ユーラシア東部内陸部の鉄器時代遺跡の人類遺骸のゲノムデータ
ユーラシア東部内陸部の鉄器時代遺跡の人類遺骸のゲノムデータを報告し、既知の現代人および古代人のゲノムデータとともに分析した研究(Yang et al., 2025)が公表されました。本論文は、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンのツァグンルケ(Zhagunluke、扎滾魯克、略してZGLK)遺跡の鉄器時代の新たな2個体のゲノムデータを報告しています。ZGLK遺跡は古代且末(Qiemo)王国の支配下にあった、と考えられています。古代ゲノムデータがすでに報告されている個体と組み合わせると、ZGLK集団の遺伝的構成はユーラシア東西の混合パターンを示しており、その多様な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の異なる割合は、ZGLK集団の多様な文化要素に対応している、と示されました。また、ZGLK集団では黄河流域もしくは西遼河(West Liao River、略してWLR)流域の雑穀農耕民と関連する主要な祖先系統を有する遺伝的な外れ値(outlier、略してo)1個体が特定され、現在の中国北部に相当する地域から東トルキスタンへの移民が示唆されます。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、EL(Eneolithic、金石併用時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、歴史時代(historical era、略してHE)です。
●要約
東トルキスタン南部の鉄器時代のZGLK文化は、周辺地域との文化的つながり、および農耕と畜産の共存によって特徴づけられ、古代且末王国を表している、と示唆されました。しかし、古代且末王国の詳細な人口史と、文化的変化に人口移動が伴っていたのかどうかは、不明なままです。本論文は、ZGLK遺跡1号墓地の2個体の古代ゲノムを報告します。刊行されている古代ゲノムデータと組み合わせると、ZGLK遺跡集団における東西の混合パターンが観察され、多様な祖先系統のさまざまな割合は、扎滾魯克遺跡の多様な文化要素に対応していました。さらに、黄河流域もしくは西遼河流域の雑穀農耕民と関連する主要な祖先系統を有する遺伝的な外れ値1個体が特定され、中国北部から東トルキスタン南部への移民の存在を示唆しています。本論文の調査結果から、人口集団の相互作用がZGLK遺跡人口集団の遺伝的特性を大きく形成した、と示唆されます。
●研究史
最近の古ゲノム研究では、草原地帯遊牧民の拡大は、ユーラシア大陸の文化と言語と社会と人口動態の発展に大きな影響を及ぼした、と示されてきました(Haak et al., 2015、Damgaard et al., 2018、Jeong et al., 2020、Maróti et al., 2022)。鉄器時代のスキタイ人として知られているその代表の一つは、ユーラシア草原地帯に広がり、東トルキスタンへと移住した、タガール(Tagar)文化やパジリク(Pazyryk)文化やサカ(Saka)文化の担い手など、いくつかの人口集団の重要な連合でした。古代ゲノムはスキタイ人の同盟的性質を確証しており、スキタイ人は相互と遺伝的子となる、と示されています(Krzewińska et al., 2018、Gnecchi-Ruscone et al., 2021)。鉄器時代遊牧民は、乗馬技術の発展(たとえば、鞍の導入)を通じて、定住生活様式から遊動的なウシの飼育生活様式へと移行しました。鉄器時代遊牧民は、中央集権的で階層的に上流階層に基づく社会を築きました(Lee et al., 2023)。したがって、鉄器時代のユーラシアは人口移動性の増加、長距離の拡大、さらには地域支配をめぐる闘争によって特徴づけられます。
東トルキスタンはユーラシア東西の交差点に位置し、文化と技術と商品の交流において重要な役割を果たしています。多くの考古学的研究では、コムギやオオムギを含めてアジア西部の作物と、アジア東部の雑穀の両方が、早くも青銅器時代には東トルキスタンへと統合されていた、と論証されてきました。以前の遺伝学的研究は、ユーラシア東西両方との古代東トルキスタンの個体群の母方および父方の類似性を明らかにしました。最近、古ゲノム研究は東トルキスタンにおける広範な人口移動および混合を証明しました(Zhang et al., 2021、Kumar et al., 2022)。古ゲノム研究はさらに、祖先系統がおもに、ANE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)に由来する、タリム盆地のロプノール(Lop Nur)地域東部の小河(Xiaohe)の初期青銅器時代の人々(タリム_EMBA1)によって表される在来人口集団を検出しました(Zhang et al., 2021)。したがって、在来人口集団はユーラシアにおけるANE関連祖先系統の長期で広範な存在の証拠を提供します。しかし、ANEと関連する祖先系統が青銅器時代後の東トルキスタンに存続していたのか、そうでないのかは、調査する価値があります。
鉄器時代には、冶金技術がユーラシア草原地帯を通って東トルキスタンへと伝わり、中国北部に到達しました。東トルキスタンにおける鉄製道具の最初の出現は、スキタイ人もしくはサカ文化集団の移住と関連しているかもしれません。スキタイ人の東トルキスタン、とくに東トルキスタンの北西部と南部への拡大は考古学的証拠において明らかで、つまり、遺物における動物模様の木製品や鞍です。紀元前200年頃以後、東トルキスタンの中心部に位置するシルクロード(絹の道)は、ユーラシア東西間の強いつながりを示します。古代中国の歴史的記録である『漢書(Hanshu)』の西域伝によると、ホータン(Yutian、于闐)王国や精絶(Jingjue)国など農耕牧畜生計およびアジア中央部と類似した灌漑体系を採用した多数のオアシスの都市国家は、長期にわたって絹の道沿いに存在しました。古代且末王国として知られているそうした代表の一つは、タリム盆地の南端に位置しています。東トルキスタン南部における鉄器時代文化の一つとして、ZGLK文化は古代且末王国と関連している、と考えられています。この文化は周辺地域の複数の文化的特徴を示しており、それには、スキタイ人に特徴的な黒陶もしくは動物模様と中原の絹織物が含まれます。人類学および古代ミトコンドリアゲノムの研究も、ZGLKの人口集団内の他奉公の接触を示しています。刊行されている古代ゲノムデータにはZGLKの標本が含まれていますが(Kumar et al., 2022)、この文化的変化に人口集団の相互作用が伴っていたのかどうかは、不明なままです。本論文では、ZGLKの1号墓地の古代の個体群のゲノム規模データが報告されます。さまざまな程度のユーラシア東西の混合を有する、ZGLK人口集団内の高い遺伝的多様性が見つかりました。黄河もしくは西遼河流域の古代農耕民と遺伝的に区別できなかった、中国北部からの移民の子孫も特定されました。
●ZGLK遺跡の背景
ZGLK遺跡は、東トルキスタンの且末県の扎滾魯克村の2km西方となる、オアシスの端のゴビ砂漠地帯に位置しています。本論文で遺伝学的に分析された標本は、ZGLK遺跡の1号墓地から得られました。ZGLK遺跡の1号墓地は数回荒らされており、1980年代以降の3回の救出発掘調査の対象となってきました。発掘はおもに南部区域で行なわれました。この墓地は南北の区域に分かれており、発掘はおもに南部区域で行なわれました。北部区域は相対的に少なく分散している埋葬があり、おもに大きな単一の羨道と格子模様のある長方形の竪穴墓で構成されています。南部区域にはより集中した埋葬があり、東側は水食の洞窟土坑のある小さな墓によって占められており、西側は大きな単一の羨道と格子模様のある長方形の土穴墓によって占められています。ZGLK遺跡の1号墓地の年代は鉄器時代から歴史時代までとなり、埋葬形態と発掘遺物の類型に基づいて3文化期へと正確に分類できます。最初の文化段階(M61)は非較正の放射性炭素年代測定で3458±76年前で、古代且末文化の初期段階とみなされています。この期間の土器はおもに、近隣地域で一般的だった赤陶によって占められています。第2の文化段階はZGLK遺跡の1号墓地の主要な分化で、放射性炭素年代測定では非較正で2600~1900年前頃です。この段階の墓の形態はおもに、格子模様のある長方形の土坑墓と、単一の羨道および格子のある長方形の土坑墓によって特徴づけられます。この第2文化段階は、同時期にタクラマカン地域の南端で比較的一般的だった、黒陶によって特徴づけられます。動物模様のある木製品、櫛、ウマの鞭、コークで焼いたヒツジの肉片、パンケーキ(コムギもしくはオオムギ製品)、漆器、絹織物などの人工遺物が回収されており、第3の文化段階の年代は、東漢(後漢)王朝から南北朝時代です。第3の文化段階の土器には、東トルキスタン東部で広く見られた轆轤製の灰陶が含まれます。
ZGLK遺跡の1号墓地の第2文化段階の古代人2個体のゲノムデータが生成され、墓が長方形の土坑墓によって特徴づけられる個体M75と、墓が格子模様のある長方形の土坑墓に属する個体M92-Bを含んでいます。この標本2点の年代は、墓の考古学的情報に基づいて推定できます。この2個体は、春秋時代から西漢(前漢)王朝まで(2800~1900年前頃)さかのぼるかもしれません。
●標本と手法
ZGLK遺跡の1号墓地の2個体のDNAが解析され、古代DNAに特徴的な損傷パターンからその信頼性が判断されました。遺伝学的性別と、Y染色体ハプログループ(YHg)およびミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定されました。124万ヶ所のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)で、疑似半数体遺伝子型が呼び出されました。集団遺伝学的分析では、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTURE分析が用いられました。ADMIXTUREでは、K(系統構成要素数)=2~12の教師無クラスタ(まとまり)分析が実行されました。f統計では、f₃形式(検証対象、X;ムブティ人)の外群f₃統計と、f₄形式(ムブティ人、X;Y、Z)のf₄統計が実行されました、外群f3統計の検証対象には、ZGLK遺跡集団と東トルキスタン南部の鉄器時代人口集団が含まれました。
qpAdm分析では、外群として10集団の基本一式が用いられ、それは、アフリカの狩猟採集民であるムブティ人(4個体)、アンダマン諸島のオンゲ人(2個体)、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡のヨーロッパ更新世狩猟採集民1個体、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の更新世の1個体(コステンキ14号)、レヴァントの初期完新世のナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)の3個体(イスラエル_ナトゥーフィアン)、イランのガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡の新石器時代農耕民10個体(ガンジュダレー_N)、アナトリア半島西部の初期新石器時代農耕民22個体(アナトリア_N)、台湾の先住民であるアミ人(Ami)2個体、中国北部の山東省の扁扁(Bianbian)遺跡の初期新石器時代狩猟採集民1個体です。124万SNPデータセットを使用する全モデルで、qpAdmモデルがp > 0.05で、標準誤差での混合割合の値がゼロより大きければ、qpAdmモデルは充分に適しています。0.05未満のより小さなp値は、qpAdmモデルの適合が乏しく、却下されるべきであることを示唆していますが、一般的に使用される閾値は固定されておらず、分析によって異なります。したがって、0.01 < p < 0.05のモデルがわずかに許容可能とみなされることもあります。タリム_EMBA1、アンドロノヴォ(Andronovo)文化個体群、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化個体群が、追加の外群として用いられ、ZGLK集団の堅牢な混合モデル化が検証されて、研究対象の最適なモデルが得られました。ZGLK集団の混合時期の推定には、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)手法が用いられ、世代平均時間は29年と仮定されました。
●分析結果
ZGLK遺跡の古代人2個体の内在性DNAの割合は、1.88~76.37%の範囲でした。この2個体は、古代DNAに特徴的な損傷パターンと、低水準の汚染(mtDNAと核DNAの両方で3%未満)を示しました。この2個体と遺伝的に近縁な個体は見つかりませんでした。124万SNPの標的では、75671~880363ヶ所のSNPの疑似半数体遺伝子型データが得られました。この2個体のうち、ハプログループの割り当て基準を満たしたのは1個体だけで、そのmtHgはアジア北東部において一般的D4jであり、アジア東部(East Asia、略してEA)人との母系のつながりが示唆されます。父系のY染色体の観点では、刊行されているZGLK個体群は初期青銅器時代ユーラシア草原地帯に固有のYHg-R1bで(Wang et al., 2021)、本論文で新たに報告されるZGLK遺跡の1個体のYHgは、中期および後期青銅器時代の牧畜民で一般的なR1aです。これは、ZGLK集団が西方草原地帯牧畜民と父系の類似性を共有していた、と示唆しています。
●ZGLK個体群の遺伝的多様性から明らかになる古代且末王国における多方向の接触
ユーラシアの古代人と現代人の多様性(Mallick et al., 2024)の文脈でZGLK遺跡の鉄器時代人口集団の遺伝的特性を調べるために、刊行されているZGLK個体群が組み合わされ、PCAが実行されました(図1B)。新たに報告されたZGLK遺跡の2個体のうち1個体(M92-B)は、アジア東部北方人の近くに投影されて、ZGLK_IA_oEAと分類表示され、もう一方の個体(M75)は東トルキスタン西部もしくは南部の古代の人口集団とクラスタ化し(まとまり)、ZGLK_IAとして示されました。他の刊行されているZGLK個体はすべて、ユーラシア東西の遺伝的勾配に収まりました。教師無ADMIXTURE分析(K=5)は、同様のパターンを示しました(図1C)。ZGLK_IA_oEAが、黄河中流域の雑穀農耕民および現在の漢人と関連する人口集団と類似の遺伝的構成要素を有しているのに対して、ZGLK_IAは、東トルキスタン南部の、吉爾賛喀勒遺跡(Jierzankale、Jirzankal、略してJEZK)個体(JEZK_IA1)、JEZK_IA 2、ZGLK_IA1、ZGLK_IA5と同様の遺伝的特性を示しました。同様に、ZGLK遺跡内のより高い遺伝的多様性は、有意に正もしくは負のf₄統計(ムブティ人、75の参照集団;ZGLK集団1、ZGLK集団2)によってさらに証明されました。しかし、ZGLK_IA とZGLK_IA 5との間、もしくはZGLK_IA 3とZGLK_IA 4との間を含めて、ZGLK集団間のある程度の遺伝的均質性が見つかり、有意ではない(0<|Z|<3)f₄統計(ムブティ人、X;ZGLK_IA、ZGLK_IA5)およびf₄統計(ムブティ人、X;ZGLK_IA3、ZGLK_IA4)で示されています。以下は本論文の図1です。
f₃形式(ZGLK集団、ユーラシア古代人;ムブティ人)の外群f₃統計では、ZGLK個体群はANEと関連する主要な祖先系統を有していた古代人口集団、つまりタリム_EMBAやWSHG(West Siberian hunter-gatherer、シベリア西部狩猟採集民)やカザフスタンのボタイ(Botai)遺跡の金石併用時代時代個体群(ボタイ_EL)と最高水準の遺伝的浮動を共有していた、と示唆されました。ZGLK集団とANE関連人口集団との間の高い遺伝的類似性は、f₄統計(ムブティ人、ZGLK集団;古代人集団X、古代人集団Y)と負のf₄統計(ムブティ人、ZGLK集団;ANE関連集団、参照集団)でさらに裏づけられました。ZGLK集団におけるANE関連祖先系統の遺伝的遺産を調べるために、潜在的な供給源として、WSHGやロシア_アフォントヴァ・ゴラ3やボタイ_ELやタリム_EMBA といったANE関連人口集団、バイカル湖地域のシャマンカ(Shamanka)遺跡の前期青銅器時代個体(シャマンカ_EBA)やロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡の新石器時代個体(悪魔の門_N)や黄河流域中期新石器時代集団(黄河_MN)といったユーラシア東部集団、西方草原地帯牧畜民もしくはアジア中央部のBMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)集団が含められました。その結果、タリム_EMBA1とタリム_EMBA2、とくにタリム_EMBA2は、ほとんどのZGLK集団にとってANEの代理として使用できる、と分かりました。タリム_EMBA1によって表されるANE関連祖先系統の割合の範囲は11~48%で、これは在来祖先系統がZGLK集団まで存続したことを示唆しています。
刊行されている研究は、青銅器時代の東トルキスタン人口集団へのタリム_EMBAのさまざまな寄与を示しました(Kumar et al., 2022)。外群f₃統計(東トルキスタン南部の古代人集団、ユーラシア古代人;ムブティ人)でも、タリム盆地の周辺地域の人口集団がANE関連人口集団、とくにタリム_EMBAと高い遺伝的浮動を共有していた、と示されました。タリム盆地の周辺地域の他の人口集団における、在来祖先系統の遺産も調べられました。山普拉(Shanpula、略してSPL)遺跡の歴史時代集団(SPL_HE)や流水(Liushui、略してLSH)遺跡の鉄器時代集団(LSH_IA)や和田棗(Hetian、略してHET)遺跡の歴史時代集団(HET_HE)など、これらの人口集団におけるタリム_EMBA2によって表される財政祖先系の割合の範囲は、21~74%までさまざまであることも特定されました。しかし、タリム盆地の周辺地域の一部の人口集団は在来祖先系統からの寄与を必要とせず、つまり、吉爾賛喀勒(Jierzankale、Jirzankal、略してJEZK)遺跡の鉄器時代集団(JEZK_IA)と和田棗遺跡の別の歴史時代集団(HET_HE1)です。この結果はある程度の遺伝的連続性を明らかにしており、在来祖先系統がタリム盆地の周辺地域の歴史時代にまで存続したことを示します。
ZGLK集団の東西の混合パターンを調べるために、青銅器時代西方草原地帯牧畜民、つまりアファナシェヴォ文化集団およびアンドロノヴォ文化集団と、BMAC集団と、黄河_MNやシャマンカ_EBAやウランズーク(Ulaanzuukh)文化および石板墓(Slabgrave)文化集団(ウランズーク_石板墓)が潜在的供給源として使用されました。タリム_EMBA1を外群に追加すると、ユーラシア東部人と西方草原地帯牧畜民とBMAC集団の3方向モデルのみがZGLK_IA3およびZGLK_IA4で機能し、これはZGLK集団への在来祖先系統の寄与をさらに裏づけました。3方向混合モデルは、ZGLK_IA1を除いてほとんどのZGLK集団で、外群のアンドロノヴォ文化集団で合格しました。対照的に、供給源としてのアンドロノヴォ文化集団と外群としてのアファナシェヴォ文化集団でのモデルは、ZGLK_IA3およびZGLK_IA4でのみ適合しました。これらの結果は、鉄器時代のZGLK標本における、EBA西方草原地帯牧畜民関連祖先系統およびMLBA西方草原地帯牧畜民関連祖先系統の共存を示唆しています。さらに、ZGLK個体群はYHg-R1b1およびR1a1を有しており、これらのYHgはそれぞれ、EBAとMLBAの西方草原地帯牧畜民の特徴的な父系です。
要するに、鉄器時代ZGLK集団はシャマンカ_EBAによって表されるユーラシア東部関連祖先系統(約41~63%)に由来し、残りの祖先系統は、西方草原地帯牧畜民の混合(ZGLK_IA1もしくはZGLK_IA2では約41~46%のアファナシェヴォ文化集団関連祖先系統、ZGLK_IA3およびZGLK_IA4では約15~26%のアンドロノヴォ文化集団関連祖先系統)と、BMAC集団的祖先系統(約11~22%)に由来する、と分かりました(図3)。ZGLK集団内の西方草原地帯牧畜民とユーラシア東部ユーラシア東部人(シャマンカ_EBAもしくは黄河_LBIA)によって表される東西の混合事象は、3300~2000年前頃の間に起きました。最後に、ZGLK集団へのスキタイ人の遺伝的影響が調べられました。潜在的供給源としてスキタイ人関連人口集団を含めて、外群一式にタリム_EMBA1を追加すると、サカ文化集団(約48~63%)とシャマンカ_EBA(約37~52%)の混合としてモデル化できるZGLK集団は2集団だけだった、と分かりました。この結果から、スキタイ人の遺伝的影響はZGLK個体群において限定的だった、と示されました。
●アジア東部からの移民は鉄器時代の東トルキスタン南部に定住しました
PCAおよびADMIXTURE図では、アジア東部北方人とクラスタ化するZGLKの外れ値1個体が見つかりました(図1B)。次に、f₄形式(ムブティ人、参照100集団;ZGLK_IA_oEA、ZGLK集団)のf₄統計が実行され、ZGLK_IA_oEA、と他のZGLK集団との間で大きな相違が見つかりました(図2A)。ZGLK遺跡の外れ値1個体の遺伝的特性を調べるために、まず外群f₃統計が実行されました。その結果、ZGLK_IA_oEAは黄河流域および西遼河流域の古代の人口集団と最高水準の遺伝的浮動を共有していた、と観察されました。次に、f₄統計(ムブティ人、ZGLK_IA_oEA;古代人集団X、古代人集団Y)が実行され、XとYには代表的な古代ユーラシア人の85集団が含まれました。その結果、ZGLK_IA_oEAとアジア東部古代人、とくに中国北部の古代人集団との間の、高水準のアレル(対立遺伝子)共有が示されました。以下は本論文の図2です。
f₄統計(ムブティ人、参照95集団;黄河もしくは西遼河集団、ZGLK_IA_oEA)で示されるように、ZGLK_IA_oEAと黄河もしくは西遼河人口集団との間の密接な遺伝的関係がさらに観察されました。したがって、ZGLK_IA_oEAをモデル化するための供給源として、黄河と西遼河の古代の人口集団が使用されました。WLR_BAか【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の廟子溝(Miaozigou)遺跡の中期新石器時代個体(廟子溝_MN)か陝西省の石峁(Shimao)遺跡の後期新石器時代個体(石峁_LN)か黄河上流_LNを供給源として用いた1方向モデルは、ZGLK_IA_oEAの遺伝的特性を説明するのに充分でした。単一の供給源としてWLR_BAを用いたモデルは、循環もしくは落下外群でZGLK_IA_oEAに依然として適合します。さらに、ZGLK_IA_oEAは黄河_LBIA(約88%)と西方草原地帯牧畜民(約12%)の2方向混合としてモデル化できます(図3A)。したがって本論文は、ZGLK_IA_oEAは東トルキスタン南部に到来して定住した、黄河流域もしくは西遼河流域からの移民の子孫かもしれない、と提案しました。以下は本論文の図3です。
●考察
タリム盆地の周辺地域に位置する鉄器時代ZGLK文化は、複数の文化的相互作用を示します。先行研究はZGLK個体群の母系遺伝子プールの東西の混合パターンを示してきました(Wang et al., 2021)。本論文で提示されたZGLK個体群の古代ゲノムは、ZGLK人口集団の東西の混合をさらに証明し、この人口集団内の高い遺伝的多様性を示しました。それらZGLK個体群はユーラシア東部(古代のアジア北東部関連もしくは黄河農耕民関連祖先系統)からの祖先系統、ユーラシア西方草原地帯牧畜民(アファナシェヴォ文化集団およびアンドロノヴォ文化集団関連祖先系統)、アジア中央部のBMAC集団関連祖先系統をさまざまな程度で有していました。ZGLK文化は、黒陶などユーラシア草原地帯牧畜民文化だけではなく、アジア東部ともつながっており、つまりは彩色木製壁板です。ZGLK遺跡の考古学的証拠および古代且末王国もしくはこの地域周辺のその後の政権に関する歴史的記録を組み合わせると、ZGLK個体群の遺伝的景観は、西方草原地帯とアジア中央部とアジア東部からの複数の人口統計学的接触が鉄器時代の東トルキスタン南部で起きていたことを示唆しました。
鉄器時代は東トルキスタンにおいて、広範な文化的交流と人口統計学的相互作用によって特徴づけられます(Kumar et al., 2022)。スキタイ人や匈奴を含めてユーラシア草原地帯から生じた遊牧民集団は、さまざまな程度で東トルキスタンに影響を及ぼしました。歴史時代を通じて存続したサカ国家は、東トルキスタン地域の文化と言語の発展に大きく寄与しました。動物模様の木製品などスキタイ文化からの文化的影響はZGLK文化において明らかでしたが、ZGLKの2集団のみが、サカ文化関連人口集団に祖先系統が由来し、残りの祖先系統はユーラシア東部人に由来する、と堅牢にモデル化できます。これらの結果は、ZGLK集団へのスキタイ人の限定的な寄与を示唆しており、物質文化のつながりが遺伝子の拡大と常に並行していたわけではなかった、と示唆しています。
さらに、ZGLK遺跡個体群において中国北部(黄河流域もしくは西遼河流域を含みます)からの雑穀農耕民の遺伝的影響が見つかりました。これらZGLK個体のうち、一部の個体の祖先系統は黄河人口集団に由来します(ZGLK_IAおよびZGLK_IA5では約10~13%)。注目すべきことに、西方草原地帯牧畜民祖先系統が限定的で(0~12%)、中国北部からの農耕移民の子孫としてモデル化できる、外れ値1個体が見つかりました。河西回廊沿いの中国北部の雑穀農耕の西方への拡大には、人口移住が伴っていた、と推測されました。紀元前200年頃以後、中原の東トルキスタンへの支配の深化は、中原と東トルキスタンとの間のつながりを強化し、この2地域間の人口集団の相互作用を促進しました。さらに、ZGLK集団の遺伝的形成には農耕民と関連する祖先系統が関わっており、それには中国北部の人口集団とアジア中央部のBMAC人口集団が含まれている、と分かりました。ZGLK遺跡の考古学的遺物には、家畜(つまり、ヒツジやヤギやウシやウマ)の角や骨、ウマの鞭、コークで焼いたヒツジの肉片、パンケーキ(コムギもしくはオオムギ製品)、鋤、石臼が含まれています。農作物と地理的特徴を統合すると、本論文の結果から、古代且末王国はタリム盆地の南端の農耕牧畜生計のオアシス都市国家だった、と裏づけられました。
まとめると、本論文では、人口集団の相互作用が古代且末王国の遺伝的特性を形成した、と分かりました。これは考古学的調査で発見された多様な文化要素と対応していました。次に、さまざまな祖先系統からの多様な寄与のあるZGLK人口集団内には、遺伝的構造がありました。最後に、ZGLK遺跡の外れ値1個体は中国北部の雑穀農耕人口集団と遺伝的に均質で、これは中国北部からの農耕人口集団が早くも鉄器時代には東トルキスタン南部に既に定住していたことを示唆しました。したがって、本論文は、鉄器時代における古代且末王国の人々の遺伝的構造と形成し、考古学的調査結果に対応する遺伝学的証拠を提供します。
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時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、EL(Eneolithic、金石併用時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、歴史時代(historical era、略してHE)です。
●要約
東トルキスタン南部の鉄器時代のZGLK文化は、周辺地域との文化的つながり、および農耕と畜産の共存によって特徴づけられ、古代且末王国を表している、と示唆されました。しかし、古代且末王国の詳細な人口史と、文化的変化に人口移動が伴っていたのかどうかは、不明なままです。本論文は、ZGLK遺跡1号墓地の2個体の古代ゲノムを報告します。刊行されている古代ゲノムデータと組み合わせると、ZGLK遺跡集団における東西の混合パターンが観察され、多様な祖先系統のさまざまな割合は、扎滾魯克遺跡の多様な文化要素に対応していました。さらに、黄河流域もしくは西遼河流域の雑穀農耕民と関連する主要な祖先系統を有する遺伝的な外れ値1個体が特定され、中国北部から東トルキスタン南部への移民の存在を示唆しています。本論文の調査結果から、人口集団の相互作用がZGLK遺跡人口集団の遺伝的特性を大きく形成した、と示唆されます。
●研究史
最近の古ゲノム研究では、草原地帯遊牧民の拡大は、ユーラシア大陸の文化と言語と社会と人口動態の発展に大きな影響を及ぼした、と示されてきました(Haak et al., 2015、Damgaard et al., 2018、Jeong et al., 2020、Maróti et al., 2022)。鉄器時代のスキタイ人として知られているその代表の一つは、ユーラシア草原地帯に広がり、東トルキスタンへと移住した、タガール(Tagar)文化やパジリク(Pazyryk)文化やサカ(Saka)文化の担い手など、いくつかの人口集団の重要な連合でした。古代ゲノムはスキタイ人の同盟的性質を確証しており、スキタイ人は相互と遺伝的子となる、と示されています(Krzewińska et al., 2018、Gnecchi-Ruscone et al., 2021)。鉄器時代遊牧民は、乗馬技術の発展(たとえば、鞍の導入)を通じて、定住生活様式から遊動的なウシの飼育生活様式へと移行しました。鉄器時代遊牧民は、中央集権的で階層的に上流階層に基づく社会を築きました(Lee et al., 2023)。したがって、鉄器時代のユーラシアは人口移動性の増加、長距離の拡大、さらには地域支配をめぐる闘争によって特徴づけられます。
東トルキスタンはユーラシア東西の交差点に位置し、文化と技術と商品の交流において重要な役割を果たしています。多くの考古学的研究では、コムギやオオムギを含めてアジア西部の作物と、アジア東部の雑穀の両方が、早くも青銅器時代には東トルキスタンへと統合されていた、と論証されてきました。以前の遺伝学的研究は、ユーラシア東西両方との古代東トルキスタンの個体群の母方および父方の類似性を明らかにしました。最近、古ゲノム研究は東トルキスタンにおける広範な人口移動および混合を証明しました(Zhang et al., 2021、Kumar et al., 2022)。古ゲノム研究はさらに、祖先系統がおもに、ANE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)に由来する、タリム盆地のロプノール(Lop Nur)地域東部の小河(Xiaohe)の初期青銅器時代の人々(タリム_EMBA1)によって表される在来人口集団を検出しました(Zhang et al., 2021)。したがって、在来人口集団はユーラシアにおけるANE関連祖先系統の長期で広範な存在の証拠を提供します。しかし、ANEと関連する祖先系統が青銅器時代後の東トルキスタンに存続していたのか、そうでないのかは、調査する価値があります。
鉄器時代には、冶金技術がユーラシア草原地帯を通って東トルキスタンへと伝わり、中国北部に到達しました。東トルキスタンにおける鉄製道具の最初の出現は、スキタイ人もしくはサカ文化集団の移住と関連しているかもしれません。スキタイ人の東トルキスタン、とくに東トルキスタンの北西部と南部への拡大は考古学的証拠において明らかで、つまり、遺物における動物模様の木製品や鞍です。紀元前200年頃以後、東トルキスタンの中心部に位置するシルクロード(絹の道)は、ユーラシア東西間の強いつながりを示します。古代中国の歴史的記録である『漢書(Hanshu)』の西域伝によると、ホータン(Yutian、于闐)王国や精絶(Jingjue)国など農耕牧畜生計およびアジア中央部と類似した灌漑体系を採用した多数のオアシスの都市国家は、長期にわたって絹の道沿いに存在しました。古代且末王国として知られているそうした代表の一つは、タリム盆地の南端に位置しています。東トルキスタン南部における鉄器時代文化の一つとして、ZGLK文化は古代且末王国と関連している、と考えられています。この文化は周辺地域の複数の文化的特徴を示しており、それには、スキタイ人に特徴的な黒陶もしくは動物模様と中原の絹織物が含まれます。人類学および古代ミトコンドリアゲノムの研究も、ZGLKの人口集団内の他奉公の接触を示しています。刊行されている古代ゲノムデータにはZGLKの標本が含まれていますが(Kumar et al., 2022)、この文化的変化に人口集団の相互作用が伴っていたのかどうかは、不明なままです。本論文では、ZGLKの1号墓地の古代の個体群のゲノム規模データが報告されます。さまざまな程度のユーラシア東西の混合を有する、ZGLK人口集団内の高い遺伝的多様性が見つかりました。黄河もしくは西遼河流域の古代農耕民と遺伝的に区別できなかった、中国北部からの移民の子孫も特定されました。
●ZGLK遺跡の背景
ZGLK遺跡は、東トルキスタンの且末県の扎滾魯克村の2km西方となる、オアシスの端のゴビ砂漠地帯に位置しています。本論文で遺伝学的に分析された標本は、ZGLK遺跡の1号墓地から得られました。ZGLK遺跡の1号墓地は数回荒らされており、1980年代以降の3回の救出発掘調査の対象となってきました。発掘はおもに南部区域で行なわれました。この墓地は南北の区域に分かれており、発掘はおもに南部区域で行なわれました。北部区域は相対的に少なく分散している埋葬があり、おもに大きな単一の羨道と格子模様のある長方形の竪穴墓で構成されています。南部区域にはより集中した埋葬があり、東側は水食の洞窟土坑のある小さな墓によって占められており、西側は大きな単一の羨道と格子模様のある長方形の土穴墓によって占められています。ZGLK遺跡の1号墓地の年代は鉄器時代から歴史時代までとなり、埋葬形態と発掘遺物の類型に基づいて3文化期へと正確に分類できます。最初の文化段階(M61)は非較正の放射性炭素年代測定で3458±76年前で、古代且末文化の初期段階とみなされています。この期間の土器はおもに、近隣地域で一般的だった赤陶によって占められています。第2の文化段階はZGLK遺跡の1号墓地の主要な分化で、放射性炭素年代測定では非較正で2600~1900年前頃です。この段階の墓の形態はおもに、格子模様のある長方形の土坑墓と、単一の羨道および格子のある長方形の土坑墓によって特徴づけられます。この第2文化段階は、同時期にタクラマカン地域の南端で比較的一般的だった、黒陶によって特徴づけられます。動物模様のある木製品、櫛、ウマの鞭、コークで焼いたヒツジの肉片、パンケーキ(コムギもしくはオオムギ製品)、漆器、絹織物などの人工遺物が回収されており、第3の文化段階の年代は、東漢(後漢)王朝から南北朝時代です。第3の文化段階の土器には、東トルキスタン東部で広く見られた轆轤製の灰陶が含まれます。
ZGLK遺跡の1号墓地の第2文化段階の古代人2個体のゲノムデータが生成され、墓が長方形の土坑墓によって特徴づけられる個体M75と、墓が格子模様のある長方形の土坑墓に属する個体M92-Bを含んでいます。この標本2点の年代は、墓の考古学的情報に基づいて推定できます。この2個体は、春秋時代から西漢(前漢)王朝まで(2800~1900年前頃)さかのぼるかもしれません。
●標本と手法
ZGLK遺跡の1号墓地の2個体のDNAが解析され、古代DNAに特徴的な損傷パターンからその信頼性が判断されました。遺伝学的性別と、Y染色体ハプログループ(YHg)およびミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定されました。124万ヶ所のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)で、疑似半数体遺伝子型が呼び出されました。集団遺伝学的分析では、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTURE分析が用いられました。ADMIXTUREでは、K(系統構成要素数)=2~12の教師無クラスタ(まとまり)分析が実行されました。f統計では、f₃形式(検証対象、X;ムブティ人)の外群f₃統計と、f₄形式(ムブティ人、X;Y、Z)のf₄統計が実行されました、外群f3統計の検証対象には、ZGLK遺跡集団と東トルキスタン南部の鉄器時代人口集団が含まれました。
qpAdm分析では、外群として10集団の基本一式が用いられ、それは、アフリカの狩猟採集民であるムブティ人(4個体)、アンダマン諸島のオンゲ人(2個体)、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡のヨーロッパ更新世狩猟採集民1個体、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の更新世の1個体(コステンキ14号)、レヴァントの初期完新世のナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)の3個体(イスラエル_ナトゥーフィアン)、イランのガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡の新石器時代農耕民10個体(ガンジュダレー_N)、アナトリア半島西部の初期新石器時代農耕民22個体(アナトリア_N)、台湾の先住民であるアミ人(Ami)2個体、中国北部の山東省の扁扁(Bianbian)遺跡の初期新石器時代狩猟採集民1個体です。124万SNPデータセットを使用する全モデルで、qpAdmモデルがp > 0.05で、標準誤差での混合割合の値がゼロより大きければ、qpAdmモデルは充分に適しています。0.05未満のより小さなp値は、qpAdmモデルの適合が乏しく、却下されるべきであることを示唆していますが、一般的に使用される閾値は固定されておらず、分析によって異なります。したがって、0.01 < p < 0.05のモデルがわずかに許容可能とみなされることもあります。タリム_EMBA1、アンドロノヴォ(Andronovo)文化個体群、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化個体群が、追加の外群として用いられ、ZGLK集団の堅牢な混合モデル化が検証されて、研究対象の最適なモデルが得られました。ZGLK集団の混合時期の推定には、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)手法が用いられ、世代平均時間は29年と仮定されました。
●分析結果
ZGLK遺跡の古代人2個体の内在性DNAの割合は、1.88~76.37%の範囲でした。この2個体は、古代DNAに特徴的な損傷パターンと、低水準の汚染(mtDNAと核DNAの両方で3%未満)を示しました。この2個体と遺伝的に近縁な個体は見つかりませんでした。124万SNPの標的では、75671~880363ヶ所のSNPの疑似半数体遺伝子型データが得られました。この2個体のうち、ハプログループの割り当て基準を満たしたのは1個体だけで、そのmtHgはアジア北東部において一般的D4jであり、アジア東部(East Asia、略してEA)人との母系のつながりが示唆されます。父系のY染色体の観点では、刊行されているZGLK個体群は初期青銅器時代ユーラシア草原地帯に固有のYHg-R1bで(Wang et al., 2021)、本論文で新たに報告されるZGLK遺跡の1個体のYHgは、中期および後期青銅器時代の牧畜民で一般的なR1aです。これは、ZGLK集団が西方草原地帯牧畜民と父系の類似性を共有していた、と示唆しています。
●ZGLK個体群の遺伝的多様性から明らかになる古代且末王国における多方向の接触
ユーラシアの古代人と現代人の多様性(Mallick et al., 2024)の文脈でZGLK遺跡の鉄器時代人口集団の遺伝的特性を調べるために、刊行されているZGLK個体群が組み合わされ、PCAが実行されました(図1B)。新たに報告されたZGLK遺跡の2個体のうち1個体(M92-B)は、アジア東部北方人の近くに投影されて、ZGLK_IA_oEAと分類表示され、もう一方の個体(M75)は東トルキスタン西部もしくは南部の古代の人口集団とクラスタ化し(まとまり)、ZGLK_IAとして示されました。他の刊行されているZGLK個体はすべて、ユーラシア東西の遺伝的勾配に収まりました。教師無ADMIXTURE分析(K=5)は、同様のパターンを示しました(図1C)。ZGLK_IA_oEAが、黄河中流域の雑穀農耕民および現在の漢人と関連する人口集団と類似の遺伝的構成要素を有しているのに対して、ZGLK_IAは、東トルキスタン南部の、吉爾賛喀勒遺跡(Jierzankale、Jirzankal、略してJEZK)個体(JEZK_IA1)、JEZK_IA 2、ZGLK_IA1、ZGLK_IA5と同様の遺伝的特性を示しました。同様に、ZGLK遺跡内のより高い遺伝的多様性は、有意に正もしくは負のf₄統計(ムブティ人、75の参照集団;ZGLK集団1、ZGLK集団2)によってさらに証明されました。しかし、ZGLK_IA とZGLK_IA 5との間、もしくはZGLK_IA 3とZGLK_IA 4との間を含めて、ZGLK集団間のある程度の遺伝的均質性が見つかり、有意ではない(0<|Z|<3)f₄統計(ムブティ人、X;ZGLK_IA、ZGLK_IA5)およびf₄統計(ムブティ人、X;ZGLK_IA3、ZGLK_IA4)で示されています。以下は本論文の図1です。
f₃形式(ZGLK集団、ユーラシア古代人;ムブティ人)の外群f₃統計では、ZGLK個体群はANEと関連する主要な祖先系統を有していた古代人口集団、つまりタリム_EMBAやWSHG(West Siberian hunter-gatherer、シベリア西部狩猟採集民)やカザフスタンのボタイ(Botai)遺跡の金石併用時代時代個体群(ボタイ_EL)と最高水準の遺伝的浮動を共有していた、と示唆されました。ZGLK集団とANE関連人口集団との間の高い遺伝的類似性は、f₄統計(ムブティ人、ZGLK集団;古代人集団X、古代人集団Y)と負のf₄統計(ムブティ人、ZGLK集団;ANE関連集団、参照集団)でさらに裏づけられました。ZGLK集団におけるANE関連祖先系統の遺伝的遺産を調べるために、潜在的な供給源として、WSHGやロシア_アフォントヴァ・ゴラ3やボタイ_ELやタリム_EMBA といったANE関連人口集団、バイカル湖地域のシャマンカ(Shamanka)遺跡の前期青銅器時代個体(シャマンカ_EBA)やロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡の新石器時代個体(悪魔の門_N)や黄河流域中期新石器時代集団(黄河_MN)といったユーラシア東部集団、西方草原地帯牧畜民もしくはアジア中央部のBMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)集団が含められました。その結果、タリム_EMBA1とタリム_EMBA2、とくにタリム_EMBA2は、ほとんどのZGLK集団にとってANEの代理として使用できる、と分かりました。タリム_EMBA1によって表されるANE関連祖先系統の割合の範囲は11~48%で、これは在来祖先系統がZGLK集団まで存続したことを示唆しています。
刊行されている研究は、青銅器時代の東トルキスタン人口集団へのタリム_EMBAのさまざまな寄与を示しました(Kumar et al., 2022)。外群f₃統計(東トルキスタン南部の古代人集団、ユーラシア古代人;ムブティ人)でも、タリム盆地の周辺地域の人口集団がANE関連人口集団、とくにタリム_EMBAと高い遺伝的浮動を共有していた、と示されました。タリム盆地の周辺地域の他の人口集団における、在来祖先系統の遺産も調べられました。山普拉(Shanpula、略してSPL)遺跡の歴史時代集団(SPL_HE)や流水(Liushui、略してLSH)遺跡の鉄器時代集団(LSH_IA)や和田棗(Hetian、略してHET)遺跡の歴史時代集団(HET_HE)など、これらの人口集団におけるタリム_EMBA2によって表される財政祖先系の割合の範囲は、21~74%までさまざまであることも特定されました。しかし、タリム盆地の周辺地域の一部の人口集団は在来祖先系統からの寄与を必要とせず、つまり、吉爾賛喀勒(Jierzankale、Jirzankal、略してJEZK)遺跡の鉄器時代集団(JEZK_IA)と和田棗遺跡の別の歴史時代集団(HET_HE1)です。この結果はある程度の遺伝的連続性を明らかにしており、在来祖先系統がタリム盆地の周辺地域の歴史時代にまで存続したことを示します。
ZGLK集団の東西の混合パターンを調べるために、青銅器時代西方草原地帯牧畜民、つまりアファナシェヴォ文化集団およびアンドロノヴォ文化集団と、BMAC集団と、黄河_MNやシャマンカ_EBAやウランズーク(Ulaanzuukh)文化および石板墓(Slabgrave)文化集団(ウランズーク_石板墓)が潜在的供給源として使用されました。タリム_EMBA1を外群に追加すると、ユーラシア東部人と西方草原地帯牧畜民とBMAC集団の3方向モデルのみがZGLK_IA3およびZGLK_IA4で機能し、これはZGLK集団への在来祖先系統の寄与をさらに裏づけました。3方向混合モデルは、ZGLK_IA1を除いてほとんどのZGLK集団で、外群のアンドロノヴォ文化集団で合格しました。対照的に、供給源としてのアンドロノヴォ文化集団と外群としてのアファナシェヴォ文化集団でのモデルは、ZGLK_IA3およびZGLK_IA4でのみ適合しました。これらの結果は、鉄器時代のZGLK標本における、EBA西方草原地帯牧畜民関連祖先系統およびMLBA西方草原地帯牧畜民関連祖先系統の共存を示唆しています。さらに、ZGLK個体群はYHg-R1b1およびR1a1を有しており、これらのYHgはそれぞれ、EBAとMLBAの西方草原地帯牧畜民の特徴的な父系です。
要するに、鉄器時代ZGLK集団はシャマンカ_EBAによって表されるユーラシア東部関連祖先系統(約41~63%)に由来し、残りの祖先系統は、西方草原地帯牧畜民の混合(ZGLK_IA1もしくはZGLK_IA2では約41~46%のアファナシェヴォ文化集団関連祖先系統、ZGLK_IA3およびZGLK_IA4では約15~26%のアンドロノヴォ文化集団関連祖先系統)と、BMAC集団的祖先系統(約11~22%)に由来する、と分かりました(図3)。ZGLK集団内の西方草原地帯牧畜民とユーラシア東部ユーラシア東部人(シャマンカ_EBAもしくは黄河_LBIA)によって表される東西の混合事象は、3300~2000年前頃の間に起きました。最後に、ZGLK集団へのスキタイ人の遺伝的影響が調べられました。潜在的供給源としてスキタイ人関連人口集団を含めて、外群一式にタリム_EMBA1を追加すると、サカ文化集団(約48~63%)とシャマンカ_EBA(約37~52%)の混合としてモデル化できるZGLK集団は2集団だけだった、と分かりました。この結果から、スキタイ人の遺伝的影響はZGLK個体群において限定的だった、と示されました。
●アジア東部からの移民は鉄器時代の東トルキスタン南部に定住しました
PCAおよびADMIXTURE図では、アジア東部北方人とクラスタ化するZGLKの外れ値1個体が見つかりました(図1B)。次に、f₄形式(ムブティ人、参照100集団;ZGLK_IA_oEA、ZGLK集団)のf₄統計が実行され、ZGLK_IA_oEA、と他のZGLK集団との間で大きな相違が見つかりました(図2A)。ZGLK遺跡の外れ値1個体の遺伝的特性を調べるために、まず外群f₃統計が実行されました。その結果、ZGLK_IA_oEAは黄河流域および西遼河流域の古代の人口集団と最高水準の遺伝的浮動を共有していた、と観察されました。次に、f₄統計(ムブティ人、ZGLK_IA_oEA;古代人集団X、古代人集団Y)が実行され、XとYには代表的な古代ユーラシア人の85集団が含まれました。その結果、ZGLK_IA_oEAとアジア東部古代人、とくに中国北部の古代人集団との間の、高水準のアレル(対立遺伝子)共有が示されました。以下は本論文の図2です。
f₄統計(ムブティ人、参照95集団;黄河もしくは西遼河集団、ZGLK_IA_oEA)で示されるように、ZGLK_IA_oEAと黄河もしくは西遼河人口集団との間の密接な遺伝的関係がさらに観察されました。したがって、ZGLK_IA_oEAをモデル化するための供給源として、黄河と西遼河の古代の人口集団が使用されました。WLR_BAか【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の廟子溝(Miaozigou)遺跡の中期新石器時代個体(廟子溝_MN)か陝西省の石峁(Shimao)遺跡の後期新石器時代個体(石峁_LN)か黄河上流_LNを供給源として用いた1方向モデルは、ZGLK_IA_oEAの遺伝的特性を説明するのに充分でした。単一の供給源としてWLR_BAを用いたモデルは、循環もしくは落下外群でZGLK_IA_oEAに依然として適合します。さらに、ZGLK_IA_oEAは黄河_LBIA(約88%)と西方草原地帯牧畜民(約12%)の2方向混合としてモデル化できます(図3A)。したがって本論文は、ZGLK_IA_oEAは東トルキスタン南部に到来して定住した、黄河流域もしくは西遼河流域からの移民の子孫かもしれない、と提案しました。以下は本論文の図3です。
●考察
タリム盆地の周辺地域に位置する鉄器時代ZGLK文化は、複数の文化的相互作用を示します。先行研究はZGLK個体群の母系遺伝子プールの東西の混合パターンを示してきました(Wang et al., 2021)。本論文で提示されたZGLK個体群の古代ゲノムは、ZGLK人口集団の東西の混合をさらに証明し、この人口集団内の高い遺伝的多様性を示しました。それらZGLK個体群はユーラシア東部(古代のアジア北東部関連もしくは黄河農耕民関連祖先系統)からの祖先系統、ユーラシア西方草原地帯牧畜民(アファナシェヴォ文化集団およびアンドロノヴォ文化集団関連祖先系統)、アジア中央部のBMAC集団関連祖先系統をさまざまな程度で有していました。ZGLK文化は、黒陶などユーラシア草原地帯牧畜民文化だけではなく、アジア東部ともつながっており、つまりは彩色木製壁板です。ZGLK遺跡の考古学的証拠および古代且末王国もしくはこの地域周辺のその後の政権に関する歴史的記録を組み合わせると、ZGLK個体群の遺伝的景観は、西方草原地帯とアジア中央部とアジア東部からの複数の人口統計学的接触が鉄器時代の東トルキスタン南部で起きていたことを示唆しました。
鉄器時代は東トルキスタンにおいて、広範な文化的交流と人口統計学的相互作用によって特徴づけられます(Kumar et al., 2022)。スキタイ人や匈奴を含めてユーラシア草原地帯から生じた遊牧民集団は、さまざまな程度で東トルキスタンに影響を及ぼしました。歴史時代を通じて存続したサカ国家は、東トルキスタン地域の文化と言語の発展に大きく寄与しました。動物模様の木製品などスキタイ文化からの文化的影響はZGLK文化において明らかでしたが、ZGLKの2集団のみが、サカ文化関連人口集団に祖先系統が由来し、残りの祖先系統はユーラシア東部人に由来する、と堅牢にモデル化できます。これらの結果は、ZGLK集団へのスキタイ人の限定的な寄与を示唆しており、物質文化のつながりが遺伝子の拡大と常に並行していたわけではなかった、と示唆しています。
さらに、ZGLK遺跡個体群において中国北部(黄河流域もしくは西遼河流域を含みます)からの雑穀農耕民の遺伝的影響が見つかりました。これらZGLK個体のうち、一部の個体の祖先系統は黄河人口集団に由来します(ZGLK_IAおよびZGLK_IA5では約10~13%)。注目すべきことに、西方草原地帯牧畜民祖先系統が限定的で(0~12%)、中国北部からの農耕移民の子孫としてモデル化できる、外れ値1個体が見つかりました。河西回廊沿いの中国北部の雑穀農耕の西方への拡大には、人口移住が伴っていた、と推測されました。紀元前200年頃以後、中原の東トルキスタンへの支配の深化は、中原と東トルキスタンとの間のつながりを強化し、この2地域間の人口集団の相互作用を促進しました。さらに、ZGLK集団の遺伝的形成には農耕民と関連する祖先系統が関わっており、それには中国北部の人口集団とアジア中央部のBMAC人口集団が含まれている、と分かりました。ZGLK遺跡の考古学的遺物には、家畜(つまり、ヒツジやヤギやウシやウマ)の角や骨、ウマの鞭、コークで焼いたヒツジの肉片、パンケーキ(コムギもしくはオオムギ製品)、鋤、石臼が含まれています。農作物と地理的特徴を統合すると、本論文の結果から、古代且末王国はタリム盆地の南端の農耕牧畜生計のオアシス都市国家だった、と裏づけられました。
まとめると、本論文では、人口集団の相互作用が古代且末王国の遺伝的特性を形成した、と分かりました。これは考古学的調査で発見された多様な文化要素と対応していました。次に、さまざまな祖先系統からの多様な寄与のあるZGLK人口集団内には、遺伝的構造がありました。最後に、ZGLK遺跡の外れ値1個体は中国北部の雑穀農耕人口集団と遺伝的に均質で、これは中国北部からの農耕人口集団が早くも鉄器時代には東トルキスタン南部に既に定住していたことを示唆しました。したがって、本論文は、鉄器時代における古代且末王国の人々の遺伝的構造と形成し、考古学的調査結果に対応する遺伝学的証拠を提供します。
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