低品質のゲノムデータに基づく分析結果の訂正

 最近当ブログで、ヨーロッパの初期現生人類(Homo sapiens)のゲノムデータに関する研究(Sümer et al., 2025)を取り上げました。その研究では、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)で発見された初期現生人類6個体の新たな核ゲノムデータ(比較的高網羅率の1個体と低網羅率の5個体)と、以前にゲノムデータが報告されていた(Prüfer et al., 2021)、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体について、新たに比較的高網羅率のゲノムデータが報告されました。ズラティクン個体は、非アフリカ系現代人全員の主要な共通祖先である出アフリカ現生人類集団の系統において初期に分岐し、現代人にはほぼ遺伝的痕跡が残っていない集団を表している、と示されました(Prüfer et al., 2021)。イルゼン洞窟の初期現生人類6個体のゲノムデータを報告した研究(Sümer et al., 2025)では、イルゼン洞窟の6個体とズラティクン個体は遺伝的に同じ系統に分類され、イルゼン洞窟の2個体はズラティクン個体と5~6親等の親族関係にある、と示されました。

 別の先行研究(Bennett et al., 2023)では、クリミア半島南部のブラン・カヤ3(Buran Kaya III)遺跡の37000~36000年前頃となる2個体について、ズラティクン個体的な遺伝的構成の集団からの遺伝的寄与が示唆されていましたが、新たな研究(Sümer et al., 2025)では、より高品質なゲノムデータに基づくと、ズラティクン個体的な集団からの遺伝的寄与の確実な証拠は得られませんでした。この新たな研究(Sümer et al., 2025)によって、低品質なゲノムデータに基づく遺伝的関係の推測を大前提にしてはならない、と改めて反省させられました。ここでの低品質なゲノムデータとは網羅率が低いことで、ゲノムの汚染率の高さも関連します。低品質なゲノムデータに基づく結果が高品質なゲノムデータに基づく分析によって覆る可能性は、古代ゲノム研究では常に念頭に置くべきなのでしょう。

 そうした事例の一つが、1991年にアルプス山脈で発見されたアイスマン(Iceman)と呼ばれる有名なミイラです。アイスマンは以前の研究で、汚染率が高く低網羅率のゲノムデータに基づき、青銅器時代にヨーロッパに拡大した草原地帯集団と関連する遺伝的構成要素が示されましたが、その後の汚染率が低く高網羅率のゲノムデータに基づく研究では、アイスマンのゲノムに草原地帯的な遺伝的構成要素は確認されませんでした(Wang et al., 2023)。同一個体の人類遺骸でも、内在性DNAの保存状態は数mmの距離内でさえかなり異なるかもれない、と指摘されています(Hajdinjak et al., 2019)。その意味で、ある個体の低網羅率のゲノムデータに基づく知見が、同じ個体から高網羅率のゲノムデータが得られることによって訂正されることは、今後もありそうです。

 古代DNA研究では汚染の除去がずっと問題になってきており、汚染状況の手順が確立していなかった初期の古代DNA研究では、分析結果の訂正に留まらず、全否定に至ることもあります。その具体例が、オーストラリアで発見された8000年以上前や更新世とされる人類遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)が、現代人の変異内に収まらなかった、との研究(Adcock et al., 2001)を否定した研究(Heupink et al., 2016)です。以前の(Adcock et al., 2001)は、mtDNAの解析結果に基づいて現生人類アフリカ単一起源説に疑問を呈しましたが、新たな研究(Heupink et al., 2016)によって、ヨーロッパ系に汚染されたmtDNA配列を除いて以前の結果は否定され、現代人の変異内に収まらない人類のmtDNAは見つかりませんでした。試料汚染を除去できず、短い配列で系統樹を作成したため、間違っていた、というわけです。その後も、現生人類アフリカ単一起源説を否定するmtDNA研究はないようです。

 間違いと断定されたわけではないものの、分析結果の受容が問題になる別の事例として、宮古島の長墓遺跡の4000年前頃の個体(NAG016)があります。NAG016のゲノムデータは低網羅率で、重度の汚染があります(Jeong et al., 2023)。山口県下関市豊北町の弥生時代前期~中期の墓地である土井ヶ浜遺跡で発見された1個体(ST1604)のゲノムデータを報告した(Kim et al., 2025)ではNAG016も分析されており、K(系統構成要素数)=3のADMIXTURE分析では、NAG016は60%以上の「縄文人」的な構成要素と30%弱のシベリア北東部現代人的な構成要素の混合と示されています。長墓遺跡の2800年前頃の個体群は、ADMIXTURE分析では完全に「縄文人」的な構成要素を示しています。これは、長墓遺跡一帯には元々、シベリア北東部現代人的な遺伝的構成要素の集団が存在し、その後で「縄文人」的な遺伝的構成要素の集団が到来して、やがて後者が遺伝的に圧倒したとか、「縄文人」的な遺伝的構成要素の集団が存在していたところに、シベリア北東部現代人的な遺伝的構成要素の集団が到来し、一時的に遺伝的痕跡を残したとか想定できます。しかし、NAG016のゲノムデータは低網羅率で、重度の汚染があることを考えると、このADMIXTUREの分析結果は正確な遺伝的関係を反映していない可能性があり、この分析結果を大前提として「考察」することには慎重であるべきでしょう。


参考文献:
Adcock GJ. et al.(2001): Mitochondrial DNA sequences in ancient Australians: Implications for modern human origins. PNAS, 98, 2, 537–542.
https://doi.org/10.1073/pnas.98.2.537
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Bennett EA. et al.(2023): Genome sequences of 36,000- to 37,000-year-old modern humans at Buran-Kaya III in Crimea. Nature Ecology & Evolution, 7, 12, 2160–2172.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02211-9
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Hajdinjak M. et al.(2019): Doubling the number of high-coverage Neandertal genomes. The 9th Annual ESHE Meeting.
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Heupink TH. et al.(2016): Ancient mtDNA sequences from the First Australians revisited. PNAS, 113, 25, 6892–6897.
https://doi.org/10.1073/pnas.1521066113
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Jeong G. et al.(2023): An ancient genome perspective on the dynamic history of the prehistoric Jomon people in and around the Japanese archipelago. Human Population Genetics and Genomics, 3, 4, 0008.
https://doi.org/10.47248/hpgg2303040008
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Kim J. et al.(2025): Genetic analysis of a Yayoi individual from the Doigahama site provides insights into the origins of immigrants to the Japanese Archipelago. Journal of Human Genetics, 70, 1, 47–57.
https://doi.org/10.1038/s10038-024-01295-w
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Prüfer K. et al.(2021): A genome sequence from a modern human skull over 45,000 years old from Zlatý kůň in Czechia. Nature Ecology & Evolution, 5, 6, 820–825.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01443-x
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Sümer AP. et al.(2025): Earliest modern human genomes constrain timing of Neanderthal admixture. Nature, 638, 8051, 711–717.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08420-x
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