過去330万年間の石器技術から推測される文化の累積

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、過去330万年間の石器技術から人類史における文化累積を推測した研究(Paige, and Perreault., 2024)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)は独特な多様な生態学的生息地を占めています。ヒトは累積文化を通じて熱帯雨林や北極圏のツンドラへと拡大しました。累積文化は、社会的学習を通じての何世代にもわたる修正と革新と改良の蓄積です。何世代にもわたるさまざまな蓄積によってヒトは、単一の未熟な個体がその生涯において独自に発明できるものを超える、技術や実際的知識の使用が可能となりました。本論文は過去330万年間に作られた石器を分析しました。その結果、石器は60万年前頃まで単純なままだった、と分かりました。それ以後、石器の複雑さは急速に増加しました。他の研究団の調査結果と一致して本論文は、この変化がヒト系統における累積文化の発達を示している、と示唆します。ただ本論文は、こうした評価が石器に依拠していることに注意を喚起しており、更新世の考古資料では有機物がほとんどないため、そうした道具での累積文化の痕跡を見落としているかもしれない、というわけです。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●要約

 累積文化は社会的学習を通じての何世代にもわたる修正と革新と改良で、現生人類集団全体の行動の多様性、およびさまざまな生態学的生息地への適応能力の重要な決定要因です。何世代にもわたる改良と修正と幸運な誤りによって、ヒトは単一の未熟な個体がその生涯において独自に発明できるものを超えて、技術や実際的知識の使用が可能となります。累積文化へのヒトの依存は、脳と身体の大きさや生活史や社会性や生計や生態学的地位の拡大を含めて、人類系統における生物学的および行動的特徴の進化を形成したかもしれません。しかし、ヒトの歴史において、我々の祖先がいつ累積文化に依存し始めたのか、分かっていません。本論文では、ヒトは少なくとも60万年前頃までに累積文化の派生形態に依存していた可能性が高い、と示され、それは増えつつある既存の証拠と一致する結果です。本論文は、考古学的記録の過去330万年間にわたる石器製作系列の複雑さを分析しました。次に、これらの複雑さが、非ヒト霊長類の技術および石器製作経験を用いて推定される、累積文化なしで達成された複雑さと比較されます。その結果、考古学的技術は60万年前頃以後にのみ累積文化の欠如で予測されるよりも顕著に複雑になった、と分かりました。


●研究史

 ヒトは複雑な技術を含めて、何世代にもわたって発展してきた、文化的に伝達された多数の知識のおかげで、多様な環境へと拡大し、適応してきました。累積文化の発展の人口過程はヒトの適応の主要な形態で、ヒトの生計の全側面を支えます。ヒトは累積文化の発展への依存によって、「文化的な生態的地位」にしっかりと位置づけられます。しかし、この能力の進化史は不明です。人類はいつ、複雑な技術に依存し、それを伝えて修正し始めたのでしょうか?これは現生人類の派生的特徴なのか、それとも人類全体で共有される祖先的特徴でしょうか?これらの問題への回答は、技術と分化が人類進化の形成に果たした役割の理解に役立つでしょう。

 本論文は、人類進化全体の石器製作系列複雑さにおける変化を調べます。打製石器は、考古学的記録における最古で最長で最も広がった技術です。アフリカ東部における300万年以上前の出現[4、5]以後、石器はしだいに採食民の道具一式の中心的構成要素となりました。人類は、いくつかの動さを順番に必要とするだけの単純なオルドワン(Oldowan、オルドヴァイ文化)礫核から、複雑な社会における専門職人によるポリネシアの四角形の手斧のより複雑な製作まで、多くの石器製作実践を探りました。

 しかし、人類はなぜ複雑な技術に依存しなければならなかったのでしょうか?多くの環境において、単純な剥片など習得と製作が素早く容易である便宜的な道具が、より複雑なものより好まれるかもしれません。したがって、驚くべきことに、単純な剥片石器は考古学的記録の300万年間全体にわたって存在し続けました。それにも関わらず、効率性と機能性を得るための石器技術の設計空間の新たな領域の探求は、必然的に複雑さの増加を必要とするでしょう。たとえば、硬い鎚で手に持った石核をたたくことにより製作できる道具の種類は限られており、これらはその後の技術と比較して単純で習得が容易です。新たな打撃技術が発見されるにつれて、可能な設計空間の境界が拡大します。たとえば、柔らかい鎚での打撃および押圧剥離では、硬い鎚での打撃で可能な場合よりもじっと薄い両面石器を作れます。これらのより複雑な技術は、発見と習得と移動もより困難です。

 複雑さによって複雑さも生じます。重要な革新の原動力は、新たな特徴を形成するために、既存の特徴を組み換えることです。石器では、新規の方法における既存の方法の組み換えは、新たな形態と道具の種類につながり、新たな技術が発見される可能性を高めるかもしれません。たとえば、着柄の開発は、使用されて発明される、新たな形態や打撃戦略や道具の種類の多くの可能性を開いたでしょう。組み換えが革新の重要な動因である場合、既知の特徴の数が増加し、あり得る組み換えの数が指数関数的に増加するので、複雑さは急速に増加するかもしれません。


●累積文化

 累積文化は、社会的学習を通じての何世代にもわたる修正と革新と改良の蓄積を指します。何世代にもわたる改良と修正と幸運な誤りは、未熟な単一個体がその生涯において独自に発明できるものをずっと超える、技術や実際的知識を生み出すことができます。子供が両親の世代の文化を継承するさいに、何千年もの幸運な誤りと実験の結果を受け継ぎます。

 累積文化は3通りの関連する結果をもたらします。第一に、経時的に人口集団の知識の蓄積が増加します。第二に、累積文化は生物の進化と同様に、怒りそうもない解決を見つけます。生態学的課題には、自身での発見もしくは発明が個体にとって難しすぎる、多くのあり得る解決があります。累積文化によって人口集団は、大規模な適応度景観を探し、段階的に局所的な最適条件を発見することが可能となります。これによって人口集団は、個体がその因果関係を部分的にしか理解していない場合でさえ、有益な実践を開発できます。第三に、累積文化は技術や他の実際的知識の複雑さを増加させる傾向にあります。累積文化によって、完成した道具形態、もしくは物の製作における段階や手順において、有益で独特な部分と構造の経時的蓄積を可能とし、ますます多様で効率的で専門家された道具一式をもたらします。もしくは経時的に累積する物質の製作における段階と手順と観察および実験の証拠から、非ヒト類人猿【当ブログでは類人猿に人類を含めず、類人猿を側系統群と考えていますが、本論文では人類も類人猿に含まれています】文化は実際的知識の模倣に依存していない、と示唆されています。代わりに、非ヒト類人猿の文化は、遺伝子と環境と社会学習の相互作用から生じたようで、これはすべて、こうした行動と関わる部分的段階の直接的模倣なしに、実際的知識の開発をもたらします。対照的に、ヒトは行動の過程とその結果を模倣でき、それによって累積文化を実現できる可能性が高そうです。

 累積文化への依存によって、ヒトは新しい文化的な生態的地位に位置づけられ、それは行動と生物学に大きく影響しました。観察可能な行動の文化的蓄積が発展するにつれて、学習を制御する遺伝子が進化しました。これは、専門的な認知能力が生涯の初期に出現する理由を説明できるかもしれません。調理の文化的適応は、ヒトの骨と筋肉と歯と消化管に新たな選択圧を生じさせました。遺伝子と分化の共進化の過程の他の産物は、相対的な脳の大きさの増加や、生活史の延長やヒトの独自性の根底にある他の根本原理的特徴を含んでいるかもしれません。

 しかし、ヒトはいつ文化的な生態的地位に入ったのでしょうか?初期オルドワンから、後期更新世の現生人類に固有とするものまで、提案はさまざまです。この問題への回答には、技術的複雑さなど、経時的規模での累積文化の代理の測定が必要です。この問題への回答には、そうした代理が累積文化なしでどうなるのか、との予測も必要です。累積文化の出現は考古学的記録に2点の兆候を残す、と予測されます。それは、(1)現生非ヒト霊長類が可能であるよりも複雑で、個々のヒトが自身で学習できるよりも複雑な行動をもたらし、(2)人類が達成できた文化的複雑さの程度において、急速な増加につながることです。本論文は、単純な道具が常により複雑な道具に置換されるとは予測していないので、これら2点の痕跡はつねに、経時的な技術的複雑さの分布の上限に痕跡を残すはずです。


●資料と手法

 刊行されている研究から、石器製作系列に関するデータが収集されました。広い時空間的範囲が目指され、アフリカとユーラシアとオセアニアとアメリカ大陸の更新世からかんしんせいの石器技術が調べられました。特定の刊行された研究を符号化する決定は、石核の制御法、破片の再加工法、図表の存在を含めて、石器技術の記載の詳細度に基づきました。製作系列の複雑さは、関連する手順単位(procedural unit、略してPU)を数えることによって測定されました。手順単位は、技術の製作においてともに連鎖させることができる、分離しており相互に排他的な政策段階です。各系列内の有無として示された石器製作系列において、33点のあり得る手順単位が検討されました。これらの手順単位には、石核調整と関わる段階や、剥片製作に使用された道具や、再加工が含まれます。

 累積文化のない初期人類個体によって利用可能な技術的複雑さを予測するために、(1)非ヒト霊長類の技術、(2)未熟な燧石打撃者によって自発的に発明された石器技術の複雑さ、(3)無作為に剥離した実験で観察された技術の複雑さに関するデータが収集されました。記述統計モデルがデータに当てはめられました。手順単位は滑らかな曲線でポワソン回帰としてモデル化され、年代との関係が説明されました。

●分析結果

 本論文のデータセットで標本抽出された道具製作系列の複雑さは経時的に増加し(図1)、これは旧石器時代における複雑さの傾向に関する以前の評価と一致します。最も単純な技術は、330万年前頃となるケニアの西トゥルカナ(Turkana)のロメクウィ(Lomekwi)3遺跡の、ロメクウィアン(Lomekwian)と分類されている両極打撃系列(3PU)、エチオピアの東ゴナ12(East Gona 12、略してEG12)遺跡のオルドワン礫核(260万年前頃、3PU)、エチオピアのコル・ドラ1(Bokol Dora 1、略してBD1)遺跡で製作された単純な剥片(260万年前頃、3PU)です。最も複雑な系列は完新世に由来し、19PUを含む押圧石刃技術が、フィンランドの前期中石器時代となるスジャーラ(Sujala)遺跡の1万年前頃の堆積物で発見されました。以下は本論文の図1です。
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 非ヒト霊長類と未熟なヒトの実験と無作為剥離実験の系列は、1~6のPUで変化します。累積文化なしに達成できる複雑さについて、本論文では6PUが基準と想定されます。経時的な複雑さの分布の上限は、3期間に区別できます。第1期は330万年前頃に始まり、180万年前頃に終わります。この期間には、製作系列の範囲は長さでは2~4PUで、最も複雑な基準を下回っていました。

 第2期は180万~60万年前頃で、アシューリアン(Acheulian、アシュール文化)インダストリーの大半を含みます。この期間の複雑さの上限の範囲は4~7PUです。この範囲は、期間1のPUの基準値と重複し、上回っています。本論文の統計的モデルの事後確率から導き出された予測には、180万年前頃までの8もしくは9PUなど、実証的な観察を上回るPU数が含まれます。これはモデルの限界と考えられます。この期間の石器に関する全体的な理解は、データセットにおける8データ点より優れています。たとえば、ROCEEHデータベースで報告された175ヶ所のアシューリアン遺跡があり、それらは石刃やルヴァロワ(Levallois)石核や扁平斧剥離のような複雑な技術を含んでいません。7以上のPUの複雑さがある観察された技術の欠如は、理想的な実証的傾向であり、標本抽出の誤りではない、と予測されます。

 第3期は中期更新世の開始近くの60万年前頃に始まり、後期完新世にまで続いており、統計的モデルの媒介変数の不確実性を考慮すると、早くも80万年前頃には始まっていたかもしれません。この第3期には、人類種は実験的および非ヒト霊長類の技術基準よりも複雑な技術に依存していました。観察された複雑さの範囲は、5~18PUでした。30万年前頃までに、一部の技術は腐敗しやすいチンパンジーの道具の2倍の複雑さになります。これは、人類が一貫して、世代にわたって発展して存続するために累積文化を必要とした可能性が高い技術に依存していた、と示唆しています。技術的には、最大複雑さの急速な増加は、石刃製作やルヴァロワ縮小や柔らかい鎚や押圧剥離の開発によって示されます。

 累積文化の発達は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の分岐に先行し、両系統の共有された派生的特徴かもしれません。これは、後期完新世における両集団【ネアンデルタール人と現生人類】の複雑さの重複に反映されています。ネアンデルタール人により作られた技術の複雑さの範囲は9~13PU(6点)で、後期更新世において現生人類により製作された技術の範囲は8~15PU(11点)です。これは、ネアンデルタール人の中期更新世のルヴァロワ技術が、後期更新世の現生人類と関連する石刃技術より複雑であると分かった、他の独立した一連の証拠と一致します。


●考察

 これまで本論文で述べてきたことと比較しての複雑さ増加の長期パターンは、少なくとも二つの進化状況によって説明できるかもしれず、それは文化的な生態的地位への早期参入と後期参入です。両方の状況では、人類は60万年前頃までに累積文化に依存していました。


●文化的な生態的地位への早期参入状況

 この仮定的状況によると、人類は60万年前頃以前、恐らくは早くも330万年前頃には文化的な生態的地位へと踏み出していました。結局、本論文のPU6との基準未満の複雑さは、累積文化の欠如と一致しているかもしれないものの、その可能性は除外されません。したがって、経時的なPUの分布の累積最大値の上昇は、全体的には、遺伝子と分化の共進化と累積文化の混合に起因するかもしれません。

 道具を使用した肉の抽出は、累積文化の進化の契機だったかもしれません。人類系統におけるこれらの抽出と道具を使った行動の最古級かもしれない証拠は、340万年前頃となるディキカ(Dikkika)遺跡の道具の痕跡に表されており[48]、これは330万年前頃となるロメクウィ3遺跡の最古級の打撃および剥離された石器よりわずかに古く、その後の280万年前頃となるオルドワンの剥片石器[5]に先行します。初期人類は骨髄を利用するために打撃道具に、肉漁りのため打製石器に依存していたかもしれません。200万年前頃以後、タンパク質および脂肪を得る手法として狩猟への依存の証拠がより持続的になり[54]、肉の利用におけるこの増加は、人類の進化全体で観察される脳と身体の大きさの増加にエネルギーを提供するのに役立ったでしょう[55]。

 石器の歴史の最初の250万年間にわたる複雑さのゆっくりとした増加は、腐敗しやすいチンパンジーの技術で見られる複雑さの程度未満の複雑さの水準における長期の停滞を含めて、漸進的で段階的な遺伝子と分化の共進化の痕跡かもしれません。累積文化が適応的な実際的知識をもたらし始めると、脳と発達過程への選択圧がその文化情報の獲得と保存と使用を促進します。これらの生物学的特徴の進化の時期と速度は、今度は累積文化を妨害するかもしれません[58]。たとえば、再現打撃実験から、技能と運動筋肉の要件が旧石器時代を通じて増加した、と示唆されます[59]。初期人類は、繊細さと力強さ両方の手の操作について同じ能力を有していなかった可能性が高そうで、そうした手の操作は、実行がより容易で、薄い両面石器やルヴァロワ石核のような石器を可能とした打面調整のように、その後の記録で見られる道具製作活動の一部だったでしょう。

 180万年前頃以後の最大複雑さにおける平坦域は、60万年前頃以後にのみ改善した、技能と運動筋肉制御における停滞に起因するかもしれません。しかし、技術的停滞は生物学以外の多くの他の理由でも起きるかもしれません。技術は、見つけにくい解決策の発見から逃れる必要のある困難さにおいて平坦域に達したかもしれません。60万年前頃以前の人類の採食生態的地位は、複雑な技術における革新と投資を好まなかったのかもしれません。さらに、累積文化は人口過程なので、人口統計学と人口構造と環境変化が革新の速度や複雑さの維持や技術の寿命に影響を及ぼすかもしれません[63]。


●文化的な生態的地位への後期参入

 この仮定的状況では、人類は遅く中期更新世に文化的な生態的地位へと参入し、その頃に人類は累積文化なしの状況では観察されない複雑さの水準の技術を生み出し始めました。社会的学習の他の形態がこれ以前に石器製作に影響を及ぼしたかもしれませんが、人類が過程の模倣に依存するようになったのはわずか60万年前頃です。この時系列は、文化が真に累積的だったのは中期更新世だったことを示唆する、先行研究と類似しています[64]。

 本論文も、これがより可能性の高い状況と考えます。第一に、実験では、打ち割りの技術は個体学習のみ若しくは剥片観察など最小限の情報で学ぶことができるものの、燧石の打ち割り過程はそうではない、と示されてきました。無作為な剥離動作がいかに容易に握斧的な人工遺物を製作できるのか、明らかにしてきた実験研究は、握斧技術は文化的伝達ではなく連続した再発明から生じる、との仮説に信頼性を与えます。対照的に、60万年前頃以後に開発された石器には、他の燧石打ち割り分野での正式な教育専門的技術の恩恵を受けてさえ、高い学習負担があります。

 第二に、60万年前頃以後の複雑さにおける急速で連続的な増加は、累積文化が低水準の複雑さでの100万年にわたる長い間隙とは異なる方法で作用するやり方と一致します。第三に、この後期参入状況は多くの別々の一連の考古学と化石の証拠によって裏づけられます。いくつかの一連の行動の証拠は、60万年前頃以前と以後の間の複雑さにおけるかなりの違いを示します。じっさい、60万年前頃以前の相対的停滞とそれに続く急速な多様化の同様のパターンは、世界規模の考古学的遺跡で見つかる縮小手法および道具の種類の多様性で検出できます。同様の傾向は、質量単位あたりの鋭い作業刃の製作における縮小戦略の効率性でも見ることができます。効率性のデータには、80万年前頃と25万年前頃の間の範囲で間隙がありますが、効率性は200万年前頃と80万年前頃の間において低いままで変化せず、25万年前頃までに2倍、時には3倍になった、と示されます。他の人類の行動は、この最近の期間においてのみ発達し(図2下部)、30万年前頃以後となるアフリカの中期石器時代において最も顕著に発達しました[68、78、79]。中期更新世には、累積文化の発達の不可欠な構成要素である可能性が高い炉床と住居空間について、最も実質的な証拠の一部もあります。柄のある道具を用いて切り倒された丸太で構築された木造建造物は、組み合わせと付加的な技術行動を表しており、その年代は少なくとも476000年前頃です[64]。最後に、空間全体にわたる音素多様性のパターンから、言語も過去50万年間に出現した、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
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 大脳化も、過去60万年間に絶対的および相対的観点で急速に増加しました。この前には、脳容量の増加は体重の増加と関連しており、180万年前頃を経て続く長期の停滞によって示されます。歯の発達の系列から、初期ホモ属種はホモ・エレクトス(Homo erectus)を含めて、現在および化石アフリカ類人猿と似た生活史の速度だった、と示唆されています。現生人類の長い生活史の行程はヒト進化の後半段階で、おそらくは再びネアンデルタール人と現生人類の起源とともに出現し、これは化石記録の他の多くの側面によって裏づけられる推測です。初期ホモ属種の速い成熟速度から、単により大きな脳と身体は長い成熟および延長した生活段階の主要な選択要因ではなかった、と示唆されます。より適切な選択力候補は、60万年前頃に始まった累積文化への依存かもしれません。


●まとめ

 文化的な生態的地位への早期参入と後期参入の区別は、組み合わせることのできるPUとさまざまな方法が、文化的に孤立した個々の学習者にどのくらい利用可能なのか、より正確に評価することでほぼ決まります。チンパンジーとヒトでのさらなる無作為な剥離実験および打ち割り実験は、依然として有望です。もちろん、これらの実験には注意点があります。これらの実験は短期(時間、日)の傾向にありますが、過去には、個体は試行錯誤から実験して学ぶことや、他社から学ぶことに生涯を費やしたでしょう。さらに、チンパンジーと現代人がどの程度、初期人類の認知能力および手先の器用さの適切なモデルなのか、不明です。現代人は、文化的伝達があったとしても、初期人類が達成できたことより複雑な系列の製作に、試行錯誤だけで収束できるかもしれません。

 最後に、化石生成論的な偏り、その中でも有機物に基づく技術が考古学的にはほぼ不可視である、という偏りは、進化の時間規模では技術的行動の味方を必然的に歪めます。とくに、本論文の標本における最も複雑な非ヒト霊長類の技術が、有機物のデータに基づいていることに要注意です。初期人類は、考古学的には見えない複雑な社会と採食と技術の行動を発達させる、累積文化に依存していたかもしれません。


参考文献:
Paige J, and Perreault C.(2024): 3.3 million years of stone tool complexity suggests that cumulative culture began during the Middle Pleistocene. PNAS, 121, 26, e2319175121.
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https://doi.org/10.1038/nature14464
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[5]Braun DR. et al.(2019): Earliest known Oldowan artifacts at >2.58 Ma from Ledi-Geraru, Ethiopia, highlight early technological diversity. PNAS, 116, 24, 11712–11717.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820177116
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https://doi.org/10.1038/nature09248
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[54]Ferraro JV, Plummer TW, Pobiner BL, Oliver JS, Bishop LC, et al. (2013) Earliest Archaeological Evidence of Persistent Hominin Carnivory. PLoS ONE 8(4): e62174.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0062174
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[55]Braun DR. et al.(2010): Early hominin diet included diverse terrestrial and aquatic animals 1.95 Ma in East Turkana, Kenya. PNAS, 107, 22, 10002-10007.
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[58]Morgan TJH. et al.(2015): Experimental evidence for the co-evolution of hominin tool-making teaching and language. Nature Communications, 6, 6029.
https://doi.org/10.1038/ncomms7029
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[59]Key AJM, Dunmore CJ. (2018) Manual restrictions on Palaeolithic technological behaviours. PeerJ 6:e5399.
https://doi.org/10.7717/peerj.5399
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[63]Powell A. et al.(2009): Late Pleistocene Demography and the Appearance of Modern Human Behavior. Science, 324, 5932, 1298-1301.
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[64]Barham L. et al.(2023): Evidence for the earliest structural use of wood at least 476,000 years ago. Nature, 622, 7981, 107–111.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06557-9
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[68]Marean CW. et al.(2007): Early human use of marine resources and pigment in South Africa during the Middle Pleistocene. Nature, 449, 7164, 905-908.
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[78]Galway‐Witham Y, Cole J, and Stringer C.(2019): Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years. Journal of Quaternary Science, 34, 6, 355–378.
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