先史時代ヨーロッパの社会構造と人類の居住形態

 最近、鉄器時代ブリテン島人類集団の古代ゲノム研究(Cassidy et al., 2025)を取り上げました。その研究では、鉄器時代ブリテン島の人類集団における母方居住が示されました。これはヨーロッパ先史時代において、母方居住を強く示唆する直接的証拠としては最初の事例となります。その研究で指摘されていたように、民族誌の調査において父方居住社会から母方居住への移行は、母方居住から父方居住や他の居住形態への移行と比較して稀です。これは、民族誌の調査対象以前には、母方居住が民族誌の調査対象期間以降よりずっと多かったことを示唆します。「母系制」や「父系制」といった用語を、単に居住形態と直結させることには慎重であるべきでしょうが、過去に母方居住の割合が民族誌の調査対象期間以降よりずっと多かったならば(Shenk et al., 2019)、「原始(未開)母系社会」説と整合的と言えるかもしれません。人類の「原始(未開)社会」は一様に「母系制」もしくは母方居住で、雌が出生集団に残り、雄が出生集団を離れ、社会の「発展」とともに近縁のチンパンジー属のような父方居住社会へと移行し、「父系制」社会(チンパンジー属にこの用語を使うのは適切ではないかもしれません)が出現した、というわけです。

 しかし、その研究で指摘されていたように、鉄器時代ブリテン島は、先史時代ヨーロッパ人類集団における明確な母方居住の証拠としては最初の事例となります。先史時代ヨーロッパにおいてはこれまで、父方居住の証拠が提示されてきました。たとえば、中石器時代末~新石器時代最初期のフランス大西洋沿岸地域の狩猟採集民集団については、古代DNAほど明確ではないとしても、同位体分析によって父方居住社会の可能性が示唆されており(Simões et al., 2024)、その他に古代ゲノム研究に基づいて、ブリテン島の前期新石器時代の遺跡(Fowler et al., 2022)や、新石器時代となるフランスの紀元前五千年紀の遺跡(Rivollat et al., 2023)でも、父方居住社会が示唆されています。上述のブリテン島人類集団における母方居住の事例は鉄器時代ですから、ヨーロッパ先史時代における直接的証拠では、母方居住よりも父方居住の方がずっと古いことになります。

 これに関して、どの文献だったか自信はありませんが、ヨーロッパ新石器時代は特殊だった、との見解が提示されていたように記憶しており、どうも、この記事の執筆後に詳しく読んだ論文(Bentley, and O'Brien., 2024)を以前ざっと読んだ時の記憶だったようで、その論文については近いうちに当ブログで取り上げます。民族誌の調査では、母方居住から父方居住や他の居住形態への移行の方が、父方居住社会から母方居住への移行よりもずっと多いので、新石器時代のヨーロッパを例外と考えることには、一定の妥当性があるように思います。しかし上述のように、中石器時代ヨーロッパの狩猟採集民集団においても父方居住社会の可能性が示唆されており(Simões et al., 2024)、新石器時代以前のヨーロッパ社会が一様に父方居住社会ではなかったとしても、父方居住社会が存在した可能性はきわめて高そうで、これは「原始(未開)社会」を一様に「母系制」もしくは母方居住と想定する見解と整合的ではありません。

 そもそも、民族誌の調査対象は基本的に過去数百年の社会を直接的には反映しており、母方居住社会と父方居住社会との間の移行頻度は、過去には異なっていたかもしれません(Shenk et al., 2019)。カエサル『ガリア戦記』やヘロドトス『歴史』などを民族誌として読み解くとしても、直接的な情報が3000年以上前までさかのぼることはないでしょう。鉄器時代ブリテン島人類集団の古代ゲノム研究(Cassidy et al., 2025)も、ブリテン島も含めて先史時代ヨーロッパの事例から、鉄器時代ブリテン島人類集団の母方居住が父方居住からの移行だった可能性を指摘しています。民族誌調査で直接的には把握できない時空間において、母方居住社会から父方居住社会への移行の割合は民族誌調査から推測されるより高かったかもしれない、というわけです。

 そもそも人類系統では、更新世に関して父方居住社会を示唆する直接的証拠は得られていますが、母方居住社会を示唆する直接的証拠はまだ得られていないように思います。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)については、イベリア半島集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(Lalueza-Fox et al., 2011)とアルタイ地域集団のmtDNAおよび核DNAの解析(Skov et al., 2022)から、父方居住社会が強く示唆されています。南アフリカ共和国で発見された240万~170万年前頃のアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)の同位体分析(Strother et al., 2011)から、雌が出生集団を離れ、雄が出生集団に留まっていたのではないか、と示唆されており、この見解はその後の研究(Hamilton et al., 2024)でも裏づけられました。

 人類も含まれるヒト上科は、オランウータン属がやや母方居住に傾いているかもしれないとはいえ、現生種は現代人の一部を除いて基本的には非母方居住社会を形成する、と言うべきでしょう。チンパンジー属とゴリラ属と人類を含むヒト亜科で見ていくと、現生ゴリラ属はある程度父方居住に傾いた「無系」社会と言うべきかもしれませんが、チンパンジー属は父方居住社会を形成します。現生人類(Homo sapiens)社会において、ヨーロッパ限定とはいえ、母方居住社会の証拠が得られた時期は父方居住社会の場合よりずっと遅く、アウストラロピテクス・アフリカヌスおよびパラントロプス・ロブストスとネアンデルタール人といった、直接的な祖先と子孫の関係になさそうな更新世の非現生人類社会において父方居住が示唆されていることも考えると、雌が出生集団を離れ、雄が出生集団に留まるような父方居住社会は、人類とチンパンジー属の共通祖先、さらにはゴリラ属との共通祖先の段階にまでさかのぼる古い形態である可能性も考えられます。人類系統は父方居住社会から始まり、現代人へとつながる系統において社会構造が多様化し、母方居住社会なども出現したのではないか、というわけです(関連記事)。

 先史時代のヨーロッパにおいて、より古い時代で父方居住社会の証拠が得られ、より新しい時代になって母方居住社会の証拠が得られたのは、先史時代のヨーロッパが特殊だからではなく、元々人類系統は父方居住社会から始まったので、更新世や完新世前半において父方居住社会が母方居住社会より古くから存在しても不思議ではないからなのでしょう。ただ、現代人が多様な社会を築くことから、そうした特徴は5万年前頃の現生人類においてすでに見られた可能性は高そうで、今後、更新世の現生人類集団においても母方居住社会が確認される可能性は低くないように思います。「唯物史観」で採用されたことによって、今でも日本社会においてかなり浸透しているように思われる、「原始(未開)社会」を一様に「母系制」もしくは母方居住と想定する見解は、現在の知見からは無理筋と言うべきだろう、と考えています。


参考文献:
Bentley RA, and O'Brien MJ.(2024): Cultural evolution as inheritance, not intentions. Antiquity, 98, 401, 1406–1416.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.63
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Cassidy LM. et al.(2025): Continental influx and pervasive matrilocality in Iron Age Britain. Nature, 637, 8048, 1136–1142.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08409-6
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Copeland SR. et al.(2011): Strontium isotope evidence for landscape use by early hominins. Nature, 474, 7349, 76–78.
https://doi.org/10.1038/nature10149
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Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
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Hamilton MI, Copeland SR, and Nelson SV.(2024): A reanalysis of strontium isotope ratios as indicators of dispersal in South African hominins. Journal of Human Evolution, 187, 103480.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2023.103480

Lalueza-Fox C. et al.(2011): Genetic evidence for patrilocal mating behavior among Neandertal groups. PNAS, 108, 1, 250-253.
https://doi.org/10.1073/pnas.1011553108
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Rivollat M. et al.(2023): Extensive pedigrees reveal the social organization of a Neolithic community. Nature, 620, 7974, 600–606.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8
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Shenk MK. et al.(2019): When does matriliny fail? The frequencies and causes of transitions to and from matriliny estimated from a de novo coding of a cross-cultural sample. Philosophical Transactions of the Royal Society B, 374, 1780, 20190006.
https://doi.org/10.1098/rstb.2019.0006

Simões LG. et al.(2024): Genomic ancestry and social dynamics of the last hunter-gatherers of Atlantic France. PNAS, 121, 10, e2310545121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2310545121
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Skov L. et al.(2022): Genetic insights into the social organization of Neanderthals. Nature, 610, 7932, 519–525.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05283-y
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