嶺(Qujialing)文化、崧沢(Songze)文化、大渓(Daxi)文化、馬家窯(Majiayao)文化です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、河南省では站馬屯(Zhanmatun)遺跡と汪溝(Wanggou)遺跡と暁塢(Xiaowu)遺跡と西山(Xishan)遺跡と平糧台(Pingliangtai)遺跡と仰韶村(Yangshaocun)遺跡と青台(Qingtai)遺跡、山東省では西夏侯(Xixiahou)遺跡と博山(Boshan)遺跡と扁扁(Bianbian)遺跡と小高(Xiaogao)遺跡と小荊山(Xiaojingshan)遺跡、甘粛省では佛爺廟湾(Foyemiaowan)遺跡、中国南方ではバロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡(これらの遺跡の千年紀半ばの古代人はBaBanQinCen集団と呼ばれます)、台湾では漢本(Hanben)遺跡です。
また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事の以下の翻訳では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
黄河中流域起源の仰韶文化は、新石器時代の中国における最も影響力のある考古学的分かの一つです。中核的な仰韶文化の遺跡と、秦王寨文化など仰韶文化の地域的異形を表す文化の遺跡との間に遺伝的下部構造があったのかどうか、長く議論されてきました。秦王寨文化に属していた站馬屯遺跡の埋葬から発掘されたヒト遺骸は、文化の拡大に伴う人口動態の推測にとって理想的な資料を提示します。本論文では、站馬屯遺跡で得られたヒト12個体の遺骸からのゲノム規模データが分析されました。その結果、站馬屯遺跡個体群は、仰韶文化中核地域およびその周縁部のすべての刊行されている仰韶文化関連個体や、東方では大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団と遺伝的に均質で、南方の新石器時代アジア東部南方人からの遺伝的影響の痕跡はなかった、と示唆されました。本論文の調査結果は、仰韶文化の拡大についての人口拡散モデルを裏づけ、単なる文化的拡散ではなくヒトの移動が、中国北部全域における仰韶文化関連祖先系統の拡大に支配的な役割を果たしました。
●研究史
7000~5000年前頃まで、仰韶文化は中国北部で最も影響力のある考古学的文化の一つです。仰韶文化はおもに黄河流域の中原地域(おもに現在の河南省と陝西省と山西省)で栄えました。河南省では3000ヶ所以上の仰韶文化関連の遺跡が発見されています。仰韶文化の影響は黄河中流域の境界を越えて近隣地域に達し、それには現在の河北省や青海省や甘粛省や寧夏回族自治区や内モンゴル自治区(モンゴル南部)や四川省が含まれます。重要な文化的問題は、仰韶文化がどのように拡大したのかで、人口拡散モデル(つまり、仰韶文化集団の拡大に伴う遺伝的相互作用)なのか、文化拡散モデル(つまり、在来の狩猟採集民集団が仰韶文化集団から遺伝的影響を受けずに仰韶文化を採用しました)なのか、ということです。
最近の古代DNA研究は、仰韶文化がアジア東部人の最も重要な生物学的起源の一つでもあったことを浮き彫りにしました。仰韶文化関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は周辺の新石器時代集団の祖先構成要素の一つを形成し、それには黄河上流域の斉家(Qijia)文化関連集団や紅山(Hongshan)文化関連集団や山東の大汶口文化関連集団が含まれます[1~3]。これまでに、仰韶文化関連個体群のゲノム規模SNPデータは小さな標本規模の3ヶ所の考古学的遺跡に限られており、それは、河南省の汪溝遺跡(鄭州市)の7個体と暁塢遺跡の1個体と河南省西部の仰韶村遺跡(三門峡市)です[1、4]。仰韶文化の人口統計学的歴史は、さらに考察されねばなりません。
興味深いことに、仰韶文化関連集団の顔面の形質では地域的差異が観察されました。秦王寨文化(もしくは大河村文化)関連の遺跡の一つである、河南省の中央部地域の站馬屯は、仰韶文化の周縁部遺跡群に属していました。站馬屯遺跡個体群の顔面の形質は汪溝遺跡や西山遺跡や平糧台遺跡の秦王寨文化関連集団と類似していましたが、仰韶文化の中核地域、つまり陝西省南部や山西省南部や河南省西部の集団とは異なっていました。站馬屯遺跡集団は山東省の大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団とも類似性を示しました。後頭骨の変形や抜歯など一部の慣行が站馬屯遺跡や汪溝遺跡や西夏侯遺跡で観察されましたが、仰韶文化の中核地域では観察されませんでした。仰韶文化の中核地域遺跡と、秦王寨文化など仰韶文化の地域的変形を表している文化との間に遺伝的下部構造があったのかどうか、祖先の違いが仰韶文化の中核地域と站馬屯遺跡との間の顔面形態の区別を説明できるのかどうか、古代DNAデータの不足のため依然として判断できません。
さらに、仰韶文化後期までに起きた、山東の大汶口文化の西方への拡大と中国南部の屈家嶺文化の北方への拡大は、秦王寨文化の発展を促しました。秦王寨文化集団と山東および中国南部集団との間の文化的相互作用に伴っていた遺伝的相互作用の程度は、まだ判明していません。これらの問題に取り組むために、仰韶文化後期となる中国北部の河南省鄭州市の站馬屯考古学的遺跡(図1a)から発見されたヒト標本のゲノム規模配列決定が実行され、站馬屯遺跡集団の人口統計学的歴史の調査および周辺人口集団との遺伝的関係の調査が可能になりました。以下は本論文の図1です。
●站馬屯遺跡個体群のゲノム規模データの生成
站馬屯遺跡で新たに収集された14個体について、UDG処理のされた二本鎖配列決定ライブラリが、歯および錐体骨から抽出されたDNAを用いて生成されました。まず、站馬屯遺跡から収集されたヒト遺骸すべてが、浅いショットガン戦略によって検査されました。站馬屯遺跡個体群は、低い現代人による汚染率と、典型的な古代DNAの損傷パターンを示しましたが、124万SNPパネルでは2万ヶ所未満のSNP部位しかなく(疑似二倍体遺伝子型決定構築のため断片の両端の最初の9塩基対は隠されました)、さらなる124万捕獲実験のため選択されました。
新たに生成された站馬屯遺跡の14個体のうち8個体はショットガン配列決定され、分析に充分な遺伝子量が生成されて、残りの6個体は124万パネルで濃縮後に配列決定されました。古代DNAの真正性を評価するために、配列決定データのいくつかの特徴が確認されました。全個体が古代DNA損傷の典型的パターン(5’末端の最初の部位における20%超のC→T置換率と、3’末端の最初の部位における19%のG→A置換率)と、短い断片長(45.9766~58.5035塩基対)を示しました。6個体が生物学的男性、8個体が生物学的女性と特定されました。
次に、現代人による汚染率が推定されました。ミトコンドリアに基づくプログラムSchmutziを用いて、各個体のmtDNA汚染率が推定されました。その結果、すべての女性は低いmtDNA汚染率を示す、と分かりました。HapConXおよびANGSDソフトウェアを適用して、生物学的男性のX染色体の汚染率が推定されました。低いX染色体汚染率(つまり、5%未満)ではあるもののわずかにより高い割合のmtDNA汚染率(つまり、5%超)の男性については、これらの標本の汚染率は低い、と判断されました。男性個体M59のみで高い割合のX染色体の汚染率が観察されました。全個体で核汚染率の推定に用いられた、ContamLD分析も実行されました。参照パネルとして「SG」を用いると、新たに生成された個体群のContamLDの結果は、警告「モデル_誤特定」を示しました。警告「モデル_誤特定」は通常、網羅率がひじょうに低いことを示唆するので、この推定値は信用できないかもしれません。参照パネルとして「124万」を用いると、3個体を除く全個体が、警告「モデル_誤特定」を示す、と分かりました。これら3個体のうち、個体H217およびM59は警告「超_高度_汚染」を示し、個体W5には警告が出ず、個体W5については信頼できるContamLDの結果と低い核汚染率が示唆されます。したがって、ContamLDの結果に基づいて、下流分析から個体H217およびM59が除外されました。
内在性ヒトDNA含有量の範囲は0.39~15.72%でした。古代DNAのパターンを軽減するために、各個体について断片両端の最初の9塩基対が切り落とされ、124万SNPパネルで疑似二倍体遺伝子型が呼び出されて、20230~321182ヶ所の範囲の124万SNPが得られました。データ管理に合格した新たに配列決定された站馬屯遺跡の12個体と、以前に刊行された暁塢遺跡と汪溝遺跡の仰韶文化関連の8個体のうち、新たに生成された站馬屯遺跡個体において最大で2親等の親族関係が4組検出されました。下流分析において、密接な親族関係の個体群によってもたらされる偏りを避けるために、より少ない数のSNPの個体が除去され、集団遺伝学的分析では親族関係にない8個体が得られました。10万ヶ所以上のSNPがある新たに生成された站馬屯遺跡の5個体について、ROHパターンが推定されました。多数の長いROH断片(20cM超)は最近の近親交配事象を、短いROH断片(4~8cM)の過剰は小さな有効人口規模を示唆しているかもしれません。本論文では、HapROHは站馬屯遺跡個体群では長いもしくは短いROHのどちらかを検出しませんでした。
●站馬屯遺跡個体群の遺伝的起源
AADRのHOデータセットの現在のアジア東部人口集団に基づくPCAを用いて、新たに生成された站馬屯遺跡個体群の遺伝的特性が調べられました。その結果、站馬屯遺跡個体群(黄河_站馬屯_仰韶と分類表示されます)は以前に刊行された暁塢遺跡(黄河_暁塢_仰韶と分類表示されます)や汪溝遺跡(黄河_汪溝_仰韶と分類表示されます)や仰韶村遺跡(黄河_仰韶村_仰韶と分類表示されます)の仰韶文化関連個体群とかなり重複する、と分かりました。PCAから得られたのと同様の傾向は、モデルに基づくADMIXTURE分析で観察されました。K(系統構成要素数)=4では、黄河_站馬屯_仰韶個体群は黄河_汪溝_仰韶と同様の遺伝的特性を示しました。f₃形式(黄河_站馬屯_仰韶、X;ヨルバ人)の外群f₃統計では、最上位の兆候は黄河_汪溝_仰韶で観察され、それに続くのが黄河_仰韶村_龍山と黄河_仰韶村_仰韶と、新石器時代黄河中流域関連祖先系統を有する他の人口集団(西夏侯_LDWKや佛爺廟湾_唐や黄河_LN)です(図2a)。これらの結果は、黄河_站馬屯_仰韶と以前に特定された黄河中流域関連祖先系統との間の密接な遺伝的関係を裏づけました。以下は本論文の図2です。
考古学的研究は、仰韶文化後期における秦王寨文化の領域内の、中原と山東と長江流域の間の頻繁な文化的相互作用を示唆しました。遺伝的相互作用が秦王寨文化関連集団と周辺文化社会との間の文化的伝達に関わっていたのかどうかは、依然として不明です。本論文は秦王寨文化関連系統の代表として站馬屯遺跡個体群を用いて、站馬屯遺跡集団が仰韶文化の中核地域の仰韶文化関連集団(黄河_仰韶村_仰韶と黄河_暁塢_仰韶によって表されます)と比較して、他の系統を有しているのかどうか、定量的に調べました。これまで長江の稲作農耕民関連のゲノムが欠けていることに要注意で、中国南部沿岸関連人口集団は通常、稲作農耕民の遺伝的特性を表しているものとして使用されています。
まず、f₄形式(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、黄河_仰韶村_仰韶/黄河_暁塢_仰韶)のf₄統計が実行されました。すべてのf₄統計で有意ではないf₄値(− 2.848 < Z-scores < 2.259)が得られ(つまり、124万パネルでの1万ヶ所超のSNPでのすべてのf₄統計はZ得点が3未満を示しました)、站馬屯遺跡集団はアジア東部南方関連祖先系統(BaBanQinCen集団および台湾_漢本によって表されます)および山東(博山遺跡と扁扁遺跡と小高遺跡と小荊山遺跡の個体群から構成される、初期新石器時代狩猟採集民関連系統によって表されます)と大汶口文化関連の山東集団(接頭辞「DWK」で示されます)からの追加の遺伝子流動を受けなかった、と示唆されます。対でのqpAdm分析も、仰韶文化の中核地域集団(黄河_仰韶村_仰韶と黄河_暁塢_仰韶によって表されます)と黄河_站馬屯_仰韶が単一の祖先系統の流れに由来したことを裏づけます(図2b)。仰韶文化関連の人々は生物学的に均質な集団に発展した、と示唆されました。しかし、黄河_仰韶村_仰韶と黄河_暁塢_仰韶を表すのが1個体のみであることに要注意です。仰韶文化の中核地域からのより古いゲノムが、統計的検出力の改善に必要です。
f₄統計および対でのqpAdm分析で、黄河_汪溝_仰韶と黄河_站馬屯_仰韶のゲノムも比較されました。対でのqpAdm分析は、黄河_汪溝_仰韶と黄河_站馬屯_仰韶との間の遺伝的均質性を裏づけました(図2b)。f₄形式(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、黄河_汪溝_仰韶)のf₄統計では、2組を除いてすべてで、有意ではないf₄値(− 1.283 < Z-scores < 2.716)が得られました(つまり、124万パネルでの1万ヶ所超のSNPでのすべてのf₄統計ではZ得点が3未満でした)。さらに、すべてのSNPに基づくこれら2点の有意なf₄兆候は、塩基転換(transversion、ピリミジン塩基とプリン塩基との間の置換)のみのSNPでは裏づけられず(Z得点は0.986と0.337)、古代DNA損傷がWLR_MN/WLR_BAと黄河_汪溝_仰韶との間の追加の誘引をもたらしたかもしれない、と示唆されます。黄河_站馬屯_仰韶と黄河_汪溝_仰韶についての対でのqpAdmモデル化の堅牢性は、WLR_MN/WLR_BAを外群一式に追加することによって確証されました。
全個体のmtHgは典型的なアジア東部系で、つまりはそれぞれAとDとFとGとZです。これらのmtHgは、青台遺跡の仰韶文化関連個体群などアジア東部北方人において優勢でした。6個体は生物学的男性と特定され、そのすべてでYHgの割り当てに成功しました。父系の起源はYHgのOとNとCによって表され、これらのYHgはおもにアジア東部および北東部に分布していました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)に基づく結果も、站馬屯遺跡人口集団とアジア東部北方関連系統との間の遺伝的つながりを裏づけました。
●站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の遺伝的関係
站馬屯遺跡に関する頭蓋計測研究では、秦王寨文化関連の站馬屯遺跡個体群は山東の西方地域の大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団ともいくらかの類似性を示した、と示唆されました。本論文では、站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の遺伝的関係の調査にのみ焦点が当てられました。外群f₃統計では、站馬屯遺跡集団は西夏侯_LDWKと密接な関係を示しました(図2a)。f₄統計(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、西夏侯_LDWK)のほとんどで、有意ではないf₄値(− 2.409 < Z-scores < 2.625)が得られました。Xが日本_縄文の場合にのみ、f₄統計(ヨルバ人、X;黄河_站馬屯_仰韶、西夏侯_LDWK)で有意なf₄値(Z得点は3.178)が得られました。しかし、站馬屯遺跡個体群と日本_縄文との間の遺伝的誘引は塩基転換のSNPでのf₄統計では裏づけられませんでした。対でのqpAdm分析では、日本_縄文を外群一式に含めた場合でさえ、一連の外群人口集団は站馬屯遺跡個体群と西夏侯_LDWKとの間の遺伝的特性を区別できませんでした(図2b)。要するに、本論文のゲノムの結果は、站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の遺伝的均質性を裏づけました。站馬屯遺跡と西夏侯遺跡の集団間の骨格の特徴の類似性が、遭遇した同様の外部環境圧によって説明できるのかどうかは、将来の研究のひじょうに興味深い主題となるでしょう。
●考察
本論文では、仰韶文化がどのように拡大したのか、調べるのかが目的でした。仰韶文化の拡大は、人口拡散モデル(つまり、仰韶文化集団の拡大に伴う遺伝的相互作用)か、あるいは文化的拡散モデルのどちらだったのでしょうか?秦王寨文化は仰韶文化の地域的異形でした。以前に刊行された仰韶文化関連のゲノム規模データと新たに生成された秦王寨文化関連のゲノム規模データの共同分析によって、秦王寨文化集団の遺伝的組成は仰韶文化の単一供給源によって適切に説明できる、と観察されました。節約的なモデル(つまり、より複雑なモデルよりも少ない供給源でのモデルを優先します)下では、中原の仰韶文化と秦王寨文化との間の遺伝的均質性は、単純な文化拡散ではなく人口拡散が中原における仰韶文化の拡大に支配的役割を果たした、と本論文は主張します。
とくに、站馬屯遺跡個体群と山東の後期大汶口文化関連の西夏侯遺跡個体群との間の遺伝的類似性は、地域間の相互作用について興味深い問題を提起します。定量分析ではアジア東部南方もしくは山東の大汶口文化の固有系統から站馬屯遺跡個体群への遺伝子流動は検出されませんでしたが、これらの集団間で共有された文化的慣行(たとえば、後頭骨変形)から、文化的交流は大汶口文化から仰韶文化関連人口集団への限定的な生物学的接触とともに起きた、と示唆されます。この逆説は新石器時代の相互作用の複雑さを浮き彫りにし、技術および儀式的慣行は交易網もしくは社会的同盟を介して、実質的な人口移動なしで拡散するかもしれません。
利用可能なゲノムでは広範な時空間的空白があったことに幼虫で、それによって現時点では、仰韶文化人口集団の詳細な遺伝的構造を説明する能力が制約されています。甘粛・青海やホータオや長江地域など周辺地域の仰韶文化関連遺跡からの追加のゲノムデータ取得は、文化的変化に伴う人口動態の推測に役立つかもしれません。さらに、中原で仰韶文化に先行するゲノム(初期新石器時代の裴李崗文化など)はありませんでした。黄河下流域とアムール川と中国南部の以前に刊行された狩猟採集民の標本は、仰韶文化農耕民の遺伝的形成を適切に説明できないかもしれません。したがって、本論文では仰韶文化の祖先の形成は考察されませんでした。裴李崗文化関連遺跡からのゲノムデータの取得は、仰韶文化の遺伝的形成過程を明らかにするでしょう。
●まとめ
仰韶文化は、中国の黄河中流域および周辺地域に紀元前5000~紀元前2900年頃まで存在した新石器時代文化でした。仰韶文化は先史時代の中国において最も影響力のある考古学的文化で、中華文明の初期の発展に大きな意味を有していました。仰韶文化の影響圏は北方ではホータオ地域にまたがり、東方では現在の山東省の大汶口文化、南方では長江地域の崧沢文化および大渓文化、北西では馬家窯文化に囲まれていました仰韶文化の周縁部遺跡となる秦王寨文化関連の站馬屯遺跡で得られた12人の遺骸からのゲノム規模データの分析によって、仰韶文化の中核地域(暁塢遺跡と仰韶村遺跡によって表されます)およびその周縁部(汪溝遺跡と站馬屯遺跡によって表されます)のみならず、山東の後期大汶口文化関連の西夏侯遺跡集団からも利用可能な仰韶文化関連の全個体で、遺伝的均質性が観察されました。本論文の結果から、中国北部において仰韶文化の拡大に人口拡散が支配的な役割を果たした、と示唆されます。
参考文献:
Sun L. et al.(2025): The demic expansion of Yangshao culture inferred from ancient human genomes. BMC Biology, 23:186.
https://doi.org/10.1186/s12915-025-02286-9
[1]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[2]Du P. et al.(2024): Genomic dynamics of the Lower Yellow River Valley since the Early Neolithic. Current Biology, 34, 17, 3996–4006.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2024.07.063
関連記事
[3]Wang F. et al.(2024): Neolithization of Dawenkou culture in the lower Yellow River involved the demic diffusion from the Central Plain. Science Bulletin, 69, 23, 3677-3681.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.08.016
関連記事
[4]Li S. et al.(2024): Ancient genomic time transect unravels the population dynamics of Neolithic middle Yellow River farmers. Science Bulletin, 69, 21, 3365-3370.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.09.002
関連記事


この記事へのコメント