九州の弥生時代から古墳時代の人類のミトコンドリアDNA
九州の弥生時代から古墳時代の人類のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(角田他.,2025)が公表されました。九州地方の弥生時代人類集団はその形態的特徴に基づいて、ユーラシア大陸東部から到来した集団の遺伝的特徴が強い北部の「渡来系」、縄文時代人類集団(縄文人)の特徴が強い「西北九州系」、きょくたんな特徴の頭骨形態の「南九州系」に区分されており、DNA研究も進められています(篠田他.,2020、篠田他.,2021a、篠田他.,2021b、神澤他.,2021)。佐賀県唐津市の大友遺跡では1968年以降調査が続けられており、1999年と2000年の第5次および第6次調査で多数の人類遺骸が発見され、副葬品や放射性炭素(¹⁴C)年代測定に基づいて、年代は弥生時代早期~古墳時代初期と推定されています。埋葬施設には、朝鮮半島由来と考えられる支石墓や箱式石棺墓や甕棺墓などがありますが、「縄文人」と共通する低顔や低身長といった形態的特徴が見られます。鹿児島県南種子島町の海岸砂丘に位置する広田遺跡には集団埋葬地が含まれ、1957年に調査が始まり、21世紀にも調査が行なわれ、弥生時代終末期から古墳時代移行期の人類遺骸157個体と約44000点の貝製品が出土しています。広田遺跡の人類遺骸の形態的特徴は、同時代の九州北部集団と比較してのきょくたんな短頭と、男女ともにひじょうに低い平均身長で、貝類を加工した装飾品が多数発見されています。広田遺跡の人類集団は、弥生時代以降の九州北部地域の「渡来系」人類集団とは異なる形質を有しており、その遺伝的構成が注目されます。本論文は、大友遺跡と広田遺跡で発見された人類遺骸(表1)のmtDNA解析結果を報告します。以下は本論文の表1です。
大友遺跡と広田遺跡で発見された人類遺骸のAPLP(Amplified Product-Length Polymorphism、増幅産物長多型)法によるmtDNA解析結果に基づいて、mtDNAハプログループ(mtHg)が判定されました(表2)。大友遺跡の6個体のうち4個体は比較的保存状態が良好なようで、mtHgでは、D4が1個体、M7が3個体です。広田遺跡の12個体のmtHgでは、Bが2個体、M7が10個体と判定されました。mtHgのBとD4とM7の下位ハプログループを判定すると、大友遺跡では1個体のD4(a・b1・b2・e・g・h・j・oではありません)と3個体のM7a1、広田遺跡では2個体のB4(a・b・cではありません)と10個体のM7a1が確認されました(表2)。以下は本論文の表2です。
大友遺跡の中期までの人類遺骸の大半は、西北九州型とされる「縄文人」と共通する低顔や低身長といった形態的特徴を示しますが、大友遺跡では朝鮮半島南部起源の支石墓や九州北部系の埋葬施設である甕棺がへんようしつつ使用されて追います。本論文では、大友遺跡でmtHgを判定できた4個体のうち3個体で、「縄文人」由来と考えられるM7a1が検出されました。大友遺跡の8号歯石墓の熟年女性のmtHgはM7a1a6で、核ゲノム解析に基づく主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、既知の「縄文人」集団の範疇に収まり(神澤他.,2021)、本論文の調査結果と整合的です。ただ、大友遺跡の弥生時代早期の7号女性のmtHgは「渡来系」とされるD4(a・b1・b2・e・g・h・j・oではありません)で、すでに弥生時代早期の大友遺跡には「渡来系」個体が存在していた可能性を示唆しています。しかし、この7号女性のDNAの保存状態は良好ではなかったので、今後の詳細な分析を俟たねばなりません。西北九州に位置する長崎県佐世保市の弥生時代後期の下本山岩陰遺跡で発見された2個体のDNAも解析されており、mtHgでは「縄文系」のM7a1a4と「渡来系」のD4a1*の両方が見られ、核ゲノム解析では、「縄文系」集団と「渡来系」集団の混合と示されています(篠田他., 2019)。つまり、「縄文人」的な形態的特徴が強いとされる弥生時代の西北九州型集団でも、在来の「縄文系」集団と「渡来系」集団の混合があり、それには時空間的な差異があるかもしれないわけです。
広田遺跡の人類遺骸は同時代の九州の古代人集団と比較して特異な形態的特徴を示しており、12個体のmtHg調査結果では、「縄文系」とされるM7a1が10個体、B4が2個体と判定されました。これまで、mtHg-B4は縄文時代の人類遺骸では検出されていません。九州地方から琉球諸島の縄文時代およびその相当期間の人類遺骸のmtHgでは、多くがM7a1で、わずかにN9bも検出されています(篠田他.,2021a)。九州南部および島嶼部でも同様の傾向が見られ、弥生時代から古墳時代以降になると、縄文時代の人類遺骸からは検出されなかったmtHg、つまりCやD4やM9が検出されるようになり、M7a1の頻度はじょじょに低下していきます(篠田他.,2021b)。本論文でmtDNAが解析された広田遺跡の人類遺骸の年代は古墳時代前期~後期に相当しますが、12個体のうち10個体が「縄文系」とされるM7a1で、同時代の他地域よりも「縄文系」の遺伝的特徴を強く残しているかもしれません。mtHg-B4の起源は不明で、これまでは、縄文時代以降に日本列島に到来した集団に由来する、と考えられており、現代人では台湾やフィリピンやハワイやポリネシアなど太平洋島嶼部で多く検出されています。現代日本人におけるmtHg-B4の割合は9%程度で、広田遺跡では以前に、6世紀後半~7世紀前半の南区2号墓人骨のmtHgがB4fと判定されています(篠田他.,2021c)。これまでに報告されているmtHg-B4f系統の5個体のうち地域不明の1個体を除いて4個体が日本人で、広田遺跡の2個体のmtHgもB4fかもしれません。これまで縄文時代の人類遺骸で検出されていなかったmtHg-B4fについては、弥生時代以降に種子島に流入したか、これまで検出されていないだけで、縄文時代においてすでに九州南部から琉球諸島に存在した可能性も考えられます。広田遺跡のmtHg-B4の2個体の較正年代は3世紀半ばへ5世紀前半で、埋葬施設(覆石墓)と埋葬姿勢(側臥屈肢)が同じなので、何らかの社会関係も想定されます。mtHg-M7a1については、九州南部から琉球諸島と九州以北の古代人および現代人集団とで、下位系統が異なっている、と報告されており(篠田他.,2021a)、今後の詳細な検証が期待されます。本論文で用いられたAPLP法は簡易的かつ迅速にmtHgの判定が行なえ、さらに詳細な分析が可能なのか、DNAの保存状態も判定できますが、より詳細な判定には次世代シークエンサーによるミトコンドリアゲノム解析が必要で、もちろん、可能ならば核ゲノム解析によって、さらに詳しい遺伝的関係が明らかになるでしょう。
参考文献:
角田恒雄、米元史織、高椋浩史、神澤秀明、舟橋京子(2025)「大友遺跡ならびに広田遺跡から出土した人骨におけるミトコンドリアDNA分析」『九州大学総合研究博物館研究報告』第228巻P71-79
https://doi.org/10.15017/7343682
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021)「佐賀県唐津市大友遺跡第5次調査出土弥生人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P385-393
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
https://doi.org/10.1537/asj.1904231
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2020)「福岡県那珂川市安徳台遺跡出土弥生中期人骨のDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第219集P199-210
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篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021a)「鹿児島県徳之島所在遺跡出土人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P449-457
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篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021b)「南九州古墳時代人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P417-425
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篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021c)「鹿児島県南種子島町広田遺跡出土人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P433-439
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大友遺跡と広田遺跡で発見された人類遺骸のAPLP(Amplified Product-Length Polymorphism、増幅産物長多型)法によるmtDNA解析結果に基づいて、mtDNAハプログループ(mtHg)が判定されました(表2)。大友遺跡の6個体のうち4個体は比較的保存状態が良好なようで、mtHgでは、D4が1個体、M7が3個体です。広田遺跡の12個体のmtHgでは、Bが2個体、M7が10個体と判定されました。mtHgのBとD4とM7の下位ハプログループを判定すると、大友遺跡では1個体のD4(a・b1・b2・e・g・h・j・oではありません)と3個体のM7a1、広田遺跡では2個体のB4(a・b・cではありません)と10個体のM7a1が確認されました(表2)。以下は本論文の表2です。
大友遺跡の中期までの人類遺骸の大半は、西北九州型とされる「縄文人」と共通する低顔や低身長といった形態的特徴を示しますが、大友遺跡では朝鮮半島南部起源の支石墓や九州北部系の埋葬施設である甕棺がへんようしつつ使用されて追います。本論文では、大友遺跡でmtHgを判定できた4個体のうち3個体で、「縄文人」由来と考えられるM7a1が検出されました。大友遺跡の8号歯石墓の熟年女性のmtHgはM7a1a6で、核ゲノム解析に基づく主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、既知の「縄文人」集団の範疇に収まり(神澤他.,2021)、本論文の調査結果と整合的です。ただ、大友遺跡の弥生時代早期の7号女性のmtHgは「渡来系」とされるD4(a・b1・b2・e・g・h・j・oではありません)で、すでに弥生時代早期の大友遺跡には「渡来系」個体が存在していた可能性を示唆しています。しかし、この7号女性のDNAの保存状態は良好ではなかったので、今後の詳細な分析を俟たねばなりません。西北九州に位置する長崎県佐世保市の弥生時代後期の下本山岩陰遺跡で発見された2個体のDNAも解析されており、mtHgでは「縄文系」のM7a1a4と「渡来系」のD4a1*の両方が見られ、核ゲノム解析では、「縄文系」集団と「渡来系」集団の混合と示されています(篠田他., 2019)。つまり、「縄文人」的な形態的特徴が強いとされる弥生時代の西北九州型集団でも、在来の「縄文系」集団と「渡来系」集団の混合があり、それには時空間的な差異があるかもしれないわけです。
広田遺跡の人類遺骸は同時代の九州の古代人集団と比較して特異な形態的特徴を示しており、12個体のmtHg調査結果では、「縄文系」とされるM7a1が10個体、B4が2個体と判定されました。これまで、mtHg-B4は縄文時代の人類遺骸では検出されていません。九州地方から琉球諸島の縄文時代およびその相当期間の人類遺骸のmtHgでは、多くがM7a1で、わずかにN9bも検出されています(篠田他.,2021a)。九州南部および島嶼部でも同様の傾向が見られ、弥生時代から古墳時代以降になると、縄文時代の人類遺骸からは検出されなかったmtHg、つまりCやD4やM9が検出されるようになり、M7a1の頻度はじょじょに低下していきます(篠田他.,2021b)。本論文でmtDNAが解析された広田遺跡の人類遺骸の年代は古墳時代前期~後期に相当しますが、12個体のうち10個体が「縄文系」とされるM7a1で、同時代の他地域よりも「縄文系」の遺伝的特徴を強く残しているかもしれません。mtHg-B4の起源は不明で、これまでは、縄文時代以降に日本列島に到来した集団に由来する、と考えられており、現代人では台湾やフィリピンやハワイやポリネシアなど太平洋島嶼部で多く検出されています。現代日本人におけるmtHg-B4の割合は9%程度で、広田遺跡では以前に、6世紀後半~7世紀前半の南区2号墓人骨のmtHgがB4fと判定されています(篠田他.,2021c)。これまでに報告されているmtHg-B4f系統の5個体のうち地域不明の1個体を除いて4個体が日本人で、広田遺跡の2個体のmtHgもB4fかもしれません。これまで縄文時代の人類遺骸で検出されていなかったmtHg-B4fについては、弥生時代以降に種子島に流入したか、これまで検出されていないだけで、縄文時代においてすでに九州南部から琉球諸島に存在した可能性も考えられます。広田遺跡のmtHg-B4の2個体の較正年代は3世紀半ばへ5世紀前半で、埋葬施設(覆石墓)と埋葬姿勢(側臥屈肢)が同じなので、何らかの社会関係も想定されます。mtHg-M7a1については、九州南部から琉球諸島と九州以北の古代人および現代人集団とで、下位系統が異なっている、と報告されており(篠田他.,2021a)、今後の詳細な検証が期待されます。本論文で用いられたAPLP法は簡易的かつ迅速にmtHgの判定が行なえ、さらに詳細な分析が可能なのか、DNAの保存状態も判定できますが、より詳細な判定には次世代シークエンサーによるミトコンドリアゲノム解析が必要で、もちろん、可能ならば核ゲノム解析によって、さらに詳しい遺伝的関係が明らかになるでしょう。
参考文献:
角田恒雄、米元史織、高椋浩史、神澤秀明、舟橋京子(2025)「大友遺跡ならびに広田遺跡から出土した人骨におけるミトコンドリアDNA分析」『九州大学総合研究博物館研究報告』第228巻P71-79
https://doi.org/10.15017/7343682
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021)「佐賀県唐津市大友遺跡第5次調査出土弥生人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P385-393
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
https://doi.org/10.1537/asj.1904231
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2020)「福岡県那珂川市安徳台遺跡出土弥生中期人骨のDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第219集P199-210
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篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021a)「鹿児島県徳之島所在遺跡出土人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P449-457
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篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021b)「南九州古墳時代人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P417-425
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篠田謙一、神澤秀明、安達登、角田恒雄、竹中正巳(2021c)「鹿児島県南種子島町広田遺跡出土人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P433-439
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この記事へのコメント
いちおう調べましたが下本山以外の西北九州・南九州のゲノムデータが公開されたという情報はオンラインにありませんでした
査読前論文と日本語のみの論文を含めると、縄文時代~古墳時代の古代ゲノムデータはかなり蓄積されてきたように思えるので、海外の研究機関と合同で国際的な学術誌に日本列島の時空間的に広範囲の大規模な古代ゲノム研究を掲載してもらいたいものです。