ノルウェーで発見された中世の文献に見える人物のゲノムデータ

 ノルウェーで発見された中世の文献に見える人物のゲノムデータを報告した研究(Ellegaard et al., 2024)が公表されました。本論文は、ノルウェー中央部のスヴェッレスボルグ(Sverresborg)城跡の中世の井戸から発掘されたヒト遺骸のゲノムデータと放射性炭素年代と窒素(N)や炭素(C)の同位体データを報告しています。スヴェッレ・シグルツソン(Sverre Sigurdsson)王の古ノルド語のサガ(古ノルド語で書かれた中世の文献)である『スヴェッリル王のサガ(Sverris Saga)』に見える、現在のノルウェー中央部に位置するスヴェッレスボルグ城で1197年に井戸に投げ込まれた男性と推測される遺骸の、生物学的分析結果を報告しています。スカンジナビア半島の現代人と比較すると、この男性は遺伝的にはノルウェー南部の現在の住民と密接に関連していた、と示されました。今後は、こうした歴史時代の人物の古代ゲノム研究が、日本列島でも進むことを期待しています。


●要約

 古代DNA解析が歴史的記録の事象について独立した情報源を提供できる可能性は、まだ論証されていません。本論文は、ノルウェー中央部のスヴェッレスボルグ城跡の中世の井戸から発掘されたヒト遺骸に、古ゲノム解析を適用します。スヴェッレ・シグルツソン王の古ノルド語のサガである『スヴェッリル王のサガ』では、一節にて1197年の城への襲撃が詳しく記載されており、井戸に投げ込まれた死体に言及されています。放射性炭素年代測定は、これらがその個体の遺骸であることを裏づけます。井戸男の核ゲノムが網羅率3.4倍で配列決定され、スカンジナビア半島人口集団と比較され、井戸男がノルウェー南部の住民と密接に関連していた、と明らかになりました。これが驚くべきことなのは、スヴェッレ王の敗軍がノルウェー中央部から徴集された、と過程さている一方で、襲撃者がノルウェー南部出身だったからです。この調査結果は、ノルウェー南部現代人で見られる独特な遺伝的浮動が800年前頃にはすでに存在していたことも示唆します。


●研究史

 古ノルド語のサガは、中世のノルウェー(1060~1537年頃)における、王朝権力の発展とノルウェー王の統治と重要な政治的事件を描いています。おもにアイスランドの学者によって書かれたサガは、記載された出来事の何世紀も後に書かれ、口承伝統や以前の失われた写本に基づいている可能性が高そうです。これらのうちの一つである『スヴェッリル王のサガ(Sverris Saga)』は、ノルウェー王スヴェッレ・シグルツソン(1151~1202年)に関するもので、12世紀後半にノルウェーの君主として権力を掌握しようとした、その野心的な台頭を記しています。ノルウェーの初期の歴史の大半は、1世紀以上にわたって続いた(1130~1240年)紛争や内戦によって特徴づけられる政治的不安定の期間を描いている、この1冊の文献から知られています。これらの戦争は、おもに王位継承に関する抗争が原因で、この構想においてスヴェッレは、1155年に弟によって殺害されたシグル・ムン王(King Sigurd Munn、シグル2世)の息子との主張に基づいて、王位継承競合者の一人として台頭しました。

 サガの原文のほとんどは記述された出来事と同時代に、王に近い人物、おそらくはアイスランドの大修道院長であるカール・ジョンソン(Karl Jónsson)によって、スヴェッレ王の要請と監視下で書かれた、と広く考えられています。明らかにスヴェッレ王に有利な原文は、印象的に182節にわたって名前と場所と出来事が豊富で、多くの戦いの詳細な記述、多数の人物、軍事戦略的な考慮、スヴェッレ王による多くの演説の点で独特です。スヴェッレ王の兵士は「カバノキの脚」を意味する「ビルケバイナー(Birkebeiner)」と呼ばれており、おそらくは兵士が素朴なカバノキの樹皮を脚と足の履物として使用したため命名されました。ローマカトリック教会の各国代表が同調したスヴェッレ王の敵対者は、「司教の杖」を意味するノルド語の「バゴール(bagall)」に因んで「バグラー(Bagler)」と呼ばれました。

 『スヴェッリル王のサガ』の具体的一節には、1197年に、スヴェッレ王がベルゲンで冬を過ごしている間に、現在のノルウェーのトロンハイム(Trondheim)市に相当するニダロス(Nidaros)のすぐ西側にある、スヴェッレ王によって1180年頃に建てたスヴェッレスボルグ城のビルケバイナー要塞(北緯63度25分10.1922秒、東経10度21分25.4298秒)に、バグラーが奇襲を仕掛けた様子が詳細に記載されています。バグラー軍は住民が食事中に秘密の扉から城内に侵入しました。バグラー郡は城を略奪して襲撃し、全ての家屋を焼き払い、住民は着ている服だけで見逃されました。本論文にとって重要なことに、バグラー郡は死亡した男性1人の遺体を城内の地元の飲料用の井戸に投げ込み、その後に岩石で埋めました。

 1938年の井戸の初期の不完全な発掘では、大きな石が多数集まっている下の井戸の底で1個体の遺骸が発見されました(図1)。新たな発掘が2014年と2016年に行なわれ、井戸の南側での加工された石と加工されていない石がさらに発見され、1938年には特定されなかった遺体の新たな部位が部分的に封印されていました。2014~2016年の骨学的分析は、遺骸が死亡時に30~40歳くらいの男性1個体に属する、と示唆しています。1938年の発掘調査の写真は、胴が左側にわずかに傾いているヒトの骨格に属することを示しています(図1)。2016年の調査では、さらに重要な詳細が明らかになりました。左腕は失われていましたが、左手の指骨は元々の位置から離れて見つかりました。骨格も元々の位置から離れて、胴の上部の右側で見つかり、遺体とつながっていませんでした。骨格は数ヶ所の外傷を示しますが、その状況のため、これらの外傷が生前と死後のどちらなのか、区別は困難でした。頭蓋の2ヶ所の鋭い切り傷に加えて、頭蓋の左側後部には鈍器による外傷があり、死後の出来事である可能性は低そうです。以下は本論文の図1です。
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 骨格の放射性炭素年代測定によるじゅうらいの年代は、940±30年前です。本論文は、井戸男のゲノムの配列決定と、その性別や祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)や身体的特徴を推測することによって、『スヴェッリル王のサガ』に記載されている井戸男と事件にさらに光を当てようとしました。本論文は、同位体と骨学と考古学と遺伝学統合を通じて、この歴史的事件のより深い理解を得るための、珍しい機会を提供します。


●同位体データと放射性炭素年代

 骨格の標本1点から得られた安定同位体¹³Cと¹⁵Nの比率の質量分析測定を用いて、海洋性の食性構成要素が20%と推定されました。次に、940±30年前となるじゅうらいの放射性炭素年代が、海洋性の食性20%の摂取と地元での貯蔵の相殺に基づき、IntCal20およびMarine20を用いて、海洋貯蔵効果較正され、補正されました。その結果、較正/修正された年代範囲は1055~1076年(2.5%)と1153~1277年で、スヴェッレスボルグ城の襲撃の予測される年代である1197年と一致します。


●配列決定データの信頼性と性別判定と片親性遺伝標識

 井戸男の下顎大臼歯からDNAが抽出されました。このDNAには、DNAの高度な断片化や読み取り末端の脱アミノ化といった古代DNAの特徴が示された一方で、汚染の強い証拠は示されず、マッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)された読み取りの平均長は47.9塩基対(bp)でした。204791462個の読み取りがヒト参照ゲノムにマッピングされ、内在性DNAの割合は3.5%です。常染色体の平均網羅率は3.4倍です。

 性染色体にマッピングされた読み取りの比率に基づいて、井戸男は遺伝的に男性と示されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)の平均網羅率は1279倍で、mtDNAハプログループ(mtHg)は、おもにスカンジナビア半島とヨーロッパ東部で見られるH2a2a1と特定されました。Y染色体は平均深度0.78倍で配列決定され、Y染色体ハプログループ(YHg)は、ほぼスカンジナビア半島現代人でのみ見られる、I1a1a3a1です。


●祖先系統と表現型の推測

 図2は、井戸男とノルウェーで発見された他の同時代の古代人の標本の投影された座標とともに、ヨーロッパ(図2A)とヨーロッパ北西部(図2B)の現在の個体群を用いた、2通りの主成分分析(principal component analysis、略してPCA)を示しています。井戸男の標本は現在のノルウェー人集団で構成されるクラスタ(まとまり)の最外縁に位置しており、ノルウェーの他の古代人のゲノムの多様性内に収まります。古代スカンジナビア半島人(ノルウェーとスウェーデン)対ゲール人(スコットランドとアイルランド)の祖先系統[19]についてのK(系統構成要素数)=2での教師有混合検定は、井戸男が100%スカンジナビア半島人であることを明らかにしました。以下は本論文の図2です。
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 井戸男の祖先系統をノルウェーの特定の下位地域に帰属させることができるのかどうか、判断するため、19ヶ所の異なる県のノルウェー現代人6140個体に基づくPCAが用いられました。最初の2主成分(PC)に基づくと、井戸男はノルウェーの最南端の県、つまりアグデル(Agder)県とルーガラン(Rogaland)県とテレマルク(Telemark)県の人口集団の最も近くに投影されます(図3)。この結果をさらに検証するため、最初の10PC(固有値で重み付け)を用いて古代人標本と現在の参照個体群との間のユークリッド距離が計算され、井戸男はPCA空間ではヴェスト・アグデル(Vest-Agder)県の現在のノルウェー人と最も近く、違いが統計的に優位ではないアウスト・アグデル(Aust-Agder)県を除いて、他のノルウェーの県とよりも有意に近い、と分かりました。以下は本論文の図3です。
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 ノルウェーの地域の現在の遺伝的構造は明らかですが(図3)、井戸男が生きていた800年前頃には異なっていたかもしれません。たとえば理論的には、現在はノルウェー南部の人々を区別する祖先系統のパターンが、過去にはより広がっていたかもしれません。井戸男をノルウェー南部に確実に限定して割り当てるためには、ノルウェー北部祖先系統を有する個体群もトロンハイムおよびその周辺に当時存在していたことを示す必要があります。これを調べるため、ノルウェーの古代人23個体の以前に刊行された配列データが得られ、そのうち20個体は先行研究[21]に由来し、残りの3個体はノルウェー中央部および北部で発見され、井戸男と同様の期間と確実に年代測定されています(図3)。井戸男について同じ方法で補完された遺伝子型を用いると、PCAの投影では、ノルウェーの古代人は、ノルウェー南部の現代人とよりも、古代人が発掘されたノルウェー中央部の現在の個体群とより類似しており、井戸男とはかなり異なる、と示されます。先行研究[21]でかなりのサーミ人祖先系統を有する、と明らかになった外れ値1個体(VK519)が注目されます。これは、現在観察されるノルウェーの南北間の遺伝的違いが、少なくとも部分的に800年前頃に存在したことを論証し、井戸男の祖先系統がじっさいにノルウェー南部に由来したことを確証します。

 これらの結果は、井戸男および図3で示されるノルウェーの各地域を用いたf₄統計によって裏づけられます。f₄統計はf₄形式(ヨルバ人、古代人;デンマーク人、X)で計算され、古代人は井戸男もしくは他のノルウェーの古代人の1個体を表し、Xはノルウェーの県の現在の住民を表しています(図4)。正のf₄値は古代人とXとの間の類似性を示唆します。この結果はPCAと一致しており、井戸男は他のどの古代の個体とよりも、ヴェスト・アグデルおよびアウスト・アグデル県集団と顕著に高いf₄値を有する、と分かります。以下は本論文の図4です。
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 ノルウェーの現代人における人口構造の最近の研究では、遺伝的浮動に起因する分化に加えて、アグデル県の住民は相対的に高水準の近親交配にも特徴づけられる、と示されました。そこで好奇心から、井戸男と他のノルウェーの古代人における近親交配の程度が推定されました。これによって、井戸男は近親交配係数が0.0114で、18番染色体上にかなり大きな19 cM(センチモルガン)の同型接合断片がある、と明らかになりました。しかし、他のノルウェーの古代人23個体のうち2個体がより高水準の近親交配を示したので、井戸男がこの点で異常だった、とは必ずしもいうことはできません。

 井戸男の補完された遺伝子型の一式には、髪や目や皮膚の色と関連するものが40個ありました。色素沈着表現型のHIrisPlex予測モデルを用いると、井戸男は青色の目と白い色調の皮膚と金髪もしくは明るい茶色の髪だった可能性が高い、と分かりました。後天性病原体(感染症の原因と知られている非共生分類群)の存在に関する6点のライブラリすべての検査では、信頼できる的中は明らかになりませんでした。




 過去の知識がおもに『スヴェッリル王のサガ』のような歴史文書に基づいている場合、主役や出来事の理解の検証か変更か追加に使用できる、独立した情報源があるのは貴重です。古代の遺骸から得られた遺伝学的データは、そうした場合には重要な新情報源となるかもしれません。とくに、全ゲノム配列データは、考古学的発掘から回収された個体について、性別や身体的特徴や親族関係や祖先系統など、前例のない推測を可能とします。

 古代スカンジナビア半島とアイスランドのサガは、ヴァイキング期および中世の大西洋北部地域における出来事の理解を広げる、情報の豊富な鉱脈を提供します。とくに、『スヴェッリル王のサガ』は、12世紀後期および13世紀のノルウェーにおける歴史的出来事についての重要な情報源です。井戸男の遺骸の発見と、1197年のスヴェッレスボルグ城の襲撃に関する『スヴェッリル王のサガ』の一節とのつながりは、古代DNAに基づく推測を歴史的出来事の解釈に役立てる珍しい機会を提供します。スヴェッレスボルグ城の跡地内の井戸から回収された遺骸が、『スヴェッリル王のサガ』で言及された個体群とは証明できませんが、状況証拠はこの結論と一致します。

 本論文のゲノム解析から、井戸男はじっさいに男性で、青い目と金髪もしくは赤いる茶色の髪だった可能性が高いという、その身体的外見についての予測で歴史文書を補強する、と確証されます。より興味深いことに、本論文の結果から、井戸男の祖先系統はノルウェー最南端の県にたどることができ、最も可能性が高いのはヴェスト・アグデル県である、と示されます。スヴェッレスボルグ城の敗北した領主はスヴェッレ王のビルケバイナー大修道院長で、おもにノルウェー中央部出身だった、と考えられています。逆に、この男性を井戸に投げ込んだ、と記述されているのは、ノルウェー南部出身の侵略してきた勝者であるバグラーです。したがって、以前の報告では、井戸男は敗北側のノルウェー中央部出身のビルケバイナーだった、と推測されてきました。本論文の結果では明白に、井戸男の祖先系統はノルウェー南部のアグデル県の現在の人口集団に典型的だった、と示されていますが、もちろん、井戸男がビルケバイナー軍かバグラー軍に属していたのかどうか、語ることはできません。『スヴェッリル王のサガ』の一節では、井戸男はバグラーが井戸に投げ込まれる前に死んでいた、と述べられていることは注目されます。おそらくバグラーは、仲間の死者の一人を井戸に投げ込みました。

 バグラーの意図は確実には分かりませんが、『スヴェッリル王のサガ』の原文では、バグラーは城をスヴェッレ王とその配下にとって防御不可能および居住不可能にする意図があった、と示唆されています。遺体を井戸に投げ込むことは生物兵器戦争の試みだった、と推測されてきており、唯一の安定した近くの飲用水源への遺体の投げ込みは水の汚染につながり、これは病気の遺体によってのみ増幅されたかもしれない影響です。井戸男の歯から回収されたメタゲノム配列で病原体の痕跡は検出されませんでしたが、歯の標本準備中に用いられた厳格な汚染除去手順(歯のセメント質およびエナメル質の除去と紫外線照射)が病原体のDNAを除去し、したがった検出不可能にしたかもしれないことに、要注意です。それでも、多くの先行研究によって、病原体のDNAがヒトの歯の歯髄腔や歯石から回収できる、と論証されてきたにも関わらず、本論文の手法を用いての病原体のDNAの検出の欠如では、井戸男が死亡時に微生物病原体に感染していなかった、と結論づけることはできません。

 おそらく、本論文で最重要の調査結果は、現時点でノルウェー最南端のアグデル県を特徴づける独特なアレル(対立遺伝子)頻度のかなりの構成要素が、スヴェッレ王の統治期の800年前頃にすでに存在していたことです。これはノルウェーの人口史の理解に影響を及ぼし、それは、この地域がその時以降だけではなく、少なくともその数百年前、おそらくはさらに長く、比較的孤立してきたことを意味するからです。ノルウェー人の遺伝子プール地理的階層化の起源と存続は、たとえば、ノルウェー南部諸県の古代人の配列決定を通じてなど、さらなる調査を必要とします。以下は本論文の要約図です。
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●この研究の限界

 標本の入手可能性の時系列に関する問題と、正確な資料の破壊的標本抽出減少の必要性のため、さまざまな骨が放射性炭素年代測定と同位体分析に用いられました。井戸男の生涯の晩年に食性で大きな変化があったならば、これは放射性炭素年代の割り当てで誤差をもたらすかもしれないので、肋骨の海洋貯蔵効果に影響しますが、頭蓋冠には影響しません。もう一つの可能性は、ひじょうに低そうではあるものの、骨の置換率の違いのため、肋骨と頭蓋骨がじっさいには異なる個体に由来する、ということです。さらに、病原体DNA解析において検出された病原体の欠如は、病原体DNAのじっさいの欠如ではなく、研究設計の考慮に起因するかもしれません。


参考文献:
Ellegaard MR. et al.(2024): Corroborating written history with ancient DNA: The case of the Well-man described in an Old Norse saga. iScience, 27, 11, 111076.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2024.111076

[19]Ebenesersdóttir SS. et al.(2018): Ancient genomes from Iceland reveal the making of a human population. Science, 360, 6392, 1028-1032.
https://doi.org/10.1126/science.aar2625
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[21]Margaryan A. et al.(2020): Population genomics of the Viking world. Nature, 585, 7825, 390–396.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2688-8
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