『卑弥呼』第144話「再生」
『ビッグコミックオリジナル』2025年2月20日号掲載分の感想です。前回は、暈(クマ)国のトンカラリンの洞窟の深部の大きな空間に置き去りにされたニニギ(ヤエト)が、自分は暗闇の中で死ぬ、と覚悟したところで終了しました。今回は、かつてヤノハがトンカラリンの試練を受けたさいに、ヒルメやイクメなど、暈の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の幹部やその従者が、トンカラリンの洞窟の入口の前で待っていた回想場面から始まります。長く待ってもトンカラリンの洞窟から出てこなかったので、皆が返ろうとしたところに、ヤノハが出てきます。ヤノハを殺すためにトンカラリンの試練を受けさせたのに、ヤノハが出てきたことでヒルメは錯乱し、ヤノハを殺せ、と叫びます。
舞台は作中世界の現在に戻り、トンカラリンの洞窟の前では、暈国の大夫で実質的な最高権力者である鞠智彦(ククチヒコ)とともに、ニニギを育ててきたヒルメが待っていました。ヒルメから、百年前の日見子は口伝では洞窟に入ってから翌日の日の出とともに洞窟から出てきて、ヒルメが嫌っている日見子、つまりヤノハは丸二日で洞窟から出てきた、と聞いた鞠智彦は、もう1日待つことにします。洞窟の中でニニギは、自分を育ててくれ、色々な知恵を授けてくれた養父母に感謝していました。ニニギは闇の広さを確かめようと足元の石を投げ、突然火花が散って驚きましたが、養父が、きらきら光る石同士をぶつけると火が出る、と教えてくれたことを思い出しました。ニニギは死体を見つけ、この広場までたどり着いてもたいていは力尽きて死ぬのだ、と悟ります。兵糧も残り少なく、自分もここまでか、観念しかけたニニギですが、どうせなら、彷徨って野垂れ死にする方が自分には相応しい、と開き直って立ち上がります。
トンカラリンの洞窟の前では、子供には荷が重すぎた、と兵士が鞠智彦の配下のウガヤに語りかけていました。まだ生きているとしても、二本の松明はとっくに消えており、ニニギは暗闇の中でのたうち回っているだろう、と語るウガヤに、情がない、と兵士は困惑しているようです。するとウガヤは、戦乱の世の中で、ニニギの年齢まで生きる者すら少なく、とりたてて憐れとも言えないだろう、と兵士を諭します。それでも兵士は、トンカラリンの意味すら分からない子供に試練を受けさせたことに否定的ですが、人は自分の死期と場所と理由を選べず、ほとんどの者は虫けらのように死ぬので、日見彦(ヒミヒコ)の地位を賭けて死ぬのならずっとましではないか、と兵士に問いかけます。ウガヤはトンカラリンの洞窟に入る前のニニギに、虫けらとは、自分が生まれた理由も、この世で何ができるかも、そもそも自分が何にたけているかも分からず、最期まで自分の正体を把握できず死ぬ者たちで、この世は闇で、神々は人の幸せなど考えておらず、人生は耐え難い苦境と悲しみの連続だ、と語りかけていました。その話を思い出したニニギは、洞窟の中で、自分が何者なのか、何のために生まれたのか、養父母がなぜ死んだのか、泣きながら自問します。ただ、ウガヤは洞窟に入る前のニニギに、この世でほんの一握り、生を全うする者がおり、そうした者には人の上に立つ才が備わっている、とも諭します。ウガヤはニニギに、自分にその才があるのかどうか、どう見抜くのか、と問いかけます。ウガヤはニニギに、無駄に長生きした自分が気づいたのは、人の上に立つ者は自分の足りている部分より足りていない部分にいち早く気づいた、とニニギに伝えます。虫けらとして死ぬか、人の上に立ち、自分の生を全うするのか、これから味わう真に暗闇の中でじっくり考えるよう、ニニギを諭したウガヤは、もう一つ、と言って、人の上に立つ者は無情で、生きるためにはどんな手段も使う、とニニギに伝えます。生き残りたければ、他人の生を操り、殺される前に殺し、殺しまくれ、というわけです。養父母もその里の者も皆死に、大地震でもっと多くの者が死んだのを見てきたニニギは、皆虫けらで、ウガヤの言う通り、この世はトンカラリンの洞窟と同じ真っ暗闇だ、と悟り、自分は虫けらのまま死にたくない、と覚悟を決めます。
トンカラリンの洞窟の前では、見張っている兵士が、ニニギが出てこないのは最初から分かっており、何も知らない子供を、一日分の干し飯と松明二本だけでトンカラリンの洞窟に放り込むとは、鞠智彦様は非情だが、それを言えば最後までニニギに冷たい顔で何か話しかけていたウガヤ様の方が酷い、と語りあっていました。その様子をニニギの実父であるナツハ(チカラオ)が見ており、配下のイヌに命じて、洞窟に侵入させます。イヌは暗闇でも主人を探り当てて助けようとするので、このニニギのイヌを止めるよう、鞠智彦は命じますが、ニニギのイヌは鞠智彦の配下とともにおり、ヒルメは鞠智彦に、洞窟に入ろうとしているのはこの近くを根城とする野犬だろう、と指摘します。すると鞠智彦は、ならば阻む必要はない、と判断してイヌが洞窟に入るのを止めさせませんでした。しかし鞠智彦は、ヒルメがニニギのイヌをヤノハと呼びかけたことに気づき、ヒルメを問い質します。ヒルメは、ニニギが幼い頃より今洞窟の前にいる飼い犬をそう呼んでおり、偶然だ、と狼狽しながら答えますが、鞠智彦はそれで真相を察したようです。生き残れば自分は人の上に立ち、生き残るために手段は択ばず、殺人も辞さない、と覚悟を決めたニニギが、新たに熾した松明を手に持ち、暗闇の洞窟を歩く中で、その前に、養父母を殺した山社(ヤマト)の女王への敵討ちしなければならない、と山社の女王、つまりニニギは知らないものの実母であるヤノハを殺す、と決意するところで今回は終了です。
今回は、ヤノハが回想場面でしか登場せず、ほぼ全てニニギのトンカラリンの試練の場面となりました。ニニギは生き残るために非情になることを決意し、ヒルメがニニギに、ニニギの養父母の仇は山社の女王(ヤノハ)である、と吹き込んだことから、まずヤノハを殺す、と誓います。ニニギはヤノハが実母であることを知りませんが、ヒルメはそうだとほぼ確信しており、鞠智彦もヒルメとのやり取りからそう察したのではないか、と思います。第52話にて、ヒルメは鞠智彦に、ヤノハが自滅する策を講じている、と伝えており、それは、ヒルメを慕っていたナツハ(チカラオ)に、実姉である(このことを知っているのは、ヤノハとチカラオだけですが)ヤノハを強姦させることだったわけですが、この時に、ヒルメが鞠智彦にこの策をある程度伝えていたのだとしたら、今回のヒルメとのやり取りで、ヤノハがニニギの実母だと、鞠智彦が察した可能性は高いように思います。そうすると、ニニギが生還して日見彦として擁立することのみならず、ヤノハの日見子としての立場を失墜させる情報も得ることになるわけで、暈には山社連合に対する決定的な強みを握ることになります。『三国志』からは、卑弥呼が敵対する狗奴国相手に苦戦していた、と窺え、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、日見彦を擁し、日見子(卑弥呼)であるヤノハの致命的な醜聞を広めることで、暈が山社連合に対して優勢になるのかもしれません。ヤノハに殺されたモモソは、ヤノハが実子のヤエト(ニニギ)に殺される、と預言しており(第73話)、それは、暈国との戦いの中で、ヤノハの日見子としての権威が失墜する中で、ヤノハが殺されることを意味しているのかもしれません。これに日下(ヒノモト)連合がどう絡んでくるのかも気になるところで、今後の展開にもたいへん期待しています。
舞台は作中世界の現在に戻り、トンカラリンの洞窟の前では、暈国の大夫で実質的な最高権力者である鞠智彦(ククチヒコ)とともに、ニニギを育ててきたヒルメが待っていました。ヒルメから、百年前の日見子は口伝では洞窟に入ってから翌日の日の出とともに洞窟から出てきて、ヒルメが嫌っている日見子、つまりヤノハは丸二日で洞窟から出てきた、と聞いた鞠智彦は、もう1日待つことにします。洞窟の中でニニギは、自分を育ててくれ、色々な知恵を授けてくれた養父母に感謝していました。ニニギは闇の広さを確かめようと足元の石を投げ、突然火花が散って驚きましたが、養父が、きらきら光る石同士をぶつけると火が出る、と教えてくれたことを思い出しました。ニニギは死体を見つけ、この広場までたどり着いてもたいていは力尽きて死ぬのだ、と悟ります。兵糧も残り少なく、自分もここまでか、観念しかけたニニギですが、どうせなら、彷徨って野垂れ死にする方が自分には相応しい、と開き直って立ち上がります。
トンカラリンの洞窟の前では、子供には荷が重すぎた、と兵士が鞠智彦の配下のウガヤに語りかけていました。まだ生きているとしても、二本の松明はとっくに消えており、ニニギは暗闇の中でのたうち回っているだろう、と語るウガヤに、情がない、と兵士は困惑しているようです。するとウガヤは、戦乱の世の中で、ニニギの年齢まで生きる者すら少なく、とりたてて憐れとも言えないだろう、と兵士を諭します。それでも兵士は、トンカラリンの意味すら分からない子供に試練を受けさせたことに否定的ですが、人は自分の死期と場所と理由を選べず、ほとんどの者は虫けらのように死ぬので、日見彦(ヒミヒコ)の地位を賭けて死ぬのならずっとましではないか、と兵士に問いかけます。ウガヤはトンカラリンの洞窟に入る前のニニギに、虫けらとは、自分が生まれた理由も、この世で何ができるかも、そもそも自分が何にたけているかも分からず、最期まで自分の正体を把握できず死ぬ者たちで、この世は闇で、神々は人の幸せなど考えておらず、人生は耐え難い苦境と悲しみの連続だ、と語りかけていました。その話を思い出したニニギは、洞窟の中で、自分が何者なのか、何のために生まれたのか、養父母がなぜ死んだのか、泣きながら自問します。ただ、ウガヤは洞窟に入る前のニニギに、この世でほんの一握り、生を全うする者がおり、そうした者には人の上に立つ才が備わっている、とも諭します。ウガヤはニニギに、自分にその才があるのかどうか、どう見抜くのか、と問いかけます。ウガヤはニニギに、無駄に長生きした自分が気づいたのは、人の上に立つ者は自分の足りている部分より足りていない部分にいち早く気づいた、とニニギに伝えます。虫けらとして死ぬか、人の上に立ち、自分の生を全うするのか、これから味わう真に暗闇の中でじっくり考えるよう、ニニギを諭したウガヤは、もう一つ、と言って、人の上に立つ者は無情で、生きるためにはどんな手段も使う、とニニギに伝えます。生き残りたければ、他人の生を操り、殺される前に殺し、殺しまくれ、というわけです。養父母もその里の者も皆死に、大地震でもっと多くの者が死んだのを見てきたニニギは、皆虫けらで、ウガヤの言う通り、この世はトンカラリンの洞窟と同じ真っ暗闇だ、と悟り、自分は虫けらのまま死にたくない、と覚悟を決めます。
トンカラリンの洞窟の前では、見張っている兵士が、ニニギが出てこないのは最初から分かっており、何も知らない子供を、一日分の干し飯と松明二本だけでトンカラリンの洞窟に放り込むとは、鞠智彦様は非情だが、それを言えば最後までニニギに冷たい顔で何か話しかけていたウガヤ様の方が酷い、と語りあっていました。その様子をニニギの実父であるナツハ(チカラオ)が見ており、配下のイヌに命じて、洞窟に侵入させます。イヌは暗闇でも主人を探り当てて助けようとするので、このニニギのイヌを止めるよう、鞠智彦は命じますが、ニニギのイヌは鞠智彦の配下とともにおり、ヒルメは鞠智彦に、洞窟に入ろうとしているのはこの近くを根城とする野犬だろう、と指摘します。すると鞠智彦は、ならば阻む必要はない、と判断してイヌが洞窟に入るのを止めさせませんでした。しかし鞠智彦は、ヒルメがニニギのイヌをヤノハと呼びかけたことに気づき、ヒルメを問い質します。ヒルメは、ニニギが幼い頃より今洞窟の前にいる飼い犬をそう呼んでおり、偶然だ、と狼狽しながら答えますが、鞠智彦はそれで真相を察したようです。生き残れば自分は人の上に立ち、生き残るために手段は択ばず、殺人も辞さない、と覚悟を決めたニニギが、新たに熾した松明を手に持ち、暗闇の洞窟を歩く中で、その前に、養父母を殺した山社(ヤマト)の女王への敵討ちしなければならない、と山社の女王、つまりニニギは知らないものの実母であるヤノハを殺す、と決意するところで今回は終了です。
今回は、ヤノハが回想場面でしか登場せず、ほぼ全てニニギのトンカラリンの試練の場面となりました。ニニギは生き残るために非情になることを決意し、ヒルメがニニギに、ニニギの養父母の仇は山社の女王(ヤノハ)である、と吹き込んだことから、まずヤノハを殺す、と誓います。ニニギはヤノハが実母であることを知りませんが、ヒルメはそうだとほぼ確信しており、鞠智彦もヒルメとのやり取りからそう察したのではないか、と思います。第52話にて、ヒルメは鞠智彦に、ヤノハが自滅する策を講じている、と伝えており、それは、ヒルメを慕っていたナツハ(チカラオ)に、実姉である(このことを知っているのは、ヤノハとチカラオだけですが)ヤノハを強姦させることだったわけですが、この時に、ヒルメが鞠智彦にこの策をある程度伝えていたのだとしたら、今回のヒルメとのやり取りで、ヤノハがニニギの実母だと、鞠智彦が察した可能性は高いように思います。そうすると、ニニギが生還して日見彦として擁立することのみならず、ヤノハの日見子としての立場を失墜させる情報も得ることになるわけで、暈には山社連合に対する決定的な強みを握ることになります。『三国志』からは、卑弥呼が敵対する狗奴国相手に苦戦していた、と窺え、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、日見彦を擁し、日見子(卑弥呼)であるヤノハの致命的な醜聞を広めることで、暈が山社連合に対して優勢になるのかもしれません。ヤノハに殺されたモモソは、ヤノハが実子のヤエト(ニニギ)に殺される、と預言しており(第73話)、それは、暈国との戦いの中で、ヤノハの日見子としての権威が失墜する中で、ヤノハが殺されることを意味しているのかもしれません。これに日下(ヒノモト)連合がどう絡んでくるのかも気になるところで、今後の展開にもたいへん期待しています。
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