山東半島の古代ゲノム研究の進展
昨年(2024年)後半から今年にかけて、山東半島の人類集団の古代ゲノム研究が一気に進展したように思われ、当ブログでもそれなりの数の研究を取り上げてきましたので、黄河中流域(中原)の人類集団の近年の古代ゲノム研究にも言及しつつ、一度短くまとめておきます。ただ、的確とはとても言えないので、今後の研究の進展を踏まえて、さらに修正していく必要があります。山東半島の完新世の先史時代は、8300~7400年前頃の後李(Houli)文化→7400~6200年前頃の北辛(Beixin)文化→6200~4600年前頃の大汶口(Dawenkou)文化→4600~4000年前頃の龍山(Longshan)文化→3900~3500年前頃の岳石(Yueshi)文化と展開します(Fang et al., 2025)。
近年の山東半島の人類集団の古代ゲノム研究(Du et al., 2024、Wang B et al., 2024、Wang F et al., 2024、Fang et al., 2025、Liu et al., 2025、Wang et al., 2025、Ma et al., 2025、Qu et al., 2025、Zhang X, and Zhang F., 2025)でおおむね一致しているのは、山東半島(以下、半島とは呼べないような地域の遺跡も取り上げるので、山東と表記します)において、前期新石器時代の狩猟採集民の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が歴史時代以降の人類集団にほぼ伝わっておらず、歴史時代以降の人類集団は黄河中流域の後期新石器時代人類集団と類似しており、現代の漢人集団まで遺伝的構成が長期に亘って安定していることです。時代区分の略称は、新石器時代(Neolithic、略してN)、前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)、中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、後期青銅器時代~鉄器時代(Late Bronze Age to Iron Age、略してLBIA)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)です。
より広くユーラシア東部圏の近年の古代ゲノム研究をまとめた総説(Bennett et al., 2024)を踏まえると、山東の遺伝学的観点からの人類史をより深く理解しやすいように思います。それを踏まえると、ユーラシア東部現代人の主要な祖先系統は、アムール川(Amur River、略してAR)流域と黄河流域と河南の古代人集団によって表すことができ、アムール川流域の新石器時代個体群は、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)とも呼ばれています(Ning et al., 2020、Yang et al., 2020)。華南新石器時代集団は、福建省の末期更新世(Wang T et al., 2021)および前期新石器時代(Yang et al., 2020)の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の個体で表されます(華南_EN)。長江流域ではまだ新石器時代人類のゲノムデータは報告されていないと思いますが華南_ENと類似した遺伝的構成である可能性は高いように思います。その意味で、ユーラシア東部現代人の主要な祖先系統は、アムール川と黄河と長江の3河川流域の新石器時代集団で表すことができるかもしれません。以下、具体的に近年の研究を取り上げていきます。
もう5年前で、進展の速い古代ゲノム研究分野において今となっては古いとも言える研究(Yang et al., 2020)は、山東沿岸部の前期新石器時代人類のゲノムデータを報告し、画期的でした。昨年~今年にかけて相次いで公表された山東の人類集団の古代ゲノム研究も、この研究(Yang et al., 2020)を前提に進められています。こうした山東の前期新石器時代個体は具体的には、扁扁(Bianbian)遺跡や小高(Xiaogao)遺跡や博山(Boshan)遺跡や小荊山(Xiaojingshan)遺跡で発見された人類遺骸によって表されます(山東_EN)。これら山東_ENは、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)結果の図示では、他の山東古代人と比較してアムール川流域古代人(ANA)の方へより近い傾向にあります(Du et al., 2024、Wang B et al., 2024、Fang et al., 2025)。ただ、これら山東前期新石器時代個体群は、黄河流域からアムール川流域にまでわたるアジア東部北方古代人の祖先系統の多様性内に収まる、共有された祖先系統を示しつつも、ANA的な祖先系統(AR_EN)を有すると明確にモデル化できるのは、前期新石器時代でも後半の小荊山遺跡個体のみです(Liu et al., 2025)。この小荊山遺跡個体のゲノムは、扁扁遺跡や小高遺跡や淄博遺跡の個体群と関連する前期新石器時代山東祖先系統(74.2%)と、AR_EN関連祖先系統(16.0%)と、華南前期新石器時代集団と関連する祖先系統(9.8%)でモデル化できます(Liu et al., 2025)。つまり、山東においてすでに前期新石器時代後半には、南北からの人口流入があったかもしれないわけです。
中期新石器時代となる大汶口文化期には、山東人類集団の遺伝的異質性がより明確に見えてきます。山東西部に位置する大汶口文化後期の西夏侯(Xixiahou)遺跡の個体は、その地理を反映してか、黄河中流域の中期新石器時代となる仰韶(Yangshao)文化集団的な祖先系統(黄河_MN)が100%でモデル化され、同じく大汶口文化後期の傅家(Fujia)遺跡と呉村(Wucun)遺跡の個体のゲノムは、やや高い割合の西夏侯遺跡個体的祖先系統とやや低い割合の博山遺跡個体によって表される山東半島前期新石器時代集団的な祖先系統でモデル化でき、五台(Wutai)遺跡の個体はほぼ西夏侯遺跡個体的祖先系統でモデル化できます(Du et al., 2024)。中期新石器時代には、仰韶文化集団そのもの、あるいは仰韶文化集団と遺伝的に近い集団から山東半島集団への遺伝子流動があり、混合割合は地域によって、もしくは地域内でも異なっていたかもしれません。一方で、山東の大汶口文化期でも南方の三里河(Sanlihe)遺跡の個体は、高い割合の西夏侯遺跡個体的祖先系統と、現在の福建省に分布した後期新石器時代となる曇石山(Tanshishan)文化個体的な祖先系統の低い割合でモデル化できます(Du et al., 2024)。別の研究(Wang F et al., 2024)では、同じく大汶口文化後期の焦家(Jiaojia)遺跡の個体も、同じくらいの割合の山東_EN的祖先系統と黄河_MN的祖先系統でモデル化できます。さらに別の研究(Liu et al., 2025)では、大汶口文化初期となる6000年前頃の北阡(BeiQian)遺跡個体は9割程度の山東_ENと1割程度の黄河_MNで、大汶口文化後期の、崗山(GangShang、略してGS)遺跡個体は4割程度の山東_ENと6割程度の黄河_MNで、傅家遺跡の3個体は山東_ENのみでモデル化できます。傅家遺跡の3個体が山東_ENのみでモデル化できるのは、高い割合の黄河_MNと低い割合の山東_ENでモデル化された先行研究(Du et al., 2024)とは異なり、同じ遺跡内の遺伝的異質性が示唆されます。これらの知見から、大汶口文化期の山東半島人類集団は、地域によって程度は異なるものの黄河中流域からの大きな遺伝的影響とも関連する、遺伝的異質性の高さが特徴だった、と窺えます。
山東人類集団では、後期新石器時代となる龍山文化期龍山文化期においても、遺伝的異質性が見られます。三里河遺跡個体と城子崖(Chengziya)遺跡個体は先行する大汶口文化後期の同じ三里河遺跡個体的な祖先系統(高い割合の黄河_MNと低い割合の華南後期新石器時代的祖先系統)で、五台遺跡個体は大汶口文化後期の傅家遺跡個体的祖先系統が85.2%でモデル化でき(Du et al., 2024)、これは他の研究(Fang et al., 2025)ともおおむね整合的です。丁公(Dinggong)遺跡では、6個体が高い割合の大汶口文化後期の傅家遺跡個体的祖先系統と低い割合の華南新石器時代集団的祖先系統で、1個体が大汶口文化後期の傅家遺跡個体的祖先系統で完全に、1個体が黄河_MNで完全にモデル化でき、遺跡内の遺伝的異質性が示唆されます(Fang et al., 2025)。尹家城(YinJiaCheng)遺跡個体も城子崖(ChengZiYa)遺跡個体も、3割程度の北阡遺跡個体的な祖先系統(9割程度の山東_ENと1割程度の黄河_MN)と7割程度の崗山遺跡個体的な祖先系統(4割程度の山東_ENと6割程度の黄河_MN)でモデル化でき(Liu et al., 2025)、山東_ENと黄河_MNの比率は55:45程度となります。龍山文化期の山東人類集団は、先行する山東の大汶口文化後期から高い割合の祖先系統を継承しつつ、外部からの祖先系統も受け取ったようで、山東全域、さらには同一遺跡内でも遺伝的異質性が見られます。
殷(商)王朝が成立していく青銅器時代には、山東全域の人類集団の遺伝的構成がほぼ同様になった、との研究(Fang et al., 2025)もあります。つまり、東康留(Dongkangliu)遺跡や西三甲(Xisanjia)遺跡や両醇(Liangchun)遺跡や呉村(Wucun)遺跡や城子崖遺跡において、ひじょうに高い割合の黄河_MNとごくわずかな割合の華南集団的祖先系統でモデル化できるようになる、というわけです。初期青銅器時代となる二里頭(Erlitou)文化の王城岡(Wangchenggang)遺跡の個体でも、華南集団的祖先系統のない黄河_MNではなく、黄河_LNで完全にモデル化できる、と示されています(Fang et al., 2025)。別の研究でも、殷王朝期の山東集団は全体的に相互と高度に類似している、と指摘されています(Liu et al., 2025)。3000年前頃前後には、山東人類集団への黄河中流域人類集団からの遺伝的影響が指摘されていますが、これは大汶口文化期とは異なり、山東の全人類集団に遺伝的影響を及ぼしたわけではないようです(Liu et al., 2025)。黄河下流域となる山東地域は、前期新石器時代以降、殷~西周王朝の頃まで、時期によって程度の差はあれども黄河中流域からの人口流入があった、と推測されますが、逆に山東地域から黄河中流域への人口流入は、集団遺伝学的観点では明確には検出できないようです(Liu et al., 2025)。
山東地域では、戦国時代の人類集団は現代人集団と遺伝的に類似しており、古代人で類似しているのは黄河中流域の新石器時代後の人類集団(黄河_LBIA)で、長期の遺伝的安定性が指摘されています。これは、山東地域の中期新石器時代~7世紀(Du et al., 2024)と戦国時代~後漢(Wang B et al., 2024)と戦国時代~南北朝時代(Qu et al., 2025)の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究でほぼ一致しています。つまり、魏晋南北朝時代や五代十国時代やそれ以降の13世紀にかけてのキタイ(契丹)や金やモンゴルやダイチン・グルン(大清帝国)など北方勢力による征服にも関わらず、山東地域の人類集団の遺伝的構成は安定していたわけです。黄河中流域でも、後期新石器時代から現在に至るまでの人類集団の遺伝的構成の安定が指摘されています(Ma et al., 2025)。これはおそらく、黄河中下流域には後期新石器時代以降人口が多かったので、外部地域からの遺伝子流動はあったものの、現代人では全体的に、後期新石器時代後の外部地域からの遺伝子流動が検出されにくくなっていることを反映していると思われます。じっさい、山東地域の傅大門(Fudamen)墓地で発見された唐代の2個体のゲノムのモデル化においては、最適なモデル化に約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統が必要でした(Wang et al., 2025)。こうした外部地域から流入した祖先系統は、黄河中下流域の人口の多さから、その後に希釈され、現在ではほぼ検出されなくなったのでしょう。
また、山東地域の大陸部だけではなく、渤海の山東半島と遼東半島の間に位置する、苗島(Miaodao)諸島の砣磯(Tuoji)島の大口(Dakou)遺跡で発見された龍山文化から岳石文化にかけての人類遺骸のゲノムデータも報告されています(Zhang X, and Zhang F., 2025)。砣磯島では龍山文化からの強い文化的影響が見られますが、砣磯島の龍山文化期の個体の祖先系統は、おもに龍山文化に先行する大汶口文化期集団とのつながりを反映しており、現在の中国南部沿岸地域の古代人とつながる追加の祖先系統も検出されました。これは、砣磯島における龍山文化に先行する人口移動と、龍山文化期における大規模な人口移動がない文化拡散を示唆しています。さらに、大口遺跡の岳石文化期個体では、内陸部からよりも沿岸地域の方から多くの遺伝的影響が示され、砣磯島における龍山文化と岳石文化の遺伝的連続性とともに、動的な沿岸部の人口移動が浮き彫りになります。他地域の事例(関連記事)からも、文化と遺伝とを安易に関連づけではならない、と改めて思います。
山東地域の古代人と日本列島の人類集団との遺伝的関係についても検証されており、本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」の古墳時代集団では、山東半島古代人集団関連の祖先系統を有するとはモデル化できず(Liu et al., 2025)、日本列島「本土」現代人集団のゲノムにおいて大半を占める黄河流域集団的祖先系統の起源は不明なままです。一方で、琉球諸島の宮古島の長墓遺跡歴史時代の個体群(17世紀以降)のゲノムは、山東半島の龍山文化期の一部の集団と関連する祖先系統(75.0~75.2%)および後期縄文時代の3900~3700年前頃の個体群と関連する祖先系統(24.8~25.0%)の2方向混合でモデル化できる、と示されました(Liu et al., 2025)。この混合の推定年代は1600~1400年前頃で、『隋書(Sui Shu)』や『中山世譜』や『中山世鑑』などの史書と整合的である可能性も指摘されています(Liu et al., 2025)。この知見をどう解釈するのか、現時点では難問で、琉球諸島の時空間的に広範囲の人類集団のゲノムデータの解析が必要となるでしょう。
まとめると、黄河下流域となる山東地域では遅くとも前期新石器時代後半までには、北方や西方や南方からの人口流入があり、その後も、とくに大汶口文化期と青銅器時代後半となる3000年前頃の前後に西方の黄河中流域からの人口流入があったようで、その結果として、戦国時代には後期青銅器時代~鉄器時代の黄河中流域人類集団(黄河_LBIA)と類似し、山東地域の現代人とほぼ遺伝的構成の変わらない集団が形成されたようです。この過程で、山東地域の前期新石器時代の狩猟採集民集団の祖先系統は、山東地域の現代人にまったく継承されなかったわけではないとしても、検出されにくくなるまで希釈されたようです。こうした事例はヨーロッパでも確認されており、上部旧石器時代には、現代人ではヨーロッパ集団よりもアジア東部集団の方と近縁な集団が存在し(Hajdinjak et al., 2021)、その遺伝的影響は中石器時代のヨーロッパ西部狩猟採集民集団まで一定以上の割合で残っていたものの(Posth et al., 2023)、その後の新石器時代と青銅器時代におけるヨーロッパへの外部地域からの大規模な人口流入(Allentoft et al., 2024)によって、現代人ではほぼ検出されないまでに希釈されたようです。こうした事例は世界各地で珍しくなかったようで(関連記事)、特定の地域における人類集団の長期の遺伝的連続性を安易に大前提としてはならない、と思います。ただ、山東_EN的祖先系統を一定以上の割合で明確に有する集団が戦国時代以降にある時期まで存在した可能性は考えられますし、もちろん、集団遺伝学的に一定以上の割合の明確な影響を検出できないからといって、言語も含めて文化的影響が皆無もしくは小さいとは限りませんが。
参考文献:
Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
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Bennett EA, Liu Y, and Fu Q.(2024): Reconstructing the Human Population History of East Asia through Ancient Genomics. Elements in Ancient East Asia.
https://doi.org/10.1017/9781009246675
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Du P. et al.(2024): Genomic dynamics of the Lower Yellow River Valley since the Early Neolithic. Current Biology, 34, 17, 3996–4006.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2024.07.063
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Fang H. et al.(2025): Dynamic history of the Central Plain and Haidai region inferred from Late Neolithic to Iron Age ancient human genomes. Cell Reports, 44, 2, 115262.
https://doi.org/10.1016/j.celrep.2025.115262
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Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3
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Liu J. et al.(2025): East Asian Gene flow bridged by northern coastal populations over past 6000 years. Nature Communications, 16, 1322.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-56555-w
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Ma H. et al.(2025): Ancient genomes shed light on the long-term genetic stability in the Central Plain of China. Science Bulletin, 70, 3, 333-337.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.07.024
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Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
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Qu S. et al.(2025): Ancient genomes illuminate the demographic history of Shandong over the past two millennia. Journal of Genetics and Genomics, 52, 4, 494-501.
https://doi.org/10.1016/j.jgg.2024.07.008
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Wang B. et al.(2024): Population expansion from Central Plain to northern coastal China inferred from ancient human genomes. iScience, 27, 12, 111405.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2024.111405
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Wang F. et al.(2024): Neolithization of Dawenkou culture in the lower Yellow River involved the demic diffusion from the Central Plain. Science Bulletin, 69, 23, 3677-3681.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.08.016
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Wang R. et al.(2025): East and West admixture in eastern China of Tang Dynasty inferred from ancient human genomes. Communications Biology, 8, 219.
https://doi.org/10.1038/s42003-025-07665-0
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Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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Zhang X, and Zhang F.(2025): Island ancient genomes reveal dynamic populations interactions in the northern China. Frontiers in Microbiology, 16, 1584315.
https://doi.org/10.3389/fmicb.2025.1584315
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より広くユーラシア東部圏の近年の古代ゲノム研究をまとめた総説(Bennett et al., 2024)を踏まえると、山東の遺伝学的観点からの人類史をより深く理解しやすいように思います。それを踏まえると、ユーラシア東部現代人の主要な祖先系統は、アムール川(Amur River、略してAR)流域と黄河流域と河南の古代人集団によって表すことができ、アムール川流域の新石器時代個体群は、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)とも呼ばれています(Ning et al., 2020、Yang et al., 2020)。華南新石器時代集団は、福建省の末期更新世(Wang T et al., 2021)および前期新石器時代(Yang et al., 2020)の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の個体で表されます(華南_EN)。長江流域ではまだ新石器時代人類のゲノムデータは報告されていないと思いますが華南_ENと類似した遺伝的構成である可能性は高いように思います。その意味で、ユーラシア東部現代人の主要な祖先系統は、アムール川と黄河と長江の3河川流域の新石器時代集団で表すことができるかもしれません。以下、具体的に近年の研究を取り上げていきます。
もう5年前で、進展の速い古代ゲノム研究分野において今となっては古いとも言える研究(Yang et al., 2020)は、山東沿岸部の前期新石器時代人類のゲノムデータを報告し、画期的でした。昨年~今年にかけて相次いで公表された山東の人類集団の古代ゲノム研究も、この研究(Yang et al., 2020)を前提に進められています。こうした山東の前期新石器時代個体は具体的には、扁扁(Bianbian)遺跡や小高(Xiaogao)遺跡や博山(Boshan)遺跡や小荊山(Xiaojingshan)遺跡で発見された人類遺骸によって表されます(山東_EN)。これら山東_ENは、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)結果の図示では、他の山東古代人と比較してアムール川流域古代人(ANA)の方へより近い傾向にあります(Du et al., 2024、Wang B et al., 2024、Fang et al., 2025)。ただ、これら山東前期新石器時代個体群は、黄河流域からアムール川流域にまでわたるアジア東部北方古代人の祖先系統の多様性内に収まる、共有された祖先系統を示しつつも、ANA的な祖先系統(AR_EN)を有すると明確にモデル化できるのは、前期新石器時代でも後半の小荊山遺跡個体のみです(Liu et al., 2025)。この小荊山遺跡個体のゲノムは、扁扁遺跡や小高遺跡や淄博遺跡の個体群と関連する前期新石器時代山東祖先系統(74.2%)と、AR_EN関連祖先系統(16.0%)と、華南前期新石器時代集団と関連する祖先系統(9.8%)でモデル化できます(Liu et al., 2025)。つまり、山東においてすでに前期新石器時代後半には、南北からの人口流入があったかもしれないわけです。
中期新石器時代となる大汶口文化期には、山東人類集団の遺伝的異質性がより明確に見えてきます。山東西部に位置する大汶口文化後期の西夏侯(Xixiahou)遺跡の個体は、その地理を反映してか、黄河中流域の中期新石器時代となる仰韶(Yangshao)文化集団的な祖先系統(黄河_MN)が100%でモデル化され、同じく大汶口文化後期の傅家(Fujia)遺跡と呉村(Wucun)遺跡の個体のゲノムは、やや高い割合の西夏侯遺跡個体的祖先系統とやや低い割合の博山遺跡個体によって表される山東半島前期新石器時代集団的な祖先系統でモデル化でき、五台(Wutai)遺跡の個体はほぼ西夏侯遺跡個体的祖先系統でモデル化できます(Du et al., 2024)。中期新石器時代には、仰韶文化集団そのもの、あるいは仰韶文化集団と遺伝的に近い集団から山東半島集団への遺伝子流動があり、混合割合は地域によって、もしくは地域内でも異なっていたかもしれません。一方で、山東の大汶口文化期でも南方の三里河(Sanlihe)遺跡の個体は、高い割合の西夏侯遺跡個体的祖先系統と、現在の福建省に分布した後期新石器時代となる曇石山(Tanshishan)文化個体的な祖先系統の低い割合でモデル化できます(Du et al., 2024)。別の研究(Wang F et al., 2024)では、同じく大汶口文化後期の焦家(Jiaojia)遺跡の個体も、同じくらいの割合の山東_EN的祖先系統と黄河_MN的祖先系統でモデル化できます。さらに別の研究(Liu et al., 2025)では、大汶口文化初期となる6000年前頃の北阡(BeiQian)遺跡個体は9割程度の山東_ENと1割程度の黄河_MNで、大汶口文化後期の、崗山(GangShang、略してGS)遺跡個体は4割程度の山東_ENと6割程度の黄河_MNで、傅家遺跡の3個体は山東_ENのみでモデル化できます。傅家遺跡の3個体が山東_ENのみでモデル化できるのは、高い割合の黄河_MNと低い割合の山東_ENでモデル化された先行研究(Du et al., 2024)とは異なり、同じ遺跡内の遺伝的異質性が示唆されます。これらの知見から、大汶口文化期の山東半島人類集団は、地域によって程度は異なるものの黄河中流域からの大きな遺伝的影響とも関連する、遺伝的異質性の高さが特徴だった、と窺えます。
山東人類集団では、後期新石器時代となる龍山文化期龍山文化期においても、遺伝的異質性が見られます。三里河遺跡個体と城子崖(Chengziya)遺跡個体は先行する大汶口文化後期の同じ三里河遺跡個体的な祖先系統(高い割合の黄河_MNと低い割合の華南後期新石器時代的祖先系統)で、五台遺跡個体は大汶口文化後期の傅家遺跡個体的祖先系統が85.2%でモデル化でき(Du et al., 2024)、これは他の研究(Fang et al., 2025)ともおおむね整合的です。丁公(Dinggong)遺跡では、6個体が高い割合の大汶口文化後期の傅家遺跡個体的祖先系統と低い割合の華南新石器時代集団的祖先系統で、1個体が大汶口文化後期の傅家遺跡個体的祖先系統で完全に、1個体が黄河_MNで完全にモデル化でき、遺跡内の遺伝的異質性が示唆されます(Fang et al., 2025)。尹家城(YinJiaCheng)遺跡個体も城子崖(ChengZiYa)遺跡個体も、3割程度の北阡遺跡個体的な祖先系統(9割程度の山東_ENと1割程度の黄河_MN)と7割程度の崗山遺跡個体的な祖先系統(4割程度の山東_ENと6割程度の黄河_MN)でモデル化でき(Liu et al., 2025)、山東_ENと黄河_MNの比率は55:45程度となります。龍山文化期の山東人類集団は、先行する山東の大汶口文化後期から高い割合の祖先系統を継承しつつ、外部からの祖先系統も受け取ったようで、山東全域、さらには同一遺跡内でも遺伝的異質性が見られます。
殷(商)王朝が成立していく青銅器時代には、山東全域の人類集団の遺伝的構成がほぼ同様になった、との研究(Fang et al., 2025)もあります。つまり、東康留(Dongkangliu)遺跡や西三甲(Xisanjia)遺跡や両醇(Liangchun)遺跡や呉村(Wucun)遺跡や城子崖遺跡において、ひじょうに高い割合の黄河_MNとごくわずかな割合の華南集団的祖先系統でモデル化できるようになる、というわけです。初期青銅器時代となる二里頭(Erlitou)文化の王城岡(Wangchenggang)遺跡の個体でも、華南集団的祖先系統のない黄河_MNではなく、黄河_LNで完全にモデル化できる、と示されています(Fang et al., 2025)。別の研究でも、殷王朝期の山東集団は全体的に相互と高度に類似している、と指摘されています(Liu et al., 2025)。3000年前頃前後には、山東人類集団への黄河中流域人類集団からの遺伝的影響が指摘されていますが、これは大汶口文化期とは異なり、山東の全人類集団に遺伝的影響を及ぼしたわけではないようです(Liu et al., 2025)。黄河下流域となる山東地域は、前期新石器時代以降、殷~西周王朝の頃まで、時期によって程度の差はあれども黄河中流域からの人口流入があった、と推測されますが、逆に山東地域から黄河中流域への人口流入は、集団遺伝学的観点では明確には検出できないようです(Liu et al., 2025)。
山東地域では、戦国時代の人類集団は現代人集団と遺伝的に類似しており、古代人で類似しているのは黄河中流域の新石器時代後の人類集団(黄河_LBIA)で、長期の遺伝的安定性が指摘されています。これは、山東地域の中期新石器時代~7世紀(Du et al., 2024)と戦国時代~後漢(Wang B et al., 2024)と戦国時代~南北朝時代(Qu et al., 2025)の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究でほぼ一致しています。つまり、魏晋南北朝時代や五代十国時代やそれ以降の13世紀にかけてのキタイ(契丹)や金やモンゴルやダイチン・グルン(大清帝国)など北方勢力による征服にも関わらず、山東地域の人類集団の遺伝的構成は安定していたわけです。黄河中流域でも、後期新石器時代から現在に至るまでの人類集団の遺伝的構成の安定が指摘されています(Ma et al., 2025)。これはおそらく、黄河中下流域には後期新石器時代以降人口が多かったので、外部地域からの遺伝子流動はあったものの、現代人では全体的に、後期新石器時代後の外部地域からの遺伝子流動が検出されにくくなっていることを反映していると思われます。じっさい、山東地域の傅大門(Fudamen)墓地で発見された唐代の2個体のゲノムのモデル化においては、最適なモデル化に約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統が必要でした(Wang et al., 2025)。こうした外部地域から流入した祖先系統は、黄河中下流域の人口の多さから、その後に希釈され、現在ではほぼ検出されなくなったのでしょう。
また、山東地域の大陸部だけではなく、渤海の山東半島と遼東半島の間に位置する、苗島(Miaodao)諸島の砣磯(Tuoji)島の大口(Dakou)遺跡で発見された龍山文化から岳石文化にかけての人類遺骸のゲノムデータも報告されています(Zhang X, and Zhang F., 2025)。砣磯島では龍山文化からの強い文化的影響が見られますが、砣磯島の龍山文化期の個体の祖先系統は、おもに龍山文化に先行する大汶口文化期集団とのつながりを反映しており、現在の中国南部沿岸地域の古代人とつながる追加の祖先系統も検出されました。これは、砣磯島における龍山文化に先行する人口移動と、龍山文化期における大規模な人口移動がない文化拡散を示唆しています。さらに、大口遺跡の岳石文化期個体では、内陸部からよりも沿岸地域の方から多くの遺伝的影響が示され、砣磯島における龍山文化と岳石文化の遺伝的連続性とともに、動的な沿岸部の人口移動が浮き彫りになります。他地域の事例(関連記事)からも、文化と遺伝とを安易に関連づけではならない、と改めて思います。
山東地域の古代人と日本列島の人類集団との遺伝的関係についても検証されており、本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」の古墳時代集団では、山東半島古代人集団関連の祖先系統を有するとはモデル化できず(Liu et al., 2025)、日本列島「本土」現代人集団のゲノムにおいて大半を占める黄河流域集団的祖先系統の起源は不明なままです。一方で、琉球諸島の宮古島の長墓遺跡歴史時代の個体群(17世紀以降)のゲノムは、山東半島の龍山文化期の一部の集団と関連する祖先系統(75.0~75.2%)および後期縄文時代の3900~3700年前頃の個体群と関連する祖先系統(24.8~25.0%)の2方向混合でモデル化できる、と示されました(Liu et al., 2025)。この混合の推定年代は1600~1400年前頃で、『隋書(Sui Shu)』や『中山世譜』や『中山世鑑』などの史書と整合的である可能性も指摘されています(Liu et al., 2025)。この知見をどう解釈するのか、現時点では難問で、琉球諸島の時空間的に広範囲の人類集団のゲノムデータの解析が必要となるでしょう。
まとめると、黄河下流域となる山東地域では遅くとも前期新石器時代後半までには、北方や西方や南方からの人口流入があり、その後も、とくに大汶口文化期と青銅器時代後半となる3000年前頃の前後に西方の黄河中流域からの人口流入があったようで、その結果として、戦国時代には後期青銅器時代~鉄器時代の黄河中流域人類集団(黄河_LBIA)と類似し、山東地域の現代人とほぼ遺伝的構成の変わらない集団が形成されたようです。この過程で、山東地域の前期新石器時代の狩猟採集民集団の祖先系統は、山東地域の現代人にまったく継承されなかったわけではないとしても、検出されにくくなるまで希釈されたようです。こうした事例はヨーロッパでも確認されており、上部旧石器時代には、現代人ではヨーロッパ集団よりもアジア東部集団の方と近縁な集団が存在し(Hajdinjak et al., 2021)、その遺伝的影響は中石器時代のヨーロッパ西部狩猟採集民集団まで一定以上の割合で残っていたものの(Posth et al., 2023)、その後の新石器時代と青銅器時代におけるヨーロッパへの外部地域からの大規模な人口流入(Allentoft et al., 2024)によって、現代人ではほぼ検出されないまでに希釈されたようです。こうした事例は世界各地で珍しくなかったようで(関連記事)、特定の地域における人類集団の長期の遺伝的連続性を安易に大前提としてはならない、と思います。ただ、山東_EN的祖先系統を一定以上の割合で明確に有する集団が戦国時代以降にある時期まで存在した可能性は考えられますし、もちろん、集団遺伝学的に一定以上の割合の明確な影響を検出できないからといって、言語も含めて文化的影響が皆無もしくは小さいとは限りませんが。
参考文献:
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