「緑のサハラ」期の人類のゲノム(追記有)
リビアの7000年前頃の人類のゲノムデータを報告した研究(Salem et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。サハラ砂漠は14500~5000年前頃のAHP(African Humid Period、アフリカ湿潤期)にはサバンナで、人類も含めて多くの生物が存在しました。本論文は、現在のリビア南西部のタドラルト・アカクス山脈(Tadrart Acacus Mountains)に位置するタカルコリ(Takarkori)岩陰で発見された牧畜新石器時代となる7000年前頃の人類遺骸2個体のゲノムデータを報告し、「緑のサハラ」の人類集団の遺伝的構成を明らかにしています。もちろん、「緑のサハラ」の人類集団の遺伝的構成がこの2個体のみで表されるとは断定できず、実際にはもっと多様だった可能性もじゅうぶん想定できます。
本論文は、タカルコリ岩陰の7000年前頃の2個体のゲノムの大半(約93%)が、未知の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)で占められていることを示します。この系統は現生人類(Homo sapiens)系統において、サハラ砂漠以南のアフリカの系統から出アフリカ系統と同じ頃に分岐し、少なくとも一部地域では7000年前頃までほぼ孤立していたようです。タカルコリ岩陰の2個体は遺伝的に、既知の古代人および現代人では、イベロマウルシアン(Iberomaurusian)インダストリーと関連しており、AHPに先行するモロッコのタフォラルト洞窟(Taforalt Cave)の15000年前頃の採食民[2]と類似しています。タカルコリ岩陰の2個体とイベロモーラシアン関連個体群はサハラ砂漠以南の系統と同等に離れて関連しており、AHPにおけるアフリカ北部へのサハラ砂漠以南の遺伝子流動が限定的だったことを示唆しています。
非アフリカ系現代人のゲノムにはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来と推定される領域が一定の割合で確認されていますが、タフォラルト洞窟個体群では、その割合は非アフリカ系現代人の約半分です。一方、タカルコリ岩陰の2個体のゲノムにおけるネアンデルタール人由来と推定される領域の割合はレヴァントの農耕民の1/10未満です。こうした知見から、タカルコリ岩陰の2個体によって表される集団は、おそらく後期更新世にアフリカ北部に広がっていた、深く分岐した孤立系統で、牧畜はおもに文化拡散によってそうした集団に定着した、と考えられます。他地域の事例(関連記事)からも、文化と遺伝とを安易に関連づけではならない、と改めて思います。
追記(2025年12月14日)
本論文の解説記事をブログで取り上げました(関連記事)。
●要約
サハラ砂漠は現在最も乾燥した地域の一つですが、14500~5000年前頃のアフリカ湿潤期(AHP)には緑の豊かなサバンナで、水塊が中期完新世におけるヒトの居住と牧畜の拡大を促進しました。この地域でDNAの保存状態が良好であることは稀なので、サハラの遺伝的歴史や過去の人口動態に関する知識は限られています。本論文は、リビア南西部のタカルコリ岩陰に埋葬されていた、7000年前頃の牧畜新石器時代の女性2個体から得られた古代ゲノムデータを報告します。タカルコリ岩陰の2個体の祖先系統の大半は、以前には知られていなかったアフリカ北部の遺伝的系統に由来しており、この系統はアフリカ外の現代人と同じ頃にサハラ以南のアフリカ系統から分岐し、存続期間の大半で孤立したままでした。タカルコリ岩陰の両個体は、イベロマウルシアン石器インダストリーと関連しており、AHPに先行する、モロッコのタフォラルト洞窟の15000年前頃の採食民で最初に報告された祖先系統と密接に関連しています。タカルコリ関連個体とイベロマウルシアン関連個体はサハラ以南の系統と同等に離れて関連しており、AHPにおいてサハラ以南のアフリカからアフリカ北部への遺伝子流動が限定的だったことを示唆しています。非アフリカ人のネアンデルタール人との混合の半分程度を有するタフォラルト洞窟の個体群とは対照的に、タカルコリ岩陰個体はレヴァントの農耕民よりもネアンデルタール人祖先系統が1/10未満ですが、それはサハラ以南のアフリカ現代人よりも有意に多い量です。本論文の調査結果から、牧畜が、おそらくは後期更新世にアフリカ北部に広がっていた深く分岐して孤立したアフリカ北部系統へと、文化的拡散を通じて広がった、と示唆されます。
●研究史
最終氷期の後に、サハラ砂漠の気候変動はAHPにつながり、その最盛期は11000~5000年前頃でした。湿度が上昇したこの期間に、この地域はサバンナ的景観で、さまざまな祖先系統樹木の被覆があり、恒久的な湖沼と広大な河川体系のある「緑のサハラ」へと変わりました(図1)。古代の湖沼堆積物と花粉標本と考古学的人工遺物から得られた証拠は、現在では乾燥した砂漠地域におけるヒトの存在と狩猟と牧畜と資源収集を確証します。しかし、こうした歴史にも関わらず、緑のサハラの人口集団の遺伝的歴史についてのほとんどは、現在の気候条件下では限定的なDNAの保存状態のため不明なままです。アフリカ北西部の古代DNAデータは、少なくとも15000~7500年前頃までの安定して孤立した遺伝的人口集団を示しています[2、8]。この安定性は、在来採食民に農耕慣行を導入したことによって、マグレブにおける新石器時代の始まりを特徴づけた、7500~5700年前頃となるヨーロッパ南西部の初期農耕集団の到来によって崩壊しました[9]。家畜を有する最初期の牧畜民はおそらくシナイ半島および紅海の経路に沿ってアフリカに入り、その後アフリカ北西部へと急速に拡大し、サハラ砂漠中央部に8300年前頃に到達しました。6400年前頃までに、さらなる遺伝子流動がレヴァントからの新石器時代集団と関連する祖先系統の出現とともに起き、その考古学的痕跡はサハラ東部で見られます。先行研究はリビアのタドラルト・アカクス山脈のタカルコリ岩陰で回収された個体群から得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)を分析し、これは本論文で調べられた個体と同じで、緑のサハラの牧畜民からの最初の古代DNAを提供しました。しかし、mtDNAのように組換えがないため事実上単一の遺伝子座は、ゲノム規模の常染色体データよりも人口動態解明のための統計的検出力がずっと弱くなります。緑のサハラの牧畜民の起源と、その緑のサハラへの到来がレヴァントからの集団の移動と関連していたのか、あるいはむしろ文化的拡散だったのかどうか、依然として議論の余地があります。以下は本論文の図1です。
本論文は、同じ7000年前頃のサハラの牧畜民2個体から得られた最初のゲノム規模データを提示します。この2個体はサハラ中央部のタカルコリ岩陰で回収され、この遺跡では例外的に豊富なデータと資料が得られました[18]。本論文の調査結果から、これらの個体はおもにこれまで知られていなかった祖先的なアフリカ北部系統を有しており、この系統はアフリカ外では通常みられるネアンデルタール人との混合を欠いており、ほぼ孤立したままのようで、レヴァントとの混合のわずかな痕跡の注目すべき例外がある、と示されます。これらの結果が裏づけるのは、サハラの牧畜が、顕著なヒトの遺伝子流動ではなく、文化的拡散を通じて確立したことです。さらに、タカルコリ岩陰個体群はアフリカ北西部の採食民と密接な遺伝的類似性を示しますが、サハラ砂漠以南のアフリカ系統との実質的なつながりを示さず、サハラ砂漠以南のアフリカからアフリカ北部へのAHPにおける緑のサハラ全域での検出可能な遺伝的交流がないことを示唆しています。
●タカルコリ岩陰:緑のサハラへの窓
タカルコリ岩陰はリビア南西部のタドラルト・アカクス山脈に位置し、サハラの緑の過去への注目すべき手がかりを提供します。この考古学的遺跡の発掘は、較正年代で10200年前頃以降のアカクス後期の狩猟採集民から、較正年代で8300~4200年前頃【以下、明示しない場合は基本的に較正年代です】の長期にわたる牧畜新石器時代の居住までの年表を明らかにしました。これら後期のデータはサハラ中央部における新石器時代の牧畜社会社会文化的軌跡を、初期の家畜の導入から移牧と二次産物の使用によって特徴づけられる完全な牧畜経済の発展までたどっています[23]。タカルコリ岩陰の最深部では、15個体のヒトの埋葬が発掘され、その年代は8900~4800年前頃の間で、その大半は前期(8300~7300年前頃)および中期(7100~5600年前頃)牧畜時代です。おもに繁殖年齢の女性と子供と学童期(juvenile、6~7歳から12~13歳頃)個体で構成される遺骸のストロンチウム同位体分析は、在来の地理的起源を示唆しました。中期牧畜時代の自然にミイラ化した成人女性2個体が、DNA解析のため選択されました。この2個体の直接的な放射性炭素年代測定結果(95.4%の確率)はそれぞれ、7158~6796年前と6555~6281年前です。
●ゲノム解析
個体TKH001の粉末状の歯根と個体TKH009の2点の腓骨断片から、DNAが抽出されました。きわめて低い内在性ヒトDNA含有量(0.085~1.363%)を考慮して、常染色体分析で費用対効果の高い情報をもたらすSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)の回収のため、DNA捕獲手法が選択されました。将来、他の骨格要素の標本抽出によって、全ゲノムショットガン配列決定の可能なより高い割合の内在性DNAがあるDNA抽出を提供できるかもしれません。専用の古代DNA実施要綱を用いて、DNAライブラリが調整され、TKH001については140万SNPを対象とするTwist Ancient DNA パネルで、TKH009については120万SNPを対象とする124万パネル[26]で、DNA捕獲手法を通じてライブラリが濃縮されました。厳しい保存状態の条件にも関わらず、配列決定によって、TKH001では881765ヶ所、TKH009では23317ヶ所のSNPが得られました。TKH001については、ネアンデルタール人と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)についての情報が得られる部位を対象とした、170万SNP[27]で追加の濃縮が実行されました。タカルコリ岩陰の両個体のDNA配列では、古代DNAに典型的な死後の分解パターンと、低い汚染推定値が得られました。
タカルコリ岩陰の2個体の遺伝的祖先系統における差異を視覚化するために、アフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットで全員遺伝子型決定された、アフリカ大陸全域と近東はヨーロッパ南部の現代人795個体から得られたゲノム規模データ[28、31~33、35、36、38]を用いて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。次に、タカルコリ岩陰の2個体と関連する刊行されている古代人117個体のゲノム[2、8、9、35、36、39~44]が、最初の2主成分(PC)に投影されました。タカルコリ岩陰の2個体は大まかには、PC1ではアフリカ西部集団と近東集団の中間に位置しますが、アフリカ西部集団のより近くに位置します。より詳細な視界を得るために、近東およびヨーロッパ南部の人口集団を残しながら、アフリカの人口集団はアフリカ西部とサヘルとアフリカ東部に限定されました。このPCAはこれらの人口集団の地理的分布を把握しており、PC1はアフリカ人集団を非アフリカ人集団から分離し、PC2はアフリカ内を区別していて、とくに、サヘル/アフリカ西部人口集団をアフリカ東部人口集団から分離します。タカルコリ岩陰の両個体はサヘル/アフリカ西部人口集団とアフリカ東部人口集団との間の独特な位置を維持し(図2a)、95%信頼区間(confidence interval、略してCI)の楕円で緊密なクラスタ(まとまり)を形成しました。PCAの投影は大まかに、タカルコリ岩陰の2個体の位置を含めて、地理を反映しています。その後の集団遺伝学的分析では、TKH009個体の低い網羅率のデータが、TKH001個体の高網羅率のデータと統合されました【以下、タカルコリ岩陰集団と表記します】。この集団分析の兆候の多くが、おそらくはずっと高い網羅率のため、TKH001に起因することに要注意です。以下は本論文の図2です。
他の古代人および現代人のゲノムとのタカルコリ岩陰集団の共有された遺伝的浮動を調べるために、f₃形式(タカルコリ、X;南アリカ2000年前)の外群f₃統計が計算され、ここでのXは世界規模の古代および現在の検証対象人口集団を、南アリカ2000年前は最も深い現生人類の外群系統[44]を裏をしています。その結果、タカルコリ岩陰の2個体はモロッコの旧石器時代および前期新石器時代個体群と最も多くの遺伝的浮動を共有している、と分かりました。具体的には、イフリンアムロ・モウッサ遺跡の続旧石器時代の1個体との最高水準、タフォラルト洞窟の15000年前頃の採食民1個体およびイフリンアムロ・モウッサ遺跡の前期新石器時代個体個体群との同様に高水準の共有された浮動が観察されました(図3a)。続旧石器時代と前期新石器時代の両集団は以前には、ずっと古いタフォラルト洞窟集団との高い遺伝的連続性を維持していた、と示されており[8、9]、これら3集団とタフォラルト岩陰の2個体との間で同様に高い共有された浮動統計量を説明しています。以下は本論文の図3です。
比較集団を現在のアフリカおよび近東の人口集団に限定すると、サヘルの8ヶ国の比較的混合の少ないフラニ人の牧畜民の個体群を含む、先行研究[38]でフラニ人(Fulani)Aと定義された個体群の集団が、タカルコリ岩陰集団との遺伝的類似性増加を示すものの、タフォラルト洞窟集団とはより少ない遺伝的類似性を示す、と分かりました。この調査結果は、タフォラルト洞窟個体群とモロッコの後期新石器時代個体群と同様に、フラニ人Aにはサハラ以南のアフリカ祖先系統構成要素がない、と観察した先行研究[38]と一致します。フラニ人Aにおけるタカルコリ岩陰集団的な祖先系統をさらに調べるために、タカルコリ岩陰集団との同様の量の出アフリカ(out-of-Africa、略してOoA)祖先系統のため基準参照としてマサイ人(Masai)/ダトグ人(Datog)/イラク人(Iraqw)を用いて、f₄分析(チンパンジー、X:マサイ人/ダトグ人/イラク人、タカルコリ岩陰集団)が実行されました。その結果、フラニ人Aは、他のサヘルおよびアフリカ西部集団と同様に、タカルコリ岩陰集団的な祖先系統の類似性が増加した、と示唆されました。これらの調査結果は、サハラ中央部からの牧畜新石器時代集団の南方への拡大の考古学的証拠と一致します。岩絵と土器製作と葬儀慣行は、おそらくサハラ中央部地域の漸進的なによって引き起こされた中、期完新世末における牧畜民拡大の詳細な指標を提供します。
外群f₃統計におけるタカルコリ岩陰集団の祖先系統と15000年前頃のタフォラルト洞窟個体群で最初に出現する祖先系統との間で共有される多量の遺伝的浮動を考慮して、次に、タカルコリ岩陰集団のゲノムがタフォラルト洞窟集団のゲノムと比較して、他のヒト集団とより多くのアレルを共有しているのかどうか、調べられました。この分析のため、f₄統計(チンパンジー、X:タカルコリ岩陰集団、タフォラルト洞窟集団)が計算され、ここでのXはアフリカとユーラシアの古代人および現代人集団を表します。ユーラシア集団およびユーラシア集団と混合したアフリカ集団について有意な正の値が得られ、タフォラルト洞窟集団はタカルコリ岩陰集団の場合よりもこれらの集団と多くのアレル(対立遺伝子)を共有している、と示唆されます。逆ら、検証された古代人もしくは現代人集団は有意な負の兆候を示さず、タフォラルト洞窟集団よりタカルコリ岩陰集団の方と密接な類似性が検出されなかったことを示唆しています。注目すべきことに、ユーラシア集団とほぼ混合していない古代と現代両方のサハラ以南集団では有意な値が得られず、これらの集団がタカルコリ岩陰集団およびタフォラルト洞窟集団の両方と同等に離れていることを示唆しています(図3b)。さらに、f₄統計(チンパンジー、タカルコリ岩陰集団:X、タフォラルト洞窟集団)を実行すると、各人口集団Xについて有意な正の値が見つかり、タカルコリ岩陰集団が他の集団よりもタフォラルト洞窟集団の方と多くのアレルを共有している、と示唆されます。
mtDNAの水準では、タカルコリ岩陰の両個体はmtDNA)ハプログループ(mtHg)Nの基底部に属しており、これはサハラ以南のアフリカ外で最も深いmtDNA系統の一つを表しており、現在の派生的なmtHg-Nに先行します。mtDNAの年代測定のため、上部旧石器時代の個体群や以前に報告されたデータセットからの追加の配列が含まれたBEAST分析を用いると、タカルコリ岩陰の2個体がmtHg-Nの基底部系統を有していた、との先行研究の調査結果が裏づけられ、分子的な分岐年代推定値は61343年前頃に改定されました。この年代は、95%のHPD(highest probability density、最高確率密度)では69046~54408年前です。注目すべきことに、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」の4万年前頃の1個体(PO1号)は、mtHg-Nのりより基底部に位置しており、この系統がタカルコリ系統の分岐の前に出アフリカ系統から分岐したことを示唆しています。しかし、不完全な系統分類と単一系統を表すmtDNAのため、基底的な人口集団分岐の正確な時期は不明なままです。
先行研究はタフォラルト洞窟集団の祖先系統を、約63.5%のナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)、つまり古代レヴァント採食民の祖先系統と、36.5%のサハラ以南のアフリカ祖先系統の2方向混合としてモデル化しました[2]。しかし、qpAdmソフトウェアを用いたこのモデルは、タフォラルト洞窟集団のアフリカ祖先系統の起源を正確には特定できず、アフリカの南部や東部や中央部の集団と広く関連している未知の亡霊(ゴースト)祖先系統をもたらしました[2]。本論文では、循環に基づくqpAdmで、いくつかの潜在的な供給源との比較で、タフォラルト洞窟集団におけるアフリカ祖先系統のあり得る供給源としてカルコリ岩陰集団が含められました。ここでの潜在的な供給源とは、ヨルバ人、ディンカ人、エチオピアのモタ(Mota)洞窟の4500年前頃の古代人1個体、カメルーン西部のシュムラカ(Shum Laka)岩陰の後期石器時代1個体、ボツワナのサロ(Xaro)遺跡の前期鉄器時代(EIA)の2個体、タンザニア東部のザンジバル(Zanzibar)島の1300年前頃の個体です。分析の結果、サハラのタカルコリ岩陰集団はサハラ以南のアフリカ集団よりもタフォラルト洞窟集団のアフリカ祖先系統の代理にずっと良好な適合を提供し、他の供給源と比較してずっと適合的なモデルを示唆する0.05超のP値に達する、と分かりました。この改定モデルでは、タフォラルト洞窟集団の祖先系統は、ナトゥーフィアン集団からの寄与が依然と同等の60.8±1.8%で、残りの祖先系統はタカルコリ岩陰集団に由来する39.2±1.8%と推定されました。
次に、アフリカ人集団との対照で、タカルコリ岩陰集団の祖先系統と非アフリカ系現代人全員で見られる出アフリカ祖先系統との間の直接的な遺伝的類似性が調べられました。このために、f₄形式(チンパンジー、ズラティクン;アフリカ人、タカルコリ)のf₄統計が計算されました。ズラティクン(Zlatý kůň)とは、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでそう呼ばれている45000年前頃の上部旧石器時代の成人女性1個体で、ズラティクンが出アフリカ祖先系統の代理として用いられるのは、おそらくはこれまでに配列決定された最古の現生人類で、出アフリカ系統がアフリカ系統から分岐した後の、最も深い既知のヒト系統を表しているからです[47]。本論文の結果はタカルコリ岩陰集団について正の値を示し、タカルコリ岩陰集団が、アフリカ東部【エチオピア】のモタ洞窟の4500年前頃の1個体を含めてサハラ以南のアフリカ人よりもズラティクンの方と遺伝的に近い、と示唆されました。それにも関わらず、かなりの出アフリカ混合を有するさまざまなアフリカの人口集団は、依然としてタカルコリ岩陰集団よりもズラティクンの方と遺伝的に密接でした。
これらの結果は、タカルコリ岩陰集団の祖先が出アフリカ集団と密接に関連しているものの、アフリカに留まっていたのかどうか、或いは、タカルコリ岩陰集団が出アフリカ集団からその後に遺伝子流動を受けたのかどうか、との問題を提起します。タカルコリ岩陰集団がそうしたその後の遺伝子流動を経たのならば、すべての出アフリカ集団で見られるネアンデルタール人との混合を有しているでしょう。この兆候を調べるために、タカルコリ岩陰集団について古代混合SNPパネルを用いて生成されたデータと、ネアンデルタール人由来の断片を検出するソフトウェアadmixfrog[48]が使われ、比較のため、他のアフリカおよびユーラシアの古代人集団や現在のサハラ以南のアフリカの人口集団が含められました。約5万塩基対となる長さが0.05cM(センチモルガン)を超えるネアンデルタール人由来の合計12ヶ所の断片が検出され、最長の断片は1番染色体に位置しており、これはタカルコリ岩陰集団のゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統が約0.15%と低水準であることを意味しています(図4a)。この割合は、タフォラルト洞窟集団およびモロッコの新石器時代個体群で見られる0.05cMより長い断片におけるネアンデルタール人祖先系統(0.6~0.9%)の1/4未満で、ほとんどの出アフリカ集団(1.4~2.36%)の1/10未満ですが、ネアンデルタール人祖先系統がほぼ完全に存在しない他の古代および現在のサハラ以南のアフリカ人よりもずっと高くなっています。このパターンが示唆しているのは、タカルコリ岩陰の2個体が出アフリカ集団から少量の祖先系統を受け取ったことです。しかし、連鎖不平衡に基づくDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)[49]を用いてのこの出アフリカ祖先系統の混合年代の推定値は、かなりの不確実性があるひじょうに古い混合を示唆しました。以下は本論文の図4です。
最後に、ADMIXTOOLS 2 パッケージのfind_graphs()関数を用いて、タカルコリ岩陰集団の他の人口集団との祖先関係がモデル化されました。モタ洞窟の1個体をイランの新石器時代個体群やタフォラルト洞窟集団やタカルコリ岩陰集団や外群のチンパンジーがを含む、自動図探索の関数が用いられました。このモデルは小さな統計量残差で適合しました。適合図から、タカルコリ岩陰集団はその祖先系統のほとんど(93%)がこれまで未知のアフリカ北部人口集団に由来する、と示唆され、上述のf₄統計から得られた孤立の痕跡(図3b)と一致します。この未知のアフリカ北部人口集団は出アフリカ人口集団と密接に関連しており、これまでに特定された出アフリカ集団と最も密接に関連するサハラ以南のアフリカ系統を表しているエチオピアのモタ洞窟の古代の1個体より後で、出アフリカにつながる系統から分岐しました。本論文のモデルでは、タカルコリ岩陰の2個体の祖先系統の残り(7%)は、深く分岐した古代レヴァント供給源に由来します。このレヴァントからり遺伝子流動はタカルコリ岩陰集団で見られるネアンデルタール人祖先系統も説明し、それは、レヴァントの新石器時代個体群のゲノムには約1.86%のネアンデルタール人祖先系統があるからで、これはadmixfrogを用いての本論文の推定と一致します。この図はタフォラルト洞窟集団も、タカルコリ岩陰集団関連の系統からの40%の寄与とナトゥーフィアン関連の系統からの60%の寄与の混合としてモデル化しており、qpAdmの結果と一致します(図4c)。
●考察
本論文は、緑のサハラに居住していたヒトからの古代のゲノム規模データを紹介し、この地域の人口集団のゲノム祖先系統への独特な洞察を提供します。タカルコリ岩陰の2個体はおもに、以前には報告されていなかった祖先系統特性を表している、祖先的なアフリカ系統を有しています。タカルコリ岩陰の2個体は、モロッコの、イフリ・オウベリッド遺跡およびイフリンアムロ・モウッサ遺跡の新石器時代個体群や、タフォラルト洞窟の15000年前頃の採食民と最も多くの遺伝的浮動を共有しており、AHP(14500~5000年前頃)の前のアフリカ北部における長期の安定した人口集団を示唆しています。おそらく、この祖先系統は出アフリカ事象後のアフリカ北部の大半に存在しており、タカルコリ岩陰の2個体は、アカクス後期(10200~8000年前頃)の最末期にこの地域に居住していた集団からこの祖先系統を継承しました。リビア南西部では、この期間は家畜の到来に先行し、そうした狩猟採集民集団内の文化的発展によって特徴づけられます。これには、定住の増加と、土器や籠細工や骨角器や木器のような洗練された物質文化の使用が含まれます。
タカルコリ岩陰の2個体はわずかな量のレヴァント集団からの遺伝的混合しか示さない、と分かり、考古学に基づいて示唆されていたように、サハラにおける牧畜の出現はおもに、大規模なヒトの移住を介してのことではなく、文化的慣行の伝播だった、と示唆されます。最初期の牧畜時代の開始における物質文化は連続性と変化の両方を示しており、おそらくは社会経済的変容期における複雑な融合の動態を反映しています。これらのパターンはさらに、急速な人口置換ではなく、漸進的な文化的変容を示唆しているかもしれません。この解釈は、タカルコリ岩陰の2個体で見つかったネアンデルタール人との遺伝的混合の相対的により低い水準によって、さらに裏づけられます。本論文の混合年代測定分析は混合事象がずっと過去までさかのぼることを示しており、近い過去のレヴァント集団との遺伝的混合の顕著な増加があったモロッコやアフリカ東部と比較しての、牧畜と食料生産のより不均質な広がりを示唆しています。これらの調査結果に加えて、TKH001個体の同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、12cM以上のROH断片がないことを明らかにしており、近親交配がなかったことを示唆しています。4cM超のより短いROH断片は約1000個体の有効人口規模(Nₑ)を示唆しており、これは中程度の規模の人口集団を反映しています。
本論文は、以前に刊行されたタフォラルト洞窟の狩猟採集民の祖先系統への洞察を提供します。先行研究[2]はタフォラルト洞窟集団のゲノムにおける「サハラ以南」の構成要素を正確には特定できませんでしたが、本論文はこの祖先系統を、サハラのタカルコリ岩陰の2個体ではより高い割合で見られる、深いアフリカ北部系統として特定します。これは、ナトゥーフィアンと大まかなサハラ以南のアフリカの祖先系統を二重混合を提案した、以前のモデルを改良します。本論文の最新のモデルでは、タフォラルト洞窟集団の祖先系統は、ナトゥーフィアン的なレヴァント人口集団からの60%の寄与と、残りのタカルコリ岩陰の2個体的なアフリカ北部の祖先人口集団からの40%の寄与で構成される、と示唆されます。注目すべきことに、後期更新世のタフォラルト洞窟個体群と中期完新世のタカルコリ岩陰の2個体は、サハラ以南のアフリカ系統と同等に遠い関係を示しています。このパターンは、緑のサハラ全域の実質的な遺伝的交流が、AHPもしくは他の後期更新世に先行する湿潤期に起きなかったことを示唆しています。サハラは約900万km²にまたがり、草原や湿地や森林や呼称や山岳地帯やサバンナなど多様な生物群系があり[55]、おそらくは断片化した生息地がヒトの遺伝子流動に影響を及ぼしました。これらの生態学的障壁は、社会的および文化的障壁や人口集団の空間的構造や特定の刊行の選択的採用と相まって、広範な遺伝的混合を制約しながら、類似の公費学的特徴の広範な伝播を促進したかもしれません。この遺伝的不連続性は、地理的間隙を越えてサハラ全域でかなりの遺伝的分化を示す、現代人のデータと一致します。本論文の調査結果から、緑のサハラ事象はとくに牧畜以前には、かなりの遺伝的交流を可能とするには不充分だった、と示唆され、古代と現代両方の人口構造に反映されているように、これは限定的なヒトの遺伝子流動におけるサハラの持続的役割を反映しています。
本論文の調査結果は重要な第一歩を表しており、将来の遺伝学的研究は、サハラ全域のヒトの移動と遺伝子流動へのより洗練された洞察を明らかにできるかもしれません。配列決定の費用が下がり続けるにつれて、全ゲノム配列決定は、出アフリカ事象およびヒトの深化の他の重要な側面に関する、より偏りのない推定を可能にするかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
古代DNA:「緑のサハラ」の古代DNAで明らかになった北アフリカの祖先系統
古代DNA:「緑のサハラ」に牧畜をもたらした文化伝播
今回、「緑のサハラ」の牧畜民2個体から得られた古代ゲノムの塩基配列解読結果が報告されている。それによると、牧畜は遺伝子流動ではなく文化の伝播を通してサハラにもたらされたらしい。
参考文献:
Salem N. et al.(2025): Ancient DNA from the Green Sahara reveals ancestral North African lineage. Nature, 641, 8061, 144–150.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-08793-7
[2]Loosdrecht M. et al.(2018): Pleistocene North African genomes link Near Eastern and sub-Saharan African human populations. Science, 360, 6388, 548-552.
https://doi.org/10.1126/science.aar8380
関連記事
[8]Fregel R. et al.(2018): Ancient genomes from North Africa evidence prehistoric migrations to the Maghreb from both the Levant and Europe. PNAS, 115, 26, 6774–6779.
https://doi.org/10.1073/pnas.1800851115
関連記事
[9]Simões LG. et al.(2023): Northwest African Neolithic initiated by migrants from Iberia and Levant. Nature, 618, 7965, 550–556.
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本論文は、タカルコリ岩陰の7000年前頃の2個体のゲノムの大半(約93%)が、未知の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)で占められていることを示します。この系統は現生人類(Homo sapiens)系統において、サハラ砂漠以南のアフリカの系統から出アフリカ系統と同じ頃に分岐し、少なくとも一部地域では7000年前頃までほぼ孤立していたようです。タカルコリ岩陰の2個体は遺伝的に、既知の古代人および現代人では、イベロマウルシアン(Iberomaurusian)インダストリーと関連しており、AHPに先行するモロッコのタフォラルト洞窟(Taforalt Cave)の15000年前頃の採食民[2]と類似しています。タカルコリ岩陰の2個体とイベロモーラシアン関連個体群はサハラ砂漠以南の系統と同等に離れて関連しており、AHPにおけるアフリカ北部へのサハラ砂漠以南の遺伝子流動が限定的だったことを示唆しています。
非アフリカ系現代人のゲノムにはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来と推定される領域が一定の割合で確認されていますが、タフォラルト洞窟個体群では、その割合は非アフリカ系現代人の約半分です。一方、タカルコリ岩陰の2個体のゲノムにおけるネアンデルタール人由来と推定される領域の割合はレヴァントの農耕民の1/10未満です。こうした知見から、タカルコリ岩陰の2個体によって表される集団は、おそらく後期更新世にアフリカ北部に広がっていた、深く分岐した孤立系統で、牧畜はおもに文化拡散によってそうした集団に定着した、と考えられます。他地域の事例(関連記事)からも、文化と遺伝とを安易に関連づけではならない、と改めて思います。
追記(2025年12月14日)
本論文の解説記事をブログで取り上げました(関連記事)。
●要約
サハラ砂漠は現在最も乾燥した地域の一つですが、14500~5000年前頃のアフリカ湿潤期(AHP)には緑の豊かなサバンナで、水塊が中期完新世におけるヒトの居住と牧畜の拡大を促進しました。この地域でDNAの保存状態が良好であることは稀なので、サハラの遺伝的歴史や過去の人口動態に関する知識は限られています。本論文は、リビア南西部のタカルコリ岩陰に埋葬されていた、7000年前頃の牧畜新石器時代の女性2個体から得られた古代ゲノムデータを報告します。タカルコリ岩陰の2個体の祖先系統の大半は、以前には知られていなかったアフリカ北部の遺伝的系統に由来しており、この系統はアフリカ外の現代人と同じ頃にサハラ以南のアフリカ系統から分岐し、存続期間の大半で孤立したままでした。タカルコリ岩陰の両個体は、イベロマウルシアン石器インダストリーと関連しており、AHPに先行する、モロッコのタフォラルト洞窟の15000年前頃の採食民で最初に報告された祖先系統と密接に関連しています。タカルコリ関連個体とイベロマウルシアン関連個体はサハラ以南の系統と同等に離れて関連しており、AHPにおいてサハラ以南のアフリカからアフリカ北部への遺伝子流動が限定的だったことを示唆しています。非アフリカ人のネアンデルタール人との混合の半分程度を有するタフォラルト洞窟の個体群とは対照的に、タカルコリ岩陰個体はレヴァントの農耕民よりもネアンデルタール人祖先系統が1/10未満ですが、それはサハラ以南のアフリカ現代人よりも有意に多い量です。本論文の調査結果から、牧畜が、おそらくは後期更新世にアフリカ北部に広がっていた深く分岐して孤立したアフリカ北部系統へと、文化的拡散を通じて広がった、と示唆されます。
●研究史
最終氷期の後に、サハラ砂漠の気候変動はAHPにつながり、その最盛期は11000~5000年前頃でした。湿度が上昇したこの期間に、この地域はサバンナ的景観で、さまざまな祖先系統樹木の被覆があり、恒久的な湖沼と広大な河川体系のある「緑のサハラ」へと変わりました(図1)。古代の湖沼堆積物と花粉標本と考古学的人工遺物から得られた証拠は、現在では乾燥した砂漠地域におけるヒトの存在と狩猟と牧畜と資源収集を確証します。しかし、こうした歴史にも関わらず、緑のサハラの人口集団の遺伝的歴史についてのほとんどは、現在の気候条件下では限定的なDNAの保存状態のため不明なままです。アフリカ北西部の古代DNAデータは、少なくとも15000~7500年前頃までの安定して孤立した遺伝的人口集団を示しています[2、8]。この安定性は、在来採食民に農耕慣行を導入したことによって、マグレブにおける新石器時代の始まりを特徴づけた、7500~5700年前頃となるヨーロッパ南西部の初期農耕集団の到来によって崩壊しました[9]。家畜を有する最初期の牧畜民はおそらくシナイ半島および紅海の経路に沿ってアフリカに入り、その後アフリカ北西部へと急速に拡大し、サハラ砂漠中央部に8300年前頃に到達しました。6400年前頃までに、さらなる遺伝子流動がレヴァントからの新石器時代集団と関連する祖先系統の出現とともに起き、その考古学的痕跡はサハラ東部で見られます。先行研究はリビアのタドラルト・アカクス山脈のタカルコリ岩陰で回収された個体群から得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)を分析し、これは本論文で調べられた個体と同じで、緑のサハラの牧畜民からの最初の古代DNAを提供しました。しかし、mtDNAのように組換えがないため事実上単一の遺伝子座は、ゲノム規模の常染色体データよりも人口動態解明のための統計的検出力がずっと弱くなります。緑のサハラの牧畜民の起源と、その緑のサハラへの到来がレヴァントからの集団の移動と関連していたのか、あるいはむしろ文化的拡散だったのかどうか、依然として議論の余地があります。以下は本論文の図1です。
本論文は、同じ7000年前頃のサハラの牧畜民2個体から得られた最初のゲノム規模データを提示します。この2個体はサハラ中央部のタカルコリ岩陰で回収され、この遺跡では例外的に豊富なデータと資料が得られました[18]。本論文の調査結果から、これらの個体はおもにこれまで知られていなかった祖先的なアフリカ北部系統を有しており、この系統はアフリカ外では通常みられるネアンデルタール人との混合を欠いており、ほぼ孤立したままのようで、レヴァントとの混合のわずかな痕跡の注目すべき例外がある、と示されます。これらの結果が裏づけるのは、サハラの牧畜が、顕著なヒトの遺伝子流動ではなく、文化的拡散を通じて確立したことです。さらに、タカルコリ岩陰個体群はアフリカ北西部の採食民と密接な遺伝的類似性を示しますが、サハラ砂漠以南のアフリカ系統との実質的なつながりを示さず、サハラ砂漠以南のアフリカからアフリカ北部へのAHPにおける緑のサハラ全域での検出可能な遺伝的交流がないことを示唆しています。
●タカルコリ岩陰:緑のサハラへの窓
タカルコリ岩陰はリビア南西部のタドラルト・アカクス山脈に位置し、サハラの緑の過去への注目すべき手がかりを提供します。この考古学的遺跡の発掘は、較正年代で10200年前頃以降のアカクス後期の狩猟採集民から、較正年代で8300~4200年前頃【以下、明示しない場合は基本的に較正年代です】の長期にわたる牧畜新石器時代の居住までの年表を明らかにしました。これら後期のデータはサハラ中央部における新石器時代の牧畜社会社会文化的軌跡を、初期の家畜の導入から移牧と二次産物の使用によって特徴づけられる完全な牧畜経済の発展までたどっています[23]。タカルコリ岩陰の最深部では、15個体のヒトの埋葬が発掘され、その年代は8900~4800年前頃の間で、その大半は前期(8300~7300年前頃)および中期(7100~5600年前頃)牧畜時代です。おもに繁殖年齢の女性と子供と学童期(juvenile、6~7歳から12~13歳頃)個体で構成される遺骸のストロンチウム同位体分析は、在来の地理的起源を示唆しました。中期牧畜時代の自然にミイラ化した成人女性2個体が、DNA解析のため選択されました。この2個体の直接的な放射性炭素年代測定結果(95.4%の確率)はそれぞれ、7158~6796年前と6555~6281年前です。
●ゲノム解析
個体TKH001の粉末状の歯根と個体TKH009の2点の腓骨断片から、DNAが抽出されました。きわめて低い内在性ヒトDNA含有量(0.085~1.363%)を考慮して、常染色体分析で費用対効果の高い情報をもたらすSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)の回収のため、DNA捕獲手法が選択されました。将来、他の骨格要素の標本抽出によって、全ゲノムショットガン配列決定の可能なより高い割合の内在性DNAがあるDNA抽出を提供できるかもしれません。専用の古代DNA実施要綱を用いて、DNAライブラリが調整され、TKH001については140万SNPを対象とするTwist Ancient DNA パネルで、TKH009については120万SNPを対象とする124万パネル[26]で、DNA捕獲手法を通じてライブラリが濃縮されました。厳しい保存状態の条件にも関わらず、配列決定によって、TKH001では881765ヶ所、TKH009では23317ヶ所のSNPが得られました。TKH001については、ネアンデルタール人と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)についての情報が得られる部位を対象とした、170万SNP[27]で追加の濃縮が実行されました。タカルコリ岩陰の両個体のDNA配列では、古代DNAに典型的な死後の分解パターンと、低い汚染推定値が得られました。
タカルコリ岩陰の2個体の遺伝的祖先系統における差異を視覚化するために、アフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットで全員遺伝子型決定された、アフリカ大陸全域と近東はヨーロッパ南部の現代人795個体から得られたゲノム規模データ[28、31~33、35、36、38]を用いて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。次に、タカルコリ岩陰の2個体と関連する刊行されている古代人117個体のゲノム[2、8、9、35、36、39~44]が、最初の2主成分(PC)に投影されました。タカルコリ岩陰の2個体は大まかには、PC1ではアフリカ西部集団と近東集団の中間に位置しますが、アフリカ西部集団のより近くに位置します。より詳細な視界を得るために、近東およびヨーロッパ南部の人口集団を残しながら、アフリカの人口集団はアフリカ西部とサヘルとアフリカ東部に限定されました。このPCAはこれらの人口集団の地理的分布を把握しており、PC1はアフリカ人集団を非アフリカ人集団から分離し、PC2はアフリカ内を区別していて、とくに、サヘル/アフリカ西部人口集団をアフリカ東部人口集団から分離します。タカルコリ岩陰の両個体はサヘル/アフリカ西部人口集団とアフリカ東部人口集団との間の独特な位置を維持し(図2a)、95%信頼区間(confidence interval、略してCI)の楕円で緊密なクラスタ(まとまり)を形成しました。PCAの投影は大まかに、タカルコリ岩陰の2個体の位置を含めて、地理を反映しています。その後の集団遺伝学的分析では、TKH009個体の低い網羅率のデータが、TKH001個体の高網羅率のデータと統合されました【以下、タカルコリ岩陰集団と表記します】。この集団分析の兆候の多くが、おそらくはずっと高い網羅率のため、TKH001に起因することに要注意です。以下は本論文の図2です。
他の古代人および現代人のゲノムとのタカルコリ岩陰集団の共有された遺伝的浮動を調べるために、f₃形式(タカルコリ、X;南アリカ2000年前)の外群f₃統計が計算され、ここでのXは世界規模の古代および現在の検証対象人口集団を、南アリカ2000年前は最も深い現生人類の外群系統[44]を裏をしています。その結果、タカルコリ岩陰の2個体はモロッコの旧石器時代および前期新石器時代個体群と最も多くの遺伝的浮動を共有している、と分かりました。具体的には、イフリンアムロ・モウッサ遺跡の続旧石器時代の1個体との最高水準、タフォラルト洞窟の15000年前頃の採食民1個体およびイフリンアムロ・モウッサ遺跡の前期新石器時代個体個体群との同様に高水準の共有された浮動が観察されました(図3a)。続旧石器時代と前期新石器時代の両集団は以前には、ずっと古いタフォラルト洞窟集団との高い遺伝的連続性を維持していた、と示されており[8、9]、これら3集団とタフォラルト岩陰の2個体との間で同様に高い共有された浮動統計量を説明しています。以下は本論文の図3です。
比較集団を現在のアフリカおよび近東の人口集団に限定すると、サヘルの8ヶ国の比較的混合の少ないフラニ人の牧畜民の個体群を含む、先行研究[38]でフラニ人(Fulani)Aと定義された個体群の集団が、タカルコリ岩陰集団との遺伝的類似性増加を示すものの、タフォラルト洞窟集団とはより少ない遺伝的類似性を示す、と分かりました。この調査結果は、タフォラルト洞窟個体群とモロッコの後期新石器時代個体群と同様に、フラニ人Aにはサハラ以南のアフリカ祖先系統構成要素がない、と観察した先行研究[38]と一致します。フラニ人Aにおけるタカルコリ岩陰集団的な祖先系統をさらに調べるために、タカルコリ岩陰集団との同様の量の出アフリカ(out-of-Africa、略してOoA)祖先系統のため基準参照としてマサイ人(Masai)/ダトグ人(Datog)/イラク人(Iraqw)を用いて、f₄分析(チンパンジー、X:マサイ人/ダトグ人/イラク人、タカルコリ岩陰集団)が実行されました。その結果、フラニ人Aは、他のサヘルおよびアフリカ西部集団と同様に、タカルコリ岩陰集団的な祖先系統の類似性が増加した、と示唆されました。これらの調査結果は、サハラ中央部からの牧畜新石器時代集団の南方への拡大の考古学的証拠と一致します。岩絵と土器製作と葬儀慣行は、おそらくサハラ中央部地域の漸進的なによって引き起こされた中、期完新世末における牧畜民拡大の詳細な指標を提供します。
外群f₃統計におけるタカルコリ岩陰集団の祖先系統と15000年前頃のタフォラルト洞窟個体群で最初に出現する祖先系統との間で共有される多量の遺伝的浮動を考慮して、次に、タカルコリ岩陰集団のゲノムがタフォラルト洞窟集団のゲノムと比較して、他のヒト集団とより多くのアレルを共有しているのかどうか、調べられました。この分析のため、f₄統計(チンパンジー、X:タカルコリ岩陰集団、タフォラルト洞窟集団)が計算され、ここでのXはアフリカとユーラシアの古代人および現代人集団を表します。ユーラシア集団およびユーラシア集団と混合したアフリカ集団について有意な正の値が得られ、タフォラルト洞窟集団はタカルコリ岩陰集団の場合よりもこれらの集団と多くのアレル(対立遺伝子)を共有している、と示唆されます。逆ら、検証された古代人もしくは現代人集団は有意な負の兆候を示さず、タフォラルト洞窟集団よりタカルコリ岩陰集団の方と密接な類似性が検出されなかったことを示唆しています。注目すべきことに、ユーラシア集団とほぼ混合していない古代と現代両方のサハラ以南集団では有意な値が得られず、これらの集団がタカルコリ岩陰集団およびタフォラルト洞窟集団の両方と同等に離れていることを示唆しています(図3b)。さらに、f₄統計(チンパンジー、タカルコリ岩陰集団:X、タフォラルト洞窟集団)を実行すると、各人口集団Xについて有意な正の値が見つかり、タカルコリ岩陰集団が他の集団よりもタフォラルト洞窟集団の方と多くのアレルを共有している、と示唆されます。
mtDNAの水準では、タカルコリ岩陰の両個体はmtDNA)ハプログループ(mtHg)Nの基底部に属しており、これはサハラ以南のアフリカ外で最も深いmtDNA系統の一つを表しており、現在の派生的なmtHg-Nに先行します。mtDNAの年代測定のため、上部旧石器時代の個体群や以前に報告されたデータセットからの追加の配列が含まれたBEAST分析を用いると、タカルコリ岩陰の2個体がmtHg-Nの基底部系統を有していた、との先行研究の調査結果が裏づけられ、分子的な分岐年代推定値は61343年前頃に改定されました。この年代は、95%のHPD(highest probability density、最高確率密度)では69046~54408年前です。注目すべきことに、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」の4万年前頃の1個体(PO1号)は、mtHg-Nのりより基底部に位置しており、この系統がタカルコリ系統の分岐の前に出アフリカ系統から分岐したことを示唆しています。しかし、不完全な系統分類と単一系統を表すmtDNAのため、基底的な人口集団分岐の正確な時期は不明なままです。
先行研究はタフォラルト洞窟集団の祖先系統を、約63.5%のナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)、つまり古代レヴァント採食民の祖先系統と、36.5%のサハラ以南のアフリカ祖先系統の2方向混合としてモデル化しました[2]。しかし、qpAdmソフトウェアを用いたこのモデルは、タフォラルト洞窟集団のアフリカ祖先系統の起源を正確には特定できず、アフリカの南部や東部や中央部の集団と広く関連している未知の亡霊(ゴースト)祖先系統をもたらしました[2]。本論文では、循環に基づくqpAdmで、いくつかの潜在的な供給源との比較で、タフォラルト洞窟集団におけるアフリカ祖先系統のあり得る供給源としてカルコリ岩陰集団が含められました。ここでの潜在的な供給源とは、ヨルバ人、ディンカ人、エチオピアのモタ(Mota)洞窟の4500年前頃の古代人1個体、カメルーン西部のシュムラカ(Shum Laka)岩陰の後期石器時代1個体、ボツワナのサロ(Xaro)遺跡の前期鉄器時代(EIA)の2個体、タンザニア東部のザンジバル(Zanzibar)島の1300年前頃の個体です。分析の結果、サハラのタカルコリ岩陰集団はサハラ以南のアフリカ集団よりもタフォラルト洞窟集団のアフリカ祖先系統の代理にずっと良好な適合を提供し、他の供給源と比較してずっと適合的なモデルを示唆する0.05超のP値に達する、と分かりました。この改定モデルでは、タフォラルト洞窟集団の祖先系統は、ナトゥーフィアン集団からの寄与が依然と同等の60.8±1.8%で、残りの祖先系統はタカルコリ岩陰集団に由来する39.2±1.8%と推定されました。
次に、アフリカ人集団との対照で、タカルコリ岩陰集団の祖先系統と非アフリカ系現代人全員で見られる出アフリカ祖先系統との間の直接的な遺伝的類似性が調べられました。このために、f₄形式(チンパンジー、ズラティクン;アフリカ人、タカルコリ)のf₄統計が計算されました。ズラティクン(Zlatý kůň)とは、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでそう呼ばれている45000年前頃の上部旧石器時代の成人女性1個体で、ズラティクンが出アフリカ祖先系統の代理として用いられるのは、おそらくはこれまでに配列決定された最古の現生人類で、出アフリカ系統がアフリカ系統から分岐した後の、最も深い既知のヒト系統を表しているからです[47]。本論文の結果はタカルコリ岩陰集団について正の値を示し、タカルコリ岩陰集団が、アフリカ東部【エチオピア】のモタ洞窟の4500年前頃の1個体を含めてサハラ以南のアフリカ人よりもズラティクンの方と遺伝的に近い、と示唆されました。それにも関わらず、かなりの出アフリカ混合を有するさまざまなアフリカの人口集団は、依然としてタカルコリ岩陰集団よりもズラティクンの方と遺伝的に密接でした。
これらの結果は、タカルコリ岩陰集団の祖先が出アフリカ集団と密接に関連しているものの、アフリカに留まっていたのかどうか、或いは、タカルコリ岩陰集団が出アフリカ集団からその後に遺伝子流動を受けたのかどうか、との問題を提起します。タカルコリ岩陰集団がそうしたその後の遺伝子流動を経たのならば、すべての出アフリカ集団で見られるネアンデルタール人との混合を有しているでしょう。この兆候を調べるために、タカルコリ岩陰集団について古代混合SNPパネルを用いて生成されたデータと、ネアンデルタール人由来の断片を検出するソフトウェアadmixfrog[48]が使われ、比較のため、他のアフリカおよびユーラシアの古代人集団や現在のサハラ以南のアフリカの人口集団が含められました。約5万塩基対となる長さが0.05cM(センチモルガン)を超えるネアンデルタール人由来の合計12ヶ所の断片が検出され、最長の断片は1番染色体に位置しており、これはタカルコリ岩陰集団のゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統が約0.15%と低水準であることを意味しています(図4a)。この割合は、タフォラルト洞窟集団およびモロッコの新石器時代個体群で見られる0.05cMより長い断片におけるネアンデルタール人祖先系統(0.6~0.9%)の1/4未満で、ほとんどの出アフリカ集団(1.4~2.36%)の1/10未満ですが、ネアンデルタール人祖先系統がほぼ完全に存在しない他の古代および現在のサハラ以南のアフリカ人よりもずっと高くなっています。このパターンが示唆しているのは、タカルコリ岩陰の2個体が出アフリカ集団から少量の祖先系統を受け取ったことです。しかし、連鎖不平衡に基づくDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)[49]を用いてのこの出アフリカ祖先系統の混合年代の推定値は、かなりの不確実性があるひじょうに古い混合を示唆しました。以下は本論文の図4です。
最後に、ADMIXTOOLS 2 パッケージのfind_graphs()関数を用いて、タカルコリ岩陰集団の他の人口集団との祖先関係がモデル化されました。モタ洞窟の1個体をイランの新石器時代個体群やタフォラルト洞窟集団やタカルコリ岩陰集団や外群のチンパンジーがを含む、自動図探索の関数が用いられました。このモデルは小さな統計量残差で適合しました。適合図から、タカルコリ岩陰集団はその祖先系統のほとんど(93%)がこれまで未知のアフリカ北部人口集団に由来する、と示唆され、上述のf₄統計から得られた孤立の痕跡(図3b)と一致します。この未知のアフリカ北部人口集団は出アフリカ人口集団と密接に関連しており、これまでに特定された出アフリカ集団と最も密接に関連するサハラ以南のアフリカ系統を表しているエチオピアのモタ洞窟の古代の1個体より後で、出アフリカにつながる系統から分岐しました。本論文のモデルでは、タカルコリ岩陰の2個体の祖先系統の残り(7%)は、深く分岐した古代レヴァント供給源に由来します。このレヴァントからり遺伝子流動はタカルコリ岩陰集団で見られるネアンデルタール人祖先系統も説明し、それは、レヴァントの新石器時代個体群のゲノムには約1.86%のネアンデルタール人祖先系統があるからで、これはadmixfrogを用いての本論文の推定と一致します。この図はタフォラルト洞窟集団も、タカルコリ岩陰集団関連の系統からの40%の寄与とナトゥーフィアン関連の系統からの60%の寄与の混合としてモデル化しており、qpAdmの結果と一致します(図4c)。
●考察
本論文は、緑のサハラに居住していたヒトからの古代のゲノム規模データを紹介し、この地域の人口集団のゲノム祖先系統への独特な洞察を提供します。タカルコリ岩陰の2個体はおもに、以前には報告されていなかった祖先系統特性を表している、祖先的なアフリカ系統を有しています。タカルコリ岩陰の2個体は、モロッコの、イフリ・オウベリッド遺跡およびイフリンアムロ・モウッサ遺跡の新石器時代個体群や、タフォラルト洞窟の15000年前頃の採食民と最も多くの遺伝的浮動を共有しており、AHP(14500~5000年前頃)の前のアフリカ北部における長期の安定した人口集団を示唆しています。おそらく、この祖先系統は出アフリカ事象後のアフリカ北部の大半に存在しており、タカルコリ岩陰の2個体は、アカクス後期(10200~8000年前頃)の最末期にこの地域に居住していた集団からこの祖先系統を継承しました。リビア南西部では、この期間は家畜の到来に先行し、そうした狩猟採集民集団内の文化的発展によって特徴づけられます。これには、定住の増加と、土器や籠細工や骨角器や木器のような洗練された物質文化の使用が含まれます。
タカルコリ岩陰の2個体はわずかな量のレヴァント集団からの遺伝的混合しか示さない、と分かり、考古学に基づいて示唆されていたように、サハラにおける牧畜の出現はおもに、大規模なヒトの移住を介してのことではなく、文化的慣行の伝播だった、と示唆されます。最初期の牧畜時代の開始における物質文化は連続性と変化の両方を示しており、おそらくは社会経済的変容期における複雑な融合の動態を反映しています。これらのパターンはさらに、急速な人口置換ではなく、漸進的な文化的変容を示唆しているかもしれません。この解釈は、タカルコリ岩陰の2個体で見つかったネアンデルタール人との遺伝的混合の相対的により低い水準によって、さらに裏づけられます。本論文の混合年代測定分析は混合事象がずっと過去までさかのぼることを示しており、近い過去のレヴァント集団との遺伝的混合の顕著な増加があったモロッコやアフリカ東部と比較しての、牧畜と食料生産のより不均質な広がりを示唆しています。これらの調査結果に加えて、TKH001個体の同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、12cM以上のROH断片がないことを明らかにしており、近親交配がなかったことを示唆しています。4cM超のより短いROH断片は約1000個体の有効人口規模(Nₑ)を示唆しており、これは中程度の規模の人口集団を反映しています。
本論文は、以前に刊行されたタフォラルト洞窟の狩猟採集民の祖先系統への洞察を提供します。先行研究[2]はタフォラルト洞窟集団のゲノムにおける「サハラ以南」の構成要素を正確には特定できませんでしたが、本論文はこの祖先系統を、サハラのタカルコリ岩陰の2個体ではより高い割合で見られる、深いアフリカ北部系統として特定します。これは、ナトゥーフィアンと大まかなサハラ以南のアフリカの祖先系統を二重混合を提案した、以前のモデルを改良します。本論文の最新のモデルでは、タフォラルト洞窟集団の祖先系統は、ナトゥーフィアン的なレヴァント人口集団からの60%の寄与と、残りのタカルコリ岩陰の2個体的なアフリカ北部の祖先人口集団からの40%の寄与で構成される、と示唆されます。注目すべきことに、後期更新世のタフォラルト洞窟個体群と中期完新世のタカルコリ岩陰の2個体は、サハラ以南のアフリカ系統と同等に遠い関係を示しています。このパターンは、緑のサハラ全域の実質的な遺伝的交流が、AHPもしくは他の後期更新世に先行する湿潤期に起きなかったことを示唆しています。サハラは約900万km²にまたがり、草原や湿地や森林や呼称や山岳地帯やサバンナなど多様な生物群系があり[55]、おそらくは断片化した生息地がヒトの遺伝子流動に影響を及ぼしました。これらの生態学的障壁は、社会的および文化的障壁や人口集団の空間的構造や特定の刊行の選択的採用と相まって、広範な遺伝的混合を制約しながら、類似の公費学的特徴の広範な伝播を促進したかもしれません。この遺伝的不連続性は、地理的間隙を越えてサハラ全域でかなりの遺伝的分化を示す、現代人のデータと一致します。本論文の調査結果から、緑のサハラ事象はとくに牧畜以前には、かなりの遺伝的交流を可能とするには不充分だった、と示唆され、古代と現代両方の人口構造に反映されているように、これは限定的なヒトの遺伝子流動におけるサハラの持続的役割を反映しています。
本論文の調査結果は重要な第一歩を表しており、将来の遺伝学的研究は、サハラ全域のヒトの移動と遺伝子流動へのより洗練された洞察を明らかにできるかもしれません。配列決定の費用が下がり続けるにつれて、全ゲノム配列決定は、出アフリカ事象およびヒトの深化の他の重要な側面に関する、より偏りのない推定を可能にするかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
古代DNA:「緑のサハラ」の古代DNAで明らかになった北アフリカの祖先系統
古代DNA:「緑のサハラ」に牧畜をもたらした文化伝播
今回、「緑のサハラ」の牧畜民2個体から得られた古代ゲノムの塩基配列解読結果が報告されている。それによると、牧畜は遺伝子流動ではなく文化の伝播を通してサハラにもたらされたらしい。
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