北周の高官である高賓のゲノムデータ
北周の高官である高賓(Gao Bin)のゲノムデータを報告した研究(Yu et al., 2025)が公表されました。高賓の息子が隋の高官で煬帝(明帝)に誅殺された高熲(Gao Jiong)、高熲の息子が高表仁(Gao Biaoren)で、高表仁は日本(倭国)からの遣唐使の送使として来日したことで、日本でも比較的有名でしょう。本論文は、高賓のDNAを解析し、ゲノムデータから高賓の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を検証するとともに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も報告しています。
高賓の遺伝的祖先系統は、すべてが後期新石器時代から鉄器時代の黄河流域農耕民に由来する、とモデル化できます。つまり、高賓のゲノムからANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)的な祖先系統はほぼ検出されなかったわけです。南北朝時代において、北方から南下してきた遊牧民勢力と長城以南の在来集団との間の通婚が見られましたが、高賓の家系では少なくとも近い祖先の世代では北方起源の有力者との間の混合がなかったようです。ただ、これは高賓の場合であり、他の在来の有力な一族と北方起源の集団との間の通婚が南北朝時代には一般的ではなかった、と結論づけることはできないでしょう。
高賓は母系ではmtHg-Z4、父系ではYHg-O1a1a2b(F2444∗)で、いずれも現代人ではアジア東部南方のオーストロネシア語族話者において一般的です。ただ、mtHg-Z4の下流系統が匈奴後期のモンゴルや後期新石器時代の山東半島で見つかっており、核ゲノムの遺伝的構成要素からも、高賓の家系は現在の中国東部北方起源の可能性が高そうで、とくに現代人の母系と父系のみで人類の移動を考察することにはやはり慎重であるべきと思います。また、現在の中国の高姓のYHgにおいて、O2aとO1bとNとC2が合計で9割を占めていますが、高賓のYHgはそれらとは異なるO1a1a2b(F2444∗)ですから、YHgと氏族とを安易に結びつける危険性も改めて示されているように思います。
なお、本論文は南北朝時代の人類集団にも漢人との用語を使っていますが、これが適切なのか、疑問もあります。ただ今回は、本論文に従って漢人と訳します。以下、敬称は省略します。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
●要約
中国の南北朝時代(3~6世紀)は、中国北部における民族統合の重要な時期でした。しかし、以前の古代DNA研究はおもに、北部の民族集団に焦点を当てており、世襲支配家系に関する研究は、とくに豊富な考古学的記録と明確な資料の同一性を考慮すると、限定的でした。この研究では、世襲支配家系である高賓(503~572年)の古代ゲノムが得られ、その網羅率は0.6473倍で、124万パネルで475132ヶ所のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)が網羅されました。高賓のmtHgはZ4、YHgはO1a1a2b(F2444∗)に属します。高賓の遺伝的特性は、北方漢人と最も類似しています。高賓は、その祖先系統のすべてが後期新石器時代から鉄器時代の黄河農耕民に由来し、アジア北東部や朝鮮半島やモンゴル高原からの影響はない、とモデル化できます。本論文は、南北朝時代の民族統合の状況における世襲支配家系の遺伝的形成に光を当てます。
●研究史
南北朝時代における民族統合は、アジア東部および北東部全域の人口パターンに大きな影響を及ぼしました。この時代に、中国北部の遊牧民政権は中国の伝統的な中原の中心地の支配を強化し、漢人との頻繁な婚姻を通じて、その文化的地位を高めました【こうした評価は、漢字文化を至高とする立場からの偏見のようにも思いますが】。しかし、利用可能な歴史記録を用いてのこの統合の性質に関する詳細な情報の取得は困難かもしれません。
以前の遺伝学的研究はおもに、人口集団および支配層家系/個体の水準で、アジア東部北方および北東部に暮らす民族集団に焦点を当ててきました。人口集団の水準では、4系統の優勢な遺伝的祖先系統がこれらの地域で特徴づけられてきており、第一は、アムール川流域やモンゴル高原の新石器時代狩猟採集民および遊牧民の後継者でおもに見られる、ANA(アジア北東部古代人)祖先系統です(Jeong et al., 2020)。第二は黄河農耕民祖先系統で、この祖先系統は当初、黄河流域の近くで繁栄し、モンゴル高原および西遼河流域へと北方に拡大しました(Jeong et al., 2020、Ning et al., 2020)。第三は、ユーラシア西部草原地帯関連祖先系統で、たとえば、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化およびBMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)関連祖先系統があり、これらは初期青銅器時代にモンゴル高原へと侵入しました(Gnecchi-Ruscone et al., 2021、Lee et al., 2023)。第四は縄文関連祖先系統で、おもに日本列島に位置しています(Kim et al., 2020、Koganebuchi et al., 2023)。
支配層家系の研究は、匈奴や柔然や突厥を含めて、周辺の人口集団とのさまざまな民族集団の人口混合を明らかにしてきました。たとえば、ル・モド2(Gol Mod 2)遺跡の1号墓から発見された、おそらく匈奴の君主である単于(Chanyu)と思われる匈奴の貴族の全ゲノム解析は、アジア東部関連の祖先系統からの大きな寄与を示しました(Damgaard et al., 2018)。しかし、その父系はR1に分類され、これはユーラシア西部起源の系統で、その父系家族と東方のモンゴル高原の人口集団、たとえば石板墓(Slab Grave)文化集団との間の、父系家族集団にユーラシア東部地域への到来に続く、連続的な通婚に起因するかもしれません。同様に、柔然の人々のゲノム規模データは、アジア北東部起源を示唆しました。突厥の阿史那俟斤(Qijin、官職名)とも呼ばれる木汗可汗(Muqan Khagan)の娘である阿史那(Ashina)皇后のゲノムに関する最近の主要な研究は、おもにアジア北東部起源で、97.7%のアジア北東部祖先系統と、2.3%のユーラシア西部祖先系統であることを明らかにしました(Yang et al., 2023)。
上述の北方地域の遊牧民と南方地域の漢人との間の人口混合は、匈奴期にさかのぼるかもしれません。以前の遺伝学的研究がおもに遊牧民集団に焦点を当ててきたのに対して、とくに南北朝時代の漢人集団に関する研究は不足しています。南北朝時代に、遊牧民集団は南方へと大きく侵入し、中国の長期にわたる漢王朝の崩壊によって生じた空白を埋めました。歴史記録から、かなりの人口混合がさまざまな遊牧民の民族集団の同化に起因して起きた、と示唆されています。中国北部における人口動態を完全に理解するためには、北方漢人集団、とくに影響力と特権のある漢人家系の個体のゲノムの調査が重要です。特定された漢人個体のゲノム解析によって、民族統合の証拠を解明し、人口混合の地域的歴史に光を当てることができます。
歴史家は中国の南北朝時代とヨーロッパの中世と初期イスラム帝国(661~749年のウマイヤ朝と750~1258年のアッバース朝)の間の顕著な類似性を特定してきました。これにの類似性には、複雑な世襲支配上流階層、分権化された政治体制、荘園経済と組織化された宗教の出現、上流階級における支援者への強い依存が含まれます。中国史におけるこの期間は、分裂と頻繁な戦争によって特徴づけられる暗黒期と呼ばれることがよくあります。この不安定な時代に中国の支配上流階層は家系の結びつきで密接につながり、その社会的地位を強く守りました。支配層は階層的特権を享受し、大きな社会的および政治的影響力を有しており、数世代にわたって公職を維持したことがよくありました。閉鎖的で世襲の貴族は、高門氏族(gaomen shizu、hereditary elite household)と呼ばれてきました。この社会的階層内の婚姻はひじょうに保守的で、他の支配層家族との婚姻が選好されました。これらの影響力と特権がある漢人家系の遺伝学的評価は、この歴史的主張の正当化に役立つでしょう。
高賓(503~572年)は北朝期の高官で、支配層の高家に属していました。高賓の家系は中国北部で代々役人を務めていましたが、後に中国北東部の現在の遼寧省である遼東半島に移住しました。高賓の祖父はその後、中原に戻り、北魏王朝期に役人として勤めました。高賓自身は北魏王朝、その後で北周王朝に仕えて、北周では驃騎将軍(General of Agile Cavalry)に任命され、朝廷の最高位の大臣である開府儀同三司(Three Ducal Ministers)と同じ栄誉を受けました(図1A)。その後、『周書(Zhoushu、Book of Zhou)』と『隋書(Suishu、Book of Sui)』に記されているように、高賓は自身の功績および鮮卑貴族とのつながりの結果、独孤(Dugu)の姓を授けられました。高賓の多様な経験と経歴はその後、高氏の子孫に関する競合仮説を生み出しました。ほぼ同時代の歴史記録に基づいて、北方漢人起源を主張する者もおり、それは、高賓の渤海の氏族が中国北部起源で、北東への移動中に高氏集団との結びつきによって、高氏で卓越するようになったからです。姚薇元(Yao Weiyuan)による非中国系の姓の重要な研究を皮切りに、高氏集団が朝鮮半島の高句麗王朝(遼東半島と朝鮮半島にまたがる古代の辺境政権)に由来する、と考える者もおり、より新しい研究では、朝鮮半島の高氏の多くはその後、北周の首都に移った、と主張されています。以下は本論文の図1です。
2007年11月、陝西省の咸陽市(Xianyang City)渭城区(Weicheng District)地張鎮町(Dizhang Town)隴造村(Longzao Village)村で、陝西省考古学研究所による発掘中に高賓の遺骸が発見されました(図1B)。高賓は1個人用の木棺に埋葬され、その頭骨断片が前方玄室の西部で見つかりました。この墓には、高品質な副葬品が含まれていました。「」と刻まれた墓石は、高賓の身元をさらに明らかにしました(図1C~E)。高賓の遺伝的特性の分析は、北方民族集団の形成および統合と南北朝時代における世襲支配層家系への貴重な洞察を提供できるでしょう。
●高賓個人のゲノム規模データの生成
高賓の墓のヒト骨格資料からDNAが抽出され、ショットガン配列決定で二本鎖ライブラリへと変換されました。高賓のゲノム規模データは、0.6473倍の網羅率で生成されました。この標本は古代DNAに特徴的な死後の化学的損傷と低水準の汚染現代人の汚染を示しており、汚染率は、ミトコンドリアでは1%未満、核DNAでは0.6%未満です。この標本は男性と同定されました。124万SNPパネルと重複する475132ヶ所のSNPが得られ、次に、この古代人のデータが以前に刊行された現代人および古代人の個体群の参照データセット(Jeong et al., 2016、Jeong et al., 2020、Damgaard et al., 2018、McColl et al., 2018、Ning et al., 2020、Yang et al., 2020、Gnecchi-Ruscone et al., 2021、Gelabert et al., 2022)と統合されました。この参照データセットで収集されたのは、597569ヶ所の重複するSNPで構成されるアフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットと、1233011ヶ所の重複するSNPを含む124万データセットで、これらはその後の分析に使用されました。
片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の観点からは、高賓のmtHgは中国南部において優勢で、アジア東部南方で支配的と考えられているZ4(Li et al., 2019)です。しかし、mtHg-Zは中国北部の古代の人口集団で見つかっており、それには、西遼河の1個体や【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の鮮卑期の1個体や青海省の1個体が含まれます(Ning et al., 2020)。匈奴とモンゴル帝国の個体群にも、mtHg-Zがありました(Jeong et al., 2020)。さらに、mtHg-Z4の下流系統が匈奴後期のモンゴル北部中央の1個体や、山東半島の岳石(Yueshi)文化および青海省の卡約(Kayue)文化の青銅器時代の個体群で具体的に特定されました(Jeong et al., 2020)。高賓のYHg-O1a1a2b(F2444∗)は母系と一致して、アジア東部南方の現在のオーストロネシア語族話者において一般的です。この系統は刊行されている古代のアジア東部の個体群では見つかっていませんでした。漢人集団で観察される男性優位の社会構造と性別の偏った移動パターンを考えると、高賓はアジア東部南方に起源があるかもしれない、との仮説の検証には価値があります。
●高賓の遺伝的特性の定性的分析
古代および現在のユーラシア人口集団の文脈で高賓の遺伝的特性を調べるために、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。PCA図では、高賓はアジア東部集団との遺伝的類似性を示し、現代の北方漢人やチベット・ビルマ語派話者人口集団や黄河中流域および上流域の古代の人口集団や西遼河(West Liao River、略してWLR)流域の後期新石器時代集団(WLR_LN)とクラスタ化し(まとまり)ます(Ning et al., 2020、Wang et al., 2021、図2A)。ここでの黄河中流域および上流域の古代の人口集団とは、後期新石器時代の五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡個体(五庄果墚_LN)や黄河上流_IAや黄河_MNや黄河_LNです。さらに、K(系統構成要素数)=3~8での教師無ADMIXTUREクラスタ化分析は、黄河中流域の新石器時代以降の人口集団(つまり、黄河_LN、黄河_LBIA)と類似した高賓の遺伝的組成を明らかにしており、黄河上流_LNと共有されている主要な祖先構成要素、アジア東部南方の【台湾の先住民である】アミ人(Ami)と共有される高い割合の祖先系統、ANA関連人口集団である北モンゴル_Nに由来する低水準の祖先系統から構成されています。注目すべきことに、韓国人と高賓との間では祖先組成のパターンでいくらかの違いがありました(図2B)。以下は本論文の図2です。
PCAで示されているように、韓国人集団は高賓よりも高い割合のアジア東部北方人と関連する祖先系統を有しており、このPCAでは、古代の韓国の個体群は漢人とアジア北東部人の集団間に分布していました。歴史文献には、挹婁(Yilou)や沃沮(Woju)や夫余(Puyu)や烏桓(Wuhuan)や鮮卑などのアジア北東部集団と朝鮮半島集団との間の密接なつながりが記録されていました。古代DNA研究でも、古代および現代の韓国【朝鮮半島南部】人へのアジア北東部人の遺伝的寄与が証明されました(Cooke et al., 2021、Gelabert et al., 2022)。定性的な分析結果の観点からは、高賓は朝鮮半島の人口集団よりも黄河流域の古代の人口集団の方と密接な遺伝的類似性を共有していた、と暫定的に推測できます。
●高賓のユーラシア古代人との遺伝的関係の定量的分析
f統計を用いて、高賓と他の人口集団とのアレル(対立遺伝子)共有の水準が定量的に測定されました。f₃形式(高賓、古代人/現代人集団;ムブティ人)の外群f₃統計では、高賓は黄河流域および西遼河流域の古代の人口集団と最大の遺伝的浮動を共有し、漢人や韓国人やアジア東部南方の集団の方と、他の現代のユーラシア人口集団よりも多くの遺伝的浮動を共有していた、と示されました(図3A)。高賓の起源が高句麗にあるのかどうか、本論文は具体的に考察するために、歴史文献を結びつけて、高句麗の境界を、中国に位置する北東部地位の遼東半島と、朝鮮半島の北部の二つの状況に区分しました。高賓は韓国【朝鮮半島南部】の古代人とはより低水準の遺伝的浮動を共有しているようで、これは高賓の起源が朝鮮半島の高句麗王朝にあった、との見解をどうも裏づけませんでした。しかし、黄河流域の古代農耕民に続く、最大のf₃値(韓国人、高賓;ムブティ人)に示されているように、韓国人は他のアジア東部古代人と比較し果て、高賓と最高水準の遺伝的浮動を共有していました(図3B)。高賓と現在の韓国人との間に強い遺伝的類似性があるものの、これは高賓の遺伝的構成に韓国人【朝鮮半島古代人】からの直接的な影響を必ずしも意味するわけではない、と注意することが重要です。あるいは、この遺伝的類似性は別の状況を示唆しているのかもしれず、たとえば、古代遼東半島の農耕民が黄河流域の雑穀農耕民と遺伝的つながりを有しており、日本人と韓国人の遺伝子プールに寄与した、といったことです。以下は本論文の図3です。
比較には、さまざまな時代および地域の黄河流域と関連する人口集団が含められました。高賓は、正のf₄(アジア東部南方、ムブティ人;高賓、黄河)に反映されているように、扁扁(Bianbian)遺跡や小高(Xiaogao)遺跡や小荊山(Xiaojingshan)遺跡といった個体といった新石器時代山東半島人口集団、および黄河_MNやモンゴル南部の前期新石器時代の裕民(Yumin)遺跡個体や陝西省の後期新石器時代の石峁(Shimao)遺跡個体を含めて黄河流域新石器時代人口集団と比較すると、中国南部人とより多数のアレルを共有していた、と観察されました(図4A)。しかし、高賓を新石器時代後の黄河流域集団(黄河_LN、黄河_LBIA、黄河上流_IA)と比較すると、アジア東部南方人とのアレル共有において有意な偏差を検出できませんでした。これが示唆したのは、高賓は黄河中流域の新石器時代後の人口集団と類似しており、中国南部古代人の北方への移動から追加の遺伝的寄与の影響を受けなかった、ということです。以下は本論文の図4です。
鮮卑もしくは匈奴によって表される非漢人(胡人、東方草原地帯牧畜民)集団が中原に侵入した、南北朝時代における激しい体制の変化や動的な人口集団の相互作用を考慮して、高賓が他の東方草原地帯牧畜民に遺伝的に影響を受けたのかどうかも、調べられました。その結果、高賓は、有意ではないf₄形式(東方草原地帯牧畜民、ムブティ人;高賓、黄河)のf₄統計(図4C)で示されるように、黄河流域新石器時代の古代の人口集団と比較して、匈奴やキタイのような東方草原地帯牧畜民とより多くのアレルを共有していたわけではない、と観察され、これが予備的に示唆しているのは、高賓が東方草原地帯牧畜民によって表される非漢人集団からの影響を受けなかったことです。
●高賓の遺伝的起源を判断するための形式的な検証
次に、対でのqpWaveを用いて、高賓の黄河流域古代人集団との遺伝的類似性が形式的に検証されました(Agranat-Tamir et al., 2020、図5)。外群9集団の基本一式を用いると、高賓と黄河_MNや黄河_LNや黄河_LBIAや黄河上流_IAを含めて黄河流域集団は、単一の供給源人口集団に祖先系統が由来することと一致する、と分かりました(図4A)。ここでの外群9集団とは、ムブティ人、オンゲ人、狩猟採集民(hunter gatherer、略してHG)であるシベリアのバイカル湖近くの25000年前頃のマリタ(Mal'ta)遺跡の少年1個体(ロシア_MA1_HG.SG)、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡の個体(悪魔の門_N)、日本列島の縄文時代集団(日本_縄文)、WLR_MN、福建省の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の前期新石器時代個体(奇和洞3号)、台湾の漢本(Hanben)遺跡の鉄器時代個体(台湾_漢本)、バロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡の千年紀半ばの古代人を表しているBaBanQinCen集団です。qpAdmモデル化分析では、高賓の起源を推測するために、より制約された外群一式が用いられました。その結果、近位混合モデルでは、高賓は依然として黄河流域古代人集団(つまり、黄河_LN、黄河_LBIA)の単一供給源に祖先系統が由来する、とモデル化でき、例外は他の古代の黄河流域人口集団よりもアジア東部南方祖先系統をより低水準で有している黄河_MN(Ning et al., 2020)で、これは有意ではないf₄(アジア東部南方人、ムブティ人;高賓、黄河_LN/黄河_LBIA)の結果と一致する(図4A)、と分かりました。以下は本論文の図5です。
韓国のTaejungni遺跡の古代人標本(韓国_Taejungni)は高賓との遺伝的類似性を示しますが、Taejungni標本が共有しているSNPはわずか14551ヶ所で、この結果は決定的ではありません。したがって、Taejungni標本はさらなる考察から除外されました。qpAdm分析において、潜在的供給源としての古代および現代の韓国【朝鮮半島南部】の人口集団との黄河_LNもしくは黄河_LBIAの組み合わせを用いての、高賓の2方向混合モデル(外群は上述の基本一式)では、韓国の人口集団の割合は負と分かり、これは有意ではないf₄(韓国人、ムブティ人;高賓、黄河_LN/黄河_LBIA)の結果と一致します(図4D)。
次に、朝鮮半島の三国時代の個体群であるAKG(Ancient Korean Gyeongsangnam、韓国慶尚南道古代人)が外群一式に追加され、朝鮮半島の高句麗王朝から高賓への遺伝的影響の可能性があるのかどうか、検証されました。その結果、単一供給源として黄河_LNを用いての1方向モデルが良好な適合性を証明し続けた、と分かりました。さらに、韓国人を単一供給源として用いると、P値が黄河_LNより有意に低かったのに対して、古代の韓国【朝鮮半島南部】の人口集団を高賓の単一供給源として用いてモデル化すると、モデルは失敗しました。黄河流域人口集団の西遼河への拡大のため、遼東半島の農耕人口集団は古代黄河流域人口集団と関連する祖先系統に影響を受けました。遼東半島農耕人口集団の日本列島および朝鮮半への拡大も、戦国時時代以後に現代日本人および韓国人の遺伝子プールに影響を及ぼしました。したがって、高賓と現在の韓国人の祖先組成にはある程度の類似性があり、それは高賓と韓国人の区別の難しさにつながりました。
最後に、外群一式の識別力を高めるために、傣人(Dai)が外群に追加されました(外群=基本2)。傣人は、標本規模がより大きいアジア東部南方の人口集団です。黄河_LNは高賓の遺伝的形成を完全に説明できるものの、韓国人はそれができなかった、と分かりました。古代と現代の人口集団の組み合わせは、混合モデルへのある程度の影響を表しているかもしれないことに要注意です。この結果から、朝鮮半島の高句麗王朝と関連する祖先系統は高賓の遺伝的特性に大きくは寄与しなかった、と示唆されました。
次に、ANAが高賓に影響を及ぼしたのかどうか、調べられました。アムール川(Amur River、略してAR)流域やモンゴルの古代人、たとえば北モンゴル_NやAR_鮮卑_IAといったANAを1方向もしくは2方向モデルで供給源として用いると、高賓に適したモデルは見つかりませんでした。さらに、北モンゴル_NとAR_鮮卑_IAをqpAdm分析の外群に追加すると、1供給源としての黄河_LNでの1方向モデルが高賓にはとくによく適合する、と分かり、これは有意ではないf₄(AR_EN/北モンゴル_N/モンゴル_IA_鮮卑、ムブティ人;高賓、黄河)と一致します(図4B)。しかし、本論文の結果は、高賓が遼東半島の農耕人口集団に由来する、との仮説を却下できず、それは、遼東半島の農耕人口集団が遺伝的に、黄河流域農耕人口集団の拡大のため後期新石器時代以後は中原集団と遺伝的に同じだったからです。
124万データセットにおける韓国の個体群の限定的な数によって引き起こされる偏りの可能性を除去するために、検証には韓国人のHOデータが採用されました。その結果は、124万データセットに基づく結果と一致しました。全体的にこれらの結果は、高賓の黄河流域起源を裏づけ、高句麗起源仮説を却下する、堅牢な証拠を提供しました。
●表現型の特徴の予測
次に、高賓の表現型の特徴の特定に焦点が当てられました。HIrisPlex-Sシステムを活用して、高賓の目と髪と皮膚の色素沈着を予測できました。限定的な網羅率にも関わらず、この結果から貴重な洞察が得られ、高賓はアジア東部人に典型的な茶色の目と濃い髪と中間色の皮膚を有していた可能性が高そうです。詳細な情報は補足表S6に示されています。
●考察
3~6世紀の南北朝時代【日本では一般的に、南北朝時代は5世紀半ば~6世紀後半とされ、3~6世紀は魏晋南北朝時代と呼ばれています】は、中国北部の社会統合の重要な期間でした。しかし、古代DNAに関する先行研究はおもに北方の民族集団に焦点を当てており、支配層家系の遺伝的組成に関する研究を見過ごしていました。本論文は、北朝における高家の高官だった高賓の古代ゲノムを調べました。本論文の分析から、高賓の遺伝的特性は古代漢人関連集団、具体的には、後期新石器時代から鉄器時代の黄河流域に暮らしていた雑穀農耕民と密接に一致する、と明らかになります。この調査結果は、高賓の北方漢人祖先系統との仮説を裏づけ、朝鮮半島の高句麗起源説を却下します。さらに、さまざまな時空間的規模の古代人標本の限られた利用可能性およびヒトの人口移動の複雑な性質のため、現代人集団における母系と父系の分布のみに基づく高賓の南方起源との推測は完全には信頼できません。
高賓の祖先系統に関する複数の一連の証拠は一貫して、外見や食性や祖先組成を含めて、高賓の漢人関連の出自を示唆しています。南北朝時代には、貴族や学者官僚は類似の習慣と生活様式を共有していました。これと一致して、この研究団は安定同位体分析も実行し、高賓の食性は長安(Chang’an)市に暮らす北周の庶民と類似しており、北周の庶民の食性習慣は漢人とより密接に一致し、陝西省の関中(Guanzhong)地域の農耕人口集団の食性パターンに大きく影響を受けた、と示唆されます。これらの調査結果から、高賓は漢人関連系統を有しているだけではなく、日常生活において知識階級や貴族の伝統的習慣およびを漢人の食習慣を固守していた、と例証されました。
最深の国勢調査によると、高姓は中国のすべての姓で15位に位置し、約1700万人が高姓です。高姓の個体の大半は、山東省や江蘇省や河南省を含めて中国北部に集中しています。高姓の個体で最も一般的なYHgは、61.83%のO2a(M324)、14.51%のO1b(M268)、9.16%のN(M231)、5.34%のC2(M217)です。渤海高氏は高氏で最もよく知られており、「世界のすべての高姓は渤海に由来する」との表現があるように、高姓の祖と考えられていました。多くの現在の中国人は渤海の高氏の子孫と認識していますが、本論文は、高賓の家系が異なるYHg、つまりO1a1a2b(F2444∗)に属していたことも明らかにしました。これは、渤海高氏と高賓の家系が父系では関連していないかもしれない可能性を示唆しています。この調査結果を確証するには、さらなる証拠が必要です。
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高賓の遺伝的祖先系統は、すべてが後期新石器時代から鉄器時代の黄河流域農耕民に由来する、とモデル化できます。つまり、高賓のゲノムからANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)的な祖先系統はほぼ検出されなかったわけです。南北朝時代において、北方から南下してきた遊牧民勢力と長城以南の在来集団との間の通婚が見られましたが、高賓の家系では少なくとも近い祖先の世代では北方起源の有力者との間の混合がなかったようです。ただ、これは高賓の場合であり、他の在来の有力な一族と北方起源の集団との間の通婚が南北朝時代には一般的ではなかった、と結論づけることはできないでしょう。
高賓は母系ではmtHg-Z4、父系ではYHg-O1a1a2b(F2444∗)で、いずれも現代人ではアジア東部南方のオーストロネシア語族話者において一般的です。ただ、mtHg-Z4の下流系統が匈奴後期のモンゴルや後期新石器時代の山東半島で見つかっており、核ゲノムの遺伝的構成要素からも、高賓の家系は現在の中国東部北方起源の可能性が高そうで、とくに現代人の母系と父系のみで人類の移動を考察することにはやはり慎重であるべきと思います。また、現在の中国の高姓のYHgにおいて、O2aとO1bとNとC2が合計で9割を占めていますが、高賓のYHgはそれらとは異なるO1a1a2b(F2444∗)ですから、YHgと氏族とを安易に結びつける危険性も改めて示されているように思います。
なお、本論文は南北朝時代の人類集団にも漢人との用語を使っていますが、これが適切なのか、疑問もあります。ただ今回は、本論文に従って漢人と訳します。以下、敬称は省略します。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
●要約
中国の南北朝時代(3~6世紀)は、中国北部における民族統合の重要な時期でした。しかし、以前の古代DNA研究はおもに、北部の民族集団に焦点を当てており、世襲支配家系に関する研究は、とくに豊富な考古学的記録と明確な資料の同一性を考慮すると、限定的でした。この研究では、世襲支配家系である高賓(503~572年)の古代ゲノムが得られ、その網羅率は0.6473倍で、124万パネルで475132ヶ所のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)が網羅されました。高賓のmtHgはZ4、YHgはO1a1a2b(F2444∗)に属します。高賓の遺伝的特性は、北方漢人と最も類似しています。高賓は、その祖先系統のすべてが後期新石器時代から鉄器時代の黄河農耕民に由来し、アジア北東部や朝鮮半島やモンゴル高原からの影響はない、とモデル化できます。本論文は、南北朝時代の民族統合の状況における世襲支配家系の遺伝的形成に光を当てます。
●研究史
南北朝時代における民族統合は、アジア東部および北東部全域の人口パターンに大きな影響を及ぼしました。この時代に、中国北部の遊牧民政権は中国の伝統的な中原の中心地の支配を強化し、漢人との頻繁な婚姻を通じて、その文化的地位を高めました【こうした評価は、漢字文化を至高とする立場からの偏見のようにも思いますが】。しかし、利用可能な歴史記録を用いてのこの統合の性質に関する詳細な情報の取得は困難かもしれません。
以前の遺伝学的研究はおもに、人口集団および支配層家系/個体の水準で、アジア東部北方および北東部に暮らす民族集団に焦点を当ててきました。人口集団の水準では、4系統の優勢な遺伝的祖先系統がこれらの地域で特徴づけられてきており、第一は、アムール川流域やモンゴル高原の新石器時代狩猟採集民および遊牧民の後継者でおもに見られる、ANA(アジア北東部古代人)祖先系統です(Jeong et al., 2020)。第二は黄河農耕民祖先系統で、この祖先系統は当初、黄河流域の近くで繁栄し、モンゴル高原および西遼河流域へと北方に拡大しました(Jeong et al., 2020、Ning et al., 2020)。第三は、ユーラシア西部草原地帯関連祖先系統で、たとえば、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化およびBMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)関連祖先系統があり、これらは初期青銅器時代にモンゴル高原へと侵入しました(Gnecchi-Ruscone et al., 2021、Lee et al., 2023)。第四は縄文関連祖先系統で、おもに日本列島に位置しています(Kim et al., 2020、Koganebuchi et al., 2023)。
支配層家系の研究は、匈奴や柔然や突厥を含めて、周辺の人口集団とのさまざまな民族集団の人口混合を明らかにしてきました。たとえば、ル・モド2(Gol Mod 2)遺跡の1号墓から発見された、おそらく匈奴の君主である単于(Chanyu)と思われる匈奴の貴族の全ゲノム解析は、アジア東部関連の祖先系統からの大きな寄与を示しました(Damgaard et al., 2018)。しかし、その父系はR1に分類され、これはユーラシア西部起源の系統で、その父系家族と東方のモンゴル高原の人口集団、たとえば石板墓(Slab Grave)文化集団との間の、父系家族集団にユーラシア東部地域への到来に続く、連続的な通婚に起因するかもしれません。同様に、柔然の人々のゲノム規模データは、アジア北東部起源を示唆しました。突厥の阿史那俟斤(Qijin、官職名)とも呼ばれる木汗可汗(Muqan Khagan)の娘である阿史那(Ashina)皇后のゲノムに関する最近の主要な研究は、おもにアジア北東部起源で、97.7%のアジア北東部祖先系統と、2.3%のユーラシア西部祖先系統であることを明らかにしました(Yang et al., 2023)。
上述の北方地域の遊牧民と南方地域の漢人との間の人口混合は、匈奴期にさかのぼるかもしれません。以前の遺伝学的研究がおもに遊牧民集団に焦点を当ててきたのに対して、とくに南北朝時代の漢人集団に関する研究は不足しています。南北朝時代に、遊牧民集団は南方へと大きく侵入し、中国の長期にわたる漢王朝の崩壊によって生じた空白を埋めました。歴史記録から、かなりの人口混合がさまざまな遊牧民の民族集団の同化に起因して起きた、と示唆されています。中国北部における人口動態を完全に理解するためには、北方漢人集団、とくに影響力と特権のある漢人家系の個体のゲノムの調査が重要です。特定された漢人個体のゲノム解析によって、民族統合の証拠を解明し、人口混合の地域的歴史に光を当てることができます。
歴史家は中国の南北朝時代とヨーロッパの中世と初期イスラム帝国(661~749年のウマイヤ朝と750~1258年のアッバース朝)の間の顕著な類似性を特定してきました。これにの類似性には、複雑な世襲支配上流階層、分権化された政治体制、荘園経済と組織化された宗教の出現、上流階級における支援者への強い依存が含まれます。中国史におけるこの期間は、分裂と頻繁な戦争によって特徴づけられる暗黒期と呼ばれることがよくあります。この不安定な時代に中国の支配上流階層は家系の結びつきで密接につながり、その社会的地位を強く守りました。支配層は階層的特権を享受し、大きな社会的および政治的影響力を有しており、数世代にわたって公職を維持したことがよくありました。閉鎖的で世襲の貴族は、高門氏族(gaomen shizu、hereditary elite household)と呼ばれてきました。この社会的階層内の婚姻はひじょうに保守的で、他の支配層家族との婚姻が選好されました。これらの影響力と特権がある漢人家系の遺伝学的評価は、この歴史的主張の正当化に役立つでしょう。
高賓(503~572年)は北朝期の高官で、支配層の高家に属していました。高賓の家系は中国北部で代々役人を務めていましたが、後に中国北東部の現在の遼寧省である遼東半島に移住しました。高賓の祖父はその後、中原に戻り、北魏王朝期に役人として勤めました。高賓自身は北魏王朝、その後で北周王朝に仕えて、北周では驃騎将軍(General of Agile Cavalry)に任命され、朝廷の最高位の大臣である開府儀同三司(Three Ducal Ministers)と同じ栄誉を受けました(図1A)。その後、『周書(Zhoushu、Book of Zhou)』と『隋書(Suishu、Book of Sui)』に記されているように、高賓は自身の功績および鮮卑貴族とのつながりの結果、独孤(Dugu)の姓を授けられました。高賓の多様な経験と経歴はその後、高氏の子孫に関する競合仮説を生み出しました。ほぼ同時代の歴史記録に基づいて、北方漢人起源を主張する者もおり、それは、高賓の渤海の氏族が中国北部起源で、北東への移動中に高氏集団との結びつきによって、高氏で卓越するようになったからです。姚薇元(Yao Weiyuan)による非中国系の姓の重要な研究を皮切りに、高氏集団が朝鮮半島の高句麗王朝(遼東半島と朝鮮半島にまたがる古代の辺境政権)に由来する、と考える者もおり、より新しい研究では、朝鮮半島の高氏の多くはその後、北周の首都に移った、と主張されています。以下は本論文の図1です。
2007年11月、陝西省の咸陽市(Xianyang City)渭城区(Weicheng District)地張鎮町(Dizhang Town)隴造村(Longzao Village)村で、陝西省考古学研究所による発掘中に高賓の遺骸が発見されました(図1B)。高賓は1個人用の木棺に埋葬され、その頭骨断片が前方玄室の西部で見つかりました。この墓には、高品質な副葬品が含まれていました。「」と刻まれた墓石は、高賓の身元をさらに明らかにしました(図1C~E)。高賓の遺伝的特性の分析は、北方民族集団の形成および統合と南北朝時代における世襲支配層家系への貴重な洞察を提供できるでしょう。
●高賓個人のゲノム規模データの生成
高賓の墓のヒト骨格資料からDNAが抽出され、ショットガン配列決定で二本鎖ライブラリへと変換されました。高賓のゲノム規模データは、0.6473倍の網羅率で生成されました。この標本は古代DNAに特徴的な死後の化学的損傷と低水準の汚染現代人の汚染を示しており、汚染率は、ミトコンドリアでは1%未満、核DNAでは0.6%未満です。この標本は男性と同定されました。124万SNPパネルと重複する475132ヶ所のSNPが得られ、次に、この古代人のデータが以前に刊行された現代人および古代人の個体群の参照データセット(Jeong et al., 2016、Jeong et al., 2020、Damgaard et al., 2018、McColl et al., 2018、Ning et al., 2020、Yang et al., 2020、Gnecchi-Ruscone et al., 2021、Gelabert et al., 2022)と統合されました。この参照データセットで収集されたのは、597569ヶ所の重複するSNPで構成されるアフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットと、1233011ヶ所の重複するSNPを含む124万データセットで、これらはその後の分析に使用されました。
片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の観点からは、高賓のmtHgは中国南部において優勢で、アジア東部南方で支配的と考えられているZ4(Li et al., 2019)です。しかし、mtHg-Zは中国北部の古代の人口集団で見つかっており、それには、西遼河の1個体や【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の鮮卑期の1個体や青海省の1個体が含まれます(Ning et al., 2020)。匈奴とモンゴル帝国の個体群にも、mtHg-Zがありました(Jeong et al., 2020)。さらに、mtHg-Z4の下流系統が匈奴後期のモンゴル北部中央の1個体や、山東半島の岳石(Yueshi)文化および青海省の卡約(Kayue)文化の青銅器時代の個体群で具体的に特定されました(Jeong et al., 2020)。高賓のYHg-O1a1a2b(F2444∗)は母系と一致して、アジア東部南方の現在のオーストロネシア語族話者において一般的です。この系統は刊行されている古代のアジア東部の個体群では見つかっていませんでした。漢人集団で観察される男性優位の社会構造と性別の偏った移動パターンを考えると、高賓はアジア東部南方に起源があるかもしれない、との仮説の検証には価値があります。
●高賓の遺伝的特性の定性的分析
古代および現在のユーラシア人口集団の文脈で高賓の遺伝的特性を調べるために、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。PCA図では、高賓はアジア東部集団との遺伝的類似性を示し、現代の北方漢人やチベット・ビルマ語派話者人口集団や黄河中流域および上流域の古代の人口集団や西遼河(West Liao River、略してWLR)流域の後期新石器時代集団(WLR_LN)とクラスタ化し(まとまり)ます(Ning et al., 2020、Wang et al., 2021、図2A)。ここでの黄河中流域および上流域の古代の人口集団とは、後期新石器時代の五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡個体(五庄果墚_LN)や黄河上流_IAや黄河_MNや黄河_LNです。さらに、K(系統構成要素数)=3~8での教師無ADMIXTUREクラスタ化分析は、黄河中流域の新石器時代以降の人口集団(つまり、黄河_LN、黄河_LBIA)と類似した高賓の遺伝的組成を明らかにしており、黄河上流_LNと共有されている主要な祖先構成要素、アジア東部南方の【台湾の先住民である】アミ人(Ami)と共有される高い割合の祖先系統、ANA関連人口集団である北モンゴル_Nに由来する低水準の祖先系統から構成されています。注目すべきことに、韓国人と高賓との間では祖先組成のパターンでいくらかの違いがありました(図2B)。以下は本論文の図2です。
PCAで示されているように、韓国人集団は高賓よりも高い割合のアジア東部北方人と関連する祖先系統を有しており、このPCAでは、古代の韓国の個体群は漢人とアジア北東部人の集団間に分布していました。歴史文献には、挹婁(Yilou)や沃沮(Woju)や夫余(Puyu)や烏桓(Wuhuan)や鮮卑などのアジア北東部集団と朝鮮半島集団との間の密接なつながりが記録されていました。古代DNA研究でも、古代および現代の韓国【朝鮮半島南部】人へのアジア北東部人の遺伝的寄与が証明されました(Cooke et al., 2021、Gelabert et al., 2022)。定性的な分析結果の観点からは、高賓は朝鮮半島の人口集団よりも黄河流域の古代の人口集団の方と密接な遺伝的類似性を共有していた、と暫定的に推測できます。
●高賓のユーラシア古代人との遺伝的関係の定量的分析
f統計を用いて、高賓と他の人口集団とのアレル(対立遺伝子)共有の水準が定量的に測定されました。f₃形式(高賓、古代人/現代人集団;ムブティ人)の外群f₃統計では、高賓は黄河流域および西遼河流域の古代の人口集団と最大の遺伝的浮動を共有し、漢人や韓国人やアジア東部南方の集団の方と、他の現代のユーラシア人口集団よりも多くの遺伝的浮動を共有していた、と示されました(図3A)。高賓の起源が高句麗にあるのかどうか、本論文は具体的に考察するために、歴史文献を結びつけて、高句麗の境界を、中国に位置する北東部地位の遼東半島と、朝鮮半島の北部の二つの状況に区分しました。高賓は韓国【朝鮮半島南部】の古代人とはより低水準の遺伝的浮動を共有しているようで、これは高賓の起源が朝鮮半島の高句麗王朝にあった、との見解をどうも裏づけませんでした。しかし、黄河流域の古代農耕民に続く、最大のf₃値(韓国人、高賓;ムブティ人)に示されているように、韓国人は他のアジア東部古代人と比較し果て、高賓と最高水準の遺伝的浮動を共有していました(図3B)。高賓と現在の韓国人との間に強い遺伝的類似性があるものの、これは高賓の遺伝的構成に韓国人【朝鮮半島古代人】からの直接的な影響を必ずしも意味するわけではない、と注意することが重要です。あるいは、この遺伝的類似性は別の状況を示唆しているのかもしれず、たとえば、古代遼東半島の農耕民が黄河流域の雑穀農耕民と遺伝的つながりを有しており、日本人と韓国人の遺伝子プールに寄与した、といったことです。以下は本論文の図3です。
比較には、さまざまな時代および地域の黄河流域と関連する人口集団が含められました。高賓は、正のf₄(アジア東部南方、ムブティ人;高賓、黄河)に反映されているように、扁扁(Bianbian)遺跡や小高(Xiaogao)遺跡や小荊山(Xiaojingshan)遺跡といった個体といった新石器時代山東半島人口集団、および黄河_MNやモンゴル南部の前期新石器時代の裕民(Yumin)遺跡個体や陝西省の後期新石器時代の石峁(Shimao)遺跡個体を含めて黄河流域新石器時代人口集団と比較すると、中国南部人とより多数のアレルを共有していた、と観察されました(図4A)。しかし、高賓を新石器時代後の黄河流域集団(黄河_LN、黄河_LBIA、黄河上流_IA)と比較すると、アジア東部南方人とのアレル共有において有意な偏差を検出できませんでした。これが示唆したのは、高賓は黄河中流域の新石器時代後の人口集団と類似しており、中国南部古代人の北方への移動から追加の遺伝的寄与の影響を受けなかった、ということです。以下は本論文の図4です。
鮮卑もしくは匈奴によって表される非漢人(胡人、東方草原地帯牧畜民)集団が中原に侵入した、南北朝時代における激しい体制の変化や動的な人口集団の相互作用を考慮して、高賓が他の東方草原地帯牧畜民に遺伝的に影響を受けたのかどうかも、調べられました。その結果、高賓は、有意ではないf₄形式(東方草原地帯牧畜民、ムブティ人;高賓、黄河)のf₄統計(図4C)で示されるように、黄河流域新石器時代の古代の人口集団と比較して、匈奴やキタイのような東方草原地帯牧畜民とより多くのアレルを共有していたわけではない、と観察され、これが予備的に示唆しているのは、高賓が東方草原地帯牧畜民によって表される非漢人集団からの影響を受けなかったことです。
●高賓の遺伝的起源を判断するための形式的な検証
次に、対でのqpWaveを用いて、高賓の黄河流域古代人集団との遺伝的類似性が形式的に検証されました(Agranat-Tamir et al., 2020、図5)。外群9集団の基本一式を用いると、高賓と黄河_MNや黄河_LNや黄河_LBIAや黄河上流_IAを含めて黄河流域集団は、単一の供給源人口集団に祖先系統が由来することと一致する、と分かりました(図4A)。ここでの外群9集団とは、ムブティ人、オンゲ人、狩猟採集民(hunter gatherer、略してHG)であるシベリアのバイカル湖近くの25000年前頃のマリタ(Mal'ta)遺跡の少年1個体(ロシア_MA1_HG.SG)、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡の個体(悪魔の門_N)、日本列島の縄文時代集団(日本_縄文)、WLR_MN、福建省の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の前期新石器時代個体(奇和洞3号)、台湾の漢本(Hanben)遺跡の鉄器時代個体(台湾_漢本)、バロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡の千年紀半ばの古代人を表しているBaBanQinCen集団です。qpAdmモデル化分析では、高賓の起源を推測するために、より制約された外群一式が用いられました。その結果、近位混合モデルでは、高賓は依然として黄河流域古代人集団(つまり、黄河_LN、黄河_LBIA)の単一供給源に祖先系統が由来する、とモデル化でき、例外は他の古代の黄河流域人口集団よりもアジア東部南方祖先系統をより低水準で有している黄河_MN(Ning et al., 2020)で、これは有意ではないf₄(アジア東部南方人、ムブティ人;高賓、黄河_LN/黄河_LBIA)の結果と一致する(図4A)、と分かりました。以下は本論文の図5です。
韓国のTaejungni遺跡の古代人標本(韓国_Taejungni)は高賓との遺伝的類似性を示しますが、Taejungni標本が共有しているSNPはわずか14551ヶ所で、この結果は決定的ではありません。したがって、Taejungni標本はさらなる考察から除外されました。qpAdm分析において、潜在的供給源としての古代および現代の韓国【朝鮮半島南部】の人口集団との黄河_LNもしくは黄河_LBIAの組み合わせを用いての、高賓の2方向混合モデル(外群は上述の基本一式)では、韓国の人口集団の割合は負と分かり、これは有意ではないf₄(韓国人、ムブティ人;高賓、黄河_LN/黄河_LBIA)の結果と一致します(図4D)。
次に、朝鮮半島の三国時代の個体群であるAKG(Ancient Korean Gyeongsangnam、韓国慶尚南道古代人)が外群一式に追加され、朝鮮半島の高句麗王朝から高賓への遺伝的影響の可能性があるのかどうか、検証されました。その結果、単一供給源として黄河_LNを用いての1方向モデルが良好な適合性を証明し続けた、と分かりました。さらに、韓国人を単一供給源として用いると、P値が黄河_LNより有意に低かったのに対して、古代の韓国【朝鮮半島南部】の人口集団を高賓の単一供給源として用いてモデル化すると、モデルは失敗しました。黄河流域人口集団の西遼河への拡大のため、遼東半島の農耕人口集団は古代黄河流域人口集団と関連する祖先系統に影響を受けました。遼東半島農耕人口集団の日本列島および朝鮮半への拡大も、戦国時時代以後に現代日本人および韓国人の遺伝子プールに影響を及ぼしました。したがって、高賓と現在の韓国人の祖先組成にはある程度の類似性があり、それは高賓と韓国人の区別の難しさにつながりました。
最後に、外群一式の識別力を高めるために、傣人(Dai)が外群に追加されました(外群=基本2)。傣人は、標本規模がより大きいアジア東部南方の人口集団です。黄河_LNは高賓の遺伝的形成を完全に説明できるものの、韓国人はそれができなかった、と分かりました。古代と現代の人口集団の組み合わせは、混合モデルへのある程度の影響を表しているかもしれないことに要注意です。この結果から、朝鮮半島の高句麗王朝と関連する祖先系統は高賓の遺伝的特性に大きくは寄与しなかった、と示唆されました。
次に、ANAが高賓に影響を及ぼしたのかどうか、調べられました。アムール川(Amur River、略してAR)流域やモンゴルの古代人、たとえば北モンゴル_NやAR_鮮卑_IAといったANAを1方向もしくは2方向モデルで供給源として用いると、高賓に適したモデルは見つかりませんでした。さらに、北モンゴル_NとAR_鮮卑_IAをqpAdm分析の外群に追加すると、1供給源としての黄河_LNでの1方向モデルが高賓にはとくによく適合する、と分かり、これは有意ではないf₄(AR_EN/北モンゴル_N/モンゴル_IA_鮮卑、ムブティ人;高賓、黄河)と一致します(図4B)。しかし、本論文の結果は、高賓が遼東半島の農耕人口集団に由来する、との仮説を却下できず、それは、遼東半島の農耕人口集団が遺伝的に、黄河流域農耕人口集団の拡大のため後期新石器時代以後は中原集団と遺伝的に同じだったからです。
124万データセットにおける韓国の個体群の限定的な数によって引き起こされる偏りの可能性を除去するために、検証には韓国人のHOデータが採用されました。その結果は、124万データセットに基づく結果と一致しました。全体的にこれらの結果は、高賓の黄河流域起源を裏づけ、高句麗起源仮説を却下する、堅牢な証拠を提供しました。
●表現型の特徴の予測
次に、高賓の表現型の特徴の特定に焦点が当てられました。HIrisPlex-Sシステムを活用して、高賓の目と髪と皮膚の色素沈着を予測できました。限定的な網羅率にも関わらず、この結果から貴重な洞察が得られ、高賓はアジア東部人に典型的な茶色の目と濃い髪と中間色の皮膚を有していた可能性が高そうです。詳細な情報は補足表S6に示されています。
●考察
3~6世紀の南北朝時代【日本では一般的に、南北朝時代は5世紀半ば~6世紀後半とされ、3~6世紀は魏晋南北朝時代と呼ばれています】は、中国北部の社会統合の重要な期間でした。しかし、古代DNAに関する先行研究はおもに北方の民族集団に焦点を当てており、支配層家系の遺伝的組成に関する研究を見過ごしていました。本論文は、北朝における高家の高官だった高賓の古代ゲノムを調べました。本論文の分析から、高賓の遺伝的特性は古代漢人関連集団、具体的には、後期新石器時代から鉄器時代の黄河流域に暮らしていた雑穀農耕民と密接に一致する、と明らかになります。この調査結果は、高賓の北方漢人祖先系統との仮説を裏づけ、朝鮮半島の高句麗起源説を却下します。さらに、さまざまな時空間的規模の古代人標本の限られた利用可能性およびヒトの人口移動の複雑な性質のため、現代人集団における母系と父系の分布のみに基づく高賓の南方起源との推測は完全には信頼できません。
高賓の祖先系統に関する複数の一連の証拠は一貫して、外見や食性や祖先組成を含めて、高賓の漢人関連の出自を示唆しています。南北朝時代には、貴族や学者官僚は類似の習慣と生活様式を共有していました。これと一致して、この研究団は安定同位体分析も実行し、高賓の食性は長安(Chang’an)市に暮らす北周の庶民と類似しており、北周の庶民の食性習慣は漢人とより密接に一致し、陝西省の関中(Guanzhong)地域の農耕人口集団の食性パターンに大きく影響を受けた、と示唆されます。これらの調査結果から、高賓は漢人関連系統を有しているだけではなく、日常生活において知識階級や貴族の伝統的習慣およびを漢人の食習慣を固守していた、と例証されました。
最深の国勢調査によると、高姓は中国のすべての姓で15位に位置し、約1700万人が高姓です。高姓の個体の大半は、山東省や江蘇省や河南省を含めて中国北部に集中しています。高姓の個体で最も一般的なYHgは、61.83%のO2a(M324)、14.51%のO1b(M268)、9.16%のN(M231)、5.34%のC2(M217)です。渤海高氏は高氏で最もよく知られており、「世界のすべての高姓は渤海に由来する」との表現があるように、高姓の祖と考えられていました。多くの現在の中国人は渤海の高氏の子孫と認識していますが、本論文は、高賓の家系が異なるYHg、つまりO1a1a2b(F2444∗)に属していたことも明らかにしました。これは、渤海高氏と高賓の家系が父系では関連していないかもしれない可能性を示唆しています。この調査結果を確証するには、さらなる証拠が必要です。
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