Peter Bellwood『500万年のオデッセイ 人類の大拡散物語』

 ピーター・ベルウッド(Peter Bellwood)著、河合信和訳で、2024年3月に青土社より刊行されました。原書の刊行は2022年です。電子書籍での購入です。本書は500万年にわたる人類史の概説で、著者の専門分野からは完新世の農耕を伴う現生人類(Homo sapiens)の拡散が中心と予想しており、じっさいそうでしたが、現生人類以外の人類にもかなりの分量が割かれていました。本書は考古学や比較言語学や古人類学や遺伝学など学際的知見から人類史を検討しており、遺伝学でもとくに古代ゲノム研究の進展は速く、本書の内容も更新され続けていき、原書刊行から3年ほど経った時点で古いところも出てくるわけですが、碩学である著者の包括的な視点からの検討は読みごたえがあり、人類史の概説として現時点では最もお勧めだと思います。人類進化を長年追いかけてきた訳者による解説も、たいへん参考になります。

 本書は人類の歴史を4期に区分しており、それはホモ属出現の前(600万~250万年前頃)と現生人類の化石出現前のホモ属(250万~30万年前頃)と食料生産開始前の現生人類(30万~12000年前頃)と食料生産時代(12000年前頃~現在)です。人類系統とチンパンジー属系統の分岐には300万年間程度(960万~650万年前頃)を要しただろう、と推定されています。初期人類(候補化石)の脳容量は現生チンパンジー属とは大きく変わらず、人類系統において脳容量が大きく増加したのはホモ属以降ですが、本書は、すでにアウストラロピテクス属の時点で急激ではないものの脳容量の増加が見られる、と指摘しています。人類史における脳容量の増加については、原書刊行後の最近の研究(Püschel et al., 2024)が有益だと思います。

 本書の主題である人類の「オデッセイ」は、更新世に始まります。初期ホモ属(ホモ属ではない可能性も考えられますが)がサハラ砂漠を越えてアフリカ北部へと到達した事例としては、アルジェリアのアイン・ブシェリ(Ain Boucherit)遺跡の240万~190万年前頃の事例が知られています(Sahnouni et al., 2018)。ユーラシアにおける200万年以上前の人類の痕跡としては、陝西省藍田県の上陳(Shangchen)遺跡で発見された212万年前頃の石器群があります(Zhu et al., 2018)。本書では言及されていませんが、ヨルダンでは248万年前頃までさかのぼるかもしれない石器が発見されています(Scardia et al., 2019)。ただ、訳者は上陳遺跡の年代に疑問を呈しています。これらの遺跡では人類遺骸が発見されておらず、現時点でアフリカ外最古の人類化石は、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見されており、その年代は180万~170万年前頃です。これら初期ホモ属による出アフリカの回数については、本書も指摘するように議論になっています。

 本書はフローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)とルソン島のホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)の事例から、ホモ属が100万年以上前に何らかの形で渡海したことは確実である、と指摘します。本書は、ホモ・フロレシエンシスとホモ・ルゾネンシスが、アウストラロピテクス属的な特徴も有していた人類の初期出アフリカ集団に由来するのではないか、との見解を支持していますが、ホモ・フロレシエンシスは完全なホモ属であるホモ・エレクトス(Homo erectus)の子孫である可能性が高いように思います(Kaifu et al., 2024)。本書が指摘するように、ホモ・フロレシエンシスとホモ・ルゾネンシス(の祖先集団)がどのように渡海したのか、現時点では不明で、この問題の解明は難しそうです。

 オルドワン(Oldowan、オルドヴァイ文化)石器の後で出現したアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)石器については、機能的にはオルドワン石器よりも効率的とは必ずしも言えないものの、長期にわたって文化的にこだわりが持たれており、その製作者の貴族を示していた可能性もある、と本書は指摘します。本書は、アシューリアンの起源地がユーラシアだった可能性も指摘しますが、原書刊行後の研究(Mussi et al., 2023)からも、アシューリアンの起源地はアフリカのおそらくは東部にあり、200万年前頃までさかのぼる、と考えるのが妥当なように思います。本書は、アフリカ外では、アシューリアンがホモ・エレクトスではない脳容量のより大きなホモ属と共伴する傾向にある、と指摘します。

 現生人類の起源とも関連するホモ属集団として、本書はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)について詳しく取り上げています。デニソワ人(関連記事)について本書は、中華人民共和国黒竜江省で発見された中期更新世のホモ属頭蓋がデニソワ人系統である可能性は高い、と指摘しており、じっさい本書刊行後の研究で、このホモ属頭蓋がデニソワ人系統であることは分子生物学的に証明されました(Fu et al., 2025)。ネアンデルタール人とデニソワ人が現生人類と遺伝的に混合したことはよく知られていますが、一方で本書は、同時代の脳の小さなホモ属、つまりホモ・フロレシエンシスとホモ・ルゾネンシスとアフリカ南部で発見されたホモ・ナレディ(Homo naledi)については、現生人類(の祖先集団)と交雑しなかった可能性を指摘します。これら脳の小さなホモ属は、現生人類にとってネアンデルタール人やデニソワ人よりも遺伝や行動の点で遠い関係にあり、それが交雑を阻んでいたのかもしれません。

 現生人類の起源と出アフリカについては、本書も指摘するようにまだ不明なところが多く、とくに10万年以上前のユーラシア(おもにレヴァントで、一部はヨーロッパ)の現生人類とされる化石をどう評価するのかは難問です。現時点での遺伝学的証拠とできるだけ整合するように解釈すると、10万年以上前のユーラシアの初期現生人類は非アフリカ系現代人集団の主要な祖先ではなく、一部がネアンデルタール人と交雑したことになりそうです。現生人類のユーラシア東部も含めて世界中への拡散についても問題は残り、本書はサフルランドに最初に到達した人類が現生人類だったとしても、現在のパプア人やオーストラリア先住民の直接的祖先だったのか、明確ではない、と指摘しており、私も同意します。

 食料生産の始まりについては、植物の栽培化と動物の家畜化が当初から意図的に進められたのか、議論になっており、本書でも、どちらもその可能性を示す痕跡が確認されている、と指摘されています。本書はこの食料生産の拡散との関連で、インド・ヨーロッパ語族の起源と拡散について詳しく検証しています。本書は、アナトリア半島起源の新石器時代農耕民がヨーロッパ全域に拡散し、在来の狩猟採集民集団との混合もあったものの、ヨーロッパ人類集団の遺伝的構成を大きく変えたのと比較すると、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯から拡大した集団のヨーロッパにおける遺伝的影響はより限定的だった、と指摘します。本書はそれを踏まえて、アナトリア語派がインド・ヨーロッパ語族において証明された最古の言語で、インド・ヨーロッパ語族系統において最初に分岐しており、アナトリア半島中央部起源だった可能性が最も高いため、インド・ヨーロッパ語族の起源地はアナトリア半島(アナトリ半島)だった、との見解を支持しています。

 インド・ヨーロッパ語族に関する本書の見解は、議論になりそうです。本書は、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を中心にユーラシア草原地帯起源の後期新石器時代~青銅器時代集団の遺伝的影響を受けている集団が、必ずしもインド・ヨーロッパ語族話者ではないことも、自説の根拠としています。ただ、それで言えば、近隣の現代人集団と遺伝的構成が大きく変わるわけではないバスク人(Flores-Bello et al., 2021)の言語もインド・ヨーロッパ語族ではありません。バスク人は近隣集団と比較して、鉄器時代の後の遺伝的変容が比較的小さかった、と推定されており(Flores-Bello et al., 2021)、ヤムナヤ文化集団を中心にユーラシア草原地帯起源集団の後期新石器時代~青銅器時代におけるヨーロッパへの拡散でインド・ヨーロッパ語族がもたらされた、と安易に断定できないかもしれませんが、それはヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の起源をアナトリア半島の新石器時代農耕民と想定することも同様でしょう。

 本書は近年の古代ゲノム研究も取り入れて、インド・ヨーロッパ語族のアナトリア半島起源説を主張しています。しかし、原書刊行後の大規模な古代ゲノム研究(Lazaridis et al., 2022)では、アナトリア語派とそれ以外のインド・ヨーロッパ語族言語の起源地はコーカサスの南側のアジア南西部地域にあり、そこからアナトリア語派祖語話者集団がアナトリア半島へ移住し、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族は、このインド・ヨーロッパ語族の起源地であるアジア南西部と、ポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)との人類集団間の遺伝的混合を経て、ヤムナヤ文化集団経由でもたらされた、と想定されています。今年(2025年)刊行されたヤムナヤ文化集団に関する大規模な古代ゲノム研究(Lazaridis et al., 2025)では、アナトリア語派話者およびインド・ヨーロッパ語族話者の両方の祖語だった「原インド・アナトリア語」の最終的な統合は、紀元前4400年頃から紀元前4000年頃の間のいずれかの時期にコーカサス~ヴォルガ川下流域で起きた、と推測されています。もちろん、本書からも窺えるように、言語学と遺伝学を安易に関連づけてはなりませんが、インド・ヨーロッパ語族の起源地を新石器時代アナトリア半島農耕民集団とする本書の見解には、かなり疑問が残ります。

 本書は完新世のユーラシア東部圏およびオセアニアについても、取り上げていますが、「トランスユーラシア語族」との分類を採用しており、これには日本語も含めて日琉語族が含まれています。私の言語学についての知見は皆無に近いので、的外れになるかもしれませんが、本書が「トランスユーラシア語族」との分類に関する議論に言及していないのは、疑問が残るところです。ユーラシア東部の古代ゲノム研究については、本書刊行後の総説(Bennett et al., 2024)がたいへん有益ですが、その総説も更新されつつあります。本書はオーストロアジア語族についても言及しており、その起源がまだよく分からないことを指摘していますが、本書刊行後の研究(Wang et al., 2025)では、オーストロアジア語族話者の起源地として、現在の中華人民共和国雲南省の中央部が推定されています。著者は長年オーストロネシア語族話者の研究に関わってきただけに、本書ではオーストロネシア語族について詳しく取り上げられています。本書は先コロンブス期における南アメリカ大陸と東ポリネシアとの間の人類集団の遺伝的交流の可能性を指摘しており、これは本書刊行後の研究(Moreno-Mayar et al., 2024)でも改めて確認されています。


参考文献:
Bellwood P.著(2024)、河合信和訳『500万年のオデッセイ 人類の大拡散物語』(青土社、原書の刊行は2022年)

Bennett EA, Liu Y, and Fu Q.(2024): Reconstructing the Human Population History of East Asia through Ancient Genomics. Elements in Ancient East Asia.
https://doi.org/10.1017/9781009246675
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Flores-Bello A. et al.(2021): Genetic origins, singularity, and heterogeneity of Basques. Current Biology, 31, 10, 2167–2177.E4.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2021.03.010
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Fu Q. et al.(2025): Denisovan mitochondrial DNA from dental calculus of the >146,000-year-old Harbin cranium. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2025.05.040
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Kaifu Y. et al.(2024): Early evolution of small body size in Homo floresiensis. Nature Communications, 15, 6381.
https://doi.org/10.1038/s41467-024-50649-7
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Lazaridis I. et al.(2022): The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe. Science, 377, 6609, eabm4247.
https://doi.org/10.1126/science.abm4247
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Lazaridis I. et al.(2025): The genetic origin of the Indo-Europeans. Nature, 639, 8053, 132–142.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08531-5
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Moreno-Mayar JV. et al.(2024): Ancient Rapanui genomes reveal resilience and pre-European contact with the Americas. Nature, 633, 8029, 389–397.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07881-4
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Mussi M. et al.(2023): Early Homo erectus lived at high altitudes and produced both Oldowan and Acheulean tools. Science, 382, 6671, 713–718.
https://doi.org/10.1126/science.add9115
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Püschel TA. et al.(2024): Hominin brain size increase has emerged from within-species encephalization. PNAS, 121, 49, e2409542121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2409542121
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Sahnouni M. et al.(2018): 1.9-million- and 2.4-million-year-old artifacts and stone tool–cutmarked bones from Ain Boucherit, Algeria. Science, 362, 6420, 1297-1301.
https://doi.org/10.1126/science.aau0008
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Scardia G. et al.(2019): Chronologic constraints on hominin dispersal outside Africa since 2.48 Ma from the Zarqa Valley, Jordan. Quaternary Science Reviews, 219, 1–19.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2019.06.007
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Wang T. et al.(2025): Prehistoric genomes from Yunnan reveal ancestry related to Tibetans and Austroasiatic speakers. Science, 388, 6750, eadq9792.
https://doi.org/10.1126/science.adq9792
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Zhu Z. et al.(2018): Hominin occupation of the Chinese Loess Plateau since about 2.1 million years ago. Nature, 559, 7715, 608–612.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0299-4
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