デニソワ洞窟の詳細な研究
シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の年代測定結果や人類も含めた動物遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Jacobs et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。デニソワ洞窟では、現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在が確認されています。デニソワ洞窟は3ヶ所の空洞(主空洞と東空洞と南空洞)で構成されており、これまで詳しく調べられていたのは主空洞および東空洞でした。
本論文は、南空洞の人工遺物と生物遺骸や年代測定やmtDNAの詳しい分析結果を報告しています。デニソワ人におけるmtDNA系統の置換については、南空洞でも主空洞および東空洞と類似の結果が得られました。デニソワ洞窟は少なくとも3系統のホモ属に使用されており、デニソワ人の消滅など後期ホモ属の進化史の解明おいて重要となり、さらにDNAの保存に好適な環境のようなので、今後の研究の進展も大いに期待されます。デニソワ人については先日、近年の研究成果をまとめた解説が公表されており(関連記事)、その解説と本論文も踏まえて、一昨年(2023年)9月に当ブログに掲載したまとめ(関連記事)をいつか更新しよう、と考えています。以下、本論文の翻訳ですが、本論文の「動物」や「哺乳類」には基本的に人類は含まれていないようです。
●要約
シベリア南部のデニソワ洞窟は、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類が居住していた、と知られている唯一の遺跡で巣。デニソワ洞窟は3ヶ所の空洞(主空洞と東空洞と南空洞)で構成されており、これまでに最も徹底的に調べられたのは、主空洞および東空洞から回収された考古学的遺物と人類や動物相や植物相です。本論文は、南空洞の新たな発掘から回収された、旧石器時代の人工遺物、動物遺骸、人類および哺乳類のmtDNAの分析結果を報告します。堆積物の光学的年代測定から、層状の更新世堆積物の暦年時間規模が構築されます。人類の居住とデニソワ人および大型哺乳類のmtDNAにおける大きな置換は、主空洞および東空洞で検出されたパターンとほぼ一致します。それらの層序の時間的空白は、南空洞のデータによって部分的に埋められ、8万年前頃以後のデニソワ人の堆積物のDNA記録は、2倍以上になります。本論文は、3ヶ所の空洞すべての堆積物の年代測定とDNA記録を組み合わせて、この独特な遺跡であるデニソワ洞窟全体の歴史と、デニソワ人およびネアンデルタール人の居住適合性を含めて、過去30万年間に経た人類および動物群が経た気候条件を明らかにします。
●研究史
アルタイ山脈の麓に位置するデニソワ洞窟には、古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】の2集団、つまりデニソワ人とネアンデルタール人が中期および後期更新世に居住しており、古代の現生人類は少なくとも45000年前頃以降に居住していました【1~3】。デニソワ洞窟の居住史に関する現在の理解はおもに、デニソワ洞窟の3ヶ所の空洞のうち2ヶ所の層序堆積物から回収された中部旧石器時代および上部旧石器時代の遺物群と、骨格遺骸と人類化石および洞窟堆積物から回収されたmtDNAと核DNAに依拠しています【2、3、11~19、21、22】。
主空洞および東空洞の発掘ではこれまで、デニソワ人の化石6点、ネアンデルタール人の化石4点、ネアンデルタール人とデニソワ人の間の子供の骨の断片1点(デニソワ11号)や、160点の堆積物でのデニソワ人とネアンデルタール人と古代の現生人類のmtDNAが得られてきました。化石遺骸と堆積物から回収されたmtDNA配列も、洞窟に生息していた動物がさまざまに時期に存在した証拠を提供します[1、3、22、27]。これら層序系列の年表は、堆積物の光学的年代測定(92点の年代)[1]と5万年前頃未満の歯や骨や炭の放射性炭素(¹⁴C)年代測定(60点)から確証されてきました[2]。
南空洞の層序系列はさほど研究されておらず、6点の¹⁴C年代[13]と11点の光学的年代[1]から更新世の堆積物で暫定的な年代が得られました。2017年に発掘が再開され、その中心軸に沿って岩石の尾根が明らかになりました(図1)。これはとくに尾根の左(北東)側と南空洞の中央部で、場所によっては層の変形や混在の可能性があります。最上部の更新世層の一部も、上に位置する完新世の堆積物[1、3]に由来するリン酸塩の堆積後の鉱化や、おそらくは地震による変形に影響を受けてきたかもしれません。尾根の右(南西)側の更新世の堆積物は、最小限の攪乱と最も明確な層序を示しています。さまざまな石器や骨角器が中部旧石器時代および上部旧石器時代の堆積物から回収されてきており、上部旧石器時代の堆積物からの広範な個人的装飾品[31]や、2点のデニソワ人の歯(デニソワ4号[10、13、16]とデニソワ25号)、デニソワ人の頭蓋断片(デニソワ13号[2]とデニソワ22号)、2017年に収集された202点の堆積物標本のうち15点での古代の人類のmtDNAが含まれます[3]。以下は本論文の図1です。
本論文は、2017~2019年の南空洞の発掘中に収集された堆積物の追加の49点の光学的年代と、2019年に収集されたさらなる235点の堆積物標本のmtDNAを報告し、古代の人類および哺乳類動物相の遺伝的痕跡を分析します。これらの記録は人工遺物群や大型および小型哺乳類の骨格遺骸の記録と組み合わされ、南空洞のヒトと動物相の占拠の年表が確立され、堆積物の形成史と構造的な全体の微細層序(微細形態学)の情報[27]が提示されます。次に、合計で150点の光学的年代一式に基づいて、主空洞(53点)と東空洞(37点)と南空洞(60点)の層序系列の年表が生成され、これが考古学と古人類学と963点の堆積物標本から得られた古代の人類および動物相のmtDNAデータ(主空洞は274点、東空洞は252点、南空洞は437点)と組み合わされ、デニソワ洞窟の全体の更新世の歴史が再構築されます。
●層序と微細形態
光学的年代測定と古代DNAと微細形態分析のための堆積物標本は、本論文では断面A~Dと呼ばれる、南空洞の4ヶ所の層序区画の南東断面から収集されました(図1、図2)。断面Aが尾根の左側に位置するのに対して、断面B~Dは空洞の全幅に広がっています。2点のDNA標本も、尾根の右側の11層で発見された、シカの歯で作られた垂れ飾り[31]とマンモスの牙で作られた小像に付着していた堆積物の塊や、尾根の左側から2019年に回収された人類の頭蓋断片(デニソワ22号、未刊行)の直下から収集された3点の堆積物標本から収集されました(図1)。デニソワ22号の直下から収集された3点の堆積物標本は発掘中に13層に割り当てられましたが、この区域の複雑な層序を考えると、12層と関連している可能性を除外できません。デニソワ22号の直下から収集された3点の堆積物標本は、光学的年代測定および微細形態分析のためにも、標本抽出されました。本論文は、南空洞の層に現在適用されている番号体系を用います。これらの堆積学的特徴と堆積後の変形順序は、補足項目1に記載されています。以下は本論文の図2です。
断面Aの最下部(19層)は黄褐色の沈泥粘土で、元々は地下水の状態で堆積しており、再移動した堆積物の剥離した砕屑物と水浸状態を示唆する灰色(青みがかった灰白の粘着性の土)の斑点があります。淡褐色の堆積物動物の巣穴もしくはおもに沈下から生じた変形の特徴と解釈され、その上の堆積物によって埋められており、この堆積物は、再移動した物質や洞窟の壁および天井から剥離した石灰岩の断片がある、分類の不充分な沈泥の砂で構成されています。これらの堆積物は、岩相層序に基づいて確実にどの層なのか割り当てることができず、dMP(deformed Middle Palaeolithic、変形した中部旧石器時代)と呼ばれます[3]。生物攪乱の穴掘りおよび微細痕跡と堆積時の崩落の証拠(糞石、骨片、地下水の粘土の再移動した粒子)は、19層とdMP堆積物との間の不整合接点においてとくに顕著です(図3a~d)。以下は本論文の図3です。
断面BおよびCでは、更新世最上部層とその上の完新世の堆積物が露出しています。洞窟の壁に最も近い堆積物(発掘では暫定的に11層と認識されました[1])は、茶色がかった灰色の細粒の堆積物で構成されており、石灰岩の破片が多く、赤褐色の分類の不充分な沈泥の粘土によって区切られています(12層と9層)。後者の堆積物(とくに9層)は、穴掘りとリン酸塩の鉱化によって広範に攪乱されてきました。これら「リン酸塩変形堆積物(phosphate deformation deposits、略してpdd)」(pdd-12およびpdd-9)[3]には凍結融解過程に典型的な微視的特徴(板状構造と丸い集合体)もあり、現代の季節的な霜と関連している可能性が最も高く、骨や歯や糞石や石灰岩(一部にはリン酸塩化した縁があります)や珪質岩(片岩や沈泥岩)やリン酸塩粒子や鉱脈や複合塊が含まれています(図3e~h)。沈下とおそらくは大地震が12層と11層の変形につながり、場所によってはより古い層からの物質が混入しました。9層は堆積物の侵食や混合や再堆積から形成され、堆積後のリン酸塩化がpdd-9を、12層のリン酸塩化した部分であるpdd-12を生じました。
断面Dは断面BおよびCより入口の近くに位置しており、19層~11層が露出していて、この断面の層はリン酸塩化の顕著な影響を受けてきませんでした。断面Dの右側では層序が最も明確で、16~11層は、分類が不充分で、薄茶色で赤褐色の沈泥質の砂で構成されており、剥離した石灰岩が豊富に含まれています。左側では、19~17層の残骸が南空洞中央の岩に巻きついており、13層および12層は洞窟壁に向かって急傾斜しており、18層は、露出した断面から光学的年代測定もしくは堆積物DNA標本を収集するには薄すぎました。デニソワ22号(13層)に隣接する赤褐色の堆積物は、砂と沈泥と粘土の分類が不充分な混在で、石灰岩や珪質岩や骨や19層から再移動した堆積物の丸い塊が含まれています。
●堆積物の年表
光学的年代測定は図4と補足図22に示されており、等価線量(equivalent dose、略してDₑ)値と環境線量率と他の裏づけデータは、補足項目2に提供されています。Dₑ値は、それぞれ砂粒大の石英とカリウム(K)の豊富な長石(K-長石)から得られたOSL(Optically Stimulated Luminescence、光刺激ルミネッセンス発光)とpIRIR(post-infrared infrared stimulated luminescence、赤外線後赤外光発光法)の兆候を用いて推定されました。単粒子測定が60点の標本のうち57点(95%)で行なわれ、他の3点の標本(すべて30万年以上前)は多粒子pIRIR法を用いて測定されました。28点の標本については、信頼性の高いOSLおよびpIRIRの年代が両鉱物から得られ、対での年代が組み合わされ、これらの各標本について加重平均が決定されました。以下は本論文の図4です。
概して、南空洞の層序は主空洞および東空洞よりも年代測定が困難と証明されており、それは、より広範なリン酸塩化と【動物の】穴掘りとより古い堆積物から再移動した物質を含む標本のより高い割合に起因します。それにも関わらず、50点の標本(83%)のDₑ分布は粒子の単一群によって占められている(統計的に有意な外れ値の除外後)か、あるいは2もしくは3点の個別の成分から構成されており、そのうち1点には70%以上の粒子が含まれています。これらの標本のうち31点で決定された年代は関連する層の堆積時期の最も信頼性が高い推定値と考えられ、この31点の年代を用いて、南空洞の層序系列の年表のベイズモデル(モデルA)が開発されました(図5)。その結果得られた年代推定値は以下に引用され、95%信頼区間(confidence interval、略してCI)における年代不確実性とともに、補足図25dで示されます。代替的なベイズ年代モデルで50点の年代すべてが含められ、考古学的段階の開始年代と終了年代がさらに制約されました(モデルB、補足図24および25e)。この2通りのモデルの年代は、統計的に区別できません。以下は本論文の図5です。
断面A・B・Cの費用本は一般的に多成分の分布になっており、どの成分でも粒子は70%未満で、【動物による】穴掘りもしくはより古い堆積物の再堆積した砕屑物と関連した粒子がかなりの割合で含まれていることを反映しています。たとえば、11層の標本は通常、別の年代クラスタ(まとまり)に収まる粒子で構成されており(後述)、標本DCS18-8およびDCS18-11は完新世の年代の堆積物で満たされた穴を交差していました。しかし、これらの複雑さにも関わらず、個々の成分の年代は、単一成分が優占するか70%以上の粒子を含む分布の、同じもしくは隣接する層の標本の年代とほぼ一致することが多くなっています(図4)。
19層は247000±39000年前以前に堆積し、17層は202000±35000~167000±29000年前に堆積しました。17層は年代測定のために標本抽出されたさいに断面Dの左側にのみ露出しており、現場の観察(図2d)および標本DCS19-13の単一成分のDₑ分布に基づくと、変形にも関わらず、層序的に無傷と考えられます。
16層と15層は148000±22000~120000±15000年前に堆積し(単一成分の分布の4点の標本と統計的に一貫したOSLおよびpIRIR年代に基づくと)、モデル化された時間空白に従うと、14層は106000±17000~86000±12000年前に堆積しました。この層の2点の標本の年代は約2万年異なりますが(補足図22d)、それぞれ、単一成分の分布と、一致するOSLおよびpIRIR年代があります。13層は79000±11000~67000±7000年前に堆積し、標本DCS19-1aおよびDCS19-1bではpIRIR年代がずっと古くなっており、19層から再移動した堆積物の再堆積の微細形態的証拠を反映しています(補足図3)。
南空洞における更新世層序の最上層は暫定的に、12層とpdd-12層と11層とpdd-9層に区分されました[1、3]。12層の最も傷が少なくリン酸塩化の少ない部分は、断面C(左側)およびDそれぞれの標本2点に基づいて、開始年代から終了年代が65000±7000~56000±7000年前とモデル化されました。pdd-9およびpdd-12層の複雑な形成と堆積後の歴史を考えて、これらの堆積物の全標本(以後、pdd-9/12)は、年代モデルで区別されない1群として扱われ、52000±7000~28000±5000年前の年代範囲が得られました。
11層の6点の標本すべては他成分の分布を示し、2点の主成分の年代は8万~4万年前頃と3万~2万年前頃です。より古い成分は、おそらくpdd-9の形成期における、pdd-9/12層および/もしくは13層から11層への粒子の嵌入と考えられます。11層の¹⁴C年代も同様に分布しており[13、31]、3点の年代は49000年以上前で、3点の年代はそれより新しくなります(95%CIでは、39200~37600年前、34500~32300年前、24200~23800年前)。11層の唯一の標本(DCS17-4)には、主成分で石英とK-長石の両方が70%以上含まれます。11層の25000±5000年前と18000±6000年前のモデル化された開始年代と終了年代には、11層の最上部の最も新しい¹⁴C年代と垂れ飾りの24700年前頃および18500年前頃の遺伝学的年代推定値[31]が含まれます。したがって、これら3通りの年代測定手法から、11層の部分は25000~20000年前頃に堆積し、より古い物質は、再移動した物質の堆積と同時もしくはその後の嵌入を含む、形成のより複雑な歴史を反映している、と示唆されます。
7層と5層は、単一成分のDₑ分布と統計的に一貫したOSLおよびpIRIR 年代を示す2点の標本に基づくと、14000±6000年前以降に蓄積しました。その下層(8層)は薄く、有機物が豊富で、巣穴によって交差しています。8層の堆積年代は、モデルBの標本DCS18-8を含めた場合に基づくと、19000±4000~15000±4000年前と推定されます。この標本の粒子のほとんどは1ヶ所の穴に由来し、5層から得られた上にある標本(DCS18-7)の5300±500年前の加重平均年代と一致します。5300±500年前の年代は、5層の土器と関連するアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の¹⁴C年代(95%CIの較正年代で5300~4800年前頃)と一致します。
●古代人類の堆積物DNA
哺乳類と人類のmtDNAの検査では、南空洞から分析された437点の堆積物標本のうち、326点の標本で古代の動物相(75%)および人類(13%)のDNA存在の証拠が得られました(図6)。これらの割合は主空洞および東空洞(古代の哺乳類および人類の割合は、それぞれ94%と30%)より低く、これは、DNAの保存に有害と知られている特徴[3]である、pdd-9/12のリン酸塩化されて弱酸性の部分の標本から回収されたDNAの少なさに起因します。以下は本論文の図6です。
17層の3点の標本(そのうち1点は19層との境界で発見されました)から回収された最古級の人類のDNAはデニソワ人に由来し、中部旧石器時代初期の人工遺物と関連しています(図6d)。k-merに基づく手法[3、21]は、これらの標本のうち1点のmtDNA断片とデニソワ2号および8号との類似性を明らかにしており(図7)、それは主空洞および東空洞の15万年以上前の層におけるこれらのデニソワ人のmtDNA系統の存在[3]と一致します。注目すべきことに、デニソワ人13号の最近のmtDNA解析(未刊行)から、このデニソワ13号の頭蓋断片のミトコンドリアゲノムも、より新しいデニソワ3号および4号よりもデニソワ2号および8号の方と類似している、と示されています。最古級の人類に関する本論文の堆積物DNAの結果に基づいて、デニソワ13号は17層もしくは18層に暫定的に割り当てられます。15万年以上前の年代は、層序系列のより古い部分のこの化石の推定されている由来[2]と一致します。その後、デニソワ人の大臼歯1点(デニソワ25号)が、17層から回収されました。以下は本論文の図7です。
古代人類のmtDNAを有する次に古い層は、断面Dの右側の中期中部旧石器時代の16層~12層で(図6d)、ここでは10点の光学的年代測定標本のうち9点が、単一成分のDₑ分布を示しており、これらの層の層序的完全性に信頼性を提供します。古代人類のmtDNAが得られた27点の標本のうち、24点はネアンデルタール人かデニソワ人のどちらかに割り当てることができます(図6d)。
16層と15層それぞれの標本2点から人類のmtDNAが得られ、そのうち1点はデニソワ人(16層)、もう1点はネアンデルタール人(15層)と同定されました。16層と15層は148000±22000~121000±15000年前に蓄積し、最後から2番目の氷期と最終間氷期との間の気候移行期にまたがっています。デニソワ人のDNAが、南空洞のどの層よりも人工遺物が少ない14層の2点の標本と、13層の17点の標本から回収されました。これらの層の年代測定された4点の標本のうち3点は単一成分のDₑ分布を示しているので、この堆積物のDNAは確実に層序学的状況に位置づけられ、106000±17000~67000±7000年前に堆積した、と考えられます。デニソワ人のDNAはデニソワ22号のすぐ下の13層の堆積物から収集された標本のうち1点からも回収され、デニソワ22号化石に最も近い光学的年代測定標本の年代は65000±4000年前と62000±3000年前です。
13層のmtDNA標本のうち11点は、デニソワ3号もしくは4号的な配列との類似性を示し(図7)、主空洞および東空洞の8万年前頃以降の堆積物[3]およびチベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)におけるこの系統の特定[68]と一致します。この系統は、14層の標本の1点での検出に基づいて、それ以前(10万年以上前)に出現していたかもしれませんが、14層の標本の1点は13層との接触面に近いことは注目されます。ネアンデルタール人のmtDNAは、13層の標本1点と12層(65000±7000~56000±7000年前)の標本2点から回収されました。12層の光学的年代測定標本のうち1点(DCS19-2)の成分はより古いので、ネアンデルタール人のmtDNAが再移動した物質に由来する可能性を無視できません。
デニソワ人とネアンデルタール人と未分類の古代人類のmtDNAは、以前に[3]dMP堆積物から回収されました。これらの堆積物は年代の混在した堆積物から構成されているので、この堆積物のDNAデータからデニソワ人とネアンデルタール人の存在の時間的パターンを確実には推測できません。しかし、これらのデータが大まかには断面Dの堆積物DNAのパターンを裏づけ、断面A³の左側の標本S127におけるデニソワ3号もしくは4号的なmtDNA標本の特定が、年代測定された堆積物の8万年前頃未満の年代と一致することは注目されます。
pdd-9/12層と完新世層の164点の標本のうち1点のみ(1%未満)から古代人類のmtDNAが得られ(図6a・b)、これはおそらくリン酸塩の多さに起因します[1、3]。この標本からは、ネアンデルタール人のDNAが回収されました[3]。最も近い年代の標本(DCS17-5)における粒子の87%が50000±6000年前に堆積しましたが、mtDNAがより古い成分(113000±17000年前)と関連している可能性を除外できません。
古代の現生人類のDNAは11層の52点の標本のうち8点(15%)から回収され、断面BおよびCからの6点(図6a・b)と、垂れ飾りおよび小像からの2点です。11層には5万年以上前の粒子が含まれている(図4)にも関わらず、デニソワ人もしくはネアンデルタール人のDNAの有意な証拠が得られた標本はなかったので、このmtDNAはおもに25000~20000年前頃に堆積した堆積物と関連している、と考えられます。この年代範囲は、古代の現生人類のDNAが回収された垂れ飾りの遺伝学的年代推定値、およびこの垂れ飾りに最も近い炭の標本の¹⁴C年代[31]と一致しており、この人工遺物の年代的帰属を明らかにします。したがって、堆積物のDNA標本は、より古い上部旧石器時代の人工遺物と関連しているのではなく、11層の上部旧石器時代の部分に相当する可能性が高そうです。
デニソワ人の大臼歯(デニソワ4号)は南空洞の垂れ飾りおよび小像と同じ側の11層から回収されましたが、入口に約2mと近く、12層との接触面のわずか5cm上にありました[13]。したがって、デニソワ4号は、尾根の右側の標本DCS17-6やDCS18-2やDCS18-3で特定された6万~5万年前頃の堆積物の成分とともに、12層から11層へと再移動した可能性が高そうです。この想定は、遺伝学的および層序学的情報を用いて推定されたデニソワ4号の84000~55000年前頃のモデル化された年代[2]や、11層の動物の骨で得られた49000年以上前の¹⁴C年代や、断面Dの12層の標本の66400±4000年前と61000±5000年前の光学的年代と一致します。デニソワ洞窟の3ヶ所の空洞すべてに関する古代人類の堆積物DNAの結果は、中部旧石器時代および上部旧石器時代の考古学的段階と、デニソワ人およびネアンデルタール人化石のモデル化された年代推定値と関連して[2]、図8で示されています。以下は本論文の図8です。
●古代哺乳類の堆積物DNA
19層の標本はクマ科のmtDNAが優占し(同様の割合のホラアナグマとヒグマ)、より少ない割合でハイエナ科(ホラアナハイエナ)とウシ科(たとえば、バイソンやアイベックス)が占めていました(図9b)[3]。断面Aの青みがかった灰色の粘着性の土の区画から採取された5点の標本では古代DNAが得られず[3]、おそらくは嫌気性の状態に起因します。イヌ科(たとえば、オオカミやアカギツネやドール)のmtDNAは17層の標本で優占しており、一部にはおもにヒグマのクマ科のDNAがかなり割合で含まれていました(図9b)。以下は本論文の図9です。
16層と15層の標本には、を含めて、ハイエナ科やシカ科(たとえば、シカやヘラジカ)やウマ科(ウマ)やケナガマンモスやケブカサイを含めて、さまざまな大型哺乳類のmtDNAが含まれています(図9b)。ウシ科のDNAの割合は概して14層から12層にかけて増加しますが、ハイエナ科とウマ科とケブカサイのDNAは12層の標本のいくつかでも比較的高い割合で存在します。17層のハイエナ科のmtDNAハプログループDから、すべてのより新しい層でのmtHg-Aへの移行が特定されます。
dMP堆積物ではハイエナ科とウシ科のDNAが優占し、いくつかの標本にはかなりの割合のウシ科とウマ科のDNAが含まれています[3]。19層との接触面に最も近い標本におけるクマ科の高い割合は、その後の層からの再移動した物質の嵌入に起因する可能性が高そうです。動物相組成の他の空間パターンは、これらの標本の多くでの再移動した堆積物の嵌入を考えると予測されるように、dMP堆積物では明らかではありません。
古代の動物相のDNAは、完新世の堆積物およびpdd-9/12の広範にリン酸塩化した部分の標本166点のうち66点(40%)からしか回収されませんでした。pdd-9/12とデニソワ22号のすぐ下の13層と断面Bの11層の堆積物と垂れ飾りの近くの最小限のリン酸塩化された部分は、ハイエナ科とウシ科のDNAが優占し、ウマ科とウシ科とクマ科(ヒグマ)のDNAの割合はより低くなっています(図9b)。ウマ科とウシ科とクマ科の組み合わせは、断面Cの11層の堆積物と小像の近くでは優先しており、これは恐らく、これらの区域が洞窟の壁に最も近く、クマかオオカミかアカギツネの巣として機能していたからです。
堆積物DNA標本で特定された大型哺乳類は、化石記録にも反映されています(図9)。確実に番号を割り当てることができる層については、大型哺乳類の科に分類される哺乳類のmtDNA断片と骨格遺骸の割合は、化石の断片的な性質と異なる分類群の堆積したDNAの量の違いにも関わらず、おおむね一貫しています。しかし、小型哺乳類の化石記録は、遺伝的データに反映されていません(図9a)。これは、実験的な人工産物(mtDNA捕獲調査における過小評価)、もしくは大型哺乳類がより大きな生物量を有していた結果で、主空洞および東空洞で同様のパターンが観察されました[3]。より一般的には、堆積物DNAを用いての古代の動物相について推測されたパターンは、くに堆積物が再移動した物質の嵌入から生じた宅数の年代成分で構成される場所では、古代の人類と同じ不確実性に左右されることに要注意です。
動物相群の古生物学的データ(大型哺乳類の少なくとも43種の13万点以上の標本と、小型哺乳類や鳥類や爬虫類や両生類や魚類の46の分類群の30万点以上の標本)によって、南空洞の19層~11層と関連する環境条件の再構築が可能となります。小型脊椎動物の遺骸から推測された大まかなパターンでは、19層は開けた景観の比較的寒冷な条件下で蓄積し、草原地帯および森林生息地が相対的に温暖な最期から2番目間間氷期(18層と17層)で優占していた、と示唆されています。森林被覆はその後の相対的に寒冷な期間(16層)には減少し、次に、相対的に温暖でより湿潤な条件下で低湿地とともに拡大しました(15層~13層)。より寒冷な気候では草原生息地の拡大と森林被覆の減少があり(12層)、それに続いて、相対的に縁談で乾燥した気候の期間には、森林と草原地帯の景観が優占しました(11層)。同様に大型哺乳類の遺骸は混在した景観を示唆しており、岩石の多い生息地が19層~11層の堆積期間を通じて存続し、森林は低湿地および草原地帯の混在と交替しました。
主空洞と東空洞と南空洞における更新世動物相の大きな置換は、20万年前頃と17万年前頃の間、および13万年前頃と10万年前頃の間において最も明らかで、これは間氷期から氷期への気候変化とほぼ同時期です(図10)[3]。バイカル湖とデニソワ洞窟の気候記録間の違いは、規模(珪藻類の生産性は地域の問間温度の代理ですが、動物相と花粉の記録から再構築された環境条件は地域の生態系の変化を反映しています)および洞窟の記録の解釈に影響を及ぼした要因に起因する可能性が高そうです[1、3]。デニソワ洞窟の3ヶ所の空洞で推測された環境記録の違いは、その複雑な層序系列および堆積物の蓄積や侵食や堆積後の変化の個々の歴史を反映しています。各空洞は実質的に、独特な堆積記録のある別々の場所です。主空洞および東空洞で再構築された環境条件が花粉および動物相の記録に基づいているのに対して、南空洞では動物相の記録のみが利用可能であることも要注意です。以下は本論文の図10です。
バイカル湖とデニソワ洞窟の記録の比較は、洞窟堆積物の蓄積と関連する時間平均化と、堆積後の変形および【動物による】穴掘による一部の層の攪乱(おもに、東空洞および南空洞の更新世の最上層と、南空洞のdMP堆積物)にも制約されています。さらに、光学的年代には、層序系列内の数千年間の時間的空白もしくは気候変動を解決するには、あまりにも不正確である不確実性があり、一部の層の年代は充分には制約されていません(たとえば、南空洞の14層と17層)。これらの注意点を考えると、デニソワ洞窟の主空洞3ヶ所すべてにわたる考古学と人類と動物相と気候の記録の全体的な一貫性は驚くべきものです。
●考察
南空洞のデータはおおむね、古代型人類および古代の現生人類によるデニソワ洞窟の居住の現在の年表と、人類集団や動物相の多様性や環境条件における変化の相対的な時期[1~3、22]を裏づけます(図8および図10)。南空洞の堆積物DNAの結果は主空洞および東空洞の記録の時間的空白の大半を埋め、最新の中部旧石器時代層(8万~5万年前頃に堆積しました)と関連するデニソワ人のmtDNA配列の数は2倍以上となります。こうした結果は、25000~20000年前頃の間のデニソワ洞窟における現生人類の遺伝学的証拠も増加させます。この上部旧石器時代人口集団は、同様の年代の垂れ飾りの古代北ユーラシア人の製作者もしくは着用者[31]と関連しているかもしれません。
洞窟全体の年代と堆積物DNAと考古学と動物相のデータは、上述の注意点があるものの、過去3回の氷期と間氷期の周期にわたる広範なパターンを明らかにしています。分析された963点の標本のうち、古代の人類および動物相のmtDNAは、それぞれ213点(22%)と845点の標本で特定されました。デニソワ人のmtDNAがある最古級の層は25万年前頃以降に堆積し、最古級のデニソワ人化石(高網羅率のゲノムが再構築されたデニソワ25号を含めて)は20万年前頃に堆積しており、両者ともに初期中部旧石器時代の石器群と関連しています(図8)。東空洞では、最古級のデニソワ人の堆積物(15層、20万年前頃)と、薄くてその下にある層(16層)には、火の使用の微細な痕跡(たとえば、溶けた植物珪酸体、広がっている済の帯、粉砕された焼けた骨の断片、おそらくリン酸塩化した灰)が含まれていますが、完全な燃焼の特徴は存在しません。
ネアンデルタール人は20万年前頃の直後に初めて出現しましたが、ネアンデルタール人のDNAをもたらした標本の多くとネアンデルタール人の4点の化石すべてとデニソワ11号(図8e)は、15万~8万年前頃に堆積した中期中部旧石器時代層から回収されました。この期間のわずか数点の堆積物標本からデニソワ人のDNAが回収され、この年代の層から報告されたデニソワ人化石は1点だけです(今では、本論文における層序状況の再評価に基づいて、19万年前頃の東空洞の14層から回収された可能性が最も高い、と考えられているデニソワ8号)。
これらの時期は、気温変化が植生に大きな影響を及ぼしている、デニソワ人とネアンデルタール人の生息地の模擬実験[70]に基づくと、13万~11万年前頃の間となる、デニソワ人にとって好適だったかもしれないアルタイ山脈の生息地の減少およびネアンデルタール人の増加と一致します。生息地の選好の重複期間は、デニソワ11号のモデル化された年代推定値(118000~79000年前頃)と部分的に一致します[2]。この模擬実験から、両人類【デニソワ人とネアンデルタール人】、とくにデニソワ人にとって好適だったかもしれない居住地は、アルタイ山脈においてデニソワ人にとっての存在の全期間に存在したものの、最後の2回の間氷期において、居住地はデニソワ人にとって最も不適で、ネアンデルタール人にとっては最も適していた、と示唆されます(図8f)。したがって、15万年以上前のデニソワ2号もしくは8号的なmtDNA配列から8万年前頃(もしくは10万年前頃)以後のデニソワ3号もしくは4号的な配列への変化は、デニソワ人の中部旧石器時代集団の後期更新世集団への置換を反映しているかもしれません。最新のデニソワ人は3点の化石(デニソワ3・4・22号)と、55000年前頃までに堆積した堆積物のmtDNA断片によって表されます。
比較的温暖な時期と寒冷な時期におけるデニソワ人とネアンデルタール人によるデニソワ洞窟の居住、および20万~17万年前頃と13万~10万年前頃の気候変化への適応は、どちらも哺乳類動物相の大きな置換と一致しており(図10)、人類の退避地におけるデニソワ洞窟の位置によって促進されたかもしれません。現生人類とデニソワ人[70]にとって好適な生息地(図8f)は、最終氷期にはアジア北部全域に存在しました。したがって、動物相の置換を伴わないアルタイ山脈からのデニソワ人の消滅はおもに、環境圧力ではなく、人口統計学的要因か、資源をめぐる競合か、現生人類との遭遇と関連しているかもしれません。
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本論文は、南空洞の人工遺物と生物遺骸や年代測定やmtDNAの詳しい分析結果を報告しています。デニソワ人におけるmtDNA系統の置換については、南空洞でも主空洞および東空洞と類似の結果が得られました。デニソワ洞窟は少なくとも3系統のホモ属に使用されており、デニソワ人の消滅など後期ホモ属の進化史の解明おいて重要となり、さらにDNAの保存に好適な環境のようなので、今後の研究の進展も大いに期待されます。デニソワ人については先日、近年の研究成果をまとめた解説が公表されており(関連記事)、その解説と本論文も踏まえて、一昨年(2023年)9月に当ブログに掲載したまとめ(関連記事)をいつか更新しよう、と考えています。以下、本論文の翻訳ですが、本論文の「動物」や「哺乳類」には基本的に人類は含まれていないようです。
●要約
シベリア南部のデニソワ洞窟は、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類が居住していた、と知られている唯一の遺跡で巣。デニソワ洞窟は3ヶ所の空洞(主空洞と東空洞と南空洞)で構成されており、これまでに最も徹底的に調べられたのは、主空洞および東空洞から回収された考古学的遺物と人類や動物相や植物相です。本論文は、南空洞の新たな発掘から回収された、旧石器時代の人工遺物、動物遺骸、人類および哺乳類のmtDNAの分析結果を報告します。堆積物の光学的年代測定から、層状の更新世堆積物の暦年時間規模が構築されます。人類の居住とデニソワ人および大型哺乳類のmtDNAにおける大きな置換は、主空洞および東空洞で検出されたパターンとほぼ一致します。それらの層序の時間的空白は、南空洞のデータによって部分的に埋められ、8万年前頃以後のデニソワ人の堆積物のDNA記録は、2倍以上になります。本論文は、3ヶ所の空洞すべての堆積物の年代測定とDNA記録を組み合わせて、この独特な遺跡であるデニソワ洞窟全体の歴史と、デニソワ人およびネアンデルタール人の居住適合性を含めて、過去30万年間に経た人類および動物群が経た気候条件を明らかにします。
●研究史
アルタイ山脈の麓に位置するデニソワ洞窟には、古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】の2集団、つまりデニソワ人とネアンデルタール人が中期および後期更新世に居住しており、古代の現生人類は少なくとも45000年前頃以降に居住していました【1~3】。デニソワ洞窟の居住史に関する現在の理解はおもに、デニソワ洞窟の3ヶ所の空洞のうち2ヶ所の層序堆積物から回収された中部旧石器時代および上部旧石器時代の遺物群と、骨格遺骸と人類化石および洞窟堆積物から回収されたmtDNAと核DNAに依拠しています【2、3、11~19、21、22】。
主空洞および東空洞の発掘ではこれまで、デニソワ人の化石6点、ネアンデルタール人の化石4点、ネアンデルタール人とデニソワ人の間の子供の骨の断片1点(デニソワ11号)や、160点の堆積物でのデニソワ人とネアンデルタール人と古代の現生人類のmtDNAが得られてきました。化石遺骸と堆積物から回収されたmtDNA配列も、洞窟に生息していた動物がさまざまに時期に存在した証拠を提供します[1、3、22、27]。これら層序系列の年表は、堆積物の光学的年代測定(92点の年代)[1]と5万年前頃未満の歯や骨や炭の放射性炭素(¹⁴C)年代測定(60点)から確証されてきました[2]。
南空洞の層序系列はさほど研究されておらず、6点の¹⁴C年代[13]と11点の光学的年代[1]から更新世の堆積物で暫定的な年代が得られました。2017年に発掘が再開され、その中心軸に沿って岩石の尾根が明らかになりました(図1)。これはとくに尾根の左(北東)側と南空洞の中央部で、場所によっては層の変形や混在の可能性があります。最上部の更新世層の一部も、上に位置する完新世の堆積物[1、3]に由来するリン酸塩の堆積後の鉱化や、おそらくは地震による変形に影響を受けてきたかもしれません。尾根の右(南西)側の更新世の堆積物は、最小限の攪乱と最も明確な層序を示しています。さまざまな石器や骨角器が中部旧石器時代および上部旧石器時代の堆積物から回収されてきており、上部旧石器時代の堆積物からの広範な個人的装飾品[31]や、2点のデニソワ人の歯(デニソワ4号[10、13、16]とデニソワ25号)、デニソワ人の頭蓋断片(デニソワ13号[2]とデニソワ22号)、2017年に収集された202点の堆積物標本のうち15点での古代の人類のmtDNAが含まれます[3]。以下は本論文の図1です。
本論文は、2017~2019年の南空洞の発掘中に収集された堆積物の追加の49点の光学的年代と、2019年に収集されたさらなる235点の堆積物標本のmtDNAを報告し、古代の人類および哺乳類動物相の遺伝的痕跡を分析します。これらの記録は人工遺物群や大型および小型哺乳類の骨格遺骸の記録と組み合わされ、南空洞のヒトと動物相の占拠の年表が確立され、堆積物の形成史と構造的な全体の微細層序(微細形態学)の情報[27]が提示されます。次に、合計で150点の光学的年代一式に基づいて、主空洞(53点)と東空洞(37点)と南空洞(60点)の層序系列の年表が生成され、これが考古学と古人類学と963点の堆積物標本から得られた古代の人類および動物相のmtDNAデータ(主空洞は274点、東空洞は252点、南空洞は437点)と組み合わされ、デニソワ洞窟の全体の更新世の歴史が再構築されます。
●層序と微細形態
光学的年代測定と古代DNAと微細形態分析のための堆積物標本は、本論文では断面A~Dと呼ばれる、南空洞の4ヶ所の層序区画の南東断面から収集されました(図1、図2)。断面Aが尾根の左側に位置するのに対して、断面B~Dは空洞の全幅に広がっています。2点のDNA標本も、尾根の右側の11層で発見された、シカの歯で作られた垂れ飾り[31]とマンモスの牙で作られた小像に付着していた堆積物の塊や、尾根の左側から2019年に回収された人類の頭蓋断片(デニソワ22号、未刊行)の直下から収集された3点の堆積物標本から収集されました(図1)。デニソワ22号の直下から収集された3点の堆積物標本は発掘中に13層に割り当てられましたが、この区域の複雑な層序を考えると、12層と関連している可能性を除外できません。デニソワ22号の直下から収集された3点の堆積物標本は、光学的年代測定および微細形態分析のためにも、標本抽出されました。本論文は、南空洞の層に現在適用されている番号体系を用います。これらの堆積学的特徴と堆積後の変形順序は、補足項目1に記載されています。以下は本論文の図2です。
断面Aの最下部(19層)は黄褐色の沈泥粘土で、元々は地下水の状態で堆積しており、再移動した堆積物の剥離した砕屑物と水浸状態を示唆する灰色(青みがかった灰白の粘着性の土)の斑点があります。淡褐色の堆積物動物の巣穴もしくはおもに沈下から生じた変形の特徴と解釈され、その上の堆積物によって埋められており、この堆積物は、再移動した物質や洞窟の壁および天井から剥離した石灰岩の断片がある、分類の不充分な沈泥の砂で構成されています。これらの堆積物は、岩相層序に基づいて確実にどの層なのか割り当てることができず、dMP(deformed Middle Palaeolithic、変形した中部旧石器時代)と呼ばれます[3]。生物攪乱の穴掘りおよび微細痕跡と堆積時の崩落の証拠(糞石、骨片、地下水の粘土の再移動した粒子)は、19層とdMP堆積物との間の不整合接点においてとくに顕著です(図3a~d)。以下は本論文の図3です。
断面BおよびCでは、更新世最上部層とその上の完新世の堆積物が露出しています。洞窟の壁に最も近い堆積物(発掘では暫定的に11層と認識されました[1])は、茶色がかった灰色の細粒の堆積物で構成されており、石灰岩の破片が多く、赤褐色の分類の不充分な沈泥の粘土によって区切られています(12層と9層)。後者の堆積物(とくに9層)は、穴掘りとリン酸塩の鉱化によって広範に攪乱されてきました。これら「リン酸塩変形堆積物(phosphate deformation deposits、略してpdd)」(pdd-12およびpdd-9)[3]には凍結融解過程に典型的な微視的特徴(板状構造と丸い集合体)もあり、現代の季節的な霜と関連している可能性が最も高く、骨や歯や糞石や石灰岩(一部にはリン酸塩化した縁があります)や珪質岩(片岩や沈泥岩)やリン酸塩粒子や鉱脈や複合塊が含まれています(図3e~h)。沈下とおそらくは大地震が12層と11層の変形につながり、場所によってはより古い層からの物質が混入しました。9層は堆積物の侵食や混合や再堆積から形成され、堆積後のリン酸塩化がpdd-9を、12層のリン酸塩化した部分であるpdd-12を生じました。
断面Dは断面BおよびCより入口の近くに位置しており、19層~11層が露出していて、この断面の層はリン酸塩化の顕著な影響を受けてきませんでした。断面Dの右側では層序が最も明確で、16~11層は、分類が不充分で、薄茶色で赤褐色の沈泥質の砂で構成されており、剥離した石灰岩が豊富に含まれています。左側では、19~17層の残骸が南空洞中央の岩に巻きついており、13層および12層は洞窟壁に向かって急傾斜しており、18層は、露出した断面から光学的年代測定もしくは堆積物DNA標本を収集するには薄すぎました。デニソワ22号(13層)に隣接する赤褐色の堆積物は、砂と沈泥と粘土の分類が不充分な混在で、石灰岩や珪質岩や骨や19層から再移動した堆積物の丸い塊が含まれています。
●堆積物の年表
光学的年代測定は図4と補足図22に示されており、等価線量(equivalent dose、略してDₑ)値と環境線量率と他の裏づけデータは、補足項目2に提供されています。Dₑ値は、それぞれ砂粒大の石英とカリウム(K)の豊富な長石(K-長石)から得られたOSL(Optically Stimulated Luminescence、光刺激ルミネッセンス発光)とpIRIR(post-infrared infrared stimulated luminescence、赤外線後赤外光発光法)の兆候を用いて推定されました。単粒子測定が60点の標本のうち57点(95%)で行なわれ、他の3点の標本(すべて30万年以上前)は多粒子pIRIR法を用いて測定されました。28点の標本については、信頼性の高いOSLおよびpIRIRの年代が両鉱物から得られ、対での年代が組み合わされ、これらの各標本について加重平均が決定されました。以下は本論文の図4です。
概して、南空洞の層序は主空洞および東空洞よりも年代測定が困難と証明されており、それは、より広範なリン酸塩化と【動物の】穴掘りとより古い堆積物から再移動した物質を含む標本のより高い割合に起因します。それにも関わらず、50点の標本(83%)のDₑ分布は粒子の単一群によって占められている(統計的に有意な外れ値の除外後)か、あるいは2もしくは3点の個別の成分から構成されており、そのうち1点には70%以上の粒子が含まれています。これらの標本のうち31点で決定された年代は関連する層の堆積時期の最も信頼性が高い推定値と考えられ、この31点の年代を用いて、南空洞の層序系列の年表のベイズモデル(モデルA)が開発されました(図5)。その結果得られた年代推定値は以下に引用され、95%信頼区間(confidence interval、略してCI)における年代不確実性とともに、補足図25dで示されます。代替的なベイズ年代モデルで50点の年代すべてが含められ、考古学的段階の開始年代と終了年代がさらに制約されました(モデルB、補足図24および25e)。この2通りのモデルの年代は、統計的に区別できません。以下は本論文の図5です。
断面A・B・Cの費用本は一般的に多成分の分布になっており、どの成分でも粒子は70%未満で、【動物による】穴掘りもしくはより古い堆積物の再堆積した砕屑物と関連した粒子がかなりの割合で含まれていることを反映しています。たとえば、11層の標本は通常、別の年代クラスタ(まとまり)に収まる粒子で構成されており(後述)、標本DCS18-8およびDCS18-11は完新世の年代の堆積物で満たされた穴を交差していました。しかし、これらの複雑さにも関わらず、個々の成分の年代は、単一成分が優占するか70%以上の粒子を含む分布の、同じもしくは隣接する層の標本の年代とほぼ一致することが多くなっています(図4)。
19層は247000±39000年前以前に堆積し、17層は202000±35000~167000±29000年前に堆積しました。17層は年代測定のために標本抽出されたさいに断面Dの左側にのみ露出しており、現場の観察(図2d)および標本DCS19-13の単一成分のDₑ分布に基づくと、変形にも関わらず、層序的に無傷と考えられます。
16層と15層は148000±22000~120000±15000年前に堆積し(単一成分の分布の4点の標本と統計的に一貫したOSLおよびpIRIR年代に基づくと)、モデル化された時間空白に従うと、14層は106000±17000~86000±12000年前に堆積しました。この層の2点の標本の年代は約2万年異なりますが(補足図22d)、それぞれ、単一成分の分布と、一致するOSLおよびpIRIR年代があります。13層は79000±11000~67000±7000年前に堆積し、標本DCS19-1aおよびDCS19-1bではpIRIR年代がずっと古くなっており、19層から再移動した堆積物の再堆積の微細形態的証拠を反映しています(補足図3)。
南空洞における更新世層序の最上層は暫定的に、12層とpdd-12層と11層とpdd-9層に区分されました[1、3]。12層の最も傷が少なくリン酸塩化の少ない部分は、断面C(左側)およびDそれぞれの標本2点に基づいて、開始年代から終了年代が65000±7000~56000±7000年前とモデル化されました。pdd-9およびpdd-12層の複雑な形成と堆積後の歴史を考えて、これらの堆積物の全標本(以後、pdd-9/12)は、年代モデルで区別されない1群として扱われ、52000±7000~28000±5000年前の年代範囲が得られました。
11層の6点の標本すべては他成分の分布を示し、2点の主成分の年代は8万~4万年前頃と3万~2万年前頃です。より古い成分は、おそらくpdd-9の形成期における、pdd-9/12層および/もしくは13層から11層への粒子の嵌入と考えられます。11層の¹⁴C年代も同様に分布しており[13、31]、3点の年代は49000年以上前で、3点の年代はそれより新しくなります(95%CIでは、39200~37600年前、34500~32300年前、24200~23800年前)。11層の唯一の標本(DCS17-4)には、主成分で石英とK-長石の両方が70%以上含まれます。11層の25000±5000年前と18000±6000年前のモデル化された開始年代と終了年代には、11層の最上部の最も新しい¹⁴C年代と垂れ飾りの24700年前頃および18500年前頃の遺伝学的年代推定値[31]が含まれます。したがって、これら3通りの年代測定手法から、11層の部分は25000~20000年前頃に堆積し、より古い物質は、再移動した物質の堆積と同時もしくはその後の嵌入を含む、形成のより複雑な歴史を反映している、と示唆されます。
7層と5層は、単一成分のDₑ分布と統計的に一貫したOSLおよびpIRIR 年代を示す2点の標本に基づくと、14000±6000年前以降に蓄積しました。その下層(8層)は薄く、有機物が豊富で、巣穴によって交差しています。8層の堆積年代は、モデルBの標本DCS18-8を含めた場合に基づくと、19000±4000~15000±4000年前と推定されます。この標本の粒子のほとんどは1ヶ所の穴に由来し、5層から得られた上にある標本(DCS18-7)の5300±500年前の加重平均年代と一致します。5300±500年前の年代は、5層の土器と関連するアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の¹⁴C年代(95%CIの較正年代で5300~4800年前頃)と一致します。
●古代人類の堆積物DNA
哺乳類と人類のmtDNAの検査では、南空洞から分析された437点の堆積物標本のうち、326点の標本で古代の動物相(75%)および人類(13%)のDNA存在の証拠が得られました(図6)。これらの割合は主空洞および東空洞(古代の哺乳類および人類の割合は、それぞれ94%と30%)より低く、これは、DNAの保存に有害と知られている特徴[3]である、pdd-9/12のリン酸塩化されて弱酸性の部分の標本から回収されたDNAの少なさに起因します。以下は本論文の図6です。
17層の3点の標本(そのうち1点は19層との境界で発見されました)から回収された最古級の人類のDNAはデニソワ人に由来し、中部旧石器時代初期の人工遺物と関連しています(図6d)。k-merに基づく手法[3、21]は、これらの標本のうち1点のmtDNA断片とデニソワ2号および8号との類似性を明らかにしており(図7)、それは主空洞および東空洞の15万年以上前の層におけるこれらのデニソワ人のmtDNA系統の存在[3]と一致します。注目すべきことに、デニソワ人13号の最近のmtDNA解析(未刊行)から、このデニソワ13号の頭蓋断片のミトコンドリアゲノムも、より新しいデニソワ3号および4号よりもデニソワ2号および8号の方と類似している、と示されています。最古級の人類に関する本論文の堆積物DNAの結果に基づいて、デニソワ13号は17層もしくは18層に暫定的に割り当てられます。15万年以上前の年代は、層序系列のより古い部分のこの化石の推定されている由来[2]と一致します。その後、デニソワ人の大臼歯1点(デニソワ25号)が、17層から回収されました。以下は本論文の図7です。
古代人類のmtDNAを有する次に古い層は、断面Dの右側の中期中部旧石器時代の16層~12層で(図6d)、ここでは10点の光学的年代測定標本のうち9点が、単一成分のDₑ分布を示しており、これらの層の層序的完全性に信頼性を提供します。古代人類のmtDNAが得られた27点の標本のうち、24点はネアンデルタール人かデニソワ人のどちらかに割り当てることができます(図6d)。
16層と15層それぞれの標本2点から人類のmtDNAが得られ、そのうち1点はデニソワ人(16層)、もう1点はネアンデルタール人(15層)と同定されました。16層と15層は148000±22000~121000±15000年前に蓄積し、最後から2番目の氷期と最終間氷期との間の気候移行期にまたがっています。デニソワ人のDNAが、南空洞のどの層よりも人工遺物が少ない14層の2点の標本と、13層の17点の標本から回収されました。これらの層の年代測定された4点の標本のうち3点は単一成分のDₑ分布を示しているので、この堆積物のDNAは確実に層序学的状況に位置づけられ、106000±17000~67000±7000年前に堆積した、と考えられます。デニソワ人のDNAはデニソワ22号のすぐ下の13層の堆積物から収集された標本のうち1点からも回収され、デニソワ22号化石に最も近い光学的年代測定標本の年代は65000±4000年前と62000±3000年前です。
13層のmtDNA標本のうち11点は、デニソワ3号もしくは4号的な配列との類似性を示し(図7)、主空洞および東空洞の8万年前頃以降の堆積物[3]およびチベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)におけるこの系統の特定[68]と一致します。この系統は、14層の標本の1点での検出に基づいて、それ以前(10万年以上前)に出現していたかもしれませんが、14層の標本の1点は13層との接触面に近いことは注目されます。ネアンデルタール人のmtDNAは、13層の標本1点と12層(65000±7000~56000±7000年前)の標本2点から回収されました。12層の光学的年代測定標本のうち1点(DCS19-2)の成分はより古いので、ネアンデルタール人のmtDNAが再移動した物質に由来する可能性を無視できません。
デニソワ人とネアンデルタール人と未分類の古代人類のmtDNAは、以前に[3]dMP堆積物から回収されました。これらの堆積物は年代の混在した堆積物から構成されているので、この堆積物のDNAデータからデニソワ人とネアンデルタール人の存在の時間的パターンを確実には推測できません。しかし、これらのデータが大まかには断面Dの堆積物DNAのパターンを裏づけ、断面A³の左側の標本S127におけるデニソワ3号もしくは4号的なmtDNA標本の特定が、年代測定された堆積物の8万年前頃未満の年代と一致することは注目されます。
pdd-9/12層と完新世層の164点の標本のうち1点のみ(1%未満)から古代人類のmtDNAが得られ(図6a・b)、これはおそらくリン酸塩の多さに起因します[1、3]。この標本からは、ネアンデルタール人のDNAが回収されました[3]。最も近い年代の標本(DCS17-5)における粒子の87%が50000±6000年前に堆積しましたが、mtDNAがより古い成分(113000±17000年前)と関連している可能性を除外できません。
古代の現生人類のDNAは11層の52点の標本のうち8点(15%)から回収され、断面BおよびCからの6点(図6a・b)と、垂れ飾りおよび小像からの2点です。11層には5万年以上前の粒子が含まれている(図4)にも関わらず、デニソワ人もしくはネアンデルタール人のDNAの有意な証拠が得られた標本はなかったので、このmtDNAはおもに25000~20000年前頃に堆積した堆積物と関連している、と考えられます。この年代範囲は、古代の現生人類のDNAが回収された垂れ飾りの遺伝学的年代推定値、およびこの垂れ飾りに最も近い炭の標本の¹⁴C年代[31]と一致しており、この人工遺物の年代的帰属を明らかにします。したがって、堆積物のDNA標本は、より古い上部旧石器時代の人工遺物と関連しているのではなく、11層の上部旧石器時代の部分に相当する可能性が高そうです。
デニソワ人の大臼歯(デニソワ4号)は南空洞の垂れ飾りおよび小像と同じ側の11層から回収されましたが、入口に約2mと近く、12層との接触面のわずか5cm上にありました[13]。したがって、デニソワ4号は、尾根の右側の標本DCS17-6やDCS18-2やDCS18-3で特定された6万~5万年前頃の堆積物の成分とともに、12層から11層へと再移動した可能性が高そうです。この想定は、遺伝学的および層序学的情報を用いて推定されたデニソワ4号の84000~55000年前頃のモデル化された年代[2]や、11層の動物の骨で得られた49000年以上前の¹⁴C年代や、断面Dの12層の標本の66400±4000年前と61000±5000年前の光学的年代と一致します。デニソワ洞窟の3ヶ所の空洞すべてに関する古代人類の堆積物DNAの結果は、中部旧石器時代および上部旧石器時代の考古学的段階と、デニソワ人およびネアンデルタール人化石のモデル化された年代推定値と関連して[2]、図8で示されています。以下は本論文の図8です。
●古代哺乳類の堆積物DNA
19層の標本はクマ科のmtDNAが優占し(同様の割合のホラアナグマとヒグマ)、より少ない割合でハイエナ科(ホラアナハイエナ)とウシ科(たとえば、バイソンやアイベックス)が占めていました(図9b)[3]。断面Aの青みがかった灰色の粘着性の土の区画から採取された5点の標本では古代DNAが得られず[3]、おそらくは嫌気性の状態に起因します。イヌ科(たとえば、オオカミやアカギツネやドール)のmtDNAは17層の標本で優占しており、一部にはおもにヒグマのクマ科のDNAがかなり割合で含まれていました(図9b)。以下は本論文の図9です。
16層と15層の標本には、を含めて、ハイエナ科やシカ科(たとえば、シカやヘラジカ)やウマ科(ウマ)やケナガマンモスやケブカサイを含めて、さまざまな大型哺乳類のmtDNAが含まれています(図9b)。ウシ科のDNAの割合は概して14層から12層にかけて増加しますが、ハイエナ科とウマ科とケブカサイのDNAは12層の標本のいくつかでも比較的高い割合で存在します。17層のハイエナ科のmtDNAハプログループDから、すべてのより新しい層でのmtHg-Aへの移行が特定されます。
dMP堆積物ではハイエナ科とウシ科のDNAが優占し、いくつかの標本にはかなりの割合のウシ科とウマ科のDNAが含まれています[3]。19層との接触面に最も近い標本におけるクマ科の高い割合は、その後の層からの再移動した物質の嵌入に起因する可能性が高そうです。動物相組成の他の空間パターンは、これらの標本の多くでの再移動した堆積物の嵌入を考えると予測されるように、dMP堆積物では明らかではありません。
古代の動物相のDNAは、完新世の堆積物およびpdd-9/12の広範にリン酸塩化した部分の標本166点のうち66点(40%)からしか回収されませんでした。pdd-9/12とデニソワ22号のすぐ下の13層と断面Bの11層の堆積物と垂れ飾りの近くの最小限のリン酸塩化された部分は、ハイエナ科とウシ科のDNAが優占し、ウマ科とウシ科とクマ科(ヒグマ)のDNAの割合はより低くなっています(図9b)。ウマ科とウシ科とクマ科の組み合わせは、断面Cの11層の堆積物と小像の近くでは優先しており、これは恐らく、これらの区域が洞窟の壁に最も近く、クマかオオカミかアカギツネの巣として機能していたからです。
堆積物DNA標本で特定された大型哺乳類は、化石記録にも反映されています(図9)。確実に番号を割り当てることができる層については、大型哺乳類の科に分類される哺乳類のmtDNA断片と骨格遺骸の割合は、化石の断片的な性質と異なる分類群の堆積したDNAの量の違いにも関わらず、おおむね一貫しています。しかし、小型哺乳類の化石記録は、遺伝的データに反映されていません(図9a)。これは、実験的な人工産物(mtDNA捕獲調査における過小評価)、もしくは大型哺乳類がより大きな生物量を有していた結果で、主空洞および東空洞で同様のパターンが観察されました[3]。より一般的には、堆積物DNAを用いての古代の動物相について推測されたパターンは、くに堆積物が再移動した物質の嵌入から生じた宅数の年代成分で構成される場所では、古代の人類と同じ不確実性に左右されることに要注意です。
動物相群の古生物学的データ(大型哺乳類の少なくとも43種の13万点以上の標本と、小型哺乳類や鳥類や爬虫類や両生類や魚類の46の分類群の30万点以上の標本)によって、南空洞の19層~11層と関連する環境条件の再構築が可能となります。小型脊椎動物の遺骸から推測された大まかなパターンでは、19層は開けた景観の比較的寒冷な条件下で蓄積し、草原地帯および森林生息地が相対的に温暖な最期から2番目間間氷期(18層と17層)で優占していた、と示唆されています。森林被覆はその後の相対的に寒冷な期間(16層)には減少し、次に、相対的に温暖でより湿潤な条件下で低湿地とともに拡大しました(15層~13層)。より寒冷な気候では草原生息地の拡大と森林被覆の減少があり(12層)、それに続いて、相対的に縁談で乾燥した気候の期間には、森林と草原地帯の景観が優占しました(11層)。同様に大型哺乳類の遺骸は混在した景観を示唆しており、岩石の多い生息地が19層~11層の堆積期間を通じて存続し、森林は低湿地および草原地帯の混在と交替しました。
主空洞と東空洞と南空洞における更新世動物相の大きな置換は、20万年前頃と17万年前頃の間、および13万年前頃と10万年前頃の間において最も明らかで、これは間氷期から氷期への気候変化とほぼ同時期です(図10)[3]。バイカル湖とデニソワ洞窟の気候記録間の違いは、規模(珪藻類の生産性は地域の問間温度の代理ですが、動物相と花粉の記録から再構築された環境条件は地域の生態系の変化を反映しています)および洞窟の記録の解釈に影響を及ぼした要因に起因する可能性が高そうです[1、3]。デニソワ洞窟の3ヶ所の空洞で推測された環境記録の違いは、その複雑な層序系列および堆積物の蓄積や侵食や堆積後の変化の個々の歴史を反映しています。各空洞は実質的に、独特な堆積記録のある別々の場所です。主空洞および東空洞で再構築された環境条件が花粉および動物相の記録に基づいているのに対して、南空洞では動物相の記録のみが利用可能であることも要注意です。以下は本論文の図10です。
バイカル湖とデニソワ洞窟の記録の比較は、洞窟堆積物の蓄積と関連する時間平均化と、堆積後の変形および【動物による】穴掘による一部の層の攪乱(おもに、東空洞および南空洞の更新世の最上層と、南空洞のdMP堆積物)にも制約されています。さらに、光学的年代には、層序系列内の数千年間の時間的空白もしくは気候変動を解決するには、あまりにも不正確である不確実性があり、一部の層の年代は充分には制約されていません(たとえば、南空洞の14層と17層)。これらの注意点を考えると、デニソワ洞窟の主空洞3ヶ所すべてにわたる考古学と人類と動物相と気候の記録の全体的な一貫性は驚くべきものです。
●考察
南空洞のデータはおおむね、古代型人類および古代の現生人類によるデニソワ洞窟の居住の現在の年表と、人類集団や動物相の多様性や環境条件における変化の相対的な時期[1~3、22]を裏づけます(図8および図10)。南空洞の堆積物DNAの結果は主空洞および東空洞の記録の時間的空白の大半を埋め、最新の中部旧石器時代層(8万~5万年前頃に堆積しました)と関連するデニソワ人のmtDNA配列の数は2倍以上となります。こうした結果は、25000~20000年前頃の間のデニソワ洞窟における現生人類の遺伝学的証拠も増加させます。この上部旧石器時代人口集団は、同様の年代の垂れ飾りの古代北ユーラシア人の製作者もしくは着用者[31]と関連しているかもしれません。
洞窟全体の年代と堆積物DNAと考古学と動物相のデータは、上述の注意点があるものの、過去3回の氷期と間氷期の周期にわたる広範なパターンを明らかにしています。分析された963点の標本のうち、古代の人類および動物相のmtDNAは、それぞれ213点(22%)と845点の標本で特定されました。デニソワ人のmtDNAがある最古級の層は25万年前頃以降に堆積し、最古級のデニソワ人化石(高網羅率のゲノムが再構築されたデニソワ25号を含めて)は20万年前頃に堆積しており、両者ともに初期中部旧石器時代の石器群と関連しています(図8)。東空洞では、最古級のデニソワ人の堆積物(15層、20万年前頃)と、薄くてその下にある層(16層)には、火の使用の微細な痕跡(たとえば、溶けた植物珪酸体、広がっている済の帯、粉砕された焼けた骨の断片、おそらくリン酸塩化した灰)が含まれていますが、完全な燃焼の特徴は存在しません。
ネアンデルタール人は20万年前頃の直後に初めて出現しましたが、ネアンデルタール人のDNAをもたらした標本の多くとネアンデルタール人の4点の化石すべてとデニソワ11号(図8e)は、15万~8万年前頃に堆積した中期中部旧石器時代層から回収されました。この期間のわずか数点の堆積物標本からデニソワ人のDNAが回収され、この年代の層から報告されたデニソワ人化石は1点だけです(今では、本論文における層序状況の再評価に基づいて、19万年前頃の東空洞の14層から回収された可能性が最も高い、と考えられているデニソワ8号)。
これらの時期は、気温変化が植生に大きな影響を及ぼしている、デニソワ人とネアンデルタール人の生息地の模擬実験[70]に基づくと、13万~11万年前頃の間となる、デニソワ人にとって好適だったかもしれないアルタイ山脈の生息地の減少およびネアンデルタール人の増加と一致します。生息地の選好の重複期間は、デニソワ11号のモデル化された年代推定値(118000~79000年前頃)と部分的に一致します[2]。この模擬実験から、両人類【デニソワ人とネアンデルタール人】、とくにデニソワ人にとって好適だったかもしれない居住地は、アルタイ山脈においてデニソワ人にとっての存在の全期間に存在したものの、最後の2回の間氷期において、居住地はデニソワ人にとって最も不適で、ネアンデルタール人にとっては最も適していた、と示唆されます(図8f)。したがって、15万年以上前のデニソワ2号もしくは8号的なmtDNA配列から8万年前頃(もしくは10万年前頃)以後のデニソワ3号もしくは4号的な配列への変化は、デニソワ人の中部旧石器時代集団の後期更新世集団への置換を反映しているかもしれません。最新のデニソワ人は3点の化石(デニソワ3・4・22号)と、55000年前頃までに堆積した堆積物のmtDNA断片によって表されます。
比較的温暖な時期と寒冷な時期におけるデニソワ人とネアンデルタール人によるデニソワ洞窟の居住、および20万~17万年前頃と13万~10万年前頃の気候変化への適応は、どちらも哺乳類動物相の大きな置換と一致しており(図10)、人類の退避地におけるデニソワ洞窟の位置によって促進されたかもしれません。現生人類とデニソワ人[70]にとって好適な生息地(図8f)は、最終氷期にはアジア北部全域に存在しました。したがって、動物相の置換を伴わないアルタイ山脈からのデニソワ人の消滅はおもに、環境圧力ではなく、人口統計学的要因か、資源をめぐる競合か、現生人類との遭遇と関連しているかもしれません。
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