移動し続ける人類

 人類の移動が続いている、との観点から最近の重要な古代ゲノム研究を取り上げた解説(Gross., 2025)が公表されました。本論文は、最近の重要な古代ゲノム研究を解説し、現生人類(Homo sapiens)が過去に移動してきたことを示すとともに、今後も人類が移動し続けるだろう、と指摘しています。近年の重要な古代ゲノム研究が解説されているので、有益だと思います。個人的にも、まだ当ブログで取り上げていないごく最近の古代ゲノム研究について簡潔に解説されていたため、有益でした。そうした研究も、時間を作って今後できるだけ当ブログで取り上げていく予定です。


●要約

 アフリカからおよび世界中への主要な移動の後に、さらなる大移動事象が農耕および語族の拡大と関連づけられてきました。新たな分析手法によって今や、研究者はユーラシアの遺伝的に類似した人口集団間の移動のより微妙な痕跡を検出することが可能となっています。


●前書き

 2024年は、地球規模の【産業革命以降の】平均気温が産業化前の平均温度より1.5度以上高くなった最初の年でした。同時に、異常気象によって、世界中で広範な被害と人命喪失が生じました。進行中の気候災害が民主的な選挙の主要な政治的議題となり、政党は気候災害への解決策の提示を競い合うべき、と考えられるでしょう。将来の歴史家を困惑させるかもしれない展開では、気候はイギリスとアメリカ合衆国において選挙で役割を果たさず、フランスやドイツの政府危機でも同様でした。代わりに、世界の裕福な諸国の政治家は皆、認知された移民問題、つまり、亡命もしくは機会を求めてより貧しい諸国から来た人々と戦う手段について競合しました。

 科学作家のガイア・ヴィンス(Gaia Vince)氏は、2022年の著書『遊動民の世紀』で雄弁に、ヒトは常に移動してきており、常に移動し続けるだろう、と主張しています。むしろ、政治指導者が無視に躍起になっている気候災害によって、最近の歴史での移住よりも、22世紀において祖国から移動させられる人がずっと多くなるでしょう。ヴィンス氏は楽観的であり続けようとしており、人々の気候変動への適応戦略として、よく組織化された移住を提案しています。しかし、政治的焦点の欠如によって、その解決策の現実化の可能性は急速に低下しているようです。一方で、遺伝的データセットの増加およびそのデータセット間のつながりを分析する新たな手法の開発は、現在の世界の人口を分散させてかき混ぜた、複数の移住の全体像をつなぎ合わせるのに役立ちつつあります。


●大移動

 近年の古代DNAは、ヒトの世界中の拡大を可能としてきた、主要な移住に関する重要な問題への回答に役立ってきており、そうした研究には、アメリカ大陸やオーストラリア(関連記事)などが含まれます。考古学的および言語学的研究と組み合わせると、ユーラシアの複雑な人口史へのいくらかの洞察がもたらされ、それには、インド・ヨーロッパ語族の拡大や、古代地中海文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】の起源などが含まれます。

 ユーラシアを横断する継続的な移動は、古代DNA標本の不足がなくても、ゲノム解析でのその移動の詳述はより困難になる、という複雑な状況につながります。本質的に、青銅器時代のより広範な人口変化でよく機能する統計的手法は、鉄器時代におけるヨーロッパ人口集団の基本的な類似性によって混乱する傾向にあり、鉄器時代はヨーロッパ北部において、800年頃にヴァイキング期へと移行しました。以下の図1は、ヴァイキング艦隊を描いた19世紀の絵画です。
画像

 イギリスのロンドンのフランシス・クリック研究所(Francis Crick Institute)のレオ・シュピーデル(Leo Speidel)氏とその同僚は今や、この課題に適応した、広く使用されているf統計手法の変形を開発し、これはTwigstatsと呼ばれる演算法に実装され、時間階層化祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)解析と呼ばれています。この着想は、関連する古代DNA供給源の時間階層に焦点を当て、過去を深く掘り下げすぎません。それは、過去の類似性が遺伝的類似している人口集団ではより無意味なため、この手法が家系図の小枝に重点を置くからです(関連記事)。

 すでに充分に特徴づけられている古代の人口集団の混合に関する模擬実験および検証において、その研究は、この新たな手法が検出可能な偏りの導入なしに最大10倍標準誤差を削減できる、と示すことがでました。たとえば、中石器時代狩猟採集民と初期農耕民とユーラシア草原地帯の人口集団が寄与した、先史時代ヨーロッパの人口集団混合が再評価され、すでにたいへん堅牢だった以前のモデルと比較して、標準誤差における20%の改善が見つかりました。この研究は、Twigstatsが短期の混合と長期間続いたが遺伝子流動とを区別できる、と示すこともでき、現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺産に関する以前の結果を確証しました。

 この手法の有効性と有用性を検証するために設計された検査の後で、この手法が、(西)ローマ帝国の崩壊から、スカンジナビア半島からのヴァイキングの拡大を通じての、鉄器時代以降の1500点のデータに適用されました。この時間枠には、ローマ帝国が「蛮族」の侵略を経た大移動期(300~600年頃)が含まれます。ローマの歴史家は、【ローマ帝国期の長城である】リーメス(Limes)の向こう側において気づいた混乱に関する見解を報告しましたが、じっさいに移動し、侵入した証拠がなければ、正確に何が起きていたのか、確証は困難でした。

 すでに利用可能なゲノムデータのより詳しい解析を可能とするTwigstatsで、スカンジナビア半島からの初期の南方への移動が検出され、この移動はゲルマン語派の拡大やローマの歴史家が書き残した謎めいたゴート人集団とつながっているかもしれません。最終的に、これらの遊動的集団は遭遇した在来の人口集団と融合しました。

 報道でも取り上げられた顕著な一事例は、ヨークの近くに埋葬され、1/4のスカンジナビア祖先系統を有していた、と分かった2~4世紀のローマの兵士もしくは奴隷の剣闘士1個体です。この調査結果から、スカンジナビア半島からの移動はヴァイキングの侵略者が北海沿岸に侵入し、ヨーロッパ大陸全域に拡大し始めて、黒海に到達したずっと前に起きていた、と示唆されます。

 逆に、ヨーロッパ中央部からスカンジナビア半島への移動も、300~800年頃の間となるヴァイキング期の前に検出され、これは以前の分析では示されませんでした。これらの移動はすべて西ローマ帝国終焉後の政治的再編とともに、中世ヨーロッパを複数の移住によってもたらされた坩堝そのものとしました。


●微妙な構造

 こうした出入りにも関わらず、ヨーロッパ大陸の広範な人口構造が青銅器時代から最近まで認識できるままでてあることは、驚くべきです。この構造は新石器時代アナトリア半島農耕民(8000~7000年前頃にヨーロッパに到来)とヤムナヤ(Yamnaya)文化草原地帯牧畜民(5000~4000年前頃にヨーロッパに到来)が、先住のヨーロッパ狩猟採集民(14000年前頃以降)と混合した時に確立され、ヨーロッパ大陸の一部は侵入してきた人口移動について地理的に決定された接近可能性によって区別されました。このパターンによって研究者は、たとえば最近の研究(関連記事)のように、典型的なスカンジナビア半島人として遺伝的痕跡を特徴づけることが可能となります。

 アメリカ合衆国のスタンダード大学のマーガレット・アントニオ(Margaret Antonio)氏とその同僚は、過去3000年間のヨーロッパ全域と地中海の204個体の全ゲノムを用いた研究で、高い移動性と安定した地理的痕跡との間の明らかな矛盾に取り組みました(関連記事)。この研究は、標本抽出された各地域内の顕著な均質性を報告しており、個体の11%が埋葬された地域において典型的ではない遺伝的外れ値であるようだ、と分かりました。これらの11%のうち、7%はその遺伝的特性に基づいて異なる地理的地域に割り当てることができます。7~11%の人々が異なる地域に移住した、との単純な結論でモデル化すると、これは青銅器時代に確立した人口構造を一掃したはずである、と分かりました。

 この矛盾を説明するため、この研究では、移動性の大半はローマ帝国によって促進された急速で一時的な類だった、と示唆されています。たとえば、多くの兵士は生まれた場所から遠くに駐留して死亡し、必ずしも埋葬された場所で子孫を残しませんでした。ローマ帝国の広範な交易のつながりも、航路を通じての移動性を提供しました。ローマ帝国において都市はとくに国際的で、この研究では、都市は考古学的記録において、したがって古代DNAの発見で大きな割合を占めており、それは、石造りの建造物の方が、都市により長く居住してきたかもしれない初期農耕家族の遺骸よりも発見容易だからである、と指摘されています。


●複雑です

 死者の扱いにおける文化的差異から、追加の標本抽出の偏りが生じます。ヨーロッパ中央部東方におけるスラブ人集団の到来に関して大きな問題が残っており、それは単に、これらの地域では死者の火葬が後期青銅器時代から中世まで標準的な手続きだった、という事実に起因します。幸運な例外が提供されたのはヴィスワ川(Vistula River)流域に存在する鉄器時代のヴィェルバルク(Wielbark)文化で、この文化では1世紀から5世紀にかけて死者が埋葬されました。ヴィェルバルク文化は、火葬に依拠していた先行するプシェヴォルスク(Przeworsk)文化と重複していました。この両文化は大移動期に消滅しました。一部の解釈では、ヴィェルバルク文化は理解しにくいゴート人と関連づけられてきました。

 ポーランドのポズナン(Poznań)に位置するポーランド科学協会のイレネウシュ・トスラレク(Ireneusz Stolarek)氏とその同僚は、ヴィェルバルク文化の人類の数百点のゲノムを研究史、現代のポーランドの領域の中世スラブ文化と比較しました(関連記事)。ミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する先行研究と一致して、ヴィェルバルク文化人口集団は、それ以前のヨーロッパ中央部祖先系統と組み合わさった、スカンジナビア半島からの男性の移住の子孫だった、と確証されました。その遺伝的遺産の一部は大移動期を生き残り、中世まで存続しました。

 アメリカ合衆国のニューヨークのストーニーブルック大学のデヴェン・ヴィアス(Deven Vyas)氏とその同僚は、ハンガリーのバラトン湖(Lake Balaton)近くの5世紀頃となる4ヶ所の小さな墓地が発見された人類のゲノムを解析しました(関連記事)。この地域はローマ軍に433年頃に放棄され、フン人が占領しました。この動乱の歴史と一致して、そこに埋葬された人々の遺伝的特性における顕著な多様性が見つかり、ヨーロッパ北部からの移住の証拠も含まれます。

 ヨーロッパ東部の人口史の複雑さに情報を追加したさらなる二つの寄与が、2025年1月に刊行されました。中華人民共和国上海市の復旦大学の王軻(Ke Wang)氏とその同僚は、567~568年にヨーロッパに侵入したアヴァール人集団について報告し、一方で、イギリスのロンドン大学のレーティ・サーグ(Lehti Saag)氏とその同僚は、青銅器時代以降のポントス草原地帯北部(現代のウクライナ)における移動性を分析しました。

 ヨーロッパの人口集団の複雑な移住背景の解明には、ずっと詳しいゲノム研究が必要でしょう。同様の課題は、歴史的および考古学的証拠がさほど包括的ではなく、ゲノムデータが蓄積され始めたばかりの大陸でも待ち受けています。遠(リモート)太平洋の島で、イースター島としても知られているラパ・ヌイ(Rapa Nui)の事例について、ヒトの移動性の顕著な特徴が調べられつつあり、ラパ・ヌイでは、最近のゲノム解析が先コロンブス期の南アメリカ大陸との接触の証拠を提供しました。伝統のコペンハーゲン大学のヴィクトール・モレノ=メイヤー(Víctor Moreno-Mayar)氏とその同僚は、ラパ・ヌイの古代ポリネシア人15個体のゲノムを解析し、約10%のアメリカ大陸先住民との一貫した混合を見つけました(関連記事)。混合の時期は1250~1430年頃と推定され、これが意味するのは、この混合がポリネシア人のラパ・ヌイへの定住につながった探検の途中で起きたかもしれないものの、ヨーロッパ人がアメリカ大陸へと渡り始めたよりも確実に前だった、ということです。この研究では、この太平洋横断の遺伝子流動のより詳細な説明は、潜在的な供給源人口集団からのアメリカ大陸先住民のゲノムの不足によって妨げられている、と指摘されています。

 アジアにおける主要な人口移動の研究も、まだ初期段階にあります。雑穀農耕とシナ・チベット語族の両方を現在の中国南西部地域につなげる重要な移住は、ごく最近ゲノム証拠で扱われました。中国の廈門(Xiamen)大学のリー・タオ(Le Tao)氏【漢字表記を検索しましたが、見つけられませんでした】とその同僚は、後期新石器時代から青銅器時代の中国南西部の古代人のゲノムを初めて報告しました(関連記事)。この研究では、その地域の農耕共同体を、雑穀農耕の起源地であり、シナ・チベット語族の起源地でもある黄河地域と結びつける遺伝的証拠が見つかりました。驚くべきことに、問題の対象となった農耕民はイネも交錯していたにも関わらず、イネが栽培化された地域との遺伝的つながりは見つかりませんでした。


●移動し続けます

 より最近の歴史では、人々は移動し続け、技術的進歩によって、人々はより早くより遠くまで行けるようになり、とくにヨーロッパ人が世界の残りの大半を植民することも可能となりました。皮肉なことに、最近数世紀にわたる世界的な移動も、遺伝的帰属というほぼ虚構の過程を基盤とする国民国家の発明をもたらしました。国家は異なると認識された人々を排除するために、境界を守り始め、それはとくに、より貧しい諸国から人々が来た場合で、現在の政治的に有害な状況につながっています。以下の図2は、ロンドンのコヴェント・ガーデン(Covent Garden)のニール・ストリート(Neal Street)を歩く現代人の写真です。
画像

 ほぼ現在のより富裕な諸国によって引き起こされ、より貧しい諸国を最も苦しめている気候災害は必然的に、これまでに見たことがないものの、共有された移住の背景に匹敵する規模で、さらなる大移動を引き起こすでしょう。種【ホモ・サピエンス】としての我々は、常に移動し続けてきました。


参考文献:
Gross M.(2024): Migration in our genes. Current Biology, 35, 3, R81–R83.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2025.01.023

この記事へのコメント

砂の器
2025年02月09日 12:02
日本列島であれば、縄文時代の終盤にNEAが列島に南下したのは小氷期開始が原因の移動で間違いないでしょうし、さらにその後大量のEAが列島に流入したのは中国・朝鮮大陸での政治的動乱が原因でしょう

ご存知の通り現代の本土日本人・琉球・アイヌはいずれも縄文・NEA・EAの三祖先系統で構成する事が判明しましたが、21世紀に入ってからの日本の人口動態限界を支えるため行われている政策的移民(技能実習生や留学生という名目での)でこれら日本関連祖先の希釈が今後起こり得るでしょうし、
超少子化や経済的衰退、強力な地殻変動及び温暖化起因の偏西風超蛇行による異常気象(酷暑、寒冬、大水害)の多発によって日本列島に人が居住する(≒現代文明を維持する)のが難しくなり、
22世紀を迎える前にも日本人が混血・移動・離散する可能性が高そうな感じに見えますね、残念ながら
そもそも世界的にも現代文明の維持が限界に近い印象です
管理人
2025年02月10日 10:44
大規模な人類集団で現在の日本のような少子高齢社会は過去に存在しなかったでしょうから、今後の予想に難しいところがありますし、何よりも対処が難しいとは思います。

現在一定以上経済が発展しているような地域の生活・技術水準をいつまで維持できるのかも、確かにまったく楽観できません。