奄美群島出土人骨のミトコンドリアDNAデータ

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、奄美群島出土人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)データを報告した研究(竹中他.,2024)が公表されました。本論文は、九州から琉球諸島への人類集団の移動において、その経路上に位置する奄美群島の遺跡で発見された人類遺骸の放射性炭素年代測定結果と同位体分析結果とmtDNA解析結果を報告しています。対象となるのは、喜界島の城久遺跡群の前畑遺跡および半田遺跡、喜界島の長石の辻遺跡、奄美大島の屋鈍遺跡で、与論島の赤崎鍾乳洞と徳之島の面縄第一遺跡で発見された人類遺骸のmtDNA解析結果も報告されています。

 前畑遺跡は鹿児島県喜界町大字滝川字前畑に位置し、喜界島城久遺跡群を構成する8ヶ所の遺跡に含まれます。人類遺骸は7号土坑墓と8号土坑墓から発見され、本論文では7号土坑墓から出土した1号人骨が対象となります。この7号墓1号人骨の保存状態はきわめて良好で、壮年の女性と推測されています。喜界島の中世人類には、長頭化や高身長化やシャベル型切歯など、本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」からの遺伝的影響が示唆されますが、前畑7号墓1号人骨は低顔や広鼻や前頭部の平坦性の弱さなど、奄美群島の先史時代人類集団と類似の特徴を有しています。半田遺跡は鹿児島県大島郡喜界町大字城久字半田に位置し、9個体の人類遺骸が発見されていますが、本論文で対象となるのは、1 号土坑墓と2 号土坑墓から出土した2個体です。半田1号墓人骨は女性で、年齢は不明です。半田2号墓人骨は壮年の男性です。

 長石の辻遺跡は、鹿児島県大島郡喜界町字島中地内の、標高120mほどの石灰岩丘陵(ウフヤグチ鍾乳洞)に位置します。長石の辻遺跡の土坑墓で発見された1号人骨(長石の辻1号人骨)が対象となり、老年の女性と考えられています。屋鈍遺跡は奄美大島南西部の鹿児島県宇検村屋鈍に位置し、出土遺物から、下層は弥生時代中期後半~終末期頃と推測されています。屋鈍遺跡では5基の土坑墓が発見され、それぞれ1個体ずつ人類遺骸が発見されました。これらの土坑墓はその層位から年代は中世と考え折られており、成人男性4個体と成人女性1個体が発見されました。屋鈍1号墓人骨は熟年の男性、屋鈍2号墓人骨は熟年の男性、屋鈍3号墓人骨は熟年の男性、屋鈍4号墓人骨は壮年後期の女性、屋鈍5号墓人骨は壮年の男性です。

 炭素および窒素同位体比から、分析対象のうち可能な個体では近い同位体比が示されましたが、前畑7号墓1号人骨のみは高い窒素同位体比を示しました。同位体比から食性を推測できますが、本論文で分析対象となった個体はおおむね、C₃資源(C₃植物とC₃植物を摂取した陸生動物)と海産資源の混合食性だったようです。一方、高い窒素同位体比を示した前畑7号墓1号人骨については、島嶼環境のイノシシの同位体比に近く、陸生動物の寄与が分析対象の他の個体より高かった、と推測されています。放射性炭素年代測定結果から、前畑7号墓1号人骨は12世紀中葉~13世紀前葉、長石の辻1号人骨は12世紀後葉~13世紀後葉、半田2号墓人骨は14世紀前葉~15世紀後葉、屋鈍1・2・3号墓人骨は15世紀、屋鈍51号墓人骨は16世紀~17世紀中葉と推定されました。

 APLP(Amplified Product-Length Polymorphism、増幅産物長多型)法によって、対象となる人類遺骸のmtDNAの品質が判断され、mtDNAハプログループ(mtHg)が決定されました。各個体のmtHgは表4に示されています。奄美群島の先史時代人類と似た形態学的特徴を示す前畑7号墓1号人骨では、mtHgを判定できませんでした。半田1号墓人骨のmtHgは、暫定的にM7 系統の可能性が示されました。半田2号墓人骨のmtHgはN9aで、九州の縄文時代人類ではまだ確認されていませんが、弥生時代後期の青谷上寺地遺跡や古墳時代の越敷山古墳の人類遺骸で特定されており、弥生時代以降のユーラシア大陸東部からの人口流入の影響が、日本列島「本土」の中世期には奄美群島にまで及んでいた、と考えられます。12世紀後葉~13世紀後葉の長石の辻1号人骨のmtHgも、九州の縄文時代の人類では検出されていなかったM8aで、mtHg-M8aは現代日本人では1%程度の割合で検出されており、現代中国人でも一定の割合で検出されているので、弥生時代以降のユーラシア大陸東部からの人口流入によってもたらされた可能性が高そうです。屋鈍遺跡では1号墓人骨と4号墓人骨でmtHgを判定でき、それぞれB5とD4a(a1とa3ではありません)で、両方とも奄美群島の縄文時代の人類遺骸では見つかっていません。徳之島の面縄第一遺跡と与論島の赤崎鍾乳洞で発見された人類遺骸のmtHgはそれぞれG1aとB5で、いずれも奄美群島の縄文時代の人類遺骸では見つかっていません。

 日本列島の南西諸島の縄文時代の人類のmtHgでは、高い割合のM7a1系統とわずかな割合のN9b系統が見つかっており、これは同時代の九州南部とその近隣の島嶼部も同様です。弥生時代から古墳時代を経て中世mtHgでは、D4の各系統やC系統やM9系統などが出現し始めますが、縄文時代からの在来と考えられるM7a1系統も一定の割合で見られます(関連記事)。しかし本論文で新たに分析された中世の6個体のうち5個体のmtHgは、縄文時代には検出されていません。まだ分析個体数が少ないので断定できませんが、中世には奄美群島にも弥生時代以降にユーラシア大陸東部から到来した人類集団の遺伝的影響が強くなっていた可能性も想定されます。


参考文献:
竹中正巳、瀧上舞、角田恒雄、神澤秀明、尾嵜大真、大森貴之、米田穣、松波雅俊(2024)「鹿児島県奄美群島所在遺跡出土人骨の年代学的および遺伝学的調査の報告」『鹿児島国際大学ミュージアム調査研究報告』第21号P9-20
https://iuk-repo.repo.nii.ac.jp/records/2000210

この記事へのコメント

砂の器
2025年05月06日 11:28
これはグスク時代の解析事例ですが、先日多様な混血率と示された貝塚時代北琉球のゲノムデータはまだ未公開でしょうか?
広田に渡来ハプロがある事や古代の貝交易を考えると、貝塚時代の北琉球に遺伝的影響が見られない事の方が不思議だと思っていましたが
管理人
2025年05月06日 16:08
貝塚時代の琉球諸島人類集団のゲノムデータについては、少し検索してみましたが、見つけられませんでした。

紙媒体ですでに刊行されている可能性も考えられますが。