福井紳一『戦中史』
KADOKAWAより2018年1月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は近代以降の日本について、満洲事変~敗戦まで(1931~1945年)を狭義の「戦中史」、近現代を広義の「戦中史」と把握し、おもに戦前を対象として、戦争の視点から日本近代史を検証します。そのため、本書の叙述は明治維新にさかのぼりますが、敗戦後の歴史も、朝鮮戦争やベトナム戦争との関わりの点で、「戦中史」の一環として把握されます。本書は日本近代経済史も概観し、敗戦へと至る経済的背景も検証します。思想史、とくに反体制的な思想を重視しているのも本書の特徴で、もちろん近現代日本の様相を一冊で網羅的に取り上げることは不可能ですが、本書は多面的に近現代日本を叙述しているように思います。
本書は軍部大臣現役武官制を重視し、これが軍部専制の切り札として機能した、と評価します。ただ、本書は軍部大臣現役武官制が軍部専制の切り札として機能した側面のみを強調しているようにも思われます。最近の専門家による一般向け書籍では、軍部大臣現役武官制には政治介入とその阻止という二面性があり、軍隊の政治利用と軍人の政治関与を防ぐ側面も多分にあって、統帥権独立制がなければ、軍部の政治介入がより露骨化・深刻化した可能性さえ指摘されています(関連記事)。本書は神道について、明治政府が「宗教ではない」との「詐欺まがいのレトリックを思いつきます」と指摘しますが、神道のうち、教派神道は宗教として認知されたものの、神社が宗教ではないとされたのは、当時の一線級の知識人の認識に基づいたものだった、との見解が提示されています(関連記事)。
全体的に正直なところ、「聖徳太子」の業績の多くは律令国家の支配を「正当化」するための「ストーリー」だったとか、嵯峨天皇以降、天皇は事実上、後醍醐天皇のごく短期間を除いて、明治維新まで「権力」を掌握していなかったとか、著者の歴史認識には納得できないところが少なくありませんでした。まあこれは、私が歴史学の門外漢であることも大きいのでしょうが、それ以上に、著者と私の政治認識および思想がかけ離れているからでもあるのでしょう。とはいえ、近現代史を改めて調べるさいに、本書が色々と重要な示唆を与えてくれたことは確かで、読んで損したとは全く考えていません。
本書は軍部大臣現役武官制を重視し、これが軍部専制の切り札として機能した、と評価します。ただ、本書は軍部大臣現役武官制が軍部専制の切り札として機能した側面のみを強調しているようにも思われます。最近の専門家による一般向け書籍では、軍部大臣現役武官制には政治介入とその阻止という二面性があり、軍隊の政治利用と軍人の政治関与を防ぐ側面も多分にあって、統帥権独立制がなければ、軍部の政治介入がより露骨化・深刻化した可能性さえ指摘されています(関連記事)。本書は神道について、明治政府が「宗教ではない」との「詐欺まがいのレトリックを思いつきます」と指摘しますが、神道のうち、教派神道は宗教として認知されたものの、神社が宗教ではないとされたのは、当時の一線級の知識人の認識に基づいたものだった、との見解が提示されています(関連記事)。
全体的に正直なところ、「聖徳太子」の業績の多くは律令国家の支配を「正当化」するための「ストーリー」だったとか、嵯峨天皇以降、天皇は事実上、後醍醐天皇のごく短期間を除いて、明治維新まで「権力」を掌握していなかったとか、著者の歴史認識には納得できないところが少なくありませんでした。まあこれは、私が歴史学の門外漢であることも大きいのでしょうが、それ以上に、著者と私の政治認識および思想がかけ離れているからでもあるのでしょう。とはいえ、近現代史を改めて調べるさいに、本書が色々と重要な示唆を与えてくれたことは確かで、読んで損したとは全く考えていません。
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