アメリカ合衆国の先住民の人口史

 古代人と現代人のゲノムデータからアメリカ合衆国の先住民の人口史を推測した研究(Pinotti et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州のNRG(Northern Rio Grande、北リオ・グランデ)に位置する、連邦政府公認のアメリカ先住民族であるピキュリス(ピクーリス)・プエブロ人(Picuris Pueblo)の現在の構成員および祖先のゲノムデータを報告し、両者の間の遺伝的連続性を明らかにしています。この祖先の個体は、現在の居住地から西方に約250km離れた、チャコ渓谷(Chaco Canyon)のプエブロ・ボニート(Pueblo Bonito)遺跡で発見されました。一方で、古代プエブロ人にには、同じく北アメリカ大陸先住民であるアサバスカ人(Athabascan)関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が15世紀以前には見られず、ヨーロッパ人到来前の人口減少の証拠も見つかりませんでした。この研究は、ピキュリス・プエブロ人の主権国家(sovereign nation of Picuris Pueblo)の協力によって進められ、先住民による遺伝的データの管理が優先されました。


●要約

 先住民は、口承史に基づく祖先の主張や文化的帰属の主張のさい、とくにそうした物語が歴史的に軽んじられてきたアメリカ合衆国では、大きな困難に直面することが多くあります。古代DNAは、伝統的な知識を補完し、口承史における空白に取り組むための手段を提供しますが、先住民の主権や信仰への長年にわたる軽視は、当然のことながら多くの先住民共同体にDNA研究への不信感をもたらしてきました。以前の研究[5~7]は返還請求に焦点を当てることが多かったのに対して、より新しい研究[8、9]は次第に部族の歴史を深める方向へと動いてきました。

 本論文は、連邦政府によって認められているアメリカ大陸先住民部族である、アメリカ合衆国ニューメキシコ州のNRGのピキュリス・プエブロ人の主権国家による共同研究を提示し、伝統的な知識における空白に取り組み、その人口史および祖先系統の理解を深めます。ピキュリス・プエブロ人の古代ピキュリス人16個体および現在の構成員13個体からゲノムが生成され、過去千年間にわたるゲノムデータが提供されます。その結果、古代と現在のピキュリス人の間の遺伝的連続性、および西方に250km離れたチャコ渓谷のプエブロ・ボニート遺跡の祖先プエブロ人[10]との、より広範な遺伝的類似性が示されます。これは、北アメリカ大陸南西部のこれらプエブロ人集団間の確たる時空間的な結びつきを示唆します。さらに、ヨーロッパ人到来前の人口減少の証拠も、1500年頃以前のアサバスカ人祖先系統も見つからず、以前の移住仮説に疑問が呈されました。この研究は遺伝的データの先住民の管理を優先し、口承伝承と考古学と民族学と遺伝学とともにまとめました。


●研究史

 現在のアメリカ大陸先住民であるプエブロ部族との祖先の関係を示す用語である祖先プエブロ文化によって築かれた古代プエブロは、北アメリカ大陸の最もよく知られている考古学的文化の一つです。多くの古代プエブロはアメリカ合衆国の国立公園や歴史公園や記念碑の中心となっており、ニューメキシコ州コロラド高原のサン・フアン(San Juan)川流域のチャコ渓谷に集中する大規模な多層石造りの「大家屋群(Great Houses)」など、いくつかはUNESCO(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization、国際連合教育科学文化機関)の世界遺産になっています。チャコ渓谷の大家屋群は850~1150年頃の間に築かれ、アメリカ合衆国南西部北方の農耕共同体のより広範な儀礼的景観の中心でした(図1)。チャコ渓谷は、現代のイングランドより大きな領域を網羅する、200ヶ所以上の大家屋共同体の政治的および社会的つながりの中心でした。しかし、1150年頃以後にチャコ渓谷における主要な建造が終わり、この地域において依然として議論されている理由のため人口が減少しました。そうした理由には、旱魃、利用可能な生態系資源もしくは耕作適地の過剰利用、地域的な交流と信仰の崩壊、あるいはそれらの要因の組み合わせが含まれています。以下は本論文の図1です。
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 チャコ渓谷の人口集団が1150年頃にどこに再定住し、その後どのような移動を行なったのか、アメリカ合衆国南西部考古学と先住民共同体内では同様に依然として議論の対象です。チャコ渓谷とのつながりの点で大きな関心を集めている地域がNRGです。900年頃、最古級のNRGのプエブロ人の中心地が初期チャコと同時代だったのに対して、考古学と歴史学とピキュリス人など現代のプエブロ人は、チャコの人口減少以降のNRGの文化的連続性の証拠を提供します。現在のプエブロ人の口承伝承と多くの一連の学術的証拠は、チャコ渓谷とNRGとの間のある程度の水準の関係を裏づけ、この遠い2地域間の関係の正室と深さについて議論されています。これは必然的に、過去と現在のプエブロ人集団間の関連の強さについての懐疑論につながり、それはチャコ渓谷およびプエブロ人の世界の祖先の役割合を保護して保全しようとする、先住民部族連合(Tribal Nation)に負の影響を及ぼしてきました。

 ピキュリス・プエブロ人の伝統知識の継承者は、サン・フアン(San Juan)川流域における多くの祖先プエブロおよびチャコ文化との祖先および文化のつながりを主張しています。これらの関係の詳細は伝統的なピキュリス人の文脈外では議論できませんが、建築様式や、現在のピキュリス人をサン・フアン川流域と結びつける競走場とチャコの道路網との間の重複、物質文化で見られる共通の宗教知己象徴(土器や聖像など)が含まれます。

 しかし、ピキュリス・プエブロ人の伝統知識の継承者は、自らの口承史の空白による不確実性も認めています。そうした空白は、本論文の推定値(後述)ではヨーロッパ人の接触後最初の数十年間で少なくとも85%となる構成員を失った、1世紀にもおよぶ共同体では当然のことです。1700年頃までに、共同体は約300人にまで縮小し、現存のプエブロ人国家では最小となりました。さらに、ピキュリス人の宗教と儀式にたいする何世紀もの抑圧と気化しも伝統的で真正な景観の利用機会喪失、ピキュリス人の子供のアメリカ大陸先住民を寄宿学校に送ったことは、ピキュリス人における文化的知識と歴史の世代間の伝達を抑圧しました。これらの要因は累積的に、チャコ渓谷の現状と将来に関する継続的議論において、ピキュリス人の声を軽視することが多くありました。ピキュリス人の共同体は、伝統的知識の空白を適切な科学的データで橋渡しして直し、チャコ渓谷および何世紀も前に定着した地域体系に祖先のつながりがどの程度あるのか、取り組むために、この研究を開始しました。

 ピキュリス・プエブロ人の知事および指導者は、古代DNAの過去とのつながりを確かにするのに役立つ可能性を認識し、考古学の協力者の一部に、コペンハーゲン大学の地質遺伝学研究所との協議の開始への協力を依頼しました。2年間にわたる多数の懐疑で、ピキュリス人集団のゲノムと健康の歴史を調べるために、相互に合意した共同研究計画が策定されました。この共同研究のため、ピキュリス・プエブロ人とコペンハーゲン大学との間で合意の覚書が締結されました。その後、ピキュリス人は、長期間サザンメソジスト大学に貸与されていた、1960年代にプエブロから発掘された古代の個体群の移送を承認しました。明確にするために、ピキュリス・プエブロ人の先住民部族連合とその構成員の両方について、その構成員の一部がこの研究の共著者であっても、三人称で言及することが選択されました。


●ピキュリス・プエブロ人の歴史

 アメリカ大陸先住民は豊かな口承伝承を通じてその歴史を記録してきており、それには、物語や読み聞かせや歌や詩や音楽に、絵画や彫刻といった芸術形式が含まれます。それら先住民の歴史が、考古学および/もしくは遺伝学的証拠とともに解釈できるのかどうか、いくらかの議論があり、先住民の物語には象徴的および文字通りの両方の意味があり、歴史事象やおそらくは考古学的に検出された他の出来事を記録している、との一般的な合意があります。しかし、口承の物語には多くの機能があり、時と場所などより日常的な問題ではなく、宇宙論的広がりもしくは人物の意図に集中しているかもしれない、との認識が重要です。さらに、口承の物語は代替的で補完的な説明としてその多さにおいて栄え、重要性を確証するための合意を求めていません。

 ピキュリス人の起源は、創造者であるパアウィアエパヨ(Pá à wíá è Páyó)や他の人々が暮らす地下世界です。この共同体は「北」の人々と「南」の人々に二分され、ピキュリス人の口承史では、誕生地が湧けられています。これらの人々は創造者によって現在の地上世界へと派遣され、雲に乗って来た者や、水路を通って来た者もおり、最初期の人々は白い巨山の近くの湖から現れました。それらの湖のうちの一つはファクスウィー・オクスワルナ(Phaxwii Oxwalna)と呼ばれており、万年雪の山であるジカリータ・ピーク(Jicarita Peak)近くのサーペント湖(Serpent Lake)と考えられています。それはピキュリス人の南側に位置し、まさに「南」の人々の起源地です。「北」の人々の出現地の地理的対応はさほど明確ではなく、コロラド州のパイクス・ピーク(Pikes Peak)近くの泉と同定する一部の伝承があります。期間不明のこの景観を通っての移動後に、これらの人々はピキュリス・プエブロとタオス・プエブロ(Taos Pueblo)や、両者の間に位置するポット・クリーク・プエブロ(Pot Creek Pueblo)に定住しました。考古学的推定では、これらの共同体の創設は900年頃とされています。ポット・クリーク・プエブロ人は1320年頃に人口が減少しましたが、密接に関連する言語を話すピキュリス人とタオス人は人口が減少せず、アメリカ大陸において最古級の連続して居住している共同体の一部を表しています。


●祖先および現在のピキュリス人のゲノム

 地質遺伝学研究所の専用古代DNA滅菌研究室で、700~500年前頃の間のピキュリス・プエブロに埋葬された古代人16個体のDNAが抽出され、29点の二本鎖ライブラリ[48]と、42点のUSER(uracil-specific excision reagent、ウラシル特異的切除試薬)処理一本鎖ライブラリが構築されました(網羅率の平均深度は2.67倍で、その範囲は0.009~36.6倍)。USER処理されていないすべてのライブラリは、死後の古代DNA損傷[51]の明確な証拠を示しており、現代人の汚染は全個体で2%未満と推定されました。

 共同体の要請で、ピキュリス国家の登録構成員から現代人13人のゲノムも配列決定されました。これらのデータはアメリカ大陸およびシベリアの古代人および現代人590個体のゲノムと共同解析されました。全個体について、1000人ゲノムの高網羅率のデータセットで44136290ヶ所の変異部位について、GLIMPSE第1.1.1版を使用し、補完された二倍体遺伝子型が得られました[57]。多くのアメリカ大陸先住民集団の遺伝的データはゲノム規模配列もしくは混合法のみで利用可能なので、本論文のデータセットは、新たに生成されたデータと文献の豊富な配列[58、59]との間で直接的な比較が可能となるよう、部分集合化もされました。

 PCA(principal component analysis、主成分分析)やf統計やIBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)断片のパターンや推定された対での枝の長さ[5]を用いて、祖先ピキュリス人と現在のピキュリス人との間、および利用可能なゲノム規模データのある他のアメリカ大陸先住民との間の遺伝的類似性が調べられ、これにはプエブロ・ボニート遺跡の支配層埋葬からの刊行されている低網羅率データ[10]が含まれます。

 祖先ピキュリス人と現在のピキュリス人は相互に最も密接に関連している、と分かり、過去千年間を通じてのピキュリス・プエブロ人における遺伝的連続性が確証されます。外群f₃統計とD統計とTreeMixとPCAの結果から、古代もしくは現在の他の標本抽出されていない人口集団は、ピキュリス人の個体の場合ほどには、プエブロ・ボニート遺跡の祖先ピキュリス人と密接に関連していない、と明確に示されます(図2)。以下は本論文の図2です。
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 これらの結果は、Y染色体ハプログループ(YHg)およびミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)によって裏づけられます。しかし、この地域のDNA標本抽出はひじょうに限られており、他のプエブロ人共同体が含まれていないことを、本論文は認識しています。それにも関わらず、プエブロ・ボニート遺跡の墓室33号に埋葬された標本抽出された個体はすべて、ひじょうに稀なミトコンドリアハプロタイプ(B2y1)を有しており、母系王朝制度が示唆されます。この同じハプロタイプを現代のピキュリス人1個体が有しており、最尤およびベイズ分析の両方で、他の標本抽出された人口集団とよりもプエブロ・ボニート遺跡個体群の方に近い、と分かりました。


●ピキュリス・プエブロ人のより広範なゲノム史

 先行研究[7、58、59、66、67]では、アメリカ大陸先住民のゲノムは、22000~14600年前頃に起きた初期の2回の分岐を特徴とし、主要な3系統が生じた、と示されてきました。分岐した最初の集団はベーリンジア(ベーリング陸橋)古代人で、アラスカの11500~9000年前頃の個体群によって表されます[7、67]。これに続いて、さらに2系統を生じた分岐が続き、一方はおもにアサバスカ諸語とアルギック(Algic)語族の話者や太平洋北西部の集団を含むのに対して[58、59]、もう一方はすべての南アメリカ大陸古代人を含めて他のすべての以前に研究されたアメリカ大陸先住民で構成され、クローヴィス文化と関連するアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡の12800年前頃の1個体(アンジック1号)によって表されます。しかし、多くの先住民集団には複雑な人口史があり、それには上述のこの分岐からや、アンジック1号によって表される系統と関連するものの、アンジック1号自体には存在しない両方の系統もしくは祖先系統からの祖先系統が含まれます[5、7、9、68~71]。

 カリティアナ人(Karitiana)も対象とした、D形式(ピキュリス・プエブロ古代人、カリティアナ人、アンジック1号、ヨルバ人)を用いると[5]、ピキュリス人の古代の個体群がアンジック1号を除外して南アマゾンのカリティアナ人とクレード(単系統群)を形成することに対して有意な却下が見つかり、ピキュリス人有している祖先系統は、アンジック1号によって表される系統に完全には由来せず、一部の北メキシコ人口集団で見られる兆候[7、71、72]と類似している、と示唆されました。しかし、アラスカ(Alaska、略してAK)のアップウォードサン川(Upward Sun River、略してUSR)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)を対象として、D形式(集団、カリティアナ人、検証対象アンジック1号、USR1)で代わりにそれらの人口集団が他の系統からの祖先系統を有しているのかどうか、直接的に検証すると、すべてがゼロと一致すると分かり、最大はメキシコ北西部のソノラ(Sonora)州のラプラヤ(LaPlaya)遺跡の600年前頃の個体および「カナダアメリンド1集団」での、D=0.011およびZ=1.82で、本論文のデータセットにはピキュリス人および他の人口集団で見られるアンジック1号によって表されない過剰な祖先系統の適切な代理が含まれていない、と示唆されます。これはおそらく、アンジック1号のゲノムで見られる祖先系統よりも基底部の祖先系統か、利用可能な遺伝的データのある祖先系統とひじょうに遠い関係にある祖先系統供給源を表しています。

 1150~1200年頃の北アメリカ大陸南西部におけるチャコ大家屋群の建設と居住の終焉が、人口ボトルネック(瓶首効果)の前後どちらなのか調べるために、別々に創始者効果およびその経時的な有効人口規模(Nₑ)を推定するよう補完された二倍体遺伝子型に、3種類の異なる手法が適用されました。古代と現在両方の個体群を用いると、ヨーロッパ人到来前の同様の人口規模が推定され、一方で3種類の手法を用いても先植民地期の人口減少の兆候は検出されませんでした(図3)。以下は本論文の図3です。
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 考古学的および民族史的推定では、ヨーロッパ人到来直前のピキュリス・プエブロ人の人口集団は約3000個体とされています。一般的に北ティワ(Northern Tiwa)地域(ピキュリスも含まれます)の建築物の部屋数に基づく推定値から、約1万個体が1300~1350年頃にこの地域に居住していた、と示唆されています。有効人口規模推定値を人口集団における人口調査規模に変換することは困難ですが、有効人口規模は控えめに推定しても人口調査規模の約1/3か0.21~0.65倍の間の比率です。したがって、古代(過去10世代の調和平均は、IBDNeを用いると3190個体、HapNe-LDを用いると5300個体)もしくは現在(HapNe-LDを用いると、20~30世代の間の調和平均は5480個体)のピキュリス・プエブロ人の構成員両方で計算された本論文の点推定値は、当時のピキュリス人の影響圏に約1万個体との推定と一致します。ピキュリス・プエブロ人の約3000人との推定値は、ピキュリス人の口承伝承や土器頻度および遺跡の最大規模に占める建築空間に基づく考古学的推定値と一致します。


●アメリカ合衆国南西部へのアサバスカ人の移動

 これら高品質なゲノムデータを用いて、プエブロ人集団のアサバスカ諸語話者集団など他の人口集団との関係の調査が試みられました。アサバスカ諸語話者集団はアラスカ内陸部およびカナダ西部の広大な連続した地域を占めており、南オレゴンの太平洋沿岸と北カリフォルニア沿いに暮らす外れ値の2人口集団がおり、他の人口集団はアメリカ合衆国南西部に暮らしています(いわゆる南部アサバスカ人)。北方から南方への移動は口承伝承で証明され、学者の間で一般に受け入れられていますが、その時期や原因や供給源(の複数の)人口集団や経路やそれらの地域の到来時期は、長年にわたって学術的魏路何になってきました。

 アメリカ合衆国南西部の南アサバスカ人居留地の最古級の直接的な考古学的証拠は、ニューメキシコ州北西部のゴベルナドール(Gobernador)地域のナバホ人(Navajo)関連遺跡とされており、年輪年代では1541年で、この地域では一般的にアパッチ人(Apache)とされているケレチョ人(Querecho)である、南アサバスカ人集団の最古級の植民地の文献記録と一致する年です。ティエラ・ブランカ(Tierra Blanca)考古学複合体はこれらの集団と文化的な関連している、と一部によって暫定的に示唆されており、アサバスカ人の存在の年代を1450年頃までさかのぼらせます。一つの仮説は、この移動が小氷期の寒冷な気候(1400年頃に北アメリカ大陸で最盛期となりました)のために起きた、というもので、このより寒冷な条件によって一部の北方集団が南方へと移動しました。この仮説とは対照的に、他の研究者は、この地域には、おそらく800年頃までとかなり早い南アサバスカ人の存在があった、と提案しました。この仮説を裏づける考古学的証拠の欠如は、この集団の小さな人口調査規模と高い移動性に起因し、それによって考古学的痕跡が比較的少なくなるでしょう。

 アサバスカ人の拡散の時期を解決できるのかどうか、調べるために、先行研究[59]の南アサバスカ人個体群が、本論文のデータセットの全個体と比較されました。f統計を用いると、南アサバスカ人はプエブロ人供給源(ピキュリス・プエブロ古代人)から祖先系統の大半を受け取るとともに、たとえばチペワイアン人(Chipewyan)など北アサバスカ人集団的な祖先系統も受け取ったとモデル化できる、と分かりました(図4)。これは、アメリカ合衆国南西部における到来時期に関する南アサバスカ人の口承史や、多くの氏族の名前が最終的にはプエブロ人起源であるとの民族誌的証拠や、プエブロ語からの借用語や、重要なことに、より定住的な生活様式およびトウモロコシやカボチャやマメやワタの栽培と一致します。以下は本論文の図4です。
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 南アサバスカ人の伝承は、南アサバスカ人を祖16世紀のヨーロッパ人との接触の前の先プエブロ人共同体との相互作用と結びつけますが、1535年以前の祖先プエブロ人個体ではアサバスカ人祖先系統の証拠が見つからず、そうした祖先系統は現在のピキュリス人個体群で見られます。これらの結果は、アメリカ合衆国南西部におけるアサバスカ人関連集団の後期の到来を裏づけており、最も可能性が高いのは1500年頃以後です。南アサバスカ人において明らかなプエブロ人の結婚選好や埋葬慣行や混合事象は、たとえばプエブロ人の捕虜を通じての、1方向だったかもしれません。これは、古代ピキュリス人におけるアサバスカ人祖先系統の兆候の欠如を説明するでしょうが、それら両集団間の広範な相互作用を考えると、歴史的および現在までの両方において、そうした状況が長期にわたって存続した可能性は低そうです。


●まとめ

 まとめると、本論文では、ピキュリス・プエブロ人は過去であれ現在であれ、チャコ渓谷の古代の個体群と最も密接な標本抽出された集団と示され、この地域における人口減少もしくは消滅との主張に異議を唱え、現在の集団と祖先プエブロ人の遺産との間の疑わしい文化的類似性への遺伝的構成用を確証します。本論文で強調されるのは、この結論によって、連邦政府認定されている24以上の部族がチャコ渓谷に有しているつながりや関係に、異議を唱えたり、疑問を提起したりするものではない、ということです。しかし、それは連邦政府に認定されている部族のチャコ渓谷の祖先との関係を裏づける古遺伝学的データの唯一の事例です。

 先住民の口承史は、文化的帰属の証拠として、そうであるべきように、次第に受容されて法制化されつつありますが、要注意なのは、直径的で文化的な帰属を有しているものの、何世紀にもわたる制度的な不正義と植民地支配のためその歴史に大きな空白があるかもしれないピキュリス・プエブロ人などの集団を、意図せずに排除することを避けることです。遺伝学や考古学や言語学など科学的手段は、地域的な遺伝的連続性の論証に役立ち[7、8、94、96]、口承史の空白の改善の機会を提供します。その応用は、現在の共同体や文化的遺産の議論や、古代の遺跡の利害関係者として連邦政府に認められている権利の確保にとって、大きな回復的価値を有しているかもしれません。

 最後に、この研究の重要な側面は、この協同を通じて、ピキュリス・プエブロ人のデータ主権確保の約束が共有されたことです。部族の指導者は、研究協定の起草と研究の重要な調査結果の作成の両方に関わりました。さらに、ピキュリス・プエブロ人は共同研究のいかなる時点でも、研究縮小の権利を有し、結果の刊行はピキュリス人の指導者のみが決定し続けます。これらの指標と方針は、非先住民研究者と先住民の利害関係者共同体との間でのこの共同研究の不可欠な側面でした。このような共同研究の試みが、有意義な活動や政策検討の触媒として機能し、口承の歴史および伝承がより尊重され、これらの結果が、部族の主権と共同体の帰属意識に影響を及ぼす、充分な情報に基づく意思決定過程に組み込むことができるよう、願っています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


ゲノミクス:古代 DNA がピクーリス・プエブロ族の人口史を補完する

 米国ニューメキシコ州のアメリカ先住民族ピクーリス・プエブロ(Picuris Pueblo)の祖先の歴史に関する新たな洞察が、同部族と科学者の共同研究で明らかになったことを報告する論文が、今週のNature にオープンアクセスで掲載される。古代ピクーリス族と現在のピクーリス族のDNAを分析した結果、これらの集団間の遺伝的連続性が示され、ピクーリス族が先祖代々の共同体に属していることを示す伝統的知識を裏付けるものとなった。

 ピクーリス・プエブロは、米国ニューメキシコ州のリオ・グランデ(Rio Grande)地方北部に位置する、連邦政府公認のアメリカ先住民族である。伝統的な知識には、現在のピクーリス族とチャコ・キャニオン(Chaco Canyon)の古代集落(現代の集落から西に275キロメートル、およそ紀元900年までさかのぼる)とのつながりが記されている。口承伝承を補完し、知識の空白を埋めるために、ピクーリス族は科学者と協力し、チャコ・キャニオンと彼らの祖先のつながりについてゲノム解析を行なった。その結果が、ピクーリス族の知事Craig QuanchelloとEske Willerslevらによって報告された。

 部族との協議のもと、古代のピクーリス族16人(500〜700年前)と現在のピクーリス・プエブロの13人のゲノムの塩基配列が決定された。その結果、これらの集団間の遺伝的連続性が裏付けられ、古代のピクーリス族と現在のピクーリス族が密接な関係にあることが示された。さらに、チャコ・キャニオンのプエブロ・ボニート(Pueblo Bonito)に埋葬された個体から得られた全ゲノムデータとの比較から、古代のピクーリス族はチャコ・キャニオンの個体群と密接に関連していることが明らかになった。これらの知見は、ピクーリス族とチャコ・キャニオンの集団の歴史についての理解を深めるものであるが、他の連邦公認のアメリカ先住民族とチャコ・キャニオンとのつながりを否定するものではない、と著者らは指摘している。


進化学:ピキュリス・プエブロ部族の口述史とゲノミクスから明らかになった米国南西部の遺伝的連続性

進化学:アメリカ先住民族の口述史をゲノミクスで補う

 今回、アメリカ先住民主導により行われた研究で、ピキュリス・プエブロ部族の遺跡で発見された過去の個体と現在のピキュリス・プエブロ部族構成員のDNAが解析され、これらの集団の間に遺伝的連続性があることが示されている。




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