高尾藍月『十市皇女 大友皇子正妃から悲劇の巫女へ』

 BCCKSより2021年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、『日本書紀』の記述を踏まえつつ、おもに『万葉集』に依拠して、恋愛相手とも推測されている高市皇子との関係も含めて、十市皇女の生涯を検証しています。本書は、歴史学ではなかなか踏み込みにくい、個人の心情や人間関係も深く掘り下げており、その意味では、歴史学というよりは文学的考察というか解釈論と考えるべきかもしれません。その意味で本書は、確たる根拠のある仮説を提示しているわけではなく、試論として読むべきでしょうか。

 たとえば、十市は高市と恋仲で、夫の大友皇子とは不仲だった、と創作で描かれることもあり、そのように考えている人は少なくないかもしれませんが、本書は、十市はその環境から文化や学問への関心の高い皇女に成長した可能性があり、好学の大友皇子と良好な関係だったのではないか、と推測します。歴史学でここまで踏み込んだ推測は無理でしょうから、本書の見解は割り切って考えるべき問題提起として受け止めるべきなのでしょう。

 本書は十市皇女と大友皇子が近江朝の文雅の中心だった可能性も指摘しますが、二人の運命は壬申の乱により暗転します。本書は、天智「天皇」死去後に大友皇子が即位した、と想定していますが、践祚と即位が分離していなかった当時、天智の死去から壬申の運命勃発までの半年強の間に大友皇子が即位した可能性は低いように思います。壬申の乱後の十市と高市の恋愛もしくは婚姻について本書は否定的で、確かに壬申の乱における両者の立場を考えれば、その可能性は低いように思います。

 十市の最期については、自殺とする創作もありますが、本書も十市は自殺したと推測し、その理由として、夫である大友皇子が自害に追い込まれたことへの抗議だった可能性を挙げています。十市は父の天武を深く恨んでおり、天武朝に大きな打撃を与える機会で自害した、というわけです。『万葉集』に見える十市への高市の挽歌は、恋人もしくは妻を喪った悲しみではなく、衝撃的な最期を鎮魂すべく、十市の最年長の弟である高市が詠んだ、というわけです。

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