懐かしい論争の盛り上がり
懐旧の情は加齢を反映しているのかもしれず、最近では揚げ物を食べたいとは思わなくなったことも、加齢のためなのか、と考えることもあります。まあ、炒め物は食べることもあるので、油ものを受けつけなくなったのではなく、揚げ物というか衣で包んだ食べ物は重たく感じるようになって受けつけなくなった感じで、焼売を食べることもなくなりました。懐旧の情という点では、私には子供の頃から懐古趣味があり、歴史愛好者になったのは多分にこの懐古趣味に由来するので、懐旧の情は加齢のためではないのかもしれません。それでも、最近は過去を懐かしむことが多くなったので、やはり加齢の影響なのかな、とも思います。
具体的に何を懐かしんでいるのかというと、たとえば邪馬台国の位置論争と東洲斎写楽の正体探しで、私が歴史に関心を抱くようになった1980年代前半には、非専門家も加わった熱気のある論争が一般層にも届いていたように思います。邪馬台国の位置論争と東洲斎写楽の正体探しも、現在では学術的に定説もしくは最有力説が確定しており、その意味では「謎解き」的な楽しみが1980年代前半よりも減じているように思われますが、学術的には大きく発展したと言うべきで、これは本来歓迎すべきことなのでしょう。それを残念に思ってしまうのは、私が邪馬台国の位置論争と東洲斎写楽の正体探しに関してはほぼ野次馬的な関心を抱いており、当事者意識がほとんどないからで、要は悪い意味でお客様(消費者)精神から論争を楽しんでいた(消費していた)にすぎなかったのでしょう。
邪馬台国の位置や東洲斎写楽の正体をめぐる「論争」にしても、非専門家も多数加わって「活況」だった、と言えばよかったことのようにも聞こえますが、現在の水準はもちろんのこと、当時でも無理筋な主張がすくなからずあったのではないか、とも思います。しかし、1980年代前半に平凡な子供だった私に各主張の妥当性を的確に判断できるだけの見識や能力があるはずもなく、おそらくは当時でも無理筋な主張を面白いと考えていたことが少なくなかったように思います。当時は邪馬台国九州説を支持しており、水野祐氏の三王朝交替説で日本古代史の基本的枠組みは説明できる、と考えていたくらいですが、さすがに今では三王朝交替説を支持していません(関連記事)。
東洲斎写楽は、2015年に休刊(実質的には廃刊でしょうが)となった『歴史読本』の1985年12月号で特集が組まれており、写楽の正体について30通りの仮説が取り上げられています。この中には、すでに1985年時点で提唱者が取り下げていた仮説も含まれていますが、当時の絵を描けそうな有名文化人がことごとくとまでは言えなくとも、多く挙げられています。これらのうち、提唱当時でも無理筋な仮説は少なくなかったのでしょうが、一般向けの有力歴史雑誌でこれだけの仮説が取り上げられていることは、当時それだけ写楽の正体に関する議論が活発だったことを反映しているのでしょう。
写楽の正体に関しては、もう幕末に近い天保年間の『増補浮世絵類考』に、阿波藩お抱えの能役者である斎藤十郎兵衛とあり、本来ならば詮索は無用だったはずで、近年では原点回帰と言うべきか、写楽を斎藤十郎兵衛とする説が有力になっています(関連記事)。その意味では、1990年代初頭?まで盛り上がっていた写楽の正体探しは無駄というか有害だったのかもしれませんが、この論争で浮世絵の研究が進展したのだとしたら、無駄とか有害とかとても言えないでしょう。私は、写楽を斎藤十郎兵衛とする説が有力になると、写楽への関心が低下してしまいましたが、これも悪い意味でお客様精神から論争を楽しんでいたにすぎなかったからだと思います。今年(2025年)放送されている大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では終盤に写楽が登場するでしょうが、どう描かれるのか、本作最大の見せ場というか仕掛けになりそうだと予想しているので、たいへん楽しみです。
邪馬台国の位置論争や写楽の正体探しと比較すると、1980年代~1990年代にかけて盛り上がった現生人類(Homo sapiens)の起源論争(多地域進化説かアフリカ単一起源説か)については、とくに懐かしむことはありません。その頃にはまだ人類進化史についてほとんど関心を抱いていなかったこともありますが、人類進化史には邪馬台国の位置論争や写楽の正体探しよりもずっと深くのめり込んだので、それだけ当事者意識が強くなったところもあり、単純素朴に学術的発展を歓迎しているからでもあります。私の能力と経済力では、複数の分野で人類進化史ほどのめり込むことはできませんから、開き直りになりますが、現在の生活や政治に直結するわけではない邪馬台国の位置論争や写楽の正体探しについては、今後も悪い意味でお客様(消費者)精神から論争を楽しむ(消費する)程度でよいかな、と考えています。
具体的に何を懐かしんでいるのかというと、たとえば邪馬台国の位置論争と東洲斎写楽の正体探しで、私が歴史に関心を抱くようになった1980年代前半には、非専門家も加わった熱気のある論争が一般層にも届いていたように思います。邪馬台国の位置論争と東洲斎写楽の正体探しも、現在では学術的に定説もしくは最有力説が確定しており、その意味では「謎解き」的な楽しみが1980年代前半よりも減じているように思われますが、学術的には大きく発展したと言うべきで、これは本来歓迎すべきことなのでしょう。それを残念に思ってしまうのは、私が邪馬台国の位置論争と東洲斎写楽の正体探しに関してはほぼ野次馬的な関心を抱いており、当事者意識がほとんどないからで、要は悪い意味でお客様(消費者)精神から論争を楽しんでいた(消費していた)にすぎなかったのでしょう。
邪馬台国の位置や東洲斎写楽の正体をめぐる「論争」にしても、非専門家も多数加わって「活況」だった、と言えばよかったことのようにも聞こえますが、現在の水準はもちろんのこと、当時でも無理筋な主張がすくなからずあったのではないか、とも思います。しかし、1980年代前半に平凡な子供だった私に各主張の妥当性を的確に判断できるだけの見識や能力があるはずもなく、おそらくは当時でも無理筋な主張を面白いと考えていたことが少なくなかったように思います。当時は邪馬台国九州説を支持しており、水野祐氏の三王朝交替説で日本古代史の基本的枠組みは説明できる、と考えていたくらいですが、さすがに今では三王朝交替説を支持していません(関連記事)。
東洲斎写楽は、2015年に休刊(実質的には廃刊でしょうが)となった『歴史読本』の1985年12月号で特集が組まれており、写楽の正体について30通りの仮説が取り上げられています。この中には、すでに1985年時点で提唱者が取り下げていた仮説も含まれていますが、当時の絵を描けそうな有名文化人がことごとくとまでは言えなくとも、多く挙げられています。これらのうち、提唱当時でも無理筋な仮説は少なくなかったのでしょうが、一般向けの有力歴史雑誌でこれだけの仮説が取り上げられていることは、当時それだけ写楽の正体に関する議論が活発だったことを反映しているのでしょう。
写楽の正体に関しては、もう幕末に近い天保年間の『増補浮世絵類考』に、阿波藩お抱えの能役者である斎藤十郎兵衛とあり、本来ならば詮索は無用だったはずで、近年では原点回帰と言うべきか、写楽を斎藤十郎兵衛とする説が有力になっています(関連記事)。その意味では、1990年代初頭?まで盛り上がっていた写楽の正体探しは無駄というか有害だったのかもしれませんが、この論争で浮世絵の研究が進展したのだとしたら、無駄とか有害とかとても言えないでしょう。私は、写楽を斎藤十郎兵衛とする説が有力になると、写楽への関心が低下してしまいましたが、これも悪い意味でお客様精神から論争を楽しんでいたにすぎなかったからだと思います。今年(2025年)放送されている大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では終盤に写楽が登場するでしょうが、どう描かれるのか、本作最大の見せ場というか仕掛けになりそうだと予想しているので、たいへん楽しみです。
邪馬台国の位置論争や写楽の正体探しと比較すると、1980年代~1990年代にかけて盛り上がった現生人類(Homo sapiens)の起源論争(多地域進化説かアフリカ単一起源説か)については、とくに懐かしむことはありません。その頃にはまだ人類進化史についてほとんど関心を抱いていなかったこともありますが、人類進化史には邪馬台国の位置論争や写楽の正体探しよりもずっと深くのめり込んだので、それだけ当事者意識が強くなったところもあり、単純素朴に学術的発展を歓迎しているからでもあります。私の能力と経済力では、複数の分野で人類進化史ほどのめり込むことはできませんから、開き直りになりますが、現在の生活や政治に直結するわけではない邪馬台国の位置論争や写楽の正体探しについては、今後も悪い意味でお客様(消費者)精神から論争を楽しむ(消費する)程度でよいかな、と考えています。
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