渤海の島嶼部の古代人のゲノムデータ

 渤海の島嶼部の古代人のゲノムデータを報告した研究(Zhang X, and Zhang F., 2025)が公表されました。本論文は、渤海の山東半島と遼東半島の間に位置する、苗島(Miaodao)諸島の砣磯(Tuoji)島の大口(Dakou)遺跡で発見された先史時代人類のゲノムデータを報告しています。大口遺跡は現在の行政区分では、中華人民共和国山東省煙台市蓬萊(Penglai)区の砣磯町に位置します。先史時代の砣磯島は文化的には山東半島の影響を強く受けていたようで、山東半島の完新世の先史時代は、8300~7400年前頃の後李(Houli)文化、7400~6200年前頃の北辛(Beixin)文化→6200~4600年前頃の大汶口(Dawenkou)文化→4600~4000年前頃の龍山(Longshan)文化→3900~3500年前頃の岳石(Yueshi)文化と展開します(Fang et al., 2025)。

 砣磯島も龍山文化の影響を強く受けており、本論文は龍山文化から岳石文化にかけての大口遺跡で発見された人類遺骸のゲノムデータを報告しています。その結果、龍山文化期における山東半島内陸部から砣磯島への広範な文化的影響にも関わらず、大口遺跡個体群の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、おもに龍山文化に先行する大汶口文化期集団とのつながりを反映しており、現在の中国南部沿岸地域の古代人とつながる追加の祖先系統も検出されました。これは、砣磯島における龍山文化に先行する人口移動と、龍山文化期における大規模な人口移動がない文化拡散を示唆しています。

 さらに、大口遺跡の岳石文化期個体では、内陸部からよりも沿岸地域の方から多くの遺伝的影響が示され、砣磯島における龍山文化と岳石文化の遺伝的連続性とともに、動的な沿岸部の人口移動が浮き彫りになります。対照的に、龍山文化期の内陸部人口集団では、近隣地域からの大規模な遺伝的流入の痕跡が検出されませんでした。もちろん、ゲノム解析された個体数は少ないので留保は必要ですが、本論文によって、文化と遺伝とを安易に関連づけではならない、と改めて示されており、これは日本列島も含めて他地域にも当てはまることだと思います。なお、時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、龍山文化(LS)です。


●要約

 龍山文化期(紀元前2500~紀元前1900年頃)は、複雑な社会構造の出現と初期国家形成によって特徴づけられる、中国中央部における変容期でした。ヒトの移動がこれらの発展に役割を果たした可能性は高そうですが、この期間における移動の規模と性質は依然としてよく理解されていません。龍山文化人口集団に関する以前の古代DNA研究は、山東内陸部の個体群に焦点を当てており、島嶼部人口集団から利用可能な古代DNAデータはありません。本論文では、砣磯島の龍山文化およびその後の岳石文化の個体群からの最初の古代DNA解析が提示されます。本論文の調査結果から、山東の内陸部龍山文化の広範な文化的影響にも関わらず、砣磯島個体群の遺伝的祖先系統はおもに、龍山文化に先行する大汶口文化のつながりを反映しており、中国南部沿岸地域とつながる追加の祖先系統がある、と示唆されます。これは、龍山文化期の前の砣磯島へのそれ以前となる人口移動を示唆しています。しかし、龍山文化期には、砣磯島における龍山文化の資料の拡大は、内陸部からの顕著な人口混合ではなく、着想の拡散を表しているようです。さらに本論文では、岳石文化人口集団が内陸部からよりも沿岸地域の方から多くの遺伝的影響を示すため、砣磯島における龍山文化と岳石文化の遺伝的連続性が示されており、沿岸部の移住の動的性質が浮き彫りにされます。対照的に、龍山文化期内陸部人口集団は、近隣地域からの顕著な遺伝的流入を示しません。本論文は、新石器時代の中国における先史時代人口集団の理解を深めるだけではなく、この重要な期間における移動と文化的交流のパターンへの新たな洞察も提供します。


●研究史

 苗島諸島は膠東半島と遼東半島の二つの半島間に位置し、アジア東部全域の先史時代の文化交流およびヒトの移動における海路の役割の研究で重要な位置を占めています。わずか数海里しか離れていない複数の島々から構成される苗島諸島は、膠東半島と遼東半島との間の自然の架け橋です。この地理的近さのため、広大な海路網の構築が可能となり、苗島諸島は初期の海洋体系の中心地となりました。こうして、苗島諸島はヒトの移動の架け橋として機能し、苗島諸島の島々における農耕と文化と技術の拡大の中心地にもなりました。

 苗島諸島は新石器時代、とくに龍山文化期(紀元前2500~紀元前1900年頃)において活発な交流の中心地でした。これらの島々で行なわれた考古学的研究を通じて、支石墓(ドルメン)や石器や土器や他の人工遺物の豊富な物質文化観察が可能で、これはすべて、刊行と革新の交流の枠組み内で形成されました。考古学と言語学両方の証拠から、苗島諸島は人々および農耕慣行、とくに稲作の移動や、土器模様の技術や埋葬慣行の伝達の拠点として長く機能してきた、と強く示唆されます。これらの交流は、膠東半島と遼東半島における先史時代社会の形成に重要な役割を果たし、広大な地理的地域(山東半島、朝鮮半島、日本列島さえ)を含んでいた、地域単位にわたる文化と技術の長距離交流を表していました。おそらく、最大の文化的交流は、稲作農耕の拡大における関与でした。この海路は、山東半島を横断して渤海や朝鮮半島や日本列島への長江流域からの稲作の拡散にもきわめて重要でした。苗島諸島をつなぐ海路は、灌漑技術や農具に関する技術の発展を含めて、農耕の移転と伝播の重要な中継地点として機能しました。これらの交流は局所的な経済のみならず、沿岸部地域における新石器時代社会の形成にも大きな役割を果たしました。これらの農耕と技術の移転をアジア東部大陸部のより北東部に伝えるにあたっての仲介における苗島諸島の役割は、アジア東部の初期農耕景観の形成における苗島諸島の重要性を浮き彫りにします。近年、考古学的関心を通じて、龍山文化期における苗島諸島の人口集団の研究に新たな方向性が見られました。

 アジア東部の北部における最近の古代DNA研究は、大きな考古学的文化の変化のある動的な人口の移動が、ヒトの人口移動および混合とつねに結びついていたことを示してきました(Mao et al., 2021、Ning et al., 2020、Robbeets et al., 2021、Wang CC et al., 2021、Yang et al., 2020)。黄河中流域および下流域の古代DNA解析からは、山東省の中期新石器時代の大汶口文化と関連する人口集団は在来の狩猟採集民の祖先系統だけではなく、黄河中流域の仰韶(Yangshao)文化からの遺伝的寄与も含んでいた、と示されます(Du et al., 2024、Fang et al., 2025、Liu et al., 2025)。後期新石器時代までに、龍山文化個体群は仰韶文化からの連続的な遺伝的寄与だけではなく、イネの最初の栽培化が観察された長江流域からの人口集団と関連する追加の祖先系統を示しており、中国南部からの人口集団がこの地域の人口集団へと混合したことを示しています(Ning et al., 2020)。龍山文化から鉄器時代まで、中原の人口集団は近隣地域からの遺伝的寄与が限定的か皆無の、強い遺伝的連続性を示します(Ning et al., 2020)。黄河下流域と比較すると、黄河中流域は、仰韶文化個体群とともに大きな人口拡大が中国北東部の西遼河流域の紅山(Hongshan)文化個体群にその祖先系統の60%を寄与し、この影響は紅山文化に続く夏家店下層(Lower Xiajiadian)文化期にはほぼ100%に達する、と示します(Ning et al., 2020)。黄河中流域の人口の動的な拡大は、中国の西部および南西部にも顕著な影響を残しており、たとえば、チベット高原や現在の四川省および雲南省の新石器時代個体群に、その遺伝子の約90%を寄与しました(Tao et al., 2023)。

 これらの洞察にも関わらず、山東沿岸からの最近のゲノム研究は、移動回廊としてのこの地域の潜在的役割を浮き彫りにしてきており、日本列島の弥生時代後の人口集団と沿岸部人口集団との間の密接な遺伝的関係の証拠があります(Liu et al., 2025)【本論文のこの解説にはやや問題があり、Liu et al., 2025では、琉球諸島の宮古島の長墓遺跡の古代人と山東半島の古代人との遺伝的つながりが示されていますが、本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」の古墳時代集団については、山東半島古代人集団関連の祖先系統を有するとはモデル化できない、と指摘されており、日本列島「本土」の古墳時代以降の集団におけるアジア東部関連祖先系統の起源は曖昧なままです】。しかし、これまで中国で刊行された古代ゲノムはすべて本土沿岸部に由来し、島嶼部からの古代ゲノムは文献では依然として欠如しています。この空隙は、アジア東部全域の先史時代のヒトの移動の理解を制約します。これに対処するために、本論文は苗島諸島の砣磯島の大口遺跡の古代ゲノムを提示し、この重要な地域における移動パターンの解明に役立つ新たなデータを提供します。


●資料と手法

 大口遺跡は山東省煙台市蓬萊区砣磯町の砣磯島の、窮人頂山(Qiong Ren Ding Mountain)の南麓に位置し、海抜は119mです(図1)。1980年11月~12月の病院の水道管建設のさいに、病院の北側斜面で4基の墓が発見され、卵殻土器二重盃などの出土遺物に基づいて、この大口遺跡は龍山文化期と推測されました。1982年9月の試掘で、海岸線から約270mの標高34mで95m²の区域において、2ヶ所の住居、22基の墓、9ヶ所の家畜穴、10ヶ所の火の痕跡が見つかりました。人骨遺骸の放射性炭素年代測定によって、大口遺跡の第1期は紀元前2285~紀元前1564年頃の龍山文化期に、第2期は貴景勝2046~紀元前1482年頃の岳石文化期に相当する、と示唆されました。合計19点のヒト骨格が発掘され、その内訳は、龍山文化期が10点、岳石文化期が9点です。以下は本論文の図1です。
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 古代DNA解析のため、6個体の歯の標本が採取されました。遺伝的性別は、常染色体とX染色体およびY染色体とおよびの網羅率の比によって決定されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)配列から、そのハプログループ(mtHg)が決定されました。集団遺伝学的分析ではまず、アフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットのユーラシア現代人2077個体と、イルミナ(Illumina)社の124万ヶ所のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)のアジア東部の266個体の部分集合を用いて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。ADMIXTUREは、教師無分析が実行されました。アレル(対立遺伝子)頻度が1%未満の遺伝子標識は除外されました。アフリカ人の外群からの分岐からの対象集団とユーラシア集団との間の遺伝的関係を評価するため、外群f3統計が計算されました。さらに、f4統計も計算されました。

 qpWaveとqpAdmを用いて、具体的な古代人および現代人との遺伝的関係も検証されました。検証対象として、アフリカのムブティ人、レヴァントの続旧石器時代のナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)個体群、イランのテペ・ガンジュ・ダレー(Tepe Ganj Dareh)遺跡の新石器時代農耕民(イラン_ガンジュダレー_N)、後期更新世のヨーロッパの狩猟採集民(Hunter-Gatherer、略してHG)であるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体(ヴィッラブルーナ_HG)、中央アメリカ大陸の先住民であるミヘー人(Mixe)、台湾先住民のアミ人(Ami)、タイミル半島の先住民であるサモエド人(ガナサン人)もカムチャッカ半島の先住民であるイテリメン人(Itelmen)が用いられ、広範な遺伝的多様性を表しています。中国北部の古代人集団が、ガナサン人(Nganasan)およびイテリメン人との遺伝的類似性増加を示すことから、ガナサン人とイテリメン人を外群一式から除外することでも、これらの人口集団がモデル化されました。


●大口遺跡個体群の自然人類学的分析

 大口遺跡の後期龍山文化から、保存状態の良好な6個体(男女3個体ずつ)で頭蓋基底部測定が慎重に行なわれました。男性はM12とM20とM22、女性はM8とM15とM16です。これらの調査結果から、山東の大汶口文化期における古代の住民の頭蓋顔面の形態的特徴のかなりの一貫性にも関わらず、龍山文化期への発展は頭蓋形態における複雑さと微妙な差異の増加をもたらした、と明らかになります。大口遺跡の龍山文化期から発掘されたヒト骨格遺骸は、山東の中央部北方の丁公(Dinggong)遺跡および山東北部の城子崖(Chengziya)遺跡の個体群とともに、大汶口文化人口集団に特徴的な重要な頭蓋顔面の形態的特徴を示します。重要なことに、これらの遺骸は短頭(丸い頭骨)形態から中頭(中間的な幅の頭骨)的な特徴へと移行する、顕著な変化を示唆している一方で、広い鼻への傾向がより顕著になっています。逆に、山東南西部の西呉寺(Xiwusi)遺跡の骨格遺骸は、広い鼻へと向かうこの傾向も示しているものの、短頭(丸い頭骨)頭蓋指標を示し続ています。この差異は、そうした個体が属していた龍山文化の固有の局所的反復と組み合わさった、各遺跡が龍山文化を採用する時期の違いに起因するかもしれません。これらの形態学的変化の理解は、頭蓋の特徴の進化に光を当てるだけではなく、古代社会における文化的適応の理解を深めることにもなります。

 M8とM12も古代DNA検証を受けました。30歳くらいの女性であるM8には、狭く、長頭形態で、後頭骨の特徴が発達せず、広い顔面の特徴がある、比較的完全な頭骨があり、骨盤骨は不完全で、骨は発掘中には巻貝の殻や小石で覆われており、特定の埋葬慣行が示唆されます。M12は30~35歳くらいの男性で、現代中国人集団と類似した、中程度に発達した眼窩上隆起と四角の顎のある楕円形の頭骨を示しています。M12の頭蓋計測分析は、狭い形態の長頭の高い頭蓋型や、骨盤骨および仙骨の欠損を示唆しており、骨に押しつけられた石は、特定の埋葬慣行を示唆しています。


●大口遺跡からの古代ゲノムデータ生成

 まず、イルミナ社の配列決定ライブラリで、浅いショットガン配列決定を用いて、大口遺跡の古代人6個体が検査されました(表1)。その結果、大口遺跡の標本は保存状態が良好ではなく、3個体のみが1%超のヒト内在性DNAを有していた、と示されます。ゲノムデータの確実性は、複数の測定で検証されました。全標本が古代DNAに特徴的な死後の化学的損傷を示し、推定された現代人のDNA汚染率は5%未満だった、と確証されます。半数体遺伝子型が、アフィメトリクス社のHOプラットフォームから、593124ヶ所の常染色体のSNPで生成されました。これらの遺伝子型は、刊行されている古代人のゲノムデータやHOおよび124万SNPデータセットの現代人個体群と統合されました。集団に基づく分析ではまず、古代の個体群が年代や地理や考古学的背景や遺伝的特性によって分類されました。以下は本論文の表1です。
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●大口遺跡個体群の遺伝的構造

 古代山東人口集団の遺伝的特性の包括的理解を得るために、まず本論文の標本がユーラシア現代人集団の遺伝的差異の上位2主成分(PC1対PC2)へと投影されました。予測されたように、大口遺跡の3個体はすべてアジア東部現代人やアジア東部の刊行されている古代人の遺伝的差異内に、とくにPC1軸に沿って収まりました(図2A)。これは大口遺跡個体群が他のアジア東部人口集団と密接に一致することを示唆しており、その特定の遺伝的類似性のさらなる調査の基礎を提供します。アジア東部人内の差異を徹底的に調べるために、アジア東部現代人の18人口集団群を含めて、分析が拡張されました。最初の2主成分は、たとえば、オロチョン人(Oroqen)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)やシボ人(Xibo)などツングース語族話者人口集団や、チベット人や、中国南部およびアジア南西部の人口集団を含めて、異なる集団を区別しました(図2B)。同じパターンは教師無混合分析でも観察され、砣磯島の大口遺跡個体群は、アジア東部の古代と現在両方の人口集団と同じ遺伝的構造を共有しており(図2C)、山東の新石器時代個体群と最も多くの遺伝的浮動を共有しています。以下は本論文の図2です。
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 注目すべきことに、大口遺跡個体群はその遺伝的類似性に基づいて異なる2クラスタ(まとまり)に分けられました(図2)。一方のクラスタは砣磯_1と分類表示され、個体M3から構成され、遺伝的には龍山文化や黄河流域の大汶口文化の人口集団と一致します。このクラスタは、中国北部のより広い遺伝的景観への明確なつながりを論証します。対照的に、第二のクラスタはそれぞれ岳石文化期と龍山文化期の個体であるM2とM8を含んでいます。対称性検定から、M2とM8は相互にクレード(単系統群)を形成す、と示唆されるので、この2個体は単一の集団である砣磯_2に分類されます。砣磯_1と比較すると、砣磯_2は中国南部の人口集団の方への顕著な動きを示しており、龍山文化期における中国南部地域からの影響の可能性が示唆されます。これらの地域的変化にも関わらず、外群f3統計分析から、砣磯_1と砣磯_2の両方は、アジア東部の他の古代および現在の人口集団と比較すると、相互と最高の遺伝的類似性を共有している、と明らかになります。この遺伝的関係は大口遺跡個体群の相関性を強調し、共通の遺伝的起源もしくはこれら2集団間の顕著な遺伝子流動を示唆します。さらに、最高の共有された遺伝的類似性が観察されたのは、砣磯島と地理的に隣接している山東省の古代の個体群でした。この近接性から、近隣地域、とくに山東からの大陸の影響が龍山文化期における大口遺跡個体群の遺伝的構造の形成に大きな役割を果たした、と示唆されます。これらの調査結果は、山東および近隣地域の古代の人口集団の遺伝的景観への重要な洞察を提供し、龍山文化の遺伝的多様性に寄与した地域的な遺伝的影響の複雑な相互作用を浮き彫りにします。


●本土の同時代の個体群と比較しての独特な遺伝的構造

 外群f3統計分析から、大口遺跡個体群は、その遺伝的な下部構造にも関わらず、大汶口文化や龍山文化と関連する個体群を含めて、山東内陸部のそれ以前および同時代の個体群と最高の遺伝的類似性を共有している、と示されます。しかし、大口遺跡個体群は遺伝的に、PCAでは中国南部の人口集団の方への移動を示す内陸部龍山文化個体群とは異なります。この兆候は、龍山文化(LS)の城子崖遺跡や尹家城(YinJiaCheng)遺跡の個体を用いた、f4形式(ムブティ人、X;LS_城子崖/LS_尹家城、砣磯_1/砣磯_2)の対称性検定によってさらに確証され、ここでのXはアジア東部の古代および現在のさまざまな人口集団を、LS_城子崖とLS_尹家城は山東省の内陸部龍山文化人口集団を表します。予測されたように、砣磯_1と砣磯_2は両方とも中国南部およびアジア南東部の人口集団との有意な遺伝的類似性を示しており(図3)、山東内陸部の龍山文化個体群と比較して、龍山文化島嶼部個体群は中国南部人口集団とのさらなる遺伝的類似性を示し、砣磯島への人口集団の混合の余分なもしくは異なる波が示唆されます。以下は本論文の図3です。
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 大口遺跡個体群は、qpAdm分析によって証明されるように、2方向混合によって最適にモデル化できます。砣磯_1と砣磯_2は両方とも山東内陸部の大汶口文化個体群と中国南部の沿岸部地域の個体群、たとえば福建省の前期新石器時代の亮島(Liangdao)遺跡個体と関連する別の祖先系統でモデル化され、その内訳は、山東内陸部の主要な祖先系統(80%)と、中国南部からの残り(20%)の祖先系統です。この結果から、山東内陸部からの遺伝的影響は龍山文化期に先行し、龍山文化期には砣磯島への龍山文化の拡大が単に着想の拡散で、大規模な人口移動を富なっていなかった、と示されます。


●考察

 龍山文化期(紀元前2500~紀元前1900年頃)は、複雑な社会構造の出現と初期国家形成によって特徴づけられる、中国中央部における変容期でした。この期間には、広範な交流網を通じて物質文化と観念的慣行の拡大が見られ、それは紀元前三千年紀後半までに都市中心部の発展に寄与しました。ヒトの移動はこれらの変化に役割を果たした可能性が高いものの、移動の規模と性質は依然としてよく理解されていません。山東は龍山文化の中心地で山岳地帯であり、周辺の平原には集落が見られます。重要な遺跡には、城子崖や丁公や田旺(Tianwang)遺跡や辺線王(Bianxianwang)遺跡があり、そのうち城子崖遺跡が最大(約20ヘクタール)です。両城鎮(Liangchengzhen)遺跡(273ヘクタール)と尭王城(Yaowangcheng)遺跡(368ヘクタール)は山東において最大の遺跡で、南東部沿岸の近くに位置しており、より小さく、経済的に統合された集落に囲まれていて、この2ヶ所の遺跡が競合する政体の政治的中心地だったことを示唆しています。これらの遺跡からは、土器や石器や織物や翡翠と金属で作られた威信財が生産されました。農耕慣行にはイネや雑穀やコムギが含まれており、アワが最も広く栽培された穀物でしたが、それはおもに家畜の飼料に用いられました。砣磯島に位置する大口遺跡は、物質文化と戦略的な地理的位置の両方に基づいて龍山文化と関連づけられています。これによって、古代DNA解析のレンズを通じて、新石器時代における沿岸部の移住および内陸部人口集団との相互作用役割を調べる、独特な機会が提供されます。

 大口遺跡個体群の遺伝的分析は、山東内陸部人口集団(Fang et al., 2025、Liu et al., 2025、Yang et al., 2020)、とくに大汶口文化および龍山文化と関連する人口集団との強い遺伝的類似性を明らかにします。この遺伝学的証拠から、砣磯島は本土から物質文化の影響を受け取っただけではなく、人口移動もあった、と示唆されます。しかし、龍山文化期との時間的重複にも関わらず、本論文のqpAdm分析から、中原の龍山文化人口集団は大口遺跡個体群の遺伝的組成に適切なモデルを提供しない、と示唆されます。代わりに、大口遺跡人口集団の遺伝的構造は、先行する大汶口文化、とくに涪江(Fujiang River)考古学的遺跡(Du et al., 2024)の人口集団とより密接に類似しており、新石器時代における砣磯島への人口集団の初期の移住が示唆されます。この人口移動は龍山文化の前に起きたようで、龍山文化の影響は、大規模な人口移動ではなく、着想と物質文化の拡散に限定されていた可能性が高そうです。

 興味深いことに、大口遺跡個体群は涪江遺跡の大汶口文化人口集団と強い遺伝的つながりを共有していますが、この祖先系統のみではモデル化できません。より良好な適合は、別の遺伝的構成要素を導入すると得られ、具体的には、福建地域の人口集団など、中国南部の沿岸部人口集団からの遺伝的構成要素(Yang et al., 2020)です。南方沿岸部からのこの遺伝的寄与は、内陸部集団のみならず沿岸部人口集団も砣磯島の住民の遺伝的構成に影響を及ぼした、人口動態の複雑なパターンを示唆しています。この遺伝学的証拠は、龍山文化と関連する山東内陸部人口集団とは著しく対照的で、この人口集団の遺伝的構造はおもに先行する大汶口文化に由来し、中国南部からの顕著な遺伝的流入はありません(Wang T et al., 2021)【ただ、本論文で引用されている研究(Du et al., 2024、Fang et al., 2025)でも、確かに山東地域において後期新石器時代となる龍山文化期に、アジア東部南方的な祖先系統の確認されない個体も存在し、その意味では砣磯島の龍山文化期個体とは異なるものの、龍山文化期のみならず、すでに中期新石器時代となる大汶口文化期には、山東内陸部において一部の個体にアジア東部南方的な祖先系統が低い割合ながら見られる、と指摘されています】。代わりに、山東内陸部の龍山文化期個体群は、仰韶文化からの遺伝的寄与も継承していたようで、それは龍山文化期に先行します。これは、内陸部龍山文化期における遺伝的連続性と中国南部からのかなりの遺伝的流入の欠如の独特なパターンを浮き彫りにしており、人口移動の地域的特異性が強調されます。大口遺跡人口集団における沿岸地域からの遺伝的寄与の存在は、新石器時代における中国南東部沿岸に沿った人口移動の強い動態を示唆します。このパターンから、沿岸部の移動経路がこの期間には重要で、内陸部と沿岸部の地域間の文化および遺伝的交流を促進した、と示唆されます。

 これらの結果は、新石器時代の人口動態に新たな証拠を提供し、それは、龍山文化と関連する内陸部の移動および文化の拡大は新石器時代の中国で起きた主要な過程だった、との長年の見解に疑問を提起します。むしろ、この調査結果は、龍山文化の人口集団の遺伝的構造における沿岸部地域重要性を強調し、この仮定における移動をより複雑なものとして特徴づけます。大口遺跡には、2ヶ所の以前の遺跡の集団よりも高い遺伝的多様性があり、海岸沿いの魅力的な拡大と動的な相互作用の両方が頂点にたっしたことを示唆しています。これは、先史時代の中国における、社会的交流網の発展の理解や農耕様式の拡大や海路の役割の理解への示唆ともなります。


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