北京の近世の父系家族
北京の近世の墓地被葬者から6世代にわたる父系家族を特定した研究(Wang et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。本論文は、北京の明王朝からダイチン・グルンにかけての墓地の被葬者34個体から得られたゲノムデータを用いて、6世代にわたる厳密な父系の家系が存在したことを示しました。こうした家系図の復元研究では、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)がひじょうに有効です。この家系の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、後期新石器時代以降の黄河流域人口集団との高い類似性を示しています。本論文は、古代ゲノム研究によって伝統的な歴史学や人類学の研究がさらに深まる可能性を改めて示しており、こうした研究が、今後日本でも盛んになるよう、期待しています。以下は本論文の要約図です。
略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、CREST(classification of relationship types、関係の種類の分類)、WLR(West Liao River、西遼河)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、北京市孫河(Sunhe)郷の前葦溝(Qianweigou)遺跡と、モンゴル南部(中華人民共和国内モンゴル自治区)の廟子溝(Miaozigou)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。
●要約
歴史時代の家族墓地は楮化された埋葬様式に従っていることが多いものの、限られた文献記録や考古学的解釈の曖昧さのため、これらの配置の特定は困難です。考古遺伝学は、生物学的親族関係の判断の正確な手段を提供し、社会的関係および埋葬慣行の復元を可能とします。本論文では、北京の明清王朝の墓地である前葦溝の34個体から得られた古代DNAおよび背景データが分析され、6世代にまたがる父系家系図が復元されました。ゲノムデータは厳密な父系埋葬慣行を明らかにし、配偶者はともに埋葬され、無作為ではない東西の空間配置は世代の年代順を反映していました。書く世代は異なる一を占めており、階層的な埋葬様式です。本論文は、遺伝的データがどのように歴史的な親族関係構成を明らかにできるのか、論証し、明清期埋葬慣行についての仮説を洗練して、中華帝国後期における家族構造の理解を深めます。
●研究史
家族墓地は通常、ほぼ同じ選定地域内に位置し、整然と配置されて分布している、同じ家族の構成員の墓と定義されています。中国の歴史時代を通じて、考古学的調査結果から、家族墓地における埋葬配置は西周王朝以降多様な形態で存在し、秦および漢王朝から魏晋の歴史時代にかけて体系的慣行へとさらに発展した、と示唆されています。家族墓地の配置の解明は、古代社会における家族構成の性質の復元に役立つことができ、当時のさまざまな社会的および文化的慣行への深い洞察を提供します。しかし、王族もしくは交換の高位墓地を除いて、一般人口を表しているかもしれない多くの特定されていない墓地には、詳細な墓碑銘もしくは文字記録がほぼありません。そうした場合には、墓から発掘された個体間の遺伝的関係は、考古学的証拠のみで特定できません。これらの個体がじっさいに血縁による同じ家族の構成員なのかどうか、依然として不明です。したがって、具体的な埋葬様式は、ヒト遺骸の身体の位置や向きを同時代の文字記録と比較することによって推測するしかできず、それは決定的判断にはなり得ません。
古代DNA手法の進歩によって、ゲノム規模データからの直接的な証拠の取得と同じ墓地に埋葬された個体間の正確な遺伝的親族関係の決定が可能になり、それによって、家系図構造を構築できます[9~12]。考古学的および人類学的調査結果と組み合わせると、これらの評価に関する情報から、特定の埋葬様式についての推測が可能となり、それは同様に当時の社会の文化的慣行を反映しています[11、13、14]。しかしこれまで、中国の歴史時代における生物学的近縁性に関する古代DNA研究は空白なままで、考古学と歴史における家族埋葬のさらなる調査を大きく妨げています。
前葦溝遺跡は中国の北京に位置し、考古学的には明王朝(1368~1644年)および清王朝(1644~1912年)に分類されています。人工遺物の少なさと文字記録の欠如のため、考古学的証拠のみでの前葦溝墓地の具体的な埋葬慣行の判断はできません。この研究では、前葦溝遺跡から発掘された全個体のヒト骨格遺骸が標本抽出され、34個体のゲノム規模データが得られ、個体間の遺伝的関係および関連する埋葬慣行が調べられました。ゲノム証拠は、ミトコンドリアゲノムおよびY染色体データとともに、前葦溝遺跡における少なくとも6世代にまたがっていた厳密な父系の家系の存在を実証します。墓の空間的配置と復元された本論文の家系図の整合は、階層的配置の特定の様式を表している、意図的な計画的埋葬を示唆しており、これはこの期間の一般家族の文化的特徴を反映しているかもしれません。
●前葦溝遺跡の考古学的および人類学的洞察
前葦溝遺跡(北緯40度1分18.24秒、統計116度33分43.01秒)は、中国の北京の孫河郷の南東部に位置しています。前葦溝遺跡は北京考古研究所によって2019年に発掘され、考古学的には明王朝(1368~1644年)および清王朝(1644~1912年)とされ、M1~M19と分類表示された19基の竪穴墓が含まれており、それは単棺墓(3基)と双棺墓(12基)と三棺墓(3基)と四棺墓(1基)の4種類に分類できます(表1)。そのうち、M1は発掘区域の北西側に位置する孤立した単棺墓で、M2~M19は発掘区域の南側に集中し、この埋葬地域の中心軸の北側および南側に配置されています(図1A)。以下は本論文の図1です。
M2~M19から合計で34個体のヒト骨格遺骸が発掘され、頭蓋の一貫した西向きを示しています。これらの個体は墓の番号および墓内の位置の両方に基づいて分類表示されました。たとえば、M3SとM3MとM3Nは、それぞれM3墓の北側と中央側と南側に位置しており、他の個体についても同様です。自然人類学的評価では、M7とM8とM18を除くすべての多棺墓には男女の合葬が含まれている、と判断され、M7とM8とM18でヒト遺骸がないことは、埋葬後の攪乱もしくは略奪と疑われています。個体のほとんどは成人と特定され、例外とM2SとM11Mで、両者とも15歳頃の思春期の女性でした。注目すべきことに、男女の空間埋葬配置に関して一貫したパターンが存在し、各合葬墓内の男性は埋葬区域の中心軸の隣側に埋葬されましたが、女性はその外側に埋葬されました(図1A)。さらに、考古学的発掘調査を通じて、合葬墓の個体間の埋葬順序の確証が通常は可能で、どの個体が先に埋葬され、どの個体が後で埋葬されたのか、判断できます。この分析は、合葬墓内に埋葬された個体の死亡順序の重要な兆候を示唆します(図1B)。
前葦溝遺跡からは、ヒト遺骸の他には、人工遺物は最小限しか出土せず、数点の陶器の壺や磁器の壺や銅貨が含まれており、これらは一般家族の埋葬慣行を示唆しています(図1A・B)。ほとんどの硬貨は明王朝中期から清王朝初期までの連続した時期にまたがっており、一部の硬貨は北宋王朝(960~1127年)に属します(図1A)。墓の年代順がおもにこれらの硬貨の種類によって推定できるのは、墓の年代は最新の硬貨の最初の鋳造時期より後に違いないからです。墓の年代順はほぼ西から東に並んでいると分かり、これは各墓で観察されたヒト遺骸の頭蓋の西向きによってさらに裏づけられます。
●古代DNAの真正性および片親性遺伝標識
前葦溝考古学的遺跡から発掘された合計34個体は、核ゲノム網羅率の範囲が0.086~2.384倍、中央値の網羅率が0.877倍で、ショットガン配列決定されました。そのうち、31個体の核ゲノム網羅率が0.2倍超で、30個体のミトコンドリアの網羅率が50倍超でした。残りの4個体の低網羅率の個体、つまりM2NとM3MとM9MとM17Sについては、全体的なミトコンドリアゲノムのデータが、ヒトmtDNA精査での標的濃縮戦略を用いて得られました。古代DNAの真正性は多面的基準で評価され、それは顕著な損傷パターンと現代人のDNAの最小限の汚染率です。34個体の遺伝的性別はY染色体に対するX染色体の比率の評価によって決定されました[15]。その結果、15個体が男性、19個体が女性と分類されました。完全なmtDNA配列が34個体全員で回収され、網羅率の範囲は33~2419倍で、これらはアジア東部現代人のハプログループ[16]と関連する22系統のハプロタイプに割り当てられました。対照的に、男性15個体は全員YHg-D1a1b1a系統下に分類されました(表1)。この遺伝的特徴は、高いmtDNAの多様性とともに低いY染色体の多様性を顕著に示しており、前葦溝共同体における父系を示唆しています。
●家系図復元および空間埋葬配置との関連
配偶パターンを調べるために、まず34個体のROH[17]が分析されました。本論文の調査結果から、6個体のみが10cM未満の推定合計ROH長で検出可能なROHを示し、4cM超の単一のROH断片の個体は存在しなかった、と明らかになりました。近親交配もしくは小さな人口集団内の族内婚の状況で予測されるROH長の理論的分布と比較すると、この観察から、前葦溝遺跡個体群内のそうした慣行の証拠はない、との結論が導かれます。
KINを採用して、前葦溝遺跡の個体群における親族関係構造を解明するために、遺伝的関係が特定されました。分析の結果、19組の親子と5組のキョウダイの関係を含めて24組の1親等の関係と、28組の2親等の関係および21組の3親等の関係が明らかになりました(図2A)。これら密接な親族関係のつながりのほとんど(73組のうち72組、98.6%)が男性間(44組、60.2%)もしくは男性と女性間(28組、38.4%)だった一方で、女性間(1組、1.4%)の関係はひじょうに稀でした。このパターンは、対での不適正塩基対率および性別特異的外群f3統計(ムブティ人;個体A、個体B)分析[19]の結果によって裏づけられました。補完されたデータに基づく個体間の共有されたIBD分布のさらなる分析は一貫した結果を示し(図2A)、女性間の遺伝的類似性は最低で、男性間より有意に低かった、と示唆されます。これらの調査結果は、mtDNAの多様性よりも低いY染色体系統の多様性とともに、この家族におけるより多様な女性起源を示唆しているかもしれません。以下は本論文の図2です。
まず、親族関係および片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の結果や死亡時年齢および遺伝的性別に基づいて、2もしくは3世代にまたがる小さな家系図が構築されました。次に、それらが6世代の広範な家系図の形成へとじょじょに拡張されました。この家系図における2親等の関係の個体の2組、つまりM12NおよびM10SとM6SおよびM17の具体的な種類を判断するために、CRESTソフトウェアの性別推定基本単位が適用され、仲介となる個体の遺伝的性別が確認されました。その後の分析は、両者を介するのが男性だった、との説得力のある証拠を提供し、M12NはM10Sの母方祖父ではなく父方祖父で、M6SとM17の組み合わせでも同様に適用されました。この結果に基づいて、M12SとM10SとM6NとM17は父方の祖母と孫である、と判断できます。
2親等の関係の個体の他の2組、つまりM15NおよびM3SとM12NおよびM14Sについて、さまざまな親族関係群にわたるIBD断片分布パターンが調べられました。その結果、この4個体はオジのような親族関係の他の個体の組み合わせとまとまる、と明らかになりました(図2B)。M3墓に埋葬された硬貨の年代がほぼM4およびM19墓と一致するものの、M15墓より遅い、という考古学的証拠と、M15NとM3Sとの間の異なるmtHgを組み合わせると、M3SはM15Nのより古い世代の親族ではなく、M15Nの父方の甥である可能性が最も高い、と推測されます。同様に、M14SはM12Nの母方のオバと推測され、それは、M12N の祖父母とのM14Sの合葬は、M12NがM14Sより年長である可能性を除外するからです。さらに、M15NおよびM15SとM14NおよびM14MとM5SおよびM5NとM11NおよびM11Sなどの対合によって例証されるように、世代間の関係の調査によって、子供のいる男女6組のすべてが同じ墓に埋葬された配偶者だった、との決定的な遺伝学的証拠が提供され、これは俳句埋葬慣行に関する長年の考古学的仮説も確証します。したがって、直接的な子孫のいない残りの女性10個体を、上述の推論に基づいてこの家系図構造に当てはめることができ、最終的に33個体を含む家系図全体を復元できました(図3)。以下は本論文の図3です。
この家系図は、明確で途切れない父系を特徴としており、この家系図内の男性の全構成員は共通の祖先(M15N)を有しています。この拡張家族の起源は4人の息子を儲けたM15NとM15Sにあり、家族の構成員の大半はその2人の息子、つまりM14NとM16Sの配偶者に由来します。西方から東方への埋葬順序は祖先から子孫へと時系列的に進み、各合葬墓内の男性は埋葬九一の中央軸に隣接する側に埋葬されており、当初から意図的に計画された空間配置が示唆されます。この特有の埋葬パターンは歴史的文献に記録されている「階層配置」に属するかもしれず、当時の庶民の家族の文化的特徴を反映しています(図3)。具体的には、第1世代であるM15が墓内の最西端の位置を占めており、その4人の直系子孫(M14とM4とM16とM19)と甥1人(M3)が、南北外縁に沿って位置しています。
M8におけるヒト遺骸の欠如は、最近の墓穴の発掘による攪乱に起因するかもしれず、それが骨の損失と損傷をもたらしました。北側外縁の配置を考えると、M8に元々埋葬されていた個体はM15とおそらくはその息子として家族関係だった可能性が高そうです。第3世代(M13とM5)と第4世代(M6とM12とM11)と第5世代(M18とM9)を含めてその後の世代は墓の内側に埋葬されており、西から東への配置体系に従っています。しかし、第6世代の埋葬位置はわずかな逸脱をもたらしており、墓M17およびM6は西端に、墓M2は中心軸の配置を占めています。墓M2は中心軸の位置を占めていましたが、考古学的分析はM2の埋葬慣行と副葬品が他の墓と顕著に異なっていたわけではなかったことを示しています。したがって本論文では、M2の中心の位置が、その優越した家族の地位や富の強調など、特定の目的だった可能性は低い、と推測されます。むしろ、その空間配置の不規則性はおそらく、限られた埋葬空間か、埋葬慣行の強制における後の世代の恣意性に由来します。
●前葦溝遺跡個体群の遺伝的祖先系統と肖像的特徴
前葦溝遺跡人口集団の遺伝的特徴を解明するために、PCAを活用して、古代人のゲノムとユーラシア現代人集団で観察された多様性との間の相関が調べられました。その結果、前葦溝遺跡個体群はアジア東部人口集団に位置づけられる、と示されました。とくに、現在のアジア東部人口集団のPCAでは、前葦溝遺跡個体群は南方漢人集団とよりも現代の北方漢人集団の方とより密接に一致しました。前葦溝遺跡個体群は中国北部(黄河_LN、黄河_LBIA)と中国北東部の西遼河地域(西遼河_LN、西遼河_BA)の、後期新石器時代から青銅器時代の古代の人口集団[23]間で独特なクラスタ(まとまり)を形成し(図4A)、前葦溝遺跡個体群への中国北部人口集団の遺伝的影響が示唆されます。以下は本論文の図4です。
前葦溝遺跡人口集団とアジア東部人口集団との遺伝的つながりをさらに調べるために、f3形式(前葦溝、X;ムブティ人)の外群f3統計が採用され、ムブティ人は外群として機能します。本論文の調査結果から、前葦溝遺跡人口集団は廟子溝_MNや西遼河_LNや黄河_LNや黄河_LBIAの古代の人口集団と最高の遺伝的浮動を示している、と明らかになり、黄河関連人口集団との顕著ン祖先の遺伝的構成要素の共有が示唆されます。さらに、f4形式(ムブティ人、Y;X、前葦溝)のf4統計が実行され、YとXの両方として古代および現代のアジア東部の81人口集団が用いられました。この手法は、統計的に有意なZ得点を通じて、前葦溝遺跡人口集団と古代および現代のアジア東部の81の人口集団のそれぞれとの間の遺伝的差異の直接的な比較を可能とし、有意な結果が少ないほど、前葦溝人口集団と人口集団Xとの間のより強い遺伝的類似性を示唆します。Z得点の明確な地域的クラスタ化(まとまること)パターンが特定され、黄河と西遼河地域の人口集団(X)でより有意ではないZ得点が得られ、他のアジア東部人口集団と比較しての、前葦溝人口集団とのより強い類似性が浮き彫りになります(図4B)。最も説得力のある証拠は、前葦溝人口集団と黄河_唐[24]との間の比較から得られ、f4(ムブティ人、Y;黄河_唐、前葦溝)として形式化され(−2.703 < Z得点 < 3.008)、アジア東部人口集団の98.8%(80人口集団のうち79人口集団)は有意な閾値である3超のZ得点を上回ることができませんでした。これは、分析されたほぼすべてのアジア東部人口集団が、前葦溝人口集団および黄河_唐と同じ量の遺伝的浮動を共有している、と示唆しており、前葦溝遺跡人口集団と黄河_唐との間の最も近い遺伝的類似性が示唆されます。
前葦溝人口集団における遠い混合の隠れている痕跡を明らかにし、現存人口集団との比較によって過去4世紀のこの地域における重要なヒトの表現型形質の変化の可能性を解明するために、前葦溝人口集団のゲノムにおける重要な表現型関連SNPがさらに調べられました。まず、HIrisPlex-Sが活用され、これは41ヶ所のSNPの遺伝子座上の二倍体遺伝子型を用いて、髪や皮膚や虹彩の色を含めて、色素沈着と関連する外見的なヒトの形質を予測します。各形質の表現型予測に充分な配列決定網羅率のある前葦溝個体のうち、全員が、茶色の目(16個体)と黒色もしくは茶色の髪(20個体)と中間色か暗色か暗色から黒色の皮膚(24個体)を有していた、と予測されました。男女の個体の表現型の間で、有意な差異は観察されませんでした。これらの結果は、前葦溝遺跡個体群が在地の現在の人口集団に典型的な共通このアジア東部人の外見を均一に示している、と示唆しています。さらに、アジア東部人の独特な5ヶ所の関連SNPで充分な網羅率のある前葦溝遺跡個体群の遺伝子型が分析され、予測の結果はアジア東部現代人のアレル(対立遺伝子)頻度と一致します。前葦溝遺跡個体群の大半は、より直毛でより厚い髪およびシャベル型切歯(30個体のうち29個体)、乾燥した耳垢と無体臭(26個体のうち24個体)、乳糖不耐性(8個体のうち7個体)、フラッシング反応(飲酒によるすぐの紅潮反応)がないこと(28個体のうち24個体)を有しているかもしれず、そうした形質のすべては現存の在地人口集団で典型的な表現型です。まとめると、上述の結果は、過去数世紀のこの地域における人口集団の遺伝的連続性との一致を示しています。
●特定の空間パターンとの厳密な父系埋葬慣行
前葦溝考古学的遺跡は明確な父系埋葬体系を例証し、それは、全男性間の直接的な血縁で父系を固持している、6世代の単一の拡張家族によって特徴づけられます。一貫した父系とは対照的に、前葦溝墓地に埋葬された女性は複数の外部起源に由来していた、と考えられます。これらの女性は単に自身の男性の子孫とのみ関係しており、同じ世代の男性とは関連していません。さらに、姉妹や兄妹(姉弟)や父と娘や母と娘などの遺伝的関係が観察されず、前葦溝遺跡に埋葬された女性子孫の欠如が論証されます。上述の説得力のある証拠と組み合わせると、この家族は女性族外婚を行なっていた可能性が最も高く、女性族外婚は明王朝および清王朝期に最も一般的な結婚制度でした。
前葦溝遺跡の家族墓地の配置は比較的整然としているようで、考古学者は一般的に、前葦溝遺跡の家族墓地は、中国北部の明王朝および清王朝期における家族埋葬配置で一般的な慣行だった、昭穆(Zhaomu)埋葬パターンに属している、と仮定しています。この埋葬様式は周王朝に起源があり、最初の祖先で始まり複数世代によって組織されることが特徴ですが、通常は横列(もしくは縦列)の配置あたり1世代が固辞されており、各世代は順番に並んでいます。遺伝的親族関係分析は、前葦溝遺跡の家族の埋葬配置が昭穆パターンに従っていなかったことを示唆しています。むしろ、前葦溝遺跡の家族の埋葬配置は、臥馬(Woma)埋葬パターンとして知られている階層様式形成により密接に従っており、臥馬埋葬パターンでは、各世代の墓は対角線的に位置し、課長の墓を頂点としてまとまったV字型のパターンを形成し、飛行中のガンの形態に類似しています。このパターンは、前葦溝遺跡の家族墓地におけるいくつかの墓が、同じ世代の個体を含むものの、同じ横列もしくは縦列に位置していない理由を効果的に説明します。祖先の墓の特定に利用可能な墓碑銘もしくは他の情報はありませんが、古代DNAの結果は、その位置を明確にし、全構成員間の親族関係を確証して、各世代の特定の位置を決定し、利用における実際の埋葬パターンを確証します。したがって、明王朝および清王朝の家族墓地に関する多くの刊行されている資料では、昭穆埋葬パターンの説明されている埋葬パターンは正確ではないかもしれず、DNA配列決定および他の手法によるさらなる解明が必要です。
●結婚や親族関係の事例の特定の特異な形態が存在するかもしれません
前葦溝遺跡の19基の墓のうち、16基は合葬と特定されています。子孫の遺伝的関係の確証によって、これらの合葬は既婚夫婦のために使用され、16基のうち12基の墓には双棺が含まれているので、ほとんどは一夫一婦である可能性が高そうです。さらにまだ、複数の女性配偶者が埋葬されていた、3基の三棺の墓と1基の四棺の墓があります。考古学的発掘および死亡時年齢の調査に基づくと、これらの墓の異なる個体の埋葬順を区別でき、それは結婚が一夫多妻だったのか、あるいは元々の配偶者の死後の再婚だったのか、示唆するかもしれません。たとえば、墓M11では男性個体M11NがM11MおよびM11Sの両字を製の前に埋葬されている、と識別され、再婚の可能性は除外され、女性2個体は一夫多妻の関係で同時にM11Nと結婚していた、と示唆されます。対照的に、墓M3では、M3Mは成人女性と特定され、それぞれ中年の女性および男性と特定されたM3NおよびM3Sよりも早くに埋葬されました。一つの可能性は、M3Sには同時に2人の配偶者がいたことで、もう一つの可能性は、M3SがM3Mの死後にM3Nと結婚したことです。これら二つの可能性のうち一方を推測もしくは除外できるさらなる証拠はありません。
三棺墓のM9では、予想外に男性2個体と女性1個体が特定され、これは複数の女性配偶者が埋葬されている他の墓と一致しません。M9NとM9Sは中年の兄弟と特定されており、これは逆縁婚(レヴィレート婚)を示唆して、つまりは、一方の兄弟がもう一方の兄弟の未亡人と結婚するわけです。それにも関わらず、M9Mは若い成人女性と特定されており、考古学的証拠の観点では2人の兄弟より早く埋葬されており、逆縁婚の可能性は低そうです。さらに、そうした結婚形態はひじょうに稀で、歴史時代の中国の一部の少数民族では一般に行なわれていました。明王朝および清王朝期における支配的な婚姻制度は一夫一婦制を推奨しており、一夫多妻制の慣行はおもに内縁関係の形態をとっています。したがって、前葦溝遺跡の家族が逆縁婚を認めていた、と裏づける実質的な証拠は欠けています。さらに、これら3基の棺の空間配置から、M9SとM9Mのみが合葬されていた可能性は高そうです。M9Sの兄弟として、M9NがM9Sの近くに埋葬されることは妥当ですが、埋葬位置がずれており、異常な近さと混乱が生じました。
前葦溝遺跡の墓は、いくつかの独特な状況も示します。まず、いくつかの孤立した単棺が発掘されており、それには墓M16およびM17が含まれます。家系図によると、墓M16の北部区域の失われた個体はM15Nの息子で、M16Sと子供を儲けました。墓M16が現代の水道管体系によって破壊された、との記録を考えると、この配偶者はかつて墓M16に埋葬されていたものの、その遺骸はおそらく失われたか破損した、と推測されます。墓M17は、中年男性1個体の埋葬を含んでいるので、異なる状況をあらわしているかもしれず、結婚前に死亡した可能性を示唆しています。
家系図内の珍しい2親等の関係も特定され、これはM14S(第2世代で、M14Nの妻)とM12N(第4世代で、M14Nの孫)との間のオバと甥の関係で、つまり、M14SはM14Nと結婚したものの、その妹はM13N(M14Nの息子)と結婚し、息子であるM12Nを儲けたわけです。この状況は、姉妹が父親およびその息子と結婚した、と単純化できます。そうした結婚は、直接的な祖先間の結婚がなく、遺伝的要因もないため、近親相姦ではなく、むしろ異世代間結婚とみなされます。したがって、これは近親婚には当てはまりません。本論文は、明王朝後期および清王朝初期における異世代間の結婚の存在の遺伝学的証拠を提供し、これは当時の多様に結婚事情を反映しています。
●この研究の限界
本論文で調べられた家族埋葬遺跡の年代は、明王朝後期から清王朝初期です。この期間は比較的新しいため、本論文の分析から得られた埋葬慣行および社会組織についての結論はこの期間に焦点を当てており、歴史時代の中国全体におけるそうした伝統の起源と発展への洞察は限られています。歴史時代の中国の家族埋葬、とくにより古い時期の多様な地理的地域で行なわれる将来の大規模な古ゲノム研究が、伝統的な埋葬制度の発展および実際の運用の複雑さをさらに解明でき、したがって関連する歴史および社会学的研究に説得力のある実証的証拠を提供できるかもしれないことに、要注意です。
参考文献:
Wang J. et al.(2025): Genomic profiling of a six-generation patrilineal family of the Ming-Qing dynasties in China. iScience, 28, 7, 112968.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2025.112968
[9]Ning C. et al.(2021): Ancient genome analyses shed light on kinship organization and mating practice of Late Neolithic society in China. iScience, 24, 11, 103352.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2021.103352
関連記事
[10]Blöcher J. et al.(2023): Descent, marriage, and residence practices of a 3,800-year-old pastoral community in Central Eurasia. PNAS, 120, 36, e2303574120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2303574120
関連記事
[11]Rivollat M. et al.(2023): Extensive pedigrees reveal the social organization of a Neolithic community. Nature, 620, 7974, 600–606.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8
関連記事
[12]Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
関連記事
[13]Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2024): Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities. Nature, 629, 8011, 376–383.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07312-4
関連記事
[14]Wang K. et al.(2025): Ancient DNA reveals reproductive barrier despite shared Avar-period culture. Nature, 638, 8052, 1007–1014.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08418-5
関連記事
[15]Fu Q. et al.(2016): The genetic history of Ice Age Europe. Nature, 534, 7606, 200–205.
https://doi.org/10.1038/nature17993
関連記事
[16]Li YC. et al.(2019): River Valleys Shaped the Maternal Genetic Landscape of Han Chinese. Molecular Biology and Evolution, 36, 8, 1643-1652.
https://doi.org/10.1093/molbev/msz072
関連記事
[17]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
関連記事
[19]Raghavan M. et al.(2014): Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature, 505, 7481, 87–91.
https://doi.org/10.1038/nature12736
関連記事
[23]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[24]Ma H. et al.(2025): Ancient genomes shed light on the long-term genetic stability in the Central Plain of China. Science Bulletin, 70, 3, 333-337.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.07.024
関連記事
略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、CREST(classification of relationship types、関係の種類の分類)、WLR(West Liao River、西遼河)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、北京市孫河(Sunhe)郷の前葦溝(Qianweigou)遺跡と、モンゴル南部(中華人民共和国内モンゴル自治区)の廟子溝(Miaozigou)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。
●要約
歴史時代の家族墓地は楮化された埋葬様式に従っていることが多いものの、限られた文献記録や考古学的解釈の曖昧さのため、これらの配置の特定は困難です。考古遺伝学は、生物学的親族関係の判断の正確な手段を提供し、社会的関係および埋葬慣行の復元を可能とします。本論文では、北京の明清王朝の墓地である前葦溝の34個体から得られた古代DNAおよび背景データが分析され、6世代にまたがる父系家系図が復元されました。ゲノムデータは厳密な父系埋葬慣行を明らかにし、配偶者はともに埋葬され、無作為ではない東西の空間配置は世代の年代順を反映していました。書く世代は異なる一を占めており、階層的な埋葬様式です。本論文は、遺伝的データがどのように歴史的な親族関係構成を明らかにできるのか、論証し、明清期埋葬慣行についての仮説を洗練して、中華帝国後期における家族構造の理解を深めます。
●研究史
家族墓地は通常、ほぼ同じ選定地域内に位置し、整然と配置されて分布している、同じ家族の構成員の墓と定義されています。中国の歴史時代を通じて、考古学的調査結果から、家族墓地における埋葬配置は西周王朝以降多様な形態で存在し、秦および漢王朝から魏晋の歴史時代にかけて体系的慣行へとさらに発展した、と示唆されています。家族墓地の配置の解明は、古代社会における家族構成の性質の復元に役立つことができ、当時のさまざまな社会的および文化的慣行への深い洞察を提供します。しかし、王族もしくは交換の高位墓地を除いて、一般人口を表しているかもしれない多くの特定されていない墓地には、詳細な墓碑銘もしくは文字記録がほぼありません。そうした場合には、墓から発掘された個体間の遺伝的関係は、考古学的証拠のみで特定できません。これらの個体がじっさいに血縁による同じ家族の構成員なのかどうか、依然として不明です。したがって、具体的な埋葬様式は、ヒト遺骸の身体の位置や向きを同時代の文字記録と比較することによって推測するしかできず、それは決定的判断にはなり得ません。
古代DNA手法の進歩によって、ゲノム規模データからの直接的な証拠の取得と同じ墓地に埋葬された個体間の正確な遺伝的親族関係の決定が可能になり、それによって、家系図構造を構築できます[9~12]。考古学的および人類学的調査結果と組み合わせると、これらの評価に関する情報から、特定の埋葬様式についての推測が可能となり、それは同様に当時の社会の文化的慣行を反映しています[11、13、14]。しかしこれまで、中国の歴史時代における生物学的近縁性に関する古代DNA研究は空白なままで、考古学と歴史における家族埋葬のさらなる調査を大きく妨げています。
前葦溝遺跡は中国の北京に位置し、考古学的には明王朝(1368~1644年)および清王朝(1644~1912年)に分類されています。人工遺物の少なさと文字記録の欠如のため、考古学的証拠のみでの前葦溝墓地の具体的な埋葬慣行の判断はできません。この研究では、前葦溝遺跡から発掘された全個体のヒト骨格遺骸が標本抽出され、34個体のゲノム規模データが得られ、個体間の遺伝的関係および関連する埋葬慣行が調べられました。ゲノム証拠は、ミトコンドリアゲノムおよびY染色体データとともに、前葦溝遺跡における少なくとも6世代にまたがっていた厳密な父系の家系の存在を実証します。墓の空間的配置と復元された本論文の家系図の整合は、階層的配置の特定の様式を表している、意図的な計画的埋葬を示唆しており、これはこの期間の一般家族の文化的特徴を反映しているかもしれません。
●前葦溝遺跡の考古学的および人類学的洞察
前葦溝遺跡(北緯40度1分18.24秒、統計116度33分43.01秒)は、中国の北京の孫河郷の南東部に位置しています。前葦溝遺跡は北京考古研究所によって2019年に発掘され、考古学的には明王朝(1368~1644年)および清王朝(1644~1912年)とされ、M1~M19と分類表示された19基の竪穴墓が含まれており、それは単棺墓(3基)と双棺墓(12基)と三棺墓(3基)と四棺墓(1基)の4種類に分類できます(表1)。そのうち、M1は発掘区域の北西側に位置する孤立した単棺墓で、M2~M19は発掘区域の南側に集中し、この埋葬地域の中心軸の北側および南側に配置されています(図1A)。以下は本論文の図1です。
M2~M19から合計で34個体のヒト骨格遺骸が発掘され、頭蓋の一貫した西向きを示しています。これらの個体は墓の番号および墓内の位置の両方に基づいて分類表示されました。たとえば、M3SとM3MとM3Nは、それぞれM3墓の北側と中央側と南側に位置しており、他の個体についても同様です。自然人類学的評価では、M7とM8とM18を除くすべての多棺墓には男女の合葬が含まれている、と判断され、M7とM8とM18でヒト遺骸がないことは、埋葬後の攪乱もしくは略奪と疑われています。個体のほとんどは成人と特定され、例外とM2SとM11Mで、両者とも15歳頃の思春期の女性でした。注目すべきことに、男女の空間埋葬配置に関して一貫したパターンが存在し、各合葬墓内の男性は埋葬区域の中心軸の隣側に埋葬されましたが、女性はその外側に埋葬されました(図1A)。さらに、考古学的発掘調査を通じて、合葬墓の個体間の埋葬順序の確証が通常は可能で、どの個体が先に埋葬され、どの個体が後で埋葬されたのか、判断できます。この分析は、合葬墓内に埋葬された個体の死亡順序の重要な兆候を示唆します(図1B)。
前葦溝遺跡からは、ヒト遺骸の他には、人工遺物は最小限しか出土せず、数点の陶器の壺や磁器の壺や銅貨が含まれており、これらは一般家族の埋葬慣行を示唆しています(図1A・B)。ほとんどの硬貨は明王朝中期から清王朝初期までの連続した時期にまたがっており、一部の硬貨は北宋王朝(960~1127年)に属します(図1A)。墓の年代順がおもにこれらの硬貨の種類によって推定できるのは、墓の年代は最新の硬貨の最初の鋳造時期より後に違いないからです。墓の年代順はほぼ西から東に並んでいると分かり、これは各墓で観察されたヒト遺骸の頭蓋の西向きによってさらに裏づけられます。
●古代DNAの真正性および片親性遺伝標識
前葦溝考古学的遺跡から発掘された合計34個体は、核ゲノム網羅率の範囲が0.086~2.384倍、中央値の網羅率が0.877倍で、ショットガン配列決定されました。そのうち、31個体の核ゲノム網羅率が0.2倍超で、30個体のミトコンドリアの網羅率が50倍超でした。残りの4個体の低網羅率の個体、つまりM2NとM3MとM9MとM17Sについては、全体的なミトコンドリアゲノムのデータが、ヒトmtDNA精査での標的濃縮戦略を用いて得られました。古代DNAの真正性は多面的基準で評価され、それは顕著な損傷パターンと現代人のDNAの最小限の汚染率です。34個体の遺伝的性別はY染色体に対するX染色体の比率の評価によって決定されました[15]。その結果、15個体が男性、19個体が女性と分類されました。完全なmtDNA配列が34個体全員で回収され、網羅率の範囲は33~2419倍で、これらはアジア東部現代人のハプログループ[16]と関連する22系統のハプロタイプに割り当てられました。対照的に、男性15個体は全員YHg-D1a1b1a系統下に分類されました(表1)。この遺伝的特徴は、高いmtDNAの多様性とともに低いY染色体の多様性を顕著に示しており、前葦溝共同体における父系を示唆しています。
●家系図復元および空間埋葬配置との関連
配偶パターンを調べるために、まず34個体のROH[17]が分析されました。本論文の調査結果から、6個体のみが10cM未満の推定合計ROH長で検出可能なROHを示し、4cM超の単一のROH断片の個体は存在しなかった、と明らかになりました。近親交配もしくは小さな人口集団内の族内婚の状況で予測されるROH長の理論的分布と比較すると、この観察から、前葦溝遺跡個体群内のそうした慣行の証拠はない、との結論が導かれます。
KINを採用して、前葦溝遺跡の個体群における親族関係構造を解明するために、遺伝的関係が特定されました。分析の結果、19組の親子と5組のキョウダイの関係を含めて24組の1親等の関係と、28組の2親等の関係および21組の3親等の関係が明らかになりました(図2A)。これら密接な親族関係のつながりのほとんど(73組のうち72組、98.6%)が男性間(44組、60.2%)もしくは男性と女性間(28組、38.4%)だった一方で、女性間(1組、1.4%)の関係はひじょうに稀でした。このパターンは、対での不適正塩基対率および性別特異的外群f3統計(ムブティ人;個体A、個体B)分析[19]の結果によって裏づけられました。補完されたデータに基づく個体間の共有されたIBD分布のさらなる分析は一貫した結果を示し(図2A)、女性間の遺伝的類似性は最低で、男性間より有意に低かった、と示唆されます。これらの調査結果は、mtDNAの多様性よりも低いY染色体系統の多様性とともに、この家族におけるより多様な女性起源を示唆しているかもしれません。以下は本論文の図2です。
まず、親族関係および片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の結果や死亡時年齢および遺伝的性別に基づいて、2もしくは3世代にまたがる小さな家系図が構築されました。次に、それらが6世代の広範な家系図の形成へとじょじょに拡張されました。この家系図における2親等の関係の個体の2組、つまりM12NおよびM10SとM6SおよびM17の具体的な種類を判断するために、CRESTソフトウェアの性別推定基本単位が適用され、仲介となる個体の遺伝的性別が確認されました。その後の分析は、両者を介するのが男性だった、との説得力のある証拠を提供し、M12NはM10Sの母方祖父ではなく父方祖父で、M6SとM17の組み合わせでも同様に適用されました。この結果に基づいて、M12SとM10SとM6NとM17は父方の祖母と孫である、と判断できます。
2親等の関係の個体の他の2組、つまりM15NおよびM3SとM12NおよびM14Sについて、さまざまな親族関係群にわたるIBD断片分布パターンが調べられました。その結果、この4個体はオジのような親族関係の他の個体の組み合わせとまとまる、と明らかになりました(図2B)。M3墓に埋葬された硬貨の年代がほぼM4およびM19墓と一致するものの、M15墓より遅い、という考古学的証拠と、M15NとM3Sとの間の異なるmtHgを組み合わせると、M3SはM15Nのより古い世代の親族ではなく、M15Nの父方の甥である可能性が最も高い、と推測されます。同様に、M14SはM12Nの母方のオバと推測され、それは、M12N の祖父母とのM14Sの合葬は、M12NがM14Sより年長である可能性を除外するからです。さらに、M15NおよびM15SとM14NおよびM14MとM5SおよびM5NとM11NおよびM11Sなどの対合によって例証されるように、世代間の関係の調査によって、子供のいる男女6組のすべてが同じ墓に埋葬された配偶者だった、との決定的な遺伝学的証拠が提供され、これは俳句埋葬慣行に関する長年の考古学的仮説も確証します。したがって、直接的な子孫のいない残りの女性10個体を、上述の推論に基づいてこの家系図構造に当てはめることができ、最終的に33個体を含む家系図全体を復元できました(図3)。以下は本論文の図3です。
この家系図は、明確で途切れない父系を特徴としており、この家系図内の男性の全構成員は共通の祖先(M15N)を有しています。この拡張家族の起源は4人の息子を儲けたM15NとM15Sにあり、家族の構成員の大半はその2人の息子、つまりM14NとM16Sの配偶者に由来します。西方から東方への埋葬順序は祖先から子孫へと時系列的に進み、各合葬墓内の男性は埋葬九一の中央軸に隣接する側に埋葬されており、当初から意図的に計画された空間配置が示唆されます。この特有の埋葬パターンは歴史的文献に記録されている「階層配置」に属するかもしれず、当時の庶民の家族の文化的特徴を反映しています(図3)。具体的には、第1世代であるM15が墓内の最西端の位置を占めており、その4人の直系子孫(M14とM4とM16とM19)と甥1人(M3)が、南北外縁に沿って位置しています。
M8におけるヒト遺骸の欠如は、最近の墓穴の発掘による攪乱に起因するかもしれず、それが骨の損失と損傷をもたらしました。北側外縁の配置を考えると、M8に元々埋葬されていた個体はM15とおそらくはその息子として家族関係だった可能性が高そうです。第3世代(M13とM5)と第4世代(M6とM12とM11)と第5世代(M18とM9)を含めてその後の世代は墓の内側に埋葬されており、西から東への配置体系に従っています。しかし、第6世代の埋葬位置はわずかな逸脱をもたらしており、墓M17およびM6は西端に、墓M2は中心軸の配置を占めています。墓M2は中心軸の位置を占めていましたが、考古学的分析はM2の埋葬慣行と副葬品が他の墓と顕著に異なっていたわけではなかったことを示しています。したがって本論文では、M2の中心の位置が、その優越した家族の地位や富の強調など、特定の目的だった可能性は低い、と推測されます。むしろ、その空間配置の不規則性はおそらく、限られた埋葬空間か、埋葬慣行の強制における後の世代の恣意性に由来します。
●前葦溝遺跡個体群の遺伝的祖先系統と肖像的特徴
前葦溝遺跡人口集団の遺伝的特徴を解明するために、PCAを活用して、古代人のゲノムとユーラシア現代人集団で観察された多様性との間の相関が調べられました。その結果、前葦溝遺跡個体群はアジア東部人口集団に位置づけられる、と示されました。とくに、現在のアジア東部人口集団のPCAでは、前葦溝遺跡個体群は南方漢人集団とよりも現代の北方漢人集団の方とより密接に一致しました。前葦溝遺跡個体群は中国北部(黄河_LN、黄河_LBIA)と中国北東部の西遼河地域(西遼河_LN、西遼河_BA)の、後期新石器時代から青銅器時代の古代の人口集団[23]間で独特なクラスタ(まとまり)を形成し(図4A)、前葦溝遺跡個体群への中国北部人口集団の遺伝的影響が示唆されます。以下は本論文の図4です。
前葦溝遺跡人口集団とアジア東部人口集団との遺伝的つながりをさらに調べるために、f3形式(前葦溝、X;ムブティ人)の外群f3統計が採用され、ムブティ人は外群として機能します。本論文の調査結果から、前葦溝遺跡人口集団は廟子溝_MNや西遼河_LNや黄河_LNや黄河_LBIAの古代の人口集団と最高の遺伝的浮動を示している、と明らかになり、黄河関連人口集団との顕著ン祖先の遺伝的構成要素の共有が示唆されます。さらに、f4形式(ムブティ人、Y;X、前葦溝)のf4統計が実行され、YとXの両方として古代および現代のアジア東部の81人口集団が用いられました。この手法は、統計的に有意なZ得点を通じて、前葦溝遺跡人口集団と古代および現代のアジア東部の81の人口集団のそれぞれとの間の遺伝的差異の直接的な比較を可能とし、有意な結果が少ないほど、前葦溝人口集団と人口集団Xとの間のより強い遺伝的類似性を示唆します。Z得点の明確な地域的クラスタ化(まとまること)パターンが特定され、黄河と西遼河地域の人口集団(X)でより有意ではないZ得点が得られ、他のアジア東部人口集団と比較しての、前葦溝人口集団とのより強い類似性が浮き彫りになります(図4B)。最も説得力のある証拠は、前葦溝人口集団と黄河_唐[24]との間の比較から得られ、f4(ムブティ人、Y;黄河_唐、前葦溝)として形式化され(−2.703 < Z得点 < 3.008)、アジア東部人口集団の98.8%(80人口集団のうち79人口集団)は有意な閾値である3超のZ得点を上回ることができませんでした。これは、分析されたほぼすべてのアジア東部人口集団が、前葦溝人口集団および黄河_唐と同じ量の遺伝的浮動を共有している、と示唆しており、前葦溝遺跡人口集団と黄河_唐との間の最も近い遺伝的類似性が示唆されます。
前葦溝人口集団における遠い混合の隠れている痕跡を明らかにし、現存人口集団との比較によって過去4世紀のこの地域における重要なヒトの表現型形質の変化の可能性を解明するために、前葦溝人口集団のゲノムにおける重要な表現型関連SNPがさらに調べられました。まず、HIrisPlex-Sが活用され、これは41ヶ所のSNPの遺伝子座上の二倍体遺伝子型を用いて、髪や皮膚や虹彩の色を含めて、色素沈着と関連する外見的なヒトの形質を予測します。各形質の表現型予測に充分な配列決定網羅率のある前葦溝個体のうち、全員が、茶色の目(16個体)と黒色もしくは茶色の髪(20個体)と中間色か暗色か暗色から黒色の皮膚(24個体)を有していた、と予測されました。男女の個体の表現型の間で、有意な差異は観察されませんでした。これらの結果は、前葦溝遺跡個体群が在地の現在の人口集団に典型的な共通このアジア東部人の外見を均一に示している、と示唆しています。さらに、アジア東部人の独特な5ヶ所の関連SNPで充分な網羅率のある前葦溝遺跡個体群の遺伝子型が分析され、予測の結果はアジア東部現代人のアレル(対立遺伝子)頻度と一致します。前葦溝遺跡個体群の大半は、より直毛でより厚い髪およびシャベル型切歯(30個体のうち29個体)、乾燥した耳垢と無体臭(26個体のうち24個体)、乳糖不耐性(8個体のうち7個体)、フラッシング反応(飲酒によるすぐの紅潮反応)がないこと(28個体のうち24個体)を有しているかもしれず、そうした形質のすべては現存の在地人口集団で典型的な表現型です。まとめると、上述の結果は、過去数世紀のこの地域における人口集団の遺伝的連続性との一致を示しています。
●特定の空間パターンとの厳密な父系埋葬慣行
前葦溝考古学的遺跡は明確な父系埋葬体系を例証し、それは、全男性間の直接的な血縁で父系を固持している、6世代の単一の拡張家族によって特徴づけられます。一貫した父系とは対照的に、前葦溝墓地に埋葬された女性は複数の外部起源に由来していた、と考えられます。これらの女性は単に自身の男性の子孫とのみ関係しており、同じ世代の男性とは関連していません。さらに、姉妹や兄妹(姉弟)や父と娘や母と娘などの遺伝的関係が観察されず、前葦溝遺跡に埋葬された女性子孫の欠如が論証されます。上述の説得力のある証拠と組み合わせると、この家族は女性族外婚を行なっていた可能性が最も高く、女性族外婚は明王朝および清王朝期に最も一般的な結婚制度でした。
前葦溝遺跡の家族墓地の配置は比較的整然としているようで、考古学者は一般的に、前葦溝遺跡の家族墓地は、中国北部の明王朝および清王朝期における家族埋葬配置で一般的な慣行だった、昭穆(Zhaomu)埋葬パターンに属している、と仮定しています。この埋葬様式は周王朝に起源があり、最初の祖先で始まり複数世代によって組織されることが特徴ですが、通常は横列(もしくは縦列)の配置あたり1世代が固辞されており、各世代は順番に並んでいます。遺伝的親族関係分析は、前葦溝遺跡の家族の埋葬配置が昭穆パターンに従っていなかったことを示唆しています。むしろ、前葦溝遺跡の家族の埋葬配置は、臥馬(Woma)埋葬パターンとして知られている階層様式形成により密接に従っており、臥馬埋葬パターンでは、各世代の墓は対角線的に位置し、課長の墓を頂点としてまとまったV字型のパターンを形成し、飛行中のガンの形態に類似しています。このパターンは、前葦溝遺跡の家族墓地におけるいくつかの墓が、同じ世代の個体を含むものの、同じ横列もしくは縦列に位置していない理由を効果的に説明します。祖先の墓の特定に利用可能な墓碑銘もしくは他の情報はありませんが、古代DNAの結果は、その位置を明確にし、全構成員間の親族関係を確証して、各世代の特定の位置を決定し、利用における実際の埋葬パターンを確証します。したがって、明王朝および清王朝の家族墓地に関する多くの刊行されている資料では、昭穆埋葬パターンの説明されている埋葬パターンは正確ではないかもしれず、DNA配列決定および他の手法によるさらなる解明が必要です。
●結婚や親族関係の事例の特定の特異な形態が存在するかもしれません
前葦溝遺跡の19基の墓のうち、16基は合葬と特定されています。子孫の遺伝的関係の確証によって、これらの合葬は既婚夫婦のために使用され、16基のうち12基の墓には双棺が含まれているので、ほとんどは一夫一婦である可能性が高そうです。さらにまだ、複数の女性配偶者が埋葬されていた、3基の三棺の墓と1基の四棺の墓があります。考古学的発掘および死亡時年齢の調査に基づくと、これらの墓の異なる個体の埋葬順を区別でき、それは結婚が一夫多妻だったのか、あるいは元々の配偶者の死後の再婚だったのか、示唆するかもしれません。たとえば、墓M11では男性個体M11NがM11MおよびM11Sの両字を製の前に埋葬されている、と識別され、再婚の可能性は除外され、女性2個体は一夫多妻の関係で同時にM11Nと結婚していた、と示唆されます。対照的に、墓M3では、M3Mは成人女性と特定され、それぞれ中年の女性および男性と特定されたM3NおよびM3Sよりも早くに埋葬されました。一つの可能性は、M3Sには同時に2人の配偶者がいたことで、もう一つの可能性は、M3SがM3Mの死後にM3Nと結婚したことです。これら二つの可能性のうち一方を推測もしくは除外できるさらなる証拠はありません。
三棺墓のM9では、予想外に男性2個体と女性1個体が特定され、これは複数の女性配偶者が埋葬されている他の墓と一致しません。M9NとM9Sは中年の兄弟と特定されており、これは逆縁婚(レヴィレート婚)を示唆して、つまりは、一方の兄弟がもう一方の兄弟の未亡人と結婚するわけです。それにも関わらず、M9Mは若い成人女性と特定されており、考古学的証拠の観点では2人の兄弟より早く埋葬されており、逆縁婚の可能性は低そうです。さらに、そうした結婚形態はひじょうに稀で、歴史時代の中国の一部の少数民族では一般に行なわれていました。明王朝および清王朝期における支配的な婚姻制度は一夫一婦制を推奨しており、一夫多妻制の慣行はおもに内縁関係の形態をとっています。したがって、前葦溝遺跡の家族が逆縁婚を認めていた、と裏づける実質的な証拠は欠けています。さらに、これら3基の棺の空間配置から、M9SとM9Mのみが合葬されていた可能性は高そうです。M9Sの兄弟として、M9NがM9Sの近くに埋葬されることは妥当ですが、埋葬位置がずれており、異常な近さと混乱が生じました。
前葦溝遺跡の墓は、いくつかの独特な状況も示します。まず、いくつかの孤立した単棺が発掘されており、それには墓M16およびM17が含まれます。家系図によると、墓M16の北部区域の失われた個体はM15Nの息子で、M16Sと子供を儲けました。墓M16が現代の水道管体系によって破壊された、との記録を考えると、この配偶者はかつて墓M16に埋葬されていたものの、その遺骸はおそらく失われたか破損した、と推測されます。墓M17は、中年男性1個体の埋葬を含んでいるので、異なる状況をあらわしているかもしれず、結婚前に死亡した可能性を示唆しています。
家系図内の珍しい2親等の関係も特定され、これはM14S(第2世代で、M14Nの妻)とM12N(第4世代で、M14Nの孫)との間のオバと甥の関係で、つまり、M14SはM14Nと結婚したものの、その妹はM13N(M14Nの息子)と結婚し、息子であるM12Nを儲けたわけです。この状況は、姉妹が父親およびその息子と結婚した、と単純化できます。そうした結婚は、直接的な祖先間の結婚がなく、遺伝的要因もないため、近親相姦ではなく、むしろ異世代間結婚とみなされます。したがって、これは近親婚には当てはまりません。本論文は、明王朝後期および清王朝初期における異世代間の結婚の存在の遺伝学的証拠を提供し、これは当時の多様に結婚事情を反映しています。
●この研究の限界
本論文で調べられた家族埋葬遺跡の年代は、明王朝後期から清王朝初期です。この期間は比較的新しいため、本論文の分析から得られた埋葬慣行および社会組織についての結論はこの期間に焦点を当てており、歴史時代の中国全体におけるそうした伝統の起源と発展への洞察は限られています。歴史時代の中国の家族埋葬、とくにより古い時期の多様な地理的地域で行なわれる将来の大規模な古ゲノム研究が、伝統的な埋葬制度の発展および実際の運用の複雑さをさらに解明でき、したがって関連する歴史および社会学的研究に説得力のある実証的証拠を提供できるかもしれないことに、要注意です。
参考文献:
Wang J. et al.(2025): Genomic profiling of a six-generation patrilineal family of the Ming-Qing dynasties in China. iScience, 28, 7, 112968.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2025.112968
[9]Ning C. et al.(2021): Ancient genome analyses shed light on kinship organization and mating practice of Late Neolithic society in China. iScience, 24, 11, 103352.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2021.103352
関連記事
[10]Blöcher J. et al.(2023): Descent, marriage, and residence practices of a 3,800-year-old pastoral community in Central Eurasia. PNAS, 120, 36, e2303574120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2303574120
関連記事
[11]Rivollat M. et al.(2023): Extensive pedigrees reveal the social organization of a Neolithic community. Nature, 620, 7974, 600–606.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8
関連記事
[12]Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
関連記事
[13]Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2024): Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities. Nature, 629, 8011, 376–383.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07312-4
関連記事
[14]Wang K. et al.(2025): Ancient DNA reveals reproductive barrier despite shared Avar-period culture. Nature, 638, 8052, 1007–1014.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08418-5
関連記事
[15]Fu Q. et al.(2016): The genetic history of Ice Age Europe. Nature, 534, 7606, 200–205.
https://doi.org/10.1038/nature17993
関連記事
[16]Li YC. et al.(2019): River Valleys Shaped the Maternal Genetic Landscape of Han Chinese. Molecular Biology and Evolution, 36, 8, 1643-1652.
https://doi.org/10.1093/molbev/msz072
関連記事
[17]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
関連記事
[19]Raghavan M. et al.(2014): Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature, 505, 7481, 87–91.
https://doi.org/10.1038/nature12736
関連記事
[23]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[24]Ma H. et al.(2025): Ancient genomes shed light on the long-term genetic stability in the Central Plain of China. Science Bulletin, 70, 3, 333-337.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.07.024
関連記事





この記事へのコメント