チベット高原におけるデニソワ人の適応

 チベット高原における種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の適応に関する概説(Zhang S, and Zhang Y., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、デニソワ人がチベット高原に適応し、通年にわたって長期間居住していたのかどうか、先行研究を参照しながら検証しています。おもに取り上げられている遺跡は、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)です。デニソワ人については、まだ現生人類(Homo sapiens)はもちろんネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と比較しても研究がずっと遅れていますが、人類進化史の研究においてひじょうに重要な存在と思われるので(関連記事)、今後の研究の進展にはたいへん注目しています。


●解説

 地球上で最も標高が高く最大の高原であるチベット高原の特徴は、低酸素圧と限られた一次生産性と寒冷な気候と高度な生態学的脆弱性です[1]。これまでの知識では長く、この高地領域におけるヒトの居住は現生人類の世界規模の拡大の比較的遅くに起きており、末期更新世もしくは前期~中期完新世の可能性が高い、と示唆されてきました。しかし、最近の諸研究はチベット高原の最初のヒトの居住後期更新世の前半もしくは中期更新世後期にまでさかのぼらせます。これらの研究では、現生人類ではなく古代型人類、具体的にはデニソワ人がチベット高原の最初の開拓者だったことも示唆されてきました[3、4]。

 これらの画期的な調査結果は、チベット高原の初期の居住に関するいくつかの重要な問題を提起してきました。たとえば、デニソワ人は16万年以上前から現生人類が最初にチベット高原に居住した4万年前頃まで、チベット高原に存続していたのでしょうか[5]?文化的もしくは生物学的相互作用および競合が、デニソワ人と現生人類の間であったのでしょうか?遺伝的相互作用が現代のチベット人の遺伝子プールに寄与した可能性はありますか?さらに、これらの相互作用はデニソワ人の最終的な消滅に役割を果たしましたか?これらの研究の中心となるのは、チベット高原におけるデニソワ人の生計戦略、その都市使用のパターン、デニソワ人がチベット高原の生態系の低酸素で極度に寒冷な条件下での生存を可能とした、EPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)などの適応的遺伝子を有していたのかどうか、についての問題です。

 『Nature』誌で刊行された最近の研究[6]は、これらの問題のいくつかへの貴重な洞察を提供しています。この研究の最も注目すべき調査結果は、白石崖溶洞からの動物遺骸における新たなデニソワ人個体の発見です。何千点もの高度に断片化した骨標本のZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)検査において、ヒト亜科に属する1点の肋骨断片が特定され、さらなるショットガンのプロテオーム(タンパク質の総体)解析で、この標本がデニソワ人系統に属する、と確証されました。白石崖溶洞遺跡における確立した年代学的枠組み[4]に基づいて、この人類化石の年代は48000~32000年前頃と判断されました[4]。その後の直接的なAMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)放射性炭素(¹⁴C)年代測定によって、この人類化石の年代は48000~32000年前頃と判断されました。この調査結果は、白石崖溶洞における最後のデニソワ人と、チベット高原の尼阿底(Nwya Devu)遺跡におけるOSL(Optically Stimulated Luminescence、光刺激ルミネッセンス発光)により明らかになった4万~3万年前頃の石刃技術を有する最古級の現生人類集団との間の時間的重複の可能性、あるいは、少なくともチベット高原北東部の比較的低い標高の地域での、両人類集団【デニソワ人と現生人類】がより低い標高に後退したさいの気候悪化期間における両人類集団の時間的重複の可能性を示唆しています。

 先行研究[6]のもう一つの貢献は、16万~4万年前頃の間のチベット高原におけるデニソワ人の生計戦略に関するもので、これは高地採食民の文化的景観の形成において重要な要素です。これまでにで発見もしくはデニソワ人かもしれない化石があると知られている他の2ヶ所の遺跡、つまりシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)とアジア南東部のラオスのフアパン(Huà Pan)県に位置するタム・グ・ハオ2(Tam Ngu Hao 2、略してTNH2)で発見された動物相遺骸はデニソワ人の生計行動の再構築には限定的な価値しかありませんでした。デニソワ洞窟では、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類の遺骸がともに発見されており[9]、骨の由来の解釈が複雑になっていますが、TNH2の遺骸はほぼ非ヒトの過程に起因します[10]。対照的に、白石崖溶洞は、中期更新世後期および後期更新世にはデニソワ人のみが居住していた、とのより明確な証拠を提供します。化石生成論的分析は、白石崖溶洞における動物遺骸の蓄積と改変の主要な担い手として、デニソワ人を決定的に特定しました[6]。

 解体痕や打撃痕など人為的改変の証拠が、さまざまな動物の骨で発見されました。注目すべきことに、イヌワシ(Aquila chrysaetos)の翼の骨は当初、先行研究では鳥からデニソワ人が羽毛を採っていた証拠として、先行研究[6]では解釈されました。しかし、より妥当な説明は、この解体痕が骨から栄養のある部分を抽出するさいに付けられた、というものです。時に死肉漁りをするイヌワシは、とくに鳥が大型動物の死骸を腹に詰め込んだ後で行動不能になったさいに、デニソワ人によって監視されて捕獲されたかもしれません。

 白石崖溶洞におけるマーモット(マーモット属種)の存在も、注目に値します。そうした大型齧歯類の狩猟には技術的投資が必要で、とくにマーモットがなかなか目覚めず、したがって最も捕食されやすい冬眠期には、木製道具などの単純な道具もしくは罠で充分でした。マーモットは、体重が最大で10kg、脂肪はほぼ2kgになることがあり、デニソワ人にとって、とくに植物資源がきょくたんに少ない冬には重要な栄養源を提供しました。

 先行研究[6]には、白石崖溶洞における、遺跡の使用強度、移動パターン、高地環境へのデニソワ人の遺伝的適応の可能性を調べる能力もあります。白石崖溶洞のデニソワ人は広範で多様な食性を示しており、後期更新世後期の広範な革命のずっと前の、人類における食性拡大が示唆されます。注目すべきことに、このパターンは、おもに中型から大型の動物を対象としていたものの、たまに小型哺乳類が標的とされた、ユーラシアの古代型人口集団の生計戦略とは異なっています(図1)。以下は本論文の図1です。
画像

 マーモットやイヌワシの捕獲には洗練された道具一式は必要ではなかったかもしれませんが、これらの動物の行動に関する深い理解が必要で、高地環境との長いヒトの相互作用が示唆されます。とくに第6層と第7層の肉食動物および齧歯類の骨への解体痕および打撃痕は、この解釈をさらに裏づけます。肉食動物の欠如と肉食動物の噛んだ骨が少ないことも、デニソワ人による白石崖溶洞の長期の使用を示唆しているかもしれません。

 先行研究[1]によって提案されているように、白石崖溶洞のデニソワ人は通年で高地に居住しておらず、過酷な季節には低地の拠点に後退していたかもしれません。この文脈では、白石崖溶洞は複雑な居住体系の一部で、居住野営地は周辺の低地全体に分布していました。この仮説が正しいとしても、チベット高原における1もしくは複数の季節にわたる採食は、デニソワ人集団における高地適応遺伝子の短期の気候順応および潜伏の促進に充分だったかもしれません。この局所的な進化経路は、EPAS1遺伝子などデニソワ人由来のアレル(対立遺伝子)の後期更新世現生人類の遺伝子プールへの遺伝子移入を説明できるかもしれず、より遠いアルタイ山脈のデニソワ人からの遺伝子流入との仮説への代替案を提供します。この解釈は、4万年前頃に祖先チベット集団において高地適応遺伝子が出現した、と示唆する遺伝学的研究[12]とよく一致します。この解釈は、尼阿底遺跡の下の通年の居住パターンの可能性への洞察を提供した、最小負荷経路分析によっても裏づけられます。

 白石崖溶洞のデニソワ人は、生計戦略と環境適応における行動的可塑性の並外れた程度を示しており、それは現生人類に匹敵します。したがって、チベット高原においてデニソワ人と現生人類との間で時空間的重複があったかもしれませんが、この古代型ヒト集団【デニソワ人】の絶滅は、現生人類に対するネアンデルタール人の競合上の不利の主因として提案されてきた要因[14]である、単純に生態学的もしくは行動的柔軟性に起因しないかもしれません。あるいは、チベット高原におけるデニソワ人の消滅は、マーモットの有していた人畜共通感染症病原体の役割の可能性を含めて複数の要因の複雑な相互作用の結果だったかもしれず、そうした複数の要因が独特に組み合わさった、温帯ヨーロッパにおけるネアンデルタール人について提唱された仮説と同様に、デニソワの衰退を引き起こしました。

 先行研究[6]によって採用されたように、動物考古学と化石生成論とプロテオーム解析の組み合わせには、ユーラシア全域の旧石器時代人類によって利用された生態学的媒介変数と動物相の範囲に関する理解を深める可能性があります。チベット高原における将来の考古学的調査と発掘は、古代DNA解析や石器分析や古生態学的モデル化など学際的技術と組み合わされて、チベット高原における人類の持続的存在についてのより堅牢な証拠(たとえば、季節性の兆候)が得られる、と期待されます。


参考文献:
Zhang S, and Zhang Y.(2025): Behavioral adaptation facilitated Denisovans persistent occupation of the Tibetan Plateau. Science Bulletin, 70, 11, 1716-1718.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2025.03.048

[1]Aldenderfer M.(2019): Clearing the (high) air. Science, 365, 6453, 541–542.
https://doi.org/10.1126/science.aay2334
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[3]Chen F. et al.(2019): A late Middle Pleistocene Denisovan mandible from the Tibetan Plateau. Nature, 569, 7756, 409–412.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1139-x
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[4]Zhang D. et al.(2020): Denisovan DNA in Late Pleistocene sediments from Baishiya Karst Cave on the Tibetan Plateau. Science, 370, 6516, 584–587.
https://doi.org/10.1126/science.abb6320
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[5]Zhang XL. et al.(2018): The earliest human occupation of the high-altitude Tibetan Plateau 40 thousand to 30 thousand years ago. Science, 362, 6418, 1049-1051.
https://doi.org/10.1126/science.aat8824
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[6]Xia H. et al.(2024): Middle and Late Pleistocene Denisovan subsistence at Baishiya Karst Cave. Nature, 632, 8023, 108–113.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07612-9
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[9]Jacobs Z. et al.(2019): Timing of archaic hominin occupation of Denisova Cave in southern Siberia. Nature, 565, 7741, 594–599.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0843-2
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[10]Demeter F. et al.(2022): A Middle Pleistocene Denisovan molar from the Annamite Chain of northern Laos. Nature Communications, 13, 2557.
https://doi.org/10.1038/s41467-022-29923-z
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[12]Zhang X. et al.(2021): The history and evolution of the Denisovan-EPAS1 haplotype in Tibetans. PNAS, 118, 22, e2020803118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2020803118
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[14]Roberts P, and Stewart BA.(2018): Defining the ‘generalist specialist’ niche for Pleistocene Homo sapiens. Nature Human Behaviour, 2, 8, 542–550.
https://doi.org/10.1038/s41562-018-0394-4
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この記事へのコメント

2025年06月18日 18:53
https://sicambre.seesaa.net/article/202011article_12.html
この記事のコメント欄が閉鎖されていたので、ここで質問したい。

上記の関連先の記事の最後の画像のY haplogroupのlateMedには、DとD1aがある。このDは縄文人系統のDであるのか、それともチベット人系統のDであるのか?

管理人
2025年06月18日 21:36
返答は以下の該当記事に追記しました。
https://sicambre.seesaa.net/article/202011article_12.html

今回は返答しましたが、無料ブログなのに、名乗らず知人でもなさそうな人にわざわざ調べて返答する義務も義理もないと考えているので、同様の質問があれば、今後は自分で調べてください。
管理人
2025年06月18日 21:43
なお、この件でのお礼の返信などは不要です。
上の質問者です
2025年06月18日 21:57
一般的に、ブログのコメントには、質問や感想や議論を書くものであると思っていた。管理人氏は質問を書き込まれるのを好まないタイプの管理者であるのだろうか。もしそうならば、私は質問などを二度と書き込むつもりはない(日本?のネットの慣習とこのブログの管理人氏のルールに従う)。英語圏の科学や数学の話題で、管理人氏のような不快感をあらわにした?対応(発言)をされたことがなかったので、私は少し驚いた(批判でない)。もしかすると、私の質問が荒らしに見えたのかもしれない。
管理人
2025年06月18日 22:09
私は参考文献を提示していますから、興味のある問題ならまず自分で調べてください、というわけです。私に「質問」をせずとも、調べることができる問題のはずです。返信は不要です。