ネパールのラウテ人の人口史

 ネパールのラウテ人(Raute)の人口史に関する研究(Derkx et al., 2025)が公表されました。本論文は、ヒマラヤ山脈の「最後の狩猟採集民」とも呼ばれるラウテ人の人口史を、ゲノム規模のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)データに基づいて推測しています。ラウテ人は、さまざまな生計のネパール人集団との強い遺伝的類似性から、活発な遺伝的相互作用を示していますが、一方で、高水準の近親交配の痕跡が見られることから、50世代ほど前の劇的な人口減少および最近の遺伝的孤立が推測されます。ラウテ人と遺伝的に近いと推定されている人類集団は、クスンダ人(Kusunda)とタルー人(Tharu)です。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●要約

 ネパールは大半がヒマラヤ山脈に覆われており、独特な言語的・文化的・遺伝的特徴の先住人口集団が存在します。これらの人口集団でも、ラウテ人はネパールの最後の遊動狩猟採集民で、ヒマラヤの採食民の遺伝的および人口統計学的歴史に独特な洞察を提供します。他地域の採食民との強い文化的つながりにも関わらず、この人口集団の遺伝的歴史はまだ充分には研究されていません。本論文は、ラウテ人の新たに遺伝子型決定されたゲノム規模SNPデータを提示し、その遺伝的孤立、より古い採食民系統としての起源および可能性、他地域の採食民との遺伝的つながりを調べます。本論文の結果は、ラウテ人における高水準の近親交配が最近の遺伝的孤立を示唆している、と示します。有効人口規模の推定値は、約50世代前の劇的な人口減少を示唆します。さまざまな生計の種類のネパールの人口集団との強い遺伝的類似性は、孤立の前の遺伝的相互作用の動的な歴史を浮き彫りにし、とくにクスンダ人およびタルー人のような歴史的な採食民に近いものの、古代の採食民系統起源は除外されます。本論文は、ヒマラヤ山脈におけるヒトの人口動態の複雑さを強調しており、採食民と農耕民との間の広範な相互作用と、それに続くラウテ人における孤立と人口減少の歴史を示唆しています。


●研究史

 遺伝子流動にとって障壁と回廊の両方と考えられているヒマラヤ山脈には、現生人類(Homo sapiens)が30000~25000年前頃に初めて侵出して以降、ヒトの居住と移住に満ちた過去があります[7]。したがって、ヒマラヤ山脈にほぼ覆われているネパールが、言語および文化だけではなく、遺伝的差異もある先住民集団の故地であることは、驚くべきではありません。これは、祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、6000~3800年前頃にこの地域に到来したチベット・ビルマ語派祖語話者人口集団の影響をさまざまな程度で反映していること、およびインド・ヨーロッパ語族言語の拡大と関連している可能性が高い遺伝子流動に示されています。それは、インド・ヨーロッパ語族言語話者のタルー人と言語学的に孤立した言語の話者であるクスンダ人など、他の言語を話す人口集団の存在や、さらには農耕と牧畜などさまざまに生計の種類にも明らかです。最も注目すべきは、チェパン人(Chepang)やクスンダ人など歴史的な採食人口集団の存在だけではなく、ラウテ人と呼ばれる最後に残っているネパールの狩猟採集民の存在です。

 ラウテ人集団は、ネパールのカルナリ(Karnali)州に暮らす約140個体の遊動民で、その歴史はラウテ人集団についての歴史的情報の不足のため、ほとんど研究されていませんでした。ラウテ人の移動性と即時的な応答経済、権威の分散、周辺の土地との強いつながりなど、他の世界中の採食民との類似性を考えると、ラウテ人はチベット・ビルマ語派話者農耕民の到来前に存在したより古い採食民系統を表しているかもしれません。この見解は、その後に採食以外の生計慣行に移行していった、チェパン人やクスンダ人やタルー人やラジ人(Raji)のようなネパールおよびインド北部の他の歴史的な採食民とのつながりによってさらに裏づけられるかもしれず、これは集団間の文化的重複に基づいて提案されてきており、そうした特徴でもとりわけ、狩猟様式の差異(たとえば、クスンダ人の弓での狩猟に対して、ラウテ人の網での狩猟)はあるものの、狩猟および採集の生計体系、遊動的もしくは半遊動的な移動生活様式、手工業および木の工手品の交易、一部の人口集団間のきょくたんに高い言語学的了解度(ラウテ人とラジ人の間では70~90%)が共有されています。さらに、初期の民族誌の記述は、チェパン人とクスンダ人との間、およびチェパン人ラジ人との間の歴史的なつながりをそれぞれ仮定し、チェパン人とラジのつながりは、この地域の元々の住民と関連づけされてさえいます。これらのつながりが、こうした人口集団が分岐していったより古い共有された採食民系統なのか、婚パンナ接触があり、文化だけではなく遺伝子も交換したかもしれない人口集団の歴史的な採食網なのか、異なる状況に由来するのかどうか、不明なままです。

 これらの歴史的および現生人類採食民間のつながりに性質に関わらず、こうした集団は遺伝的に周辺集団から分離意されている、と示されています。ラジ人は近隣に暮らす他の部族的人口集団とはより大きな遺伝的距離があり、クスンダ人は孤立した言語を話し、チェパン人は遺伝的孤立の痕跡を示します。同様に、遊動的なラウテ人の厳格に族内婚の慣行と、集団固有の言語であるカムチ語(Khamchi)、交易のための限定的な接触のみの森林生活様式によって、ラウテ人は文化と遺伝の両方で他の非採食民から孤立する傾向ににあったかもしれません。ラウテ人の小さな人口規模を考えると、これは近親交配の危険性も増加させたかもしれません。しかし、これらの要因は、遺伝的データの不足のため、ラウテ人集団の遺伝的歴史にどのように影響を及ぼした可能性があるのか、不明なままです。

 そこで以下では、ネパールのダイレク(Dailekh)市のラウテ人集団およびその近隣集落の新たに遺伝子型決定されたゲノム規模SNPを提示し、以下の3点を調べます。それは、(a)ラウテ人はじっさいに遺伝的に孤立しているのかどうか、およびこれが人口統計学にどのような影響を及ぼしてきたのか、(b)ラウテ人は、その起源がヒマラヤ山脈における農耕集団の到来に先行する起源を有する、より古い採食民系統を表しているのかどうか、(c)ラウテ人は他地域の歴史的な採食民と遺伝的につながっているのかどうか、およびどうつながっているのかと、どの仮定がそうしたつながりを説明できるのか、ということです。


●ラウテ人における高水準の近親交配は遺伝的孤立の最近の歴史を示唆します

 ラウテ人集団における近親交配の水準の理解はその人口統計学的歴史の解明に重要で、それは、ラウテ人がごく小さな人口規模と族内婚慣行を有しているからです。この目的のために、特定の長さを超えるゲノムの同型接合領域である、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が用いられました。同型接合性は、密接な親族間の結婚である近親婚によって起きるか、共同体内の小さな人口規模および族内婚に起因します[25]。

 第一に、ゲノム規模の同型接合性の推定値を提供する、ROHに基づく近親交配係数(FROH)が計算されました。驚くべきことに、ラウテ人の平均FROHは0.226で、そのゲノムの約22.6%は自己接合性と示唆され、ラウテ人集団における近親交配のきわめて高い程度を確証します。これは、ラウテ人が、その族内婚慣行および周辺人口集団からの文化的孤立を考えると、意図的であれ、小さな人口規模と密接な近親者との婚姻を避けることができなかった結果としてであれ、密接な親族関係における個体間の結婚を行なっているか、高度に孤立した人口集団を表している、と示唆しています。

 他の人口集団と比較しての、ラウテ人における1.5Mb(100万塩基対)以上のすべてのROH断片の合計数(number of ROH、略してNROH)と合計長(sum length of ROH、略してSROH)が調べられました(図1a)。ラウテ人の個体群はひじょうに多くのNROHを有しており、カリティアナ人(Karitiana)やスルイ人(Surui)など遺伝的多様性が減少した小さな人口集団と類似しています。ラウテ人はより長い平均SROHも有しており、長い同型接合部位は最近の近親交配と限定的な組換えを反映している可能性が高そうです。以下は本論文の図1です。
画像

 ROHを0.3Mb(100万塩基対)~8Mbの長さの6区分の範囲に分類するため、先行研究に従ってROHの分布を調べると、ラウテ人は短いROH(0.3 Mb~1 Mb)が一定数と、中間(2Mb~4Mb)および長い(4Mb~8Mb以上)ROHの両方の量が他の人口集団と比較して多い、と観察されます(図1b)。このパターンは、最近の近親交配とボトルネック(瓶首効果)を経てきた人口集団で観察されるように、孤立しており族内婚の在来人口集団に典型的な2Mb~5MbのNROHの多さと、より長いROHの豊富さの組み合わせを反映しています。したがって、断片のこれら両方【2Mb~5MbのNROHの多さと、より長いROHの豊富さ】の多さの組み合わせは、最近の近親交配と小さな有効人口規模を示唆しており、遺伝的孤立および浮動が高い同型接合性に寄与しています。


●小さな有効人口規模は約50世代前のラウテ人の人口減少と関連しています

 ラウテ人の高度な近親交配における遺伝的浮動および孤立の潜在的役割は、ラウテ人とこの地域の採食民および農耕民との間の分離と過去の交流の時期に関する問題を提起します。たとえば、孤立のひじょうに古い歴史が示唆しているのは、ラウテ人が侵入してきた農耕民と交雑しなかった狩猟採集民の初期系統を表している、ということです。対照的に、最近の孤立は、ラウテ人がすでに確立していた在来人口集団のより大きな交流網から分岐したことと一致するでしょう。人口集団の近親交配(本論文ではFROHによって推定されます)と連鎖不平衡という二つの手法を用いて、ある人口集団の遺伝的多様性と繁殖能力の尺度である有効人口規模(Nₑ)が推定されました。人口集団の近親交配が、Nₑの断片を提供し、ラウテ人のNₑの潜在的なの初期推定値を得るのに使用されるだけなのに対して、連鎖不平衡は、近親交配がいつ始まったかもしれないのかについて、時間的解像度を提起します。

 近親交配とNₑとの間の関係は、F=1/(2Nₑ)として表されます。FROHが0.226であることを考えると、任意交配条件下のこの水準に達するのに必要なNₑは、約1/(2*0.226)=2.21個体です。これは、ラウテ人のきょくたんに小さなNₑを示唆しており、最近の瓶首効果を経てきた他の人口集団よりも小さくなります。しかし、この計算は、任意交配、一定の人口規模、移住や変異や選択がないことを仮定しており、これらの仮定がラウテ人では満たされていないかもしれません。NₑとNの比率が1:4もしくは1:5と仮定すると、これは約9~11個体の実際の人口規模になります。これらの推定を確実に裏づけることはできませんが、全体的にこの結果は、ラウテ人のひじょうに小さなNₑを示しており、それは高水準の遺伝的浮動に寄与した可能性が高そうです。

 人口集団の人口統計学的歴史のより適切な見解を得るために、100世代の期間にまたがるNₑを推定する、ソフトウェアGONEが使用されました。これらの調査結果は、約50世代前までの約2500個体となるラウテ人の比較的安定したNₑを示唆しており、その後で約40世代前までの急速な人口減少が続きました(図2)。1世代の時間を29年と仮定すると、人口減少は1500~1100年前頃の間と推定できます。最後の30世代について、Nₑは安定していた、と予測され、これは過去約900年間の継続的孤立を反映しているかもしれません。他のネパールの人口集団と比較すると、ラウテ人はずっと小さなNₑおよび過去50世代以内のより顕著な人口規模の減少を示します。人工が1/25に減少したことは、1970年代にさかのぼる民族誌の記述と一致し、そこでは、少なくとも過去4世代にわたって、135~150の間の遊動的な個体数の、安定した人口規模が示唆されます。以下は本論文の図2です。
画像


●ラウテ人の遺伝的類似性および近隣人口集団との関係

 1500~1100年前頃の間の比較的最近の人口減少から、ラウテ人は孤立の前に、ネパールですでに確立していた農耕民もしくは採食民の集団と相互作用していたかもしれない、と示唆されます。ラウテ人の採食生計と遺伝的歴史に関する知識の不足を考えて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTUREを用いて、ラウテ人がネパールにおける農耕集団の到来の前もしくは後の集団を表しているのかどうか、調べられました。より大きな標本を維持しながら、ラウテ人集団の個体間の高度な近縁性を回避する、投影手法が採用されましたが、これらの手法が縮小の偏りにつながる可能性も認められます。

 PCAは東部および南東部アジア人口集団からアジア西部およびヨーロッパ人口集団へと向かう既知の世界規模の勾配を確証し、それはアフリカ人集団によるこの勾配からの強く予測される偏差で、パプア人およびオンゲ人個体群によるより小さな偏差です(図3a)。ラウテ人はアジア中央部および東部人口集団の近くに、他のネパール人およびインド人個体群とともに位置しています。この勾配からのラウテ人個体群のより小さな偏差は、ひじょうに小さな標本規模でさえ分岐の明確な兆候をもたらすだろう、という農耕民の到来に先行する古代系統としてのラウテ人の解釈を裏づけません。代わりに、ラウテ人の位置はネパール人の歴史を表しており、ラージュバンシー人(Rajbanshi)などチベット・ビルマ語派話者および、異なる祖先系統を有している可能性が高い、ダイレク市の標本の一部によって表される近隣のインド・ヨーロッパ語族話者集団と近くなっています。とくに興味深いのは、タルー人とクスンダ人両方の個体群がラウテ人とひじょうに近いことで、今では農耕を行なっているこれら歴史的な二つの採食民との密接な類似性を示唆しています。したがって、ラウテ人に最も近い人口集団もネパールの採食民ですが、これら採食民が、一緒でも別々でも、他のネパールの農耕集団と異なる起源の系統を表している、との兆候はありません。以下は本論文の図3です。
画像

 ラウテ人と他の集団との間の関係をより詳しく調べるため、ラウテ人を投影したADMIXTURE分析が実行され、K(系統構成要素数)=7で最小交差検証誤差が得られました(図3b・c)。この分析は、ラウテ人標本における高度な均質性を示し、これは部分的には、ラウテ人集団の投影から生じているかもしれませんが、同型接合性および遺伝的孤立とも関連している可能性が高そうです。最も優勢な祖先系統構成要素は、ヒマラヤ山脈の他の人口集団で一般的なものです。PCAの結果をさらに裏づけ、ラウテ人はアジア東部および南部両方の祖先系統構成要素の均等な分布を示しており、最大の構成要素はネパールとブータンとインド北東部のチベット・ビルマ語派話者集団で多く見られます。アジア東部固有およびユーラシア固有の構成要素も、かなりの頻度で存在します。最後に、パキスタンとインドとネパールの集団で見られ、オンゲ人祖先系統の大半を占める、より少ないアジア南部構成要素もラウテ人で見られます。

 全体的に、ラウテ人はアンダマン諸島のオンゲ人やパプア人など遠い古代狩猟採集民系統と共有している祖先系統の減少、およびネパールの多くの農耕集団との高い遺伝的類似性を示します。これらの結果は、侵入してきたチベット・ビルマ語派話者農耕集団からの継続的な孤立を伴う、古代の狩猟および採集起源を除外し、採食民と農耕民との間の過去の接触する可能性が高そうですが、本論文の結果は、データによって課せられた限界のため、祖先系統と関連する遺伝的分岐を決定的には除外できません。農耕民との遺伝的類似性と組み合わせると、1500~1100年前頃の人口規模の減少から、ネパールにおけるチベット・ビルマ語派拡大の初期段階での近隣の農耕人口集団との広範な遺伝的接触に続いて、ラウテ人による孤立と厳格な族内婚採用の過程が続いたかもしれない、と示唆されます。


●採食民間の歴史的つながりは農耕民到来後も維持されました

 次に、この地域における農耕到来後の他の歴史的な採食民との接触の交流網の可能性が調べられました。本論文の世界規模のPCAおよびADMIXTUREはラウテ人とこの地域の歴史的な採食民との間の遺伝的類似性を示唆しており、過去の遺伝子流動が提案されます。この可能性を調べるために、まず地域的な人口集団のみでPCAとADMIXTUREが実行されました。人口集団の数が少ないため、投影された地域的なPCAはより微細な規模の変異性を捉えます。その結果、ラウテ人はチベット・ビルマ語派話者集団からインド・ヨーロッパ語族話者を分離する勾配のわずかに外側でクラスタ化する(まとまる)、と示されます(図4a)。しかし、地域的なPCAにおける顕著な特徴は、他の人口集団からのチェパン人の逸脱です。このパターンはラウテ人を投影せず、かわりに主成分(PC)景観の計算に含めると、消滅します。ラウテ人を投影した図の第3および第4主成分では、クスンダ人はチェパン人がPC1およびPC2で形成する偏差と類似した偏差を示すものの、クスンダ人の標本間ではずっと大きな差異があります。これは、同化の潜在的な結果としての人口集団における混合を浮き彫りにしている可能性が高そうです。これら2人口集団【クスンダ人とチェパン人】をラウテ人とともに投影すると、この3集団は相互に隣で近くに位置するものの、ある程度の縮小の偏りも示すので、これらの結果は慎重に解釈すべきである、と分かります。以下は本論文の図4です。
画像

 これらの調査結果はADMIXTUREの結果(K=2で最小交差検証誤差)に反映されており、これはほぼアジア北東部祖先系統構成要素とアジア南部祖先系統構成要素に区分できます(図4b)。ここから、チェパン人はアジア南部祖先系統をほぼまったく有しておらず、チベット・ビルマ語派話者起源の可能性が示唆されます。PCAで見られるチェパン人およびクスンダ人の明確な遺伝的特性は、チェパン人がほぼ固有の祖先系統構成要素を有しているK=3と、導入された構成要素が、全てではないもののほとんどのクスンダ人個体で高度に存在する、K=4で現れます。一方でラウテ人は、タルー人およびカシ人(Khasi)の標本と全体的に類似し、K=2まではクスンダ人と類似している、両方の構成要素の分布を示します。ラウテ人を投影するのではなく含めることで、K=3にて別の祖先系統構成要素が得られ、地域的な人口集団間でさえ近親交配に起因する相違が浮き彫りになります。これらの調査結果から、チェパン人とラウテ人とクスンダ人を含めて歴史的な採食人口集団は、依然として相互との遺伝的類似性を示しながら、他の地域集団とやや遺伝的に異なるかもしれない、と示唆されます。

 遺伝的類似性が過去のつながりへと解釈されるのかどうか調べるために、ハプロタイプを使用して、約100世代までさかのぼる人口集団間の最近の遺伝子流動を検出できる、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の共有遺伝子断片が詳しく調べられます。より長い共有IBD断片は、より新しい移住を表します。具体的には、5~10cM(センチモルガン)のIBD断片から、2人口集団間の遺伝子流動は500~1500年前頃に起きたかもしれない、と示唆されます[47]。ラウテ人と他集団との間の分離の推定時期を考えると、ラウテ人は他集団とより長いIBD断片(4cM超)をごくわずかな量子化共有していない、と予測されます。

 この予測を確証して、ラウテ人は近隣集団と比較的少ないIBDを共有しています(図4c~e)。全体的に、ネパール人集団間ではより短い断片(4~7cM)の共有がより多く、これら現在の人口集団の祖先間のある種の遺伝子流動を示唆しています。ラウテ人はおもにシェルパ人(Sherpa)およびダイレク地域の個体群とより短いIBDを共有しており、農耕民との古代のつながりだけではなく、強いチベット・ビルマ語派話者祖先系統を有するネパール東部に暮らす人口集団とのつながりや、他のさほど遺伝的に孤立してない採食民とのつながりの可能性も示唆されます。より長い断片(7~10cM)はクスンダ人とのみ共有されていますが、低い確率です。ラウテ人はより短い断片とわずかにより長い断片(4~10cM)の両方をクスンダ人と共有しており、これらの人口集団間のより新しい遺伝子流動の兆候かもしれません。これは、ラウテ人が孤立するようになる前の期間のある時点における結婚交流を介した混合によって起きたかもしれず、それはさまざまなヒマラヤ山脈の採食民集団間で一般的である、と報告されてきました。このつながりは、さまざまなSNPの網羅率のデータセット間で一定のままです。


●考察

 本論文は、人口統計学的過程の複雑さのさらなる証拠と、ヒマラヤ地域に居住してきた集団間の過去の相互作用のさらなる証拠を提供してきました。現在のネパールの人口集団の複雑な人口史の一例として、ネパールにおける唯一の残存狩猟採集民人口集団であるラウテ人の研究は、約40~50世代前に起きた大金人口統計学的衰退の証拠を提供してきました。この出来事によって、ラウテ人のNₑはわずか約10世代で1/25までに減少しました。それ以降に推定されている、安定しているものの小さなNₑ、過去数十年間一貫して民族誌の記述によって報告されている小さな人口規模、ラウテ人集団内の意図的な近親婚ではなく他の人口集団からの持続的な孤立によって起きた高水準の近親交配によって証明されているように、ラウテ人はこの現象から回復しませんでした。

 長期の孤立はラウテ人によって行なわれている厳格な族内婚と一致するものの、同時に、その過去の相互作用と、孤立するようになった理由に関する問題を提起します。まず、本論文の結果から、ラウテ人は遺伝的孤立の前に他の採食民人口集団と接触していた、と示唆されます。クスンダ人とチェパン人は少なくとても1848年まで採食を行なっており、タルー人は250~300年前頃に農耕民へと移行したので、こうした集団はラウテ人とつながりのあった時点では完全に採食を行なっていた可能性が高そうです。じっさい、ラウテ人とクスンダ人との間で共有されているIBD断片は、最近の遺伝的接触を示しています。ラウテ人は、類似の祖先の遺伝的構成要素を示すさまざまな他の農耕集団に加えて、タルー人など他の歴史的に採食を行なっていた集団とも遺伝的近縁性を示しています。9cM以上の共有されている断片の欠如は、過去500年間の孤立との本論文の上述の調査結果を確証し、人口減少に続く遺伝的こりつは採食民間の壊れた社会的交流網および減少した遺伝子流動から生じたかもしれない、との見解を再確認します。

 しかし、本論文の標本における歴史的な採食民がすべて、他の採食を行なっていない人口集団から遺伝的より遠いように見えた一方で、ネパールの採食民は別々の採食クラスタ(まとまり)もしくは祖先系統構成要素を形成しません。この傾向にいくつかの理由があるかもしれず、たとえばタルー人はテライ(Terai)地域における自集団の拡大に続く在来人口集団との混合と関連する、高い遺伝的異質性を示します[50]。クスンダ人について本論文で報告された地域的なADMIXTUREの結果も異質性を示唆しており、この異質性は他の個体よりも多くの混合した歴史を有する一部の個体によって説明できます。これは、これらの人口集団に新たな遺伝的差異をもたらしたかもしれず、他の歴史的な採食民とのより高度な分化を生じました。人口集団内の長い共有されたIBD区間から、チェパン人とクスンダ人も個体間の高いIBD共有を示す、と示唆されます。これは、これらの歴史的な採食民がその近隣人口集団とは遺伝的により異なる理由を説明するだろう、浮動の結果としての同型接合性の痕跡かもしれません。他の農耕人口集団の到来と森林の減少と他の圧力は、採食人口集団間の接触頻度をより少なくと、接触の停止につながったかもしれません[51]。

 混合とは対照的に、歴史的な採食人口集団は孤立によってもより異なって見えるかもしれません。過去500問間に、本論文に含まれる採食人口集団は、本論文のデータセットにおけるどの人口集団ともIBD断片を教諭しませんでした。これは採食民の相互間および採食民と非採食民との間の最近の接触欠如を示唆しています。これは、クスンダ人やチェパン人のような集団はラウテ人の場合よりも他の人口集団と中間的な長さのIBD断片を多く共有していたものの、ラウテ人は他集団との最近の接触が欠けていたことを示唆しているかもしれません。この見解は他の研究によって裏づけられており、そうした研究では、チェパン人が、ネパールや他のヒマラヤ山脈の人口集団では最低の異型接合性を有している、と分かっており、混合事象の兆候のない遺伝的浮動のパターンを示した一方で、クスンダ人は他のヒマラヤ山脈および近隣人口集団からのより長い遺伝的距離を示し、ROH断片の数がより多くなっています。遺伝的浮動のこれらの痕跡はラウテ人に関する本論文の調査結果と類似していたものの、人口減少とその後の小さな人口規模は、同型接合性を異常な高水準に悪化させた可能性が高そうです。これらの要因によって、採食人口集団は、祖先系統の共有もしくは歴史的なつながりの可能性にも関わらず、他の人口集団と、および相互に遺伝的により異なるようになったのかもしれません。

 まとめると、この結果は、過去のネパールの人口集団間における長く複雑な歴史と、採食人口集団間のその後に続く孤立の急速な過程および人口減少を示唆します。この過程は、さまざまな状況と一致します。一方で、ラウテ人とネパールの歴史的に採食を行なっていた集団とインド北部の狩猟採集民集団との間の言語学的および文化的類似性は、本論文の分析では、同型接合性と浮動の強い影響のため検出できない、農耕集団のさまざまな波と相互作用したより深く共有されている祖先系統の狩猟採集民の以前の交流網を示唆しており、それは採食集団と農耕集団との間の人口集団の相互作用が減少するまでの、他のネパール人集団との遺伝的類似性を説明します。あるいは、ネパールの採食民は元々、ヒマラヤ山脈において一般的な相対的に好適ではない条件下で過去に農耕の潜在的により低い生産性のため、狩猟および採集へと戻った農耕集団を表しているかもしれません。しかし、ネパールとインドの採食民間の氏族制度から親族関係の用語や政治構造に至るまでの広範な文化的類似性を考えると、これは可能性の低い過程です。より可能性の高い仮定は、採食民の遊動的な生活様式によって、ネパールの低地山麓に広がる分散した採食交流網を構築できた、というものです。たとえば、ほぼアフリカ中央部にまたがる中央アフリカ共和国の狩猟採集民は、歴史を通じて文化と遺伝の両方での接触を示している、と分かっています。したがって、他の農耕人口集団との混合の存在にも関わらず、ネパールとインドでそうした交流網が維持されていたかもしれない可能性は低くなさそうです。ネパールにおける採食人口集団間のそうしたつながりは、民族誌の記述でも同様に示唆されており、ラウテ人はクスンダ人およびチェパン人と政治的つながりもしくは婚姻同盟を有していただろう、と提案されてきました。過去500年間の農耕における人口規模の増加と角田や植民地権力の存在や陸地国境の出現は、人口集団のつながりを妨げ、この地域の採食民の孤立をもたらしたかもしれません。ラウテ人のみがそうした劇的な人口減少を経た理由と、この出来事を起こしたものは、依然として将来の研究の主題です。

 本論文の結果は、ラウテ人が農耕民の到来以降に孤立していたヒマラヤ山脈の採食民のより古い系統を表している、との仮説に証拠を提供しませんが、ラウテ人集団が他の非採食のネパール人集団と比較して、より小さな程度分岐した祖先系統を示しているかもしれない、との可能性は除外されません。むしろ、ラウテ人の祖先系統は他のネパール人集団と類似しており、チベット・ビルマ語派話者祖先系統のより強い影響があるかもしれず、それは恐らく、孤立の前に、この地域の狩猟採集民と農耕民との間の絶えず続いた混合によって形成されました。中央アフリカ共和国の狩猟採集民など一部の狩猟および採集集団は、バントゥー諸語話者集団など周辺の農耕人口集団と比較して、別のより古い系統を表しています[54]。一方で、マニ人(Maniq)など他の現生集団は、独特な文化的独自性を維持してきたにも関わらず、広範な混合によってその遺伝的独自性の一部を喪失しました。ヒマラヤ山脈の採食集団間の具体的な関係、農耕人口集団とのつながり、他のネパール人集団との遺伝的連続性の長い歴史の後でのラウテ人の孤立の理由はともかく、ラウテ人の事例は、農耕集団の1もしくは複数の波によって局所的に確立した狩猟採集民の比較的速い置換との直線的言説を却下します。遊動的なラウテ人の遺伝的組成は、以前のヒトの拡散の遺伝的残存ではなく、ネパールにおける狩猟採集民と農耕集団の間の相互作用の長い歴史から出現した可能性が高そうで、そうした集団のうちラウテ人のみが現在までその採食生活様式を維持しました。


参考文献:
Derkx I. et al.(2025): The genetic demographic history of the last hunter-gatherer population of the Himalayas. Scientific Reports, 15, 1505.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-80156-0

[7]Zhang M. et al.(2019): Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic. Nature, 569, 7754, 112–115.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1153-z
関連記事

[25]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
関連記事

[47]Ioannidis AG. et al.(2020): Native American gene flow into Polynesia predating Easter Island settlement. Nature, 583, 7817, 572–577.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2487-2
関連記事

[50]Metspalu M, Mondal M, and Chaubey G.(2018): The genetic makings of South Asia. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 128-133.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.09.003
関連記事

[51]Gopalan S. et al.(2022): Hunter-gatherer genomes reveal diverse demographic trajectories during the rise of farming in Eastern Africa. Current Biology, 32, 8, 1852–1860.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.02.050
関連記事

[54]Patin E, and Quintana-Murci L.(2018): The demographic and adaptive history of central African hunter-gatherers and farmers. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 90-97.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.07.008
関連記事

[55]Göllner T. et al.(2022): Unveiling the Genetic History of the Maniq, a Primary Hunter-Gatherer Society. Genome Biology and Evolution, 14, 4, evac021.
https://doi.org/10.1093/gbe/evac021
関連記事

この記事へのコメント