山東半島の戦国時代~南北朝時代の人類のゲノムデータ

 山東半島の戦国時代~南北朝時代の人類のゲノムデータを報告した研究(Qu et al., 2025)が公表されました。本論文はオンライン版での公開が昨年(2024年)7月と早かったため、当ブログでこれまでに取り上げた研究(Wang B et al., 2024、Fang et al., 2025、Wang et al., 2025、Ma et al., 2025)でも、すでに引用されていました。本論文は、中華人民共和国山東省淄博市に位置する古代都市の臨淄(Linzi)の墓地(臨淄医療施設墓地)で発見された山東半島の戦国時代~南北朝時代の人類遺骸のゲノムデータを報告し、さまざまな現代人や古代人(Mallick et al., 2024)のゲノムデータと比較しています。

 本論文は、この臨淄の戦国時代~南北朝時代の人類集団が遺伝的に、山東半島の初期新石器時代の人類集団とは異なり、黄河中流域の後期新石器時代後の人類集団と最も密接に関連していることを示し、新石器時代から歴史時代にかけての山東半島における人口置換が示唆されます。また、山東半島において、歴史時代の人類集団と現在の漢人集団との間の密接な遺伝的類似性が検出され、山東半島における少なくとも戦国時代以降の人類集団の長期の遺伝的安定性が示唆されます。唐代の山東半島の一部の人類でユーラシア西部的な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が確認されているように(Wang et al., 2025)、戦国時代以降の山東半島において遺伝的に異なる集団からの遺伝子流動がなかったわけではありませんが、現在の漢人の主要な遺伝的祖先集団の方が人口は圧倒的に多かったため、そうした異なる遺伝的祖先系統が現在ではほぼ検出されなくなっているのでしょう。

 山東半島の人類集団の古代ゲノム研究は近年飛躍的に発展しており(Du et al., 2024、Wang B et al., 2024、Wang F et al., 2024、Fang et al., 2025、Liu et al., 2025)、それらの研究で一致しているのは、山東半島において、初期新石器時代の狩猟採集民の遺伝的祖先系統が歴史時代以降の人類集団にほぼ伝わっておらず、歴史時代以降の人類集団は黄河中流域の後期新石器時代人類集団と類似しており、現代の漢人集団まで遺伝的構成が長期に亘って安定していることです。なお山東半島において、少なくとも後期新石器時代までは、山東半島の初期新石器時代の狩猟採集民の遺伝的祖先系統が一部の人類集団に継承されていました(Du et al., 2024)。本論文の見解も同様で、山東半島の大まかな人口史の流れは確定しつつあるように思います。ただ、山東半島の人類集団において後期新石器時代までは確認されている初期新石器時代人類集団的な遺伝的祖先系統(Du et al., 2024)が、歴史時代の一部の人類集団にも存続していた可能性はあると思います。

 なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。山東半島の完新世の先史時代は、8300~7400年前頃の後李(Houli)文化、7400~6200年前頃の北辛(Beixin)文化→6200~4600年前頃の大汶口(Dawenkou)文化→4600~4000年前頃の龍山(Longshan)文化→3900~3500年前頃の岳石(Yueshi)文化と展開します(Fang et al., 2025)。ARはアムール川(Amur River)、WLRは西遼河(West Liao River)の略称です。時代区分の略称は、新石器時代(Neolithic、略してN)、前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)、中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)、、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、後期青銅器時代~鉄器時代(Late Bronze Age to Iron Age、略してLBIA)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)、歴史時代(historical era、略してHE)です。


●要約

 山東省は黄河下流域に位置し、古代中華文明の発祥地の一つです。しかし、この地域の包括的な遺伝的歴史は、古代人のゲノムの不足のため、今までほとんど知られていないままでした。本論文は、戦国時代から北朝までの年代の山東の古代人21個体のゲノムを提示します。山東の初期新石器時代標本群とは異なり、歴史時代の標本群は黄河中流域の後期新石器時代後の人口集団と最も密接に関連しており、新石器時代から歴史時代にかけての山東における人口置換を示唆しています。さらに、山東の歴史時代の標本群と現在の漢人との間の密接な遺伝的類似性が検出され、少なくとも戦国時代以降の漢人における長期の遺伝的安定性が示されます。


●研究史

 黄河流域は最古級の独立した農耕栽培化の中心地の一つで、アワとキビの両方が早くも1万年前頃に耕作されていました。黄河下流域の一部および多文化の中心地の一つとして、山東地域は古代中華文明の発祥地の一つと考えられています。細石刃の道具によって特徴づけられる後期旧石器時代の鳳凰嶺(Fenghuangling)文化(19000~13000年前頃)と、初期新石器時代の扁扁(Bianbian)遺跡(9545~9480年前頃)は、山東における狩猟採集生計戦略を示しました。直接的に放射性炭素(¹⁴C)年代測定された炭化した穎花から、初期新石器時代の後李文化は雑穀を栽培化した最古級の耕作複合体の一つと示唆されました。さらに、大汶口文化(紀元前6000~紀元前4000年頃)と山東龍山文化(紀元前4600~紀元前4000年頃)を含めて多くの新石器時代の考古学的遺跡の発見は、狩猟採集から定住農耕への移行や、安定した階層化された社会の出現など、ヒトの重要な発展の変遷への洞察を提供しました。

 いくつかの山東で発見された遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)の短い超可変領域に焦点を当てた初期の古代DNA研究は、過去3000年間の山東人口集団における母系の遺伝的構造の時間的変化を示唆しました。最近、古ゲノム研究で、山東はアジア東部における遺伝的特性の形成および人口移動への影響に重要な役割を果たした、と明らかになりました。4ヶ所の初期新石器時代の考古学的遺跡から発見された古代山東個体群(9500~7700年前頃)は、アジア東部北方人の代表的な祖先系統と示されましたが(Yang et al., 2020)、福建省の亮島(Liangdao)遺跡および奇和洞(Qihe Cave)遺跡の中国南東部沿岸古代人は深いアジア東部南方祖先系統を表していました。さらに、経時的に減少する遺伝的差異は、新石器時代後のアジア東部における人口混合の増加を示唆しました(Yang et al., 2020)。古代ミトコンドリアゲノム研究も、山東と山東外の沿岸部もしくは内陸部地域との間の遺伝的交換を裏づける証拠を提供しました(Liu et al., 2021)。具体的には、4600年以上前の山東個体群には、アジア東部の南北両方のmtDNAハプログループ(mtHg)である、D4とD5とB4c1とB5b2があります。これと比較して4600年前頃以降のその後の山東個体群には、M9やF(F1とF4)など、アジア東部南方からのより多様な母系が含まれていました(Liu et al., 2021)。黄河中流域の新石器時代の仰韶(Yangshao)文化遺跡である青台(Qingtai)の個体は、初期の山東個体群もしくは他の古代人集団よりもその後の山東人口集団の方とより高水準のハプロタイプを共有しており、中国北部の沿岸部と内陸部との間の母系のつながりの可能性が示唆されます。さらに、現在の山東省の漢人のゲノム解析は、特徴的な北方漢人の遺伝的特性を示しました(Wang et al., 2021)。

 それにも関わらず、後期新石器時代から歴史時代にかけての山東人口集団に関するゲノム規模データの限定的な利用可能性のため、この地域の遺伝的歴史の包括的理解が妨げられてきました【冒頭で述べたように、本論文を引用した研究も含めて、最近になって山東半島人類集団の古代ゲノム研究は飛躍的に発展したように思います】。本論文は、戦国時代から北朝期における山東の古代人標本を報告しました。本論文の目的は、山東の遺伝的歴史におけるこの間隙に取り組み、山東の歴史時代の個体群が現在の山東の漢人集団の遺伝的構成に寄与したのかどうか、調べることです。

●古代DNAデータの概要

 まず、各個体の1点のライブラリの浅いショットガン配列決定によって、歴史時代の山東古代人33個体が検査されました。これら33個体の内15個体は、約141万ヶ所のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)のパネルによって濃縮されました。全体的に、内在性DNAは保存状態が良好で、汚染水準は最小限であり(mtDNAと男性の核ゲノムに基づく汚染率は5%以下)、全ライブラリは古代DNAに典型的な化学的修飾と断片長を示しました。全個体の中で高い信頼性の1組の親族が特定されました(重複SNPが1万ヶ所超)。親族関係の組み合わせでより少ないSNPの個体が、その後の分析から除外されました。その結果、充分な網羅率(標的部位の網羅率の範囲が0.033~28.61倍)のある親族関係にない21個体が、さらなる分析で選択されました。


●山東の歴史時代個体群の片親系統

 mtDNAの網羅率とmtDNAハプログループ(mtHg)割り当て尤度に基づく基準を満たした山東の歴史時代の古代人は、20個体でした。それらの個体のmtDNA系統には、アジア東部南方人に典型的なハプログループ(つまり、B5、F1、M9a、M7)と、アジア東部北方人で一般的なハプログループ(A、C、D、G)が含まれていました。山東の歴史時代の個体群のmtHgは、おもにmtHg-Mによって表され(全体で30%)、それに続くのがmtHg-D(全体で25%、mtHg-D4は20%)でした。一方で、山東の歴史時代の個体群には、2300年以上前の山東の古代の個体群に存在するmtHg(Liu et al., 2021)がある、と分かり、たとえば、4600年前頃の山東の新石器時代個体群のB5やDです。これは、山東における母系の遺伝子プールの遺伝的連続性を示唆しました。さらに、アジア東部南方固有のmtHg-M7(15%)が、山東の歴史時代の個体群で特定されました。mtHg-M7は黄河上流および中流域と初期新石器時代の刊行されている人口集団および山東の初期新石器時代個体群には存在せず、例外は陝西省の石峁(Shimao)遺跡の後期新石器時代個体(石峁_LN)ですが(Liu et al., 2021)、「広西チワン族自治区(以下、広西)」の歴史時代の個体群には存在しました。この結果は、歴史時代における母系遺伝子プールへのアジア東部南方関連祖先系統の新たな導入を示唆しました。さらに、ハプログループ頻度に基づく主成分分析(principal component analysis、略してPCA)は、山東の歴史時代の個体群と7000年前以降の山東の古代の人口集団の個体群と黄河中流域の他の人口集団の間の密接な関係を示しました。

 歴史時代の山東で観察された高い母系の遺伝的多様性とは対照的に、山東の歴史時代の個体群のY染色体ハプログループ(YHg)は、O(O1b1とO2a2)とQ1a1a1とC2bとN1aに割り当てられました。これらのYHgは中国北部の古代の人口集団、とくに黄河中流および上流域や、ヒマラヤおよびアジア北東部の古代の人口集団でも見られ(Jeong et al., 2020、Ning et al., 2020、Mao et al., 2021、Liu et al., 2022)、それらの人口集団間の父系のつながりの可能性を示唆しています。


●歴史時代の山東古代人標本の定性的な遺伝的構造

 山東の歴史時代の個体群内の遺伝的均質性は、対でのqpWave分析によって確証されました。したがって、本論文の山東の歴史時代の個体群は、山東_HEと命名された単一の集団として分類されました。人口構造について推測するために、古代の個体群をユーラシア東部現代人の遺伝的差異への投影することによって、PCAが実行されました。PCAの結果は、アジア東部人の地理的分布および言語分類と相関する主要な3勾配を明らかにし、つまり、アジア東部南方クラスタ(まとまり)、アジア北東部クラスタ、高地およびチベット・ビルマ語派話者人口集団クラスタです(図1A)。黄河上流および中流域人口集団は高地およびチベット・ビルマ語派話者人口集団と近く、これら3クラスタの交点に投影されました。黄河下流域では、扁扁(Bianbian)遺跡と博山(Boshan)遺跡と小高(Xiaogao)遺跡と小荊山(Xiaojingshan)遺跡を含めて山東の初期新石器時代個体群(山東_EN)はアジア北東部クラスタの方へと動きました。対照的に、山東の歴史時代の個体群(山東_HE)は密接にクラスタ化し(まとまり)、黄河中流域の後期新石器時代後の集団(黄河_LN、黄河_LBIA)と重なりました。以下は本論文の図1です。
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 同様に、教室無ADMIXTURE分析では、山東の歴史時代の個体群は黄河中流域の新石器時代後の集団(黄河_LN、黄河_LBIA)と類似の遺伝的組成を共有していた、と示され、PCAの結果と一致します(図1B)。K(系統構成要素数)=7の最小交差検証誤差でのADMIXTURE図では、山東の歴史時代の個体群には4点の祖先構成要素がある、と観察され、それに含まれるのは、アジア北東部人口集団で最大化される赤色の構成要素、高地古代人口集団に豊富な黄色の構成要素、アジア東部南方人口集団で最大化される桃色の構成要素、古代北ユーラシア(Ancient North Eurasian、略してANE)人口集団で最大化される青色の構成要素です。ADMIXTUREによって明らかになった古代山東個体群の遺伝的特性は、歴史時代と初期新石器時代の山東個体群の間の違いを示しました。初期新石器時代山東個体群は、歴史時代の山東個体群よりも赤色の構成要素を高水準で有していました。


●黄河中流域から山東への人口移動

 上述のように、定性的なゲノム構造分析は、山東_HEと黄河上流および中流域人口集団、とくに後期新石器時代後の人口集団との間の最も密接な遺伝的関係を明らかにしました。次に、定量的分析を用いて、観察された遺伝的類似性がどのように形成されたのか、判断されました。f₃形式(X、Y;ムブティ人)の外群f₃統計では、山東_HEは山東_ENと比較して、黄河中流域の古代の人口集団とより多くの遺伝的浮動を共有していたものの、山東_ENは密接に相互に関連していた、と示唆されました(図2A)。さらに、f₄形式(ムブティ人、参照集団;山東_HE、黄河集団)のf₄統計が実行され、山東_HEと黄河の他の人口集団との間の遺伝的差異が定量化されました。この分析には、参照集団としてアジア東部の代表的な90の人口集団が含まれました。その結果、f₄(ムブティ人、90の参照集団;山東_HE、黄河上流_IA/黄河_LN/黄河_LBIA)の有意ではないZ得点に反映されているように、山東_HEと黄河上流および中流域の後期新石器時代後の人口集団(黄河上流_IA、黄河_LN、黄河_LBIA)との間で共有される遺伝的類似性で同様のパターンが示唆されました。さらに、山東_HEと黄河上流_IAおよび黄河_LNおよび黄河_LBIA人口集団との間の高い遺伝的類似性が、f₄(ムブティ人、山東_HE;黄河集団i、黄河集団j)によって裏づけられました。以下は本論文の図2です。
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 さらに、有意ではないf₄(ムブティ人、アジア東部北方;山東_HE、黄河上流_IA/黄河_LN/黄河_LBIA)および有意ではないf₄(ムブティ人、アジア東部南方;山東_HE、黄河上流_IA/黄河_LN/黄河_LBIA)で示されるように、山東_HEは黄河の新石器時代後の人口集団と比較して、アジア東部北東およびアジア東部南方から追加の遺伝子流動を受け取らなかった、と観察されました。対でのqpWave分析によって黄河流域のさまざまな人口集団間の遺伝的関係を評価すると、山東_HEと黄河_LNと黄河_LBIAと黄河上流_IAの間の遺伝的均質性が見つかりました。さらに、qpAdm分析で2点のより制約された外群一式を用いると、山東_HEは、黄河_LBIAと関連する1人口集団にその遺伝的祖先系統のすべてが由来することによって、完全に説明できます。あるいは、有意な負のf₄(ムブティ人、アジア東部南方;山東_HE、黄河_MN)と一致して、山東_HEはその祖先系統が、黄河_MNから88.8%、台湾先住民のアミ人(Ami)などアジア東部南方人から11.2%由来する、ともモデル化できます。しかし、f₄(ムブティ人、山東_HE;内陸アジア東部南方、アジア東部沿岸)の結果は、古代の沿岸部および内陸部のアジア東部南方人との山東_HEの遺伝的類似性における違いを示しませんでした。山東_HEにおける南方祖先系統について、遺伝的供給源を区別できません。

 しかし、負の、f₄(ムブティ人、山東_HE;黄河上流/中流集団、山東_EN)および0.01未満のP値のqpWaveの結果で示されるように、山東_ENは山東_HEと遺伝的に均質でした。具体的には、負のf₄(ムブティ人、アジア東部南方/他の黄河人口集団;山東_HE、山東_EN)から、アジア東部南方人口集団と他の黄河の人口集団は山東_ENとよりも山東_HEの方と追加の遺伝的類似性を共有していた、と示されました。逆に、一部のアジア北東部人口集団およびシベリアの旧石器時代人口集団は、正のf₄(ムブティ人、アジア北東部/旧石器時代シベリア;山東_HE、山東_EN)で反映されているように、山東_HEと比較して山東_ENの方と多くのアレルを共有していました。さらに、現在のシナ・チベット語族話者集団の山東の初期新石器時代人口集団との遺伝的関係は、負のf₄(ムブティ人、シナ・チベット語族話者;山東_HE、山東_EN)で示されているように、山東の歴史時代の人口集団の場合よりも遠くなっていました。

 漢王朝後の中原の古代の漢人【漢人という枠組みを千年紀にさかのぼらせてよいのか、疑問もありますが】と近隣のユーラシア東部草原地帯の遊牧民政権(つまり、匈奴や鮮卑)との間の動的な人口接触を考慮して、この人口交流が山東_HEの遺伝子プールに影響を及ぼしたのかどうかも、調べられました。その結果、有意ではないf₄(ムブティ人、匈奴/鮮卑;山東_HE、山東_EN)で示されているように、山東_HEは黄河中流域人口集団と関連する祖先系統を保持しており、ユーラシア東部草原地帯の牧畜民からの有意な影響を受けなかった、と観察されました。文化的交流と武力紛争が中国北部の漢帝国とユーラシア東部の草原地帯の牧畜民政権【帝国】との間で存在していましたが、本論文の結果から、本論文で分析対象となった山東の歴史時代の人口集団は牧畜民による遺伝的影響を受けなかった、と示唆されました。


●少なくとも戦国時代以降の漢人における遺伝的安定性

 PCAでは、現在の北方のシナ・チベット語族話者人口集団は、山東_HEを含めて黄河の古代の人口集団に近い、と観察されました。次に、外群f₃分析(山東_HE、現代人集団;ムブティ人)を実行し、現在のナ・チベット語族話者人口集団、とくに漢人集団と山東_HEのとの間の遺伝的関係が調べられました。99の世界中の人口集団のうち、漢人集団が山東_HEと最も多くの遺伝的浮動を共有していました。とくに、山東省と河南省の漢人は、有意ではないf₄(ムブティ人、115の参照人口集団;山東_HE、漢人_山東/漢人_河南)で示される、山東_HEとの遺伝的類似性共有の同様のパターンを有していました(図2B)。山東の歴史時代の個体群と山東省および河南省の現代の漢人集団との間の強い遺伝的連続性は、対でのqpWave分析でさらに証明されました。

 qpAdmモデル化分析では、山東省と山西省と河南省の漢人は、山東_HEもしくは黄河_LBIAの直接的子孫として適切にモデル化できる、と観察されました。さまざまな地域の他の漢人集団は、山東_HEもしくは黄河_LBIAと関連する主要な祖先系統(75~88%)に由来し、残りの祖先系統はアジア東部南方人(12~25%)に由来する、とモデル化できます。


●考察

 山東の地理的強みは、考古学的研究を通じて、雑穀農耕と古代中華文明の発展に重要な役割を果たしてきた、と論証されました。以前の古代DNA研究では、山東の新石器時代人口集団はアジア東部人の初期の分岐した北方系統を表しており、アジア東部の遺伝的構造の形成に寄与した、と明らかになりました。さらに、人口集団の移動と混合は、アジア東部現代人における遺伝的差異を減少させました(Yang et al., 2020)。その後、9500~1800年前頃の山東の古代ミトコンドリアゲノムの分析は、母系の遺伝的構造における変化を解明しました(Liu et al., 2021)。しかし、後期新石器時代から歴史時代にかけての古代人のゲノムデータにおける間隙は、山東の遺伝的歴史の包括的理解を妨げてきました。

 本論文は、戦国時代から北朝期までの年代の古代山東個体群の遺伝的特性を分析しました。この地域では800年以上にわたって、遺伝的安定性が観察されました。山東の歴史時代の人口集団は、黄河上流および中流の古代雑穀農耕人口集団、とくに黄河中流域の新石器時代後の人口集団と最も密接な遺伝的関係を共有していた、と分かりました。山東の歴史時代の人口集団は、その祖先系統の大半(88.8%)が、黄河_MNによって表される黄河中流域の古代の雑穀農耕人口集団に由来し、残りの祖先系統はアミ人によって表されるアジア東部南方人に由来する、とモデル化できます。黄河上流および中流の他の古代の人口集団の混合モデルと比較すると、山東の歴史時代の人口集団の遺伝的特性は黄河中流域の新石器時代後【後期新石器時代以降】の人口集団(黄河_LN、黄河_LBIA)と類似していた、と観察されました。

 先行研究(Ning et al., 2020)は黄河_LNと黄河_LBIAとの間の遺伝的均質性を示し、本論文では、両人口集団【黄河_LNと黄河_LBIA】は黄河関連祖先系統(黄河_MN、約86~89%)とアジア東部南方関連祖先系統(アミ人、約11~14%)を有していた、と示されました。さらに、山東の歴史時代の人口集団は黄河_LNもしくは黄河_LBIAの直接的子孫としてモデル化できる、と分かりました。さらに、母系からも、山東の歴史時代の個体群は黄河中流域の古代の人口集団と類似した特性を示しました。黄河の下流と中流の間の文化的つながりは証明されており、たとえば、考古学的研究は黄河中流の仰韶文化と山東地域の大汶口文化との間の文化的相互作用、および現在の山東省と河南省の後期新石器時代の龍山文化間の密接なつながりを裏づけました。黄河の下流域と中流域との間の文化的および遺伝的つながりは顕著で、山東への黄河中流域の雑穀農耕関連文化の東方に向かう拡大には人口拡大が伴っていた、と本論文は結論づけました。しかし、山東における後期新石器時代から青銅器時代までの古代ゲノムの不足のため、黄河の下流域と中流域との間の双方向の遺伝的影響の可能性を除外できません。

 考古学的研究は、アジア東部北東における山東地域と遼東地域との間の文化的交流の存在を示しました。さらに、文献記録によると、中国北部に隣接する活発なユーラシア東部草原地帯牧畜民は中原王朝との文化的交流を維持しました。ユーラシア東部草原地帯牧畜民は軍事的紛争と侵略を起こし【ユーラシア東部草原地帯牧畜民が一方的に侵略側であるかのような記述になっているのには、疑問が残りますが】、胡漢文化の統合をもたらしました。胡人と漢人との間の通婚は、南北朝時代に一部の帰属の間で観察されました。古ゲノム研究では、古代アジア北東部関連祖先系統が黄河上流の古代の人口集団、つまり斉家(Qijia)文化の人々(黄河上流_LN)や新石器時代の石峁遺跡およびモンゴル南部の廟子溝(Miaozigou)遺跡人々に影響を及ぼしただけではなく、匈奴および鮮卑集団の遺伝的形成にも寄与した、と明らかになってきました(Jeong et al., 2020、Ning et al., 2020、Wang et al., 2021)。一方で、本論文の研究は、黄河上流の古代人集団への古代アジア北東部関連祖先系統の寄与も証明しており、つまり、石峁遺跡(石峁_LN)と斉家文化(黄河上流_LN)の人々は、黄河_MN と古代アジア北東部関連人口集団(AR_ENもしくはWLR_MN)の2方向混合モデルに適合できます。

 注目すべきことに、本論文は、山東の歴史時代の人口集団における一部のアジア北東部固有のYHgを特定し、つまり、古代アジア北東部の特徴的なYHgであるC-F5477∗(C2b1b1b)とYHg-Q1a1a1で、これはモンゴル高原の古代人集団において一般的でした(Jeong et al., 2020)。しかし、山東の歴史時代の人口集団は、黄河中流域の人口集団と比較して、アジア北東部古代人や匈奴や鮮卑との追加の遺伝的類似性を共有していませんでした。この混合モデルは、現在利用可能な古代黄河中流域人口集団も山東の歴史時代の人口集団も追加のアジア北東部関連祖先系統を有していなかったことも示唆しました。これの結果は、本論文の標本における遼東地域もしくはアジア北東部牧畜民の古代農耕民の限られた遺伝的影響を示唆しました。

 母系ハプログループ【mtHg】は山東の初期新石器時代個体群と歴史時代の個体群で共有されていましたが、山東の歴史時代の人口集団と山東の初期新石器時代人口集団との間の顕著な遺伝的異質性は明らかでした。一方で、山東の初期新石器時代人口集団はシベリアの新石器時代の前の人口集団およびアジア北東部古代人との密接な遺伝的類似性を共有していました。他方で、山東の歴史時代の人口集団と比較すると、山東の初期新石器時代人口集団は黄河上流~中流の人口集団および現在のシナ・チベット語族話者人口集団とより遠い遺伝的関係を有しています。したがって、本論文の結果は山東で起きた遺伝的変化を示しており、つまりは、初期新石器時代人口集団の、古代黄河農耕民と関連する祖先系統を有していた鉄器時代後の人口集団への人口置換です。山東の遺伝的特性の変化は、生計戦略と密接に関連していました。より具体的には、後期新石器時代後の山東における狩猟採集生計から栽培農耕への移行は、仰韶文化もしくは龍山文化の人々と関連する祖先系統の到来と関連していました。本論文は、現在のデータセットが山東の後期新石器時代から青銅器時代の古代人のゲノムを欠いており、それが山東における人口変容の正確な時期の判断を妨げている、と認識しています。

 最後に、現在の漢人集団における山東の歴史時代の人口集団と関連する祖先系統の遺伝的寄与が見つかりました。山東の歴史時代の人口集団もしくは中原漢人の祖先とみなされている黄河_LBIAと関連する祖先系統は、他の現在の漢人集団の遺伝的形成にも寄与しました。現在の漢人集団は約75~100%の古代の漢人【漢人との概念をどこまでさかのぼって適用してよいのか、難しいところですが】関連祖先系統と、残りのアジア東部南方人口集団からの祖先系統を有しています。とくに、山東の漢人集団は、山東の歴史時代の人口集団と遺伝的均質性を示しました。

 まとめると、本論文は山東の歴史時代の個体群を報告し、山東の歴史時代の人口集団の遺伝的構造と起源、および他の古代もしくは現在のアジア東部人口集団との関係を解明しました。しかし本論文は、黄河下流域の遺伝的歴史の包括的な理解を妨げる、標本の不充分な代表性と後期新石器時代以降の山東の古代人標本の不足を含めて、いくつかの限界を認識しています。黄河流域全体の長期にわたる古代人のゲノムの将来の研究は、これらの問題の解決に役立つでしょう。


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https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
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https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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この記事へのコメント

砂の器
2025年04月10日 11:29
本題とずれますが、また縄文のAdmixtureが載っていますね
前回の匈奴の論文よりサンプルが増えている?この縄文サンプルも船泊と六通でしょうか?
南方漢族関連成分主体で北方と西ユーラシア?が10%くらいと傾向が同じですね
大体どの研究でも同じ傾向があるようです
管理人
2025年04月11日 07:02
本論文はAADR(The Allen Ancient DNA Resource)も参照しているので、「縄文人」のゲノムデータについては、三重構造説を提唱した研究(Cooke et al., 2021)も用いられているかもしれません。

「縄文人」が、アジア東部現代人の主要な祖先集団との単純な分岐ではなく、遺伝的に大きく異なる構成要素の混合で形成された可能性はかなり高いと思います。

先行研究(Wang et al., 2021)のモデルは正確な人口史を反映していないでしょうが、現在の福建省の前期新石器時代集団的な構成要素との類似も多分にある、との想定は大きく間違ってはいないように思います。

白保4号は「縄文人」の形成過程の解明の重要な手がかりとなりそうなので詳しい分析結果の公開を待っていますが、まだ図録や『サイエンスZERO』「最新報告 古代DNAで迫る 日本人の来た道」で言及されていない、ユーラシア東部南方古代人、とくに更新世末~完新世初頭の人類との遺伝的関係に注目しており、「縄文人」の形成過程の解明が大きく進展するのではないか、と期待しています。

古代北シベリア人と「縄文人」との遺伝的つながりは、「縄文人」の遺伝的構成において大きな役割を果たしたわけではないでしょうが、こちらも「縄文人」の形成過程の解明に重要になると思います。