鉄器時代ブリテン島の母方居住
鉄器時代ブリテン島における母方居住の事例を報告した研究(Cassidy et al., 2025)が公表されました。本論文は、紀元前100~紀元後100年頃にイングランド南部の海岸地域を占拠していた、デュロトリゲス人(Durotriges)の集落と関連する、鉄器時代墓地の被葬者57個体のゲノム解析結果を報告しています。後期鉄器時代のデュロトリゲス人は女性を豊富な副葬品とともに埋葬することが多くあり、ゲノム解析された57個体の多くはおもに母系でつながっていて、単一の母系を中心とする拡大親族集団で構成され、親族関係になく、おそらくは外来の被葬者はおもに男性と分かりました。こうした母方居住パターンはヨーロッパの先史時代においてまだ報告されていませんが、6000年にわたるヨーロッパの遺跡間のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプロタイプの差異を比較すると、ブリテン島の鉄器時代墓地は、支配的な母系の存在に起因する多様性の顕著な低下がある点で際立っていました。
また、ブリテン島の鉄器時代人口集団は微細な地理的クラスタ(まとまり)を形成し、南部は海峡を越えて大陸と遺伝的につながっていました。じっさい、ブリテン島の大半の地域は前期青銅器時代から鉄器時代まで強いゲノム連続性を示しますが、この連続性は南部沿岸中核地域において、持続的な海峡を越えた文化的交流のため顕著に減少している、と示されました。この南部沿岸中核地域では、中期青銅器時代だけではなく鉄器時代にも人口流入の証拠があり、ケルト語との関連も推測されます。
人類の「原始(未開)社会」は一様に「母系制」で、社会の「発展」に伴って「父系制」へと「進化」する、といった恐らく「唯物史観」によって今でも一般には根強く浸透していると思われる見解は根本的に間違っている、と私は考えています(関連記事)。本論文でも指摘されているように、ほとんどのヨーロッパの新石器時代と銅器時代と青銅器時代の遺跡では、父方居住と父系制の証拠が報告されてきており、ブリテン島の鉄器時代人類集団の事例は、明らかに「原始母系制社会」の根拠にはなりません。また本論文は、民族誌のデータに基づいて、父方居住から母方居住への移行は稀だった、と考えられてきたものの、それが人類史の大半において見られる傾向ではなかった可能性も示唆しています。
おそらく人類社会は元々、「父系制」というか父方居住で始まり、現代人へとつながる系統で社会構造が多様化し、「母系制」というか母方居住も出現したのだと思います。つまり、人類史において母方居住は父方居住よりもかなり遅くになって出現した、というわけです。おそらく、この社会構造の多様化は現代人系統が地理的に分化していく前に始まっており、10万年以上の歴史があるのではないか、と考えています。もちろん、少なくとも現生人類社会の居住様式は、父方居住と母方居住へと単純に二分されるわけではありませんが。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●要約
ローマの文筆家は、ケルト人の女性の相対的に大きな力に注目していました。ブリテン島南部において、後期鉄器時代のデュロトリゲス人は女性を豊富な副葬品とともに埋葬することが多くありました。本論文はデュロトリゲス人の埋葬地から発見された古代人57個体のゲノムを解析し、単一の母系を中心とする拡大親族集団を見つけ、親族関係にない(おそらくは外部から移住してきた)被葬者はおもに男性でした。そうした母方居住パターンはヨーロッパの先史時代において報告されていませんが、6000年にわたるヨーロッパの考古学的遺跡間のミトコンドリアハプロタイプの差異を比較すると、ブリテン島の鉄器時代墓地は支配的な母系の存在に起因する多様性の顕著な低下がある点で、際立っていました。
ハプロタイプ共有のパターンから、ブリテン島の鉄器時代人口集団は微細な地理的クラスタを形成し、南部のつながりは海峡を越えて大陸にまで及んでいた、と明らかになります。じっさい、ブリテン島の大半は前期青銅器時代から鉄器時代までの多数のゲノム連続性を示すのに対して、これは南部沿岸中核地域において、持続的な海峡を越えた文化的交流で顕著に減少しています。この南部中核には、中期青銅器時代だけではなく鉄器時代にも人口流入の証拠があります。これはブリテン島の他地域と同時期ではなく、おそらくはケルト語の獲得を含めて、大陸からの影響の段階的で地理的に細分化された吸収を示しています。
●研究史
社会の構造は結婚した二人の居住パターンによって形成されます。夫婦がおもに妻側の両親とともに、もしくはその近くに居住する母方居住が現代の民族誌データベースでは比較的稀なのに対して、父方居住ははるかに最も一般的な制度です。さらに、充分なゲノムおよび考古学的データがあるほとんどのヨーロッパの新石器時代と銅器時代と青銅器時代の遺跡では、父方居住と父系制の証拠が報告されてきました[7~13]。
歴史時代の始まりにも関わらず、ブリテン島の鉄器時代の人々の社会構造についてはほとんど知られていません。紀元後の数世紀に、プトレマイオスはさまざまな民族の位置をケルト語由来の名前で記載し、カエサルは都市国家に言及しています。これらの曖昧な用語は「部族」と訳されることが多いものの、そうした集団の帰属意識の複雑さはよく理解されていません。興味深いことに、最初期の記録されたブリテン島の支配者2人はカルティマンドゥア(Cartimandua)およびブーディカ(Boudica)という女性で、男女両方が最高の政治的地位に達することができた、と示唆されます。イングランド北部の大半を占める部族であるブリガンテス人(Brigantes)をカルティマンドゥアが30年間にわたって統治したことから、女性が財産を相続し、離婚して、軍隊を効果的に率いることができた、と分かります。イングランドの東部では、イケニ人(Iceni)のブーディカが名高い反乱を起こし、この反乱はローマの町を破壊して、ローマ帝国政府の権威に挑みました。さらに、ユリウス・カエサルは紀元前1世紀半ばに『ガリア戦記』にて、ブリテン島の女性は複数の夫を持つことができる、と述べました。しかし、そうした社会的記述は疑わしいと見られており、家父長制社会が深く浸透していた地中海世界の徴集にとって異国情緒的に見えただろうものへと偏っています。
ヨーロッパ西部のケルト人の複数の墓における副葬品の分布は、女性が高い地位にあることを裏づけるものとして解釈されてきました。しかし、イギリスの考古学的証拠は、鉄器時代のヒト遺骸がなりなので限られており、個体はおそらくおもに、火葬されたか、肉体を奪われたか、湿地に埋葬されました。紀元前100~紀元後100年頃にイングランド中央部南方を占拠していたデュロトリゲス人は例外で、死者は屈葬の正式な墓地に埋葬されました(図1c)。興味深いことに、これらの埋葬において威信財の数がより多くて多用であることとより一般的に関連しているのは女性で、高位とおそらくは母親中心の社会を示唆しています。以下は本論文の図1です。
鉄器時代ブリトン人(Briton)のゲノムの差異が調べられてきましたが(16~19)、親族関係および結婚と関連する社会慣行を解明できる単一墓地からのデータは限定的です。ゲノム調査はケルト語派の拡大についての議論に寄与してきており、中期~後期青銅器時代は、この期間のブリテン島への大規模な移住と、それに続く鉄器時代におけるかなりの遺伝的孤立に関する推測に基づいて、到来の候補期間と特定されています[17]。しかし、ブリテン島への遺伝子流動の特徴づけには、ハプロタイプ解析と地域的分性を通じてのさらなる洗練が必要です。本論文では、イギリスのドーセット州のWBK(Winterborne Kingston、ウィンターボーン・キングストン)のデュロトリゲス人および他集団の墓地から得られた55個体のゲノムが、メイデン・ニュートン(Maiden Newton)およびラントン・ヘーリング(Langton Herring)の豪華な墓のデュロトリゲス人女性2個体の被葬者とともに、配列決定されました。これらは、女系子孫によって特徴づけられる共同体を明らかにします。他のブリテン島鉄器時代の遺跡から得られたデータと組み合わせると、本論文の分析では、母方居住が広範と分かり、地理的懲戒と一致し、同時代のローマの文献および考古学的データセットを反映している、ブリテン島南部沿岸の鉄器時代の移民のゲノム痕跡を示す、微細規模の系図網が明らかになります。
●デュロトリゲス人社会における母方居住
イングランド南部沿岸のWBKにおける発掘は、集落についてのかなりの証拠を明らかにし、その年代は紀元前1000年頃の青銅器時代後半からローマ期後となる紀元後500年頃にまでまたがり、鉄器時代後半以降のいくつかの小さなデュロトリゲス式墓地が含まれます(図1b)。ゲノムデータはこの遺跡から得られた55点の骨格標本すべてで回収され、40点は遺伝子型補完および個体間で同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)だったゲノム断片の堅牢な特定に充分なほど高い網羅率(0.3倍超)に達しました。これはWBKがこの遺跡の使用のデュロトリゲス期(紀元前100~紀元後100年頃)に大規模な親族集団の埋葬地だったことを明らかにし、40個体のうち30個体は、少なくとも1個体の約7親等もしくはもっと近い親族がいました。この親族集団の追加の低網羅率の構成員4個体は、アレル(対立遺伝子)分析を通じて特定されました。
驚くべきことに、遺伝的に特定された親族の2/3以上(24/34)はmtDNAハプログループ(mtHg)U5b1の稀な系統に属しており(図1d)、この稀な系統は古代人の標本抽出では以前には観察されておらず、現代人のデータにおける頻度はわずか0.003%です。この単一の母系の優勢は、キョウダイの多さによって歪められているわけではなく、観察されたキョウダイは姉妹のわずか2組(全員成人)です(図1a)。追加の下流変異はWBKに固有のこのmtHgにおいて4系統の下位クレード(単系統群)を区別します。mtDNA変異率のより速い推定値の一つ(1世代につき1ヶ所の部位あたり4.72 × 10⁻⁷の変異)を用いて、この水準のクレード内多様性がもたらされるには、この系統の母親から少なくとも420個体の女性の出生が必要になるだろう、と推定され、このハプロタイプとWBKとの間の長期の関連が示唆されます。対照的にY染色体の多様性は高いと分かり(図1d)、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)から、これが異形交配共同体だった、と示唆されます。理論とモデル化と現代の人口集団の調査から、そうしたパターンは母方居住刊行によって生じる、と論証されてきました。
WBKにおける母方居住を確証するため、2種類の模擬実験が実行されました。第一に、人口集団における任意交配集団間の男女のさまざまな移住率がモデル化され、結果として生じる片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の多様性(h)が推定されました。これらの模擬実験は、女性の外部への移住率は0に近く、男性の外部移住率は1世代あたり0.15~1の間と示唆しました。第二に、構成員が(1)父方居住か、(2)母方居住か、(3)混合居住のいずれかを行なっていた、7世代の系図における常染色体とX染色体の親族関係の係数の分布が模擬実験されました。再び、観察されたデータは母方居住と一致します。優勢なmtDNA系統の最初期の発生は2親等の親族2人で(較正年代で紀元前346~紀元前51年頃)、最後の観察は、ブリテン島のケルト社会が急激な変化を経たローマ期(紀元後31~紀元後212年頃)です(図1b)。したがって、最新の家族の構成員は、拡張土葬の新たな埋葬儀式に従って葬られました(WBK36、紀元後82~紀元後316年頃)。
●鉄器時代共同体における結婚慣行
中核的な親族集団について最節約的な系図が再構築され、この系図は男性の移動性と組み合わされ、WBKにおける母方居住伝統をさらに確証します(図1a)。1親等以上の父系の親族関係は1組(WBK02とWBK195)しか見つからず、これは世代にまたがる母系女性との複数の関係を含んでいる、と推測されます。成人女性1個体(WBK31)とその娘(WBK22)とその成人の孫娘(WBK15とWBK19)は全員、異なる男性配偶者を通じてのWBK31の推定される母系の曽孫(WBK12)とともに、同じ場所に埋葬されています。本論文の系図には二重関係の珍しい1事例があり、IBD断片の長さの分布から、WBK17は両親の結婚によって姉妹であるWBK34とWBK40が生まれた継子の、息子である可能性が最も高い、と結論づけることができます。
デュロトリゲス期の年代の個体群を検証すると、男性は他の個体との遺伝的近縁性の水準が顕著に低く、非母系個体間で著しく多く見られる、と分かりました(図1b)。全員男性の6個体は、WBKの親族集団との検出可能な遺伝的つながりを示さない(つまり、この男性6個体は主要な母系の構成員ではなく、特定された親族がいません)ものの、家族の構成員だった可能性は依然としてあります(たとえば、集団内で移動した配偶者もしくは養子)。この6個体のうち4個体は死亡時に成人もしくは思春期で、典型的なデュロトリゲス様式で埋葬され、3個体の副葬品は地元で製作された土器の容器で構成されており、共同体に統合されていたことを示唆しています。遺伝的に親族関係にある個体群を検証すると、優勢なmtHgに属さない家族の構成員10人のうち8人が男性と分かりました。これら優勢な系統ではない男性と優勢な系統の女性との間の2組の結婚が推測され、これには祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がおもにヨーロッパ大陸部に由来する外れ値個体WBK02が含まれます。
配偶者の共同埋葬は母系の厳密な重視の社会において一般的ではないことに要注意で、そうした社会では男性は母系親族を頻繁に訪れるか、同居することさえあり、妻ではなく母系親族とともに埋葬されることが多くあります。じっさい、妻の家族への夫の統合は、姪が母方のオジから相続する母系制度(叔権)に負担をかけるかもしれません。この理由のため、男性親族の管理する財産が少ない場合に、母方居住はより安定する、と考えられています。これが関連している社会では、富が土地に集中し、それは通常豊富で、女性によって大規模に耕作および所有されており、男性は存在しないことが多くあります(たとえば、戦争のため)。
興味深いことに、WBKでは両配偶者が創始者女性である5組の結婚が推定され(図1a)、これには、構成員が両方とも女系を通じての直系子孫である、3組が含まれます。しかし、子孫におけるIBD共有の欠如と同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の欠如によって示唆されるように、これらの配偶者には近い過去の近縁性は母系の夫婦は異なる下位クレードに属しています。これが示唆するのは、WBKの人々は自らの家系に関する深い知識があり、それがこの局所的地域における親族関係にある集団の要員間の結婚の取り決めの指導に用いられていたかもしれない、ということです。これらのパターンは、通常は局所的な族内婚(たとえば、近隣の村落もしくは同じ村落内の個体の結婚)率増加を示す、現代の母方居住の人口集団と一致し、こうした慣行によって、男性は地理的近さを通じて、その出生集団における影響の保持が可能となるかもしれません。
●鉄器時代ブリテン島における母方居住
WBK共同体を当時の状況に位置づけるため、ヨーロッパにおける時空間を通じた母方居住慣行の痕跡として、ミトコンドリアの多様性が検索されました。新石器時代から鉄器時代にわたる156ヶ所の考古学的遺跡が検証されて(1親等の親族は除外されました)、きょくたんに低い多様性水準の6ヶ所の辺境の共同体が観察され、その全ては鉄器時代のイングランドに位置し、具体的には、サマセット州のウォールベリー(Worlebury)遺跡、ドーセットのボトル・ナップ(Bottle Knap)遺跡、オックスフォードシャーのグラヴェリー・ガイ(Gravelly Guy)遺跡、コーンウォールのトレゼラン農場(Trethellan Farm)およびトレガッネル(Tregunnel)遺跡、ヨークシャーのポックリントン(Pocklington)遺跡です。11点の最低の多様性推定値はブリテン島の鉄器時代人口集団や、イングランドの中期~後期青銅器時代遺跡の人口集団に由来する、とさらに観察されました。対照的に、Y染色体の多様性は高く、ROHのパターンから、これらは比較的大きな異形交配共同体だった、と示唆されます[17]。データセットにおいて2番目に大きな墓地標本であるポックリントン遺跡では、33個体のうち28個体が3系統の優勢なmtHgに属しており、これらのmtHgはWBKと同様に、固有変異によって定義される下位クレードに区分できます。ここでは、埋葬活動の主要機関は紀元前400~紀元前50年頃でしたが、主要な母系の最初の観察は前期青銅器時代(個体I11033、紀元前717~紀元前395年頃)で、紀元前400~紀元前50年頃に先行します。
これらの結果は、長い母方居住の共同体が鉄器時代にはブリテン島全域に広がっており、その起源が先行する青銅器時代にさえあったかもしれない、という強力な証拠を提供します。ブリテン島とドイツにおける鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)および前期青銅器時代の墓地は、父方居住の証拠を提示し、父系血統を強調しており、これは、ブリテン島におけるこの期間のより広い社会組織を反映しているならば、父方居住社会から母方居住への移行の興味深い可能性を提起します。これは民族誌の調査において比較的稀ですが、これらはヒトの歴史の大半を通じて示唆されるわけではないかもしれません。
ある遺跡における高いミトコンドリアの多様性は、単に居住パターンを反映しているだけではなく、個体間の生物学的近縁性の全体的な欠如も示唆しているかもしれず、じっさい、refinedIBDを用いると、鉄器時代のブリテン島において、mtDNAの多様性は、特定された親族の組み合わせの正規化された数と有意な逆相関を示します(図2)。しかし、高水準の生物学的近縁性のある複数の遺跡の存在(図2)にも関わらず、mtDNAの多様性における同様の減少は他の先史時代では明らかではなく、母方居住の慣行は新石器時代もしくは青銅器時代のヨーロッパにおいて広がっていなかった、と示唆されます。対照的に、鉄器時代ブリテン島人口集団におけるY染色体の多様性を検証すると、親族の組み合わせの数との相関は特定されません。以下は本論文の図2です。
●IBD断片は地域構造を明らかにします
遺跡間で24 cM(センチモルガン)以上が共有されている遺伝的親族の事例は30通り見つかり、そのほとんどは2km~40kmの間の距離にあり、このうちmtDNAハプロタイプを共有している事例はありませんでした。対照的に、遺跡内の組み合わせの51%はmtDNAを共有しています。たとえば、ブリストル海峡沿岸のディッブレス農場(Dibbles Farm)およびウォールベリー・ヒルフォート(Worlebury Hillfort)遺跡は8組の親族の組み合わせを共有しており(30~55 cMのIBD)、それぞれの遺跡では異なる母が優勢で(図2)、移動が男性の結婚相手だったことを示唆しています。同様のパターンは東ヨークシャーで見られ、この地域には、プトレマイオスが言及したパリシィ(Parisi)部族と関連する、独特な鉄器時代のアラス文化(Arras Culture)があります。ダーウェント川(River Derwent)を境界とする東側のすべての遺跡間では極端な水準のIBD共有が観察され、この地域における密着した社会集団の存在が示唆されます。しかし、これら東ヨークシャーの遺跡のどの組み合わせの間でも、共有されたmtDNAハプロタイプは観察されません。
鉄器時代のブリテン島における人口構造をさらに特徴づけるため、考古学的遺跡間で共有されるIBDの加重網図でライデン(Leiden)クラスタ化(まとまり)が実行されました(図3a)。100下位の独立した実行で、合意クラスタが特定されました。これらは明確な地理的パターン化を示しており、たとえば、スコットランド(緑色)やヨークシャー(青色)やミッドランド(水色)や南西部(紫色)の下位クラスタがすべて現れます。WBKはドーセット州のクラスタ(赤色)内に位置づけられ、鉄器時代後半の「デュロトリゲス様式」の硬貨の既知の分布に図示されます。興味深いことに、いくつかのクラスタは大陸とブリテン島沿岸両方の遺跡を含んでおり、海峡を横断した移動が示されています。以下は本論文の図3です。
IBD断片共有のパターンは、ブリテン島とヨーロッパ大陸部の人口規模の違いも明らかにしまするイングランドの南部と東部はROHおよび地域内IBD共有の顕著に減少した水準を示し、より高い人口密度と人口のつながりが示唆されます。これらはひじょうに生産性の高い農耕地域で、そこでは、オッピドゥム(oppidum、複数形はoppida)と呼ばれるブリテン島南部の最初の町が、紀元後43年のローマ帝国による征服前の世紀に出現しました。
●イングランド南部への鉄器時代の移住
ブリテン島南部(イングランドとウェールズ)の鉄器時代のゲノムについて、大陸部の祖先系統構成要素の増加が報告されてきており[17]、後期青銅器時代の期間およびその前(紀元前1000~紀元前875年頃)におけるブリテン島への大規模な移動の結果として解釈されてきました。これは、EEF(Early European Farmer、初期ヨーロッパ農耕民)祖先系統の増加として検出可能です。本論文のデータを組み込むと、前期鉄器時代と後期鉄器時代との間のEEF祖先系統における、以前には検出できなかった有意な増加(39.7±0.2~41.8±0.5%)が見つかり、これはイギリス海峡の中央部および東部沿岸のブリテン島南部地域のゲノムによって促進され、デュロトリゲス人の領域の古代人のゲノムも含まれます(図3d)。これらの地域は考古学的には、中期青銅器時代における空前のヨーロッパ大陸部からの影響の中核として現れ、共同体は海峡をまたいで何世紀にもわたって、死者の処置や集落建築や物質文化の並行発展を示しており、高水準の人口移動が示唆されます。海峡をまたぐ関係は鉄器時代を通じて存続し、鉄器時代には、ブリテン島の大半はより地域的で明確に島嶼的な文化的足跡を発展させたようです。
ゲノムデータセットを「海峡中核」と「周辺」の地域に分割すると、青銅器時代におけるEEF祖先系統の増加は一元的過程ではなかった、と分かりました。むしろ、海峡中核地帯における主要な増加が前期~中期青銅器時代に起きているのに対して、周辺地域では数世紀にわたる遅れが観察されます。たとえば、さらなる地域の分割は、前期青銅器時代から前期鉄器時代(紀元前750~紀元前400年頃)までのイングランド北部におけるEEF祖先系統の増加を示しません。
海峡中核地帯に固有の大陸部からの遺伝子流動の影響は、ヨーロッパ西部の現代人および古代人の主成分分析(principal component analysis、略してPCA)や、ChromoPainterを用いて特徴づけられた大陸部人口集団からのハプロタイプコピーのパターンで見られます。SOURCEFINDを用いて、鉄器時代のゲノムの祖先系統が前期青銅器時代のブリテン島集団と大陸部集団からの寄与に分解され、さらに、代理のさまざまなパネルでNNLS(non-negative least square、非負制約付最小二乗法)[38]の代替的手法を用いて、本論文の結果が確証されました。全体的に、ブリテン島前期青銅器時代(紀元前2500~紀元前1500年頃)人口集団からイングランドおよびウェールズの鉄器時代人口集団(紀元前800~紀元後50年頃)への、73%(SOURCEFIND、NNLSでは75%)の平均的な寄与が推定されました。この値は、遺伝子プールの50%の長期の置換率を推測した先行研究の推定値より大きいものの、ブリテン島とアイルランド島に固有のY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b1a1a2c1(L21)が1/4まで希釈された、との報告[17]と一致します。
海峡沿岸部では、青銅器時代の連続性の急激な低下が見られます(図3b)。これはハンプシャーに集中しており(SOURCEFINDの推定値は60%)、この地域は伝統的に、ガリアから移住してきた、とカエサルが言及したベルガエ(Belgic)部族と関連しています。ハンプシャーと近隣のデュロトリゲス人の地帯は両方とも、前期鉄器時代と後期鉄器時代の間のEEF祖先系統における独立した有意な増加を示します。注目すべきことに、デュロトリゲス人の領域は、ローマの影響がガリア全域に拡大するにつれて、海峡にまたがる交流網が強化していった中心地の一つである、ヘンジストベリー・ヘッド(Hengistbury Head)の主要港がありました。分析のための標本が少ないので、ハプロタイプデーのデータは、精細な時間的傾向について低解像度を提供しますが、中期~後期鉄器時代における多くの遺伝的外れ値を特定し、その全ては海峡中核地域に由来しており、EEF祖先系統のみが検討された場合には認識できません。これらの外れ値には、鉄器時代のイングランドの、海峡沿岸部のノース・バーズティド(North Bersted)遺跡(紀元前50年頃)で知られている最も精巧な戦士の埋葬の一つが含まれており、この個体は同位体痕跡および埋葬儀式に基づいて、カエサルのガリア征服海峡を横断した移民の流れに属する、と提案されてきました。
●島嶼部の連続性
地域的な連続性はスコットランドにおいて最も強く、92%と推定されており、スコットランドの前期青銅器時代人口集団に優先的に由来する寄与がありました。前期青銅器時代祖先系統の大きな構成要素は、イングランドの北部(88%)および南西部(78%)でも見られます。ブリテン島以外では、単一のオランダの後期鉄器時代のゲノムも、人口連続性のいくらかの証拠を示しており、SOURCEFIND分析では、その祖先系統はほぼ完全にオランダの青銅器時代人口集団に由来します。対照的に、フランスの人口集団は、おもにフランスとドイツの供給源からの多様な構成要素を示しますが、東方ではチェコの鉄器時代祖先系統、南方ではスペインの青銅器時代祖先系統の、少数派ながら一定以上の割合の構成要素があり、ケルト語派圏における交差点としてのフランスの位置が浮き彫りになります。沿岸部のユルヴィル・ナックヴィル(Urville-Nacqueville)遺跡で発見されたフランスの外れ値1個体[41]が注目され、この遺跡はイギリス海峡を挟んでドーセット州に面しており、浅い楕円形の墓におけるデュロトリゲス様式の屈葬が含まれます。この個体はブリテン島青銅器時代からの72%の寄与が推定されており、遺伝子流動が海峡を横断して双方向で起きた、と示唆されます。
●まとめ
ブリテン島の多様な地理は地域性をもたらし、その地域性は考古学的期間にまたがって現れます。鉄器時代には、河川など自然の領域的境界によって形成された、きめ細かい地理的構造が特徴づけられます。スコットランドやコーンウォールやウェールズやイングランド北部を含めて周辺地域は、島嶼性の痕跡を示します。南部の海峡中核は例外で、ブリテン島前期青銅器時代とのゲノム連続性の減少や、海峡をまたぐIBDの類似性や、より大きな人口規模の兆候や、遠い祖先系統の個体群を示します。この地域では、EEF祖先系統における中期鉄器時代~後期鉄器時代にかけての急激な上昇が見られ、これはかなりの海峡間の移動を示唆しており、この移動は、ガリアへのローマの拡大の前に、少なくとも後期には、接触と交換の強化に関する文献および考古学の証拠と一致します。
青銅器時代と鉄器時代を通じた海峡をまたぐ遺伝子の流動は、ケルト語派言語の到来について広い枠を提供します。大陸部祖先系統のかなりの構成要素が、中期青銅器時代までに海峡中核地域に存在します。しかし、鉄器時代におけるEEF祖先系統の第二の高まりは、すでに沿岸部地域で話されていた島嶼部ケルト語のどの系統の言語にも影響を及ぼしたかもしれず、ブリテン島南部のケルト語派言語であるブリトン諸語(Brittonic)とガリアのケルト語派言語が、アイルランドおよびスコットランドのゴイデル語(Goidelic)など、より周辺の言語系統で見られない多くの革新を共有していることに要注意です。ブリテン島のほとんどの地域における前期青銅器時代の連続性の強い痕跡を考えると、この期間の跡の言語導入はおそらく、人口統計学的な少数派の、上流階層によって促進されたかもしれません。
鉄器時代ブリテン島で広がっていた母方居住伝統はヨーロッパ大陸部からも導入されたかもしれませんが、注目すべきことに、mtDNAの多様性減少は本論文の周辺人口集団において顕著です(図2)。ヨーロッパ大陸部ケルト社会について、ヨーロッパ中央部のハルシュタット(Hallstatt)文化の上流階層の「王子」の埋葬2個体間のおそらくはオジの関係の発見に基づいて、母系継承が以前に提案されました[43]。単系に基づく社会単位が単一性居住を行なう農耕社会で一般的であることを考えると、母系制度は鉄器時代ブリテン島に存在したかもしれません。しかし、WBKにおける男性配偶者の埋葬から、母系集団がこの社会に存在していたとしても、機能は限られていた、と示唆されます。弱い叔権の母方居住社会では、母親と娘と姉妹の関係が一般的により重視され、女性は比較的高い地位と財産権を享受する傾向にあることに要注意です。
母方居住と母系制はともに、生計労働への女性の関与を増加させ、父系確実性を低下させる文化的要因によって予測されます。外部との戦争は、男性の不在を通じてこれらの両方を促進し、さまざまな機序を通じて母方居住への移行を引き起こす、と長く理論化されてきており、これは定量的モデル化を通じて最近強化された仮説です。母方居住は新たな領域への移住の歴史も予測し、こうした移住は辺境での戦いを伴うことが多くあります。ブリテン島の鉄器時代は、議論の余地がありますが、要塞化された避難場所や武器や暴力関連の傷を示すヒトの遺骸やユリウス・カエサルおよびタキトゥスなどローマの文筆家によって記録されている集団間の紛争によって示唆される、高い社会的暴力の時代でした。重要なことに、母方居住は女性の政治的および社会的権限付与を必要としませんが、これらと強く関連しており、ケルト人の女性に関するローマの記述と共鳴します。征服された人々の古典的記述は疑いの目で見られることが多いものの、本論文では、鉄器時代ブリテン島に関するこれらの文筆家の評価におけるいくらかの真実が見つかりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
人類学:鉄器時代のブリテンにおけるケルトの「ガールパワー」
鉄器時代のブリテンのケルト人社会では、女性が社会ネットワークの中心であったことを報告する論文が、今週発行のNature に掲載される。2000年前のDNAの分析により、結婚した女性が先祖代々のコミュニティーに留まる母方居住のケルト社会の証拠が明らかになった。
人間の社会構造は、結婚した夫婦がどこに住むかによって形作られる。父方居住制とは、主に男性の家族またはその近くにパートナーが住むことを指し、母方居住制社会では、夫婦は女性の親の近くに住む。父方居住制は、ヨーロッパの新石器時代、銅器時代、および青銅器時代の遺跡で最も多く見られるシステムである。しかし、考古学的証拠から、ケルト社会では女性が高い地位を与えられていた可能性があることが示唆されている。例えば、紀元前100年頃から西暦100年頃にかけてイングランド南部の海岸地域を占領していたデュロトリゲス(Durotriges)族は、女性を貴重品とともに埋葬していた。Lara Cassidyらによる遺伝子データの分析も、この説を裏付けている。
著者らは、ブリテン南部のデュロトリゲス族の集落に関連する鉄器時代の墓地に埋葬された57人のゲノムを分析した。その結果、ほとんどの個人は母系でつながっていることが判明し、墓地で見つかった血縁関係のない個人は主に男性(結婚後に移住してきたと推定される)であった。Cassidyらは、古代のブリテンのDNAを、6000年以上にわたる他のヨーロッパの遺跡(フランス、オランダ、およびチェコなど)と比較した。これらの分析により、人口移動に関する洞察が得られ、ブリテンの鉄器時代の人口とヨーロッパ大陸の人口とのつながりが明らかになった。証拠から、英仏海峡を越えた継続的な文化交流があったことが示されており、それが現地の文化に影響を与え、ケルト語が伝わった可能性もある。これらの洞察により、古代のブリテン社会とヨーロッパ大陸とのつながりについて、より深い理解が得られると著者らは結論づけている。
古代ゲノミクス:鉄器時代のブリテン島における大陸集団の流入と妻方居住の広がり
古代ゲノミクス:鉄器時代のブリテン島に存在した母系集団
今回、鉄器時代のブリテン島南部の遺跡から得られた古DNAの解析によって、この地域に妻方居住の地域社会が存在したことが示された。
参考文献:
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また、ブリテン島の鉄器時代人口集団は微細な地理的クラスタ(まとまり)を形成し、南部は海峡を越えて大陸と遺伝的につながっていました。じっさい、ブリテン島の大半の地域は前期青銅器時代から鉄器時代まで強いゲノム連続性を示しますが、この連続性は南部沿岸中核地域において、持続的な海峡を越えた文化的交流のため顕著に減少している、と示されました。この南部沿岸中核地域では、中期青銅器時代だけではなく鉄器時代にも人口流入の証拠があり、ケルト語との関連も推測されます。
人類の「原始(未開)社会」は一様に「母系制」で、社会の「発展」に伴って「父系制」へと「進化」する、といった恐らく「唯物史観」によって今でも一般には根強く浸透していると思われる見解は根本的に間違っている、と私は考えています(関連記事)。本論文でも指摘されているように、ほとんどのヨーロッパの新石器時代と銅器時代と青銅器時代の遺跡では、父方居住と父系制の証拠が報告されてきており、ブリテン島の鉄器時代人類集団の事例は、明らかに「原始母系制社会」の根拠にはなりません。また本論文は、民族誌のデータに基づいて、父方居住から母方居住への移行は稀だった、と考えられてきたものの、それが人類史の大半において見られる傾向ではなかった可能性も示唆しています。
おそらく人類社会は元々、「父系制」というか父方居住で始まり、現代人へとつながる系統で社会構造が多様化し、「母系制」というか母方居住も出現したのだと思います。つまり、人類史において母方居住は父方居住よりもかなり遅くになって出現した、というわけです。おそらく、この社会構造の多様化は現代人系統が地理的に分化していく前に始まっており、10万年以上の歴史があるのではないか、と考えています。もちろん、少なくとも現生人類社会の居住様式は、父方居住と母方居住へと単純に二分されるわけではありませんが。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●要約
ローマの文筆家は、ケルト人の女性の相対的に大きな力に注目していました。ブリテン島南部において、後期鉄器時代のデュロトリゲス人は女性を豊富な副葬品とともに埋葬することが多くありました。本論文はデュロトリゲス人の埋葬地から発見された古代人57個体のゲノムを解析し、単一の母系を中心とする拡大親族集団を見つけ、親族関係にない(おそらくは外部から移住してきた)被葬者はおもに男性でした。そうした母方居住パターンはヨーロッパの先史時代において報告されていませんが、6000年にわたるヨーロッパの考古学的遺跡間のミトコンドリアハプロタイプの差異を比較すると、ブリテン島の鉄器時代墓地は支配的な母系の存在に起因する多様性の顕著な低下がある点で、際立っていました。
ハプロタイプ共有のパターンから、ブリテン島の鉄器時代人口集団は微細な地理的クラスタを形成し、南部のつながりは海峡を越えて大陸にまで及んでいた、と明らかになります。じっさい、ブリテン島の大半は前期青銅器時代から鉄器時代までの多数のゲノム連続性を示すのに対して、これは南部沿岸中核地域において、持続的な海峡を越えた文化的交流で顕著に減少しています。この南部中核には、中期青銅器時代だけではなく鉄器時代にも人口流入の証拠があります。これはブリテン島の他地域と同時期ではなく、おそらくはケルト語の獲得を含めて、大陸からの影響の段階的で地理的に細分化された吸収を示しています。
●研究史
社会の構造は結婚した二人の居住パターンによって形成されます。夫婦がおもに妻側の両親とともに、もしくはその近くに居住する母方居住が現代の民族誌データベースでは比較的稀なのに対して、父方居住ははるかに最も一般的な制度です。さらに、充分なゲノムおよび考古学的データがあるほとんどのヨーロッパの新石器時代と銅器時代と青銅器時代の遺跡では、父方居住と父系制の証拠が報告されてきました[7~13]。
歴史時代の始まりにも関わらず、ブリテン島の鉄器時代の人々の社会構造についてはほとんど知られていません。紀元後の数世紀に、プトレマイオスはさまざまな民族の位置をケルト語由来の名前で記載し、カエサルは都市国家に言及しています。これらの曖昧な用語は「部族」と訳されることが多いものの、そうした集団の帰属意識の複雑さはよく理解されていません。興味深いことに、最初期の記録されたブリテン島の支配者2人はカルティマンドゥア(Cartimandua)およびブーディカ(Boudica)という女性で、男女両方が最高の政治的地位に達することができた、と示唆されます。イングランド北部の大半を占める部族であるブリガンテス人(Brigantes)をカルティマンドゥアが30年間にわたって統治したことから、女性が財産を相続し、離婚して、軍隊を効果的に率いることができた、と分かります。イングランドの東部では、イケニ人(Iceni)のブーディカが名高い反乱を起こし、この反乱はローマの町を破壊して、ローマ帝国政府の権威に挑みました。さらに、ユリウス・カエサルは紀元前1世紀半ばに『ガリア戦記』にて、ブリテン島の女性は複数の夫を持つことができる、と述べました。しかし、そうした社会的記述は疑わしいと見られており、家父長制社会が深く浸透していた地中海世界の徴集にとって異国情緒的に見えただろうものへと偏っています。
ヨーロッパ西部のケルト人の複数の墓における副葬品の分布は、女性が高い地位にあることを裏づけるものとして解釈されてきました。しかし、イギリスの考古学的証拠は、鉄器時代のヒト遺骸がなりなので限られており、個体はおそらくおもに、火葬されたか、肉体を奪われたか、湿地に埋葬されました。紀元前100~紀元後100年頃にイングランド中央部南方を占拠していたデュロトリゲス人は例外で、死者は屈葬の正式な墓地に埋葬されました(図1c)。興味深いことに、これらの埋葬において威信財の数がより多くて多用であることとより一般的に関連しているのは女性で、高位とおそらくは母親中心の社会を示唆しています。以下は本論文の図1です。
鉄器時代ブリトン人(Briton)のゲノムの差異が調べられてきましたが(16~19)、親族関係および結婚と関連する社会慣行を解明できる単一墓地からのデータは限定的です。ゲノム調査はケルト語派の拡大についての議論に寄与してきており、中期~後期青銅器時代は、この期間のブリテン島への大規模な移住と、それに続く鉄器時代におけるかなりの遺伝的孤立に関する推測に基づいて、到来の候補期間と特定されています[17]。しかし、ブリテン島への遺伝子流動の特徴づけには、ハプロタイプ解析と地域的分性を通じてのさらなる洗練が必要です。本論文では、イギリスのドーセット州のWBK(Winterborne Kingston、ウィンターボーン・キングストン)のデュロトリゲス人および他集団の墓地から得られた55個体のゲノムが、メイデン・ニュートン(Maiden Newton)およびラントン・ヘーリング(Langton Herring)の豪華な墓のデュロトリゲス人女性2個体の被葬者とともに、配列決定されました。これらは、女系子孫によって特徴づけられる共同体を明らかにします。他のブリテン島鉄器時代の遺跡から得られたデータと組み合わせると、本論文の分析では、母方居住が広範と分かり、地理的懲戒と一致し、同時代のローマの文献および考古学的データセットを反映している、ブリテン島南部沿岸の鉄器時代の移民のゲノム痕跡を示す、微細規模の系図網が明らかになります。
●デュロトリゲス人社会における母方居住
イングランド南部沿岸のWBKにおける発掘は、集落についてのかなりの証拠を明らかにし、その年代は紀元前1000年頃の青銅器時代後半からローマ期後となる紀元後500年頃にまでまたがり、鉄器時代後半以降のいくつかの小さなデュロトリゲス式墓地が含まれます(図1b)。ゲノムデータはこの遺跡から得られた55点の骨格標本すべてで回収され、40点は遺伝子型補完および個体間で同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)だったゲノム断片の堅牢な特定に充分なほど高い網羅率(0.3倍超)に達しました。これはWBKがこの遺跡の使用のデュロトリゲス期(紀元前100~紀元後100年頃)に大規模な親族集団の埋葬地だったことを明らかにし、40個体のうち30個体は、少なくとも1個体の約7親等もしくはもっと近い親族がいました。この親族集団の追加の低網羅率の構成員4個体は、アレル(対立遺伝子)分析を通じて特定されました。
驚くべきことに、遺伝的に特定された親族の2/3以上(24/34)はmtDNAハプログループ(mtHg)U5b1の稀な系統に属しており(図1d)、この稀な系統は古代人の標本抽出では以前には観察されておらず、現代人のデータにおける頻度はわずか0.003%です。この単一の母系の優勢は、キョウダイの多さによって歪められているわけではなく、観察されたキョウダイは姉妹のわずか2組(全員成人)です(図1a)。追加の下流変異はWBKに固有のこのmtHgにおいて4系統の下位クレード(単系統群)を区別します。mtDNA変異率のより速い推定値の一つ(1世代につき1ヶ所の部位あたり4.72 × 10⁻⁷の変異)を用いて、この水準のクレード内多様性がもたらされるには、この系統の母親から少なくとも420個体の女性の出生が必要になるだろう、と推定され、このハプロタイプとWBKとの間の長期の関連が示唆されます。対照的にY染色体の多様性は高いと分かり(図1d)、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)から、これが異形交配共同体だった、と示唆されます。理論とモデル化と現代の人口集団の調査から、そうしたパターンは母方居住刊行によって生じる、と論証されてきました。
WBKにおける母方居住を確証するため、2種類の模擬実験が実行されました。第一に、人口集団における任意交配集団間の男女のさまざまな移住率がモデル化され、結果として生じる片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の多様性(h)が推定されました。これらの模擬実験は、女性の外部への移住率は0に近く、男性の外部移住率は1世代あたり0.15~1の間と示唆しました。第二に、構成員が(1)父方居住か、(2)母方居住か、(3)混合居住のいずれかを行なっていた、7世代の系図における常染色体とX染色体の親族関係の係数の分布が模擬実験されました。再び、観察されたデータは母方居住と一致します。優勢なmtDNA系統の最初期の発生は2親等の親族2人で(較正年代で紀元前346~紀元前51年頃)、最後の観察は、ブリテン島のケルト社会が急激な変化を経たローマ期(紀元後31~紀元後212年頃)です(図1b)。したがって、最新の家族の構成員は、拡張土葬の新たな埋葬儀式に従って葬られました(WBK36、紀元後82~紀元後316年頃)。
●鉄器時代共同体における結婚慣行
中核的な親族集団について最節約的な系図が再構築され、この系図は男性の移動性と組み合わされ、WBKにおける母方居住伝統をさらに確証します(図1a)。1親等以上の父系の親族関係は1組(WBK02とWBK195)しか見つからず、これは世代にまたがる母系女性との複数の関係を含んでいる、と推測されます。成人女性1個体(WBK31)とその娘(WBK22)とその成人の孫娘(WBK15とWBK19)は全員、異なる男性配偶者を通じてのWBK31の推定される母系の曽孫(WBK12)とともに、同じ場所に埋葬されています。本論文の系図には二重関係の珍しい1事例があり、IBD断片の長さの分布から、WBK17は両親の結婚によって姉妹であるWBK34とWBK40が生まれた継子の、息子である可能性が最も高い、と結論づけることができます。
デュロトリゲス期の年代の個体群を検証すると、男性は他の個体との遺伝的近縁性の水準が顕著に低く、非母系個体間で著しく多く見られる、と分かりました(図1b)。全員男性の6個体は、WBKの親族集団との検出可能な遺伝的つながりを示さない(つまり、この男性6個体は主要な母系の構成員ではなく、特定された親族がいません)ものの、家族の構成員だった可能性は依然としてあります(たとえば、集団内で移動した配偶者もしくは養子)。この6個体のうち4個体は死亡時に成人もしくは思春期で、典型的なデュロトリゲス様式で埋葬され、3個体の副葬品は地元で製作された土器の容器で構成されており、共同体に統合されていたことを示唆しています。遺伝的に親族関係にある個体群を検証すると、優勢なmtHgに属さない家族の構成員10人のうち8人が男性と分かりました。これら優勢な系統ではない男性と優勢な系統の女性との間の2組の結婚が推測され、これには祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がおもにヨーロッパ大陸部に由来する外れ値個体WBK02が含まれます。
配偶者の共同埋葬は母系の厳密な重視の社会において一般的ではないことに要注意で、そうした社会では男性は母系親族を頻繁に訪れるか、同居することさえあり、妻ではなく母系親族とともに埋葬されることが多くあります。じっさい、妻の家族への夫の統合は、姪が母方のオジから相続する母系制度(叔権)に負担をかけるかもしれません。この理由のため、男性親族の管理する財産が少ない場合に、母方居住はより安定する、と考えられています。これが関連している社会では、富が土地に集中し、それは通常豊富で、女性によって大規模に耕作および所有されており、男性は存在しないことが多くあります(たとえば、戦争のため)。
興味深いことに、WBKでは両配偶者が創始者女性である5組の結婚が推定され(図1a)、これには、構成員が両方とも女系を通じての直系子孫である、3組が含まれます。しかし、子孫におけるIBD共有の欠如と同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の欠如によって示唆されるように、これらの配偶者には近い過去の近縁性は母系の夫婦は異なる下位クレードに属しています。これが示唆するのは、WBKの人々は自らの家系に関する深い知識があり、それがこの局所的地域における親族関係にある集団の要員間の結婚の取り決めの指導に用いられていたかもしれない、ということです。これらのパターンは、通常は局所的な族内婚(たとえば、近隣の村落もしくは同じ村落内の個体の結婚)率増加を示す、現代の母方居住の人口集団と一致し、こうした慣行によって、男性は地理的近さを通じて、その出生集団における影響の保持が可能となるかもしれません。
●鉄器時代ブリテン島における母方居住
WBK共同体を当時の状況に位置づけるため、ヨーロッパにおける時空間を通じた母方居住慣行の痕跡として、ミトコンドリアの多様性が検索されました。新石器時代から鉄器時代にわたる156ヶ所の考古学的遺跡が検証されて(1親等の親族は除外されました)、きょくたんに低い多様性水準の6ヶ所の辺境の共同体が観察され、その全ては鉄器時代のイングランドに位置し、具体的には、サマセット州のウォールベリー(Worlebury)遺跡、ドーセットのボトル・ナップ(Bottle Knap)遺跡、オックスフォードシャーのグラヴェリー・ガイ(Gravelly Guy)遺跡、コーンウォールのトレゼラン農場(Trethellan Farm)およびトレガッネル(Tregunnel)遺跡、ヨークシャーのポックリントン(Pocklington)遺跡です。11点の最低の多様性推定値はブリテン島の鉄器時代人口集団や、イングランドの中期~後期青銅器時代遺跡の人口集団に由来する、とさらに観察されました。対照的に、Y染色体の多様性は高く、ROHのパターンから、これらは比較的大きな異形交配共同体だった、と示唆されます[17]。データセットにおいて2番目に大きな墓地標本であるポックリントン遺跡では、33個体のうち28個体が3系統の優勢なmtHgに属しており、これらのmtHgはWBKと同様に、固有変異によって定義される下位クレードに区分できます。ここでは、埋葬活動の主要機関は紀元前400~紀元前50年頃でしたが、主要な母系の最初の観察は前期青銅器時代(個体I11033、紀元前717~紀元前395年頃)で、紀元前400~紀元前50年頃に先行します。
これらの結果は、長い母方居住の共同体が鉄器時代にはブリテン島全域に広がっており、その起源が先行する青銅器時代にさえあったかもしれない、という強力な証拠を提供します。ブリテン島とドイツにおける鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)および前期青銅器時代の墓地は、父方居住の証拠を提示し、父系血統を強調しており、これは、ブリテン島におけるこの期間のより広い社会組織を反映しているならば、父方居住社会から母方居住への移行の興味深い可能性を提起します。これは民族誌の調査において比較的稀ですが、これらはヒトの歴史の大半を通じて示唆されるわけではないかもしれません。
ある遺跡における高いミトコンドリアの多様性は、単に居住パターンを反映しているだけではなく、個体間の生物学的近縁性の全体的な欠如も示唆しているかもしれず、じっさい、refinedIBDを用いると、鉄器時代のブリテン島において、mtDNAの多様性は、特定された親族の組み合わせの正規化された数と有意な逆相関を示します(図2)。しかし、高水準の生物学的近縁性のある複数の遺跡の存在(図2)にも関わらず、mtDNAの多様性における同様の減少は他の先史時代では明らかではなく、母方居住の慣行は新石器時代もしくは青銅器時代のヨーロッパにおいて広がっていなかった、と示唆されます。対照的に、鉄器時代ブリテン島人口集団におけるY染色体の多様性を検証すると、親族の組み合わせの数との相関は特定されません。以下は本論文の図2です。
●IBD断片は地域構造を明らかにします
遺跡間で24 cM(センチモルガン)以上が共有されている遺伝的親族の事例は30通り見つかり、そのほとんどは2km~40kmの間の距離にあり、このうちmtDNAハプロタイプを共有している事例はありませんでした。対照的に、遺跡内の組み合わせの51%はmtDNAを共有しています。たとえば、ブリストル海峡沿岸のディッブレス農場(Dibbles Farm)およびウォールベリー・ヒルフォート(Worlebury Hillfort)遺跡は8組の親族の組み合わせを共有しており(30~55 cMのIBD)、それぞれの遺跡では異なる母が優勢で(図2)、移動が男性の結婚相手だったことを示唆しています。同様のパターンは東ヨークシャーで見られ、この地域には、プトレマイオスが言及したパリシィ(Parisi)部族と関連する、独特な鉄器時代のアラス文化(Arras Culture)があります。ダーウェント川(River Derwent)を境界とする東側のすべての遺跡間では極端な水準のIBD共有が観察され、この地域における密着した社会集団の存在が示唆されます。しかし、これら東ヨークシャーの遺跡のどの組み合わせの間でも、共有されたmtDNAハプロタイプは観察されません。
鉄器時代のブリテン島における人口構造をさらに特徴づけるため、考古学的遺跡間で共有されるIBDの加重網図でライデン(Leiden)クラスタ化(まとまり)が実行されました(図3a)。100下位の独立した実行で、合意クラスタが特定されました。これらは明確な地理的パターン化を示しており、たとえば、スコットランド(緑色)やヨークシャー(青色)やミッドランド(水色)や南西部(紫色)の下位クラスタがすべて現れます。WBKはドーセット州のクラスタ(赤色)内に位置づけられ、鉄器時代後半の「デュロトリゲス様式」の硬貨の既知の分布に図示されます。興味深いことに、いくつかのクラスタは大陸とブリテン島沿岸両方の遺跡を含んでおり、海峡を横断した移動が示されています。以下は本論文の図3です。
IBD断片共有のパターンは、ブリテン島とヨーロッパ大陸部の人口規模の違いも明らかにしまするイングランドの南部と東部はROHおよび地域内IBD共有の顕著に減少した水準を示し、より高い人口密度と人口のつながりが示唆されます。これらはひじょうに生産性の高い農耕地域で、そこでは、オッピドゥム(oppidum、複数形はoppida)と呼ばれるブリテン島南部の最初の町が、紀元後43年のローマ帝国による征服前の世紀に出現しました。
●イングランド南部への鉄器時代の移住
ブリテン島南部(イングランドとウェールズ)の鉄器時代のゲノムについて、大陸部の祖先系統構成要素の増加が報告されてきており[17]、後期青銅器時代の期間およびその前(紀元前1000~紀元前875年頃)におけるブリテン島への大規模な移動の結果として解釈されてきました。これは、EEF(Early European Farmer、初期ヨーロッパ農耕民)祖先系統の増加として検出可能です。本論文のデータを組み込むと、前期鉄器時代と後期鉄器時代との間のEEF祖先系統における、以前には検出できなかった有意な増加(39.7±0.2~41.8±0.5%)が見つかり、これはイギリス海峡の中央部および東部沿岸のブリテン島南部地域のゲノムによって促進され、デュロトリゲス人の領域の古代人のゲノムも含まれます(図3d)。これらの地域は考古学的には、中期青銅器時代における空前のヨーロッパ大陸部からの影響の中核として現れ、共同体は海峡をまたいで何世紀にもわたって、死者の処置や集落建築や物質文化の並行発展を示しており、高水準の人口移動が示唆されます。海峡をまたぐ関係は鉄器時代を通じて存続し、鉄器時代には、ブリテン島の大半はより地域的で明確に島嶼的な文化的足跡を発展させたようです。
ゲノムデータセットを「海峡中核」と「周辺」の地域に分割すると、青銅器時代におけるEEF祖先系統の増加は一元的過程ではなかった、と分かりました。むしろ、海峡中核地帯における主要な増加が前期~中期青銅器時代に起きているのに対して、周辺地域では数世紀にわたる遅れが観察されます。たとえば、さらなる地域の分割は、前期青銅器時代から前期鉄器時代(紀元前750~紀元前400年頃)までのイングランド北部におけるEEF祖先系統の増加を示しません。
海峡中核地帯に固有の大陸部からの遺伝子流動の影響は、ヨーロッパ西部の現代人および古代人の主成分分析(principal component analysis、略してPCA)や、ChromoPainterを用いて特徴づけられた大陸部人口集団からのハプロタイプコピーのパターンで見られます。SOURCEFINDを用いて、鉄器時代のゲノムの祖先系統が前期青銅器時代のブリテン島集団と大陸部集団からの寄与に分解され、さらに、代理のさまざまなパネルでNNLS(non-negative least square、非負制約付最小二乗法)[38]の代替的手法を用いて、本論文の結果が確証されました。全体的に、ブリテン島前期青銅器時代(紀元前2500~紀元前1500年頃)人口集団からイングランドおよびウェールズの鉄器時代人口集団(紀元前800~紀元後50年頃)への、73%(SOURCEFIND、NNLSでは75%)の平均的な寄与が推定されました。この値は、遺伝子プールの50%の長期の置換率を推測した先行研究の推定値より大きいものの、ブリテン島とアイルランド島に固有のY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b1a1a2c1(L21)が1/4まで希釈された、との報告[17]と一致します。
海峡沿岸部では、青銅器時代の連続性の急激な低下が見られます(図3b)。これはハンプシャーに集中しており(SOURCEFINDの推定値は60%)、この地域は伝統的に、ガリアから移住してきた、とカエサルが言及したベルガエ(Belgic)部族と関連しています。ハンプシャーと近隣のデュロトリゲス人の地帯は両方とも、前期鉄器時代と後期鉄器時代の間のEEF祖先系統における独立した有意な増加を示します。注目すべきことに、デュロトリゲス人の領域は、ローマの影響がガリア全域に拡大するにつれて、海峡にまたがる交流網が強化していった中心地の一つである、ヘンジストベリー・ヘッド(Hengistbury Head)の主要港がありました。分析のための標本が少ないので、ハプロタイプデーのデータは、精細な時間的傾向について低解像度を提供しますが、中期~後期鉄器時代における多くの遺伝的外れ値を特定し、その全ては海峡中核地域に由来しており、EEF祖先系統のみが検討された場合には認識できません。これらの外れ値には、鉄器時代のイングランドの、海峡沿岸部のノース・バーズティド(North Bersted)遺跡(紀元前50年頃)で知られている最も精巧な戦士の埋葬の一つが含まれており、この個体は同位体痕跡および埋葬儀式に基づいて、カエサルのガリア征服海峡を横断した移民の流れに属する、と提案されてきました。
●島嶼部の連続性
地域的な連続性はスコットランドにおいて最も強く、92%と推定されており、スコットランドの前期青銅器時代人口集団に優先的に由来する寄与がありました。前期青銅器時代祖先系統の大きな構成要素は、イングランドの北部(88%)および南西部(78%)でも見られます。ブリテン島以外では、単一のオランダの後期鉄器時代のゲノムも、人口連続性のいくらかの証拠を示しており、SOURCEFIND分析では、その祖先系統はほぼ完全にオランダの青銅器時代人口集団に由来します。対照的に、フランスの人口集団は、おもにフランスとドイツの供給源からの多様な構成要素を示しますが、東方ではチェコの鉄器時代祖先系統、南方ではスペインの青銅器時代祖先系統の、少数派ながら一定以上の割合の構成要素があり、ケルト語派圏における交差点としてのフランスの位置が浮き彫りになります。沿岸部のユルヴィル・ナックヴィル(Urville-Nacqueville)遺跡で発見されたフランスの外れ値1個体[41]が注目され、この遺跡はイギリス海峡を挟んでドーセット州に面しており、浅い楕円形の墓におけるデュロトリゲス様式の屈葬が含まれます。この個体はブリテン島青銅器時代からの72%の寄与が推定されており、遺伝子流動が海峡を横断して双方向で起きた、と示唆されます。
●まとめ
ブリテン島の多様な地理は地域性をもたらし、その地域性は考古学的期間にまたがって現れます。鉄器時代には、河川など自然の領域的境界によって形成された、きめ細かい地理的構造が特徴づけられます。スコットランドやコーンウォールやウェールズやイングランド北部を含めて周辺地域は、島嶼性の痕跡を示します。南部の海峡中核は例外で、ブリテン島前期青銅器時代とのゲノム連続性の減少や、海峡をまたぐIBDの類似性や、より大きな人口規模の兆候や、遠い祖先系統の個体群を示します。この地域では、EEF祖先系統における中期鉄器時代~後期鉄器時代にかけての急激な上昇が見られ、これはかなりの海峡間の移動を示唆しており、この移動は、ガリアへのローマの拡大の前に、少なくとも後期には、接触と交換の強化に関する文献および考古学の証拠と一致します。
青銅器時代と鉄器時代を通じた海峡をまたぐ遺伝子の流動は、ケルト語派言語の到来について広い枠を提供します。大陸部祖先系統のかなりの構成要素が、中期青銅器時代までに海峡中核地域に存在します。しかし、鉄器時代におけるEEF祖先系統の第二の高まりは、すでに沿岸部地域で話されていた島嶼部ケルト語のどの系統の言語にも影響を及ぼしたかもしれず、ブリテン島南部のケルト語派言語であるブリトン諸語(Brittonic)とガリアのケルト語派言語が、アイルランドおよびスコットランドのゴイデル語(Goidelic)など、より周辺の言語系統で見られない多くの革新を共有していることに要注意です。ブリテン島のほとんどの地域における前期青銅器時代の連続性の強い痕跡を考えると、この期間の跡の言語導入はおそらく、人口統計学的な少数派の、上流階層によって促進されたかもしれません。
鉄器時代ブリテン島で広がっていた母方居住伝統はヨーロッパ大陸部からも導入されたかもしれませんが、注目すべきことに、mtDNAの多様性減少は本論文の周辺人口集団において顕著です(図2)。ヨーロッパ大陸部ケルト社会について、ヨーロッパ中央部のハルシュタット(Hallstatt)文化の上流階層の「王子」の埋葬2個体間のおそらくはオジの関係の発見に基づいて、母系継承が以前に提案されました[43]。単系に基づく社会単位が単一性居住を行なう農耕社会で一般的であることを考えると、母系制度は鉄器時代ブリテン島に存在したかもしれません。しかし、WBKにおける男性配偶者の埋葬から、母系集団がこの社会に存在していたとしても、機能は限られていた、と示唆されます。弱い叔権の母方居住社会では、母親と娘と姉妹の関係が一般的により重視され、女性は比較的高い地位と財産権を享受する傾向にあることに要注意です。
母方居住と母系制はともに、生計労働への女性の関与を増加させ、父系確実性を低下させる文化的要因によって予測されます。外部との戦争は、男性の不在を通じてこれらの両方を促進し、さまざまな機序を通じて母方居住への移行を引き起こす、と長く理論化されてきており、これは定量的モデル化を通じて最近強化された仮説です。母方居住は新たな領域への移住の歴史も予測し、こうした移住は辺境での戦いを伴うことが多くあります。ブリテン島の鉄器時代は、議論の余地がありますが、要塞化された避難場所や武器や暴力関連の傷を示すヒトの遺骸やユリウス・カエサルおよびタキトゥスなどローマの文筆家によって記録されている集団間の紛争によって示唆される、高い社会的暴力の時代でした。重要なことに、母方居住は女性の政治的および社会的権限付与を必要としませんが、これらと強く関連しており、ケルト人の女性に関するローマの記述と共鳴します。征服された人々の古典的記述は疑いの目で見られることが多いものの、本論文では、鉄器時代ブリテン島に関するこれらの文筆家の評価におけるいくらかの真実が見つかりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
人類学:鉄器時代のブリテンにおけるケルトの「ガールパワー」
鉄器時代のブリテンのケルト人社会では、女性が社会ネットワークの中心であったことを報告する論文が、今週発行のNature に掲載される。2000年前のDNAの分析により、結婚した女性が先祖代々のコミュニティーに留まる母方居住のケルト社会の証拠が明らかになった。
人間の社会構造は、結婚した夫婦がどこに住むかによって形作られる。父方居住制とは、主に男性の家族またはその近くにパートナーが住むことを指し、母方居住制社会では、夫婦は女性の親の近くに住む。父方居住制は、ヨーロッパの新石器時代、銅器時代、および青銅器時代の遺跡で最も多く見られるシステムである。しかし、考古学的証拠から、ケルト社会では女性が高い地位を与えられていた可能性があることが示唆されている。例えば、紀元前100年頃から西暦100年頃にかけてイングランド南部の海岸地域を占領していたデュロトリゲス(Durotriges)族は、女性を貴重品とともに埋葬していた。Lara Cassidyらによる遺伝子データの分析も、この説を裏付けている。
著者らは、ブリテン南部のデュロトリゲス族の集落に関連する鉄器時代の墓地に埋葬された57人のゲノムを分析した。その結果、ほとんどの個人は母系でつながっていることが判明し、墓地で見つかった血縁関係のない個人は主に男性(結婚後に移住してきたと推定される)であった。Cassidyらは、古代のブリテンのDNAを、6000年以上にわたる他のヨーロッパの遺跡(フランス、オランダ、およびチェコなど)と比較した。これらの分析により、人口移動に関する洞察が得られ、ブリテンの鉄器時代の人口とヨーロッパ大陸の人口とのつながりが明らかになった。証拠から、英仏海峡を越えた継続的な文化交流があったことが示されており、それが現地の文化に影響を与え、ケルト語が伝わった可能性もある。これらの洞察により、古代のブリテン社会とヨーロッパ大陸とのつながりについて、より深い理解が得られると著者らは結論づけている。
古代ゲノミクス:鉄器時代のブリテン島における大陸集団の流入と妻方居住の広がり
古代ゲノミクス:鉄器時代のブリテン島に存在した母系集団
今回、鉄器時代のブリテン島南部の遺跡から得られた古DNAの解析によって、この地域に妻方居住の地域社会が存在したことが示された。
参考文献:
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