家畜ヒツジの遺伝的起源

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、家畜ヒツジ(Ovis aries)の遺伝的起源に関する研究(Daly et al., 2025)が公表されました。ヒツジは家畜化を通じてヒト社会に重要な資源を提供してきており、最も象徴的なのは織物製作のための羊毛ですが、ヒツジの起源は依然として完全には解明されていません。この研究は、12000年間にまたがるユーラシアの家畜および野生ヒツジの標本から118点の古代ゲノムを配列決定しました。その結果、新石器時代のトルコ(Türkiye、テュルキエ)の集団は現代の家畜ヒツジの基底系統を表している可能性が高いものの、草原地帯由来集団など他の野生変種が現代の集団に大きな多様性をもたらした、と分かりました。本論文は、ヒツジの家畜化に役割を果たし、ヒトの移動とのいくらかの類似の可能性を明らかにする、複雑な動態の一部を調べ、家畜ヒツジの遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が複数の集団に由来することを示します。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●要約

 家畜ヒツジの起源と前史は完全には理解されておらず、この問題に取り組むために、ユーラシア全域から標本抽出された12000年間にまたがる118個体の古代ゲノムからデータが生成されました。トルコ中央部の紀元前8000年頃のゲノムはヒツジの家畜化の起源に遺伝的に近いものの、その後の集団の祖先系統を完全には説明せず、野生祖先系統の寄せ集めが示唆されます。ゲノムの痕跡は、色素沈着パターンや角の有無や成長速度についての古代の牧畜民による選択を示唆しています。最初のヨーロッパのヒツジの群れはトルコに由来しますが、古代人のゲノムの発見と顕著に類似して、青銅器時代における西方草原地帯関連祖先系統の大きな流入が検出されました。


●研究史

 FAO(Food and Agriculture Organization of the United Nations、国際連合食糧農業機関)によると世界中で12億頭を数えるヒツジは当初、トルコからイラン東部にかけて生息していたアジアのムフロン(Ovis gmelini)から家畜化されました。肉や皮や脂肪とともに、乳や糞などその生涯の(二次)生産物はヒト社会において大きな役割を果たしてきました。とくに羊毛は需要の大きな産物で、温かく、通気性があり、耐水性のある織物の新たに発見された供給源で、紀元前四千年紀から紀元前三千年紀のアジア南西部およびその後の青銅器時代のヨーロッパにおける初期の複雑な社会の経済と深く結びついていました。

 ヒツジの管理と畜産の起源は、紀元前九千年紀半ばの肥沃な三日月地帯北部にたどることができます。ユーフラテス川上流域とトルコ中央部の前期新石器時代遺跡群では、自然の狩られた遺骸群と比較しての、遺跡内での種組成や年齢構成や食性や骨の病態の出現や胎児と新生児の証拠と漸進的な大きさの縮小などを通じて、動物遺骸がヒトとヒツジとの間の新たな関係の出現を明らかにしています。その千年後、ヤギの牧畜はアジア南西部より広範な定着し、より小型で、表現型的に家畜化されたヒツジが、野生ヒツジの自然の分布を大きく超えた景観に生息しました。

 ヒツジの起源と拡散と進化を調べるために、12000年間にわたる古代のヒツジのゲノム118点が新たに配列決定され(図1A)、その平均網羅率は0.85倍(0.01~5.38倍)で、刊行されている5点の古代ゲノムで補完されました。その地理的範囲はモンゴルからアイルランドにまで広がり、アジア南西部(70個体)にとくに焦点が当てられます(図1B)。これら古代のヒツジは、イランの12頭のムフロンやイランの4頭のウリアル(Ovis vignei)など、アジアやヨーロッパやアフリカの57頭の家畜化されたヒツジを含めて、現代のヒツジのゲノムとともに分析されました。以下は本論文の図1です。
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●古代の野生ヒツジのゲノムは肥沃な三日月地帯の東側の家畜化から遠ざかっていることを示します

 本論文の古代ゲノムのうち8点は、野生ヒツジに由来します。イランのタペ・サンギチャハマック(Tappeh Sang-e Chakhmaq)遺跡(紀元前6000年頃)のイランの3点の標本は(図1)、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とD統計とミトコンドリアDNA(mtDNA)配列における現代のウリアルとの分離によって、ウリアルと同一と証明されます。野生のユーラシアのムフロンとのゲノムの類似性がある4点の標本は、レバノンのナチャリニ洞窟(Nachcharini Cave)とトルコのキョルティック・テぺ(Körtik Tepe)遺跡に由来し、年代は紀元前一万年紀半ばです。ナチャリニ洞窟とキョルティック・テぺの標本群には、管理の個体群動態的指標が欠けており、ヒツジの管理の証拠に先行しています。最後の野生のムフロンのゲノムは紀元前8000年前頃となるイランのガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡に由来し、そこではヒツジが(同時代の飼育されているヤギとは対照的に)狩られた個体群に点手系的な個体群動態特性を示します。PCAでは、本論文の古代のデータを現代のヒツジおよび野生のヒツジ属のゲノムの枠組みに投影すると(図1C)、これらの古代の野生の標本は、主成分1(PC1)では管理されて家畜化された個体群を表す標本から明確に分離しており、これは、他の分析とともに、配列決定誤差および多様体部位の選択に関する堅牢性で検証されました。

 古代の野生ヒツジ(図1B・C)のうち、PC1上で家畜ヒツジの最も近くに位置するのは、レバノンのナチャリニ洞窟の3頭(紀元前9700~紀元前9000年頃)のより西方のムフロンのゲノムで、それに続くのが、トルコ南西部のキョルティック・テぺ遺跡の個体(紀元前9873~紀元前9453年頃)で、その次が野生ヒツジの範囲の東側へと向かっているイランのザグロス山脈のガンジュ・ダレー遺跡の個体(紀元前8279~紀元前7960年頃)です(図1C)。野生ヒツジ対家畜ヒツジの類似性内のこの階層構造はIBS(identity-by-state、同じアレルを有していること)によって裏づけられ、この階層構造では、すべての家畜ヒツジのゲノムにとって、レバノンのムフロンが最も近い古代の外群を、ガンジュ・ダレー遺跡個体が最も遠い外群を形成します。さらに、その後のイランの家畜ヒツジは、ガンジュ・ダレー遺跡のムフロンのゲノムに由来するとはモデル化できません(qpWave)。この証拠は、ヒツジの家畜化の中核地域がザグロス山脈のムフロンの生息範囲の東側から離れていたことを示しており、アジア南西部の西方起源であることと一致します。この証拠は、家畜ヒツジの表現型と管理がその後、紀元前7000年頃にアジア南西部の西方で起きた、と証明している考古動物群の記録とも一致します。対照的に、紀元前8000年頃までに、イランのヤギはすでに家畜化状態への個体群動態的および遺伝的移行を始めており、肥沃な三日月地帯の東弧における小柄な家畜2種【ヒツジとヤギ】の初期の家畜化過程が連動していなかったことを示唆しています。


●前期新石器時代のアシュクル・ヒュユク遺跡個体は基底部集団であるものの家畜の祖先系統を完全には表していません

 PC1でも飼育された個体群の標本は考古学的年代の順番に分布しており(図1C)、前期新石器時代のアシュクル・ヒュユク(Aşıklı Höyük)遺跡(紀元前8300~紀元前7500年頃)からその後の損石器時代のゲノムを経て、その後の、中世、最後には現代のゲノムにまで広がっています。ショットガンおよび全ゲノム濃縮データの混合によって表されるアシュクル・ヒュユク遺跡個体のゲノムは、家畜ヒツジの始まりの時期に近くなります。そこでは家畜の管理は、若い雄選別による殺害や住居の近くでの屠殺や堆積物の糞尿の蓄積に反映されており、家畜のその場での飼育が示唆されます。しかし、この時点でのヒツジはまだ、その後の家畜ヒツジに典型的な大きさの縮小や形態の変化を示していませんでした。IBSのある個体(図2B)もしくは時空間的なPCAクラスタ(まとまり)への分類された混合図検索を用いて、古代のヒツジの系統発生がモデル化されると、ショットガン配列決定データを用いて、ゲノム濃縮された配列決定データを除外することによって、アシュクル・ヒュユク遺跡個体は家畜ヒツジのうちで基底部の位置を保ちます。これは、その個体群が遺伝的に家畜ヒツジの起源に近いことと一致します。以下は本論文の図2です。
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 しかし、本論文の後期新石器時代の標本(本論文では紀元前6000年頃と定義されます)は、この初期トルコ中央部集団の多様性の単純な派生ではない可能性が高そうです。アシュクル・ヒュユク遺跡の後期新石器時代個体のゲノムのクレード(単系統群)の組み合わせの整合性を検証するための、野生のガンジュ・ダレー遺跡もしくはナチャリニ洞窟のヒツジのどちらかを外群としてのD統計は、ナチャリニ洞窟個体がアシュクル・ヒュユク遺跡の個体群より広範な野生祖先系統を有している、と示しますが(図2D)、さまざまなアシュクル・ヒュユク遺跡の個体での検定では、正の結果と中間的な結果と負の結果の混合が得られます。さらに、これらその後の集団は、アシュクル・ヒュユク遺跡のヒツジのみに由来する、とモデル化できません。これは、在来の野生ヒツジのゲノムが共通起源の後でその集団の歴史に組み込まれたことから生じるかもしれません。あるいは、野生の多様性のより広範な混在が創始者の家畜群を生み出し、そのすべてがアシュクル・ヒュユク遺跡の標本を表しているわけではありません。肥沃な三日月地帯の中心部であるレヴァント北部およびユーフラテス川上流域からの標本を含めて、ムフロンの自然の生息地内の追加の紀元前九千年紀の遺骸群のゲノム標本抽出が、これらの仮説を区別するでしょう。


●移動と混合が古代のヒツジ集団を形成しました

 PC空間では、西方の新石器時代のヒツジは高度に構造化されているようです(図1C)。トルコとヨーロッパの新石器時代の遺跡に由来するゲノムには、明確なクラスタ(まとまり)が存在します。対照的に、地理的にジョージアとアゼルバイジャンとイラン東部とキルギスの遺跡に分布している紀元前6000年頃のヒツジのゲノムは遺伝的に密接にクラスタ化し、この集団は以下の分析では「新石器時代東方」と呼ばれます。これら東方集団のゲノムの相対的な均質性は、対でのIBS値(図2C)およびIBSに基づく系統発生における(銅器時代のイラン個体とともに)単系統群的な関係(図2B)によって裏づけられます。

 現代の野生ヒツジのゲノムを除いてPC1とPC2が計算されると、古代および現代のヨーロッパとアジアとアフリカのヒツジにおける傾向によって特徴づけられる、差異の3極が明らかになりました(図1D)。古代の、トルコのヒツジはヨーロッパ極へと、イランのヒツジはアジアの現代集団へと、さほど顕著ではないものの、イスラエルの中世のヒツジはアフリカ集団へと向かう傾向にあり、それぞれの大陸の群れの創設における役割が示唆されます。D統計とqpAdmモデル化によって裏づけられるように、肥沃な三日月地帯のこの3ヶ所の隅のこれら別々の大陸の類似性は、古代のヤギおよびウシのゲノム[27、28]と類似しています。しかし、これらのヒツジ集団の軌跡には、追加の複雑さがあります。

 これら古代のヒツジの進化における遺伝子流動の役割を調べるために、混合図検索とTreemixを用いて系統発生的関係が調査され、要約図が構築されました(図3A)。これは最適解内で最も頻度の高い特徴を保持し、qpAdmで推定された集団混合を明示的にモデル化しました(図3B)。後期新石器時代(紀元前6000年頃)とその後の期間における主要な区分は東西間です(図1C・Dおよび図3A)。これらのヒツジの間の最古級の混合には、ボスポラス海峡西岸の後期新石器時代のイェニカプ(Yenikapı)遺跡のヒツジが含まれ、近隣のヒツジ集団と比較して、追加の低い割合(qpAdmでは17~20%、外れ値のマルマラ地域の1個体では53±16%)の東方祖先系統を示します。後期新石器時代のトルコ集団はmtDNAの多様性減少を示す、と指摘されており、創始者群が家畜化の地域から移動するにつれて起きた、移動集団ボトルネック(瓶首効果)の結果としてモデル化されます。mtDNAの多様性は、「新石器時代東方」では同様に低下するわけではありません。対でのアレル(対立遺伝子)共有の水準でのひょえかで、新石器時代のヨーロッパおよび東方集団では常染色体の多様性低下は見られましたが(図2C)、これは後期新石器時代のトルコのヒツジには当てはまりませんでした。母系と全ゲノムのパターンとの間のこの対照は、群をなす家畜ではmtDNAの多様性を不変に保つ可能性がある二次的な方向性混合(おもに雄の選択によって媒介されます)によって、少なくとも部分的には説明できるかもしれません。最初の家畜化地域から、トルコの沿岸部をおよび内陸部を通っての拡散中に、異なる経路と出来事があり、新石器時代アジア南西部内で動物の交換続いていた可能性が高そうです。以下は本論文の図3です。
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 東方集団の成立以後の不連続性の証拠はほとんど見つからず、銅器時代とその後の期間のヒツジは、「新石器時代東方」集団によって完全にモデル化でき、広範な地理的由来にも関わらず、PCAにおいて密接にクラスタ化することと一致します。逆に、ヨーロッパとトルコ中央部両方の銅器時代の個体は、新石器時代の同じ地域の個体と比較して違いを示しており、それはD統計(図3B)と教師無モデル化によって明確に示されます。トルコ中央部内では、新石器時代個体のゲノムとの不連続性において、銅器時代のギュヴェルシンカヤージ(Güvercinkayası)遺跡のヒツジは東西の祖先系統の混合を示します。ギュヴェルシンカヤージ遺跡では、彩色土器と刻印された印章と印章の刻印が、大規模で遊動的なヒツジの牧畜を行なっていた、と知られているメソポタミアのウバイド(Ubaid)文化の遺跡群とのつながりを示しています。注目すべきことに、アジア南西部のヒツジにおける東西の遺伝子流動の兆候は、物質文化とヒトの遺伝子[34]の両方と類似している、コーカサスかイランかメソポタミア北部の文化圏から西方への移動のより広範な繰り返しのパターンと共鳴します。イランもしくはコーカサス祖先系統のアナトリア半島および地中海の人口集団へのかなりの流入も銅器時代に起きており、インド・ヨーロッパ語族の基底部に位置するアナトリア語派の拡大と相関している、と推定されてきました[35]。東方からの流入はヨーロッパ南東部の銅器時代のヒツジにまで及び(最適モデルでは18.7~32.3%ですが、qpAdmではいくつかの供給源の可能性があります)、セルビア中央部のブラゴティン(Blagotin)遺跡の遺物群によって表される前期新石器時代のスタルチェヴォ(Starčevo)層準(図2A)と銅器時代との間の複数の仮定的な文化的移行と一致します。


●ヨーロッパへの草原地帯関連のヒツジの移動

 移動距離と影響の程度の両方におい、最も劇的な東方から西方へのゲノムの遺伝子移入は、青銅器時代とその後のヨーロッパのヒツジを変えたものです。教師有祖先系統モデル化と、尤度に基づく図検索(Treemix)とD統計(図3B、D得点の差異は、集団ではなく個々の新石器時代のヨーロッパのヒツジを用いることで観察されました)は、最適な供給源としてロシアのヴォルガ・ウラル草原地帯から標本抽出された後期青銅器時代のヒツジを支持します。qpAdmでは、青銅器時代以降のヨーロッパのヒツジの個々の祖先系統の44~61%は西方草原地帯関連の混合に由来する、と推定されます(図3C)。ヨーロッパへの草原地帯のヒツジの新石器時代後の移動は現代の遺伝子標識の研究と一致し、古代のmtDNAデータによって示唆されています。

 古代人のゲノミクスから得られた最も重要な調査結果の一つは、紀元前3000~紀元前2700年頃のヨーロッパにおける大規模な草原地帯起源の人口置換の強い証拠です[40、41]。こり文化的過程の枠組みにおいて、ヒツジ集団は草原地帯からヨーロッパ中央部および西部への紀元前二千年紀半ばまでの移動によって変容した、と本論文は推測します。これは、紀元前三千年紀のヤムナヤ(Yamnaya)文化、つまり、おもにヒツジを飼育し、乳製品では小柄な家畜に依存していたポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の遊動的な牧畜民の、生活様式と食性嗜好に起因した可能性が高そうです[42]。


●選択の古代の兆候とヒツジの生産形質

 先史時代にどの形質が選択を経たかもしれないのか、検証するために、最良の標本抽出とゲノム網羅率のある本論文のデータにおけるゲノムの2クラスタ(図1C)に焦点が当てられ、それは、セルビアのブラゴティン遺跡とポルジュナ(Poljna)遺跡の紀元前6000年頃の個体のゲノムに限定される新石器時代ヨーロッパ南東部個体と、青銅器時代から中世のヨーロッパのヒツジ(紀元前1400~紀元後1100年頃の個体の統合)です。6点(平均網羅率は1.37倍)と13点(平均網羅率は1.69倍)で構成されるこれら2群が用いられ、17点の現代の野生ヒツジのゲノム[44]と比較されて、ゲノム規模の領域において対でのFₛₜ(fixation index、2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数)が計算されました。これは集団分岐統計に要約されており、その中では、過剰な分岐のある5万塩基対の領域が特定され、これらの兆候は新石器時代もしくは銅器時代後の集団のそれぞれの軌跡上に配置されました。

 紀元前6000年頃の新石器時代集団につながる分岐では、10個の最も高い兆候の頂点のうち、大半には、現代のヒツジにおける表現型への影響および/もしくは選択の歴史に関する重要な証拠のある遺伝子が含まれていることは、注目されます。最も強いゲノム規模の頂点は、PDGFRA(Platelet-derived growth factor receptor A、血小板由来成長因子受容体A)遺伝子およびKIT(たとえば、複数の種において限局性白皮症につながる、選択と経路関わる遺伝子座)の近隣にあります。第4位の領域にはMC1R(melanocortin-1 receptor、メラノコルチン1受容体)遺伝子が含まれ、この遺伝子にも複数の研究で毛色と関連する差異がある、とされています。これは、ヒツジ飼育の最初の2000年間のうちに、古代のヤギのゲノムの結果[27]を反映して、牧畜民には毛色と模様について強い選好があったことを示唆しています。これは、共同で飼育された群の中での識別に役立ったか、行動の多面発現から生じたか、装飾もしくは織物製作の価値を反映していたかもしれませんが、動物由来の織物の体系的な使用は後の期間までありませんでした。あるいは、家畜動物には強い象徴的および審美的価値があり、牧畜民は単純に美しくて珍しい形質を好んだのかもしれません。他の外れ値の新石器時代の兆候には、成長率に関するGHR(growth hormone receptor、成長ホルモン受容体)や、羊毛の形態に関するSHCBP1(Shc SH2-ドメイン結合タンパク質1)や気候適応に関するTBC1D12の初期の選択を示唆する遺伝子が含まれます。


●その後の古代ヨーロッパにおける選択

 青銅器時代までに、ヒツジはヨーロッパにおいてより中心的な経済的に役割を果たし始め、それは、より大きな品種やより高い割合の角のない個体や重要な織物および交易品としての羊毛の出現によって論証されます。後期銅器時代のヨーロッパ系統において、最強の兆候には角の形態と角のない形質の主要な決定因子である、RXFP2(Relaxin/insulin-like family peptide receptor 2、レラキシン/インシュリン様族ペプチド受容体2)が含まれます。羊毛の形質の遺伝子座と関連する強く外れた兆候は見つかりませんでしたが、ゲノム領域の上位1%以内のいくつかの発生は、より拡散した選択過程と一致するかもしれません。これらにはIRF2BP2(Interferon Regulatory Factor 2 Binding Protein 2、インターフェロン調節因子2結合タンパク質2)が含まれ、IRF2BP2には羊毛の繊維と関連する3’末端の非翻訳領域由来の多様体があり、この多様体は、本論文の新石器時代ヨーロッパのヒツジと鉄器時代および中世に飼育されたヒツジとの間で、50%から91%への増加を示しました。

 本論文では、青銅器時代とその後のヨーロッパの羊毛の豊富な経済において、ヒツジの群が西方草原地帯からの大きな流入によって変容した、と示されました。これらのうち、羊毛と関連する遺伝子の選択のいくつかの指標が見られます。しかし、粗い糸が織物に使われ続けたので、羊毛の採用はおそらく、時空間的に不均質な過程で、このヒツジの生涯にわたる産物のヒトの利用は、革命というよりは進化に近いものでした。


参考文献:
Daly KG. et al.(2025): Ancient genomics and the origin, dispersal, and development of domestic sheep. Science, 387, 6733, 492–497.
https://doi.org/10.1126/science.adn2094

[27]Daly KG. et al.(2018): Ancient goat genomes reveal mosaic domestication in the Fertile Crescent. Science, 361, 6397, 85–88.
https://doi.org/10.1126/science.aas9411
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[28]Verdugo MP. et al.(2019):Ancient cattle genomics, origins, and rapid turnover in the Fertile Crescent. Science, 365, 6449, 173–176.
https://doi.org/10.1126/science.aav1002
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[34]Koptekin D. et al.(2023): Spatial and temporal heterogeneity in human mobility patterns in Holocene Southwest Asia and the East Mediterranean. Current Biology, 33, 1, 41–57.E15.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.034
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[35]Lazaridis I. et al.(2022): The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe. Science, 377, 6609, eabm4247.
https://doi.org/10.1126/science.abm4247
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[40]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
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[41]Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
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[42]Wilkin S. et al.(2021): Dairying enabled Early Bronze Age Yamnaya steppe expansions. Nature, 598, 7882, 629–633.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03798-4
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[44]Alberto FJ. et al.(2018): Convergent genomic signatures of domestication in sheep and goats. Nature Communications, 9, 813.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-03206-y
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