大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第18回「歌麿よ、見徳は一炊夢」
今回は、蔦屋重三郎とともに、喜多川歌麿(捨吉)が主人公といった印象を受けました。生死不明だった唐丸が歌麿なのか別人なのか、私も気になっており、歌麿だと予想していましたが、やはり唐丸は歌麿で、その過酷な子供時代が明かされました。唐丸は母親が遊女で、母親は唐丸を堕胎しようとしたもののできず、7歳になると母親とその男から売春を強要されており、そうした境遇を呪っていたところ、明和の大火によって母親が建物から抜け出せなくなり、母親を見殺しにし、茫然と立ち尽くしているところを重三郎に救われました。母親のヒモだった男は後に唐丸を見つけ、唐丸に店の金を盗むよう、脅迫し、唐丸は男性を突き飛ばして自らも川に落ち、男性の死亡は描かれましたが、唐丸の生死は不明でした。
唐丸は重三郎に救われる前に鳥山石燕と出会い、絵を学んでいました。唐丸の絵の才は、単なる天分ではなかったわけです。その後、唐丸は絵の才能を鳥山石燕に認められ、本格的に弟子入りするよう誘われましたが、当然母親に許されるわけもなく、そのすぐ後に明和の大火が起きたわけです。唐丸は死ぬつもりで自分を脅迫してきた男とともに川に飛び込みましたが、それでも死なず、捨吉と名乗り、絵師の北川豊章の代わりに絵を描きつつ、男女双方に体を売り、生計を立てていました。唐丸は重三郎の懇願を受けた「ふじ」の計らいで人別帳に勇介という名で登録され、重三郎から歌麿という画号を与えられます。
唐丸(捨吉)が重三郎と再会しても、すぐには重三郎に心を開かず、重三郎が唐丸の心理を「いね」の指摘から理解しようとするところなど、単純な展開にならず、相変わらず巧みな構成になっているように思います。今回冒頭で、「番組の一部に性に関する表現があります」とありましたが、今回かなり目立っていた平沢常富(朋誠堂喜三二)の登場場面も含めて、確かに近年の大河ドラマとしてはかなり「過激な」内容ではありました。正直なところ、歌麿の出自をこうも苛酷にする必要があるのか、現時点では疑問もありますが、今後の展開に活かされるのではないか、との期待の方が大きく、重三郎と歌麿の関係には注目しています。今回の演出にはかなりの批判がありそうですが、私は今回の描写がとくに問題とは考えていませんので、今後も現在の制作方針を貫いてもらいたいものです。
唐丸は重三郎に救われる前に鳥山石燕と出会い、絵を学んでいました。唐丸の絵の才は、単なる天分ではなかったわけです。その後、唐丸は絵の才能を鳥山石燕に認められ、本格的に弟子入りするよう誘われましたが、当然母親に許されるわけもなく、そのすぐ後に明和の大火が起きたわけです。唐丸は死ぬつもりで自分を脅迫してきた男とともに川に飛び込みましたが、それでも死なず、捨吉と名乗り、絵師の北川豊章の代わりに絵を描きつつ、男女双方に体を売り、生計を立てていました。唐丸は重三郎の懇願を受けた「ふじ」の計らいで人別帳に勇介という名で登録され、重三郎から歌麿という画号を与えられます。
唐丸(捨吉)が重三郎と再会しても、すぐには重三郎に心を開かず、重三郎が唐丸の心理を「いね」の指摘から理解しようとするところなど、単純な展開にならず、相変わらず巧みな構成になっているように思います。今回冒頭で、「番組の一部に性に関する表現があります」とありましたが、今回かなり目立っていた平沢常富(朋誠堂喜三二)の登場場面も含めて、確かに近年の大河ドラマとしてはかなり「過激な」内容ではありました。正直なところ、歌麿の出自をこうも苛酷にする必要があるのか、現時点では疑問もありますが、今後の展開に活かされるのではないか、との期待の方が大きく、重三郎と歌麿の関係には注目しています。今回の演出にはかなりの批判がありそうですが、私は今回の描写がとくに問題とは考えていませんので、今後も現在の制作方針を貫いてもらいたいものです。
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