黒田基樹『増補 戦国大名』

 平凡社ライブラリーの一冊として平凡社より2023年4月に刊行されました。本書は、平凡社新書の一冊として2014年1月に刊行され、その増補版となります。本書の親本は私も購入して読みましたが(関連記事)、本棚にあるはずなのに、あまりにも乱雑に管理していて見つけられなかったこともあり、本書を購入しました。まあ、補論2本が追加されているので、親本を本棚ですぐに見つけていても、購入する予定でしたが。すでに親本を当ブログで取り上げているので、補論を中心に興味深い見解について、以下に述べていきます。

 本書は戦国大名についてのたいへん有益な一般向けの解説である、との認識は、10年以上に親本を読んだ時も今回(補論を除いて)再読しても変わりません。戦国大名について、「自分の力量」での領国支配を重視し、支配基盤としての「村(大名は個々の百姓ではなく村単位で把握していました)」と権力基盤としての「家中」から構成され、それらをもとに広範な一定領域(領国)を排他的・一円的に支配している、との本書の定義は、今でも基本的には有効なのではないか、と思います。ただ、親本を読んだ時と同様に、残存史料の問題があるとはいえ、分析対象がほとんど東国大名、それも大半が後北条家であることは気になりました。

 それと関連して今回の再読で気になったのは、流通の問題が取り上げられているものの、本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」外との関係についてほとんど言及されていないことです。戦国時代において日本列島「本土」外との関係が盛んだったのは、西日本、とくに九州の大名でしょうから、本書でほとんど言及されないのも仕方ないとは思いますが、こうした日本列島「本土」外との関係が、戦国大名の地域差を生み出しているのか、そうだとして、どのように違うのか、気になるところです。これに関しては、関連する本を読み、知見を増やしていくしかないのでしょう。

 親本でも、戦国大名研究と織豊政権研究との間の乖離が憂慮されていましたが、本書の補論では、それを強く意識してか、兵農分離が取り上げられていました。中世を兵農未分離、近世を兵農分離と把握し、中世と近世の決定的な違いとする見解は、今でも堅持されているそうです。しかし、すでに中世において「兵」と「農」は分離しており、百姓から「兵」への転換やその逆は頻繁に生じており、近世においてその頻度が大きく低下したとしても、消滅したわけではないことが指摘されています。戦国時代におけるこうした身分転換については、戦争の日常化が背景として指摘されており、「元和偃武」と言われるような戦国時代の終焉によって、そうした状況が大きく変わり、近世初期に頻繁に起きた大名の滅亡や国替えを経て、戦国時代には珍しくなかった在村被官がなくなっていき、「武士」か百姓かという二分化が展開し、そうした動向が「兵農分離論」を生み出したのではないか、と本書は把握しています。「兵農分離」は政策として進められたのではなく、戦乱の終結による社会現象として理解すべきだろう、というわけです。

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