唐代の山東人類集団のゲノムデータ

 唐代の山東人類集団のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2025)が公表されました。本論文は、現在の中華人民共和国山東省の傅大門(Fudamen)墓地で発見された、唐王朝期の人類遺骸のゲノムデータを報告しています。この研究では、傅大門墓地の唐代の被葬者17個体のSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)が得られ、常染色体データに基づくと、傅大門墓地の唐代集団のゲノムは高水準の黄河中流域関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を示しますが、このうち2個体では、最適なモデル化に約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を必要としました。これは唐代のアジア東部におけるユーラシア東西間の遺伝的混合を示しており、母系のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)および父系のY染色体ハプログループ(YHg)でも確認されました。このユーラシア東西の遺伝的祖先系統の混合時期は、ソグド人(粟特人)などの「胡人(Hu people)」が中華地域において活発に行動していた期間と一致し、胡人の「中華化(漢化)」の過程に「漢人(という分類を千年紀に用いてよいのか、疑問は残りますが)」との通婚が関わっていた、と示唆されます。

 なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、歴史時代(historical era、略してHE)です。


●要約

 古代中国に居住していた胡人の移民の子孫の祖先系統組成および中華化の過程は、遺伝学的証拠の不足のためほとんど分かっていません。中国東部の山東省から発掘された傅大門墓地の唐王朝の人々は、一部の個体の姓が安なので、胡人の子孫と関連している、と考えられています。傅大門人口集団の遺伝的起源は、古代DNAデータを用いての遺伝学的解明が必要です。この研究では、傅大門墓地の唐王朝期17個体について、ゲノム規模SNPの取得に成功しました。常染色体データに基づくと、傅大門墓地個体群は以前に刊行された歴史時代の山東人口集団と同様に、高水準の黄河中流域関連祖先系統を示しますが、傅大門墓地の2個体は、その祖先系統組成の最適な説明に、約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を必要とします。本論文が把握している限りでは、これは現在の中国の東部に位置する山東半島におけるそうした祖先系統の最初の証拠です。さらに、混合パターンは傅大門墓地の人々におけるユーラシア東西両方に固有のmtHgおよびYHgの存在にも反映されています。推定された混合時期は、ソグド人や他の非漢人集団が古代中国において活発だった期間とも一致します。これらのゲノム調査結果から、漢人との通婚が胡人の中華化の過程に関わっていた、と示唆されます。


●研究史

 唐王朝(618~907年)は、中華帝国の歴史において最も反映した王朝の一つとして際立っていました。唐王朝の急速な発展と外国文化への開放的姿勢のため、古代中国【本論文で「中国」の指す範囲は明示されていないように思いますが、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省でしょうか】と西方地域とを無布武有名なシルクロード(絹の道)は、最も反映した時代を迎えました。アジア中央部のソグド人など胡人(中国北西部やアジア中央部やユーラシア西部のさまざまな少数民族を指す、唐王朝で使用された用語)は、交易のために絹の道に沿って移動し、古代中国に入りました。

 最近の古代DNA調査は、青銅器時代以降に動的なヒトの移動と混合を経た、アジア中央部人の複雑な人口統計学的歴史を更新しました[2、3]。たとえば、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンの青銅器時代の人々はユーラシア東西の混合パターンをすでに示していました。東トルキスタン北部には主要な4祖先系統があり、それは、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)関連祖先系統、BMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)関連祖先系統、西方草原地帯牧畜民関連祖先系統、在来のタリム盆地関連祖先系統です[2、3]。青銅器時代の東トルキスタンの人々と比較すると、鉄器時代および歴史時代の東トルキスタンの人々は、アジア中央部および東部の人々と関連する追加の遺伝子流動を受けました[2]。歴史的な記録も、漢人と非漢人との間の結婚を伝えました。

 最近の古代DNA研究では、河西回廊における遺伝的外れ値2個体を除いて歴史時代の個体は全員、中原関連祖先系統の直接的子孫だった、と観察され、この中原関連祖先系統は、黄河中流域の後期新石器時代雑穀農耕民関連祖先系統(つまり、黄河_LN)によって表されます[7]。河西回廊の西部から標本抽出されたこれら遺伝的外れ値2個体は、約30~50%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統と、約50~70%の中原関連祖先系統を有しており、ユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有する人々の、河西回廊西部への東方移住および河西回廊の人々との混合の直接的証拠を提供します[8]。古代中国の中心地である中原および関中(Guanzhong)平原の唐王朝の人々の遺伝子プールには、ユーラシア西部/アジア中央部関連の人々からの検出可能な遺伝的影響があります[9、10]。しかし、ユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統が古代中国の他地域に侵入したのかどうかは、古代ゲノムがほとんど研究されていないので、理解は乏しいままです。

 2021年に、傅大門と命名された唐王朝の考古学的墓地が現在の山東省の西部地域で発見されました(図1A)。傅大門墓地の1個体34Nは較正年代で1282~1130年前頃と直接的に放射性炭素年代測定され、これは唐王朝期に相当します。山東省文物考古硏究所が傅大門墓地で緊急発掘を行ない、35基の墓が発見されました。図1Bには、傅大門墓地で詰屈された1基の墓の写真が示されており、この墓は本論文でゲノムが研究された個体である第二_8Sのものです。墓碑銘から、この個体【第二_8S】の姓は安(An)だった、と示唆されました。安姓を有する唐王朝の人々については三つの起源があります。(1)北魏王朝(386~534年)以降に古代中国へと移動した、現在のウズベキスタンの安国(Bukhara)ソグド人の子孫です。中国のソグド人は「昭武九姓(Nine Surnames of Zhaowu)」として知られており、安はその一つです。(2)現在のイラン北部にあったパルティア(安息)帝国の安清王子(Prince Anqing)の子孫です。安清王子は東漢(後漢)王朝(25~220年)期に古代中国へと移動しました。(3)鮮卑の安遲部(Anchi tribe)の子孫で、その姓は北魏(386~534年)の孝文帝(Emperor Xiaowen)によって安へと代えられました。以下は本論文の図1です。
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 頭蓋計測研究でも、傅大門墓地の一部の個体には、深い目や高い鼻梁などいくつかの非漢人関連の顔面の特徴があった、と示されました。これらの考古学的調査結果は、傅大門墓地の人口史について関心を高めました。上述の安姓の祖先と関連する人口集団は遺伝的に、中原関連祖先系統と遺伝的に均質だった、先行研究で山東_HEによって表される、以前に刊行された歴史時代の山東の人々と区別されました。アジア中央部のソグド人もしくはイランのパルティア人の古代ゲノムはありませんが、イランおよびアジア中央部の古代人と関連する刊行されたゲノムは、ユーラシア西部関連系統に属していました[2、13、14]。アジア中央部の現在の1人口集団であるヤグノブ人は、タジキスタン北西部のヤグノブ川(Yaghnob River)沿いに定住し、古ソグド語起源の言語を話すので、ソグド人の唯一の子孫と考えられています。ゲノム規模SNPデータに基づく遺伝学的研究では、ヤグノブ人は現代のイラン人とよりもタジキスタンのタジク人の方と密接な遺伝的関係を示したものの、タジク人よりも高い割合の新石器時代イラン関連祖先系統と低い割合のアジア南部関連祖先系統を有していた、と示唆されました[15]。

 中国北西部のアムール川(Amur River、略してAR)地域の鮮卑人(AR_鮮卑_IAによって表されます)は、約85%のANA関連祖先系統と約13%の中原関連祖先系統と約2%のユーラシア西部関連祖先系統の混合でした[7、16]。モンゴル高原の鮮卑人(モンゴル_鮮卑_IAによって表されます)と北周の武帝(Wudi、Emperor Wu、鮮卑_武帝によって表されます)はAR_鮮卑_IAよりも、中原(約14~32%)およびユーラシア西部(約7~9%)関連系統から多くの遺伝的影響を受け、ANA関連祖先系統(約61~77%)は少なくなっています[16、17]。中華化は、非中華社会もしくは集団が中華文化、とくに中国の最大の民族集団である漢人の言語や社会規範や文化や民族意識へと変容もしくは同化する過程です。中華化の過程は、何十年も考古学および歴史の研究の中心的な目的でした。しかし、胡人の中華化の過程は、古代DNAデータの不足のため、遺伝学的観点からはほぼ分かっていませんでした。傅大門墓地から遺伝的データを取得することで、どの非漢人がどの程度、唐王朝の傅大門墓地の人々の遺伝的形成に関わっていたのか、調べるのに役立つでしょう。

 この研究では、唐王朝の傅大門墓地の17個体からゲノム水準のデータが生成されました。17個体のうち13個体は相互に親族関係にありませんでした。唐王朝の傅大門墓地の2個体を除いて全個体は、以前に刊行された歴史時代の山東個体群と遺伝的に均質でした。他の2個体は、約95%の歴史時代の山東関連祖先系統と、約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有していました。傅大門墓地の2個体で観察されたユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統は、傅大門墓地の個体のうち1個体の姓が、祖先が胡人と関連しているかもしれない安だった事実と一致しました。これは、漢人との通婚が胡人の中華化に関わっていたことを示唆しています。


●傅大門墓地の古代人のゲノム

 傅大門墓地から考古学的標本が収集され、ウラシル特異的処理なしに末端二本鎖ライブラリによって構築された断片について、ショットガン配列決定戦略の適用によって、古代人17個体からゲノム規模SNPデータが生成されました。全個体は短い配列断片(アダプター除去および崩壊後に、平均長はゲノム全体で69.6~88.7塩基対の間)を示し、DNA断片の5’末端および3’末端において典型的な古代DNAの損傷パターンがありました。高水準の汚染(5%超、全個体についてmtDNAデータ、生物学的男性のみについてX染色体を用いて推定されました)があり、124万パネルでSNP数の少ない(2万未満)標本の除去後に、17個体が保持されました。次に、傅大門墓地個体が相互に親族関係にあったのかどうか、判断するために親族関係分析が実行されました。17個体のうち、6家族集団が特定されました。親族関係にある個体の組み合わせについて、124万パネルでSNP数がより少ない個体は除去され、さらなる集団遺伝学的分析では親族関係にない13個体が得られました。これら13個体では、ヒト内在性DNA率の範囲は1.71~92.51%でした。124万パネルでの常染色体SNPの網羅率の得られた深度の範囲は、0.02~1.95倍でした(平均では0.47倍)。124万パネルで少なくとも1回網羅されたSNPの数の範囲は、24017~1024585でした。さらに、新たに生成された傅大門墓地被葬者のゲノムが、刊行されている古代人および現代人のゲノムと統合されました(補足データ3および4)。


●傅大門墓地被葬者と以前に刊行された歴史時代の山東個体群との間の遺伝的類似性

 まず、ユーラシア東部の現在の2127個体の遺伝的差異上に古代人の標本を投影することによって、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)を用いて、傅大門墓地個体群(山東_HE_傅大門)が評価されました。傅大門墓地個体群は以前に刊行された山東半島の歴史時代の個体群(先行研究によって報告された山東_HEによって表されます)および中原関連祖先系統(黄河_LNと黄河_LBIAによって表されます)とクラスタ化しました(まとまりました)。この遺伝的類似性は、f₃形式(ヨルバ人;山東_HE_傅大門、X)の外群f₃統計によって確証され、ここではXは124万データセットの古代ユーラシア人口集団の一つです。上述の結果と一致して、連鎖不平衡(linkage disequilibrium、略してLD)切り取りヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットを用いてのK(系統構成要素数)=3での教師無ADMIXTUREから、新たに生成された傅大門墓地個体群は、先行研究のように、山東_HEおよび中原関連祖先系統と遺伝的に類似していた、と示唆されました。


●傅大門墓地被葬者におけるユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統の遺伝的影響

 山東_HE_傅大門個体群が、山東地域の以前に刊行された歴史時代の人々(大きな標本規模の山東_HEによって表されます)を生み出した同じ供給源人口集団に由来していたのかどうか、定量的に調べるために、f₄形式(ヨルバ人、X;山東_HE、山東_HE_傅大門の各個体)のf₄統計が計算されました。非黄河関連祖先系統の山東_HE_傅大門個体群への、僅かではあるものの検出可能な遺伝的影響を把握するため、統計的有意性とみなす遮断値としてZ得点=2が設定されました。山東_HE_傅大門個体群が鮮卑(AR_鮮卑_IAによって表されます)の子孫ならば、f₄(ヨルバ人、AR_鮮卑_IA;山東_HE、山東_HE_傅大門の各個体)で正の値が予測されます。代わりに、AR_鮮卑_IAは山東_HEおよび山東_HE_傅大門個体群と同じ量のアレル(対立遺伝子)を共有している(例外は傅大門墓地の個体第二_8Sで、山東_HEは第二_8Sと比較して、AR_鮮卑_IAとより多くのアレルを共有していました)、と観察されました。山東_HE_傅大門の13個体のうち10個体は、山東_HEの場合よりも多様なユーラシア西部/アジア中央部人と多くのアレルを共有しており、たとえば、ロシアのクラノヤルスク・クライ(Krasnoyarsk Krai)遺跡の中期~後期青銅器時代個体(ロシア_MLBA_クラノヤルスク)やウズベキスタンのジャルクタン(Dzharkutan)遺跡の青銅器時代個体ジャルクタン1号(ウズベキスタン_MLBA_ジャルクタン1号)です。

 f₄(ヨルバ人、X;山東_HE、山東_HE_傅大門の各個体)では、多様なユーラシア西部/アジア中央部関連人口集団が、山東_HEとよりも山東_HE_傅大門人口集団の方と多くのアレルを共有していました。山東_HE関連祖先系統がこれら山東_HE_傅大門の13個体の遺伝的特性を適切に説明したのかどうか、調べるためにまず、順番に外群一式への有意なf₄値をもたらす各人口集団の追加によってqpWave分析が実行されました。その結果、山東_HE_傅大門の13個体のうち11個体について、1方向の山東_HEモデル化の堅牢性が見つかりました。山東_HE_傅大門の他の2個体、つまり第二_8Sと第二_19-2の祖先系統組成を調べるため、第二供給源として山東_HEとよりも第二_8Sおよび第二_19-2の方と多くのアレルを共有する人口集団が用いられ、qpAdm手法によって2供給源混合モデル化が実行されました。その結果、第二_8Sおよび第二_19-2について、提案されたモデルが実行可能と分かりました。これら2供給源モデルも1供給源の山東_HEモデルより適合し、第二_8Sおよび第二_19-2は約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連構成要素(ロシア_MLBA_クラノヤルスクと)と、約95%の山東_HE関連祖先系統を示しました(図2)。以下は本論文の図2です。
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 第二_8Sおよび第二_19-2におけるユーラシア西部/アジア中央部の兆候が古代DNAの損傷パターンに起因するのかどうか、調べるために、塩基転換(transversion、略してTv、ピリミジン塩基とプリン塩基との間の置換)のSNPでもf₄が計算されました。その結果、一部のユーラシア西部/アジア中央部関連の兆候が保持された、と観察されました。すべてのf₄統計の形式において4人口集団で重複した塩基転換のSNPは、個体第二_8Sおよび第二_19-2において52426未満で(比較的限定的)、全変異に基づくと、すべてのユーラシア西部/アジア中央部関連兆候が塩基転換のSNPで観察されたわけではなかったことに要注意です。第二_8Sおよび第二_19-2を除くすべての山東_HE_傅大門の個体で構成される集団は以後、「山東_HE_傅大門」人口集団(11個体)と命名されます。山東_HE_傅大門もしくは山東_HEのどちらかとより多くのアレルを共有していた各人口集団が外群一式へと適用された場合でさえも、すべての1方向での山東_HEモデル化(qpWave)が、山東_HE_傅大門についてじゅうぶんに適合したことも分かりました。これらの結果は、山東_HE関連祖先系統が山東_HE_傅大門の遺伝的特性を適切に説明することも示唆しました。DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)ソフトウェアのよって、個体第二_8Sおよび第二_19-2によって表される1人口集団(つまり2個体)の混合年代も計算されました。ユーラシア西部/アジア中央部起源として、ロシア_MLBA_クラノヤルスク/キルギスタンの天山のフン人(キルギスタン_天山フン)、在来祖先系統として山東_HE/黄河_LNを用いて、単一の波動の混合事象を想定すると、混合年代は第二_8Sおよび第二_19-2の死亡の約7±2世代前に起きた、と推定され、これは中国史において南北朝時代(420~589年)から唐王朝(618~907年)に相当します。

 傅大門墓地の人々の混合特性は、父系のY染色体と母系のmtDNAでも示されました。傅大門墓地の男性4個体はユーラシア西部固有のYHg-H(2個体)とユーラシア東部固有のYHg-O(2個体)を示した、と観察されました。常染色体データと一致して、約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有する1個体である第二_8SのYHgは、ユーラシア西部固有のH1a2bでした。傅大門墓地の人々(9個体)の主要なmtDNA系統はユーラシア東部人口集団で一般的に見られ、G2b2やB4やD4やM9aやN9a3やZ3aが含まれ、常染色体で約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有する1個体である第二_8SのmtHgは、ユーラシア西部固有のH6a1bでした。


●歴史時代の山東地域の人々のROHパターン

 同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、近い過去の共通祖先に由来するため、母方と父方の染色体が同一である1個体のゲノムの領域です[19]。20cM(センチモルガン)超の長いROHが合計で50cM以上となる個体群は近い過去の近親交配を示唆しており、つまりは、この個体の両親は近親者でした。低い有効人口規模の1人口集団では、短いROH(4~8cM)の過剰が予測されます。ROHの観点から古代山東地域の人口統計学的歴史を解明するために、softwareソフトウェアが適用され、中期新石器時代から歴史時代までを網羅する、124万パネルで4万ヶ所超のSNP部位がある、山東地域の以前に刊行された各個体と新たに生成された古代の各個体について、ROHパターンが推測されました。以前に刊行された中期新石器時代の大汶口(Dawenkou)文化関連個体群と後期新石器時代の龍山(Longshan)文化関連個体群は、長いROHによって測定される近い過去の近親交配の兆候を示しました。鉄器時代と歴史時代には、山東地域の古代人は近親交配の兆候もしくは過剰な短いROHを示さず、人々が歴史時代には、より大きな集団、もしくは拡大した配偶網のる集団で暮らしていた、と示唆されます。


●考察

 黄河流域は中華文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】の発祥地の一つです。最近の古代DNA研究では、歴史時代において、共有された祖先系統は河西回廊(黄河上流域)[8]と中原(黄河中流域)[9]と山東地域(黄河下流域)において共通の起源にたどることができる、と明らかにされてきました。ほとんどの個体は後期新石器時代黄河中流域雑穀農耕民関連祖先系統(黄河_LNによって表されます)の直接的子孫としてモデル化でき[7]、他のユーラシア系統の痕跡は殆ど若しくはまったくありません。これらのゲノム調査結果は、中原の長期の遺伝的安定性と、中原から山東地域および河西回廊への強い遺伝的影響を強調しました(図2)。具体的には、中原の東側に位置する山東地域は、新石器時代以降に長い中原関連の遺伝子流動を経てきました。最近刊行された古代ゲノム研究では、新石器時代において、一部の大汶口文化および龍山文化関連集団が依然として在来の山東地域狩猟採集民関連祖先系統を維持していた、と示唆されました[20]。しかし、歴史時代のすべての刊行された山東地域人口集団(山東_HEによって表されます)は、新石器時代中原関連祖先系統の直接的子孫で、在来の山東地域狩猟採集民関連祖先系統の痕跡はありません[20]。これらの結果から、山東地域人口集団の動的な人口統計学的歴史は、経時的な中原関連祖先系統との遺伝的類似性の増加に反映されていた、と示唆されました。山東地域の刊行されたゲノムに基づく本論文のROH推定は、山東地域における、近い過去の近親交配の減少と、新石器時代から歴史時代にかけての有効人口規模の増加も示唆しました。

 本論文で新たに調べられた山東省西部地域の傅大門墓地の唐王朝の人々の祖先系統組成は、山東地域の歴史時代における例外かもしれません。常染色体SNPの観点からは、傅大門墓地個体群はほぼ、刊行されている歴史時代の山東地域の人々(山東_HE)によって表される1人口集団の子孫で、13個体のうち2個体は約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有しており、これは以前には山東地域の古代人および現代人集団では検出されませんでした。ユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統の限定的な寄与と傅大門墓地個体群の低網羅率のため、(1)どの種類のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統が傅大門墓地個体群【のうち2個体】の遺伝子プールに寄与したのか、(2)常染色体の遺伝的寄与に対するX染色体の相対量から推測される、ユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統についての性別の偏った移住パターンの可能性、の判断が難しくなっていることに要注意です。

 約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有していた傅大門墓地の2個体のうち、第二_19-2には墓石がなかったので、第二_19-2の姓は分からず、もう一方の第二_8Sは生物学的男性と特定され、その墓石から、姓は安だった、と示唆されました。常染色体における第二_8Sのユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統から、傅大門墓地における安姓はパルティア人もしくはソグド人のどちらかの起源である可能性が最も高い、と示唆されました。それでも、傅大門墓地個体群の混合時期は、傅大門墓地の人々のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統の起源について手がかりをもたらしました。個体第二_19-2および第二_8Sによって示される傅大門墓地の外れ値(outlier、略してo)の2個体(山東_HE_傅大門_o)について単一の波動の混合事象を想定すると、推定された混合時期は南北朝時代(420~589年)および隋唐王朝(589~907年)の期間と重なりました。南北朝時代は、遊牧的な政権と漢人との間の民族統合によって特徴づけられました。隋および唐王朝は絹の道を強力に開発し、西方地域と古代中国との間の大陸間の物質的および文化的伝達を促進しました。南北朝時代以降、古代中国の中心地へのソグド人の多数の移住もありました。パルティア帝国の安清王子は東漢(後漢)王朝(25~220年)期に中国に到来しました。パルティア王国の崩壊(226年)後、たとえば唐王朝期に中国に到来した安姓の胡人は、安国ソグド人の子孫に属していたはずです。したがって、傅大門墓地個体群は絹の道の交易経路を通って古代中国に移住し、古代中国の軍と政府で名声を高めた、安国のソグド人の子孫だった可能性が最も高そうです。じっさいの人口混合は連続的過程だったかもしれないことに要注意です。ユーラシア東西間の最初の遺伝的接触は、DATESソフトウェアにより推定された混合時期の前に起きたかもしれません。

 傅大門墓地の人々の常染色体における中原関連祖先系統の高い割合から、漢人との通婚は胡人の中華化に関わっていた、と示唆されます。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の調査結果から、ユーラシア西部の男女両方が古代中国への移住に関わっており、ユーラシア東部人と混合した、と示唆されました。それは、傅大門墓地の人々がユーラシア東西両方に固有のmtHgとYHgを有していたからで、個体第二_8Sがユーラシア西部固有のmtHg-Hを有しており、これはソグド人の唯一の子孫と推測されていた現在のヤグノブ人でも支配的だった[15]のに対して、傅大門墓地の他の個体のmtHgはアジア東部固有でした。個体第二_8Sおよび5Eはユーラシアプレイ部固有のYHgを有しており、これはアジア南部において多いものの、ヤグノブ人では多くなく[15]、他の傅大門墓地の個体のYHgはユーラシア東部固有のOでした。傅大門墓地個体群の具体的な性別の偏った混合パターンは、推測できませんでした。

 興味深いことに、約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統を有する傅大門墓地の2個体は、墓地では他の墓と顕著に異なっていたわけではありませんでした。したがって本論文では、胡人の子孫はこの地域において他の住民ととともに暮らし、文化と遺伝両方の観点から中華化の過程を経た、と主張されます。本論文は、胡人関連の文化要素が唐王朝の傅大門墓地で観察されなかったことは、胡人から中国の人々への文化的影響がなかったとは意味しないことに同意します。おそらく、傅大門墓地個体群の混合年代(混合年代は中国史において、420~589年の南北朝時代から618~907年の唐王朝期に相当します)が示唆したように、唐王朝は傅大門墓地において胡人の子孫にとって中華化過程の始まりではありませんでした。

 M8の破壊しには、個体第二_8Sおよび第二_8Wが夫婦で、子供がいた、と記録していました。第二_8Sは常染色体において約5%のユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統と、ユーラシア西部関連のYHgおよびmtHgを有していました。幸いなことに、第二_8Nのゲノムデータが得られました。第二_8Nは生物学的女性と特定され、以前に刊行された歴史時代の山東地域の人々と遺伝的には区別できませんでした。さらに、第二_8Sは常染色体において約95%の中原関連祖先系統を有していたものの、ユーラシア西部固有のmtHgおよびYHgを有していました。これらの遺伝学的調査結果は、胡人の子孫と漢人との間の結婚の直接的な遺伝学的証拠を提供しました。

 興味深いことに、最近刊行された中原[9]と唐王朝の首都である長安(Chang’an)市の3個体[10]と河西回廊の1個体[8]で構成される唐王朝の古代人も、後期新石器時代の中原関連祖先系統とユーラシア西部/アジア中央部関連祖先系統(それぞれ、約2%と約3~15%と約30%)の混合としてモデル化できます。したがって、ユーラシア東西の混合特性は、古代中国において唐王朝期には予測できます。将来の古代DNA研究は、古代中国における非漢人関連の人々の遺伝的影響をより深く理解するために、標本の地理的および時間的範囲の拡大を目指すべきです。


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