山西省と陝西省の後期新石器時代人類のゲノムデータ
中華人民共和国の山西省と陝西省の後期新石器時代の遺跡で発見された人類がのゲノムデータを報告した研究(Huang et al., 2025)が公表されました。本論文は、山西省と陝西省(山西陝西地域)の後期新石器時代の3ヶ所の遺跡で発見された後期新石器時代人類の新たなゲノムデータを報告しています。これら山西陝西地域の後期新石器時代集団のゲノムは、おもに中原の仰韶(Yangshao)文化集団関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)で構成され、低い割合のアジア北東部関連祖先系統も確認されました。一方で、このうち外れ値の1個体では、紅山(Hongshan)文化集団との遺伝的類似性が示されました。これらの知見は、現在の中国北部における後期新石器時代の地域間の人口相互作用を示唆しています。なお本論文では、後期新石器時代の1個体と五帝の一人である舜帝(Emperor Shun)との父系での関連が示唆されていますが、正直なところ飛躍しすぎのように思います。
[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)です。地域の略称は、AR(Amur River、アムール川)とWLR(West Liao River、西遼河)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、山西省の陶寺(Taosi、略してTS)遺跡、陝西省の石峁(Shimao、略してSM)遺跡と蘆山峁(Lushanmao、略してLSM)遺跡と神圪墶梁(Shengedaliang)遺跡、西遼河地域の裕民(Yumin)遺跡と廟子溝(Miaozigou)遺跡と興隆窪(Xinglongwa)遺跡です。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使っていませんが、以下の本論文の翻訳では、「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
後期新石器時代の黄河中流域は、中原と北方草原地帯との間の文化的交流の最前線でした。陶寺遺跡や石峁遺跡やと蘆山峁遺跡などこの期間に出現した注目すべき遺跡は、初期中華文明の形成に重要な役割を果たしました。本論文は、これら3ヶ所の遺跡の8個体の古代ゲノムデータを報告します。集団遺伝学的分析から、これらの個体の祖先系統はおもに中原の仰韶文化人口集団と翰林しており、アジア北東部祖先系統によって補完されている、と明らかになりました。蘆山峁遺跡において遺伝的外れ値の1個体も見つかり、この個体は過剰のアジア北東部祖先系統を持っており、および紅山文化人口集団と類似した遺伝的背景を有していました。これらの調査結果は、現在の中国北部の後期新石器時代における遺伝的相互作用および人口移動のより詳細な状況を提供し、地域間の人口相互作用を示唆します。
●研究史
後期新石器時代末は、【現在の】中国における急速な社会的変化の時期でした。この時期に黄河中流域、とくに現在の山西省や陝西省では、石峁遺跡(4300~3800年前頃)や陶寺遺跡(4300~3900年前頃)や蘆山峁遺跡(4300~4100年前頃)など、数百万m²の面積にわたる一連の大規模な中核集落が出現し、龍山(Longshan)文化初期段階以降の全体的な再興の傾向を論証します。密接な考古学的相互作用が、これら3ヶ所の遺跡【石峁遺跡と陶寺遺跡と蘆山峁遺跡】では観察されました。蘆山峁遺跡の一部の土器や玉器は陶寺遺跡の初期段階と類似しており、両遺跡には大型の版築建造物があります。石峁遺跡と蘆山峁遺跡では、玉器が壁に埋め込まれており、これは両遺跡で共有されている埋葬慣行かもしれません。さらに、蘆山峁遺跡のM1は、人々が暮らし続けた家屋内に死者を埋葬する埋葬慣行である居室葬(Jushizang)です。この慣行は西遼河地域の裕民遺跡と興隆窪遺跡でも見られ、黄河中流域と西遼河地域との間の文化的接触の可能性を示唆しています。
以前の古代DNA研究では、廟子溝遺跡や神圪墶梁遺跡など黄河流域周縁の人口集団はおもに、主要な供給源として仰韶文化と関連する黄河祖先系統(黄河_MN)と、小さな供給源としてアムール川流域関連のアジア北東部祖先系統(AR_EN)の混合した遺伝的背景を示した、と明らかにされてきました[13]。これは、中原の中核地域とより広範なアジア北東部地域との間の遺伝子流動の相互作用を反映しています。龍山文化期における陝西北部と山西南部の人口集団間の遺伝的類似性はミトコンドリアゲノムによっても裏づけられており、山西陝西地域内の密接な遺伝的関係が示唆されます。しかし、山西陝西地域の後期新石器時代人口集団の祖先系統組成の詳細な解明はまだありません。
後期新石器時代山西陝西地域の人口集団の遺伝的組成を理解するために、研究対象として古代人8個体が選択されました。蘆山峁遺跡の標本はM1の居住者およびその犠牲とされた3個体に由来し、蘆山峁1~4号と命名されます。石峁遺跡の標本は青銅製および翡翠製の輪一式とともに発掘された橈骨、および玉器とともに石壁に埋葬された歯によって表される2個体に由来し、石峁1~3号と命名されます。陶寺遺跡の1個体は中期の君主の大霊廟であるIIM22に由来し、この霊廟には玉器や漆塗りの木製品など大量の副葬品があり、その所有者が王族の地位にあることを示唆しています。この個体はTSと命名されました。
●標本と手法
対象個体のDNA抽出とともに、汚染率が推定されました。性染色体と常染色体のマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)比から、性別が推定されました。片親性遺伝標識であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も決定されました。標本間の親族関係の可能性を検出するために、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)に基づくREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)第2版と同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)に基づくKIN(Kinship INference、親族関係の推測)が用いられました。得られた疑似半数体ゲノムデータは、既知のデータ[35]と統合されました。SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)が597573ヶ所のヒト起源(Human Origins、略してHO)に基づくデータセットは、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)に用いられました。SNPが約124万ヶ所(1233013ヶ所)のデータは、ADMIXTURE分析やf統計に基づく分析やROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)分析に用いられました。ADMIXTURE分析では、K(系統構成要素数)=2~8の各値で10回繰り返されました。同質性検定と混合モデル化はqpWave/qpAdmで行なわれ、標本のROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)の可能性の検出には、hapROH[40]が用いられました。
●データ概要
本論文は、後期新石器時代山西陝西地域の蘆山峁遺跡と石峁遺跡と陶寺遺跡から新たに生成された8個体のゲノム規模データを報告し、この地域における人口集団の内部構造および近隣集団との遺伝的交流の可能性をさらに調べます。全標本は、5’/3’末端におけるシトシン(C)→チミン(T)/グアニン(G)→アデニン(A)の誤取り込みの死後損傷の兆候を示しました。読み取りの平均長は54.49~68.09塩基対の間で、これは脱プリン化によって起きる古代DNAの断片化パターンと一致しました。
Sex.DetERRmineの結果によると、蘆山峁3号と石峁1号は高いX染色体の比率(蘆山峁3号では0.715、石峁1号では0.779)から核型はXXである可能性が高く、この2点の標本は女性と示唆されました。蘆山峁4号を除く残りの7個体は、10万ヶ所以上のSNP(146528~723608ヶ所)で網羅されており、比較的正確な集団遺伝学的分析に充分でした。全標本は低水準(5%未満)のmtDNAと核DNAの汚染率を示しました。2親等もしくはそれ以下の親族関係は、新たに解析された個体間では見つかりませんでした。
YHgは、漢人で頻繁に見られるOα(M117、O2a2b1a1)とOβ(F46、O2a2b1a2a1a)や、アジア北東部人およびシナ・チベット語族人口集団においてより低頻度で見られるN1aとN1b2でした。mtHgはYHgよりも高い多様性を示したものの、以前に報告された陝西省北部および山西省南部の新石器時代人口集団の多様ライの範囲と基本的には一致しました。
●山西陝西地域に広がっていた混合祖先系統
それぞれ南北および大陸部と沿岸部の分化を示唆する主成分(PC)1および2で構成されるPCA空間において、アジア東部人はほぼ3点の遺伝的勾配に区分された、と観察できます。それは、(1)第四象限に向かうアジア北東部関連勾配で、おもにアムール川地域とモンゴル高原とロシア極東の古代の人口集団や現代のモンゴル語族およびツングース語族話者人口集団が含まれます。(2)第三象限に向かうアジア南東部関連勾配で、おもに中国南部沿岸とアジア南東部の古代の人口集団や、現代のミャオ・ヤオ語族とクラ・ダイ語族とオーストロネシア語族とオーストロアジア語族を話す人口集団が含まれます。(3)シナ・チベット語族関連勾配で、おもに黄河地域とチベット高原とネパールの古代の人口集団や、現代のシナ・チベット語族話者人口集団が含まれます。シナ・チベット語族関連勾配は、それぞれ古代チベット人集団と現代漢人集団を通じて、アジア北東部関連勾配およびアジア南東部関連勾配とつながっていました(図1)。以下は本論文の図1です。
後期新石器時代山西陝西地域の標本は、シナ・チベット語族関連勾配とアジア北東部関連勾配の交点に投影され、黄河地域の古代の人口集団とまとまりました(図1)。後期新石器時代山西陝西地域人口集団の遺伝的組成は、中原の古代の人口集団との密接な関係を示唆しました。f₃形式(ムブティ人;参照人口集団X、後期新石器時代山西陝西地域の人口集団)で測定すると、これらの人口集団は相互と、もしくは黄河地域の周縁の他の古代の人口集団(たとえば、神圪墶梁遺跡の石峁_LNもしくは廟子溝遺跡の廟子溝_MN)と最高の遺伝的類似性を共有していました。これらの人口集団は、黄河_MNおよびAR_EN関連祖先系統の2方向混合モデルに適合する、と証明されました[13]。
対象人口集団の遺伝的祖先系統に関するより多くの洞察を得るために、Kの範囲が2~8の一連の教師無ADMIXTURE分析も実行されました。交差検証誤差はKが2~8にかけて次第に増加し、K=6以後では最頻値不一致が顕れました。これは、直接的および堅牢にK値を決定することが困難であることを意味しています。それにも関わらず、ユーラシア東部内、とくにアジア東部北方人口集団における祖先系統の分化の特徴づけが必要です。解釈のため最小交差検証誤差のK=2を選択すると、この要件を満たしません。代わりにK=4が選択され、アジア東部北方関連祖先系統はアジア北東部関連下位群(黄色)とチベット高原関連下位群(赤色)に区分されました(図2)。アジア東部南方関連祖先系統(青色)とともに、ユーラシア東部関連の3祖先系統はPCA図の3勾配に対応しています(図1)。K=4でのADMIXTUREの結果では、後期新石器時代山西陝西地域の標本は蘆山峁1号を除いて、石峁_LNとひじょうに類似した遺伝的特性を示しており、後期新石器時代山西陝西地域における共有された遺伝的つながりが示唆されました。以下は本論文の図2です。
この共有された遺伝的特性をさらに理解するために、qpAdmを用いて、対象の人口集団および関連する人口集団がモデル化されました。本論文は、競合モデルを比較するために、勝ち抜き賢明枠組み[45]が実装されました。アジア北東部関連供給源としてAR_ENもしくは裕民遺跡個体が選択され、それは、裕民遺跡と蘆山峁遺跡では居室葬の埋葬慣行が共有されていたからです。黄河地域周縁の人口集団は、裕民関連祖先系統(7.8~23.7%)と黄河_MN関連祖先系統(76.3~92.2%)の2方向混合として最適にモデル化されました(図4)。注目すべきは、石峁遺跡の新たに報告された個体群では、裕民関連祖先系統の割合が最低だったことです。対照的に、35km離れた神圪墶梁遺跡の個体群(石峁_LN)は、後期新石器時代山西陝西地域の他の人口集団よりも多くの裕民関連祖先系統を有しており、そうした混合祖先系統は相対的な割合の観点では異なる遺跡間で不均質だった、と示唆されます。
●蘆山峁1号は後期新石器時代山西陝西地域における遺伝的外れ値です
後期新石器時代山西陝西地域の人口集団は、上述の2方向混合祖先系統によってまとまって関連している遺伝的クラスタ(まとまり)を形成しましたが、蘆山峁遺跡の蘆山峁1号は予期せぬ紅山文化関連の遺伝的背景を有していた、とさらに分かりました。一連のf₄形式(ムブティ人、参照人口集団X;後期新石器時代山西陝西地域の他の人口集団、蘆山峁1号)のf₄統計が計算され、蘆山峁1号が他の人口集団とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しているのかどうか、判断されました。f₄統計の有意な正の値(Z > 3)によって証明されるように、蘆山峁1号はWLR_MNと強い遺伝的類似性を示しました(図3)。さまざまな古代の人口集団の組み合わせの遺伝的均質性を検証する対でのqpAdm分析では、蘆山峁1号はWLR_MNおよび廟子溝_MNとクラスタ化し(まとまって)、周辺の同時代度とはかなり異なる遺伝的特性が論証されます。以下は本論文の図3です。
PCAとADMIXTURE分析では、蘆山峁1号は後期新石器時代山西陝西地域の他の人口集団に共有されている遺伝的パターンから逸れており、f統計に基づく分析の結果と一致します。蘆山峁1号はPC1とPC2で構成されるPCA空間において、アジア北東部関連勾配の方へと動いていました(図1)。アジア北東部古代人からのこの追加の遺伝子流動は、教師無ADMIXTURE分析で蘆山峁1号が有していた過剰なアジア北東部関連構成要素によっても補強されました。蘆山峁1号は裕民関連祖先系統と黄河_MN関連祖先系統の2方向混合としても差異的にモデル化でき、両者の比率はWLR_MNとひじょうに類似しています(図4)。さらに、f₃形式(ムブティ人;参照人口集団X、蘆山峁1号)の外群f₃統計では、蘆山峁1号はWLR_MNと最も多い遺伝的変化を共有していた、と示されました。これらの結果は、qpWaveによって確証された蘆山峁1号とWLR_MNの均質性と一致します。以下は本論文の図4です。
●ROH分析は近親婚との関連の可能性を明らかにします
hapROHを用いて、後期新石器時代山西陝西地域の古代人標本における4cM(センチモルガン)以上のROHも調べられました。驚くべきことに、蘆山峁1号は合計で254.75cMのROHを有しており、最長のROHは41.32cMと分かり、両親の近縁性が示唆されます(図5)。対照的に、他の標本では1ヶ所のみのROH(約6cM)が検出されました(石峁2号)。次に、中国北部の他の関連する標本でROHの可能性について検査され、WLR_MNの2個体もROH断片を多数有している、と分かりました。WLR_MN関連祖先系統の2方向混合に伴うこれらのROHについての説明は、紅山文化で観察された神権政治慣行です。そうした神権政治社会における宗教階級は、血統維持のための特別な観念と慣行を有しており、そのために近親交配が生じたかもしれません。蘆山峁1号の有していた短いROH断片の多数と他の個体におけるROH断片の欠如との間の対照性から、蘆山峁1号にはより小さな有効人口規模の遺伝的背景があり、山西陝西地域において他の人口集団との遺伝的混合を経なかったかもしれない、ということも示唆されます。以下は本論文の図5です。
●考察
後期新石器時代の山西陝西地域は、中原と北方草原地帯の古代の人口集団間の接触および文化的交流の最前線で、黄土高原における一連の大規模な定住をもたらし、そのうち陶寺遺跡と石峁遺跡と蘆山峁遺跡は最も有名です。この3ヶ所の遺跡間の文化的関連および共有された儀式慣行は、人口集団の相互作用の可能性を示唆しています。本論文で報告された後期新石器時代山西陝西地域の古代人8個体のゲノムの集団遺伝学的分析から、これらの人口集団の遺伝的特性は地理的分布と関連しており、黄河流域関連祖先系統が優勢で、古代アジア北東部関連祖先系統によって補完される遺伝的背景を示し、中原および北方草原地帯の二重の文化的影響と一致する、と分かりました。比較qpAdmモデル化(図4)では、アジア北東部関連祖先系統は時空間的に近位供給源である裕民遺跡個体と関連しているかもしれない、と明らかになり、裕民遺跡は蘆山峁遺跡と居室葬の埋葬慣行を共有していました。しかし、裕民遺跡の標本規模は1個体のみなので、これは最適なモデルを判断するqpAdmの検出力を弱めていたかもしれません。したがって、本論文で報告されたqpAdmの結果は、より慎重に扱うべきことが推奨されます。この渓谷は、対象人口集団の標本規模が1である、蘆山峁1号およびTSを含むモデルにも適用されます。このアジア北東部関連祖先系統の最適かもしれない代理を探すためには、近隣地域の前期および中期新石器時代人口集団より徹底した標本抽出が必要です。
ほとんどの個体は類似した祖先系統組成を有していますが、蘆山峁1号は後期新石器時代山西陝西地域において遺伝的外れ値と分かりました。蘆山峁1号はより高い割合のアジア北東部関連祖先系統を有しており、紅山文化関連人口集団(WLR_MN)と類似しています(図2および図4)。蘆山峁1号が有するROH断片の調査から、蘆山峁1号のROH断片は250cM以上で、蘆山峁1号がおそらく1親等のイトコ間の子孫だったことも示されました。多数のROHが紅山文化関連人口集団でも検出されたことを考えると、この紅山文化関連祖先系統と近親交配の共存は、紅山文化の神権政治的社会に由来していたかもしれない、と仮定されます。紅山文化は墓に埋葬された多数の翡翠の供物と、宗教的な生贄儀式で用いられた石の祭壇で知られています。これらの文化慣行は、WLR_MNが属していた半拉山(Banlashan)遺跡でも支配的役割を果たしていました。宗教的もしくは儀式的行動は紅山文化の社会権力制度の中核で、紅山文化人口集団は神権政治に大きな意義を認めていた、と示唆されます。神権政治の重視は血統維持の重要性を正当化し、それ故に近親婚の慣行を促進したかもしれません。
しかし、WLR_MNの有する多数の短いROH断片によって示唆されるように、より小さな人口規模の影響を除外できません。蘆山峁1号はヒトの生贄とともに居室葬で埋葬されており、この儀式的な埋葬慣行には、紅山文化人の慣行と特定の概念的共鳴がありました。これらの観察に基づくと、神聖化された階層構造と族内婚との間の関連が暫定的に仮定されます。この仮説の推論的性質と両親の近縁性の直接的な考古遺伝学的検証の必要性を考慮すると、より多くの紅山文化関連個体の広範で層別的な標本抽出とさまざまな地位集団にまたがる近親婚パターンの比較分析が、この仮説のさらなる検証には不可欠です。蘆山峁1号のYHg-N1b2も、蘆山峁1号をアジア東部のより広範な北方地域と結びつけており、YHg-N1b2は古代のチベット[50]や匈奴[51]の人口集団に存在しましたが、YHg-N1b2を有する人口集団は鉄器時代にしだいにアジア南東部へと移動しました[52]。
注目すべき他の2個体は、石峁1号とTSです。石峁1号とともに発掘された青銅製および翡翠製の輪の装飾品は貴族の地位を示唆しており、遺伝学的データに基づく生物学的性別決定から、石峁1号は女性だった、と確証されており、女性個体である石峁1号が後期新石器時代には社会的階層構造において高貴な地位を占めていたかもしれない、と示唆されます。TSは陶寺遺跡の中期の王族で、古代中国の伝説的指導者である舜帝と親族関係にあった、と考古学的には考えられています。TSのYHgは、現代漢人男性において重要な創始者YHgであるOβで、古代の支配者と現在の人口集団との間の共有された父系を示唆しています。
本論文は、後期新石器時代山西陝西地域の人口集団の遺伝的断面を手依拠し、黄河流域の仰韶文化関連人口集団との密接な遺伝的つながりおよび少量のアジア北東部人との混合を明らかにしました。蘆山峁1号の変わった遺伝的背景は、地域間の人口集団の相互作用を示唆しており、それは在来人口集団との限られた遺伝的混合での小規模な移住かもしれません。将来、中国北部における広範な遺伝的交流および複雑な人口動態へのより深い洞察を得るには、詳細で徹底した古ゲノミクス調査が、山西省や陝西省や周辺地域で必要です。
参考文献:
Huang Z. et al.(2025): Ancient genomes reveal complex population interactions in the middle Yellow River basin during the Late Neolithic period. Genomics, 117, 4, 111061.
https://doi.org/10.1016/j.ygeno.2025.111061
[13]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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[35]Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
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[40]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
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[45]Lazaridis I. et al.(2025): The genetic origin of the Indo-Europeans. Nature, 639, 8053, 132–142.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08531-5
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[50]Wang H. et al.(2023): Human genetic history on the Tibetan Plateau in the past 5100 years. Science Advances, 9, 11, eadd5582.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add5582
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[51]Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
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[52]McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
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[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)です。地域の略称は、AR(Amur River、アムール川)とWLR(West Liao River、西遼河)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、山西省の陶寺(Taosi、略してTS)遺跡、陝西省の石峁(Shimao、略してSM)遺跡と蘆山峁(Lushanmao、略してLSM)遺跡と神圪墶梁(Shengedaliang)遺跡、西遼河地域の裕民(Yumin)遺跡と廟子溝(Miaozigou)遺跡と興隆窪(Xinglongwa)遺跡です。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使っていませんが、以下の本論文の翻訳では、「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
後期新石器時代の黄河中流域は、中原と北方草原地帯との間の文化的交流の最前線でした。陶寺遺跡や石峁遺跡やと蘆山峁遺跡などこの期間に出現した注目すべき遺跡は、初期中華文明の形成に重要な役割を果たしました。本論文は、これら3ヶ所の遺跡の8個体の古代ゲノムデータを報告します。集団遺伝学的分析から、これらの個体の祖先系統はおもに中原の仰韶文化人口集団と翰林しており、アジア北東部祖先系統によって補完されている、と明らかになりました。蘆山峁遺跡において遺伝的外れ値の1個体も見つかり、この個体は過剰のアジア北東部祖先系統を持っており、および紅山文化人口集団と類似した遺伝的背景を有していました。これらの調査結果は、現在の中国北部の後期新石器時代における遺伝的相互作用および人口移動のより詳細な状況を提供し、地域間の人口相互作用を示唆します。
●研究史
後期新石器時代末は、【現在の】中国における急速な社会的変化の時期でした。この時期に黄河中流域、とくに現在の山西省や陝西省では、石峁遺跡(4300~3800年前頃)や陶寺遺跡(4300~3900年前頃)や蘆山峁遺跡(4300~4100年前頃)など、数百万m²の面積にわたる一連の大規模な中核集落が出現し、龍山(Longshan)文化初期段階以降の全体的な再興の傾向を論証します。密接な考古学的相互作用が、これら3ヶ所の遺跡【石峁遺跡と陶寺遺跡と蘆山峁遺跡】では観察されました。蘆山峁遺跡の一部の土器や玉器は陶寺遺跡の初期段階と類似しており、両遺跡には大型の版築建造物があります。石峁遺跡と蘆山峁遺跡では、玉器が壁に埋め込まれており、これは両遺跡で共有されている埋葬慣行かもしれません。さらに、蘆山峁遺跡のM1は、人々が暮らし続けた家屋内に死者を埋葬する埋葬慣行である居室葬(Jushizang)です。この慣行は西遼河地域の裕民遺跡と興隆窪遺跡でも見られ、黄河中流域と西遼河地域との間の文化的接触の可能性を示唆しています。
以前の古代DNA研究では、廟子溝遺跡や神圪墶梁遺跡など黄河流域周縁の人口集団はおもに、主要な供給源として仰韶文化と関連する黄河祖先系統(黄河_MN)と、小さな供給源としてアムール川流域関連のアジア北東部祖先系統(AR_EN)の混合した遺伝的背景を示した、と明らかにされてきました[13]。これは、中原の中核地域とより広範なアジア北東部地域との間の遺伝子流動の相互作用を反映しています。龍山文化期における陝西北部と山西南部の人口集団間の遺伝的類似性はミトコンドリアゲノムによっても裏づけられており、山西陝西地域内の密接な遺伝的関係が示唆されます。しかし、山西陝西地域の後期新石器時代人口集団の祖先系統組成の詳細な解明はまだありません。
後期新石器時代山西陝西地域の人口集団の遺伝的組成を理解するために、研究対象として古代人8個体が選択されました。蘆山峁遺跡の標本はM1の居住者およびその犠牲とされた3個体に由来し、蘆山峁1~4号と命名されます。石峁遺跡の標本は青銅製および翡翠製の輪一式とともに発掘された橈骨、および玉器とともに石壁に埋葬された歯によって表される2個体に由来し、石峁1~3号と命名されます。陶寺遺跡の1個体は中期の君主の大霊廟であるIIM22に由来し、この霊廟には玉器や漆塗りの木製品など大量の副葬品があり、その所有者が王族の地位にあることを示唆しています。この個体はTSと命名されました。
●標本と手法
対象個体のDNA抽出とともに、汚染率が推定されました。性染色体と常染色体のマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)比から、性別が推定されました。片親性遺伝標識であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も決定されました。標本間の親族関係の可能性を検出するために、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)に基づくREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)第2版と同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)に基づくKIN(Kinship INference、親族関係の推測)が用いられました。得られた疑似半数体ゲノムデータは、既知のデータ[35]と統合されました。SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)が597573ヶ所のヒト起源(Human Origins、略してHO)に基づくデータセットは、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)に用いられました。SNPが約124万ヶ所(1233013ヶ所)のデータは、ADMIXTURE分析やf統計に基づく分析やROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)分析に用いられました。ADMIXTURE分析では、K(系統構成要素数)=2~8の各値で10回繰り返されました。同質性検定と混合モデル化はqpWave/qpAdmで行なわれ、標本のROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)の可能性の検出には、hapROH[40]が用いられました。
●データ概要
本論文は、後期新石器時代山西陝西地域の蘆山峁遺跡と石峁遺跡と陶寺遺跡から新たに生成された8個体のゲノム規模データを報告し、この地域における人口集団の内部構造および近隣集団との遺伝的交流の可能性をさらに調べます。全標本は、5’/3’末端におけるシトシン(C)→チミン(T)/グアニン(G)→アデニン(A)の誤取り込みの死後損傷の兆候を示しました。読み取りの平均長は54.49~68.09塩基対の間で、これは脱プリン化によって起きる古代DNAの断片化パターンと一致しました。
Sex.DetERRmineの結果によると、蘆山峁3号と石峁1号は高いX染色体の比率(蘆山峁3号では0.715、石峁1号では0.779)から核型はXXである可能性が高く、この2点の標本は女性と示唆されました。蘆山峁4号を除く残りの7個体は、10万ヶ所以上のSNP(146528~723608ヶ所)で網羅されており、比較的正確な集団遺伝学的分析に充分でした。全標本は低水準(5%未満)のmtDNAと核DNAの汚染率を示しました。2親等もしくはそれ以下の親族関係は、新たに解析された個体間では見つかりませんでした。
YHgは、漢人で頻繁に見られるOα(M117、O2a2b1a1)とOβ(F46、O2a2b1a2a1a)や、アジア北東部人およびシナ・チベット語族人口集団においてより低頻度で見られるN1aとN1b2でした。mtHgはYHgよりも高い多様性を示したものの、以前に報告された陝西省北部および山西省南部の新石器時代人口集団の多様ライの範囲と基本的には一致しました。
●山西陝西地域に広がっていた混合祖先系統
それぞれ南北および大陸部と沿岸部の分化を示唆する主成分(PC)1および2で構成されるPCA空間において、アジア東部人はほぼ3点の遺伝的勾配に区分された、と観察できます。それは、(1)第四象限に向かうアジア北東部関連勾配で、おもにアムール川地域とモンゴル高原とロシア極東の古代の人口集団や現代のモンゴル語族およびツングース語族話者人口集団が含まれます。(2)第三象限に向かうアジア南東部関連勾配で、おもに中国南部沿岸とアジア南東部の古代の人口集団や、現代のミャオ・ヤオ語族とクラ・ダイ語族とオーストロネシア語族とオーストロアジア語族を話す人口集団が含まれます。(3)シナ・チベット語族関連勾配で、おもに黄河地域とチベット高原とネパールの古代の人口集団や、現代のシナ・チベット語族話者人口集団が含まれます。シナ・チベット語族関連勾配は、それぞれ古代チベット人集団と現代漢人集団を通じて、アジア北東部関連勾配およびアジア南東部関連勾配とつながっていました(図1)。以下は本論文の図1です。
後期新石器時代山西陝西地域の標本は、シナ・チベット語族関連勾配とアジア北東部関連勾配の交点に投影され、黄河地域の古代の人口集団とまとまりました(図1)。後期新石器時代山西陝西地域人口集団の遺伝的組成は、中原の古代の人口集団との密接な関係を示唆しました。f₃形式(ムブティ人;参照人口集団X、後期新石器時代山西陝西地域の人口集団)で測定すると、これらの人口集団は相互と、もしくは黄河地域の周縁の他の古代の人口集団(たとえば、神圪墶梁遺跡の石峁_LNもしくは廟子溝遺跡の廟子溝_MN)と最高の遺伝的類似性を共有していました。これらの人口集団は、黄河_MNおよびAR_EN関連祖先系統の2方向混合モデルに適合する、と証明されました[13]。
対象人口集団の遺伝的祖先系統に関するより多くの洞察を得るために、Kの範囲が2~8の一連の教師無ADMIXTURE分析も実行されました。交差検証誤差はKが2~8にかけて次第に増加し、K=6以後では最頻値不一致が顕れました。これは、直接的および堅牢にK値を決定することが困難であることを意味しています。それにも関わらず、ユーラシア東部内、とくにアジア東部北方人口集団における祖先系統の分化の特徴づけが必要です。解釈のため最小交差検証誤差のK=2を選択すると、この要件を満たしません。代わりにK=4が選択され、アジア東部北方関連祖先系統はアジア北東部関連下位群(黄色)とチベット高原関連下位群(赤色)に区分されました(図2)。アジア東部南方関連祖先系統(青色)とともに、ユーラシア東部関連の3祖先系統はPCA図の3勾配に対応しています(図1)。K=4でのADMIXTUREの結果では、後期新石器時代山西陝西地域の標本は蘆山峁1号を除いて、石峁_LNとひじょうに類似した遺伝的特性を示しており、後期新石器時代山西陝西地域における共有された遺伝的つながりが示唆されました。以下は本論文の図2です。
この共有された遺伝的特性をさらに理解するために、qpAdmを用いて、対象の人口集団および関連する人口集団がモデル化されました。本論文は、競合モデルを比較するために、勝ち抜き賢明枠組み[45]が実装されました。アジア北東部関連供給源としてAR_ENもしくは裕民遺跡個体が選択され、それは、裕民遺跡と蘆山峁遺跡では居室葬の埋葬慣行が共有されていたからです。黄河地域周縁の人口集団は、裕民関連祖先系統(7.8~23.7%)と黄河_MN関連祖先系統(76.3~92.2%)の2方向混合として最適にモデル化されました(図4)。注目すべきは、石峁遺跡の新たに報告された個体群では、裕民関連祖先系統の割合が最低だったことです。対照的に、35km離れた神圪墶梁遺跡の個体群(石峁_LN)は、後期新石器時代山西陝西地域の他の人口集団よりも多くの裕民関連祖先系統を有しており、そうした混合祖先系統は相対的な割合の観点では異なる遺跡間で不均質だった、と示唆されます。
●蘆山峁1号は後期新石器時代山西陝西地域における遺伝的外れ値です
後期新石器時代山西陝西地域の人口集団は、上述の2方向混合祖先系統によってまとまって関連している遺伝的クラスタ(まとまり)を形成しましたが、蘆山峁遺跡の蘆山峁1号は予期せぬ紅山文化関連の遺伝的背景を有していた、とさらに分かりました。一連のf₄形式(ムブティ人、参照人口集団X;後期新石器時代山西陝西地域の他の人口集団、蘆山峁1号)のf₄統計が計算され、蘆山峁1号が他の人口集団とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しているのかどうか、判断されました。f₄統計の有意な正の値(Z > 3)によって証明されるように、蘆山峁1号はWLR_MNと強い遺伝的類似性を示しました(図3)。さまざまな古代の人口集団の組み合わせの遺伝的均質性を検証する対でのqpAdm分析では、蘆山峁1号はWLR_MNおよび廟子溝_MNとクラスタ化し(まとまって)、周辺の同時代度とはかなり異なる遺伝的特性が論証されます。以下は本論文の図3です。
PCAとADMIXTURE分析では、蘆山峁1号は後期新石器時代山西陝西地域の他の人口集団に共有されている遺伝的パターンから逸れており、f統計に基づく分析の結果と一致します。蘆山峁1号はPC1とPC2で構成されるPCA空間において、アジア北東部関連勾配の方へと動いていました(図1)。アジア北東部古代人からのこの追加の遺伝子流動は、教師無ADMIXTURE分析で蘆山峁1号が有していた過剰なアジア北東部関連構成要素によっても補強されました。蘆山峁1号は裕民関連祖先系統と黄河_MN関連祖先系統の2方向混合としても差異的にモデル化でき、両者の比率はWLR_MNとひじょうに類似しています(図4)。さらに、f₃形式(ムブティ人;参照人口集団X、蘆山峁1号)の外群f₃統計では、蘆山峁1号はWLR_MNと最も多い遺伝的変化を共有していた、と示されました。これらの結果は、qpWaveによって確証された蘆山峁1号とWLR_MNの均質性と一致します。以下は本論文の図4です。
●ROH分析は近親婚との関連の可能性を明らかにします
hapROHを用いて、後期新石器時代山西陝西地域の古代人標本における4cM(センチモルガン)以上のROHも調べられました。驚くべきことに、蘆山峁1号は合計で254.75cMのROHを有しており、最長のROHは41.32cMと分かり、両親の近縁性が示唆されます(図5)。対照的に、他の標本では1ヶ所のみのROH(約6cM)が検出されました(石峁2号)。次に、中国北部の他の関連する標本でROHの可能性について検査され、WLR_MNの2個体もROH断片を多数有している、と分かりました。WLR_MN関連祖先系統の2方向混合に伴うこれらのROHについての説明は、紅山文化で観察された神権政治慣行です。そうした神権政治社会における宗教階級は、血統維持のための特別な観念と慣行を有しており、そのために近親交配が生じたかもしれません。蘆山峁1号の有していた短いROH断片の多数と他の個体におけるROH断片の欠如との間の対照性から、蘆山峁1号にはより小さな有効人口規模の遺伝的背景があり、山西陝西地域において他の人口集団との遺伝的混合を経なかったかもしれない、ということも示唆されます。以下は本論文の図5です。
●考察
後期新石器時代の山西陝西地域は、中原と北方草原地帯の古代の人口集団間の接触および文化的交流の最前線で、黄土高原における一連の大規模な定住をもたらし、そのうち陶寺遺跡と石峁遺跡と蘆山峁遺跡は最も有名です。この3ヶ所の遺跡間の文化的関連および共有された儀式慣行は、人口集団の相互作用の可能性を示唆しています。本論文で報告された後期新石器時代山西陝西地域の古代人8個体のゲノムの集団遺伝学的分析から、これらの人口集団の遺伝的特性は地理的分布と関連しており、黄河流域関連祖先系統が優勢で、古代アジア北東部関連祖先系統によって補完される遺伝的背景を示し、中原および北方草原地帯の二重の文化的影響と一致する、と分かりました。比較qpAdmモデル化(図4)では、アジア北東部関連祖先系統は時空間的に近位供給源である裕民遺跡個体と関連しているかもしれない、と明らかになり、裕民遺跡は蘆山峁遺跡と居室葬の埋葬慣行を共有していました。しかし、裕民遺跡の標本規模は1個体のみなので、これは最適なモデルを判断するqpAdmの検出力を弱めていたかもしれません。したがって、本論文で報告されたqpAdmの結果は、より慎重に扱うべきことが推奨されます。この渓谷は、対象人口集団の標本規模が1である、蘆山峁1号およびTSを含むモデルにも適用されます。このアジア北東部関連祖先系統の最適かもしれない代理を探すためには、近隣地域の前期および中期新石器時代人口集団より徹底した標本抽出が必要です。
ほとんどの個体は類似した祖先系統組成を有していますが、蘆山峁1号は後期新石器時代山西陝西地域において遺伝的外れ値と分かりました。蘆山峁1号はより高い割合のアジア北東部関連祖先系統を有しており、紅山文化関連人口集団(WLR_MN)と類似しています(図2および図4)。蘆山峁1号が有するROH断片の調査から、蘆山峁1号のROH断片は250cM以上で、蘆山峁1号がおそらく1親等のイトコ間の子孫だったことも示されました。多数のROHが紅山文化関連人口集団でも検出されたことを考えると、この紅山文化関連祖先系統と近親交配の共存は、紅山文化の神権政治的社会に由来していたかもしれない、と仮定されます。紅山文化は墓に埋葬された多数の翡翠の供物と、宗教的な生贄儀式で用いられた石の祭壇で知られています。これらの文化慣行は、WLR_MNが属していた半拉山(Banlashan)遺跡でも支配的役割を果たしていました。宗教的もしくは儀式的行動は紅山文化の社会権力制度の中核で、紅山文化人口集団は神権政治に大きな意義を認めていた、と示唆されます。神権政治の重視は血統維持の重要性を正当化し、それ故に近親婚の慣行を促進したかもしれません。
しかし、WLR_MNの有する多数の短いROH断片によって示唆されるように、より小さな人口規模の影響を除外できません。蘆山峁1号はヒトの生贄とともに居室葬で埋葬されており、この儀式的な埋葬慣行には、紅山文化人の慣行と特定の概念的共鳴がありました。これらの観察に基づくと、神聖化された階層構造と族内婚との間の関連が暫定的に仮定されます。この仮説の推論的性質と両親の近縁性の直接的な考古遺伝学的検証の必要性を考慮すると、より多くの紅山文化関連個体の広範で層別的な標本抽出とさまざまな地位集団にまたがる近親婚パターンの比較分析が、この仮説のさらなる検証には不可欠です。蘆山峁1号のYHg-N1b2も、蘆山峁1号をアジア東部のより広範な北方地域と結びつけており、YHg-N1b2は古代のチベット[50]や匈奴[51]の人口集団に存在しましたが、YHg-N1b2を有する人口集団は鉄器時代にしだいにアジア南東部へと移動しました[52]。
注目すべき他の2個体は、石峁1号とTSです。石峁1号とともに発掘された青銅製および翡翠製の輪の装飾品は貴族の地位を示唆しており、遺伝学的データに基づく生物学的性別決定から、石峁1号は女性だった、と確証されており、女性個体である石峁1号が後期新石器時代には社会的階層構造において高貴な地位を占めていたかもしれない、と示唆されます。TSは陶寺遺跡の中期の王族で、古代中国の伝説的指導者である舜帝と親族関係にあった、と考古学的には考えられています。TSのYHgは、現代漢人男性において重要な創始者YHgであるOβで、古代の支配者と現在の人口集団との間の共有された父系を示唆しています。
本論文は、後期新石器時代山西陝西地域の人口集団の遺伝的断面を手依拠し、黄河流域の仰韶文化関連人口集団との密接な遺伝的つながりおよび少量のアジア北東部人との混合を明らかにしました。蘆山峁1号の変わった遺伝的背景は、地域間の人口集団の相互作用を示唆しており、それは在来人口集団との限られた遺伝的混合での小規模な移住かもしれません。将来、中国北部における広範な遺伝的交流および複雑な人口動態へのより深い洞察を得るには、詳細で徹底した古ゲノミクス調査が、山西省や陝西省や周辺地域で必要です。
参考文献:
Huang Z. et al.(2025): Ancient genomes reveal complex population interactions in the middle Yellow River basin during the Late Neolithic period. Genomics, 117, 4, 111061.
https://doi.org/10.1016/j.ygeno.2025.111061
[13]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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[35]Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
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[40]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
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[45]Lazaridis I. et al.(2025): The genetic origin of the Indo-Europeans. Nature, 639, 8053, 132–142.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08531-5
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[50]Wang H. et al.(2023): Human genetic history on the Tibetan Plateau in the past 5100 years. Science Advances, 9, 11, eadd5582.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add5582
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[51]Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
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[52]McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
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