ドイツの初期現生人類のゲノムデータ
ドイツで発見された初期現生人類(Homo sapiens)遺骸のゲノムデータを報告した研究(Sümer et al., 2025)が公表されました。この研究の概要は、すでに一昨年(2023年)9月にヒト進化研究ヨーロッパ協会第13回総会で報告され、当ブログで取り上げており(関連記事)、その頃からたいへん注目していたので、学術誌への掲載を待ちわびていました。じっさい、本論文が提示する知見は私にとってたいへん興味深いもので、個人的な関心で言えば、近年読んだ論文でも最上位を争うくらいです。古人類学の具体的な問題への私の関心は、昔と変わってきたところもありますが、昔も今も、現生人類のアフリカからの初期の拡散と、そのさいの、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)などの非現生人類ホモ属と現生人類との関係に最も高い関心を抱いていることはずっと変わらず、今後も関連する最新研究をできるだけ当ブログで取り上げていきたいものです。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
本論文は、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)で発見された初期現生人類6個体の核ゲノムデータ(比較的高網羅率の1個体と低網羅率の5個体)を新たに報告しています。本論文はさらに、すでに核ゲノムデータが解析されていた[3]、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体について、新たに比較的高網羅率のゲノムデータを報告し、既知の古代人および現代人の核ゲノムデータと比較しています。ズラティクンとは、黄金の馬(アハルテケ)という意味です。
ズラティクンと関連する人工遺物は、特定の文化的技術複合に確定的に分類できていませんが、イルゼン洞窟の初期現生人類と関連している人工遺物はLRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)と分類されています[4]。LRJは、ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期」の技術複合体の一つとされており、他には、イタリア半島を中心に分布するウルツィアン(Ulzzian、ウルツォ文化)や、ヨーロッパ中央部に分布するセレッティアン(Szeletian、セレタ文化)などがあります。
すでに、ズラティクンは出アフリカ現生人類において初期に分岐した系統で、非アフリカ系現代人への遺伝的影響はほぼなかった、と示されていましたが[3]、本論文で提示されたズラティクンの比較的高網羅率のゲノムデータでもその見解が改めて確証されました。さらに、イルゼン洞窟の初期現生人類6個体とズラティクンとが遺伝的に近く、同じ系統に分類できるだけではなく、イルゼン洞窟の初期現生人類のうち2個体が、ズラティクンと5~6親等程度の親族関係にあることも特定されました。ズラティクンの年代は不確実でしたが[3]、これでズラティクン個体の年代も45000年前頃と明らかになりました。
ズラティクンには、非アフリカ系現代人全員と共通するネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺伝子流動以外に、ネアンデルタール人からの遺伝子流動が確認されませんでした[3]。イルゼン洞窟の初期現生人類6個体のゲノムでも、約2.9%と非アフリカ系現代人よりも高い割合のネアンデルタール人に由来する領域が推定されたものの(非アフリカ系現代人全員の祖先集団では、選択によってゲノムにおけるネアンデルタール人由来領域の割合がさらに低下した可能性も考えられます)、49000~45000年前頃と推定される、非アフリカ系現代人全員の共通祖先におけるネアンデルタール人との(複数の世代にまたがっていたかもしれない)単一の混合事象以外の、ネアンデルタール人からの遺伝子流動は確認されませんでした。
ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)では、イルゼン洞窟の初期現生人類と近い年代の現生人類個体群が確認されていますが、そのゲノムには、非アフリカ系現代人全員の共通祖先におけるネアンデルタール人との単一の混合事象以外の、ネアンデルタール人からの遺伝子流動が確認されています[2]。イルゼン洞窟の初期現生人類集団が存在した頃には、ヨーロッパにはまだ後期ネアンデルタール人が存在しましたが、当時のヨーロッパにおいて、初期現生人類と後期ネアンデルタール人の人口密度は低く、接触が頻繁ではなかったのかもしれません。
本論文は、現代人にはほとんど遺伝的影響を残さなかった、アフリカからユーラシアへと拡散した初期現生人類集団が珍しくなかったこと(関連記事)を、改めて示唆しているように思います。また、先行研究[22]ではズラティクン個体的な遺伝的構成の集団からの遺伝的寄与が示唆された、クリミア半島南部のブラン・カヤ3(Buran Kaya III)遺跡の37000~36000年前頃となる2個体について、より高品質なゲノムデータに基づくと、ズラティクン個体的な集団からの遺伝的寄与の確実な証拠は得られませんでした。低品質なゲノムデータに基づく遺伝的関係の推測を大前提にしてはならない、と改めて反省させられました。
LRJはヨーロッパ北西部および中央部にかけて広く存在していたので、ヨーロッパに広範に拡散した初期現生人類集団はほぼ絶滅した、と考えられます。ズラティクン個体とラニス個体群によって表される集団の人口規模は小さかった、と推定されており、気候変動などへの対処に大規模な人口規模の集団よりも脆弱だったのかもしれません。ただ、LRJの担い手がズラティクン個体やイルゼン洞窟の初期現生人類個体群のような遺伝的構成の集団だけだったのか、そもそもLRJを単一の技術複合体と把握できるのか、といった問題もあります。それでも、45000年前頃のヨーロッパに、現在ではほぼ絶滅した考えられる集団が少なくとも一定範囲にわたって存在した可能性はきわめて高そうで、人類史において特定地域における現在にまで続く人類集団の遺伝的連続性を安易に想定してはならない、と改めて強調しておきたいところです。
●要約
現生人類は45000年以上前にヨーロッパに到達し、ネアンデルタール人と少なくとも5000年間にわたって共存しました[1~4]。これら初期現生人類から得られた限定的なゲノムデータでは、少なくとも二つの遺伝的に異なる集団がヨーロッパに居住しており、それはチェコ共和国のズラティクン個体[3]と、ブルガリアのバチョキロ洞窟個体群[2]によって表される、と示されてきました。本論文は、ドイツのラニスのイルゼン洞窟の45000年前頃の遺骸[4]から得られた1個体の高品質なゲノムおよび5個体の低品質なゲノムと、ズラティクン個体から得られたさらなる高網羅率のゲノムの分析によって、初期現生人類の理解を深めます。本論文では、ラニス個体群とズラティクン個体をつなぐ遠い親族関係があり、これらの個体群は、出アフリカ【現生人類】系統からの既知の最も深い分岐を表している同じ小さく孤立した人口集団の一部だった、と示されます。ラニス個体群のゲノムには、49000~45000年前頃となる非アフリカ系現代人全員と共有されている単一の混合事象に由来する、ネアンデルタール人断片があります。これが示唆するのは、非アフリカ系現代人全員の祖先がこの時点で共通の人口集団に属していたことで、アフリカ外の5万年以上前の現生人類遺骸は、異なる非アフリカ系人口集団を表している、とさらに示唆されます。
●研究史
ネアンデルタール人は4万年前頃の消滅[1]の前に、数十万年もヨーロッパとアジア西部に居住していました。記録されている存在の最期の数千年間に、ネアンデルタール人はアフリカから到来した現生人類と遭遇して交雑し、結果として、非アフリカ系現代人の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の2~3%はネアンデルタール人に由来します[6]。
これまで、4万年以上前に生きていた、したがってネアンデルタール人と時間的に重複していた現生人類のゲノム規模データは、わずか5ヶ所の遺跡から得られました(図1)。これらの遺跡のうち2ヶ所から得られたゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統はおそらく、単一の遺伝子移入事象(つまり、数世代にわたって続いたかもしれないネアンデルタール人との混合)に由来しました[3、7]。しかし、他の3ヶ所の遺跡の個体群のゲノムは、追加となるより新しいネアンデルタール人からの遺伝子移入事象の証拠を示しました[2、9]。シベリアの初期【現生人類】住民となる、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’ Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44000年前頃となる現生人類1個体(ウスチイシム個体)の高網羅率のゲノムは、この個体が生きていた30~50世代前の追加の遺伝子移入事象の兆候を示しています[3、9]。同様の分析では、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」の4万年前頃の1個体(PO1号)と、ブルガリアのバチョキロ洞窟の44000年前頃の4個体[2]が、おそらくはこれらの個体が生きていた前の過去10~20世代以内にネアンデルタール人の祖先を有していた、と示されてきました。対照的に、中国の北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(田園個体)、もしくはチェコ共和国のズラティクン個体[3]では、追加の【ネアンデルタール人との】混合の証拠が見つかりませんでした。ズラティクン個体では信頼できない放射性炭素年代測定結果が得られましたが、そのゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統断片の長さは、少なくとも45000年前頃の年代を示唆しました[3]。以下は本論文の図1です。
アジア東部の祖先人口集団の一部だった田園個体を除いて、上述の全個体は、その後の出アフリカ【現生人類】人口集団への、皆無かせいぜい限定的な直接的寄与を示しました。とくに、ズラティクン個体は他の既知の古代若しくは現在の出アフリカ【現生人類】人口集団よりも早くに非アフリカ系現代人につながる系統から分離し、現時点ではこの初期の枝の唯一の代表である、深く分岐した人口集団に属していました[3]。
ヨーロッパには独特な石器技術が5万~4万年前頃に存在していましたが、ゲノム規模データが得られた5ヶ所の初期現生人類遺跡のうち1ヶ所のみが、そうした技術、つまりバチョキロ洞窟のIUP(Initial Upper Paleolithic、初期上部旧石器)と関連しています。したがって、どの石器技術複合体が初期現生人類やネアンデルタール人集団によって製作されたのか、依然として激しく議論されています。最近、47500~41000年前頃のヨーロッパ北西部に存在したLRJ技術複合体は初期現生人類によって製作された、と示されました[4]。この割り当ては、遺跡の2下位の別々の発掘中(1932~1938年と2016~2022年)にドイツのラニスのイルゼン洞窟(以後はラニスと呼ばれます)で発見された11点の骨の断片から得られた、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究に基づいていました。これらの骨の断片の較正年代は直接的に放射性炭素年代測定され、49540~42200年前頃の間でした(95.4%の確率)。
ラニス個体群の他の人口集団との関係を判断し、これら初期現生人類の遺伝的歴史へのさらなる洞察を得るために、まずラニスの13点の標本から浅いショットガン配列を生成することによって、DNAの保存状態が評価されました。これらの標本のうち2点から得られたデータは下流分析から除外され、それは、古代DNAの損傷の特徴的パターンに基づく検証において、この2点が高い割合の現代人のDNA配列汚染を示したからです。しかし、1点の標本は例外的な保存状態(古代の個体に由来する30%のDNA配列)を示しました。したがって、この標本からさらなるショットガン配列が生成され、24倍の網羅率のゲノムが得られました。新たに構築されたDNAライブラリと既存のDNAライブラリに基づいて、ズラティクン個体でもさらなる配列が生成され、20倍の網羅率のゲノムが得られました。この両方の高網羅率のゲノムデータでは、約3%の現代人の汚染が推定されました。以下はズラティクン個体の想像図です。
ラニス標本は、集団遺伝学的分析に適した120万個の多様体(124万配列)[15]と、ネアンデルタール人およびデニソワ人祖先系統の情報をもたらす170万個の多様体[16]で、標的濃縮が行なわれました。これらの標本のうち2点が除外されたのは、不充分なデータ(網羅率が0.02倍未満)が得られたか、高度に汚染されていた(20%以上)からです。5%以上の汚染推定値のある9点の標本のうち5点については、汚染を減らすために、古代DNA損傷の特徴的パターンを有する配列に分析が限定されました。ゲノムの親コピー間の違いのない領域の使用による汚染推定手法を用いて[17]、9点の標本すべてについて、選別されたデータには5%未満のヒトの汚染が含まれている、と推定されます。
●親族関係と片親性遺伝標識
複数のラニス標本は同一のmtDNAを共有しており、同じ個体を表しているかもしれません。何人の異なる個体がラニスの9点の標本によって表されているのか判断するために、常染色体およびX染色体のデータを用いて、全個体の遺伝的性別および生物学的親族関係が推測されました。その結果、5点の標本が別々の個体(ラニス4・6・10・87号と、高網羅率のゲノムが得られたラニス13号)に由来するのに対して、残りの標本4点はすべて同じ個体(ラニス12号)に属していた、と分かりました(図2a)。ラニス12号の4点の標本のうち3点が元々の1932~1938年の発掘中に発見されたのに対して、1点の標本は2016~2022年の発掘中に発見されました。これらの骨の断片は広い領域に分散しており、2回の発掘の層序系列を結びつけます。以下は本論文の図2です。
同じ個体ラニス12号の別々の標本では予測されたように、4点の標本はすべて同じ遺伝的性別(女性)と同一のmtDNAを有していました。別の個体のラニス10号も同じmtDNA配列を共有していますが、この個体は男性で、ラニス12号と密接な親族ではないようです(図2a)。ラニス4号および6号も、先行研究[4]で同じmtDNAを有する、と特定されました。本論文の分析から、これらの個体の両方【ラニス4号および6号】とも女性で、親子関係を示す、と示唆されます。ラニス6号は標本の大きさに基づくと5歳未満の子供で、ラニス4号とラニス6号は母親と娘だった、と示唆されます。より遠い2もしくは3親等の関係も、ラニス4号とラニス12号で検出されました。
6個体のうち3個体(ラニス13・87・10号)は男性と特定されました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)については、捕獲およびショットガン配列決定データから、ラニス10号のY染色体ハプログループ(YHg)が基底部のFに割り当てられたのに対して、ラニス13号とラニス87号は、シベリアの古代人であるウスチイシム個体と同様に、YHg-NO(K2a)に割り当てられました。男性3個体の間で、生物学的親族関係の証拠は検出されませんでした。
●ズラティクン個体とラニス個体群のつながり
まとめると、これらの結果から、ラニス個体群は少なくとも部分的には家族関係によって密接に結びついた集団に属していた、と示されます。しかし、本論文で適用された親族関係分析は、最大3親等までの関係しか確実に推測できません。より遠い近縁性を推測するために、充分な網羅率のあるラニスの4個体とズラティクン個体のゲノムで、共有された遺伝的祖先系統の断片、つまり同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)を検出する手法が用いられました。ラニス4号および12号の以前に検出された親族関係と一致して、IBD分析は共有された祖先系統断片に基づいて3~4親等の関係を示唆します。しかし、驚くべきことに、12 cM(センチモルガン)以上となる長い共有された断片の合計は、ズラティクン個体とラニス12号との間では301cM、ズラティクン個体とラニス4号との間では268cMとなり、他のラニス個体で共有されるそうした長い断片の合計(205cM未満)を上回っていました(図2c)。これらの断片の長さと頻度から、ズラティクン個体はラニス12号および4号の5もしくは6親等の親族で、他のラニス個体とはより遠い親族関係だった、と示唆されます。
ズラティクン個体と一部のラニス個体は、その最近の家族史において祖先を共有していました。したがって、これらの個体はすべて同じ人口集団に由来する、と考えられます。他の4万年以上前の狩猟採集民との比較で、対での外群f₃統計の計算によって、この仮説が検証されました。ズラティクン個体とラニス個体群との間の対での比較から、他の狩猟採集民とラニス個体群との比較よりも一貫して高い値が得られ、ズラティクン個体とラニス個体群が同じ人口集団の一部だった、と示唆されます。ラニスの全個体のデータが統合され、ラニス個体群の組み合わされたデータもしくはズラティクン個体が古代の狩猟採集民とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しているのかどうか、検証するために、f₄統計が計算されました。ズラティクン個体とラニス個体群が均一な集団を形成する、とのモデルから予測されるように、共有において有意な違いは見つかりませんでした。
ラニス13号とズラティクン個体の高網羅率のゲノムのみを用いて、qpGraphで人口集団の関係も検証されました。この2個体【ラニス13号とズラティクン個体】のうち一方を他方の祖先に位置づけるモデルは、両者の共通の枝を確立するモデルよりも、データへの適合度が低くなりました。ラニス13号とズラティクン個体のこの共通の枝は、バチョキロ洞窟個体群につながる系統よりも、祖先出アフリカ【現生人類】系統からの分離が早くなります。この共通の枝に対応する人口集団も、momi2推測手法を用いての組み合わされたモデルにおける、ウスチイシム個体のゲノムによって表される人口集団よりも、出アフリカ【現生人類】系統から早く分岐します。したがって、ラニス個体群とズラティクン個体は同じ人口集団の構成員で、以後はズラティクン/ラニス人口集団と呼ばれます。
●人口連続性
その後の人口集団の祖先系統がズラティクン/ラニスから直接的に由来するのかどうか検証するために、124万捕獲配列によって対象とされる部位を用いて、アレル共有が測定されました。f₄形式(狩猟採集民、狩猟採集民;ラニス13号、ムブティ人)での狩猟採集民集団の対での比較では、有意なアレル共有のいくらかの証拠が見つかりました(2701点の比較のうち151点で|Z| > 3)。しかし、一部の人口集団がそのゲノムに、アフリカ人もしくはネアンデルタール人から祖先系統を受け取る前に非アフリカ人から分岐した祖先の1系統(基底部ユーラシア人系統)から、深く分岐した祖先系統を有している、と知られています。本論文の比較では、すべての有意な結果はこれらの祖先系統によって説明できる、と分かりました。本論文の結果から、ズラティクン/ラニスはその後の狩猟採集民に祖先系統をもたらさなかった、と示唆され、低網羅率のズラティクン個体のデータを用いた以前の分析[3]を確証します。
しかし、これらの結果とは対照的に、クリミア半島南部のブラン・カヤ3遺跡の37000~36000年前頃となる2個体の低網羅率のゲノムに関する最近の研究[22]は、この2個体へのズラティクン祖先系統の寄与の証拠と解釈できる兆候を見つけました。検定において統計的検出力を最大化するために、ズラティクン個体とラニス13号とウスチイシム個体の高網羅率のゲノム、およびロシアの低網羅率の初期ヨーロッパ狩猟採集民のゲノム[23、24]との比較で、ブラン・カヤ3遺跡の組み合わされたデータで網羅されている全ての部位が含められました。ロシアの低網羅率の初期ヨーロッパ狩猟採集民のゲノムとは、考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の個体であるコステンキ14号[24]と、スンギール(Sunghir)遺跡の個体群[23]です。このデータセットでは、f₄形式(コステンキ14号/スンギール1~4号、ブラン・カヤ3;ズラティクン/ラニス13号/ウスチイシム、ムブティ人)の75点の比較において|Z| < 3で、共有増加の兆候を再現できませんでした。本論文の結果から、ズラティクン/ラニス人口集団はウスチイシム個体やPO1号と同様に[2]、その後の出アフリカ現生人類への寄与を示さない、と示唆されます。
●人口規模
ヨーロッパにおけるズラティクン/ラニス人口集団の構成員の初期の出現と、その後のヨーロッパ人との遺伝的連続性の欠如や、複数の考古学的遺跡にまたがってさえ個体間の密接な親族関係が特定されたことから、この初期の現生人類集団はかなり小さかった、と示唆されます。個体の過去のさまざまな時期における、世代あたりの繁殖した個体数に相当する有効人口規模について、いくつかの測定は情報をもたらすことができます[25]。より長い期間にわたる人口規模の大まかな推定値は、1個体が両親から継承する2組の染色体間で観察される配列の違い(異型接合性)の平均数から推測できます。1万ヶ所の部位あたり約2ヶ所の異型接合部位が観察されるネアンデルタール人のゲノムとは対照的に、ラニス13号とズラティクン個体のゲノムは異型接合性の4倍高い値(1万ヶ所の部位あたり約7~8ヶ所)を示し、これはアフリカ外の他の古代および現在の現生人類の推定値と一致します。
人口規模の長期の測定は、同型接合連続領域(regions of homozygosity、略してROH)、つまり、1個体の家族史における近親婚によって形成される、殆ど若しくは全く異型接合部位のない領域に基づく短期の推定値とは対照的です。4cM以上のROHの断片はラニス13号とズラティクン個体の両方で観察され、それぞれゲノムの合計5.2%と7.2%を占めます。同等の値は、45000年前頃となるクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人で見られますが(7.0%)、両者【ラニス13号とズラティクン個体】の値はウスチイシム個体(3.7%)での観察よりかなり高くなります。ラニス13号とズラティクン個体の歴史における近親婚の大半は、この2個体が生きていた数世代前に起きたようで、それは、合計ROHの40~50%が12cMかそれ以上の断片にあるからです。しかし、この水準のROHは、アルタイ地域のネアンデルタール人で観察されたような、これらの個体の両親の間の密接な家族関係ではなく、ごく近い過去における小さな人口規模に起因します。
長いROHは、hapROH手法[28]を用いての124万捕獲部位の分析によって、低網羅率のデータからも推測できます。ラニス個体群の低網羅率のゲノムの本論文の分析では、ある程度の水準の近い過去の近親交配に加えて、約300個体(95%信頼区間では242~374個体)の規模の小さな人口集団によって説明できる、近親婚の大まかに類似したパターンが見つかりました。この推定値は、過去50世代内の人口規模を大まかに反映しています。
小さな有効人口規模は、病原体への適応する個体の能力に悪影響を及ぼすかもしれません。そこで、ヒトゲノムにおいて最も多型的な遺伝子座の一つである、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)遺伝子座における遺伝的多様性が分析されました。HLA遺伝子座5個のうち、1個はズラティクン個体のゲノムで、3個はラニス13号のゲノムにおいて同型接合でした。これらの遺伝子座はゲノムの長いROH断片に位置しておらず、同型接合性はおそらく、近親婚ではなく小さな人口規模によって起きている、と示唆されます。HLA領域の同様の水準の同型接合性は、孤立した現代人集団でのみ観察されます。
表面的に受け取ると、異型接合性の水準は、ラニス13号およびズラティクン個体のゲノムにおける近親婚の兆候と矛盾しているようです。しかし、PSMC(pairwise sequentially Markovian coalescent、対での逐次マルコフ合着)手法[25]を用いての経時的な有効人口規模の分析から、両個体【ラニス13号およびズラティクン個体】は出アフリカ事象と関連していた人口規模の強い減少の直後に生きていた、と示されます。この減少は、他の非アフリカ人と一致する観察された水準を説明するでしょう。しかし、本論文のROH分析から、ズラティクン/ラニス人口集団は祖先がヨーロッパに移動してきた時に、全体的な異型接合性をかなり減少させるのに充分なほどには長く続かなかった、さらなる規模の減少を経ていた、と推測されます。ズラティクン/ラニス人口集団の小さな規模は、高網羅率の2個体【ラニス13号およびズラティクン個体】のゲノム間の共有IBD断片によっても裏づけられ、過去15世代にわたる約160個体(95%の確率で100~240個体)内の有効人口規模の推定値が得られました。
●ズラティクン個体の年代
放射性炭素年代測定では、ラニス13号の年代は約45000年前頃ですが[4]、ズラティクン個体の信頼できる直接的な年代は確立しておらず、これは恐らく、ズラティクン個体の頭蓋が動物性産物由来の接着剤で処理されたためです[3]。しかし、共有されているIBD断片に基づくと、ラニス13号とズラティクン個体は相互に、おそらく3世代離れて生きていて、確実に最大15世代以内となり、ズラティクン個体の年代も同様に45000年前頃と示唆されます。両個体【ラニス13号およびズラティクン個体】の高網羅率のゲノムによって、二つの手法を用いての分子データのみに基づく年代の推定が可能となり、それは、(1)現代人のゲノムと比較しての古代人1個体における変異の欠如に基づく年代推定値[9、27]と、さまざまな年代のゲノムからのPSMCによって推定された、人口統計学的歴史の変化に基づく推定値[32]です。これら二つの手法を高網羅率の2個体【ラニス13号およびズラティクン個体】のゲノムに適用すると、大きな不確実性はあるものの、48000~47000年前頃の点推定値が得られました。この年代と一致して、乳糖耐性や明るい色素沈着やより明るい髪の色などヨーロッパ現代人における典型的な高頻度表現型の多様体が、ラニス13号およびズラティクン個体両方のゲノムに存在しない、と分かりました。
●ネアンデルタール人の祖先系統と年代測定
非アフリカ系現代人全員には、ネアンデルタール人に由来する低い割合の祖先系統があります。ラニス個体群とズラティクン個体におけるネアンデルタール人祖先系統を調べるために、断片検出手法であるadmixfrog[33]の第0.7.1版が使用され、この手法は高網羅率のラニス13号およびズラティクン個体のゲノムについて、2.9%(95%信頼区間の統合では2.8~3.0%)のネアンデルタール人祖先系統を推定しました(図3a・b)。検出された断片は平均的に、他の高網羅率の古代の狩猟採集民のゲノムより長くなります(図3c)。ラニスの低網羅率の3個体(ラニス4・12・87号)には、断片の呼び出しに充分なデータがあり、同様の推定値が得られました(95%信頼区間の統合では2.7~3.3%)。以下は本論文の図3です。
ズラティクン/ラニス人口集団の構成員はネアンデルタール人とヨーロッパで共存していたので、その歴史において近い過去にネアンデルタール人の祖先がいた可能性はあります。ヨーロッパの4万年以上前の現生人類に関する以前の分析は、ネアンデルタール人とのそうした二次的な混合の証拠を明らかにしました[2]。ズラティクン/ラニス人口集団の個体群におけるネアンデルタール人祖先系統が、1回のみもしくは複数回の遺伝子移入事象との仮定に最良に適合するのかどうか、検証するために、断片の分布が1回のみの指数分布もしくは2回の指数分布の混合に適合させられました。さらに、ラニス13号およびズラティクン個体の高網羅率のゲノムに、呼び出される断片を必要としない、年代測定手法が適用されました。両方の手法は、単一の遺伝子移入事象との仮定の方へと、データがより良好に適合していることを見つけました。
ネアンデルタール人祖先系統の1世代のみの波動を仮定すると、ラニス個体群およびズラティクン個体は、混合から56~98世代(適用された全手法の95%信頼区間の統合)後に生きていました。しかし、おそらくは複数世代にわたる連続的な混合のより現実的なモデルがさらに良好な適合を提供し、ラニス個体群およびズラティクン個体が生きていた約80世代前に混合は起きた、と推定します。非アフリカ系現代人に関する以前の分析は、ネアンデルタール人祖先系統が存在せず、おそらくは混合の直後の強い負の選択によって形成された、5ヶ所の大きな染色体領域(ネアンデルタール人砂漠)を特定しました[35~37]。ラニス個体群のゲノムは、砂漠領域に位置するネアンデルタール人断片を示しません。しかし、1番染色体上の砂漠内に位置する、ズラティクン個体における以前に報告された断片[3]が確証されます。したがって、砂漠領域のほとんどは、混合後約80世代以内に確立されました。
本論文の分析から、ズラティクン/ラニス人口集団は、他の非アフリカ系現生人類につながる系統から初期に分岐し、現代人には子孫を残さなかった、と示唆されます。したがって、ズラティクン/ラニス人口集団が有するネアンデルタール人のDNAは、現在のすべての出アフリカ人口集団で特定されたネアンデルタール人のDNAをもたらした、別々の事象によってもたらされたかもしれません。こうした遺伝子移入事象が同じなのか異なるのか検証するために、ラニス13号およびズラティクン個体の高網羅率のゲノムにおけるネアンデルタール人断片が、世界規模の現在の現生人類274個体および古代の現生人類57個体[38、39]におけるネアンデルタール人断片と相関させられ、(2)現代人2000個体と高網羅率の古代人5個体のゲノムでも見られる、ズラティクン個体もしくはラニス個体のゲノムにおけるネアンデルタール人断片の端の割合が計算されました。両手法は相関もしくは共有の過剰を見つけ、ズラティクン/ラニス個体群を含めて、非アフリカ系のすべての古代人および現代人はネアンデルタール人からの遺伝子移入の1回の共有される波動によって最適に説明される、と示唆されます。
ラニス個体群は非アフリカ人すべてに共通する1回の混合に由来するネアンデルタール人祖先系統を有しているので、この事象以降の推定世代数(56~98世代)は、29年の仮定された世代時間[41]、およびラニス13号の直接的な放射性炭素年代(較正年代で46580~43400年前頃)と組み合わせることができ、共通のネアンデルタール人との混合の改訂年代は49000~45000年前頃となります。
●考察
この研究では、ラニスの6個体から得られた核ゲノムが分析されました。その結果、ラニスの6個体は、世代あたり数百個体だった、小さく孤立した人口集団の構成員だった、と分かりました。これらの個体で、母親と娘の組み合わせを含めて、密接な生物学的近縁性の個体も特定されました。ネアンデルタール人との混合以降の世代数の推定値は一貫して、ラニス個体群では約80世代に近く(図3d)、その放射性炭素年代は重複しており、これらの個体が相互に近い時期に生きていたことを示唆しています。これは、処理された動物遺骸の低い割合や、火の使用の限定的な証拠や、遺跡における低い人工遺物密度などの考古学的証拠と一致し、これらは洞窟の短期の居住を示します[4、42]。ドイツのラニスから約230km離れた、チェコ共和国のズラティクン個体についても、高網羅率のゲノムが生成され、分析されました。このズラティクン個体とラニスの2個体との5もしくは6親等の関係が推測され、ズラティクン個体はラニス人口集団の多様性内に収まり、ズラティクン/ラニス人口集団が小さな集団規模だったことと一致する、と示されました。ラニス個体群はLRJ技術複合体と関連しているので、ズラティクン個体もLRJの製作者だったかもしれません。この関連性は、ズラティクンから約10km離れた洞窟遺跡であるナド・カチャケム(Nad Kačákem)遺跡を含めて、チェコ共和国の数ヶ所のLRJ遺跡によってさらに裏づけられます。
ブルガリアのバチョキロ洞窟のほぼ同時代の個体群のゲノムとは対照的に、ラニス個体群およびズラティクン個体のゲノムは最初の混合後の追加のネアンデルタール人の祖先の証拠を示しませんでした。ネアンデルタール人とのさらなる混合は、ズラティクン/ラニス人口集団の短期の存在および/もしくは小さな規模によって妨げられたかもしれません。しかし、バチョキロ洞窟およびズラティクン/ラニス人口集団は、ヨーロッパへの移動経路に沿ってネアンデルタール人との遭遇頻度も異なっていたかもしれません。
ズラティクン/ラニス人口集団はこれまでに標本抽出された出アフリカ【現生人類】集団からの最古級の分岐を表しており、本論文の結果から、この分岐は、ズラティクン/ラニス人口集団が生きていたわずか約80世代前に起きた、ネアンデルタール人からの遺伝子移入事象の直後に発生した、と示されます(図4)。本論文では、このネアンデルタール人祖先系統は、すべての他の非アフリカ人で検出でき、57000~52000年前頃[9]や65000~47000年前頃や54000~41000年前頃といった、ほとんどの以前の推定値に近いか、より新しい、49000~45000年前頃となる同じ混合事象に由来する、と示されます。本論文の推定値の狭い信頼区間は、ラニス13号が混合事象にひじょうに近いことと、ラニス13号の正確な放射性炭素年代に起因します。以下は本論文の図4です。
ネアンデルタール人祖先系統はすべての非アフリカ系現代人の祖先に広がったはずなので、その推定値は、一貫した祖先の非アフリカ系人口集団がまだ存在したはずの年代も提供します。これがさらに示唆するのは、アフリカ外で見つかった5万年前頃以前の現生人類の遺骸と物質文化はこの非アフリカ系人口集団を表さないだろう、ということです。代わりに、そうしたアフリカ外の5万年前頃以前の現生人類の遺骸と物質文化は、別の出アフリカ移住から生じたか、あるいは、非アフリカ系現代人の祖先からより早くに分岐し、ネアンデルタール人との共有された混合事象の一部ではなかった人口集団を表しています。別の古代型【非現生人類ホモ属的な】系統であるデニソワ人からの祖先系統を有しているすべての人口集団は、この共有された事象からのネアンデルタール人祖先系統も有しているので、【非アフリカ系現代人の一部の祖先集団と】デニソワ人との混合は49000~45000年前頃以後と推測できます。謎めいた基底部ユーラシア人系統や、ヨーロッパおよびアジアへの現生人類の移動の最初の波など、出アフリカ移住の頃とそれに続く事象を解明するには、古代ゲノムと化石と物質文化のさらなる研究が必要でしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
進化:最古の現生人類ゲノムから、4万5,000年前にネアンデルタールとの混血があったことが判明
約4万5,000年前に生息していたヨーロッパの初期現代人類のゲノムの解析により、ネアンデルタール人(Neanderthals)と現代人類の混合時期について、より正確な年代が示された。ネアンデルタール人と現生人類の混合は、4万5,000年から4万9,000年前の単一の出来事であり、これは以前の推定よりも新しいことを報告する論文が、Nature に掲載される。この発見は、初期の現生人類の人口統計とアフリカ大陸外への最初の移住に関する洞察を提供する。
現生人類は、4万5,000年以上前にヨーロッパに到達し、少なくとも5,000年間はネアンデルタール人と重複していた。少なくとも2つの遺伝的に異なる初期の現生人類グループがヨーロッパに生息していた。これらのグループは、ブルガリアのバチョ・キロ(Bacho Kiro)とチェコのZlatý kůňという名の女性によって代表されている。Zlatý kůňは、アフリカを出発した系統から分岐した最も初期の集団の一部であり、ネアンデルタールとの混合は1回だけだったことを示唆している。しかし、バチョ・キロの古代の個人の祖先は、2回の混合を示唆している。最近の研究では、ドイツのラニス(Ranis)にあるイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)の骨片の放射性炭素年代測定により、約4万1,000–4万9,500年前の中部および南部ヨーロッパに初期の現生人類が存在していたことが確認された。しかし、これらの個体が当時ヨーロッパに存在していた他の集団とどのように関係しているのかは不明である。
Arev Sümerらは、約4万5,000年前と推定されるラニスの骨片から分離した、1つのカバレッジ(被覆率)が高いゲノムと5つの被覆率が低いゲノムを分析した。また、Zlatý kůňの被覆率が高いゲノムも分析し、ラニスの2人の個体と5–6等度の遺伝的関係があることを発見した。これらの結果は、これらの個体が、アフリカ起源の系統から分岐したことが知られている最も古いグループの一部であることを示唆している。著者らはまた、6人のラニスの個体間に近親関係があることを見出し、母娘のペアを特定した。そして、このグループは、現代の人類に子孫を残さなかった小規模な集団の一部であった可能性を示唆している。
ラニスの個体たちには、約2.9%のネアンデルタール人の血筋が混ざっていることが判明し、これは、Sümerらが、非アフリカ人すべてに共通する単一の混合事象に由来するものだと推定している。著者らは、この混合事象は約4万5,000年から4万9,000年前(ラニスの個体が暮らしていた約80世代前)に起こったと推定している。この発見は、現在までに遺伝子配列が解読された非アフリカ人の祖先は、この時代に共通の集団で暮らしていたことを意味し、また、5万年以上前のアフリカ以外の地域に暮らしていた個体は、異なる非アフリカ人集団を表していることを意味する。この結果は、デニソワ人(Denisovans)などの他の絶滅した古代ホミニンとの混合年代を特定するのにも役立つかもしれない。
Sümerらは、アフリカ大陸を出た後の出来事や、ヨーロッパとアジアを横断した現生人類の最も初期の移動について、さらなる研究が必要であると結論づけている。
古代ゲノミクス:最初期の現生人類ゲノムで絞り込まれたネアンデルタール人との交雑の時期
古代ゲノミクス:4万5000年前のヨーロッパにおける血縁関係
今回、ヨーロッパの最初期の現生人類のゲノムデータから、ネアンデルタール人との最近の交雑事象と、4万年以上前の遠く離れた集団間の親族関係に関して知見が得られている。
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本論文は、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)で発見された初期現生人類6個体の核ゲノムデータ(比較的高網羅率の1個体と低網羅率の5個体)を新たに報告しています。本論文はさらに、すでに核ゲノムデータが解析されていた[3]、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体について、新たに比較的高網羅率のゲノムデータを報告し、既知の古代人および現代人の核ゲノムデータと比較しています。ズラティクンとは、黄金の馬(アハルテケ)という意味です。
ズラティクンと関連する人工遺物は、特定の文化的技術複合に確定的に分類できていませんが、イルゼン洞窟の初期現生人類と関連している人工遺物はLRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)と分類されています[4]。LRJは、ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期」の技術複合体の一つとされており、他には、イタリア半島を中心に分布するウルツィアン(Ulzzian、ウルツォ文化)や、ヨーロッパ中央部に分布するセレッティアン(Szeletian、セレタ文化)などがあります。
すでに、ズラティクンは出アフリカ現生人類において初期に分岐した系統で、非アフリカ系現代人への遺伝的影響はほぼなかった、と示されていましたが[3]、本論文で提示されたズラティクンの比較的高網羅率のゲノムデータでもその見解が改めて確証されました。さらに、イルゼン洞窟の初期現生人類6個体とズラティクンとが遺伝的に近く、同じ系統に分類できるだけではなく、イルゼン洞窟の初期現生人類のうち2個体が、ズラティクンと5~6親等程度の親族関係にあることも特定されました。ズラティクンの年代は不確実でしたが[3]、これでズラティクン個体の年代も45000年前頃と明らかになりました。
ズラティクンには、非アフリカ系現代人全員と共通するネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺伝子流動以外に、ネアンデルタール人からの遺伝子流動が確認されませんでした[3]。イルゼン洞窟の初期現生人類6個体のゲノムでも、約2.9%と非アフリカ系現代人よりも高い割合のネアンデルタール人に由来する領域が推定されたものの(非アフリカ系現代人全員の祖先集団では、選択によってゲノムにおけるネアンデルタール人由来領域の割合がさらに低下した可能性も考えられます)、49000~45000年前頃と推定される、非アフリカ系現代人全員の共通祖先におけるネアンデルタール人との(複数の世代にまたがっていたかもしれない)単一の混合事象以外の、ネアンデルタール人からの遺伝子流動は確認されませんでした。
ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)では、イルゼン洞窟の初期現生人類と近い年代の現生人類個体群が確認されていますが、そのゲノムには、非アフリカ系現代人全員の共通祖先におけるネアンデルタール人との単一の混合事象以外の、ネアンデルタール人からの遺伝子流動が確認されています[2]。イルゼン洞窟の初期現生人類集団が存在した頃には、ヨーロッパにはまだ後期ネアンデルタール人が存在しましたが、当時のヨーロッパにおいて、初期現生人類と後期ネアンデルタール人の人口密度は低く、接触が頻繁ではなかったのかもしれません。
本論文は、現代人にはほとんど遺伝的影響を残さなかった、アフリカからユーラシアへと拡散した初期現生人類集団が珍しくなかったこと(関連記事)を、改めて示唆しているように思います。また、先行研究[22]ではズラティクン個体的な遺伝的構成の集団からの遺伝的寄与が示唆された、クリミア半島南部のブラン・カヤ3(Buran Kaya III)遺跡の37000~36000年前頃となる2個体について、より高品質なゲノムデータに基づくと、ズラティクン個体的な集団からの遺伝的寄与の確実な証拠は得られませんでした。低品質なゲノムデータに基づく遺伝的関係の推測を大前提にしてはならない、と改めて反省させられました。
LRJはヨーロッパ北西部および中央部にかけて広く存在していたので、ヨーロッパに広範に拡散した初期現生人類集団はほぼ絶滅した、と考えられます。ズラティクン個体とラニス個体群によって表される集団の人口規模は小さかった、と推定されており、気候変動などへの対処に大規模な人口規模の集団よりも脆弱だったのかもしれません。ただ、LRJの担い手がズラティクン個体やイルゼン洞窟の初期現生人類個体群のような遺伝的構成の集団だけだったのか、そもそもLRJを単一の技術複合体と把握できるのか、といった問題もあります。それでも、45000年前頃のヨーロッパに、現在ではほぼ絶滅した考えられる集団が少なくとも一定範囲にわたって存在した可能性はきわめて高そうで、人類史において特定地域における現在にまで続く人類集団の遺伝的連続性を安易に想定してはならない、と改めて強調しておきたいところです。
●要約
現生人類は45000年以上前にヨーロッパに到達し、ネアンデルタール人と少なくとも5000年間にわたって共存しました[1~4]。これら初期現生人類から得られた限定的なゲノムデータでは、少なくとも二つの遺伝的に異なる集団がヨーロッパに居住しており、それはチェコ共和国のズラティクン個体[3]と、ブルガリアのバチョキロ洞窟個体群[2]によって表される、と示されてきました。本論文は、ドイツのラニスのイルゼン洞窟の45000年前頃の遺骸[4]から得られた1個体の高品質なゲノムおよび5個体の低品質なゲノムと、ズラティクン個体から得られたさらなる高網羅率のゲノムの分析によって、初期現生人類の理解を深めます。本論文では、ラニス個体群とズラティクン個体をつなぐ遠い親族関係があり、これらの個体群は、出アフリカ【現生人類】系統からの既知の最も深い分岐を表している同じ小さく孤立した人口集団の一部だった、と示されます。ラニス個体群のゲノムには、49000~45000年前頃となる非アフリカ系現代人全員と共有されている単一の混合事象に由来する、ネアンデルタール人断片があります。これが示唆するのは、非アフリカ系現代人全員の祖先がこの時点で共通の人口集団に属していたことで、アフリカ外の5万年以上前の現生人類遺骸は、異なる非アフリカ系人口集団を表している、とさらに示唆されます。
●研究史
ネアンデルタール人は4万年前頃の消滅[1]の前に、数十万年もヨーロッパとアジア西部に居住していました。記録されている存在の最期の数千年間に、ネアンデルタール人はアフリカから到来した現生人類と遭遇して交雑し、結果として、非アフリカ系現代人の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の2~3%はネアンデルタール人に由来します[6]。
これまで、4万年以上前に生きていた、したがってネアンデルタール人と時間的に重複していた現生人類のゲノム規模データは、わずか5ヶ所の遺跡から得られました(図1)。これらの遺跡のうち2ヶ所から得られたゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統はおそらく、単一の遺伝子移入事象(つまり、数世代にわたって続いたかもしれないネアンデルタール人との混合)に由来しました[3、7]。しかし、他の3ヶ所の遺跡の個体群のゲノムは、追加となるより新しいネアンデルタール人からの遺伝子移入事象の証拠を示しました[2、9]。シベリアの初期【現生人類】住民となる、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’ Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44000年前頃となる現生人類1個体(ウスチイシム個体)の高網羅率のゲノムは、この個体が生きていた30~50世代前の追加の遺伝子移入事象の兆候を示しています[3、9]。同様の分析では、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」の4万年前頃の1個体(PO1号)と、ブルガリアのバチョキロ洞窟の44000年前頃の4個体[2]が、おそらくはこれらの個体が生きていた前の過去10~20世代以内にネアンデルタール人の祖先を有していた、と示されてきました。対照的に、中国の北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(田園個体)、もしくはチェコ共和国のズラティクン個体[3]では、追加の【ネアンデルタール人との】混合の証拠が見つかりませんでした。ズラティクン個体では信頼できない放射性炭素年代測定結果が得られましたが、そのゲノムにおけるネアンデルタール人祖先系統断片の長さは、少なくとも45000年前頃の年代を示唆しました[3]。以下は本論文の図1です。
アジア東部の祖先人口集団の一部だった田園個体を除いて、上述の全個体は、その後の出アフリカ【現生人類】人口集団への、皆無かせいぜい限定的な直接的寄与を示しました。とくに、ズラティクン個体は他の既知の古代若しくは現在の出アフリカ【現生人類】人口集団よりも早くに非アフリカ系現代人につながる系統から分離し、現時点ではこの初期の枝の唯一の代表である、深く分岐した人口集団に属していました[3]。
ヨーロッパには独特な石器技術が5万~4万年前頃に存在していましたが、ゲノム規模データが得られた5ヶ所の初期現生人類遺跡のうち1ヶ所のみが、そうした技術、つまりバチョキロ洞窟のIUP(Initial Upper Paleolithic、初期上部旧石器)と関連しています。したがって、どの石器技術複合体が初期現生人類やネアンデルタール人集団によって製作されたのか、依然として激しく議論されています。最近、47500~41000年前頃のヨーロッパ北西部に存在したLRJ技術複合体は初期現生人類によって製作された、と示されました[4]。この割り当ては、遺跡の2下位の別々の発掘中(1932~1938年と2016~2022年)にドイツのラニスのイルゼン洞窟(以後はラニスと呼ばれます)で発見された11点の骨の断片から得られた、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究に基づいていました。これらの骨の断片の較正年代は直接的に放射性炭素年代測定され、49540~42200年前頃の間でした(95.4%の確率)。
ラニス個体群の他の人口集団との関係を判断し、これら初期現生人類の遺伝的歴史へのさらなる洞察を得るために、まずラニスの13点の標本から浅いショットガン配列を生成することによって、DNAの保存状態が評価されました。これらの標本のうち2点から得られたデータは下流分析から除外され、それは、古代DNAの損傷の特徴的パターンに基づく検証において、この2点が高い割合の現代人のDNA配列汚染を示したからです。しかし、1点の標本は例外的な保存状態(古代の個体に由来する30%のDNA配列)を示しました。したがって、この標本からさらなるショットガン配列が生成され、24倍の網羅率のゲノムが得られました。新たに構築されたDNAライブラリと既存のDNAライブラリに基づいて、ズラティクン個体でもさらなる配列が生成され、20倍の網羅率のゲノムが得られました。この両方の高網羅率のゲノムデータでは、約3%の現代人の汚染が推定されました。以下はズラティクン個体の想像図です。
ラニス標本は、集団遺伝学的分析に適した120万個の多様体(124万配列)[15]と、ネアンデルタール人およびデニソワ人祖先系統の情報をもたらす170万個の多様体[16]で、標的濃縮が行なわれました。これらの標本のうち2点が除外されたのは、不充分なデータ(網羅率が0.02倍未満)が得られたか、高度に汚染されていた(20%以上)からです。5%以上の汚染推定値のある9点の標本のうち5点については、汚染を減らすために、古代DNA損傷の特徴的パターンを有する配列に分析が限定されました。ゲノムの親コピー間の違いのない領域の使用による汚染推定手法を用いて[17]、9点の標本すべてについて、選別されたデータには5%未満のヒトの汚染が含まれている、と推定されます。
●親族関係と片親性遺伝標識
複数のラニス標本は同一のmtDNAを共有しており、同じ個体を表しているかもしれません。何人の異なる個体がラニスの9点の標本によって表されているのか判断するために、常染色体およびX染色体のデータを用いて、全個体の遺伝的性別および生物学的親族関係が推測されました。その結果、5点の標本が別々の個体(ラニス4・6・10・87号と、高網羅率のゲノムが得られたラニス13号)に由来するのに対して、残りの標本4点はすべて同じ個体(ラニス12号)に属していた、と分かりました(図2a)。ラニス12号の4点の標本のうち3点が元々の1932~1938年の発掘中に発見されたのに対して、1点の標本は2016~2022年の発掘中に発見されました。これらの骨の断片は広い領域に分散しており、2回の発掘の層序系列を結びつけます。以下は本論文の図2です。
同じ個体ラニス12号の別々の標本では予測されたように、4点の標本はすべて同じ遺伝的性別(女性)と同一のmtDNAを有していました。別の個体のラニス10号も同じmtDNA配列を共有していますが、この個体は男性で、ラニス12号と密接な親族ではないようです(図2a)。ラニス4号および6号も、先行研究[4]で同じmtDNAを有する、と特定されました。本論文の分析から、これらの個体の両方【ラニス4号および6号】とも女性で、親子関係を示す、と示唆されます。ラニス6号は標本の大きさに基づくと5歳未満の子供で、ラニス4号とラニス6号は母親と娘だった、と示唆されます。より遠い2もしくは3親等の関係も、ラニス4号とラニス12号で検出されました。
6個体のうち3個体(ラニス13・87・10号)は男性と特定されました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)については、捕獲およびショットガン配列決定データから、ラニス10号のY染色体ハプログループ(YHg)が基底部のFに割り当てられたのに対して、ラニス13号とラニス87号は、シベリアの古代人であるウスチイシム個体と同様に、YHg-NO(K2a)に割り当てられました。男性3個体の間で、生物学的親族関係の証拠は検出されませんでした。
●ズラティクン個体とラニス個体群のつながり
まとめると、これらの結果から、ラニス個体群は少なくとも部分的には家族関係によって密接に結びついた集団に属していた、と示されます。しかし、本論文で適用された親族関係分析は、最大3親等までの関係しか確実に推測できません。より遠い近縁性を推測するために、充分な網羅率のあるラニスの4個体とズラティクン個体のゲノムで、共有された遺伝的祖先系統の断片、つまり同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)を検出する手法が用いられました。ラニス4号および12号の以前に検出された親族関係と一致して、IBD分析は共有された祖先系統断片に基づいて3~4親等の関係を示唆します。しかし、驚くべきことに、12 cM(センチモルガン)以上となる長い共有された断片の合計は、ズラティクン個体とラニス12号との間では301cM、ズラティクン個体とラニス4号との間では268cMとなり、他のラニス個体で共有されるそうした長い断片の合計(205cM未満)を上回っていました(図2c)。これらの断片の長さと頻度から、ズラティクン個体はラニス12号および4号の5もしくは6親等の親族で、他のラニス個体とはより遠い親族関係だった、と示唆されます。
ズラティクン個体と一部のラニス個体は、その最近の家族史において祖先を共有していました。したがって、これらの個体はすべて同じ人口集団に由来する、と考えられます。他の4万年以上前の狩猟採集民との比較で、対での外群f₃統計の計算によって、この仮説が検証されました。ズラティクン個体とラニス個体群との間の対での比較から、他の狩猟採集民とラニス個体群との比較よりも一貫して高い値が得られ、ズラティクン個体とラニス個体群が同じ人口集団の一部だった、と示唆されます。ラニスの全個体のデータが統合され、ラニス個体群の組み合わされたデータもしくはズラティクン個体が古代の狩猟採集民とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しているのかどうか、検証するために、f₄統計が計算されました。ズラティクン個体とラニス個体群が均一な集団を形成する、とのモデルから予測されるように、共有において有意な違いは見つかりませんでした。
ラニス13号とズラティクン個体の高網羅率のゲノムのみを用いて、qpGraphで人口集団の関係も検証されました。この2個体【ラニス13号とズラティクン個体】のうち一方を他方の祖先に位置づけるモデルは、両者の共通の枝を確立するモデルよりも、データへの適合度が低くなりました。ラニス13号とズラティクン個体のこの共通の枝は、バチョキロ洞窟個体群につながる系統よりも、祖先出アフリカ【現生人類】系統からの分離が早くなります。この共通の枝に対応する人口集団も、momi2推測手法を用いての組み合わされたモデルにおける、ウスチイシム個体のゲノムによって表される人口集団よりも、出アフリカ【現生人類】系統から早く分岐します。したがって、ラニス個体群とズラティクン個体は同じ人口集団の構成員で、以後はズラティクン/ラニス人口集団と呼ばれます。
●人口連続性
その後の人口集団の祖先系統がズラティクン/ラニスから直接的に由来するのかどうか検証するために、124万捕獲配列によって対象とされる部位を用いて、アレル共有が測定されました。f₄形式(狩猟採集民、狩猟採集民;ラニス13号、ムブティ人)での狩猟採集民集団の対での比較では、有意なアレル共有のいくらかの証拠が見つかりました(2701点の比較のうち151点で|Z| > 3)。しかし、一部の人口集団がそのゲノムに、アフリカ人もしくはネアンデルタール人から祖先系統を受け取る前に非アフリカ人から分岐した祖先の1系統(基底部ユーラシア人系統)から、深く分岐した祖先系統を有している、と知られています。本論文の比較では、すべての有意な結果はこれらの祖先系統によって説明できる、と分かりました。本論文の結果から、ズラティクン/ラニスはその後の狩猟採集民に祖先系統をもたらさなかった、と示唆され、低網羅率のズラティクン個体のデータを用いた以前の分析[3]を確証します。
しかし、これらの結果とは対照的に、クリミア半島南部のブラン・カヤ3遺跡の37000~36000年前頃となる2個体の低網羅率のゲノムに関する最近の研究[22]は、この2個体へのズラティクン祖先系統の寄与の証拠と解釈できる兆候を見つけました。検定において統計的検出力を最大化するために、ズラティクン個体とラニス13号とウスチイシム個体の高網羅率のゲノム、およびロシアの低網羅率の初期ヨーロッパ狩猟採集民のゲノム[23、24]との比較で、ブラン・カヤ3遺跡の組み合わされたデータで網羅されている全ての部位が含められました。ロシアの低網羅率の初期ヨーロッパ狩猟採集民のゲノムとは、考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の個体であるコステンキ14号[24]と、スンギール(Sunghir)遺跡の個体群[23]です。このデータセットでは、f₄形式(コステンキ14号/スンギール1~4号、ブラン・カヤ3;ズラティクン/ラニス13号/ウスチイシム、ムブティ人)の75点の比較において|Z| < 3で、共有増加の兆候を再現できませんでした。本論文の結果から、ズラティクン/ラニス人口集団はウスチイシム個体やPO1号と同様に[2]、その後の出アフリカ現生人類への寄与を示さない、と示唆されます。
●人口規模
ヨーロッパにおけるズラティクン/ラニス人口集団の構成員の初期の出現と、その後のヨーロッパ人との遺伝的連続性の欠如や、複数の考古学的遺跡にまたがってさえ個体間の密接な親族関係が特定されたことから、この初期の現生人類集団はかなり小さかった、と示唆されます。個体の過去のさまざまな時期における、世代あたりの繁殖した個体数に相当する有効人口規模について、いくつかの測定は情報をもたらすことができます[25]。より長い期間にわたる人口規模の大まかな推定値は、1個体が両親から継承する2組の染色体間で観察される配列の違い(異型接合性)の平均数から推測できます。1万ヶ所の部位あたり約2ヶ所の異型接合部位が観察されるネアンデルタール人のゲノムとは対照的に、ラニス13号とズラティクン個体のゲノムは異型接合性の4倍高い値(1万ヶ所の部位あたり約7~8ヶ所)を示し、これはアフリカ外の他の古代および現在の現生人類の推定値と一致します。
人口規模の長期の測定は、同型接合連続領域(regions of homozygosity、略してROH)、つまり、1個体の家族史における近親婚によって形成される、殆ど若しくは全く異型接合部位のない領域に基づく短期の推定値とは対照的です。4cM以上のROHの断片はラニス13号とズラティクン個体の両方で観察され、それぞれゲノムの合計5.2%と7.2%を占めます。同等の値は、45000年前頃となるクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人で見られますが(7.0%)、両者【ラニス13号とズラティクン個体】の値はウスチイシム個体(3.7%)での観察よりかなり高くなります。ラニス13号とズラティクン個体の歴史における近親婚の大半は、この2個体が生きていた数世代前に起きたようで、それは、合計ROHの40~50%が12cMかそれ以上の断片にあるからです。しかし、この水準のROHは、アルタイ地域のネアンデルタール人で観察されたような、これらの個体の両親の間の密接な家族関係ではなく、ごく近い過去における小さな人口規模に起因します。
長いROHは、hapROH手法[28]を用いての124万捕獲部位の分析によって、低網羅率のデータからも推測できます。ラニス個体群の低網羅率のゲノムの本論文の分析では、ある程度の水準の近い過去の近親交配に加えて、約300個体(95%信頼区間では242~374個体)の規模の小さな人口集団によって説明できる、近親婚の大まかに類似したパターンが見つかりました。この推定値は、過去50世代内の人口規模を大まかに反映しています。
小さな有効人口規模は、病原体への適応する個体の能力に悪影響を及ぼすかもしれません。そこで、ヒトゲノムにおいて最も多型的な遺伝子座の一つである、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)遺伝子座における遺伝的多様性が分析されました。HLA遺伝子座5個のうち、1個はズラティクン個体のゲノムで、3個はラニス13号のゲノムにおいて同型接合でした。これらの遺伝子座はゲノムの長いROH断片に位置しておらず、同型接合性はおそらく、近親婚ではなく小さな人口規模によって起きている、と示唆されます。HLA領域の同様の水準の同型接合性は、孤立した現代人集団でのみ観察されます。
表面的に受け取ると、異型接合性の水準は、ラニス13号およびズラティクン個体のゲノムにおける近親婚の兆候と矛盾しているようです。しかし、PSMC(pairwise sequentially Markovian coalescent、対での逐次マルコフ合着)手法[25]を用いての経時的な有効人口規模の分析から、両個体【ラニス13号およびズラティクン個体】は出アフリカ事象と関連していた人口規模の強い減少の直後に生きていた、と示されます。この減少は、他の非アフリカ人と一致する観察された水準を説明するでしょう。しかし、本論文のROH分析から、ズラティクン/ラニス人口集団は祖先がヨーロッパに移動してきた時に、全体的な異型接合性をかなり減少させるのに充分なほどには長く続かなかった、さらなる規模の減少を経ていた、と推測されます。ズラティクン/ラニス人口集団の小さな規模は、高網羅率の2個体【ラニス13号およびズラティクン個体】のゲノム間の共有IBD断片によっても裏づけられ、過去15世代にわたる約160個体(95%の確率で100~240個体)内の有効人口規模の推定値が得られました。
●ズラティクン個体の年代
放射性炭素年代測定では、ラニス13号の年代は約45000年前頃ですが[4]、ズラティクン個体の信頼できる直接的な年代は確立しておらず、これは恐らく、ズラティクン個体の頭蓋が動物性産物由来の接着剤で処理されたためです[3]。しかし、共有されているIBD断片に基づくと、ラニス13号とズラティクン個体は相互に、おそらく3世代離れて生きていて、確実に最大15世代以内となり、ズラティクン個体の年代も同様に45000年前頃と示唆されます。両個体【ラニス13号およびズラティクン個体】の高網羅率のゲノムによって、二つの手法を用いての分子データのみに基づく年代の推定が可能となり、それは、(1)現代人のゲノムと比較しての古代人1個体における変異の欠如に基づく年代推定値[9、27]と、さまざまな年代のゲノムからのPSMCによって推定された、人口統計学的歴史の変化に基づく推定値[32]です。これら二つの手法を高網羅率の2個体【ラニス13号およびズラティクン個体】のゲノムに適用すると、大きな不確実性はあるものの、48000~47000年前頃の点推定値が得られました。この年代と一致して、乳糖耐性や明るい色素沈着やより明るい髪の色などヨーロッパ現代人における典型的な高頻度表現型の多様体が、ラニス13号およびズラティクン個体両方のゲノムに存在しない、と分かりました。
●ネアンデルタール人の祖先系統と年代測定
非アフリカ系現代人全員には、ネアンデルタール人に由来する低い割合の祖先系統があります。ラニス個体群とズラティクン個体におけるネアンデルタール人祖先系統を調べるために、断片検出手法であるadmixfrog[33]の第0.7.1版が使用され、この手法は高網羅率のラニス13号およびズラティクン個体のゲノムについて、2.9%(95%信頼区間の統合では2.8~3.0%)のネアンデルタール人祖先系統を推定しました(図3a・b)。検出された断片は平均的に、他の高網羅率の古代の狩猟採集民のゲノムより長くなります(図3c)。ラニスの低網羅率の3個体(ラニス4・12・87号)には、断片の呼び出しに充分なデータがあり、同様の推定値が得られました(95%信頼区間の統合では2.7~3.3%)。以下は本論文の図3です。
ズラティクン/ラニス人口集団の構成員はネアンデルタール人とヨーロッパで共存していたので、その歴史において近い過去にネアンデルタール人の祖先がいた可能性はあります。ヨーロッパの4万年以上前の現生人類に関する以前の分析は、ネアンデルタール人とのそうした二次的な混合の証拠を明らかにしました[2]。ズラティクン/ラニス人口集団の個体群におけるネアンデルタール人祖先系統が、1回のみもしくは複数回の遺伝子移入事象との仮定に最良に適合するのかどうか、検証するために、断片の分布が1回のみの指数分布もしくは2回の指数分布の混合に適合させられました。さらに、ラニス13号およびズラティクン個体の高網羅率のゲノムに、呼び出される断片を必要としない、年代測定手法が適用されました。両方の手法は、単一の遺伝子移入事象との仮定の方へと、データがより良好に適合していることを見つけました。
ネアンデルタール人祖先系統の1世代のみの波動を仮定すると、ラニス個体群およびズラティクン個体は、混合から56~98世代(適用された全手法の95%信頼区間の統合)後に生きていました。しかし、おそらくは複数世代にわたる連続的な混合のより現実的なモデルがさらに良好な適合を提供し、ラニス個体群およびズラティクン個体が生きていた約80世代前に混合は起きた、と推定します。非アフリカ系現代人に関する以前の分析は、ネアンデルタール人祖先系統が存在せず、おそらくは混合の直後の強い負の選択によって形成された、5ヶ所の大きな染色体領域(ネアンデルタール人砂漠)を特定しました[35~37]。ラニス個体群のゲノムは、砂漠領域に位置するネアンデルタール人断片を示しません。しかし、1番染色体上の砂漠内に位置する、ズラティクン個体における以前に報告された断片[3]が確証されます。したがって、砂漠領域のほとんどは、混合後約80世代以内に確立されました。
本論文の分析から、ズラティクン/ラニス人口集団は、他の非アフリカ系現生人類につながる系統から初期に分岐し、現代人には子孫を残さなかった、と示唆されます。したがって、ズラティクン/ラニス人口集団が有するネアンデルタール人のDNAは、現在のすべての出アフリカ人口集団で特定されたネアンデルタール人のDNAをもたらした、別々の事象によってもたらされたかもしれません。こうした遺伝子移入事象が同じなのか異なるのか検証するために、ラニス13号およびズラティクン個体の高網羅率のゲノムにおけるネアンデルタール人断片が、世界規模の現在の現生人類274個体および古代の現生人類57個体[38、39]におけるネアンデルタール人断片と相関させられ、(2)現代人2000個体と高網羅率の古代人5個体のゲノムでも見られる、ズラティクン個体もしくはラニス個体のゲノムにおけるネアンデルタール人断片の端の割合が計算されました。両手法は相関もしくは共有の過剰を見つけ、ズラティクン/ラニス個体群を含めて、非アフリカ系のすべての古代人および現代人はネアンデルタール人からの遺伝子移入の1回の共有される波動によって最適に説明される、と示唆されます。
ラニス個体群は非アフリカ人すべてに共通する1回の混合に由来するネアンデルタール人祖先系統を有しているので、この事象以降の推定世代数(56~98世代)は、29年の仮定された世代時間[41]、およびラニス13号の直接的な放射性炭素年代(較正年代で46580~43400年前頃)と組み合わせることができ、共通のネアンデルタール人との混合の改訂年代は49000~45000年前頃となります。
●考察
この研究では、ラニスの6個体から得られた核ゲノムが分析されました。その結果、ラニスの6個体は、世代あたり数百個体だった、小さく孤立した人口集団の構成員だった、と分かりました。これらの個体で、母親と娘の組み合わせを含めて、密接な生物学的近縁性の個体も特定されました。ネアンデルタール人との混合以降の世代数の推定値は一貫して、ラニス個体群では約80世代に近く(図3d)、その放射性炭素年代は重複しており、これらの個体が相互に近い時期に生きていたことを示唆しています。これは、処理された動物遺骸の低い割合や、火の使用の限定的な証拠や、遺跡における低い人工遺物密度などの考古学的証拠と一致し、これらは洞窟の短期の居住を示します[4、42]。ドイツのラニスから約230km離れた、チェコ共和国のズラティクン個体についても、高網羅率のゲノムが生成され、分析されました。このズラティクン個体とラニスの2個体との5もしくは6親等の関係が推測され、ズラティクン個体はラニス人口集団の多様性内に収まり、ズラティクン/ラニス人口集団が小さな集団規模だったことと一致する、と示されました。ラニス個体群はLRJ技術複合体と関連しているので、ズラティクン個体もLRJの製作者だったかもしれません。この関連性は、ズラティクンから約10km離れた洞窟遺跡であるナド・カチャケム(Nad Kačákem)遺跡を含めて、チェコ共和国の数ヶ所のLRJ遺跡によってさらに裏づけられます。
ブルガリアのバチョキロ洞窟のほぼ同時代の個体群のゲノムとは対照的に、ラニス個体群およびズラティクン個体のゲノムは最初の混合後の追加のネアンデルタール人の祖先の証拠を示しませんでした。ネアンデルタール人とのさらなる混合は、ズラティクン/ラニス人口集団の短期の存在および/もしくは小さな規模によって妨げられたかもしれません。しかし、バチョキロ洞窟およびズラティクン/ラニス人口集団は、ヨーロッパへの移動経路に沿ってネアンデルタール人との遭遇頻度も異なっていたかもしれません。
ズラティクン/ラニス人口集団はこれまでに標本抽出された出アフリカ【現生人類】集団からの最古級の分岐を表しており、本論文の結果から、この分岐は、ズラティクン/ラニス人口集団が生きていたわずか約80世代前に起きた、ネアンデルタール人からの遺伝子移入事象の直後に発生した、と示されます(図4)。本論文では、このネアンデルタール人祖先系統は、すべての他の非アフリカ人で検出でき、57000~52000年前頃[9]や65000~47000年前頃や54000~41000年前頃といった、ほとんどの以前の推定値に近いか、より新しい、49000~45000年前頃となる同じ混合事象に由来する、と示されます。本論文の推定値の狭い信頼区間は、ラニス13号が混合事象にひじょうに近いことと、ラニス13号の正確な放射性炭素年代に起因します。以下は本論文の図4です。
ネアンデルタール人祖先系統はすべての非アフリカ系現代人の祖先に広がったはずなので、その推定値は、一貫した祖先の非アフリカ系人口集団がまだ存在したはずの年代も提供します。これがさらに示唆するのは、アフリカ外で見つかった5万年前頃以前の現生人類の遺骸と物質文化はこの非アフリカ系人口集団を表さないだろう、ということです。代わりに、そうしたアフリカ外の5万年前頃以前の現生人類の遺骸と物質文化は、別の出アフリカ移住から生じたか、あるいは、非アフリカ系現代人の祖先からより早くに分岐し、ネアンデルタール人との共有された混合事象の一部ではなかった人口集団を表しています。別の古代型【非現生人類ホモ属的な】系統であるデニソワ人からの祖先系統を有しているすべての人口集団は、この共有された事象からのネアンデルタール人祖先系統も有しているので、【非アフリカ系現代人の一部の祖先集団と】デニソワ人との混合は49000~45000年前頃以後と推測できます。謎めいた基底部ユーラシア人系統や、ヨーロッパおよびアジアへの現生人類の移動の最初の波など、出アフリカ移住の頃とそれに続く事象を解明するには、古代ゲノムと化石と物質文化のさらなる研究が必要でしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
進化:最古の現生人類ゲノムから、4万5,000年前にネアンデルタールとの混血があったことが判明
約4万5,000年前に生息していたヨーロッパの初期現代人類のゲノムの解析により、ネアンデルタール人(Neanderthals)と現代人類の混合時期について、より正確な年代が示された。ネアンデルタール人と現生人類の混合は、4万5,000年から4万9,000年前の単一の出来事であり、これは以前の推定よりも新しいことを報告する論文が、Nature に掲載される。この発見は、初期の現生人類の人口統計とアフリカ大陸外への最初の移住に関する洞察を提供する。
現生人類は、4万5,000年以上前にヨーロッパに到達し、少なくとも5,000年間はネアンデルタール人と重複していた。少なくとも2つの遺伝的に異なる初期の現生人類グループがヨーロッパに生息していた。これらのグループは、ブルガリアのバチョ・キロ(Bacho Kiro)とチェコのZlatý kůňという名の女性によって代表されている。Zlatý kůňは、アフリカを出発した系統から分岐した最も初期の集団の一部であり、ネアンデルタールとの混合は1回だけだったことを示唆している。しかし、バチョ・キロの古代の個人の祖先は、2回の混合を示唆している。最近の研究では、ドイツのラニス(Ranis)にあるイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)の骨片の放射性炭素年代測定により、約4万1,000–4万9,500年前の中部および南部ヨーロッパに初期の現生人類が存在していたことが確認された。しかし、これらの個体が当時ヨーロッパに存在していた他の集団とどのように関係しているのかは不明である。
Arev Sümerらは、約4万5,000年前と推定されるラニスの骨片から分離した、1つのカバレッジ(被覆率)が高いゲノムと5つの被覆率が低いゲノムを分析した。また、Zlatý kůňの被覆率が高いゲノムも分析し、ラニスの2人の個体と5–6等度の遺伝的関係があることを発見した。これらの結果は、これらの個体が、アフリカ起源の系統から分岐したことが知られている最も古いグループの一部であることを示唆している。著者らはまた、6人のラニスの個体間に近親関係があることを見出し、母娘のペアを特定した。そして、このグループは、現代の人類に子孫を残さなかった小規模な集団の一部であった可能性を示唆している。
ラニスの個体たちには、約2.9%のネアンデルタール人の血筋が混ざっていることが判明し、これは、Sümerらが、非アフリカ人すべてに共通する単一の混合事象に由来するものだと推定している。著者らは、この混合事象は約4万5,000年から4万9,000年前(ラニスの個体が暮らしていた約80世代前)に起こったと推定している。この発見は、現在までに遺伝子配列が解読された非アフリカ人の祖先は、この時代に共通の集団で暮らしていたことを意味し、また、5万年以上前のアフリカ以外の地域に暮らしていた個体は、異なる非アフリカ人集団を表していることを意味する。この結果は、デニソワ人(Denisovans)などの他の絶滅した古代ホミニンとの混合年代を特定するのにも役立つかもしれない。
Sümerらは、アフリカ大陸を出た後の出来事や、ヨーロッパとアジアを横断した現生人類の最も初期の移動について、さらなる研究が必要であると結論づけている。
古代ゲノミクス:最初期の現生人類ゲノムで絞り込まれたネアンデルタール人との交雑の時期
古代ゲノミクス:4万5000年前のヨーロッパにおける血縁関係
今回、ヨーロッパの最初期の現生人類のゲノムデータから、ネアンデルタール人との最近の交雑事象と、4万年以上前の遠く離れた集団間の親族関係に関して知見が得られている。
参考文献:
Sümer AP. et al.(2025): Earliest modern human genomes constrain timing of Neanderthal admixture. Nature, 638, 8051, 711–717.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08420-x
[1]Higham T. et al.(2014): The timing and spatiotemporal patterning of Neanderthal disappearance. Nature, 512, 7514, 306–309.
https://doi.org/10.1038/nature13621
関連記事
[2]Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
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