愛知県の朝日遺跡の弥生時代人類のゲノムデータ
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、愛知県清須市にある朝日遺跡で発見された弥生時代人類のゲノムデータを報告した研究(篠田他.,2024)が公表されました。本論文は、朝日遺跡で発見された弥生時代中期もしくはそれ以降の人類23個体のうち、コラーゲンの残存状態が良好な1個体(13号)のゲノムデータを報告しています。この朝日遺跡の13号のゲノム解析結果については、すでに2023年の研究(藤尾.,2023)でやや詳しく言及されていましたが、本論文ではさらに詳しく検証されているので、当ブログで取り上げることにします。
本論文は主成分分析(principal component analysis、略してPCA)の結果に基づいて、朝日遺跡で発見された1個体(13号)が、遺伝的には現代日本人集団の範囲の境界、「渡来系」弥生時代集団の範囲内に位置し、その中でも現在の韓国人もしくは北京の漢人のより近くに位置している、と指摘します。本論文はそこから、日本列島における稲作農耕の初期の拡散が、縄文時代集団との混合をさほど伴わなかった可能性を指摘します。朝日遺跡から100kmほど離れている、愛知県田原市伊川津町の貝塚では、朝日遺跡の13号人骨と近い年代(2720~2418年前頃)の人類遺骸(IK002)が発見されていますが、IK002は遺伝的には既知の縄文時代集団と一まとまりを形成します(Gakuhari et al., 2020)。縄文時代から弥生時代というか、植物栽培も時に行ないつつ狩猟採集が主体だった時代から、農耕への依存度が高い時代への移行の時期は、日本列島において地域差が大きかったようで、稲作農耕の到来によって稲作農耕集団が短期間で日本列島を席巻した、といった単純な想定はできないようです。
PCAの図示から、現代日本人集団のみならず、現代韓国人集団にも縄文時代集団につながる集団の遺伝子がある、と本論文は指摘します。ただ、朝鮮半島の三国時代の伽耶の人類集団のゲノムを報告した研究(Gelabert et al., 2022)では、三国時代の伽耶の人類集団のゲノムに見られる縄文的構成要素は現代韓国人では見られず、中国の朝鮮人のゲノムについて報告した研究(Sun et al., 2023)でも、中国の朝鮮人は現代韓国人と強い遺伝的類似性を有しており、縄文的構成要素を有していない、と示されています。現時点では、現代朝鮮人が縄文時代集団から直接的な遺伝的影響を明確に検出できるほど多く受けている可能性は低い、と考えるべきでしょう。
朝鮮半島南岸の中期新石器時代については、ゲノムに縄文的構成要素を有する複数の個体が示されており(Robbeets et al., 2021)、本論文は、弥生時代の「渡来系」集団が現代韓国人と遺伝的に異なっていた可能性を指摘します。おそらく、朝鮮半島でも新石器時代から三国時代にかけて人類集団の遺伝的構成は大きく変容しており、朝鮮半島から日本列島に到来した人類集団は時期によって遺伝的構成が異なっており、さらには近い年代でも遺伝的構成が明確に異なっていた可能性さえ想定されます。とはいえ、朝鮮半島の人類集団が基本的には、アムール川流域と黄河流域の新石器時代集団を両極とする遺伝的構成要素で形成されていることも確かで、現代日本人集団も同様ですから(Ning et al., 2020)、弥生時代以降の日本列島へのユーラシア大陸東部からの人口流入において、その遺伝的差異を識別することは難しそうで、本論文が指摘するように、日本列島に稲作をもたらした集団の特定は難しそうです。この問題については、最近公表された新たな手法で、遺伝的構成の類似した集団間の相互作用をじゅうらいよりも高解像度で推測できる、と示されているので(Speidel et al., 2025)、ユーラシア東部圏への適用と研究の進展が期待されます。
ゲノムに縄文的構成要素を有する韓国南岸の中期新石器時代個体群には、本論文で取り上げられている、獐項(ジャンハン)遺跡で発見された6300年前頃の2個体も含まれます。これについて本論文は、朝鮮半島人類集団では現代でも、縄文時代集団につながる遺伝子がある可能性を指摘します。これは重要な問題を含んでおり、中期新石器時代には、ロシア極東沿岸でも、ゲノムに縄文的構成要素を有する集団が確認されています(Wang et al., 2021)。これを、縄文時代の日本列島からユーラシア東部大陸沿岸への遺伝子流動と解釈することもできますが、縄文時代集団からの直接的な影響を想定せずとも、ゲノムに縄文的構成要素を有する集団のモデル化は可能です(Huang et al., 2022)。ゲノムがほぼ縄文的構成要素でモデル化できる、朝鮮半島南岸の後期新石器時代の欲知島(Yokchido)遺跡の個体(Robbeets et al., 2021)はともかく、他の低い割合の縄文的構成要素でモデル化できる朝鮮半島南岸の中期新石器時代個体群についても、縄文時代集団からの直接的な遺伝的影響がなかった可能性を想定しておくべきでしょう。なお、獐項遺跡の6300年前頃となる2個体により表される集団が、縄文時代集団から直接的に遺伝的影響を受けていたとしても、現代日本人集団における縄文的構成要素の断片化の程度から、現代日本人集団の主要な祖先だった可能性はきわめて低そうです(藤尾.,2023)。以下は本論文の概要です。
●朝日遺跡と13号人骨
朝日遺跡は愛知県清須市大字朝日に位置しており、東西約1.4km、南北約0.8kmの大規模な弥生時代の遺跡です。土壙には膝を折り曲げて脚部を立てた状態で埋葬された人骨もあることから、木棺を使用した可能性が高いと考えられています。土壙はIV・V期( 中期中葉:高蔵式期、歴博年代で紀元前3 世紀半ば) に埋没した遺構の上から掘られており、また上部が古墳時代の層で覆われていることから、IV・V期~古墳時代の人骨と考えられていました。朝日遺跡は、稲作とともに拡散したと考えられている遠賀川系土器が出土する、東の分布限界に位置しており、弥生時代の典型的な「渡来系」集団の痕跡と推測されています。
朝日遺跡の土壙墓から発見された23個体の古人骨のうち、コラーゲンの残存状態が良好な、13号人骨でゲノム解析が試みられました。13号人骨は、北東を頭位として仰臥屈葬で埋葬され、右膝を約60度、左膝をほぼ直角に屈曲して左方に倒していました(図1)。13号人骨では、左上顎骨の歯槽から口蓋にかけての部分、右上顎骨の歯槽後端部、下顎骨全体、鱗部以外の側頭骨などがよく残っていました。13号人骨は、身長が160cm程度の20代前半の男性で、下顎に歯周病が見られます。以下は本論文の図1です。
朝日遺跡13号人骨の放射性炭素(¹⁴C)年代は2528±21年前で、IntCal13とMarine13の較正曲線の混合モデルでは、広い時間的範囲のどこか(1σでは紀元前770~紀元前560年頃、2σでは紀元前775~紀元前540年頃)となります。伊勢湾沿岸地域で水田稲作が始まるのはI期中段階からなので、較正年代の上限は紀元前6世紀後半のI期中段階まで絞り込める、と指摘されています。土壙墓が造営された地点が、この地域において最初に水田稲作が始まった遺跡の一つである貝殻山貝塚の南に位置していることなどから、13号人骨の年代は弥生時代I期中段階と判断されました。
●ゲノム解析
2010年代以降のNGS(next-generation sequencing、次世代配列決定)技術の進歩と配列決定の費用減少によって、個人の出自に関する情報の取得が可能となり(Slon et al., 2018)、弥生時代の人類の遺伝的な特徴についての研究も進んでいます(篠田他., 2019、篠田他.,2020)。朝日遺跡で発見された13号人骨の他に12号人骨でも、ミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、そのmtDNAハプログループ(mtHg)は、12号がD4g1b、13号がB4c1a1a1a と決定されました(篠田他.,2021)。この両mtHgは縄文時代の人類集団とは異なっており(図2)、弥生時代以降にユーラシア東方大陸部からもたらされた、と考えられています。13号のY染色体ハプログループ(YHg)は、縄文時代人類集団ではまだ確認されていないO1b2a1a1です【縄文時代人類集団もしくは縄文時代人類集団と遺伝的に一まとまりを形成する個体のYHgでは、まだD1a2aしか確認されていないと思います】。以下は本論文の図2です。
13号人骨からは、ゲノム全体の75.9%を網羅し、平均深度3.37倍のゲノムデータが得られました。これは系統関係の判断には充分な品質なので、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)データに基づいてPCAが実行されました(図3)。図3の左下から斜め右上の方向に向かって、ユーラシア東部の集団が北から南に向かって並んでいます。現代日本人はこの大陸集団から離れた場所に位置しており、北京の漢人と現代日本人の中間には現代韓国人が位置しています。縄文時代個体群は現代のアジア集団とは遺伝的に大きく異なった場所に位置している、と本論文は指摘します。以下は本論文の図3です。
本土の現代日本人がもつ遺伝的な特徴は、アジア北東部大陸集団と縄文集団の結合によって形成された、と本論文は推測します。現代韓国人の位置から、朝鮮半島の現代人集団にも縄文時代集団につながる集団の遺伝子がある、と本論文は指摘します。これについて本論文は、現生人類(Homo sapiens)の初期拡散で大陸沿岸を北上した集団の遺伝子が朝鮮半島にも残っていた、との解釈が最も可能性は高いだろう、と指摘します。6300年前頃となる韓国の新石器時代の獐項遺跡の2個体のゲノムで、いずれも現代韓国人よりも多い縄文的構成要素が確認されています。韓国南岸の中期新石器時代遺跡では、獐項遺跡の2個体と遺伝的に類似した個体が発見されていますが、縄文的構成要素の割合は、獐項遺跡の2個体と類似している個体から、ほぼ皆無の個体までさまざまです(Robbeets et al., 2021)。
図3に示されているように、弥生時代の日本列島の人類集団は、縄文時代集団と遺伝的に一まとまりを形成する東北地方の個体から、現代日本人集団と一まとまりを形成する個体群まで、さらには縄文時代集団と現代日本人集団の中間的な西北九州の2個体(篠田他., 2019)も存在し、遺伝的には多様です。さらに、上述のように韓国の南岸でゲノムに縄文的構成要素を有する新石器時代の個体群が確認されているので、弥生時代以降の「渡来系集団」が縄文時代集団と遺伝的に系統はまったく異なっていたとは限らない、と本論文は示唆します。弥生時代以降の「渡来系集団」は現在の韓国人と遺伝的に同一視できないかもしれない、というわけです。
朝日遺跡13号人骨は、弥生時代の「渡来系」個体群でも、現在の韓国人もしくは北京の漢人のより近くに位置しています(図3)。朝日遺跡13号人骨の年代は、九州北部に稲作農耕が到来してから数百年後となりますが、ヨーロッパでも、農耕集団が拡散する際には、最初はあまり在来集団と混合せず、後に混合が起こった、と報告されています(Rivollat et al., 2020)。そのため本論文は、日本列島における弥生時代の稲作拡散でも、弥生時代の「渡来系」集団と縄文時代集団に由来する在来集団との遺伝的混合が、稲作農耕の拡散と同時ではなく、遅れて起きたかもしれない、と推測しています。また本論文は、日本列島の弥生時代以降と朝鮮半島の中期新石器時代以降の人類集団が遺伝的に多様であることから、日本列島に稲作をもたらした集団の特定が難しいことも指摘します。
参考文献:
Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01162-2
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Gelabert P. et al.(2022): Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea. Current Biology, 32, 15, 3232–3244.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.004
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Huang X. et al.(2022): Genomic Insights Into the Demographic History of the Southern Chinese. Frontiers in Ecology and Evolution, 10:853391.
https://doi.org/10.3389/fevo.2022.853391
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Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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Rivollat M. et al.(2020): Ancient genome-wide DNA from France highlights the complexity of interactions between Mesolithic hunter-gatherers and Neolithic farmers. Science Advances, 6, 22, eaaz5344.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaz5344
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Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature, 599, 7886, 616–621.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
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Slon V. et al.(2018): The genome of the offspring of a Neanderthal mother and a Denisovan father. Nature, 561, 7721, 113–116.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0455-x
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Speidel L. et al.(2025): High-resolution genomic history of early medieval Europe. Nature, 637, 8044, 118–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08275-2
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Sun N. et al.(2023): The genetic structure and admixture of Manchus and Koreans in northeast China. Annals of Human Biology, 50, 1, 161–171.
https://doi.org/10.1080/03014460.2023.2182912
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Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
https://doi.org/10.1537/asj.1904231
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2020)「福岡県那珂川市安徳台遺跡出土弥生中期人骨のDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第219集P199-210
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2021)「愛知県清須市朝日遺跡出土弥生人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P277-285
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篠田謙一、神澤秀明、藤尾慎一郎(2024)「朝日遺跡出土の渡来系弥生人」『あいち朝日遺跡ミュージアム研究紀要』第3号、P29-35
藤尾慎一郎(2023)「弥生人の成立と展開2 韓半島新石器時代人との遺伝的な関係を中心に」『国立歴史民俗博物館研究報告』第242集P35-60
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000021
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本論文は主成分分析(principal component analysis、略してPCA)の結果に基づいて、朝日遺跡で発見された1個体(13号)が、遺伝的には現代日本人集団の範囲の境界、「渡来系」弥生時代集団の範囲内に位置し、その中でも現在の韓国人もしくは北京の漢人のより近くに位置している、と指摘します。本論文はそこから、日本列島における稲作農耕の初期の拡散が、縄文時代集団との混合をさほど伴わなかった可能性を指摘します。朝日遺跡から100kmほど離れている、愛知県田原市伊川津町の貝塚では、朝日遺跡の13号人骨と近い年代(2720~2418年前頃)の人類遺骸(IK002)が発見されていますが、IK002は遺伝的には既知の縄文時代集団と一まとまりを形成します(Gakuhari et al., 2020)。縄文時代から弥生時代というか、植物栽培も時に行ないつつ狩猟採集が主体だった時代から、農耕への依存度が高い時代への移行の時期は、日本列島において地域差が大きかったようで、稲作農耕の到来によって稲作農耕集団が短期間で日本列島を席巻した、といった単純な想定はできないようです。
PCAの図示から、現代日本人集団のみならず、現代韓国人集団にも縄文時代集団につながる集団の遺伝子がある、と本論文は指摘します。ただ、朝鮮半島の三国時代の伽耶の人類集団のゲノムを報告した研究(Gelabert et al., 2022)では、三国時代の伽耶の人類集団のゲノムに見られる縄文的構成要素は現代韓国人では見られず、中国の朝鮮人のゲノムについて報告した研究(Sun et al., 2023)でも、中国の朝鮮人は現代韓国人と強い遺伝的類似性を有しており、縄文的構成要素を有していない、と示されています。現時点では、現代朝鮮人が縄文時代集団から直接的な遺伝的影響を明確に検出できるほど多く受けている可能性は低い、と考えるべきでしょう。
朝鮮半島南岸の中期新石器時代については、ゲノムに縄文的構成要素を有する複数の個体が示されており(Robbeets et al., 2021)、本論文は、弥生時代の「渡来系」集団が現代韓国人と遺伝的に異なっていた可能性を指摘します。おそらく、朝鮮半島でも新石器時代から三国時代にかけて人類集団の遺伝的構成は大きく変容しており、朝鮮半島から日本列島に到来した人類集団は時期によって遺伝的構成が異なっており、さらには近い年代でも遺伝的構成が明確に異なっていた可能性さえ想定されます。とはいえ、朝鮮半島の人類集団が基本的には、アムール川流域と黄河流域の新石器時代集団を両極とする遺伝的構成要素で形成されていることも確かで、現代日本人集団も同様ですから(Ning et al., 2020)、弥生時代以降の日本列島へのユーラシア大陸東部からの人口流入において、その遺伝的差異を識別することは難しそうで、本論文が指摘するように、日本列島に稲作をもたらした集団の特定は難しそうです。この問題については、最近公表された新たな手法で、遺伝的構成の類似した集団間の相互作用をじゅうらいよりも高解像度で推測できる、と示されているので(Speidel et al., 2025)、ユーラシア東部圏への適用と研究の進展が期待されます。
ゲノムに縄文的構成要素を有する韓国南岸の中期新石器時代個体群には、本論文で取り上げられている、獐項(ジャンハン)遺跡で発見された6300年前頃の2個体も含まれます。これについて本論文は、朝鮮半島人類集団では現代でも、縄文時代集団につながる遺伝子がある可能性を指摘します。これは重要な問題を含んでおり、中期新石器時代には、ロシア極東沿岸でも、ゲノムに縄文的構成要素を有する集団が確認されています(Wang et al., 2021)。これを、縄文時代の日本列島からユーラシア東部大陸沿岸への遺伝子流動と解釈することもできますが、縄文時代集団からの直接的な影響を想定せずとも、ゲノムに縄文的構成要素を有する集団のモデル化は可能です(Huang et al., 2022)。ゲノムがほぼ縄文的構成要素でモデル化できる、朝鮮半島南岸の後期新石器時代の欲知島(Yokchido)遺跡の個体(Robbeets et al., 2021)はともかく、他の低い割合の縄文的構成要素でモデル化できる朝鮮半島南岸の中期新石器時代個体群についても、縄文時代集団からの直接的な遺伝的影響がなかった可能性を想定しておくべきでしょう。なお、獐項遺跡の6300年前頃となる2個体により表される集団が、縄文時代集団から直接的に遺伝的影響を受けていたとしても、現代日本人集団における縄文的構成要素の断片化の程度から、現代日本人集団の主要な祖先だった可能性はきわめて低そうです(藤尾.,2023)。以下は本論文の概要です。
●朝日遺跡と13号人骨
朝日遺跡は愛知県清須市大字朝日に位置しており、東西約1.4km、南北約0.8kmの大規模な弥生時代の遺跡です。土壙には膝を折り曲げて脚部を立てた状態で埋葬された人骨もあることから、木棺を使用した可能性が高いと考えられています。土壙はIV・V期( 中期中葉:高蔵式期、歴博年代で紀元前3 世紀半ば) に埋没した遺構の上から掘られており、また上部が古墳時代の層で覆われていることから、IV・V期~古墳時代の人骨と考えられていました。朝日遺跡は、稲作とともに拡散したと考えられている遠賀川系土器が出土する、東の分布限界に位置しており、弥生時代の典型的な「渡来系」集団の痕跡と推測されています。
朝日遺跡の土壙墓から発見された23個体の古人骨のうち、コラーゲンの残存状態が良好な、13号人骨でゲノム解析が試みられました。13号人骨は、北東を頭位として仰臥屈葬で埋葬され、右膝を約60度、左膝をほぼ直角に屈曲して左方に倒していました(図1)。13号人骨では、左上顎骨の歯槽から口蓋にかけての部分、右上顎骨の歯槽後端部、下顎骨全体、鱗部以外の側頭骨などがよく残っていました。13号人骨は、身長が160cm程度の20代前半の男性で、下顎に歯周病が見られます。以下は本論文の図1です。
朝日遺跡13号人骨の放射性炭素(¹⁴C)年代は2528±21年前で、IntCal13とMarine13の較正曲線の混合モデルでは、広い時間的範囲のどこか(1σでは紀元前770~紀元前560年頃、2σでは紀元前775~紀元前540年頃)となります。伊勢湾沿岸地域で水田稲作が始まるのはI期中段階からなので、較正年代の上限は紀元前6世紀後半のI期中段階まで絞り込める、と指摘されています。土壙墓が造営された地点が、この地域において最初に水田稲作が始まった遺跡の一つである貝殻山貝塚の南に位置していることなどから、13号人骨の年代は弥生時代I期中段階と判断されました。
●ゲノム解析
2010年代以降のNGS(next-generation sequencing、次世代配列決定)技術の進歩と配列決定の費用減少によって、個人の出自に関する情報の取得が可能となり(Slon et al., 2018)、弥生時代の人類の遺伝的な特徴についての研究も進んでいます(篠田他., 2019、篠田他.,2020)。朝日遺跡で発見された13号人骨の他に12号人骨でも、ミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、そのmtDNAハプログループ(mtHg)は、12号がD4g1b、13号がB4c1a1a1a と決定されました(篠田他.,2021)。この両mtHgは縄文時代の人類集団とは異なっており(図2)、弥生時代以降にユーラシア東方大陸部からもたらされた、と考えられています。13号のY染色体ハプログループ(YHg)は、縄文時代人類集団ではまだ確認されていないO1b2a1a1です【縄文時代人類集団もしくは縄文時代人類集団と遺伝的に一まとまりを形成する個体のYHgでは、まだD1a2aしか確認されていないと思います】。以下は本論文の図2です。
13号人骨からは、ゲノム全体の75.9%を網羅し、平均深度3.37倍のゲノムデータが得られました。これは系統関係の判断には充分な品質なので、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)データに基づいてPCAが実行されました(図3)。図3の左下から斜め右上の方向に向かって、ユーラシア東部の集団が北から南に向かって並んでいます。現代日本人はこの大陸集団から離れた場所に位置しており、北京の漢人と現代日本人の中間には現代韓国人が位置しています。縄文時代個体群は現代のアジア集団とは遺伝的に大きく異なった場所に位置している、と本論文は指摘します。以下は本論文の図3です。
本土の現代日本人がもつ遺伝的な特徴は、アジア北東部大陸集団と縄文集団の結合によって形成された、と本論文は推測します。現代韓国人の位置から、朝鮮半島の現代人集団にも縄文時代集団につながる集団の遺伝子がある、と本論文は指摘します。これについて本論文は、現生人類(Homo sapiens)の初期拡散で大陸沿岸を北上した集団の遺伝子が朝鮮半島にも残っていた、との解釈が最も可能性は高いだろう、と指摘します。6300年前頃となる韓国の新石器時代の獐項遺跡の2個体のゲノムで、いずれも現代韓国人よりも多い縄文的構成要素が確認されています。韓国南岸の中期新石器時代遺跡では、獐項遺跡の2個体と遺伝的に類似した個体が発見されていますが、縄文的構成要素の割合は、獐項遺跡の2個体と類似している個体から、ほぼ皆無の個体までさまざまです(Robbeets et al., 2021)。
図3に示されているように、弥生時代の日本列島の人類集団は、縄文時代集団と遺伝的に一まとまりを形成する東北地方の個体から、現代日本人集団と一まとまりを形成する個体群まで、さらには縄文時代集団と現代日本人集団の中間的な西北九州の2個体(篠田他., 2019)も存在し、遺伝的には多様です。さらに、上述のように韓国の南岸でゲノムに縄文的構成要素を有する新石器時代の個体群が確認されているので、弥生時代以降の「渡来系集団」が縄文時代集団と遺伝的に系統はまったく異なっていたとは限らない、と本論文は示唆します。弥生時代以降の「渡来系集団」は現在の韓国人と遺伝的に同一視できないかもしれない、というわけです。
朝日遺跡13号人骨は、弥生時代の「渡来系」個体群でも、現在の韓国人もしくは北京の漢人のより近くに位置しています(図3)。朝日遺跡13号人骨の年代は、九州北部に稲作農耕が到来してから数百年後となりますが、ヨーロッパでも、農耕集団が拡散する際には、最初はあまり在来集団と混合せず、後に混合が起こった、と報告されています(Rivollat et al., 2020)。そのため本論文は、日本列島における弥生時代の稲作拡散でも、弥生時代の「渡来系」集団と縄文時代集団に由来する在来集団との遺伝的混合が、稲作農耕の拡散と同時ではなく、遅れて起きたかもしれない、と推測しています。また本論文は、日本列島の弥生時代以降と朝鮮半島の中期新石器時代以降の人類集団が遺伝的に多様であることから、日本列島に稲作をもたらした集団の特定が難しいことも指摘します。
参考文献:
Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01162-2
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Gelabert P. et al.(2022): Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea. Current Biology, 32, 15, 3232–3244.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.004
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Huang X. et al.(2022): Genomic Insights Into the Demographic History of the Southern Chinese. Frontiers in Ecology and Evolution, 10:853391.
https://doi.org/10.3389/fevo.2022.853391
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Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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Rivollat M. et al.(2020): Ancient genome-wide DNA from France highlights the complexity of interactions between Mesolithic hunter-gatherers and Neolithic farmers. Science Advances, 6, 22, eaaz5344.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaz5344
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Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature, 599, 7886, 616–621.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
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Slon V. et al.(2018): The genome of the offspring of a Neanderthal mother and a Denisovan father. Nature, 561, 7721, 113–116.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0455-x
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Speidel L. et al.(2025): High-resolution genomic history of early medieval Europe. Nature, 637, 8044, 118–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08275-2
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Sun N. et al.(2023): The genetic structure and admixture of Manchus and Koreans in northeast China. Annals of Human Biology, 50, 1, 161–171.
https://doi.org/10.1080/03014460.2023.2182912
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Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
https://doi.org/10.1537/asj.1904231
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https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000021
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この記事へのコメント
これまでの研究で弥生時代に渡来が集中した九州北部は現代の本土集団の中で最も渡来系が強いわけではなく、古墳時代~飛鳥時代に渡来が集中した近畿が特段に渡来系が強いとされているのもあるので気になりました。
13号は紀元前5世紀から6世紀頃のもので2025年現在O1b2a1a1に属す最古の人骨ですね。
やはり渡来系弥生人にはO1b2a1a1が多かったのでしょうか。
雑記帳さんの仰る通り狭義の「縄文人」のYから今尚D1a2aしか検出されていない点はもっと重視されるべきでしょう
また本論文でも記載がある朝鮮新石器系のジャンハン遺跡からD1a2aが検出されていることから、弥生以降の交雑個体からD1a2aが見つかったとして必ずしも列島在来系と限らず、ゲノムでは朝鮮南部で大陸系統と交雑し渡来系統化した「環流」の可能性も考えられると思います
あと朝日13号のO1b2a1a1に関して、この朝日13号が炭素年代で約2500〜2700BP、同じくO1b2a1a1の長崎下本山3号が確か2000BPでしたが、TMRCA上は2100年ごろに日中韓の枝が分岐したと指摘されています
下本山3号はTMRCAと整合的(交雑に掛かった時間を除く)ですが、朝日13号の炭素年代はTMRCAよりも明らかに早いです。(しかも愛知なので、論文で指摘の通り中国北部からの移動時間もそれなりにあるでしょう)
この場合、TMRCAと炭素年代のどちらかに問題があるという事になります
あと下の方と同じくO2a系統が弥生時代人から未だ検出例のない事に関しても気になります
まぁ当然Yハプロは古代日本人のDNA全体の一側面でしかなく、ほんの参考程度にしかならないと思います
私も人の事は言えないですが、古代日本人のYハプロ関係の記事が出る度に毎回コメント欄が伸びるのはどうかと思います
そうした古墳時代以降の渡来系集団は後の畿内を中心に定着した場合が多いでしょうから、近畿地方の現代人の遺伝的構成に影響を及ぼしたり、父系で弥生時代までには存在しなかったか低頻度だった系統を新たにもたらし、頻度を増加させたりしても、不思議ではないように思います。
弥生時代に日本列島到来した集団のY染色体ハプログループで、O1b2a1a1の割合が一定以上存在した可能性は高いように思います。
Y染色体ハプログループD1a2aが縄文時代の日本列島から朝鮮半島南岸にもたらされ、それが弥生時代以降に日本列島に「戻ってきた」可能性は以前から考えていましたが、近年想定しているのは、現代日本人のY染色体ハプログループD1a2aに、「縄文人」と近い過去に一部の祖先を共有しているものの、「縄文人」とは異なる集団からもたらされた系統もあるのではないか、ということです(アムール川流域の11000年前頃の個体でY染色体ハプログループDEが見つかっています)。まあ、Y染色体重視の人からは、細かい系統関係や分岐年代や現代人の頻度や少ない古代人のデータからそれはあり得ない、と批判されるかもしれませんが、一般論で言えば、ある地域で現在、存在したり高頻度だったりするか、存在しなかったり低頻度だったりする遺伝的変異が過去も同様とは限りません。
率直に言うと私は、人類の移動と集団の形成において常染色体よりY染色体をずっと優先するような、「父系原理主義」とも言うべき立場を昔からまったく支持していないので、当ブログでもY染色体のみの研究はあまり取り上げませんし、個人的な意見でも触れることはさほどありません(社会構造の解明ではY染色体を重視しています)。
繰り返すと、一般論で言えば、ある地域で現在、存在したり高頻度だったりするか、存在しなかったり低頻度だったりする遺伝的変異が過去も同様とは限らないわけで、完新世においてさえ人類集団の絶滅やほぼ完全な置換が珍しくなかった、と古代ゲノム研究で明らかになりつつあることを考えると、古代人の少ないデータを参照しつつも、おもに現代人のデータに依拠し、父系を重視して、系統関係や分岐年代や頻度から過去の移動と分布を推測するのは危険と考えています。
YFullのTMRCAや形成年代にしても、時空間的に(おそらく階層間でも)1世代の年代が異なる、と推測されていることを考えると、絶対視することはできない、と考えています。
父系を重視する立場では、更新世におけるユーラシア東方(アジア東部/南東部)からユーラシア西方への拡散と父系の置換の可能性を指摘した研究もあり、私も専門家ではないので当ブログで取り上げたさいに強く否定しませんでしたが、当時はもちろん今はなおさら、考古学や古代ゲノム研究と整合的とはとても言えず、父系をきょくたんに重視するとこうした大間違いに至る危険性がある、と考えています。もちろん、そうした見解が私見よりも妥当だと判明する可能性はありますが。
4年前に、ミトコンドリアとY染色体では確実に「系統」を追えるものの、核DNAではできない、と指摘されたことがあり、父系を常染色体より重視する人がいるのは仕方ないかもしれませんが、後期ネアンデルタール人が父系と母系の両方で、デニソワ人よりも現生人類の方と近縁であることも踏まえると、人類の過去の移動と分布や系統関係について、父系をきょくたんに重視する立場にはまったく同意できません。
まあ、私が父系について詳しくないのは否定できませんので、父系の細かい系統関係やTMRCAや形成年代や分布と頻度を見ていけば、人類の過去の移動を常染色体よりもずっと確実に解明できる、との主張に対して、逐一完全に否定できるだけの見識はありませんが。
実際には、核ゲノム解析によって、この45000年前頃のドイツにいた現生人類集団は、4万年前頃以降の現生人類との明確な遺伝的つながりが確認されておらず、絶滅したと考えられているわけですが。
> 繰り返すと、一般論で言えば、ある地域で現在、存在したり高頻度だったりするか、存在しなかったり低頻度だったりする遺伝的変異が過去も同様とは限らないわけで、完新世においてさえ人類集団の絶滅やほぼ完全な置換が珍しくなかった、と古代ゲノム研究で明らかになりつつあることを考えると、古代人の少ないデータを参照しつつも、おもに現代人のデータに依拠し、父系を重視して、系統関係や分岐年代や頻度から過去の移動と分布を推測するのは危険と考えています。
私もこれがある為、Yを筆頭としたマーカー単体そのものが、古代人系統の代用として完全に信用にたるものと思っていません
特に極端に人口の少ない古代人社会では、特定の系統の独占・置換が容易に存在しうる事から、古代人交雑・移動の実態の全てを必ず反映できていると思えないです
なので、それぞれのマーカー単体で人類の移動を考えると、互いに矛盾し必ず不整合な結論になります
TMRCAに関しても同意見です
>率直に言うと私は、人類の移動と集団の形成において常染色体よりY染色体をずっと優先するような、「父系原理主義」とも言うべき立場を昔からまったく支持していないので、当ブログでもY染色体のみの研究はあまり取り上げませんし、個人的な意見でも触れることはさほどありません(社会構造の解明ではY染色体を重視しています)。
私も全く同様です
古代DNA展に行って思ったのは、学術界で以前は人類の移動を論じるために使われていたYやミトコンドリアは、現在では性別の判定や古代社会の親族関係の解明に重点的に使用されているという印象でした
私は再三篠田の姿勢への批判を行っていますが、ただやはり彼も最新の知見にアップデートしていると思います
私も過去の言動で反省すべき点が多くあり、篠田や他の人のことを強く言えませんが、時代的にかなり認識が変わってきているのは事実だと思います
現代日本人の形成について「縄文人」と「弥生人」と二分化する風潮が大衆やメディアで一般になっているように見えますが、古墳時代以降の渡来や9世紀から10世紀の古代共同体の解体期にも着目してほしいと考えています。古代社会には磯間や下本山に似た遺伝子構成を持つ住民がそれなりに存在した可能性があるからです。
土井ヶ浜遺跡個体のゲノム解析によって、現代日本人集団の遺伝的構成について、縄文と弥生の二元論的認識が一般層に再び広く浸透するのではないか、とも懸念していますが、古墳時代(~飛鳥時代)のユーラシア大陸東部からの日本列島への流入の遺伝的影響はおそらくとても無視できないほほど大きいでしょうし、平安時代前期の古代集落崩壊は、確かに現代日本人集団の遺伝的形成で重視せねばならない、と私も考えています。