大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第1回「ありがた山の寒がらす」
いよいよ今年(2025年)の大河ドラマが始まりました。近年は大河ドラマの感想記事を惰性で執筆しているところも多分にありますが、当ブログを始めてから昨年まで18年連続で大河ドラマの初回の感想記事を掲載してきたので、今年も少なくとも初回記事は執筆します。まあこの間の大河ドラマ感想記事の執筆は、2008年放送の『篤姫』は初回だけで、2009年放送の『天地人』は後半で、2013年放送の『八重の桜』は前半で挫折したものの、それ以外は全回の感想記事を掲載してきましたし、本作は大河ドラマの空白期間(関連記事)を埋める点でもたいへん注目していますし、何よりも、これまでの大河ドラマ予想にて多分に願望込みでたびたび主人公の候補に挙げてきた蔦屋重三郎が主人公なので、よほど多忙になるか執筆できなくなるような個人的事情に追い込まれなければ、全回の感想記事を執筆することになるでしょう。
本作の舞台となる江戸時代は時代劇では定番ですが、そもそもテレビ放送での新作の時代劇自体が最近数十年間で激減し、地上波での再放送の機会も同様でしょうから、江戸時代だからといって多くの視聴者にとって馴染み深い時代とも言えないように思います。さらに、本作は配役からも江戸幕府の政治描写にかなりの時間を割くのではないか、と予想していますが、上述のように本作は大河ドラマの空白期間となり、多くの視聴者にとってこの時代の政治史は馴染みが薄いでしょうから、同じく大河ドラマの空白期間を埋めることになった前作と同様に、視聴率は低迷するのではないか、と懸念されます。
前作に続いて視聴率低迷が懸念される中で、ついに放送開始となりましたが、物語は、1772年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の明和の大火から始まり、蔦屋重三郎はすでに成人役での登場です。蔦屋重三郎が死亡したのは1797年ですから、大河ドラマとしては扱う期間が短いように思います。まあ、今回も少し描かれたように、子供期が今後たびたび回想されるのかもしれませんが、大河ドラマで成人役の登場する期間が本作くらい短いとなると、ぱっと思い浮かぶのは2007年放送の『風林火山』と2010年放送の『龍馬伝』です。『龍馬伝』では主役が30代前半で死亡したので、描かれる期間が短かったのは当然とも言えますが、まず子供期から始まっています。その意味では、子供期も回想で少し描かれたとはいえ、主人公が成人してから描かれるようになった『風林火山』と本作は似ているようにも思います。
冒頭で明和の大火がわりと長く描かれてからオープニングとなりましたが、悪いとは思わなかったものの、ややごちゃごちゃした感も受けました。語りは九郎助稲荷という設定で、吉原など当時の社会を解説しますが、スマホを持ち出すなど、砕けた演出になっています。この演出は好悪の分かれるところかもしれませんが、私は嫌いではありません。語りの解説が過剰な印象も受けましたが、私も含めて大河ドラマの視聴者で吉原の仕来りに詳しい人は少なさそうですから、これくらい丁寧でよいように思います。明和の大火で重三郎は助けた少年を唐丸と命名し、どうもこの少年が喜多川歌麿のようです。
初回は、吉原の光と影を対比させることで、重三郎の若者らしい正義感も描いており、重三郎が年長の実権を握る者たちにぶつかって跳ね返されるところは、時代劇も現代劇も問わず王道的なところがあります。陳腐とも言えますが、それだけ普遍的でもあり、重三郎がここからどう成長していくのかも、本作の見どころとなりそうです。「善」の主人公が「悪人を退治していく」、という安っぽい話になる危険性については、脚本家への信頼からほとんど心配していません。また、一般的な知名度が高そうな田沼意次や平賀源内や長谷川平蔵を登場させ、重三郎と絡ませており(平賀源内の正体はまだ作中では明示されていませんが)、大河ドラマとしては馴染みの薄そうな舞台なだけに、工夫がされているように思います。視聴率は低迷するかもしれませんが、初回を視聴した限りでは良作になりそうなので、視聴率が低迷しないよう、願っています。
本作の舞台となる江戸時代は時代劇では定番ですが、そもそもテレビ放送での新作の時代劇自体が最近数十年間で激減し、地上波での再放送の機会も同様でしょうから、江戸時代だからといって多くの視聴者にとって馴染み深い時代とも言えないように思います。さらに、本作は配役からも江戸幕府の政治描写にかなりの時間を割くのではないか、と予想していますが、上述のように本作は大河ドラマの空白期間となり、多くの視聴者にとってこの時代の政治史は馴染みが薄いでしょうから、同じく大河ドラマの空白期間を埋めることになった前作と同様に、視聴率は低迷するのではないか、と懸念されます。
前作に続いて視聴率低迷が懸念される中で、ついに放送開始となりましたが、物語は、1772年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の明和の大火から始まり、蔦屋重三郎はすでに成人役での登場です。蔦屋重三郎が死亡したのは1797年ですから、大河ドラマとしては扱う期間が短いように思います。まあ、今回も少し描かれたように、子供期が今後たびたび回想されるのかもしれませんが、大河ドラマで成人役の登場する期間が本作くらい短いとなると、ぱっと思い浮かぶのは2007年放送の『風林火山』と2010年放送の『龍馬伝』です。『龍馬伝』では主役が30代前半で死亡したので、描かれる期間が短かったのは当然とも言えますが、まず子供期から始まっています。その意味では、子供期も回想で少し描かれたとはいえ、主人公が成人してから描かれるようになった『風林火山』と本作は似ているようにも思います。
冒頭で明和の大火がわりと長く描かれてからオープニングとなりましたが、悪いとは思わなかったものの、ややごちゃごちゃした感も受けました。語りは九郎助稲荷という設定で、吉原など当時の社会を解説しますが、スマホを持ち出すなど、砕けた演出になっています。この演出は好悪の分かれるところかもしれませんが、私は嫌いではありません。語りの解説が過剰な印象も受けましたが、私も含めて大河ドラマの視聴者で吉原の仕来りに詳しい人は少なさそうですから、これくらい丁寧でよいように思います。明和の大火で重三郎は助けた少年を唐丸と命名し、どうもこの少年が喜多川歌麿のようです。
初回は、吉原の光と影を対比させることで、重三郎の若者らしい正義感も描いており、重三郎が年長の実権を握る者たちにぶつかって跳ね返されるところは、時代劇も現代劇も問わず王道的なところがあります。陳腐とも言えますが、それだけ普遍的でもあり、重三郎がここからどう成長していくのかも、本作の見どころとなりそうです。「善」の主人公が「悪人を退治していく」、という安っぽい話になる危険性については、脚本家への信頼からほとんど心配していません。また、一般的な知名度が高そうな田沼意次や平賀源内や長谷川平蔵を登場させ、重三郎と絡ませており(平賀源内の正体はまだ作中では明示されていませんが)、大河ドラマとしては馴染みの薄そうな舞台なだけに、工夫がされているように思います。視聴率は低迷するかもしれませんが、初回を視聴した限りでは良作になりそうなので、視聴率が低迷しないよう、願っています。
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