アフリカ東部における150万年前頃の骨角器

 アフリカ東部における150万年前頃の骨角器を報告した研究(Torre et al., 2025)が公表されました。本論文は、タンザニア北部のオルドヴァイ峡谷のFLK(Frida Leakey Korongo、フリダ・リーキー・コロンゴ)西小峡谷で発見された骨角器の分析から、この地域で150万年前頃には体系的に骨角器が製作されていた、と報告します。これまで、最古級の体系的な骨角器製作は40万~25万年前頃のヨーロッパのアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)までしかさかのぼらない、との見解が有力だったので、体系的な骨角器製作の年代が大きく繰り上がることになります。この骨角器は、おもにカバやゾウに由来する大型哺乳類の四肢骨断片から製作されており、本論文はこれを革新的と評価し、後の効率的で革新的な技術につながった可能性とともに、こうした初期の骨角器技術が100万年以上にわたって出現と消滅を繰り返していた可能性も指摘しています。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●要約

 最近の証拠から、石器技術の始まりはホモ属の出現に先行し[1]、霊長類の進化系統にまで深くさかのぼるかもしれない[2]、と示唆されています。対照的に、骨角器技術は明らかに200万年前頃以降の人類に固有で、最古級の体系的な骨角器製作は現時点で、40万~25万年前頃のヨーロッパのアシューリアン遺跡に限られています。本論文は、150万年前頃と推定されるオルドヴァイ峡谷の単一の層序学的層準内で発見された、打割によって成形された骨角器群を報告します。おもにカバやゾウに由来する大型哺乳類の四肢骨断片が成形され、巨大な長い道具を含めて、さまざまな道具が製作されました。この発見の前には、アフリカの中期石器時代の前の骨角器の製作が、初期ホモ属の道具一式の、時折の場当たり的で代表的ではないものとして、広く認識されていました。しかし、本論文の結果から、オルドワンと初期アシューリアンとの移行期において、アフリカ東部の人類は石から骨への打割技術の転用および適用を伴った、独自の文化的革新を見いだした、と論証されます。




 人類の食性への動物資源の取り込みはホモ属の進化における画期的な出来事で、最近の証拠[8]では、260万年前頃までに人類は肉を利用するため石器で動物の死骸を解体していた、と確証されています。技術によって促進された人類の侵食の結果として、動物の骨格要素の利用が、消費のためのおもな役割に加えて、人口部の製作も含むまでに拡大したのはいつか、との問題が浮かび上がります。この革新は、石器技術と並行して、社会的学習を通じて継承される、技術的および解剖学的知識といった特定の知識を伴っており、更新世人類の文化発展の形成に寄与した、新しい柔軟な適応への機会を開きました。

 前期(下部)更新世の骨角器の証拠は乏しく、240万~80万年前頃のアフリカ南部の数ヶ所の遺跡では、掘削やシロアリの採食活動において、四肢骨幹断片や角核が、打割によって意図的に形成されたわけではないものの、用いられていました。タンザニアのオルドヴァイ峡谷では、以前には骨角器とされていた化石で精査されたのはわずか数点で、地表での発見物(つまり、元々の堆積状況から出たもの)や、100万年以上にわたって層序学的間隔にまたがって散在する孤立した標本が含まれています。エチオピア南部のコンソ(Konso)でも、いくつかの散在している打割された骨の人工遺物が発見されており、地表ではあるものの140万年前頃の堆積物に割り当てられた骨の握斧の発見が含まれます。

 打割によって成形された骨角器は、50万年前頃以後のユーラシアの中期更新世においてより高頻度になりました。両面骨角器は、レヴァントのレヴァディム採石場(Revadim Quarry)遺跡、ヨーロッパ中央部ではハンガリーのヴェルテッスゾロス(Vértesszőlős)遺跡やドイツのドイツのビルツィングスレーベン(Bilzingsleben)遺跡、ヨーロッパ南部ではイタリアのフォンターナ・ラヌッチョ(Fontana Ranuccio)遺跡およびカステル・ディ・グイド(Castel di Guido)遺跡、中国の重慶市の白市駅(Bashiyi)遺跡で見つかっています。皮質もしくは髄質表面に剥片除去痕がある、1ヶ所もしくは複数の縁を有する便宜的かもしれない骨幹断片は、その一部が楔もしくは中間形の道具として解釈されており、早ければ海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)9のヨーロッパにおいて、スペイン北部のアタプエルカ山地(Sierra de Atapuerca)のグラン・ドリナ(Gran Dolina)洞窟遺跡、ドイツ北部のニーダーザクセン(Lower Saxony)州のシェーニンゲン(Schöningen)遺跡、イタリアのカステル・ディ・グイド遺跡やラ・ポレドララ・ディ・セカニッビオ(La Polledrara di Cecanibbio)遺跡やレビッビア=カサル・デ・パッツィ(Rebibbia-Casal de’ Pazzi)遺跡に存在します。アジア東部では、同様の道具が更新世全体を通じて報告されています。削ったり研磨したり掘ったりするなどの技術で成形された骨角器は、槍や鏃や棘のある先端や錐や梁などの多様化して専門化した道具の製作を可能とし、アフリカの9万年前頃以後の中期石器時代となる後期(上部)更新世[27]、および45000年前頃のユーラシア[32]にやっと出現します。

 初期の打割骨角器の記録の疎らな性質は、研究者が、骨角器の製作と使用における行動の一貫性を特定することや、初期人類の生計とに位置に骨角器が果たした役割を確証することを妨げてきました。本論文は、確実に150万年前頃と年代測定された、タンザニアのオルドヴァイ峡谷第2層の単一の層準から発見された骨角器群を報告し、この骨角器群は体系的な骨角器製作の他の証拠に100万年以上先行し、初期人類の骨角器技術のほぼ未知の世界に新たな光を当てます。


●T69複合体考古学的遺跡

 T69複合体は、タンザニア北部のオルドヴァイ峡谷の西小峡谷のFLKに位置します。この遺跡は、初期アシューリアン石器群が報告されている、第2層の中部と上部の層序学的中間に位置しています。放射性および年代層序データは、T69複合体遺跡が150万年前頃であることを確証します。T69複合体には、2015~2022年に発掘された11ヶ所の試掘坑が含まれます。骨角器も出土した考古学的遺物群は、傾捨相と水流相が交互に起きた沖積平野環境を示唆する、沈泥と砂の中間内に堆積していました。

 この遺物群には、2cmもしくはそれ以上で、ほぼ地元で利用可能な珪岩で製作された10900点以上の石器と、多くのより小さな石器(41000点以上)が含まれています。この石器群には、石核(747点)や打割礫器(50点)や叩き石の道具(2804点)や剥片(8358点)が含まれ、37点の大型切断用道具(Large Cutting Tool、略してLCT)の存在によってアシューリアンに分類されています。この石器群には、9419点以上の識別可能な脊椎動物化石と13413点の未識別の骨の断片も含まれています。豊富な魚類やワニ類やカバの遺骸は、水源が近いことを示唆する岩石学的データと一致します。大型哺乳類群はウシ科とカバが優占し、カバは比較的完全な遺骸で見られます。ウマ類やイノシシ科やゾウやサイや他の分類群も存在します。カバは最も豊富な属で、骨は人為的処理の証拠を示すことが多く、人類がカバの死骸の利用可能性によってT69複合体地域に引き寄せられたことを示唆しています。


●骨角器群

 骨角器を含むT69複合体の動物相遺骸は、優れた保存状態を示し、これによって詳しい自然的な変化と人為的改変の記録が可能となります。化石生成論および形態計測的分析は、骨角器として特定された27点の標本に記録された改変の説明で自然の仮定を除外します。意図的な剥離を擬態する骨の剥離を引き起こすいくつかの要因が、肉食動物による齧りやワニによる噛みつきや骨髄利用のための踏みつけや破砕を含めて、知られています。いくつかの理由はこれらの要因を除外し、肉食動物の遺骸は標本の1%未満です。肉食動物による改変が、2ヶ所の歯の痕跡の可能性を除いてT69複合体の骨角器では記録されていない一方で、これらの因子によって改変された骨では豊富であり、剥離を含む断片が見つかっています。道具の縁の新しい外見や踏みつけによる条痕が稀であることから、この過程が骨角器の保存状態に及ぼした影響は最小限で、骨角器に存在する多くの侵襲的な剥離の原因にはなり得ない、と示唆されます。ゾウの骨を含めて、骨髄抽出のための大型哺乳類の四肢骨の実験的破損から、骨髄抽出活動から生じた剥離痕が4ヶ所以上であることは稀で、そうした剥離痕はほぼ孤立しているか、連続している場合でも3ヶ所を超えることは稀で、砕片の側面ではなく端に優先的に発生する、と論証されてきましたT69複合体の動物遺骸の断片には、標本の84.3%で孤立した剥離が生じる、平均2.1ヶ所の剥片痕を示しており、骨髄利用のために破壊した四肢骨に典型的なパターンと一致します。対照的に、T69複合体の骨角器は標本1点につき平均12.9ヶ所の剥片痕を示し、常に近接して位置し、側面端に排他的ではないものの優先的に位置しています。

 27点の骨角器はすべて、発掘現場で発見されました。そのうち18点(66.7%)は、体重2トン以上に分類された哺乳類に由来します(図1)。これら16点の分類学的に識別可能な標本のうち、8点がゾウ、6点がカバ、2点がウシ科に由来します。したがって、哺乳類遺骸群ではウシ科が優占していますが(41.1%)、骨角器の少なくとも50%は、T69複合体の分類組成のわずか1.1%を占めるゾウから作られています。骨端が保存されている大型のウシ科の橈骨の単一の近位部を除いて、全ての道具は四肢骨幹断片のみ、とくに大腿骨と脛骨と上腕骨で作られています。以下は本論文の図1です。
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 骨角器は、初期人類の遺跡において以前には記録されていなかった行動パターンを特定する、形態と技術と寸法の特徴を示しています。剥離の表面は新しく、これは骨角器製作と堆積の間で経過した地表露出が短期だったことを示唆しています。カバの四肢骨断片で作られた骨角器のすべては、カバが栄養状態にありながら折られた骨に由来します。ゾウから作られた骨角器については、新しい骨と部分的風化した骨の両方が使用されており、人類が新鮮な遺骸だけではなく肉を取り除いた骨も利用していた、と示唆されます。骨角器は動物遺骸のほとんどより長く、実験的に破損されたゾウの長骨の範囲内に収まります。ゾウの骨で作られた道具が最も大きく、その範囲は長さが約22cm~38cmの間、幅が約8cm~15cmの間です。カバの骨で作られた道具はわずかに小さく、長さが約18cm~30cm、幅が約6cm~8cmです。

 ゾウの骨で作った道具は、平均してカバの骨で作られた道具よりも多くの剥離痕があります。分類学的に識別できない標本では、7点の骨角器で示された剥離痕の数と規模は、ゾウもしくはカバの骨で作られた道具に匹敵します。8点の骨角器は大きさがより小さく、平均して6ヶ所の剥離痕があります。骨角器成形のさいに、T69複合体の【骨角器を作ろうと】打割した人々は、骨角器成形のため最初に侵襲的な剥離をし、その後で、調節によって端を均一にすることに、かなりの労力を費やしました。これら2段階は、剥離痕の幅を皮層の厚さおよび骨幹断片のサイズ指標と比較することによって、記録されます(図2a~d)。骨角器の最も侵襲的な剥離痕は、骨髄抽出のため実験的に砕いた四肢骨の断片上よりも、有意に長くなっています(図2a・b)。対照的に、調節段階では、配置できなく大きさの点で同程度の連続した小さな剥離痕が生成され、骨髄抽出のため実験的に砕かれた骨は、一般的に孤立しています(図2c・d)。最大の人工物のための原形製作には、かなり重くて大きな石の打撃槌が必要ですが、すべての骨角器における剥離の形態は、成形段階にける手持ちの敲石の使用と一致します。以下は本論文の図2です。
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 2トン以上の哺乳類の骨で作られた6点の道具は、特定の形態の生成のための繰り返しの改変を示します(図3)。それらの道具は、標本につき平均16.8ヶ所の除去があり、1ヶ所の三日月形と1ヶ所の先端を特徴とし、中心部の連続的除去によって生じた大きい侵襲的な刻み目と組み合わさっています。刻み目を形成するほとんどの除去痕は、髄質表面に存在します。これらの骨角器の先端は骨幹の頑丈な中央部に、丸い端は骨幹端に対応しています。大きな刻み目は、頑丈な形態と重量を維持しながら、骨角器を掴むことを促しました。以下は本論文の図3です。
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 より大きな骨角器の重工具としての機能は、T69複合体の遺物群のLCTおよびより小さな再加工された石器比較によって示唆されます。刻み目のある骨角器は石器より大きくて長くて侵襲的に成形されており、LCTは石器1点につき平均10.1ヶ所の剥離痕ですが、その重量は、T69複合体遺跡で見つかったLCTの記録されている差異の範囲内に収まります(図2e・f)。さらに、一部の標本の遠位破砕パターンは、打撃および圧縮動作の使用を想起させます。


 まとめると、T69複合体において骨角器を製作するために、人類は大型哺乳類の骨を選択肢、ゾウを選好しました。道具の原形としての厚い四肢骨を考えると、その選好によって、骨の形態および構造の正確な解剖学的知識と理解が示唆されます。骨の破砕方法の優れた理解は、大型哺乳類の新鮮な骨の選好的使用と繰り返しの剥離過程の適用によって示されます。形態的に類似し、長く、尖っていて、刻み目のある骨角器の製作によって、精神的な鋳型が示唆されます。


●初期の骨角器技術の意味

 T69複合体における150万年前頃の単一の層準から得られた体系的な骨角器製作は、初期人類における骨の技術の出現と発展の再考を促します。前期石器時代における骨角器製作の以前の証拠は、使用された改変されていない骨の断片か、初期人類の行動における堅固な結論を妨げる打割された道具の可能性のある孤立した発見か、50万年以上前以後にのみ見られる打割によって成形された骨角器のいずれかと関係していました。対照的に、T69複合体には、同じ考古学的遺物群内で、一貫した技術的特徴を共有し、パターン化された行動の存在を示す骨角器の一式が含まれます。

 T69複合体の骨角器から、完全に成形された両面骨角器の製作の100万年前に、アフリカ東部の人類は、大きく打割された骨角器を技術へと統合することによって、技術を複雑化させていた、と論証されます。そうした統合はアフリカの文化的適応の発展のきわめて重要な時期、つまり、後期オルドワン(Oldowan、オルドヴァイ文化)と初期アシューリアンとの間の移行に起き、認知と精神の雛型の強化や人工遺物の精選や原材料の調達を含めて、その後の期間で観察された行動一覧の複雑化に大きな影響を及ぼしたかもしれません。この革新は、大型の両面石器が技術体系で小さな役割しか果たしておらず、その後のアシューリアン遺物群の両面石器[47]として知られている、大型で洗練された技術と典型的な対称の形態をまだ獲得していなかった時期に出現しました。とくに、適切な原材料が容易に入手可能だった大型哺乳類の屠殺場では、大きく重い骨角器は、重量と効率的な刃先の両方があった大型の両面石器で後に達成された機能を果たしていたかもしれません。この仮説は、体系的な握斧製作の出現後に、切断作業では効率性が低かったかもしれないT69複合体で見つかった骨角器などの重い骨角器が、稀になったかもしれない理由を説明できる可能性があります。この観点では、中期更新世のアシューリアンの骨製握斧は、最適な石材の利用可能性の低さによって石器のLCTの製作を妨げていたかもしれない状況において、打割技術の骨への局所的転換として解釈できるかもしれません。

 代替的な仮定は、骨の技術は100万年以上にわたって出現しては消滅したか、以前に考えられていたよりも前期石器時代において一般的だった、というものです。いずれの場合も、そうした技術の証拠はまだ充分には報告されていません。有機物に対する保存の偏り【少なさ】や、打割された骨の同定を対象とした研究の限られた利用可能性は、これまで、進化史においてずっと後に出現した、と考えられている骨技術の広範で体系的な使用を隠していたかもしれません。将来の研究は、類似の骨角器がすでにそれ以前に製作されていたのかどうか、アシューリアン期において存続していたのかどうか、最終的には形態と大きさと技術が両面石器と類似している中期更新世の両面骨角器へと発展したのかどうか、調べる必要があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


人類の進化:最古の骨製道具

 古代の人類は、150万年前にはすでに骨製の道具を計画的に生産していたことを報告する論文が、Nature に掲載される。タンザニアで発見された骨製の道具は、計画的な骨製道具の生産に関するこれまでの証拠よりも100万年も古い。

 石器の証拠は少なくとも330万年前まで遡る。しかし、骨から作られ、完全に打製法で形作られた道具の最古の体系的な生産は、ヨーロッパの遺跡から出土したもので、約40万年前から25万年前のものとされており、より最近のものである。

 Ignacio de la Torreらは、タンザニアのオルドバイ峡谷(Olduvai Gorge)遺跡から出土した27点の骨製道具を記録している。主にカバや象の長い骨の破片を打製したもので、長さ38センチメートルに及ぶさまざまな鋭利で頑丈な道具が作られていた。初期の人類による骨製道具の生産は、断続的で必要に応じて行われていたと考えられていた。今回の新たな発見は、オルドバイの初期の人類は、大型哺乳類から特定の骨を日常的に選び、標準化された生産パターンで加工していた可能性を示唆している。この証拠は、これらの人類が文化的に革新的であり、石器の破砕技術を新しい原材料に転用し、適応させることができたことを示している。


考古学:150万年前の体系的な骨角器製作

考古学:これまでの記録を100万年以上さかのぼる骨角器製作の証拠

 今回、オルドヴァイ峡谷(タンザニア)の有名な遺跡で発見された骨角器群が報告されている。これらは、体系的な骨角器製作を示す他のあらゆる証拠よりも100万年以上古い。



参考文献:
Torre I. et al.(2025): Systematic bone tool production at 1.5 million years ago. Nature, 640, 8057, 130–134.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-08652-5

[1]Harmand S. et al.(2015): 3.3-million-year-old stone tools from Lomekwi 3, West Turkana, Kenya. Nature, 521, 7552, 310–315.
https://doi.org/10.1038/nature14464
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[2]Proffitt T. et al.(2016): Wild monkeys flake stone tools. Nature, 539, 7627, 85–88.
https://doi.org/10.1038/nature20112
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[8]Plummer TW. et al.(2023): Expanded geographic distribution and dietary strategies of the earliest Oldowan hominins and Paranthropus. Science, 379, 6632, 561–566.
https://doi.org/10.1126/science.abo7452
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[27]Bouzouggar A, Humphrey LT, Barton N, Parfitt SA, Clark Balzan L, Schwenninger J-L, et al. (2018) 90,000 year-old specialised bone technology in the Aterian Middle Stone Age of North Africa. PLoS ONE 13(10): e0202021.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0202021
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[32]Langley MC. et al.(2020): Bows and arrows and complex symbolic displays 48,000 years ago in the South Asian tropics. Science Advances, 6, 24, eaba3831.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aba3831
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[47]Beyene Y. et al.(2013): The characteristics and chronology of the earliest Acheulean at Konso, Ethiopia. PNAS, 110, 5, 1584-1591.
https://doi.org/10.1073/pnas.1221285110
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