銅器時代から中世のイラン高原の人口史

 銅器時代から中世のイラン高原(ペルシア高原)の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究(Amjadi et al., 2025)が公表されました。本論文は、紀元前4700~紀元後1300年頃にかけての古代人の、ミトコンドリアゲノム23点および核ゲノム13点を新たに報告します。本論文では、とくにハカーマニシュ(アカイメネス、アケメネス)朝とパルティアとサーサーン朝の時期(紀元前355~紀元前460年頃)に焦点が当てられ、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)も分析されており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体ハプログループ(YHg)が決定されました。

 前期銅器時代の新たな標本1点は、イランの他のすべての銅器時代の標本に先行し、ほぼ前期新石器時代イランの遺伝的祖先系統祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を示し、ザグロス地域およびその周辺における長期の文化的および生物学的連続性が反映されています。ハカーマニシュ朝からサーサーン朝までのイラン高原の人類集団は遺伝的に、イラン高原全域の東西の遺伝的勾配の中間に位置づけられます。これらの歴史時代の標本は、在来およびアジア中央部南方の青銅器時代人口集団との強いつながりを示し、持続的な遺伝的つながりが強調されます。

 本論文では、ペルシア高原とイラン高原が使い分けられており、イラン高原は現在のイランの領域として定義されているので、以下の翻訳でも本論文の用法に従います。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、先土器新石器時代(Pre-Pottery Neolithic、略してPPN)、PPNA(Pre-Pottery Neolithic A、先土器新石器時代A)、PPNB(Pre-Pottery Neolithic B、先土器新石器時代B)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、HE(historical era、歴史時代)です。集団の略称は、HG(hunter gatherer、狩猟採集民)、CHG(Caucasus hunter-gatherer、コーカサス狩猟採集民)、ANF(Anatolian Neolithic Farmer、アナトリア半島新石器時代農耕民)、AHG(Andamanese hunter-gatherer、アンダマン諸島狩猟採集民)、ANE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)、WSHG(West Siberian hunter-gatherer、シベリア西部狩猟採集民)です。


●要約

 本論文では、イラン高原の先史時代および歴史時代の人口集団の新たな古代DNAデータが提示されます。イラン全域の9ヶ所の考古学的遺跡から得られた50点の標本の分析によって、紀元前4700~紀元後1300年頃にかけての新たに配列決定された23点のミトコンドリアゲノムおよび13点の核ゲノムが報告されます。アジア西部および中央部南方の以前に刊行された古代DNAデータセットの広範な標本参照一式が統合され、古代イラン人口集団内の遺伝的連続性および多様性の理解が深まります。前期銅器時代の新たな標本1点は、イランの他のすべての銅器時代の標本に先行し、ほぼ前期新石器時代イランの遺伝的祖先系統を示します。この調査結果は、一部の西方の遺伝的影響の証拠とともに、ザグロス地域およびその周辺における長期の文化的および生物学的連続性を反映しています。

 本論文の標本選択はイラン北部を優先しており、とくにハカーマニシュ朝とパルティアとサーサーン朝の時期(紀元前355~紀元前460年頃)に焦点が当てられます。この地域の歴史時代の標本の遺伝的特性は、ペルシア高原全域の東西の遺伝的勾配の中間に位置づけられます。これらの歴史時代の標本は、在来およびアジア南部・中央部の青銅器時代人口集団との強い繋がりを示し、持続的な遺伝的つながりが強調されます。イラン高原における片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)系統の通時的な分析は、先史時代から現代までのさらなる人口安定性を浮き彫りにします。


●研究史

 アジア西部のペルシア高原は、本論文ではアナトリア半島東部からアフガニスタンおよびパキスタンの西部にまたがり、コーカサス南部アジア中央部南方とメソポタミア北部も含む、広大な地理的地域として定義され[1]、アフリカからの現生人類(Homo sapiens)の初期の移動の主要な拠点として、ヒトの先史時代の形成に重要な役割を果たしました[1、4]。ヒト集団は7万/6万年前頃から46000年前頃の間に、この拠点から複数回の波でユーラシアとオセアニアとアメリカ大陸に移住しました[1]。ペルシア高原は、初期に分岐した基底部ユーラシア人系統が存在した可能性の高い重要な地域としても認識されており、基底部ユーラシア人系統は、他の非アフリカ系古代人とは対照的に、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの混合のない遺伝的祖先系統と説明されています[5]。

 先史時代の農耕民と、その後の文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】、交易および異文化間の関係を促進した、公的な地理的位置と豊富な資源の恩恵を受けて、イラン高原で栄えました。最近の考古遺伝学的研究は、ペルシア高原に居住していたこれら古代の人口集団の複雑な性質に光を当て始めました[5、7、12~16]。イラン北部のアルボルズ山脈の中石器時代の狩猟採集民遺骸は、基底部ユーラシア人とおもに関連する祖先系統を示しています[5、12]。ガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡の前期新石器時代農耕民は、これらイラン狩猟採集民の子孫と提案されており[16]、遺伝的にはCHG(コーカサス狩猟採集民)と単系統群を形成します[15]。

 アジア西部の推定される上部旧石器時代人口集団の子孫であるこれらの集団は、その後の比較研究の焦点です[4、7、15、16]。これらの集団は、レヴァントおよびアナトリア半島の新石器時代農耕民やヨーロッパ狩猟採集民と比較して、独特な遺伝的構成要素を有しています。さらなる調査で、イラン高原(本論文では現在のイランの領域と定義されます)の東西両方の銅器時代の農耕民[5、16]は、ANF(アナトリア半島新石器時代農耕民)の他に、ナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)およびPPN(先土器新石器時代)のレヴァントと関連する追加の祖先系統を有している、と明らかになりました[13]。銅器時代が終わり、青銅器時代(BA)が始まると、東方と北方からより多様な遺伝的構成要素がイラン語退陣の遺伝子プールに入り、それには、AHG(アンダマン諸島狩猟採集民)やANE(古代北ユーラシア人)やBA草原地帯と関連する祖先系統が含まれます[5、12~16]。AHG関連祖先系統は、イラン東部のBAのシャフレ・ソフテ(Shahr-i Sokhta)遺跡においてアジア南部(インダス川流域)からの流入としてイランにおいて初めて検出され[12]、シャフレ・ソフテ遺跡は紀元前3550~紀元前2900年頃に主要な人口中心地で、紀元前2300年頃まで文明の中心地でした。

 ANE関連祖先系統は、WSHG(シベリア西部狩猟採集民)とアジア中央部の金石併用時代/銅器時代のボタイ(Botai)文化の人々で認識され、アジア北部のより古いANE人口集団から遺伝的に連続しています[19]。BA草原地帯関連祖先系統は、CHGおよびヨーロッパ東部狩猟採集民構成要素を通じてANE関連集団とも遺伝的祖先系統を共有しており、ヤムナヤ(Yamnaya)文化の人々およびポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)ユーラシア大陸全域に拡大下子孫集団と関連づけられることが多くあります[12]。イラン高原におけるさまざまな遺伝的構成要素の多様性と統合は、鉄器時代(IA)にはより顕著にさえなり、この期間における継続的なレヴァント関連の遺伝子流動において明らかです[13]。

 こうした進歩にも関わらず、過去の遺伝学的事象の理解は不完全なままで、それは、多くの人口集団が依然として特徴づけられておらず、歴史時代における広範なヒトの移動性が、遺伝的景観をさらに複雑にするからです。これは、その後の期間の文化および人口発展をより深く理解するための、この地域の先史時代および歴史時代の構成の重要性を浮き彫りにします。これはとくに、イラン高原の北東部および西部地域に当てはまり、この2ヶ所の地域は新石器時代から歴史時代にかけて、それぞれアジア中央部南方(トルクメニスタンとウズベキスタンとタジキスタンが含まれます)およびコーカサス南部(アゼルバイジャンとアルメニアとジョージア)との広範なつながりを有しています。

 これらのつながりは、最初のペルシア帝国であるハカーマニシュ朝下でさらに拡大し、ハカーマニシュ朝の中核領域には、イラン高原とコーカサス南部とアジア中央部南方と現代のアフガニスタンおよびパキスタンの領域が含まれます。紀元前323年、セレウコス帝国がイラン高原のほとんどを含むヘレニズム国家として出現しました。紀元前3世紀半ばまでに、イラン東部の遊牧民もしくは半遊牧民部族であるアパルニ人(Aparni)もしくはパルニ人(Parni)の戦士が勢力を増し、ニサ(Nisa)にパルティア王曳を樹立し、そこからペルシア高原への支配を拡大しました。パルティア帝国とその部族の記述は、ヘロドトスとストラボンの著作に記録されています。

 最古級の地下墓地は、年代が紀元前3000~紀元前2900年頃で、ジーロフト(Jiroft)地域で発掘されており、シャフレ・ソフテ遺跡(紀元前2700年頃以後)やアジア中央部南方(たとえば、トルクメニスタン)の地下墓地に先行します。これは、イラン人東部の初期文化がバルーチスターン(Baluchistan)地域(現在のイラン南東部とアフガニスタン南部とパキスタン南西部)とトルクメニスタン南部に影響を及ぼした、と示唆しています。この伝統は、イラン高原北部および北東部のパルティア期およびサーサーン朝期において、たとえばリアルサンボン(Liarsangbon)遺跡やヴェステミン(Vestemin)遺跡で再出現しました。

 本論文の目的は、銅器時代から中世にわたるイランの重要な考古学的遺跡の遺伝学的分析の実行です。本論文は、千年にわたる移住と交易の回廊としての戦略的位置を考えて、イラン北部のハカーマニシュ朝とセレウコス朝とパルティア王国とサーサーン朝(紀元前355~紀元後460年頃)にとくに焦点を当てます。本論文は歴史時代の3期を調査し、カスピ海の南側の多様な物資と人工遺物の流通を拡散絹した、絹の道(シルクロード)の重要区間であるイラン高原北東部の「幹線道路」の最初の遺伝学的評価を提供します(図1)。以下は本論文の図1です。
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 本論文の目的は、ゲノムデータを用いて、さまざまな地域にわたる遺伝学と考古学の記録を比較することによって、イランの古代人口集団における、遺伝的差異や、連続性と変化の可能性や、近隣の人口集団(たとえば、コーカサス南部やアジア中央部南方)とのつながりを解明することです。本論文の分析は、交易などヒトの移動や歴史的出来事や文化間の相互作用が、経時的にペルシア高原の人口集団の遺伝的構成に影響を及ぼしたのかどうか、どのように影響を及ぼしたのか、調べることを目指します。


●標本と手法

 50点のヒトDNA標本の最初の検査と浅いショットガン配列決定に基づいて、5点の標本が直接的なより深いショットガン配列決定の基準に合格し、約0.20倍~1.11倍のゲノム平均網羅率のゲノムが得られました(全標本の平均網羅率は0.61倍)。124万パネル[28]から検出されたSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)の数は、189000~741000ヶ所の範囲でした(平均では462000ヶ所)。

 当初、他の標本のゲノムとミトコンドリアゲノムの捕獲には、「MyBaits Arbor Complete」パネルが用いられました。しかし、この手法の批判的な再調査に従って、結果を検証するために、7事例においてTwist捕獲で標的濃縮が繰り返されました。合計で8点の標本が「MyBaits Arbor Complete」捕獲で処理され、124万SNP一式から平均して164000ヶ所のSNPが検出されました。Twist捕獲標本については、平均で182000ヶ所のSNPが網羅され、そのSNPの範囲は11000~77万ヶ所です。最後に、ゴハル・テペ(Gohar Tepe)遺跡とメルシン・チャル(Mersin Chal)遺跡とリアルサンボン遺跡とヴェステミン遺跡とカルマカレ(Kalmakareh)遺跡の標本で、ミトコンドリアゲノムの分離後に、14点のミトコンドリアゲノムが配列決定されました(表1)。mtDNAの平均網羅率は44.57倍でした。

 BREADR(Biological Relatedness from Ancient DNA in R、Rでの古代DNAからの生物学的近縁性)パッケージを用いて、全ゲノムデータの標本間の親族関係が評価され、比較個体間で充分なSNP重複のある近縁性は見つかりませんでした。唯一の例外は、リアルサンボン遺跡の遺伝学的に同一/【一卵性】双生児の個体の組み合わせです【IRN23とIRN25】。考古学的記録から、この2個体は【一卵性】双生児と確証されます。

 イランの新たなゲノム規模のデータセットにおいて親子関係の可能性を分析すると、異なる考古学的遺跡の個体間のさまざまな同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の兆候が検出されました。リアルサンボン遺跡の個体IRN22は最も高いROHで際立っており、高度の近親交配を示唆する、20 cM(センチモルガン)超の長い同型接合連続領域によって特徴づけられており、これは両親が1親等もしくは2親等の親族だったことに起因する可能性が高そうです[33]。対照的に、ゴル・アフシャン・テペ(Gol Afshan Tepe)遺跡の個体IRN24、メルシン・チャル遺跡の個体IRN57、リアルサンボン遺跡の個体IRN23、ヴェステミン遺跡の個体IRN02が最小限のROHを示すのに対して、他の個体はほぼまったくROHを示さず、より非近交系の祖先系統と相対的に大きな配偶集団が示唆されます。

 本論文のデータセットを、この種の以前の分析と比較すると、近親婚の兆候は、ガンジュ・ダレー遺跡やテペ・アブドゥル・ホサイン(Tepe Abdul Hosein)遺跡やウェズメー(Wezmeh)遺跡などより広い前期新石器時代のイラン高原と、ナマズガ(Namazga)遺跡やパルハイ(Parkhai)遺跡など銅器時代の遺跡を含めてトルクメニスタン地域では、散発的にしか存在しない、と推測されます。小さな有効人口規模の証拠は、銅器時代から鉄器時代のイラン高原のテペ・ヒッサール(Tepe Hissar)遺跡とシャー・テペ(Shah Tepe)遺跡とディンカ・テペ(Dinkha Tepe)遺跡とハサンル(Hasanlu)遺跡や、BAトルクメニスタンの遺跡においても明らかです。本論文では、利用可能なイランとトルクメニスタンの先史時代のデータセットを検討して、有効人口規模は新石器時代から鉄器時代にかけて経時的に増加し、新石器時代の配偶集団はその後の期間よりも3~6倍小さかった、と結論づけられました。


●イラン高原における母系の通時的な概要と頻度に基づく比較

 本論文が把握している限りでは、中石器時代から中世にまたがる127点の古代のミトコンドリアゲノムが、イラン高原の20ヶ所の考古学的遺跡から以前に刊行されました。3通りの異なる実験手法から得られた本論文の新たなmtDNAの結果(23点)が、これらのmtDNAデータと統合されました。組み合わされたデータセットによって、この地域における23系統の異なる母系の大ハプログループの特定が可能となりました(図2A)。以下は本論文の図2です。
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 これら古代のハプログループのかなりの割合(全体で70%)はより遍在するユーラシア西部系統に相当し、たとえばUやRやJやHやHVやTなどで、これらのハプログループは現代イラン人の母系遺伝子プールでもより一般的です。一般的に、先史時代と歴史時代の両方で、イラン高原ではこれらの母系の優勢が検出されます。新石器時代から銅器時代は母系の水準では青銅器時代(BA)との連続性を示し、青銅器時代にはいくつかの新たなmtHgの出現とともに変異性増加を示します。この傾向はシャフレ・ソフテ遺跡のデータセットにおいて明らかで、青銅器時代後には、LやMやR5やT112と、追加のユーラシア東部系統(A、B、C、D、F、R、U6、Y、Z)の到来が含まれます。本論文の調査結果は、人口移動性の増加に関する以前の考古学的説明と一致します。イラン北西部鉄器時代の標本一式[12、13]はユーラシア西部系ハプログループが優勢ですが、鉄器時代には、イラン高原へのアジア東部系のハプログループDの到来も見られ、具体的にはカズビーン(Qazvin)州のサグザーバド(Sagzabad)遺跡です。これらのパターンは銅器時代から青銅器時代におけるトルクメニスタン南部のmtDNA遺伝子プールと一致しており(例外はmtHg-L)、トルクメニスタン南部は地理的および文化的にイラン高原東部とつながっていました。歴史時代の標本一式のmtHgでは、J1が多く、ユーラシア東部系が欠如しています。

 mtDNAの第一超可変領域のデータセットに由来する母系ハプログループ頻度で、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。本論文のデータは、現代イラン人の19集団(1498点)と、イランのさまざまな期間の一部の代表的な古代人集団からの標本から構成され、具体的な古代人集団は、前期新石器時代のガンジュ・ダレー遺跡、銅器時代のテペ・ヒッサール(Tepe Hissar)遺跡、青銅器時代のシャフレ・ソフテ遺跡、鉄器時代のハサンル(Hasanlu)遺跡、イラン北部のメルシン・チャル(Mersin Chal)遺跡とリアルサンボン遺跡とヴェステミン遺跡の新たに分析された歴史時代の標本です。

 本論文のmtDNA解析は、青銅器時代のシャフレ・ソフテ遺跡標本と他のイランおよびアルメニアの古代人集団との間の主成分1(PC1)に沿った明確な境界を明らかにします(図2B)。新たな歴史時代の標本が前期新石器時代のガンジュ・ダレー遺跡標本とともにクラスタ化する(まとまる)のに対して、銅器時代のテペ・ヒッサール遺跡標本と鉄器時代のハサンル遺跡標本は、mtDNAのPCAでも近くに位置します。注目すべきことに、一部の現代のイラン人集団は主成分2(PC2)に沿って本論文の歴史時代の標本、とくにアルメニア人およびロル人と一致し、これらの個体群は、同様の頻度のハプログループHおよびHVと、ハプログループKおよびJ1の頻度増加を共有しています。カルマカレ(Kalmakareh)遺跡の中世の新たな標本一式は、現代にまで至るロレスターン(Lurestan)州のmtHg-NおよびHV系統の局所的な連続性を論証しており、ロレスターン州では、イランのバフティヤーリー(Bakhtiari)の遊牧民(mtHgの頻度はNが51%、HVが15%)は過去800年間共住していた、と記録されてきました。ミトコンドリアの遺伝子プールの傾向は、補足情報第10章に詳しく説明されています。


●Y染色体ハプログループの分布

 この地域の父系のゲノム組成の概要を得るために、新たなY染色体の結果(7点)が、イランの13ヶ所の異なる考古学的遺跡に由来する、以前に刊行された中世から歴史時代の男性のデータ(61点)と組み合わされました。古代イランの人口集団におけるY染色体の差異は、おもにハプログループJ・G・L・R・Tで構成されています。後期銅器時代(テペ・ヒッサール遺跡)と青銅器時代(シャフレ・ソフテ遺跡)の遺跡で検出されたアジア南部の大ハプログループHの存在は、インドとイランの国境地帯に特徴的な以前に報告避けた地域間の相互作用[12、13]と一致します。Y染色体ハプログループ(YHg)G・J・P1・R2は、早くも中石器時代と新石器時代にはペルシア高原およびその周辺地域に存在していました[5、7、12、13]。

 本論文の調査結果は先行研究と一致しており、これらの系統が何千年もこの地域に存在してきたことを示唆しています。YHg-J1は2万年前頃のペルシア高原の西部を含むある地域に起源があった、と広く考えられています[13]。イランでは、YHg-J1は北西部のハサンル遺跡およびディンカ・テペ(Dinkha Tepe)遺跡で青銅器時代にたどることができます[13]。ペルシア高原におけるYHg-J1の存在は今では、新たに分析された標本によって歴史時代にまで拡張されます。YHg-J2は、ペルシア高原の北西部および西部を含むある地域で31600年前頃に形成された、と考えられています。イラン高原では、YHg-J2の頻度は新石器時代以降に増加しているようで、青銅器時代に頂点に達し、歴史時代には比較的高頻度で安定しており、イラン高原の西側の地域とのより大きな相互作用に起因するかもしれません[7、12、13]。新たに分析されたデータセットは、補足情報第10章でより詳しく見ることができます。


●イラン高原における新石器時代から歴史時代までの人口集団のゲノムの傾向

 新たなイランの標本一式を刊行されているユーラシアの古代人および現代人集団と比較するために、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)ヒト起源(Human Origins、略してHO)データセット第54版の、古代および現代のユーラシアとアフリカ北部の標本にゲノムPCAが適用され、他の関連する刊行されているデータセットで補完されました。AADRの124万およびHOデータセットと他の刊行されている古代の個体群の部分集合で、f₄統計とqpAdmが実行されました。手法で説明されているように、この統合されたデータセットの部分集合(3913個体)でADMIXTUREが実行され、その結果は図3に示されています。以下は本論文の図3です。
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 「Daicel Arbor Prime Plus」捕獲データのアレル(対立遺伝子)の偏りに関する先行研究による観察に基づき、同じ個体と集団の異なる捕獲データが別々に扱われ、それらを用いてアレル共有分析の照合確認が行なわれました。イランとアジア中央部南方の参照標本は完全に124万もしくはショットガンデータで構成されているので、「Daicel Arbor Prime Plus」参照と標的データとの間の潜在的な偽りの類似性は予測されませんでした。本論文のデータセットで実行されたPCAとADMIXTUREとD統計とf₃およびf₄統計を考慮して、「Daicel Arbor Prime Plus」とTwistの捕獲は、結果の解釈に影響を及ぼすかもしれない大きな不一致をもたらさなかった、と結論づけられます。しかし、これらの標本についてqpAdmモデルでは違いが観察されました。

 ゲノムPCAでは、古代人標本がユーラシア現代人のデータセットの部分集合に投影されました。古代ユーラシアの絹の道(シルクロード)内およびその周辺の地域に居住する古代人および現代人集団間では顕著な違いが観察され、シルクロードは地中海へと向かってイラン高原も横断していました。PC1に基づくと、本論文と関連する二つの明確な勾配が観察され、それは、(1)コーカサス/イランとアジア中央部の人口集団との間に伸びる草原地帯南部勾配[19]と、(2)アジア西部とアジア南部との間に伸びるインダス終焉勾配[12]です。イラン高原の古代および最近の人口集団はPCA図の中心部と底部から中心部で、コーカサス南部集団とともにまとまりました(図3)。

 次項では、イランの先史時代と歴史時代のデータセットの包括的な概要が提供され、さまざまな集団遺伝学的手法を通じて、大きな遺伝的傾向が浮き彫りになります。最初の2主成分は、イランの中石器時代および前期新石器時代標本を、すべての他の古代人および現代人標本とは異なるものと位置づけており、以前にはイラン前期新石器時代個体と単系統群を形成する、と主張されたCHG[13]とさえ異なる、その独特な基礎的な組成が示唆されます。先行研究はテペ・アブドゥル・ホッセイン(Tepe Abdul Hossein)遺跡やウェズメー遺跡の個体のようなENイラン集団について、そのモデル化では、CHG[13]もしくはENガンジュ・ダレー遺跡個体を混合していない供給源として用いて、相互に均質と説明しました[12]。本論文は、ENガンジュ・ダレー遺跡個体とCHGの両方を、イラン高原のその後の人口集団の適切な在来供給源として検討します。教師有ADMIXTUREでは、CHGは以前に定義されたガンジュ・ダレー遺跡個体関連およびANE関連の構成要素を有している、と観察され、これは先行研究[15]と一致します。したがって、本論文の分析においてペルシア高原に出現するANE関連構成要素の一部は、CHG関連祖先系統に由来するかもしれないことに要注意です。その後の分析では、ENガンジュ・ダレー遺跡個体とCHGとの間の差異の可能性や、ペルシア高原のCHG関連構成要素が検証されました。本論文では、その寄与は地理的に異なるものの、現在のデータセット内では別々に定量化できる(f₄統計とqpAdm)、と結論づけられます。

 同じ教師有ADMIXTURE分析では、レヴァントのナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)と先土器新石器時代個体群の祖先系統組成は、20~25%のENガンジュ・ダレー遺跡個体的祖先系統と66~78%のANF祖先系統とによって表される、と観察されます。これは、ペルシア高原に存在する一部のレヴァント祖先系統が、これらの構成要素内で隠されている可能性を示唆しています。その後の分析では、これらの限界が考慮に入れられました。


●新石器時代から銅器時代への移行期におけるイラン高原の遺伝的構造

 ザグロス山脈の東側山麓に位置する紀元前五千年紀のゴル・アフシャン・テペ遺跡の新たな前期銅器時代男性1個体のゲノムが調べられ、この個体はイランの他の全ての刊行されている銅器時代個体のゲノム[5、12]に先行します。教師有ADMIXTUREでは、この男性個体は、すべてザグロス山脈中央部地域に位置するガンジュ・ダレー遺跡やウェズメー遺跡やテペ・アブドゥル・ホッセイン遺跡(図1)の人口集団と関連するEN農耕民の子孫だった、と示唆されます。PCAでは、ゴル・アフシャン・テペ遺跡の1個体はより西方の祖先系統特性へと動いています。f₄統計では、この男性個体はCHGやハッジ・フィルーズ(Hajji Firuz)遺跡やLNハッジ・フィルーズ(Hajji Firuz)遺跡個体や銅器時代のテペ・ヒッサール(Tepe Hissar)遺跡個体や(Seh Gabi)遺跡個体よりも、ENガンジュ・ダレー遺跡個体の方と多くの遺伝的浮動を共有しており、ENイランの構成要素がこの地域ではCHGやよりも可能性の高い供給源だったことを示唆しています。

 イランの新石器時代個体群では、ゴル・アフシャン・テペ遺跡の1個体とENガンジュ・ダレー遺跡個体および新石器時代のテペ・アブドゥル・ホッセイン遺跡個体との対でのアレル共有が、有意に異なっています。それにも関わらず、ゴル・アフシャン・テペ遺跡の1個体は、イラン高原の他の新石器時代および銅器時代集団では、ガンジュ・ダレー遺跡およびテペ・アブドゥル・ホッセイン遺跡個体と最も多くのアレルを共有しています。遺伝学的結果と一致して、かなりの文化的連続性が新石器時代から銅器時代の文化的移行期に検出されてきました。バクーン(Bakun)文化期のゴル・アフシャン・テペ遺跡は、半定住的に使用されました。埋葬様式に記録されている儀式と、人為的な頭蓋変形の一般的な慣行は、ゴル・アフシャン・テペ遺跡の男性個体でも観察されており、ザグロス山脈中央部の前期新石器時代のアリ・コシュ(Ali Kosh)遺跡で類似点が見つかっています。さらに、ゴル・アフシャン・テペ遺跡と同時代の、人為的な頭蓋変形および他の文化的類似性の多くの事例が、ザグロス山脈南部のチェガー・ソフラー(Chega Sofla)遺跡で報告されてきました。これらの調査結果は、ザグロス地域およびその周辺における長期の文化的および生物学的連続性を示唆しています。

 教師有ADMIXTUREでは、ゴル・アフシャン・テペ遺跡およびテペ・アブドゥル・ホッセイン遺跡の個体において、約8~10%の追加のAHG構成要素が観察されます。この新石器時代のわずかな差異は、f₄統計でテペ・アブドゥル・ホッセイン遺跡を用いても特定され、図4B・Cで示されており、将来の研究で調査の価値がある、さらなる祖先の新石器時代の前もしくは新石器時代の遺伝的要素を示唆しています。シャフレ・ソフテ遺跡の遺伝的な2集団間のアレル共有を比較する、D形式(ゴル・アフシャン・テペ遺跡個体、テペ・アブドゥル・ホッセイン遺跡個体、シャフレ・ソフテ遺跡BAの1号および2号集団、ムブティ人)のD検定などの統計から、この差異がインドとイランの境界地帯からの遺伝子流動ではなく、先史時代のりイラン高原内の未確認の遺伝的多様性を反映している、と示唆されます。この多様性は、イラン高原北西部およびコーカサス南部から、イラン高原東部の地域的差異のほとんどを区別するようです。以下の分析では、ゴル・アフシャン・テペ遺跡個体に適合するいくつかの2方向および3方向遠位qpAdmモデルは代理供給源としてAHGを必要とする、と論証されます。しかし、ゴル・アフシャン・テペ遺跡個体はAHG関連構成要素なしでもモデル化できます。以下は本論文の図4です。
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 局所的な前期新石器時代からの連続性の優勢の他にも、イラン北西部の後期新石器時代~銅器時代の以前の証拠[12、13]に加えて、レヴァント/ANF関連構成要素の東方への拡大も、紀元前五千年紀のゴル・アフシャン・テペ遺跡の1個体で観察できます。この個体は、同じザグロス地域の新石器時代のイランのゲノムと比較すると、ANFとのアレル共有の顕著な過剰を示します。一連のqpAdm検定は、ANF(17%の寄与でモデル化)、もしくはマシス・ブルール(Masis Blur)遺跡やアナシェン(Aknashen)遺跡など新石器時代アルメニアや、後期新石器時代のハッジ・フィルーズ(Hajji Firuz)遺跡および銅器時代のイスラエルの個体など、ゴル・アフシャン・テペ遺跡個体におけるENガンジュ・ダレー遺跡個体的な構成要素への追加の祖先系統を示唆しており、これらはすべて有意なANF祖先系統も示します。全体的に、これらは新石器時代イランの遺伝子プールへの西方からの流入の初期の混合事象を示しています。

 f₄統計では、イラン高原の各参照集団はナトゥーフィアンおよび先土器新石器時代のレヴァント集団とよりもANFの方と多くのアレルを共有している、と把握されます。イラクのPPNA(先土器新石器時代A)個体は、銅器時代の前のレヴァントもしくはENガンジュ・ダレー遺跡個体とよりも、ANFの方と多くのアレルを共有しています。一方で、イラン高原およびその周辺地域の古代人集団については、ANF関連祖先系統(トルコ_N)およびレヴァント関連祖先系統(ヨルダン_PPNB)とのアレル共有における相関的な増加が論証されます(図4D)。これらの調査結果から、両祖先系統【ANF関連祖先系統とレヴァント関連祖先系統】を組み合わせた特性の流入が示唆されます。この証拠は、ガンジュ・ダレー遺跡やハッジ・フィルーズ遺跡やバクーン遺跡の発掘地域のようなザグロス地域の住民と、シリアのレヴァント共同体との商業的交流と一致します。これらの相互作用は、新石器時代から銅器時代の層準にさかのぼる数値的なトークン(小型粘土製品)の使用によって証明されます。本論文は(先行研究[13]と本論文の妥当なqpAdmモデルに基づいて)、追加の高網羅率の比較データが利用可能になれば、潜在的なレヴァントからの流入の量と方向性が将来の研究でより適切に特徴づけられるかもしれない、と認識しています。

 イランおよび周辺地域の古代人集団の相関アレル共有は、時間的差異にも関わらず地域的パターンを示し、ANFおよびレヴァント構成要素との共有は東方から西方にかけて増加します(図4D)。教師有ADMIXTURE分析とまとめると、これは新石器時代のイラン祖先系統とANA祖先系統の長期の東西の遺伝的勾配を論証します[13]。たとえば、これはイラン北東部地域において、700km以上離れており、異なる期間の2ヶ所の銅器時代遺跡を通じて観察できます。テペ・ヒッサール遺跡集団(紀元前3600~紀元前2000年頃)は、教師有ADMIXTUREととf₄統計で示されるように(図4A)、約27%のANF関連祖先系統とを有しているセー・ガビ遺跡(紀元前4800~紀元前3700年頃)など銅器時代のイラン西部集団と比較して、より低い割合(約7%)のANF関連祖先系統より高い割合のENガンジュ・ダレー遺跡個体的な構成要素を示します。この増加は、テペ・ヒッサール遺跡やセー・ガビ遺跡個体よりもさらに高水準のANF関連祖先系統を有している、ハッジ・フィルーズ遺跡やハサンル遺跡やディンカ・テペ遺跡など、後期新石器時代~青銅器時代のイラン北西部の遺跡でも観察されます(図3A・B)。


●ペルシア高原の銅器時代および青銅器時代集団の遺伝的関係

 中石器時代から前期新石器時代の祖先系統は、イラン高原とアジア中央部南方の銅器時代から青銅器時代の古代人のゲノムにおける主要な基盤を形成します。イラン東部の青銅器時代のシャフレ・ソフテ遺跡1号集団は、その代表者における高い割合のENガンジュ・ダレー遺跡個体的な祖先系統(ADMIXTUREとf₄統計では最大で65%)と、ANF祖先系統の欠如を示します。紀元前3400~紀元前2800年頃となるパルハイ(Parkhai)遺跡やナマズガ(Namazga)遺跡やジオクシュール(Geoksyur)遺跡など、トルクメニスタン地域の最古級の銅器時代標本における顕著なENガンジュ・ダレー遺跡個体的な祖先系統(ADMIXTUREでは約70%)は、イラン高原との強いつながりを示唆しています。これらの個体のゲノムでADMIXTUREを通じて観察されるANE関連祖先系統は、先行研究[12]と本論文のf₄統計(図4C)でのアジア中央部南方におけるこれらの構成要素の検出と一致します。

 考古学的証拠は、まだ遺伝学的標本抽出されておらず、現代のトルクメニスタンの領域に居住していたジェイトゥン(Jeitun)文化人口集団を通じて、早くも前期新石器時代におけるペルシア高原内の相互作用を示唆しています。ジオクシュール遺跡とゴヌル・ペ(Gonur Tepe)遺跡遺よって表されるトルクメニスタンの刊行されている銅器時代および青銅器時代集団と、サパッリ・テペ(Sapalli Tepe)遺跡とブスタン(Bustan)遺跡によって表されるウズベキスタンの銅器時代および青銅器時代集団は、イランの銅器時代のテペ・ヒッサール遺跡個体や青銅器時代のシャー・テペ(Shah Tepe)遺跡個体や青銅器時代のシャフレ・ソフテ遺跡1号集団と強い遺伝的類似性を示します[12、14]。

 ウズベキスタンのサパッリ文化は紀元前三千年紀前半から紀元前二千年紀半ばまで存続し、青銅器時代のトルクメニスタン(ナマズガ遺跡の5期および6期)およびイラン(シャフレ・ソフテ遺跡とテペ・ヒッサール3遺跡)と物質文化で密接に関連しており、この地域で観察される遺伝的均質性を反映しています。一方で、シャー・テペ遺跡とテペ・ヒッサール遺跡の土器伝統は、銅器時代から青銅器時代にかけての連続性を論証します。石鹸石のビーズと半貴石と在来の石刃や鋸や研磨された灰陶を含めて多くの特定の人工遺物が、イラン高原北東部と東部に位置するシャフレ・ソフテ遺跡とテペ・ヒッサール遺跡で発見されてきました。その後、これらの人工遺物はイラン高原の東西の遺跡全域に広く分布し、これら2ヶ所の遺跡【シャフレ・ソフテ遺跡とテペ・ヒッサール遺跡】が地域間の相互作用を促進した産業の中心地として機能した、と示唆されます。注目すべきことに、シャフレ・ソフテ遺跡は人口集団の多様性増加も示しており、おそらくはその役割と一致もしくは相関します(図3B)。


●イラン高原北部の歴史時代における安定性

 CHGおよびENイラン祖先系統は先史時代末までに混合していき、さまざまな期間にわたる観察と一致します[13、14、52~56]。これらの祖先系統は本論文の教師有ADMIXTURE分析では、イラン高原北西部の鉄器時代集団(ハッジ・フィルーズ遺跡、ハサンル遺跡、ディンカ・テペ遺跡)において約45~51%の水準で存続します。さらに、これらの祖先系統は、メルシン・チャル遺跡やリアルサンボン遺跡やヴェステミン遺跡のハカーマニシュ朝期からサーサーン朝期の埋葬まで歴史時代において、イラン高原北部で一貫して優勢なままでした。これらの個体のほとんどは、個体と集団の両方に基づくqpAdmモデル(組み合わされたイランの歴史時代集団)において、単一の供給源としてCHGでモデル化できます。しかし、リアルサンボン遺跡個体群は追加の西方構成要素を必要とします(16~26%のANFかアルメニアか銅器時代イスラエル関連祖先系統)。この調査結果は、f₄形式(ルシン・チャル遺跡個体、リアルサンボン遺跡個体、ANF、ムブティ人)の有意に負のf₄結果によって裏づけられ、リアルサンボン遺跡の位置がイラン高原西部に近いことと一致します。さらに、この調査結果は、ローマ期のエジプト起源の外来の人工遺物の発見によって証明される、リアルサンボン遺跡の文化的差異とも一致します(図3および図4)。

 他の可能性のある供給源人口集団を評価すると、ロシア西部のサマラ(Samara)のヤムナヤ文化のEBA集団(サマラ_EBA_ヤムナヤ)を用いての、f₄形式(CHGルシン・チャル遺跡個体、リアルサンボン遺跡個体、ANF、ムブティ人)のf₄統計とqpAdmモデルを通じて、BA草原地帯との類似性は共有されたCHG関連祖先系統のみに起因することが明らかで、そのCHG関連祖先系統は以前には、BA草原地帯共同体(本論文のデータセットではサマラ_EBA_ヤムナヤで表されます)で定義されていた[52]、と論証されます。ADMIXTUREで検出されたAHG型祖先系統は、歴史時代まで存続しました。さらに、歴史時代の個体の一部の深い祖先系統のqpAdmモデルでは、AHG(オンゲ人)構成要素が検出可能な閾値に達します。

 歴史時代の個体群(メルシン・チャル遺跡とリアルサンボン遺跡とヴェステミン遺跡)の遠位祖先系統の評価後に、より焦点を絞った手法を用いて、その近位祖先系統がモデル化されました。PCAとADMIXTUREとf₄分析(図3および図4)では、これらの集団はイラン北東部の先史時代標本や、トルクメニスタンの青銅器時代のゴヌル・テペ遺跡やサパッリ・テペ遺跡の個体と類似した祖先系統パターンを示します。これと一致して、qpAdmモデルは、先史時代のイラン北東部個体(銅器時代のテペ・ヒッサール遺跡や青銅器時代のシャー・テペ遺跡)もしくはアジア中央部南方個体(銅器時代のジオクシュール遺跡個体と青銅器時代のゴヌル・テペ遺跡1号集団で表されます)との、歴史時代の標本の共有された遺伝的祖先系統を示唆します。

 本論文の集団に基づく分析では、メルシン・チャル遺跡およびリアルサンボン遺跡集団(それぞれ2個体)などのショットガンゲノムも、同じ供給源でモデル化できます。しかし、ANF/レヴァント関連祖先系統の増加したイラン北西部の鉄器時代の構成要素の割合は、リアルサンボン遺跡個体においてより顕著です。鉄器時代のハッジ・フィルーズ遺跡個体は、全ての歴史時代の集団に妥当なモデルを提供する、唯一の追加の西方供給源です。この供給源を用いて、メルシン・チャル遺跡個体は約78%の青銅器時代シャー・テペ遺跡個体と追加の約22%の鉄器時代ハッジ・フィルーズ遺跡個体でモデル化できますが、リアルサンボン遺跡集団では、これらの量が約37%の青銅器時代シャー・テペ遺跡個体と約63%のハッジ・フィルーズ遺跡個体的な寄与でモデル化できます。イラン高原北部の歴史時代の集団の遺伝的特性が、特定の混合事象から生じたことのではなく、より広範な東西の遺伝的勾配に沿っている位置を反映している、という証拠として、これらの調査結果は解釈されます。


●中世および現代のイランの人口集団に散在する証拠

 イラン西部のカルマカレ洞窟(Kalmakareh Cave)遺跡の中世の1個体は、PCAとADMIXTUREの両方で観察されるように、ハサンル遺跡やハッジ・フィルーズ遺跡の個体などイラン高原の北西部集団、およびガンジュ・ダレー遺跡の中世の標本1点と類似した遺伝的特性を有しています。これは、f₄およびqpAdmの結果と組み合わせると、経時的なイラン高原西部におけるイラン新石器時代祖先系統の減少を示唆しています。一方で、新たに刊行された個体の遺伝的祖先系統のほとんどはqpAdmでは、単一の供給源としての鉄器時代ハッジ・フィルーズ遺跡個体もしくは鉄器時代ハサンル遺跡個体(約80%)と北方供給源(たとえば、イラン高原北東部のシャー・テペ遺跡個体の約20%の混合)など、イラン高原なおける上述の鉄器時代の多様性でモデル化できます。イラン南西部の刊行されている古代の個体群の欠如は、地域的な遺伝的祖先系統へのさらなる調査を制約します。

 PCAでは、現代イラン人はイランの先史時代および歴史時代の差異の大半と一致しますが、先行研究[12]によって青銅器時代において以前に報告されたインダス終焉勾配の特徴を示しません。PCAでともにまとまることに加えて、イランのマザンダラン人(Mazandarani)およびファル人(Far)集団もHOデータセットで実行されたqpAdm分析で、異なる割合にも関わらず、同様の人口モデルを示します。現代イラン人の遺伝的差異の形成のより深い理解には、さらなる中世および現代のゲノム規模標本集団が必要です。


●まとめ

 本論文では、イラン高原の以前には研究されていない地域からの新たな古代のミトコンドリアゲノムおよびゲノム規模データが報告され、とくらカスピ海の南方のイラン高原北部地域に焦点が当てられています。本論文は、古代イラン人口集団の遺伝的歴史へのいくつかの洞察を明らかにし、アジア西部の利用可能な古代DNAデータの包括的な概要を提供しました。

 新たなデータセットで、主要な祖先系統供給源の影響が調べられました。ANFおよびレヴァント関連の常染色体祖先系統を有するENイラン祖先系統の先史時代の東西の勾配について、以前の結果が再現されました。この勾配は、歴史時代までイラン高原の人口集団に永続的な影響を及ぼしました。ANFと新石器時代レヴァント両方とりアレル共有は、この勾配の西方に向かって増加しました。イラン高原の古代人におけるCHGとENガンジュ・ダレー遺跡個体的祖先系統の異なる二重祖先系統パターンも考察されました。さらに、イラン新石器時代農耕民における以前には報告されていなかった(AHG的な)祖先系統の兆候が蜜管理、これはイラン高原の人口集団を、同時代のコーカサス南部人などより西方の集団から区別した可能性が高そうです。これらの観察は、イラン高原における長期の遺伝的傾向を示唆します。

 本論文で提示されたイラン南西部の新たな前期銅器時代のゲノムは、前期新石器時代イラン農耕民とのより密接な一致を示し、西部および北西部の近隣地域の他の新石器時代集団からの追加の寄与があります。この調査結果から、主要な連続性だけではなく、イラン西部地域が近隣地域との接触を維持し、新石器時代から銅器時代への移行の初期段階におけるイラン高原への西方祖先系統の到来を促進したことも示唆されます。

 イラン北部の歴史時代の標本における強いイラン新石器時代およびCHG期倍が論証され、イラン北部ではこれらの遺伝的構成要素が中世の後の時代まで存続しました。イラン北東部には広範なヒトの移動を促進した絹の道(シルクロード)の一部が含まれているにも関わらず、イラン北東部における銅器時代と青銅器時代から歴史時代までの連続性が確証されました。青銅器時代草原地帯祖先系統は、イラン北部では歴史時代には比較的低い割合のままでした。代わりに、イラン高原北部の歴史時代には、トルクメニスタンやイラン北東部から東部の銅器時代および青銅器時代の共同体との強い遺伝的類似性が示され、本論文の分析では、説明されたアジア南西部勾配の一部として均質な集団が形成されました。鉄器時代の唯一の利用可能なゲノムはトルクメニスタンから発見されており、イラン高原北東部の鉄器時代個体のゲノムはないので、この地域の動態の調査、とくに青銅器時代後に2地域間の接触が維持されたのか中断されたのか判断するには、さらなる標本抽出が必要です。

 現時点ではイラン高原で利用可能な中世のゲノムは2点だけですが(1点は本論文で刊行されます)、そのデータから、イラン古代人の遺伝子プールの大半は何世紀にもわたって安定したままで、現在のイランの人口集団ではわずかな変化が観察される、と示唆されます。これは、何千年にもわたる持続的な遺伝的差異を示唆しています。注目すべきことに、イラン高原がメソポタミアやレヴァントやコーカサスやアナトリア半島との外部交流に曝されたにも関わらず、中世のイラン南西部の遺伝的遺産の少なくとも半分は新石器時代のイラン農耕民に由来し、鉄器時代イラン人を通じて伝わった可能性が高そうです。これは、歴史的な移住および文化的変化に直面してさえの、この地域の住民の遺伝的安定性を浮き彫りにします。

 新たに刊行されたデータセットでは、Y染色体とミトコンドリアのハプログループが報告され、これらは古代イラン高原の周辺で進化し、古代のゲノムデータベースでは依然として稀です。これらは利用可能な古代人および現代人のデータと比較され、この地域における片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)祖先系統の長期の連続性が示されました。

 まとめると、本論文は、古代イラン人口集団の遺伝的特徴およびつながり理解を深める、新たな証拠を提供しますが、その内部の多様性を解明するには、さらなる包括的な標本抽出が依然として必要です。


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この記事へのコメント

2025年05月19日 05:36
Y染色体ハプログループRとQの親(P?)が発生した地域は東南アジアであるのだろうか、それとも中央アジアやイランであるのだろうか?

部外者視点だと、RとQの親(P?)がどこから来たのかがあまりはっきりしていないように感じる。まだ、標本数が足りなくて、確定していないだけであるのかもしれないが..。英語圏のネットを見ると、意見が結構割れているように見える。
管理人
2025年05月19日 07:29
更新世においてユーラシア東方から西方へのY染色体ハプログループの大規模な移動があった、と推測した研究を以前に当ブログで取り上げましたが、父系以外の遺伝学的証拠や他分野の証拠と整合的ではないように思います。

人類の移動と混合は複雑で、完新世においてさえ人口置換が珍しくなかった、と明らかになりつつあることも考えると、父系に関しても古代DNAで確実に裏づける必要がある、と考えています。
2025年05月19日 07:46
なるほど。回答ありがとう。俺にとっては管理人さんの回答それ自体も難しかった(失礼!)。

遺伝学の発達により、人類の移動の一部が明らかになりつつあるように思えるが、過去を探ることは未来予想とは異なる難しさがあるように感じる。