更新世人類の血液型

 更新世人類の血液型に関する研究(Mazières et al., 2025)が公表されました。本論文は後期更新世となる12万~2万年前頃の人類のゲノムデータから血液型の多様化を評価し、これには現生人類(Homo sapiens)のみならず、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も含まれます。分析の結果、ネアンデルタール人の血液型アレル(対立遺伝子)の多様性が12万年前頃以降変わらないままだったのに対して、非アフリカ系現代人の主要な祖先である初期現生人類集団では、出アフリカ後すぐに多様化していったかもしれない、と示されました。また、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’ Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された45000年前頃の現生人類1個体では、現在では失われているかもしれない未知の血液型アレルが見つかりました。こうした古代ゲノムデータでの血液型研究は、輸血や妊娠経過の観察といった「実用的な」分野への応用も期待されます。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●要約

 古ゲノミクスの進歩にも関わらず、古代人集団における赤血球の血液型はほとんど分かっていないままです。先駆的試みでは、ユーラシアに生息していた古代型の二つの人類集団であるネアンデルタール人とデニソワ人は、サハラ砂漠以南のアフリカで現在見られる血液型と、希少な「Rh(rhesus)」を発現しており、その一部はオセアニア人で見られる、と示されました。本論文では、12万~2万年前頃にユーラシアに暮らしていた現生人類22個体およびネアンデルタール人14個体の、血液型の遺伝的多様性が完全に表されました。ABO、Rh、Kell、Duffy、Kidd、MNS、Diego、H、分泌型、インド型から、ネアンデルタール人における血液型アレルの多様性が12万年前頃以降変わらないままだったのに対して、現生人類は現在非アフリカ系人口集団のみに存在する血液型アレルでユーラシアを征服した、と分かり、現生人類は出アフリカ後すぐ、7万~45000年前頃に分化したかもしれない、と示唆されました。注目すべきことに、ウスチイシム個体は初期ユーラシア人の失われた遺伝的遺産を示しているかもしれない、未知のアレルを有していました。最後に、ネアンデルタール人は固有のRhハプロタイプを共有しており、そこから現在のRHD系統発生が更新されました。この研究の貢献には、二つの要素があります。それは、現生人類の拡大パターンを明らかにすることと、輸血の安全性および妊娠観察のために調べられている遺伝的多型の人類学的有効性を想起させることです。


●研究史

 現生人類と、40万年前頃以降にユーラシアに生息していた二つの古代型人口集団であるネアンデルタール人およびデニソワ人との遭遇は、大きな文化的および生物学的混乱につながりました[1]。20万年前頃以前にアフリカからの進出はほとんどなかったものの[2、3]、現生人類は10万年前頃以降にレヴァントとザグロス山脈でネアンデルタール人と繰り返し遭遇しており、ほぼすぐに交配しました[4、5]。物質的および古生態学的証拠でも、現生人類は早くも125000年前頃にアラビア半島の征服に成功した、と明らかになり、現生人類がまず東方へ急速に、その後で北方へと向かった、と示唆されます[6]。とくに、現生人類はすでにレヴァントから2万km離れたオーストラリアに6万年前頃以降に侵入していましたが[7]、3500km離れたヨーロッパ北西部に到達したのは45000年前頃以降でした[8]。最後に、ユーラシアにおける現生人類の拡大はいくつかの古代型の人類集団の消滅と一致しており、これは45000~35000年前頃となる中部旧石器時代の終焉を示しています。

 上部旧石器時代(Upper Paleolithic、略してUP)に起きた生物学的および文化的移行の状況において、古ゲノミクスの貢献は際立ってきました。注目すべき研究成果の一つは、ネアンデルタール人集団の社会構造に関する推論です[9、10]。より広い規模では、古ゲノミクスは古代型集団と現生人類集団との間の遺伝子多様性の分裂を浮き彫りにしました。一方では、後期ネアンデルタール人とデニソワ人の異型接合性は現代の人口集団より最大で5倍低く、近親交配と人口減少を反映しています[11]。もう一方では、UP初期段階の現生人類は異なる遺伝的クラスタ(まとまり)に分離し、それはユーラシアのそり以前の住民よりも高い遺伝子多様性を示します[12、13]。消滅前に、デニソワ人と後期ネアンデルタール人はその遺伝子プルの一部を現生人類へと継承し、それは赤血球血液型を含めて表現型の特徴において明らかです[14]。

 赤血球の多型は3ヶ所の領域における生物学的差異から構成されており、それは、細胞内部(ヘモグロビンと酵素)と膜西部(膜骨格、水およびイオン交換経路)と膜表面(血液型抗原)です。数十年にわたって、これら赤血球の多型は、20世紀半ばにヒトの変異性の記述を開始した、古典的な遺伝的標識を構成していました。しかし、1980年代における分子生物学の出現とミトコンドリアDNA(mtDNA)やY染色体や短長の散在型反復配列によって、血液型は主要な用途である輸血へと退けられました。すべての赤血球細胞の遺伝的多型における人類学的および進化的関心を回復させたのは、ゲノム配列決定の出現でした。

 じっさい、赤血球細胞の多型に関する分子的手法によって、ヒトの遺伝的多様性の背景にある進化の力すべての例証が可能となりました。遺伝的浮動と移住はDI(Diego)血液型のアレル分布によって説明されています。正と浄化どちらかの選択は、FY(Duffy)やMNSやERの血液型と、KX抗原欠損によってそれぞれ表されます。平衡選択は2種の中間物によって表されます。その一方は、健康な同型接合体にとって不利な環境で有害なアレルを有する異型接合の利点で、ヘモグロビンSとバンド3の欠損です。もう一方は、さまざまな病原体に起因する変動的行動による遺伝的多型の維持で、順にいずれかの表現型が有利になり、これはABO血液型の事例です。最後に、古代型人口集団との混合は、RH(rhesus)によって例証されます。

 さらに、ゲノミクスによって、赤血球細胞の多型の進化史の概説が可能となりました。たとえば、ABO血液型のAとBの抗原は霊長類に共通していますが、ヒトのA抗原は、ABO*OとのABO*B の融合から、初期現生人類の26万年前頃と最近再出現しただろうABO*A アレルに由来し、ABO*O自体は、おそらく200万年前頃に消滅したABO*A アレルに由来します。RH血液型に関する限り、祖先型のハプロタイプは、RhcおよびRhe抗原についてコードするRHCEアレルを、弱く不完全なD抗原についてコードするRHDアレルと結びつけ、サハラ砂漠以南のアフリカの人口集団とネアンデルタール人ではほぼ見られます。不完全なD抗原はDceハプロタイプを構成するようその跡で出現し、DceハプロタイプはR0とも呼ばれ、注目すべきことにデニソワ人が保有しており、7個のDCe・DcE・DCE・dce・dCe・dcE・dCE(もしくはR1・R2・RZ・r・r’・r”・ry)ハプロタイプはデニソワ人に由来します。さらに、これらのうち一部は非アフリカ系人口集団にのみ存在します。

 ISBT(International Society of Blood Transfusion、輸血国際協会)によると、これまでに赤血球細胞では47種の血液型がありますが、約10種が輸血事故やHDFN(hemolytic diseases of the fetus and the newborn、新生児溶血性疾患)の原因です。最近、これら10種の血液型が、ネアンデルタール人やデニソワ人や現代人の血液型多様性の進化史の理解に官狩る議論に加わりました[14]。古代型人口集団に関するこれら先駆的研究では、サハラ砂漠以南のアフリカの人々の遺伝子多様性は10万年前頃のシベリアにまで及んでいた、と明らかにされてきました。注目すべきは、ABO血液型の遺伝子座における差異で、現在有利となっている非分泌型アレルの存在、オセアニア現代人の祖先において遺伝子移入された可能性が高い稀なRHハプロタイプ、現在の深刻なHDFN を引き起こすRHD-RHCEハプロタイプです[14]。

 本論文の目的は、これまでに利用可能な最古級の血液型の変異性を表すことで、二つの目標が念頭にありまする一つは、ネアンデルタール人の血液型の多様性が古代型人口集団に固有だったのか、それとも最初期上部旧石器時代の同時代の現生人類集団と共有されていたのか、検証することです。もう一つは、血液型から古代型系統と現生人類系統の進化史の概略を報告することです。このために、高品質なゲノムデータの古代型ホモ属4個体について以前に得られた血液型の概観が、12万~2万年前頃に生存していたユーラシアの現生人類23個体およびネアンデルタール人14個体で完成させられました。


●上部旧石器時代個体群における血液型の説明

 アレル数や遺伝子型や現在のYRI(ヨルバ人)およびCHB(北京の漢人)およびCEU(アメリカ合衆国ユタ州のヨーロッパ北部系の人々)のアレル頻度との比較は補足資料に提示されています。ABO遺伝子座では、ネアンデルタール人と現生人類の両方から多型が検出されました。O01血液型(c.261delGに起因する不活性転移酵素、ABO*O.01アレル)の遺伝的背景が、最も頻繁に観察されました。さらに、注目に値するのは、関連するロシアのスンギール(Sunghir)遺跡の個体スンギール2号および3号や、ネアンデルタール人の、シベリア南部のアルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)個体(チャギルスカヤD)およびベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡の個体(ゴイエQ56-1)における、欠損していないABO*O.02.01アレル(c.53G > T、c.220C > T、c.261G、c.297A > G、c.526C > G、c.802G > A)の発生です。現在このアレルは、ヨーロッパ西部の人口集団の5%未満で見られる曖昧なO型表現型である、O03血液型をコードします。2個のABO*Bアレルが、シベリアの31000年前頃となるヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site、ヤナ犀角遺跡)の個ヤナ2号と、アジア東部のアムール川(Amur River、略してAR)流域の33000年前頃となる個体(AR33K)で見られます。

 赤血球細胞へのABO抗原の前駆構造と体液における分泌をコードするFUT1およびFUT2については、2個のFUT1*01.02(c.35C > T)アレルが現生人類2個体で見られ、それはウスチイシム個体とゴイエ遺跡の個体(ゴイエQ116-1)です。FUT2*01(c.390 C > T)はは現生人類において高頻度で見られ、ウスチイシム個体は機能的影響のない未知のFUT1*01(c.564 C > T)を有していました。興味深いことに、ウスチイシム個体とAR33Kとブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の35000年前頃の個体(BK1653)の3個体は、未知の分泌型アレルFUT2*01(.390 C > T, c.896 C > T)を有しており、このアレルについて推定される機能は損なわれているかもしれません。注目すべきことに、非分泌型アレル研究されていないネアンデルタール人のみに存在します。これらのうち、クロアチアのヴィンディヤ(Vindija)洞窟の個体(ヴィンディヤ87号)で再びFUT2*01N.04(c.604 C > T, p.Arg202ter)が見つかり、これは以前にヴィンディヤ33.19やチャギルスカヤ8号やシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の個体(デニソワ3号、ネアンデルタール人ではなくデニソワ人)で報告されており、現代人ではアジアとオセアニアの人口集団にのみ存在します[34]。

 RH血液型については、ネアンデルタール人が以前に同型接合状態でデニソワ洞窟の個体(デニソワ5号)とチャギルスカヤ8号とヴィンディヤ33.19において報告された、固有のハプロタイプの重要な置換を共有しています。このハプロタイプは、RHD*03.04(c.186G > T、c.410C > T、c.455A > C)を、RHCE*01.05(RHCE*ceEK、c.48G > C、c.712A > G、c.787A > G、c.800T > A)と同じ側の発現調節要素においてc.602C > Gおよびc.733G > Cを加えており、輸血や妊娠の問題(HDFN)と関わる、部分的なRhDとRhcとRheの抗原をエンコードします。ヴィンディヤ87号では、1個のRHCE*01.04(別名RHCE*ceAR:c.48G > C、c.712A > G、c.733C > G、c.787A > G、c.800T > A)も推測されます。現在、このアレルは遅延性の溶血性輸血反応と中程度のHDFNに関わっており、サハラ砂漠以南のアフリカ起源の人口集団で見られます。現生人類のうち、すべての読み取り可能な領域は、ほとんどの古代のユーラシアの現生人類のうち3個体、つまりロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の個体(コステンキ14号)とスンギール4号とウスチイシム個体で、RHD*01およびRHCE*01およびRHCE*03と一致します。現在、これらのアレルは完全なRhDとRhcとRheとRhEの抗原をエンコードしています。最後に、ウスチイシム個体にはRHD*01(c.165 C > T)があり、これは健大の人口集団においては稀(0.08%未満)です[39]。

 KEL血液型については、KEL*02が優勢です。Jsa/Jsb抗原の読み取り可能なアレルを有している唯一のネアンデルタール人であるゴイエQ56-1は、アルタイ地域のネアンデルタール人【デニソワ5号】やヴィンディヤ33.19やチャギルスカヤ8号のようなKEL*02.06を有していますが、すべての古代の現生人類はKEL*02.07を有しています。ウスチイシム個体とスンギール2号はc.1680 A > Cでは正であることに要注意で、これは現在ユーラシアにおいてKEL抗原の弱い発現の原因となる2個の珍しいKEL*01アレルで、c.1339 C > Tもしくはc.2107G > Cで見られる置換です。後者2個の置換は、本論文のデータには存在しません。

 FYとJKとMNSの血液型については、祖先的なFY*02とGYPB*04が現生人類と古代型【非現生人類ホモ属】両方の個体群で検出され、派生的なFY*01およびGYPB*03は現生人類に限定されるでしょう。同様に、JK*01はネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類によって共有されていますが、JK*02は現生人類のみで見られます。GYPB*04アレルはc.251 C > Gで観察されたことが多く、かつては、フランスのレス・コテス(Les Cottés)遺跡のネアンデルタール人個体においてc.230Tとc.251Gで観察されましたが、c.208G > Tおよびc.270 + 5 g > tでは観察されませんでした。現在、c.208Tとc.230Tとc.251Gとc.270 + 5 g > tを組み合わせているMNSアレルは通常、砂漠以南のアフリカ人口集団を除いて、S-U + ᵛᵃʳ表現型をコードする無効アレルで見られます。コステンキ14号のGYPBは、c.143 C > Tとc.230 C > Tとc.251 C > Gがあり、c.208G > Tではなく、GYPB*03Nになる途中かもしれないことに要注意です。

 最後に、バンド3メンフィスアレル(Diego血液型)はシベリアの古代型【非現生人類ホモ属】1個体(デニソワ11号)とヤナRHSの1個体(ヤナ1号)で観察されました。また、Diegoおよびインド血液型の2個の驚くべきアレルが検出されたかもしれず、AR33KのDI*01と、コーカサスのメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟のネアンデルタール人個体(メズマイスカヤ2号)のIN*02 c.137G > A(p.Arg46Gln)です。前者【DI*01】は本論文では統計的承認が得られず、アメリカ大陸およびアジア中央部への移住前にシベリア南部で出現したかもしれません。後者【IN*02 c.137G > A】は現代人においてほぼ存在しません(73万個体のうち1個体)が[39]、さまざまなヌクレオチド置換とともにIN*01 alleleアレル(c.137G > C, p.Arg46Pro)と同じ遺伝子座で見られます。


●考察

 本論文では、3系統の人類【ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類】がほぼ同時期にユーラシアに居住していた時の、ユーラシアにおける赤血球細胞血液型の遺伝子多様性を表そうとする、現生人類と後期ネアンデルタール人数個体での試みを補完してきました。最も顕著なパターンは、血液型の遺伝子多様性が人類系統に従って区分されているように見えることです(図1)。以下は本論文の図1です。
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 一方、後期ネアンデルタール人において、本論文は祖先的アレルの優勢と、血液型アレルの多様性がネアンデルタール人の生存していた最後の8万年間にかわらないままだったことを示しました。二つの血液型であるRHとKELについて、ネアンデルタール人のアレルはほぼサハラ砂漠以南のアフリカの現代の人口集団でのみ見られます。非分泌型アレル(FUT2)の豊富さも確証されました。霊長類種における非分泌型の特性、つまり体液(唾液や母乳)における可溶性ABO抗原の欠如はヒトに固有で、新石器時代以降に腸内ウイルス感染後の正の選択によって固定されたかもしれません。しかし、新石器時代の前にタンパク質の機能を変えたFUT2アレルの起源は、依然として未解明です。デニソワ人について検討する限りでは、既知の事柄からの推測は厳しいものの、デニソワ3号は2個の派生的でネアンデルタール人型ではない血液型アレルを現生人類と共有しており、それはRHD*01とKEL*02.07です。同様に、バンド3メンフィス多様体はホモ属の3系統【ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類】においてすでに多型でした。

 一方で、利用可能な最古級(45000~36000年前頃)の現生人類のゲノム、つまり、ウスチイシム個体、バチョキロ洞窟個体群、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(田園個体)もコステンキ14号から、現生人類はユーラシアにネアンデルタール人とデニソワ人に存在せず、すでにその祖先の状態から派生的である機能的アレル一式有して侵入した、と示され、それは、ABO*O.01.02、FY*01、DcE(R2)ハプロタイプを形成するRHCE*03とともに同じ側の発現調節要素でのRHD*01、KEL*02.07、FUT1*01.02(c.35C > T)、GYPA*04、GYPA*04(c.251C > G)です。現在、これらの血液型アレルの一部は非アフリカ系人口集団でのみ見られます。さらに、ウスチイシム個体において3個の未知の非機能的アレルが検出され、それはRHD*01(c.165C > T)とFUT1*01(c.564C > T)とKEL*02.07(c.1680A > C)です。おそらく、これら3個のアレルは、遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が現在のユーラシア人口集団に寄与しなかった、絶滅した現生人類系統の一部でした[12、45、46]。

 ユーラシアの最古級の現生人類における派生的なアレルの広範な分布を、アフリカにおけるその全体的な欠如と組み合わせて考えると、第一の筋書きでは、これらのアレルは出アフリカの前にアフリカの現生人類において出現し、ユーラシアに拡大して、その後でアフリカにおいてのみ消滅した、と仮定できるでしょう。自然選択を指摘したくなるでしょうが、自然選択への広範な感受性の表現型をコードする独立したアレル同時の消滅的状況は、可能性が低そうです。さらに、最高の遺伝子の多様性がアフリカで見られ、現生人類の拡大が最初の創始者効果によって特徴づけられることを考えると、これらのアレルはアフリカの人口集団において見られるはずです。

 代替案は、アフリカ外におけるユーラシア征服の直前における赤血球細胞血液型のアレルの発生です。IUP(Initial Upper Paleolithic、初期上部旧石器)から得られた遺伝学と言語学と古生態学の証拠では、7万~6万年前頃となるアフリカ外における現生人類拡大の後期段階は、ペルシア高原(イラン高原)における少なくともその15000年前の停止後のことだった、と示唆されました[49]。ベーリンジア(ベーリング陸橋)人口集団がアメリカ大陸先住民のみに共有される遺伝的多型を有してアメリカ大陸へと侵入する前に、数千年間停止した2万年前頃のベーリンジアの居住[50]と同様に、現生人類は分化するのに充分なほど長くペルシア高原に居住したのかもしれません[51]。この見解から、ユーラシアの東方(田園洞個体)や北方(ズラティクン個体やウスチイシム個体)や西方(ワセ1号、バチョキロ洞窟個体群)への拡大前の、45000年以上前となる機能的なABO*O.01.02やFY*01やRHCE*03やKEL*02.07やFUT1*01.02(c.35 C > T)やGYPB*04の潜伏の場所について、アジア西部は有力な候補地となります【ワセ1号は、南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」で発見されました】。興味深いことに、この時間枠は2系統の基底部ハプログループのアフリカからの到来と一致しており、それはY染色体ハプログループ(YHg)FT[54]とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)L3です。その後、YHg-FTはmtHg-L3は最終的に、シベリア南部に45000年前頃に居住する(ウスチイシム個体)前にそれぞれ47000年前頃と55000年前頃にユーラシアのYHg-NOおよびmtHg-Rへと多様化しました。したがって、YHg-FTとmtHg-L3の多様化はレヴァントとシベリア南部の間で、非アフリカ系現生人類の血液型アレルと同時に発生したかもしれません。

 長期の停止後の独立した遺伝子の出現と固定から、人口動態は最初のユーラシアの現生人類の赤血球細胞の遺伝的差異におもに起因してきた、と示唆されます。しかし、これは限定的で、中立的および非中立的事象や異なる変異率や選択力の時間的差異を組み合わせた生物についてのモデルが省略されています。とくに変動選択は、上部旧石器時代人口集団に存在するものの、新石器時代以降に有利だった非分泌型アレル(FUT2)が、選択圧の開始前の確立した遺伝的差異の一部だったことを詳細に説明できるかもしれません。ペルシア高原からの現生人類集団の第二の衝動は38000年前頃に拡大し、ユーラシアのコステンキ14号やヤナ1号やゴイエQ116-1やスンギール遺跡個体群につながりましたが、赤血球細胞血液型の機能的アレルからは検出できませんでした。シベリアのネアンデルタール人およびデニソワ人および旧石器時代の現生人類とサハラ砂漠以南のアフリカの現在の人口集団におけるGYPB遺伝子(MNS血液型)のc.251 C > Gの分布から、c.251 C > Gアレルがそれ以前にアフリカで多様化したかもしれず、アフリカの現生人類において現在のS-U + ᵛᵃʳ表現型をコードするGYPB*03N.01になった、と示唆されることに要注意です。

 アジア東部では、AR33Kから、3万年以上前にDiego血液型はすでに形成されており、それはアメリカ大陸への入植の前で、モンゴル草原地帯の遊牧民【の祖先】とともに存在していたかもしれない、と示唆されます。残念ながら、アメリカ大陸の最初の植民の頃のシベリアの個体群、つまり、12000年前頃となるアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡の1個体(アフォントヴァ・ゴラ2号)やアラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River、略してUSR)の遺跡で発見されたアラスカの子供1個体(USR1)では、他のM DI*01を確証できませんでした。これまで、最古級のDI*01保因者はヤナRHSの7500年前頃の1個体NEO239です[62]。メズマイスカヤ2号の地域の周辺であるコーカサスと中東の古代人1236個体に[63~65]おける推定IN*01アレル(インド血液型)も検索されましたが、読み取り可能なデータのある個体群のみが、参照アレルIN*02(c.137G、p.46Arg)を有していました。これまで、IN*01とDI*01両方のアレルが、いつどこで最初に出現したのかについて、不可解なままです。

 よく定義されたRHD系統発生とRHDの古代型配列の正確さを利用して、ネアンデルタール人およびデニソワ人のRHDハプロタイプでの現在のRHD系統発生の補完が試みられました(図2)。RHD遺伝子は、臨床的に重要な血液型抗原であるD抗原をコードしているので、赤血球細胞の血液型の最も検査された遺伝子座の一つです。主要な4クラスタ(まとまり)がRHDの系統発生を構成しており、それは、参照として定義されているRHD*01での、DIV、弱いD型4、DAU、ユーラシアDです。シベリアとコーカサスとバルカン半島とミューズ川流域の6回の繰り返しで、後期ネアンデルタール人におけるRHD-RHCEの排他性が確証されました。後期ネアンデルタール人におけるc.186Tとc.410Tとc.455 Cの組み合わさった出現から、ネアンデルタール人のRHDはDIVaクラスタに属する、と示唆されます。

 オセアニアのDIII型4(RHD*03.04)につながる、遺伝子移入事象が追加されました。デニソワ人のアレルは、同じ側の発現調節要素において祖先的なc.186C > Tとc.410C > Tだけではなく派生的なc.455C > Aとc.1048C > Gがあり、元々のc.19C > Gおよびc.929A > Gの置換が追加された、DIVaクラスタの直後の中間的な枝の統合に理想的です。ネアンデルタール人とデニソワ人のRHDが組み込まれると、非DIVaクラスタであるc.186T > Gとc.410TCとc.455C > Aとc.1048C > Gにつながる5個の置換の連続的発生を推測できます。RHCEエクソン7混合を除くと、c.1048C > Gは最も祖先的な枝であるPanおよびDIV型1.0を系統樹の残りから区別しました。したがって、c.1048C > Gが最初に起きた、と推定されました。76000~52000年前頃のデニソワ3号と、c.455C > A c.186T > Gおよびc.410T > Cの保因者から、これら3個の置換は76000年以上前に二番目に発生し、他のデニソワ人およびウスチイシム個体のアレルであるRHD*01とRHD*01(c.165T)が属する、弱いDおよびDAUおよびユーラシアDクラスタにつながる、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
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 本論文の仮説を補強するため、ヒトゲノム年代測定手法を用いて、主要な機能的血液型の置換とRHDの枝の分岐点の位置づけが試みられました。それにも関わらず、3点の理由でこの手法は妨げられました。第一に、多くの場合、年代推定に用いられた代替ヌクレオチドはじっさいの派生的アレルではありません。第二に、とくにRH血液型について、多くの主要な置換が欠けています。第三により重要なのは、考古学的証拠との多くの年代不一致が見つかったことです。たとえば、固有のネアンデルタール人およびオセアニア現代人のハプロタイプRHDに属するrs150073306(c.733G > C、p.Val245Le)は、8300年前頃に出現した、と考えられています。

 本論文は最後に、遺伝子移入はオセアニア現代人におけるネアンデルタール人のRHDハプロタイプの背後にある機序である、と提案します。それは、このハプロタイプが以前にパプア人1個体とオーストラリア先住民1個体で報告され、このハプロタイプの15700塩基対(base pairs、略してbp)断片は遺伝子移入された可能性が高い、と論証されたからです。しかし、ILS(Incomplete Sorting Lineage、不完全遺伝子系統仕分け)も、オセアニアの現代人がネアンデルタール人と古代型ハプロタイプを共有している理由を説明できます。ネアンデルタール人およびデニソワ人と共有されている各血液型のアレルについてILSから遺伝子移入を区別する適切な検証は、本論文の主題を超えています。

 それでも、予測は、ILSで共有された15700塩基対が組換えによって断片化されないままである確率を計算できます。このために、とくにパプア人とオーストラリア先住民について得られたゲノム規模の組換え率を用いて、先行研究[73]で行なわれたガンマ計算が再現されました。その結果、パプア人とオーストラリア先住民におけるILSで獲得されたハプロタイプの長さはそれぞれ、約3100塩基対および2700塩基対と推定される、と分かりました。したがって、ネアンデルタール人との分岐以降のオセアニア現代人における15700塩基対の古代型断片の保持の可能性は低く、パプア人ではP=0.037、オーストラリア先住民ではP=0.019と推定されます。しかし全体的に、先行研究[73]がEPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)について指摘したのと同様に、ILSが発生したならば、ネアンデルタール人のRHDハプロタイプは、アフリカの現代人を含めて、オセアニアの現代人以外の多くの現代の人口集団で見つかるでしょう。現在、RHDの遺伝的差異のデータベースは密に存在しますが、ネアンデルタール人のハプロタイプはオセアニアの現代人に限られています。したがって、ILS下で予測されるより5倍長いこのハプロタイプの長さとその地理的分布によって、ILSの可能性は低くなります。

 結論として、血液型の分子多型への本論文の試みは、ユーラシアにおける現生人類の到来パターンに関する以前の遺伝的推測を反映しています。このデータから、多くの派生的アレルが現生人類に固有だった、と示されました。とくに、RHおよびDuffy血液型は、アフリカの内外の間の明らかな再区分を示しており、7万~6万年前頃の現生人類の主要なアフリカからの拡大に割り当てられました。じっさい、ネアンデルタール人は12万年前頃以降に祖先的で現在サハラ砂漠以南のアフリカで見られる機能的な血液型アレルを保持していたのに対して、アフリカから出たばかりの現生人類はユーラシア全域への拡大の前にアレルの多様化を経ており、これは一部の赤血球細胞の血液型込右舷がアフリカ外で今存在する理由を説明します。とくにウスチイシム個体によって表される消滅した現生人類系統は、他の現生人類には見られない血液型アレルを有していました。最後に、本論文は、輸血の安全性と妊娠観察のために現在調べられている、遺伝的多型の人類学的有効性を想起させます。本論文は、ネアンデルタール人およびデニソワ人と共有されている、現代人で今見られる多くのアレルを浮き彫りにしました。将来、遺伝子移入とILSの判別は、赤血球細胞の遺伝的多型の進化史をかなり明らかにするでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:古代の血液サンプルから、人類はアフリカを離れた後に適応したことが示唆される

 ホモ・サピエンス(Homo sapiens)は、アフリカを出た後に血液型に適応的な遺伝子変化を経験した可能性があることを報告する論文が、Scientific Reports に掲載される。この研究は、12万年前から2万年前の間に生息していたユーラシア大陸のホモ・サピエンス22人とネアンデルタール人14人の血液型の遺伝的多様性を調査したもので、新しいRh(RHDとRHCE)対立遺伝子(アレル)は、ホモ・サピエンスがアフリカを離れた後、ユーラシア大陸に広がる前に出現したことを示唆している。

 ホモ・サピエンスは、10万年前からレバント(Levant)山脈とザグロス(Zagros)山脈でネアンデルタールと繰り返し遭遇し、交雑していた。これらの相互作用による血液型の変化を理解することは、人間の移動パターンと、潜在的に有利な遺伝的変化が起こった場所を特定するのに役立つかもしれない。

 Stéphane Mazièresらは、古代の人骨から採取した遺伝子データを使用し、4万年前から1万年前の上部旧石器時代にネアンデルタール人の血液型が多様化していたかどうかを評価した。ネアンデルタール人は、現代のサハラ以南のアフリカの人々にみられるものと同様の祖先型対立遺伝子を持っていたが、ユーラシア大陸に生息していた初期のホモ・サピエンスは、新しいRh対立遺伝子を発達させており、これは今日では輸血や妊娠時のモニタリングに不可欠な血液型となっている。これらの対立遺伝子は、ネアンデルタールには存在しないことから、アフリカを離れた後にホモ・サピエンスの中で分化した可能性がある。また、この研究では、現代の人間には存在しない3つの対立遺伝子も特定されており、これらは、現在のユーラシアの人口に貢献していない祖先を持つホモ・サピエンスの系統に属するかもしれない。

 著者らは、ペルシャ高原に到達したホモ・サピエンスの集団は、少なくとも1万5,000年間そこに留まっていたと推測している。これは、Rh対立遺伝子が発生するのに十分な長さである。これらの対立遺伝子は、アフリカに留まった集団とは異なる選択圧にさらされていたホモ・サピエンスの集団に、進化上の優位性をもたらした可能性がある。



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