Paul Pettitt『ホモ・サピエンス再発見 科学が書き換えた人類の進化』

 ポール・ペティット(Paul Pettitt)著、篠田謙一監訳、武井摩利訳で、創元社より2024年11月に刊行されました。原書の刊行は2022年です。電子書籍での購入です。本書は、おもに現生人類(Homo sapiens)を対象とした人類進化史の概説で、著者は更新世の考古学を専攻しているので、考古学の記述が詳しくなっていますが、21世紀、とくに2010年以降に発展の目覚ましい古代DNA研究にも一定の分量が割かれています。人類進化に関する本は、とくに古代DNA研究の分野では、情報がすぐに古くなってしまいますが、それでも、本書は現時点で現生人類の進化の概要を把握するのに適した良書になっていると思います。

 現代人とチンパンジーとゴリラの共通祖先については、ナックル歩行(ナックルウォーク、手の指の外側を地面につける四足歩行)をしていたに違いない、と本書は結論づけていますが(第1章)、この共通祖先や初期人類がナックル歩行ではなかった可能性は、低くないように思います(関連記事)。人類系統も含めて中新世の類人猿は果実を好んで食べていましたが、果実が乏しい時には固い木の実や種子を食べており、本書はこれを「窮時の戦略」と呼び、これはパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)など非現生人類系統でも見られましたが、本書は現生人類成功の理由としてこの戦略を重視しています。握斧に代表されるアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)の出現は、本書では180万年前頃のアフリカ南部および東部とされていますが、最近の研究では、エチオピア高地において195万年前頃までさかのぼるアシューリアンが確認されています(関連記事)。

 レヴァントの旧石器時代の埋葬については、氷期最後の数千年間を除けばひじょうに稀で、確実な副葬品もかなり後代まで見られない、と指摘されています(第4章)。アジア東部の長江以南における初期現生人類の存在について、8万年前頃までさかのぼることが示された、と指摘されていますが(第4章)、この年代については議論になっており、5万年以上前である可能性は低いように思われます(関連記事)。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の証拠が残っている洞窟では、常に明白にネアンデルタール人と関連する考古遺物が現生人類と関連する(と推測されている)考古遺物よりも下にある、つまり古いと指摘されていますが(第5章)、フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)では、ネアンデルタール人と関連する(と推測されている)考古遺物の間に現生人類の考古遺物が挟まれています(関連記事)。

 アフリカからの現生人類の拡散に伴って、ユーラシアやその近隣の島々の先住人類は絶滅しましたが(ネアンデルタール人のように、非現生人類ホモ属の少なくとも一部の遺伝子は現代人に継承されているので、形態学的および遺伝学的に非現生人類ホモ属の的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と表現するのがより妥当でしょうか)、在来の非現生人類ホモ属が現生人類によって絶滅に追い込まれたのか、在来の非現生人類ホモ属の消滅後に現生人類が到来したのか、まだ解明されていないことを本書は指摘します。これは、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)や、アジア南東部島嶼部のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)およびホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)についても当てはまります(第6章)。現生人類のアフリカからユーラシアへの拡散の考古学的指標として、たとえばアジア南部では48000~35000年前頃の細石刃技術があります。ただ、アフリカでは65000年前頃には出現していた細石刃技術と、アジア南部の細石刃技術とは、表面的には類似しているものの、多くの相違点があり、アジア南部の細石刃技術は独自に開発された可能性が高い、と指摘されています(第6章)。現生人類がアフリカから世界各地に拡散するさいに、行動の柔軟性が増加していった地域として、本書はスンダランドとワラセアとサフルランドシベリアの寒冷地の4ヶ所を挙げています。

 ヨーロッパへの現生人類の初期の拡散は、4万年前頃のイタリア半島で南部での大噴火の影響もあって、一時的な成功にすぎなかった、と指摘されていますが(第7章)、4万年以上前となるヨーロッパの最初期現生人類集団が4万年前頃以降のヨーロッパの現生人類集団に大きな遺伝的影響を残していないことから(関連記事)、一時的な成功との評価には妥当なところが少なくないようにも思います。ただ、今後の研究の進展によって、ヨーロッパにおける最初期現生人類の拡散およびネアンデルタール人との関係などについては、もっと複雑な様相が浮き彫りになる可能性は低くないように思います。旧石器時代ヨーロッパの現生人類に関しては、生態的地位ではきわめて保守的で、武器など道具の変化は地理に起因する、と指摘されています(第11章)。じっさい、旧石器時代ヨーロッパにおいて、環境変動への対応は、現生人類よりもネアンデルタール人の方が柔軟だった、との見解も提示されています(関連記事)。人類の埋葬の起源については、「愛する人を安らかに眠れる場所に収める」現代世界とは異なり、突然の死や早すぎる死や暴力的な死などによる衝撃を軽くするために行なわれた、儀礼的な「封じ込め」と推測されています。さらに本書は、こうした初期の埋葬が再生や別の世界への移行に対する関心を反映しているかもしれない、と指摘しています(第16章)。

 アメリカ大陸への人類の拡散にも1章が割かれており(第7章)、アメリカ大陸における人類の拡散について、本書は2万年以上前までさかのぼらせる傾向には批判的で、17000年前頃以降と推測しています。2万年以上前とされるアメリカ大陸の人類の痕跡は、年代が確定的ではない、というわけです。ただ、原書刊行後の研究では、アメリカ合衆国ニューメキシコ州の遺跡の人類の足跡が2万年以上前である可能性は高い、と指摘されています(関連記事)。この2万年以上前のアメリカ大陸の初期現生人類集団は、現代および先コロンブス期の一部の南アメリカ大陸先住民集団のゲノムに3~5%ほど寄与した、アンダマン諸島およびオーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)の現代人と遺伝的に類似した集団(関連記事)だった可能性も考えられます。また、アメリカ大陸先住民にはデニソワ人のDNAがまったく含まれていない、と指摘されていますが、現代のアメリカ大陸先住民のゲノムにおけるデニソワ人由来の領域の割合は0.05~0.4%と推定されています(関連記事)。


参考文献:
Pettitt P.著(2024)、篠田謙一監訳、武井摩利訳『ホモ・サピエンス再発見 科学が書き換えた人類の進化』(創元社、原書の刊行は2022年)

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