ソグド人のゲノムデータ
取り上げるのが遅れてしまいましたが、ソグド人のゲノムデータを報告した研究(Zhang et al., 2025)が公表されました。本論文は、中華人民共和国寧夏回族自治区固原(Guyuan)市の唐王朝期の墓地(固原墓地、本論文ではSUTEと呼ばれます)の共同埋葬(M1401)からで発見された、シルクロード(絹の道)での交易活動で有名なソグド人と考えられる、男性1個体(SUTE1)と女性1個体(SUTE2)のゲノムデータを報告します。SUTE2は在来人口集団的な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有していましたが、SUTE1はそれに加えて、アジア中央部のBMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)集団と関連する遺伝的構成要素を有していました。この両方の遺伝的構成要素の混合は、SUTE1の18世代ほど前に起きた、と推定されています。
なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では「civilization」の訳語として使います。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
●要約
中国を西方とつなぐ古代の交易路である絹の道は、多様な文明間の商品や思想や文化的慣行の交換を促進しました。ソグド人は絹の道に沿った著名な商人で、商人や職人や芸人としての役割で有名です。ソグド人は中国へと移住し、子孫を複数世代残した、持続的な共同体を形成しました。その歴史的重要性にも関わらず、ソグド人の起源および財政人口集団との相互作用の詳細な一次文献記録は限られています。この研究では、唐王朝期(618~907年)の固原墓地の共同埋葬(M1401)から発見された古代人2個体のゲノム規模データが生成されました。本論文が把握している限りでは、これはソグド人集団から得られた最初の古代ゲノムデータを表しています。本論文の結果から、女性個体は在来祖先系統を有しているものの、男性個体は在来祖先系統およびアジア中央部のBMACと関連する追加の遺伝的構成要素の両方を有している、と明らかになります。これは約18世代前に、在来の遺伝子プールにもたらされました。歴史と考古学と遺伝学の分析を組み合わせると、この2個体は夫婦だった可能性が高い、と結論づけられます。本論文の調査結果から、当初は交易のため中国に移動したソグド人が、定住し、在来人口集団と結婚して、絹の道の交易において仲介者として重要な役割を果たした、と示唆されます。本論文は、ヘレニズム世界と秦/漢王朝との間のつながりの促進における、千年紀末のソグド人の重要性を浮き彫りにし、絹の道の重要な商人としてのその後の名声に先行する、初期ソグド人の帰属性の特徴を強調します。
●研究史
絹の道は紀元前2世紀から紀元後14世紀まで活発だった、東方では現在の中華人民共和国陝西省西安市に位置していた長安(Chang’an)から、西方では地中海にまでわたる主要な交易路で、中国とローマ帝国との間の、経済と文化と政治の交流を促進しました。西漢(前漢)王朝期、とくに張騫(Zhang Qian)の尽力によって絹の道が確立し、何世紀にもわたる交流の基盤が築かれました。唐王朝(618~907年)は絹の道の活動の最盛期で、「黄金時代」と呼ばれることが多く、経済および社会の繁栄によって特徴づけられます。長安は唐の首都として重要な拠点となり、商品や思想や人々の移動を促進しました。
ソグド人はソグディアナ(現在のウズベキスタンとキルギスタンとタジキスタン)のイラン語群話者で、絹の道沿いで繁栄した多様な共同体の一つでした。『魏書(Wei Shu)』など中国の記録では、ソグド人は「昭武九姓(Nine Surnames of Zhaowu)」と呼ばれていまするソグド人はその戦略的な地理的位置を利用して、交易と文化的交流を促進し、中国と西洋との間の宗教と芸術の伝播に大きく影響を及ぼした、活気に満ちた商人社会を築きました。
西晋から隋唐王朝(266~907年)において、多くのソグド人が中国に定住しました。ソグド人は何世代にもわたって在来共同体に同化した一方で、永続的な遺伝的遺産を残しました。西安ま北斉に位置する固原地域は、唐王朝期における民族統合の重要な中枢で、西周王朝以来多様な集団を惹きつけました。固原唐王朝墓(M1401)には、小像や金属細工品などソグド人の文化要素のある人工遺物が含まれています。しかし、ソグド人と関連する骨格遺骸は少なく、ゲノムデータはこれまで刊行されておらず、ソグド人の起源および在来人口集団との相互作用の理解を制約しています。M1401を含めて最近の発見は、この期間におけるソグド人の遺伝的歴史の調査への珍しい機会を提供します。
●資料と手法
固原唐王朝墓(SUTE)は、中華人民共和国寧夏回族自治区固原市に位置しています(図1)。略奪被害を軽減するために、寧夏文物考古研究所は2014年に緊急発掘調査を実行しました。長さ約33mの墓M1401は、傾斜した羨道と中庭と壁龕と回廊と玄室が特徴です。墓M1401は、隋王朝と唐王朝のソグド人の史(Shi)一族の墓と建築的な類似性を共有しています。玄室内では、2点のヒト骨格(男性と特定されたSUTE1、女性と特定されたSUTE2)が発見されました。これらの遺骸の利用は、寧夏文物考古研究所によって承認されました。以下は本論文の図1です。
発掘ではさまざまな副葬品が発見され、開元通宝(Kai Yuan Tong Bao)と呼ばれる銭貨やフレスコ画や土器小像や青銅製品やガラス製ビーズが含まれます(図1)。唐王朝期の主要通貨だった銭貨は、重要な年代学的証拠を提供します。墓M1401は、その建築様式と壁画と関連する副葬品を考えると、年代は唐王朝期です。近隣に位置し、昭武九姓の子孫に属する隋および唐王朝の他のソグド人の墓は、フレスコ画や土器小像やガラス製品を含めて、同様の特徴を示します。これらの要素は、ソグド文化を反映している人工遺物および壁画とともに、墓M1401が唐王朝のソグド人の墓であることを示唆しています。
頭蓋形態分析から、墓M1401の個体の性別が確証され、古代DNA性別判定によってさらに実証されました(表1)。男性個体であるSUTE1は死亡時に約50歳で、これは腸骨の耳状面(仙骨)や骨化中心や頭蓋縫合消失や歯のパターンの形態学的変化の評価によって判断されました。SUTE1の骨学的特徴が、ユーラシア西部人と一般的に関連する特徴を示唆しているのに対して、SUTE2は典型的な在来の頭蓋の特徴を示しました。
SUTE1およびSUTE2のDNAは、歯から抽出されました。遺伝的性別は、X染色体およびY染色体の網羅率の比率を常染色体と比較することで判定されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はSUTE1およびSUTE2で、Y染色体ハプログループ(YHg)はSUTE2で判定されました。古代の個体間の遺伝的近縁性は、常染色体上の半数体遺伝子型のPMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)を用いて評価されました。PMRは、2個体が異なるアレル(対立遺伝子)を有するSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)の数をSNPの総数で割ることによって計算されました。SUTE1およびSUTE2のゲノムデータは、既知の古代人および現代人のデータと統合されました。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、事前に計算された構成要素に古代の個体群が投影されました。ADMIXTURE分析は、K(系統構成要素数)=2~10で行なわれ、差異的なKは最小の交差検証誤差で判断されました。さらなる人口構造分析は、f3およびf4統計を用いて計算されました。
外群として、ムブティ人、レヴァントの続旧石器時代の狩猟採集民(Hunter-Gatherer、略してHG)であるナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)個体群(イスラエル_ナトゥーフィアン)、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体、中央アメリカ大陸の先住民であるミヘー人(Mixe)、台湾先住民のアミ人(Ami)、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊で発見された続旧石器時代狩猟採集民(ウスチイシム_HG)、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の更新世の1個体(コステンキ14号)、パプア人などの人口集団を用いて、解像度を最大化する特定の媒介変数でのqpAdmを用いて、祖先系統の割合が推定されました。
DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)ソフトウェアを用いて、SUTE1における混合事象の年代が推定されました。DATESは、単一の二倍体ゲノムと参照の2人口集団(祖先の供給源人口集団を表します)のデータを用いて、ゲノム全体にわたる加重祖先系統共分散の測定によって、混合の時期を推定します。1世代の時間は29年と仮定され、世代の混合時期が歴史時代の年代に変換されました。
●古代ゲノムデータの概要と古代DNAの真正性
SUTE1とSUTE2の2個体は、ショットガン配列決定で、それぞれ0.36倍と0.15倍の網羅率が得られました。「124万」パネルでのSNPの数は、457660ヶ所と214468ヶ所になります。古代DNAデータの真正性は、複数の測定で確証されました。第一に、古代DNAの典型的な損傷パターンが両個体【SUTE1とSUTE2】で観察されました。第二に、配列決定されたDNA断片の平均長は、SUTE1では47塩基対、SUTE2では48塩基対で、古代DNAと一致します。第三に、低水準の現代人のDNA汚染が検出され、mtDNAの汚染推定率は両個体【SUTE1とSUTE2】では約1%で、男性個体【SUTE1】のX染色体の汚染率は0.67%未満でした(表1)。
●性別判断と片親性遺伝標識
性別判断分析では、SUTE1が男性と特定され、X染色体とY染色体の網羅率の比率は、それぞれ0.466と0.438でした。SUTE2は女性と特定され、X染色体の網羅率の比率は0.979、YHgの網羅率の比率は無視できる程度の0.006で、頭蓋の形態評価と一致します。完全なmtDNA配列が両個体で得られ、SUTE1では網羅率が205倍、SUTE2では網羅率が38倍です。SUTE1は、ベトナムの青銅器時代の1個体と中国の広西の2個体で観察されてきた(Lipson et al., 2018、Wang et al., 2021)、mtHg-C7a2に割り当てられました。さらに、SUTE1はYHg-C2b1a2b2(C-F15516)に割り当てられ、これはモンゴルのトルコ系人口集団やロシアのヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)地域の人口集団や後期新石器時代中国の古代の人口集団において一般的である、より広範なYHg-C2の一部です(Jeong et al., 2020)。YHg-C2b1a2b2(C-F15516)は現代の寧夏回族自治区の人口集団では比較的稀で、わずか0.66%を占めているだけとなり、黄河流域全体のいくつかの新石器時代の遺跡で見られます(Ning et al., 2020)。この研究における男性標本の限られた数と刊行されているY染色体データの少なさのため、中国におけるソグド人の父系の遺伝的構造に焦点を当てたさらなる研究が有益となるでしょう。
●遺伝的親族関係分析
ともに埋葬されたSUTE1とSUTE2との間の遺伝的関係の分析は、唐王朝期におけるソグド人の埋葬慣行の理解に不可欠でした。中国の中原の遺伝的に親族関係にある個体群とない個体群からの刊行されているゲノムデータを用いて、基準が構築されました。SUTE1とSUTE2の組み合わせは8万ヶ所以上の重複するSNPを示し、信頼できるPMR計算が可能です。0.2357のPMR値は親族関係にない個体群の基準と一致し、SUTE1とSUTE2は遺伝的に親族関係になかったことが確証されました。これは、SUTE1とSUTE2が夫婦だった、との仮説を裏づけます。
●SUTE1とSUTE2の遺伝的構造の概要
SUTE1とSUTE2の遺伝的特性をさらに調べるために、現在のユーラシアの人口集団を用いてPCAが実行されました。SUTE1とSUTE2を刊行されている古代人のゲノムとともに投影することによって、その遺伝的差異がユーラシアの現代人集団内に位置づけられました。SUTE1とSUTE2の両個体ははアジア東部現代人集団内でクラスタ化しました(まとまりました)が、相互に異なる遺伝的分散を示しました(図2)。SUTE1は、後期新石器時代の斉家(Qijia)文化人口集団(黄河上流_LN)によって表される古代の黄河上流遺伝子プールと密接に並びましたが、アジア中央部人口集団の方への移動を示しており、アジア中央部祖先系統からの小さな寄与が示唆されます。これはSUTE1には黄河上流地域からの主要な祖先系統があり、アジア中央部関連集団からの追加の流入があることを示唆しており、アジア中央部における広範な存在を示唆するY染色体の証拠と一致します。対照的にSUTE2は、仰韶(Yangshao)文化(黄河_MN)や龍山(Longshan)文化(黄河_LN)と関連する人口集団など、中国の中原の人口集団内で完全にまとまっており、古代の在来の人口集団との強い遺伝的類似性が示唆されました。これらの調査結果は、唐王朝期におけるソグド人共同体内の遺伝的多様性を強調しており、在来とアジア中央部両方からの祖先の寄与が反映されています。以下は本論文の図2です。
ADMIXTURE分析は、SUTE1とSUTE2の祖先系統組成へのさらなる洞察を提供し、祖先の構成要素の最適数としてK=8を特定しました。PCAの結果と一致して、ADMIXTUREはSUTE1とSUTE2の異なる遺伝的特性を明らかにしました。SUTE1の遺伝的構成はアジア中央部の古代の人口集団と黄河の雑穀農耕民(黄河_MN、黄河_LN、黄河_LBIA)との間に位置し、両集団からの混合が示唆されます。SUTE2の遺伝的特性は現代の漢人やミャオ人(Miao)やシェ人(She)の集団で最大化されるアジア東部祖先系統と密接に類似しており、在来のアジア東部集団との強い類似性が補強されます。これらの結果は、ソグド人共同体内の複雑で多様な遺伝的遺産を浮き彫りにします。
●SUTE1とSUTE2の遺伝的類似性
f3形式(SUTE1/SUTE2、X、ムブティ人)外群f3統計を用いて、世界中の古代および現代の人口集団とのSUTE1およびSUTE2の遺伝的類似性が評価されました。PCAおよびADMIXTUREの調査結果と一致して、SUTE1は黄河流域の古代人集団(黄河上流_IA、黄河上流_LN、黄河_LN、黄河_MN)と最大のアレルを共有しており、それに続くのがアジア中央部の人口集団です(図3)。SUTE2は、陝西省咸陽市秦都区双照(Shuangzhao)遺跡(双照_唐)個体群や後期新石器時代龍山文化人口集団(黄河_LN)や中原の後期青銅器時代および鉄器時代人口集団(黄河_LBIA)や現在の韓国人と漢人とミャオ人とシェ人を含めて、アジア東部人口集団との最高の共有された遺伝的浮動を示しました。以下は本論文の図3です。
遺伝的混合をさらに調べるために、f4形式(ムブティ人、X;Y、SUTE1/SUTE2)のf4統計を用いて、世界中の人口集団が黄河集団と比較されました(図4)。SUTE1については、有意な正のf4値が、アンドロノヴォ(Andronovo)文化集団やシンタシュタ(Sintashta)文化集団や西方草原地帯_MLBAやスキタイ人やBMAC集団や鉄器時代トルクメニスタン人口集団などのアジア中央部および草原地帯集団で観察され、アジア中央部からの遺伝子流動が示唆されます。SUTE2は、台湾の漢本(Hanben)遺跡個体(台湾_漢本)や福建省の亮島(Liangdao)遺跡個体やマレーシアの人口集団(1880~299年前頃)など、アジア東部南方の人口集団との追加の遺伝的類似性を示しました。以下は本論文の図4です。
●SUTE1とSUTE2の混合モデル化
祖先系統供給源と混合割合をさらに調べるために、qpAdm手法を用いてSUTE1とSUTE2がモデル化されました。まず、SUTE1とSUTE2が、アジア中央部やアジア東部やより広いユーラシアの人口集団において単一の供給源に直接的に由来するのかどうか、判断するために3方向モデルが検証されました。SUTE2は古代の黄河および西遼河人口集団に由来するとモデル化でき、強い在来の遺伝的繋がりと一致します。しかし、SUTE1については1方向モデルが却下され、その遺伝的特性が単一の既知のユーラシア集団のみに由来するわけではなかった、と示唆されます。
次に2方向混合モデルが採用され、中原人口集団が、西方草原地帯_MLBAやアファナシェヴォ(Afanasievo)文化集団やサルマティア人_紀元前450年やアンドロノヴォ文化集団やBMAC集団など、さまざまなユーラシア人供給源と組み合わされました。これらのモデルはSUTE1の遺伝的特性に上手く適合し、西方草原地帯_MLBA(6.3~8.1%)やBMAC集団関連祖先系統(6.2~8.5%)やアファナシェヴォ文化集団(6.9~9.0%)やサルマティア人_紀元前450年(8.3~12.3%)やアンドロノヴォ文化集団を含めて、アジア中央部およびユーラシア西部草原地帯からのわずかな寄与と組み合わされた、黄河人口集団からの顕著な寄与(87.7~99.8%)を明らかにします(図5)。以下は本論文の図5です。
この循環戦略は、先行研究で説明された方法論に従って実行されました。具体的には、これらの2方向混合モデルは、それぞれBMAC集団とアンドロノヴォ文化集団と西方草原地帯_MLBAとアファナシェヴォ文化集団がそれぞれ外群一式として追加されたさいに確証されました。SUTE1をモデル化する中原人口集団とBMAC関連祖先系統の組み合わせは、ユーラシア西部草原地帯人口集団を外群一覧に追加する場合でさえ、適合します。同様に、BMAC集団をqpAdmの外群一覧に対すると、祖先系統供給源として中原人口集団およびユーラシア西部草原地帯人口集団でのモデルが裏づけられます。SUTE1の混合時期の推定値は、参照人口集団として漢人およびBMAC集団では18.2±8.2世代前(527.8±237.8年前)、参照人口集団として漢人とアファナシェヴォ文化集団では42.9±15世代前(1244.1±435年前)です。
●考察とまとめ
絹の道は前漢王朝期(紀元前202~紀元後9年)に確立され、ユーラシア東西間の複雑な文化と遺伝の交流を促進しました。固原唐王朝墓(M1401)は、これらの相互作用の重要な事例として機能し、唐王朝の多文化景観におけるソグド人の役割を浮き彫りにします。本論文は、中国におけるソグド人の最初の遺伝学的証拠を提示し、ソグド人の起源および統合への新たに洞察を提供します。遺伝的データから、墓M1401に埋葬された2個体は夫婦を表している可能性が高い、と示唆され、SUTE1(夫)はアジア中央部と関連する外来の遺伝的特徴を示しますが、SUTE2(妻)は在来の遺伝的背景を有しています。この調査結果は、とくに安史の乱後のソグド人の移住と結婚に関する歴史的記述と一致し、安史の乱では、ソグド人と在来の中国人との間のそうした結婚がより一般的になりました。
SUTE1とSUTE2の遺伝的特性は、絹の道沿いの混合および文化的同化のより広範なパターンを反映しています。SUTE1のアジア中央部人口集団との遺伝的類似性から、ソグド人が中国に定住後でさえ故地とのつながりを維持していた、と示唆されます。対照的に、SUTE2の在来の遺伝的背景から、これらの個体はより広範な中国の人口集団へとより完全に統合された、と示唆されます。これらの調査結果は、移住人口集団における男女の異なる遺伝的寄与と関連しているかもしれません。多くの歴史的な移住事象において、男女の遺伝的寄与は大きく異なっており、それは多くの場合、移住の社会的および歴史的動態に起因します(Haak et al., 2015)。移住事象や文化的慣行や権力構造における男女の役割はこれらの違いに影響を及ぼす、と示されてきました(Goldberg et al., 2017)。たとえば、征服や植民地化や交易など多くの移住では、男性集団がおもに関わっていました。結果として、侵入してきた男性集団Y染色体標識がより顕著だったのに対して、mtDNA標識は在来の女性集団と関連し続ける傾向にありました。
中国の歴史記録で記載されているように、東漢(後漢)期(25~220年)には、ソグド人起源の多くの個体が中国へと移住し、文化と物質の交流に従事しました。さらに、漢王朝の竹簡の発見は、漢人【という分類を千年紀の世界の説明に用いてよいのか、疑問は残りますが】とソグド人との間の相互作用への新たな洞察を提供してきました。本論文の調査結果から、SUTE1の混合は唐王朝の527.8±237.8年前に起きた、と示唆され、中国へのソグド人の移住期間と一致します。ソグド人は絹の道の物質と文化の交流に重要な役割を果たしており、ユーラシア全域で中国の商品および文化の拡大を促進しながら同時に、前漢王朝以降に中国へと文化的多様性をもたらしました。
本論文は、唐王朝期における人口集団の相互作用の複雑さをより深く理解するために、古代DNA分析を歴史および考古学的データと統合する重要性を強調します。さまざまなソグド人の遺跡からの追加の標本抽出を含むさらなる研究が、中国におけるグド人の遺伝的景観を完全に解明し、絹の道沿いの文化的交流の理解を深めるには不可欠でしょう。
●この研究の限界
この研究では、中国の固原市の唐王朝期にさかのぼる墓M1401から発見された、共同埋葬された2個体から得られたゲノム規模データが分析されました。本論文はソグド人の遺伝的構造および移住史への貴重な洞察を提供しますが、小さな標本規模による限界を認識することが不可欠です。この限界は、中国におけるソグド人と関連する墓の少なさに起因します。中国北西部のソグド人集団の遺伝的特性および埋葬慣行のより包括的な理解を得るためには、より大きな標本規模でのさらなる研究が必須です。標本規模の増加は、遺伝的差異のより広い範囲の把握を促し、それによって研究者は、古代中国におけるソグド人の人口動態や移住パターンや文化慣行のより包括的な理解を得ることができるようになるでしょう。
参考文献:
Goldberg A. et al.(2017): Ancient X chromosomes reveal contrasting sex bias in Neolithic and Bronze Age Eurasian migrations. PNAS, 114, 10, 2657–2662.
https://doi.org/10.1073/pnas.1616392114
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Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
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Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
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Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://doi.org/10.1126/science.aat3188
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Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell, 184, 14, 3829–3841.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018
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Zhang J. et al.(2025): Unraveling the origins of the sogdians: Evidence of genetic admixture between ancient central and East Asians. Journal of Archaeological Science: Reports, 61, 104957.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2024.104957
Zhao D, Chen Y, Xie G, Ma P, Wen Y, Zhang F, et al. (2023) A multidisciplinary study on the social customs of the Tang Empire in the Medieval Ages. PLoS ONE 18(7): e0288128.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0288128
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なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では「civilization」の訳語として使います。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事ではとりあえず「中国」と表記します。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
●要約
中国を西方とつなぐ古代の交易路である絹の道は、多様な文明間の商品や思想や文化的慣行の交換を促進しました。ソグド人は絹の道に沿った著名な商人で、商人や職人や芸人としての役割で有名です。ソグド人は中国へと移住し、子孫を複数世代残した、持続的な共同体を形成しました。その歴史的重要性にも関わらず、ソグド人の起源および財政人口集団との相互作用の詳細な一次文献記録は限られています。この研究では、唐王朝期(618~907年)の固原墓地の共同埋葬(M1401)から発見された古代人2個体のゲノム規模データが生成されました。本論文が把握している限りでは、これはソグド人集団から得られた最初の古代ゲノムデータを表しています。本論文の結果から、女性個体は在来祖先系統を有しているものの、男性個体は在来祖先系統およびアジア中央部のBMACと関連する追加の遺伝的構成要素の両方を有している、と明らかになります。これは約18世代前に、在来の遺伝子プールにもたらされました。歴史と考古学と遺伝学の分析を組み合わせると、この2個体は夫婦だった可能性が高い、と結論づけられます。本論文の調査結果から、当初は交易のため中国に移動したソグド人が、定住し、在来人口集団と結婚して、絹の道の交易において仲介者として重要な役割を果たした、と示唆されます。本論文は、ヘレニズム世界と秦/漢王朝との間のつながりの促進における、千年紀末のソグド人の重要性を浮き彫りにし、絹の道の重要な商人としてのその後の名声に先行する、初期ソグド人の帰属性の特徴を強調します。
●研究史
絹の道は紀元前2世紀から紀元後14世紀まで活発だった、東方では現在の中華人民共和国陝西省西安市に位置していた長安(Chang’an)から、西方では地中海にまでわたる主要な交易路で、中国とローマ帝国との間の、経済と文化と政治の交流を促進しました。西漢(前漢)王朝期、とくに張騫(Zhang Qian)の尽力によって絹の道が確立し、何世紀にもわたる交流の基盤が築かれました。唐王朝(618~907年)は絹の道の活動の最盛期で、「黄金時代」と呼ばれることが多く、経済および社会の繁栄によって特徴づけられます。長安は唐の首都として重要な拠点となり、商品や思想や人々の移動を促進しました。
ソグド人はソグディアナ(現在のウズベキスタンとキルギスタンとタジキスタン)のイラン語群話者で、絹の道沿いで繁栄した多様な共同体の一つでした。『魏書(Wei Shu)』など中国の記録では、ソグド人は「昭武九姓(Nine Surnames of Zhaowu)」と呼ばれていまするソグド人はその戦略的な地理的位置を利用して、交易と文化的交流を促進し、中国と西洋との間の宗教と芸術の伝播に大きく影響を及ぼした、活気に満ちた商人社会を築きました。
西晋から隋唐王朝(266~907年)において、多くのソグド人が中国に定住しました。ソグド人は何世代にもわたって在来共同体に同化した一方で、永続的な遺伝的遺産を残しました。西安ま北斉に位置する固原地域は、唐王朝期における民族統合の重要な中枢で、西周王朝以来多様な集団を惹きつけました。固原唐王朝墓(M1401)には、小像や金属細工品などソグド人の文化要素のある人工遺物が含まれています。しかし、ソグド人と関連する骨格遺骸は少なく、ゲノムデータはこれまで刊行されておらず、ソグド人の起源および在来人口集団との相互作用の理解を制約しています。M1401を含めて最近の発見は、この期間におけるソグド人の遺伝的歴史の調査への珍しい機会を提供します。
●資料と手法
固原唐王朝墓(SUTE)は、中華人民共和国寧夏回族自治区固原市に位置しています(図1)。略奪被害を軽減するために、寧夏文物考古研究所は2014年に緊急発掘調査を実行しました。長さ約33mの墓M1401は、傾斜した羨道と中庭と壁龕と回廊と玄室が特徴です。墓M1401は、隋王朝と唐王朝のソグド人の史(Shi)一族の墓と建築的な類似性を共有しています。玄室内では、2点のヒト骨格(男性と特定されたSUTE1、女性と特定されたSUTE2)が発見されました。これらの遺骸の利用は、寧夏文物考古研究所によって承認されました。以下は本論文の図1です。
発掘ではさまざまな副葬品が発見され、開元通宝(Kai Yuan Tong Bao)と呼ばれる銭貨やフレスコ画や土器小像や青銅製品やガラス製ビーズが含まれます(図1)。唐王朝期の主要通貨だった銭貨は、重要な年代学的証拠を提供します。墓M1401は、その建築様式と壁画と関連する副葬品を考えると、年代は唐王朝期です。近隣に位置し、昭武九姓の子孫に属する隋および唐王朝の他のソグド人の墓は、フレスコ画や土器小像やガラス製品を含めて、同様の特徴を示します。これらの要素は、ソグド文化を反映している人工遺物および壁画とともに、墓M1401が唐王朝のソグド人の墓であることを示唆しています。
頭蓋形態分析から、墓M1401の個体の性別が確証され、古代DNA性別判定によってさらに実証されました(表1)。男性個体であるSUTE1は死亡時に約50歳で、これは腸骨の耳状面(仙骨)や骨化中心や頭蓋縫合消失や歯のパターンの形態学的変化の評価によって判断されました。SUTE1の骨学的特徴が、ユーラシア西部人と一般的に関連する特徴を示唆しているのに対して、SUTE2は典型的な在来の頭蓋の特徴を示しました。
SUTE1およびSUTE2のDNAは、歯から抽出されました。遺伝的性別は、X染色体およびY染色体の網羅率の比率を常染色体と比較することで判定されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はSUTE1およびSUTE2で、Y染色体ハプログループ(YHg)はSUTE2で判定されました。古代の個体間の遺伝的近縁性は、常染色体上の半数体遺伝子型のPMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)を用いて評価されました。PMRは、2個体が異なるアレル(対立遺伝子)を有するSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)の数をSNPの総数で割ることによって計算されました。SUTE1およびSUTE2のゲノムデータは、既知の古代人および現代人のデータと統合されました。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、事前に計算された構成要素に古代の個体群が投影されました。ADMIXTURE分析は、K(系統構成要素数)=2~10で行なわれ、差異的なKは最小の交差検証誤差で判断されました。さらなる人口構造分析は、f3およびf4統計を用いて計算されました。
外群として、ムブティ人、レヴァントの続旧石器時代の狩猟採集民(Hunter-Gatherer、略してHG)であるナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)個体群(イスラエル_ナトゥーフィアン)、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体、中央アメリカ大陸の先住民であるミヘー人(Mixe)、台湾先住民のアミ人(Ami)、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊で発見された続旧石器時代狩猟採集民(ウスチイシム_HG)、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の更新世の1個体(コステンキ14号)、パプア人などの人口集団を用いて、解像度を最大化する特定の媒介変数でのqpAdmを用いて、祖先系統の割合が推定されました。
DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)ソフトウェアを用いて、SUTE1における混合事象の年代が推定されました。DATESは、単一の二倍体ゲノムと参照の2人口集団(祖先の供給源人口集団を表します)のデータを用いて、ゲノム全体にわたる加重祖先系統共分散の測定によって、混合の時期を推定します。1世代の時間は29年と仮定され、世代の混合時期が歴史時代の年代に変換されました。
●古代ゲノムデータの概要と古代DNAの真正性
SUTE1とSUTE2の2個体は、ショットガン配列決定で、それぞれ0.36倍と0.15倍の網羅率が得られました。「124万」パネルでのSNPの数は、457660ヶ所と214468ヶ所になります。古代DNAデータの真正性は、複数の測定で確証されました。第一に、古代DNAの典型的な損傷パターンが両個体【SUTE1とSUTE2】で観察されました。第二に、配列決定されたDNA断片の平均長は、SUTE1では47塩基対、SUTE2では48塩基対で、古代DNAと一致します。第三に、低水準の現代人のDNA汚染が検出され、mtDNAの汚染推定率は両個体【SUTE1とSUTE2】では約1%で、男性個体【SUTE1】のX染色体の汚染率は0.67%未満でした(表1)。
●性別判断と片親性遺伝標識
性別判断分析では、SUTE1が男性と特定され、X染色体とY染色体の網羅率の比率は、それぞれ0.466と0.438でした。SUTE2は女性と特定され、X染色体の網羅率の比率は0.979、YHgの網羅率の比率は無視できる程度の0.006で、頭蓋の形態評価と一致します。完全なmtDNA配列が両個体で得られ、SUTE1では網羅率が205倍、SUTE2では網羅率が38倍です。SUTE1は、ベトナムの青銅器時代の1個体と中国の広西の2個体で観察されてきた(Lipson et al., 2018、Wang et al., 2021)、mtHg-C7a2に割り当てられました。さらに、SUTE1はYHg-C2b1a2b2(C-F15516)に割り当てられ、これはモンゴルのトルコ系人口集団やロシアのヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)地域の人口集団や後期新石器時代中国の古代の人口集団において一般的である、より広範なYHg-C2の一部です(Jeong et al., 2020)。YHg-C2b1a2b2(C-F15516)は現代の寧夏回族自治区の人口集団では比較的稀で、わずか0.66%を占めているだけとなり、黄河流域全体のいくつかの新石器時代の遺跡で見られます(Ning et al., 2020)。この研究における男性標本の限られた数と刊行されているY染色体データの少なさのため、中国におけるソグド人の父系の遺伝的構造に焦点を当てたさらなる研究が有益となるでしょう。
●遺伝的親族関係分析
ともに埋葬されたSUTE1とSUTE2との間の遺伝的関係の分析は、唐王朝期におけるソグド人の埋葬慣行の理解に不可欠でした。中国の中原の遺伝的に親族関係にある個体群とない個体群からの刊行されているゲノムデータを用いて、基準が構築されました。SUTE1とSUTE2の組み合わせは8万ヶ所以上の重複するSNPを示し、信頼できるPMR計算が可能です。0.2357のPMR値は親族関係にない個体群の基準と一致し、SUTE1とSUTE2は遺伝的に親族関係になかったことが確証されました。これは、SUTE1とSUTE2が夫婦だった、との仮説を裏づけます。
●SUTE1とSUTE2の遺伝的構造の概要
SUTE1とSUTE2の遺伝的特性をさらに調べるために、現在のユーラシアの人口集団を用いてPCAが実行されました。SUTE1とSUTE2を刊行されている古代人のゲノムとともに投影することによって、その遺伝的差異がユーラシアの現代人集団内に位置づけられました。SUTE1とSUTE2の両個体ははアジア東部現代人集団内でクラスタ化しました(まとまりました)が、相互に異なる遺伝的分散を示しました(図2)。SUTE1は、後期新石器時代の斉家(Qijia)文化人口集団(黄河上流_LN)によって表される古代の黄河上流遺伝子プールと密接に並びましたが、アジア中央部人口集団の方への移動を示しており、アジア中央部祖先系統からの小さな寄与が示唆されます。これはSUTE1には黄河上流地域からの主要な祖先系統があり、アジア中央部関連集団からの追加の流入があることを示唆しており、アジア中央部における広範な存在を示唆するY染色体の証拠と一致します。対照的にSUTE2は、仰韶(Yangshao)文化(黄河_MN)や龍山(Longshan)文化(黄河_LN)と関連する人口集団など、中国の中原の人口集団内で完全にまとまっており、古代の在来の人口集団との強い遺伝的類似性が示唆されました。これらの調査結果は、唐王朝期におけるソグド人共同体内の遺伝的多様性を強調しており、在来とアジア中央部両方からの祖先の寄与が反映されています。以下は本論文の図2です。
ADMIXTURE分析は、SUTE1とSUTE2の祖先系統組成へのさらなる洞察を提供し、祖先の構成要素の最適数としてK=8を特定しました。PCAの結果と一致して、ADMIXTUREはSUTE1とSUTE2の異なる遺伝的特性を明らかにしました。SUTE1の遺伝的構成はアジア中央部の古代の人口集団と黄河の雑穀農耕民(黄河_MN、黄河_LN、黄河_LBIA)との間に位置し、両集団からの混合が示唆されます。SUTE2の遺伝的特性は現代の漢人やミャオ人(Miao)やシェ人(She)の集団で最大化されるアジア東部祖先系統と密接に類似しており、在来のアジア東部集団との強い類似性が補強されます。これらの結果は、ソグド人共同体内の複雑で多様な遺伝的遺産を浮き彫りにします。
●SUTE1とSUTE2の遺伝的類似性
f3形式(SUTE1/SUTE2、X、ムブティ人)外群f3統計を用いて、世界中の古代および現代の人口集団とのSUTE1およびSUTE2の遺伝的類似性が評価されました。PCAおよびADMIXTUREの調査結果と一致して、SUTE1は黄河流域の古代人集団(黄河上流_IA、黄河上流_LN、黄河_LN、黄河_MN)と最大のアレルを共有しており、それに続くのがアジア中央部の人口集団です(図3)。SUTE2は、陝西省咸陽市秦都区双照(Shuangzhao)遺跡(双照_唐)個体群や後期新石器時代龍山文化人口集団(黄河_LN)や中原の後期青銅器時代および鉄器時代人口集団(黄河_LBIA)や現在の韓国人と漢人とミャオ人とシェ人を含めて、アジア東部人口集団との最高の共有された遺伝的浮動を示しました。以下は本論文の図3です。
遺伝的混合をさらに調べるために、f4形式(ムブティ人、X;Y、SUTE1/SUTE2)のf4統計を用いて、世界中の人口集団が黄河集団と比較されました(図4)。SUTE1については、有意な正のf4値が、アンドロノヴォ(Andronovo)文化集団やシンタシュタ(Sintashta)文化集団や西方草原地帯_MLBAやスキタイ人やBMAC集団や鉄器時代トルクメニスタン人口集団などのアジア中央部および草原地帯集団で観察され、アジア中央部からの遺伝子流動が示唆されます。SUTE2は、台湾の漢本(Hanben)遺跡個体(台湾_漢本)や福建省の亮島(Liangdao)遺跡個体やマレーシアの人口集団(1880~299年前頃)など、アジア東部南方の人口集団との追加の遺伝的類似性を示しました。以下は本論文の図4です。
●SUTE1とSUTE2の混合モデル化
祖先系統供給源と混合割合をさらに調べるために、qpAdm手法を用いてSUTE1とSUTE2がモデル化されました。まず、SUTE1とSUTE2が、アジア中央部やアジア東部やより広いユーラシアの人口集団において単一の供給源に直接的に由来するのかどうか、判断するために3方向モデルが検証されました。SUTE2は古代の黄河および西遼河人口集団に由来するとモデル化でき、強い在来の遺伝的繋がりと一致します。しかし、SUTE1については1方向モデルが却下され、その遺伝的特性が単一の既知のユーラシア集団のみに由来するわけではなかった、と示唆されます。
次に2方向混合モデルが採用され、中原人口集団が、西方草原地帯_MLBAやアファナシェヴォ(Afanasievo)文化集団やサルマティア人_紀元前450年やアンドロノヴォ文化集団やBMAC集団など、さまざまなユーラシア人供給源と組み合わされました。これらのモデルはSUTE1の遺伝的特性に上手く適合し、西方草原地帯_MLBA(6.3~8.1%)やBMAC集団関連祖先系統(6.2~8.5%)やアファナシェヴォ文化集団(6.9~9.0%)やサルマティア人_紀元前450年(8.3~12.3%)やアンドロノヴォ文化集団を含めて、アジア中央部およびユーラシア西部草原地帯からのわずかな寄与と組み合わされた、黄河人口集団からの顕著な寄与(87.7~99.8%)を明らかにします(図5)。以下は本論文の図5です。
この循環戦略は、先行研究で説明された方法論に従って実行されました。具体的には、これらの2方向混合モデルは、それぞれBMAC集団とアンドロノヴォ文化集団と西方草原地帯_MLBAとアファナシェヴォ文化集団がそれぞれ外群一式として追加されたさいに確証されました。SUTE1をモデル化する中原人口集団とBMAC関連祖先系統の組み合わせは、ユーラシア西部草原地帯人口集団を外群一覧に追加する場合でさえ、適合します。同様に、BMAC集団をqpAdmの外群一覧に対すると、祖先系統供給源として中原人口集団およびユーラシア西部草原地帯人口集団でのモデルが裏づけられます。SUTE1の混合時期の推定値は、参照人口集団として漢人およびBMAC集団では18.2±8.2世代前(527.8±237.8年前)、参照人口集団として漢人とアファナシェヴォ文化集団では42.9±15世代前(1244.1±435年前)です。
●考察とまとめ
絹の道は前漢王朝期(紀元前202~紀元後9年)に確立され、ユーラシア東西間の複雑な文化と遺伝の交流を促進しました。固原唐王朝墓(M1401)は、これらの相互作用の重要な事例として機能し、唐王朝の多文化景観におけるソグド人の役割を浮き彫りにします。本論文は、中国におけるソグド人の最初の遺伝学的証拠を提示し、ソグド人の起源および統合への新たに洞察を提供します。遺伝的データから、墓M1401に埋葬された2個体は夫婦を表している可能性が高い、と示唆され、SUTE1(夫)はアジア中央部と関連する外来の遺伝的特徴を示しますが、SUTE2(妻)は在来の遺伝的背景を有しています。この調査結果は、とくに安史の乱後のソグド人の移住と結婚に関する歴史的記述と一致し、安史の乱では、ソグド人と在来の中国人との間のそうした結婚がより一般的になりました。
SUTE1とSUTE2の遺伝的特性は、絹の道沿いの混合および文化的同化のより広範なパターンを反映しています。SUTE1のアジア中央部人口集団との遺伝的類似性から、ソグド人が中国に定住後でさえ故地とのつながりを維持していた、と示唆されます。対照的に、SUTE2の在来の遺伝的背景から、これらの個体はより広範な中国の人口集団へとより完全に統合された、と示唆されます。これらの調査結果は、移住人口集団における男女の異なる遺伝的寄与と関連しているかもしれません。多くの歴史的な移住事象において、男女の遺伝的寄与は大きく異なっており、それは多くの場合、移住の社会的および歴史的動態に起因します(Haak et al., 2015)。移住事象や文化的慣行や権力構造における男女の役割はこれらの違いに影響を及ぼす、と示されてきました(Goldberg et al., 2017)。たとえば、征服や植民地化や交易など多くの移住では、男性集団がおもに関わっていました。結果として、侵入してきた男性集団Y染色体標識がより顕著だったのに対して、mtDNA標識は在来の女性集団と関連し続ける傾向にありました。
中国の歴史記録で記載されているように、東漢(後漢)期(25~220年)には、ソグド人起源の多くの個体が中国へと移住し、文化と物質の交流に従事しました。さらに、漢王朝の竹簡の発見は、漢人【という分類を千年紀の世界の説明に用いてよいのか、疑問は残りますが】とソグド人との間の相互作用への新たな洞察を提供してきました。本論文の調査結果から、SUTE1の混合は唐王朝の527.8±237.8年前に起きた、と示唆され、中国へのソグド人の移住期間と一致します。ソグド人は絹の道の物質と文化の交流に重要な役割を果たしており、ユーラシア全域で中国の商品および文化の拡大を促進しながら同時に、前漢王朝以降に中国へと文化的多様性をもたらしました。
本論文は、唐王朝期における人口集団の相互作用の複雑さをより深く理解するために、古代DNA分析を歴史および考古学的データと統合する重要性を強調します。さまざまなソグド人の遺跡からの追加の標本抽出を含むさらなる研究が、中国におけるグド人の遺伝的景観を完全に解明し、絹の道沿いの文化的交流の理解を深めるには不可欠でしょう。
●この研究の限界
この研究では、中国の固原市の唐王朝期にさかのぼる墓M1401から発見された、共同埋葬された2個体から得られたゲノム規模データが分析されました。本論文はソグド人の遺伝的構造および移住史への貴重な洞察を提供しますが、小さな標本規模による限界を認識することが不可欠です。この限界は、中国におけるソグド人と関連する墓の少なさに起因します。中国北西部のソグド人集団の遺伝的特性および埋葬慣行のより包括的な理解を得るためには、より大きな標本規模でのさらなる研究が必須です。標本規模の増加は、遺伝的差異のより広い範囲の把握を促し、それによって研究者は、古代中国におけるソグド人の人口動態や移住パターンや文化慣行のより包括的な理解を得ることができるようになるでしょう。
参考文献:
Goldberg A. et al.(2017): Ancient X chromosomes reveal contrasting sex bias in Neolithic and Bronze Age Eurasian migrations. PNAS, 114, 10, 2657–2662.
https://doi.org/10.1073/pnas.1616392114
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Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
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Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
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Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://doi.org/10.1126/science.aat3188
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Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell, 184, 14, 3829–3841.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018
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Zhang J. et al.(2025): Unraveling the origins of the sogdians: Evidence of genetic admixture between ancient central and East Asians. Journal of Archaeological Science: Reports, 61, 104957.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2024.104957
Zhao D, Chen Y, Xie G, Ma P, Wen Y, Zhang F, et al. (2023) A multidisciplinary study on the social customs of the Tang Empire in the Medieval Ages. PLoS ONE 18(7): e0288128.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0288128
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