中原における後期新石器時代以降の人類集団の長期の遺伝的安定性
中原における後期新石器時代以降の人類集団の長期の遺伝的安定性を報告した研究(Ma et al., 2025)が公表されました。本論文は、古代人と現代人のゲノムデータを使用し、中原において後期新石器時代以降には人類集団の遺伝的構成が現在まで長期にわたって安定していたことを示しています。この中原の後期新石器時代集団の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、90%以上の中原中期新石器時代集団的な構成要素と、残りの台湾鉄器時代集団的な構成要素の混合でモデル化できます。こうした長期の遺伝的安定性はおそらく、唐王朝期の個体に見られるように、外部地域からの遺伝子流動がまったくなかったことを意味しているのではなく、中原は新石器時代以降ずっと人口が多いため、そうした外部からの流入を集団遺伝学的に検出できる事例がひじょうに少ないほどの、遺伝的影響しか及ぼさなかったことを表しているのだと思います。
最近の研究(Speidel et al., 2025)では、遺伝的構成の類似した集団間の相互作用をじゅうらいよりも高解像度で推測できる、と示されており、そうした手法では、より詳細な人口史が解明されることも期待されます。本論文の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。以下は本論文の要約図です。
●研究史
中国の中原は、黄河中流および下流域を囲む華北平原の一部を指し、現在の河南省が中心となっています。豊富な考古学的記録から、中原は世界で最古級の独立した新石器時代農耕革命の中心地の一つで、中華文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】の形成と発展に大きな役割を果たした、と示唆されています。最近の古代DNA研究では、仰韶(Yangshao)文化関連の中期新石器時代中原祖先系統(黄河_MN)は新石器時代には黄河沿いに地理的に大きく広がっていましたが[3]、アジア東部の他地域にも到達した[4~7]、と示唆されました。仰韶文化の数百年後に、中国南部とアジア南東部の現代人の祖先が中原に達し、これは中原の後期新石器時代人口集団(黄河_LN)において南方祖先系統との余分な遺伝的類似性が発見されたことによります[3]。上述の試みにも関わらず、中原の人口史は依然として研究が不充分で、それはとくに、古代中国において最重要で激動の期間だった過去3000年間の古代ゲノムの不足に起因します。
本論文では、西周王朝(紀元前1111~紀元前770年)と春秋時代(紀元前770~紀元前403年)と唐王朝(618~907年)とダイチン・グルン(大清帝国、清王朝、1644~1912年)にまたがる、中国北部の河南省三門峡市澠池(Mianchi)県の路糸茜(Lusixi)遺跡で新たに収集された中原の古代人と、刊行されている中原の古代および現在の人口集団の古代DNAの検出力を活用し、中期新石器時代以降の黄河中流域内における差異の時間的パターンを調べます。本論文は、(1)政権交代と継続的戦争(たとえば、春秋時代や戦国時代)が中原の遺伝的組成に与えた影響の程度、(2)他の系統、とくに西方地域と匈奴と鮮卑関連の祖先系統が中原にまで広がったのかどうか、(3)現代人は先行する在来人口集団とどのように関連しているのか、という調査に焦点を当てます。
標本70点の骨格遺骸からDNAが抽出されました。次に、二本鎖ライブラリが生成され、本論文の第1段階において40点の標本でゲノム資料の取得に成功しました。これら40点の標本に溶液内濃縮実施要綱が適用され、124万ヶ所の祖先情報をもたらすSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)においてヒト内在性DNAが濃縮されました。同じ個体に由来する標本から得られたゲノムデータが統合されました。38点の標本内で、9組の最大2親等の密接な家族関係が見つかりました。古代DNAの信頼性が評価され、親族の各組み合わせについて、より少ない数のSNPの個体が除外されました。これによって、回収に成功したSNPの中央値が491319ヶ所で、124万パネルでは0.7倍の常染色体網羅率の、親族関係にない30個体が得られ、
●黄河_MNと低水準の台湾漢本的な祖先系統との間の混合により黄河_LNが形成されました
まず、仰韶文化関連(黄河_MN)および龍山(Longshan)文化関連(黄河_LN)のゲノムが、最近刊行された古代人のゲノムとともに共同分析することによって、再分析されました。人口構造の概要を得るために、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。現在のアジア東部人口集団によって計算された最初の2主成分に、古代の個体群が投影されました(図1b)。アジア東部における主要な4遺伝的クラスタ(まとまり)の出現という以前の調査結果が再現され、それは、アジア東部南方関連クラスタ、黄河関連クラスタ、古代アジア北東部関連クラスタ、高地チベット人関連クラスタです。黄河_LN個体群は黄河_MNとは顕著に離れており、以前に報告された南北の漢人勾配に投影され、【黄河_MNよりも】中国南部の古代人および現代人へとわずかにより近くに位置しています。以下は本論文の図1です。
黄河_MNと黄河_LNとの間の遺伝的違いを把握するため、f₄形式(ヨルバ人、X;黄河_MN、黄河_LN)のf₄統計が計算され、各参照古代ユーラシア人口集団がXに置かれました。有意な正のf₄値は、Xが台湾の漢本(Hanben)遺跡の個体群(台湾_漢本)の場合のみで得られました。しかし、Xが黄河_MN/黄河_LNとの同時代の中国南部古代人、つまり、曇石山(Tanshishan)文化や渓頭村(Xitoucun)遺跡や独山洞窟(Dushan Cave)や宝剣山(Baojianshan)洞窟の個体群か、最古級の中国南部の古代人、つまり福建省の亮島(Liangdao)遺跡個体(亮島2号)および奇和洞(Qihe Cave)遺跡個体(奇和洞3号)や広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)個体を表している場合、f₄値は有意ではありませんでした。これらの結果から、黄河_LNのみが、アジア北東部古代人やユーラシア西部人や高地チベット人と関連する系統と比較して、黄河_MNと姉妹クレード(単系統群)を形成しながら、台湾_漢本(台湾沿岸の鉄器時代人口集団)と過剰な類似性を示した、と示唆されました。黄河_MNと黄河_LNが遺伝的に相互と均質なのかどうか検証するため、多様なユーラシア祖先系統構成要素で構成される外群一式を考慮して、対でのqpWave分析が実行されました。提示されたモデルは適合性が低いと分かり、本論文で詮索された外群は黄河_MNと黄河_LNとの間の遺伝的差異を区別できる、と示唆されます。台湾_漢本関連祖先系統が黄河_LNの第二供給源だったのかどうか検証するため、遺伝的祖先系統モデル化が実行されました。qpAdm分析から、黄河_LNは黄河_MN(qpAdmでは約95%)と台湾_漢本(qpAdmでは約8.5%)との間の混合としてモデル化できる、と示唆されました。
●中原において後期新石器時代以降に大きな遺伝的変化はありません
次に、本論文で新たに配列決定された、西周王朝と春秋時代と唐王朝の黄河流域古代人のゲノムが、以前に刊行された、黄河流域の中期新石器時代(黄河_MN)や後期新石器時代(黄河_LN)、後期青銅器時代および鉄器時代(黄河_LBIA、紀元前1751~紀元前1111年の殷王朝が含まれます)、東周王朝(紀元前770~紀元前221年)、戦国時代(紀元前403~紀元前221年)、西漢(前漢)王朝(紀元前206~紀元後8年)の黄河中流域古代人、および黄河中流域に現在暮らす漢人(漢人_河南と粗さ割れます)と比較されました。
PCA(図1b)では、本論文で新たに収集された時間横断区の黄河中流域古代人と刊行されている黄河_LBIA個体群が、緊密な遺伝的クラスタを形成しました。これらの個体は現在の北方漢人の遺伝的差異内へと投影され、そこでは上述の後期新石器時代龍山文化関連個体群(黄河_LN)がこの祖先系統を表していました。教師無ADMIXTURE分析では、事前に定義された3祖先供給源を想定すると(図1c)、本論文で新たに配列決定された黄河中流域古代人のゲノムは、黄河_LNおよび黄河_LBIAと類似の遺伝的特性を示し、ユーラシア西部人で豊富な黄色の構成要素を示しませんでした。ここでは、新たに配列決定された個体群は、考古学的文化の帰属によって分類され、それは、PCAもしくはADMIXTURE分析のいずれかにおいて、黄河_LN関連の遺伝的クラスタから顕著に逸脱した外れ値が特定されなかったからです。個体水準の対でのqpWave分析も、新たに報告された黄河中流域集団の個体の各組み合わせ間での、相対的な遺伝的均質性を裏づけました。
次に、f統計に基づく分析を用いて、黄河中流域集団間の遺伝的関係が定量化されました。まず、f₃形式(黄河古代人、X;ヨルバ人)の外群f₃統計が適用され、外群人口集団であるヨルバ人に対する、黄河流域古代人と各X人口集団との間で共有されている遺伝的浮動が測定されました(図2a)。黄河流域古代人集団の各組み合わせ間での高水準の共有された遺伝的浮動は、新石器時代黄河中流域関連祖先系統の長期の遺伝的連続性を示唆しました。以下は本論文の図2です。
後期新石器時代以降の黄河中流域集団の各組み合わせが相互に相対的に遺伝的に均質だったのかどうか、調べるため、対でのqpWave分析が実行されました。qpWaveモデル化の各組み合わせのランク=0のP値は0.01より大きいと分かり、黄河_LNと黄河_LBIAと本論文で新たに収集された古代人口(集団)のゲノム時間横断区は、共通の祖先人口集団から祖先系統が由来することと一致した、と確実に裏づけられます(図2c)。後期新石器時代の跡の核古代黄河中流域集団も、黄河_MNと中国南部(台湾_漢本によって表されます)との間の混合としてモデル化でき、混合割合は黄河_LNと類似しています(図2e)。
後期新石器時代から唐王朝までの黄河中流域人口集団内の時間的差異の可能性をさらに調べるため、f₄統計(ヨルバ人、X;古代黄河ᵢ、古代黄河ⱼ)が実行され、古代黄河ᵢと古代黄河ⱼは年代順になっています(図2b)。1740点のf₄統計のうち3点のみで有意な、f₄値が得られ、ほとんどの参照人口集団が各黄河中流域集団と同じ量の遺伝的浮動を共有していた、と示唆されます。f₄統計(ヨルバ人、X;古代黄河ᵢ、古代黄河ⱼ)から、古代黄河ᵢもしくは古代黄河ⱼのいずれかとより多くのアレル(対立遺伝子)を共有していると特定された人口集団を、順番にそれぞれ外群一式に追加することによって、対でのqpWaveモデル化の堅牢性の検証が試みられました。外群一式には匈奴と鮮卑の人々も順番にそれぞれ加えられ五胡の乱なおいて黄河中流域に侵入した匈奴および鮮卑の人口集団が、黄河流域古代人の遺伝子プールに遺伝的遺産を残したのかどうか、検証されました。基礎外群一式に基づく適切なモデル化が却下されるならば、新たに追加された人口集団は供給源人口集団の一つへの遺伝子流動を有しているかもしれません。カザフスタンの康居(Kangju)や、トルクメニスタンのゴヌル(Gonur)遺跡の青銅器時代個体(トルクメニスタン_ゴヌル_BA_1)や、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンの鉄器時代個体(東トルキスタン_IA7_aEA)を含めて、アジア中央部関連の古代の人口集団を外群一式に追加すると、対でのqpWaveモデル化は、黄河_唐王朝が他の古代黄河中流域集団と遺伝的に均質であるモデルを却下しました。
f₄統計(ヨルバ人、アジア中央部人、唐王朝以外の黄河中流域古代人、黄河_唐王朝)におけるわずかに有意なf₄に従って、アジア中央部人が黄河_唐王朝の第二の供給源として割り当てられ、黄河_唐王朝についての2方向の黄河およびアジア中央部モデル化が1方向の黄河よりも良好に適合するのかどうか調べるため、qpAdmモデル化が実行されました。その結果、黄河_唐王朝は約1.5~2.7%のアジア中央部関連祖先系統(カザフスタン_康居とトルクメニスタン_ゴヌル_BA_1と東トルキスタン_IA7_aEAによって表されます)と、約97.3~98.5%の黄河関連祖先系統(後期新石器時代以降の黄河中流域の各古代人集団によって表されます)との間の混合としてモデル化できる、と分かりました。さらに、入れ子状態のP値が0.05未満であることによって示唆されるように、黄河_唐王朝について、2方向モデルは1方向の黄河モデルよりも良好に適合しました。
最後に、黄河中流域古代人と、河南省の約98%を占める黄河中流域に現在暮らす漢人(漢人_河南)との間の遺伝的つながりが調べられました。外群f₃統計では、漢人_河南は古代の黄河中流域人口集団と高水準の共有された遺伝的浮動を示しました。対でのqpWave分析(図2d)では、基礎外群一式に基づくと、漢人_河南は遺伝的に黄河_LBIA/黄河_唐王朝/黄河_西周王朝と均質でした。ヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットのすべてのSNPに基づくf₄統計(ヨルバ人、X;黄河中流域古代人、漢人_河南)では、Xを多様なユーラシア西部関連祖先系統および中国南部関連祖先系統にすると、各黄河中流域古代人について、多くの有意な正のf₄値が得られました。塩基転換(transversion、略してTv、ピリミジン塩基とプリン塩基との間の置換)のみでf₄を計算すると、879点のf₄統計のうち7点のみで、有意なf₄値が得られました。次に、僅かか若しくは有意なf₄値が得られた各人口集団や匈奴および鮮卑を外群一式に追加することによって、同じ戦略が適用されました。単一の遺伝的供給源としての黄河_唐王朝もしくは黄河_西周王朝での1方向のqpAdmモデルは、漢人_河南について堅牢でした。本論文の混合モデルではさらに、現在の漢人_河南が、台湾_漢本関連祖先系統の僅かではあるものの優位でない水準の増加のある古代黄河中流域古代人と、同じ祖先構成要素の一式を有している、と確証されました(図2e)。
本論文では、中期~後期新石器時代にかけての遺伝的移行は、稲作農耕の強化と関連しているかもしれない[3]、最大で約8.5%となる追加の台湾_漢本的に北方への遺伝子流動によって特徴づけられる、と示されました。アジア東部南方のより広範な地域にまたがるさらなる標本抽出、とくに新石器時代の長江農耕民関連の古代人の標本抽出が、黄河_LNにおける中国南部的祖先系統を調べるのに必要で、それは考古学的観点から、龍山文化と関連する瓦店(Wadian)遺跡や平糧台(Pingliangtai)遺跡や郝家台(Haojiatai)遺跡の人々に、石家河(Shijiahe)などの文化が影響を及ぼしたからです。ヨーロッパにおける動的な人口史[9]と対比させると、政治形態の頻繁な変化にも関わらず、後期新石器時代以降の黄河中流域においては、大きな人口置換はなく、高水準の遺伝的連続性があります。過去3000年間の黄河中流域古代人は、後期新石器時代の龍山文化関連古代人と比較して、約1.5~2.7%とごく低水準のユーラシア西部関連祖先系統を受け取った黄河_唐王朝を除き、過去3000年間にわたり、仰韶文化関連祖先系統からだけではなく、五胡の乱において黄河中流域に侵入した匈奴および鮮卑からも遺伝子流動を受けた、チベット高原や東トルキスタンや中国南部からの遺伝子流動の痕跡を示しませんでした。
●明~清王朝期の1個体は中国南部の現代人と類似した遺伝的特性を示しました
本論文では1点の標本のみが、明王朝およびダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の黄河中流域古代人を表しています。興味深いことに、この個体はすべての先行する黄河中流域の個体および現在黄河中流域に暮らす人々と比較して、中国南部の個体群の方との余分な類似性を示しました。このゲノム調査結果はPCA(図1b)と教師無ADMIXTURE分析(図1c)とf₄統計(ヨルバ人、BaBanQinCen/台湾_漢本;X、黄河_明および清王朝)のf₄値によって一貫して裏づけられ、この場合のXは黄河中流域の各古代人集団および現在の漢人_河南を表しています。BaBanQinCenとは、Banda遺跡とQinCen遺跡とBalong遺跡を表します。外群f₃統計(黄河_明および清王朝、古代の人口集団;ヨルバ人)では、最高の兆候は他の黄河中流域古代人で観察され、それに続くのが、BaBanQinCenと台湾_漢本でした。外群f₃統計(黄河_明および清王朝、現在の人口集団;ヨルバ人)では、この個体のゲノムは、重慶市(漢人_重慶)や湖北省(漢人_湖北)など中国中央部の現在の漢人、広東省(漢人_広東)や福建省(漢人_福建)、タイ・カダイ語族話者のマオナン人(Maonan)やミャオ・ヤオ語族話者のシェ人(She)など中国南部から標本抽出されたさまざまな少数民族と、最も密接な遺伝的類似性を共有していました。
2方向qpAdmモデル化は、黄河_明および清王朝の祖先系統の寄与を、約43.5%の台湾_漢本と約56.5%の黄河_MN、もしくは約37.8%の台湾_漢本と約62%の後期新石器時代から唐王朝までのすべての蓄積された黄河流域古代人の混合として、定量化しました。この個体の中国南部関連祖先系統の高い割合がこの地域では観察されず、ダイチン・グルン前後の中国北部でさえ観察されなかったことを考えて、この個体は中原の明王朝およびダイチン・グルン期における主要な遺伝的特性を表しているのではなく、遺伝的外れ値だった可能性がより高い、と本論文は主張します。
黄河中流域からの標本抽出は時空間的規模では限られた個体数に依然として基づいており、中原の遺伝的多様性を完全には特徴づけていないかもしれないことに、要注意です。黄河中流域の人々がどのように分布したのか、ということと、その人口構造に関する理解を深めるには、黄河中流域全体の追加の個体群の古代DNA解析を実行するよう、さらなる研究が必要でしょう。
参考文献:
Ma H. et al.(2025): Ancient genomes shed light on the long-term genetic stability in the Central Plain of China. Science Bulletin, 70, 3, 333-337.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.07.024
Speidel L. et al.(2025): High-resolution genomic history of early medieval Europe. Nature, 637, 8044, 118–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08275-2
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[3]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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[4]Wang H. et al.(2023): Human genetic history on the Tibetan Plateau in the past 5100 years. Science Advances, 9, 11, eadd5582.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add5582
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[5]Kumar V. et al.(2022): Bronze and Iron Age population movements underlie Xinjiang population history. Science, 376, 6568, 62–69.
https://doi.org/10.1126/science.abk1534
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[6]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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[7]Tao L. et al.(2023): Ancient genomes reveal millet farming-related demic diffusion from the Yellow River into southwest China. Current Biology, 33, 22, 4995–5002.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.09.055
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[9]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
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最近の研究(Speidel et al., 2025)では、遺伝的構成の類似した集団間の相互作用をじゅうらいよりも高解像度で推測できる、と示されており、そうした手法では、より詳細な人口史が解明されることも期待されます。本論文の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。以下は本論文の要約図です。
●研究史
中国の中原は、黄河中流および下流域を囲む華北平原の一部を指し、現在の河南省が中心となっています。豊富な考古学的記録から、中原は世界で最古級の独立した新石器時代農耕革命の中心地の一つで、中華文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】の形成と発展に大きな役割を果たした、と示唆されています。最近の古代DNA研究では、仰韶(Yangshao)文化関連の中期新石器時代中原祖先系統(黄河_MN)は新石器時代には黄河沿いに地理的に大きく広がっていましたが[3]、アジア東部の他地域にも到達した[4~7]、と示唆されました。仰韶文化の数百年後に、中国南部とアジア南東部の現代人の祖先が中原に達し、これは中原の後期新石器時代人口集団(黄河_LN)において南方祖先系統との余分な遺伝的類似性が発見されたことによります[3]。上述の試みにも関わらず、中原の人口史は依然として研究が不充分で、それはとくに、古代中国において最重要で激動の期間だった過去3000年間の古代ゲノムの不足に起因します。
本論文では、西周王朝(紀元前1111~紀元前770年)と春秋時代(紀元前770~紀元前403年)と唐王朝(618~907年)とダイチン・グルン(大清帝国、清王朝、1644~1912年)にまたがる、中国北部の河南省三門峡市澠池(Mianchi)県の路糸茜(Lusixi)遺跡で新たに収集された中原の古代人と、刊行されている中原の古代および現在の人口集団の古代DNAの検出力を活用し、中期新石器時代以降の黄河中流域内における差異の時間的パターンを調べます。本論文は、(1)政権交代と継続的戦争(たとえば、春秋時代や戦国時代)が中原の遺伝的組成に与えた影響の程度、(2)他の系統、とくに西方地域と匈奴と鮮卑関連の祖先系統が中原にまで広がったのかどうか、(3)現代人は先行する在来人口集団とどのように関連しているのか、という調査に焦点を当てます。
標本70点の骨格遺骸からDNAが抽出されました。次に、二本鎖ライブラリが生成され、本論文の第1段階において40点の標本でゲノム資料の取得に成功しました。これら40点の標本に溶液内濃縮実施要綱が適用され、124万ヶ所の祖先情報をもたらすSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)においてヒト内在性DNAが濃縮されました。同じ個体に由来する標本から得られたゲノムデータが統合されました。38点の標本内で、9組の最大2親等の密接な家族関係が見つかりました。古代DNAの信頼性が評価され、親族の各組み合わせについて、より少ない数のSNPの個体が除外されました。これによって、回収に成功したSNPの中央値が491319ヶ所で、124万パネルでは0.7倍の常染色体網羅率の、親族関係にない30個体が得られ、
●黄河_MNと低水準の台湾漢本的な祖先系統との間の混合により黄河_LNが形成されました
まず、仰韶文化関連(黄河_MN)および龍山(Longshan)文化関連(黄河_LN)のゲノムが、最近刊行された古代人のゲノムとともに共同分析することによって、再分析されました。人口構造の概要を得るために、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。現在のアジア東部人口集団によって計算された最初の2主成分に、古代の個体群が投影されました(図1b)。アジア東部における主要な4遺伝的クラスタ(まとまり)の出現という以前の調査結果が再現され、それは、アジア東部南方関連クラスタ、黄河関連クラスタ、古代アジア北東部関連クラスタ、高地チベット人関連クラスタです。黄河_LN個体群は黄河_MNとは顕著に離れており、以前に報告された南北の漢人勾配に投影され、【黄河_MNよりも】中国南部の古代人および現代人へとわずかにより近くに位置しています。以下は本論文の図1です。
黄河_MNと黄河_LNとの間の遺伝的違いを把握するため、f₄形式(ヨルバ人、X;黄河_MN、黄河_LN)のf₄統計が計算され、各参照古代ユーラシア人口集団がXに置かれました。有意な正のf₄値は、Xが台湾の漢本(Hanben)遺跡の個体群(台湾_漢本)の場合のみで得られました。しかし、Xが黄河_MN/黄河_LNとの同時代の中国南部古代人、つまり、曇石山(Tanshishan)文化や渓頭村(Xitoucun)遺跡や独山洞窟(Dushan Cave)や宝剣山(Baojianshan)洞窟の個体群か、最古級の中国南部の古代人、つまり福建省の亮島(Liangdao)遺跡個体(亮島2号)および奇和洞(Qihe Cave)遺跡個体(奇和洞3号)や広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)個体を表している場合、f₄値は有意ではありませんでした。これらの結果から、黄河_LNのみが、アジア北東部古代人やユーラシア西部人や高地チベット人と関連する系統と比較して、黄河_MNと姉妹クレード(単系統群)を形成しながら、台湾_漢本(台湾沿岸の鉄器時代人口集団)と過剰な類似性を示した、と示唆されました。黄河_MNと黄河_LNが遺伝的に相互と均質なのかどうか検証するため、多様なユーラシア祖先系統構成要素で構成される外群一式を考慮して、対でのqpWave分析が実行されました。提示されたモデルは適合性が低いと分かり、本論文で詮索された外群は黄河_MNと黄河_LNとの間の遺伝的差異を区別できる、と示唆されます。台湾_漢本関連祖先系統が黄河_LNの第二供給源だったのかどうか検証するため、遺伝的祖先系統モデル化が実行されました。qpAdm分析から、黄河_LNは黄河_MN(qpAdmでは約95%)と台湾_漢本(qpAdmでは約8.5%)との間の混合としてモデル化できる、と示唆されました。
●中原において後期新石器時代以降に大きな遺伝的変化はありません
次に、本論文で新たに配列決定された、西周王朝と春秋時代と唐王朝の黄河流域古代人のゲノムが、以前に刊行された、黄河流域の中期新石器時代(黄河_MN)や後期新石器時代(黄河_LN)、後期青銅器時代および鉄器時代(黄河_LBIA、紀元前1751~紀元前1111年の殷王朝が含まれます)、東周王朝(紀元前770~紀元前221年)、戦国時代(紀元前403~紀元前221年)、西漢(前漢)王朝(紀元前206~紀元後8年)の黄河中流域古代人、および黄河中流域に現在暮らす漢人(漢人_河南と粗さ割れます)と比較されました。
PCA(図1b)では、本論文で新たに収集された時間横断区の黄河中流域古代人と刊行されている黄河_LBIA個体群が、緊密な遺伝的クラスタを形成しました。これらの個体は現在の北方漢人の遺伝的差異内へと投影され、そこでは上述の後期新石器時代龍山文化関連個体群(黄河_LN)がこの祖先系統を表していました。教師無ADMIXTURE分析では、事前に定義された3祖先供給源を想定すると(図1c)、本論文で新たに配列決定された黄河中流域古代人のゲノムは、黄河_LNおよび黄河_LBIAと類似の遺伝的特性を示し、ユーラシア西部人で豊富な黄色の構成要素を示しませんでした。ここでは、新たに配列決定された個体群は、考古学的文化の帰属によって分類され、それは、PCAもしくはADMIXTURE分析のいずれかにおいて、黄河_LN関連の遺伝的クラスタから顕著に逸脱した外れ値が特定されなかったからです。個体水準の対でのqpWave分析も、新たに報告された黄河中流域集団の個体の各組み合わせ間での、相対的な遺伝的均質性を裏づけました。
次に、f統計に基づく分析を用いて、黄河中流域集団間の遺伝的関係が定量化されました。まず、f₃形式(黄河古代人、X;ヨルバ人)の外群f₃統計が適用され、外群人口集団であるヨルバ人に対する、黄河流域古代人と各X人口集団との間で共有されている遺伝的浮動が測定されました(図2a)。黄河流域古代人集団の各組み合わせ間での高水準の共有された遺伝的浮動は、新石器時代黄河中流域関連祖先系統の長期の遺伝的連続性を示唆しました。以下は本論文の図2です。
後期新石器時代以降の黄河中流域集団の各組み合わせが相互に相対的に遺伝的に均質だったのかどうか、調べるため、対でのqpWave分析が実行されました。qpWaveモデル化の各組み合わせのランク=0のP値は0.01より大きいと分かり、黄河_LNと黄河_LBIAと本論文で新たに収集された古代人口(集団)のゲノム時間横断区は、共通の祖先人口集団から祖先系統が由来することと一致した、と確実に裏づけられます(図2c)。後期新石器時代の跡の核古代黄河中流域集団も、黄河_MNと中国南部(台湾_漢本によって表されます)との間の混合としてモデル化でき、混合割合は黄河_LNと類似しています(図2e)。
後期新石器時代から唐王朝までの黄河中流域人口集団内の時間的差異の可能性をさらに調べるため、f₄統計(ヨルバ人、X;古代黄河ᵢ、古代黄河ⱼ)が実行され、古代黄河ᵢと古代黄河ⱼは年代順になっています(図2b)。1740点のf₄統計のうち3点のみで有意な、f₄値が得られ、ほとんどの参照人口集団が各黄河中流域集団と同じ量の遺伝的浮動を共有していた、と示唆されます。f₄統計(ヨルバ人、X;古代黄河ᵢ、古代黄河ⱼ)から、古代黄河ᵢもしくは古代黄河ⱼのいずれかとより多くのアレル(対立遺伝子)を共有していると特定された人口集団を、順番にそれぞれ外群一式に追加することによって、対でのqpWaveモデル化の堅牢性の検証が試みられました。外群一式には匈奴と鮮卑の人々も順番にそれぞれ加えられ五胡の乱なおいて黄河中流域に侵入した匈奴および鮮卑の人口集団が、黄河流域古代人の遺伝子プールに遺伝的遺産を残したのかどうか、検証されました。基礎外群一式に基づく適切なモデル化が却下されるならば、新たに追加された人口集団は供給源人口集団の一つへの遺伝子流動を有しているかもしれません。カザフスタンの康居(Kangju)や、トルクメニスタンのゴヌル(Gonur)遺跡の青銅器時代個体(トルクメニスタン_ゴヌル_BA_1)や、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンの鉄器時代個体(東トルキスタン_IA7_aEA)を含めて、アジア中央部関連の古代の人口集団を外群一式に追加すると、対でのqpWaveモデル化は、黄河_唐王朝が他の古代黄河中流域集団と遺伝的に均質であるモデルを却下しました。
f₄統計(ヨルバ人、アジア中央部人、唐王朝以外の黄河中流域古代人、黄河_唐王朝)におけるわずかに有意なf₄に従って、アジア中央部人が黄河_唐王朝の第二の供給源として割り当てられ、黄河_唐王朝についての2方向の黄河およびアジア中央部モデル化が1方向の黄河よりも良好に適合するのかどうか調べるため、qpAdmモデル化が実行されました。その結果、黄河_唐王朝は約1.5~2.7%のアジア中央部関連祖先系統(カザフスタン_康居とトルクメニスタン_ゴヌル_BA_1と東トルキスタン_IA7_aEAによって表されます)と、約97.3~98.5%の黄河関連祖先系統(後期新石器時代以降の黄河中流域の各古代人集団によって表されます)との間の混合としてモデル化できる、と分かりました。さらに、入れ子状態のP値が0.05未満であることによって示唆されるように、黄河_唐王朝について、2方向モデルは1方向の黄河モデルよりも良好に適合しました。
最後に、黄河中流域古代人と、河南省の約98%を占める黄河中流域に現在暮らす漢人(漢人_河南)との間の遺伝的つながりが調べられました。外群f₃統計では、漢人_河南は古代の黄河中流域人口集団と高水準の共有された遺伝的浮動を示しました。対でのqpWave分析(図2d)では、基礎外群一式に基づくと、漢人_河南は遺伝的に黄河_LBIA/黄河_唐王朝/黄河_西周王朝と均質でした。ヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットのすべてのSNPに基づくf₄統計(ヨルバ人、X;黄河中流域古代人、漢人_河南)では、Xを多様なユーラシア西部関連祖先系統および中国南部関連祖先系統にすると、各黄河中流域古代人について、多くの有意な正のf₄値が得られました。塩基転換(transversion、略してTv、ピリミジン塩基とプリン塩基との間の置換)のみでf₄を計算すると、879点のf₄統計のうち7点のみで、有意なf₄値が得られました。次に、僅かか若しくは有意なf₄値が得られた各人口集団や匈奴および鮮卑を外群一式に追加することによって、同じ戦略が適用されました。単一の遺伝的供給源としての黄河_唐王朝もしくは黄河_西周王朝での1方向のqpAdmモデルは、漢人_河南について堅牢でした。本論文の混合モデルではさらに、現在の漢人_河南が、台湾_漢本関連祖先系統の僅かではあるものの優位でない水準の増加のある古代黄河中流域古代人と、同じ祖先構成要素の一式を有している、と確証されました(図2e)。
本論文では、中期~後期新石器時代にかけての遺伝的移行は、稲作農耕の強化と関連しているかもしれない[3]、最大で約8.5%となる追加の台湾_漢本的に北方への遺伝子流動によって特徴づけられる、と示されました。アジア東部南方のより広範な地域にまたがるさらなる標本抽出、とくに新石器時代の長江農耕民関連の古代人の標本抽出が、黄河_LNにおける中国南部的祖先系統を調べるのに必要で、それは考古学的観点から、龍山文化と関連する瓦店(Wadian)遺跡や平糧台(Pingliangtai)遺跡や郝家台(Haojiatai)遺跡の人々に、石家河(Shijiahe)などの文化が影響を及ぼしたからです。ヨーロッパにおける動的な人口史[9]と対比させると、政治形態の頻繁な変化にも関わらず、後期新石器時代以降の黄河中流域においては、大きな人口置換はなく、高水準の遺伝的連続性があります。過去3000年間の黄河中流域古代人は、後期新石器時代の龍山文化関連古代人と比較して、約1.5~2.7%とごく低水準のユーラシア西部関連祖先系統を受け取った黄河_唐王朝を除き、過去3000年間にわたり、仰韶文化関連祖先系統からだけではなく、五胡の乱において黄河中流域に侵入した匈奴および鮮卑からも遺伝子流動を受けた、チベット高原や東トルキスタンや中国南部からの遺伝子流動の痕跡を示しませんでした。
●明~清王朝期の1個体は中国南部の現代人と類似した遺伝的特性を示しました
本論文では1点の標本のみが、明王朝およびダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の黄河中流域古代人を表しています。興味深いことに、この個体はすべての先行する黄河中流域の個体および現在黄河中流域に暮らす人々と比較して、中国南部の個体群の方との余分な類似性を示しました。このゲノム調査結果はPCA(図1b)と教師無ADMIXTURE分析(図1c)とf₄統計(ヨルバ人、BaBanQinCen/台湾_漢本;X、黄河_明および清王朝)のf₄値によって一貫して裏づけられ、この場合のXは黄河中流域の各古代人集団および現在の漢人_河南を表しています。BaBanQinCenとは、Banda遺跡とQinCen遺跡とBalong遺跡を表します。外群f₃統計(黄河_明および清王朝、古代の人口集団;ヨルバ人)では、最高の兆候は他の黄河中流域古代人で観察され、それに続くのが、BaBanQinCenと台湾_漢本でした。外群f₃統計(黄河_明および清王朝、現在の人口集団;ヨルバ人)では、この個体のゲノムは、重慶市(漢人_重慶)や湖北省(漢人_湖北)など中国中央部の現在の漢人、広東省(漢人_広東)や福建省(漢人_福建)、タイ・カダイ語族話者のマオナン人(Maonan)やミャオ・ヤオ語族話者のシェ人(She)など中国南部から標本抽出されたさまざまな少数民族と、最も密接な遺伝的類似性を共有していました。
2方向qpAdmモデル化は、黄河_明および清王朝の祖先系統の寄与を、約43.5%の台湾_漢本と約56.5%の黄河_MN、もしくは約37.8%の台湾_漢本と約62%の後期新石器時代から唐王朝までのすべての蓄積された黄河流域古代人の混合として、定量化しました。この個体の中国南部関連祖先系統の高い割合がこの地域では観察されず、ダイチン・グルン前後の中国北部でさえ観察されなかったことを考えて、この個体は中原の明王朝およびダイチン・グルン期における主要な遺伝的特性を表しているのではなく、遺伝的外れ値だった可能性がより高い、と本論文は主張します。
黄河中流域からの標本抽出は時空間的規模では限られた個体数に依然として基づいており、中原の遺伝的多様性を完全には特徴づけていないかもしれないことに、要注意です。黄河中流域の人々がどのように分布したのか、ということと、その人口構造に関する理解を深めるには、黄河中流域全体の追加の個体群の古代DNA解析を実行するよう、さらなる研究が必要でしょう。
参考文献:
Ma H. et al.(2025): Ancient genomes shed light on the long-term genetic stability in the Central Plain of China. Science Bulletin, 70, 3, 333-337.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2024.07.024
Speidel L. et al.(2025): High-resolution genomic history of early medieval Europe. Nature, 637, 8044, 118–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08275-2
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[3]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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[4]Wang H. et al.(2023): Human genetic history on the Tibetan Plateau in the past 5100 years. Science Advances, 9, 11, eadd5582.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add5582
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[5]Kumar V. et al.(2022): Bronze and Iron Age population movements underlie Xinjiang population history. Science, 376, 6568, 62–69.
https://doi.org/10.1126/science.abk1534
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[6]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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[7]Tao L. et al.(2023): Ancient genomes reveal millet farming-related demic diffusion from the Yellow River into southwest China. Current Biology, 33, 22, 4995–5002.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.09.055
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[9]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
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