佐藤淳『進化生物学 DNAで学ぶ哺乳類の多様性』
東京大学出版会より2024年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は哺乳類を対象とし、進化生物学の入門書というか教科書的な性格もあり、DNAおよびその解析や染色体など遺伝の基本的な構造も解説していて、丁寧な構成になっています。本書は進化の前提として有限性を強調しており、ここが本書の特徴になっているように思います。本書は基本的に日本人の読者を対象としているでしょうから、日本列島の形成過程と環境もやや詳しく解説しており、日本列島の哺乳類の特殊性に大きな影響を及ぼしたのは、津軽海峡と対馬海峡である、と指摘しています。そのため、日本列島の哺乳類相は生物地理学的に3区分でき、それは北海道と本州・四国・九州(およびそのごく近隣の島々から構成される「本土」)と琉球諸島です。北海道に生息する哺乳類は、陸橋の存在した時代にサハリン経由でユーラシア大陸部から到来した、と推測されています。対馬海峡の水深は130mほどあり、更新世における寒冷期の海面低下でユーラシア大陸部と陸橋が形成されたのかどうかについては、議論があるようです。
本書は「分類論争」も取り上げており、形態学と遺伝学の対立構造がかつてあったことを指摘しますが、著者が本格的に研究者の道を歩み始めた頃には、「分類論争」は収束しつつあったそうで、著者も直接的に多くのことを経験したわけではないそうです。これは人類の進化、とくに現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐる論争にも当てはまるように思います。現生人類の起源をめぐる議論が激しかった1980年代から1990年代前半の頃には、伝統的な形態学では多地域進化説を主張する傾向が強かったのに対して、遺伝学ではアフリカ単一起源説を主張する傾向が強かったわけですが、今では、アフリカ単一起源説が基本的には正しい、との考えが有力です。
本書は、進化生物学における解釈の節約性を重視しますが、一方で、じっさいの進化が節約性だけに従っているわけではないことを指摘します。本書でその具体例として挙げられているのが収斂進化もしくは平行進化ですが、両者に違いがあることも指摘されています。収斂進化は、共通の遺伝的基盤に基づかずに独立して類似した特徴が出現したことを、平行進化は、共通祖先から継承された共通の遺伝的基盤から独立に類似した特徴が出現したことを意味しています。遺伝学による進化研究が盛んになると、収斂進化や平行進化の事例の報告が多くなってきたそうです。たとえば、ローラシア獣類である鯨類とアフリカ獣類である海牛類(ジュゴンやマナティーなど)は、独立して海で生きるようになったので、流線形の身体や後脚がないことなどは無似ているものの、大きく異なる系統です。
進化生物学の入門書的な性格もある本書は、退化が進化の一部であることも指摘し、退化の具体的事例も詳しく取り上げています。本書がとくに詳しく取り上げているのは味覚で、さまざまな哺乳類における味覚(旨味と甘味と苦味と塩味と酸味)喪失、つまり退化の事例が紹介されています。たとえばパンダでは旨味が退化しており、これはほぼタケに依存した食性では、タケに旨味成分がほとんどないことから、旨味の退化によって適応度が減少することはないため、と推測されています。この他に、鰭脚類の味覚喪失についても詳しく取り上げられており、海に進出(回帰と言うべきかもしれませんが)し、餌を噛まずに飲み込むことで、味覚喪失が適応度低下につながらないため、味覚が退化した、と考えられていますが、味覚喪失の遺伝的基盤の比較から、かつて一度は否定された、アザラシとアシカおよびセイウチが独立して海に進出した、との見解が再び有力になったそうです。
参考文献:
佐藤淳(2024)『進化生物学 DNAで学ぶ哺乳類の多様性』(東京大学出版会)
本書は「分類論争」も取り上げており、形態学と遺伝学の対立構造がかつてあったことを指摘しますが、著者が本格的に研究者の道を歩み始めた頃には、「分類論争」は収束しつつあったそうで、著者も直接的に多くのことを経験したわけではないそうです。これは人類の進化、とくに現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐる論争にも当てはまるように思います。現生人類の起源をめぐる議論が激しかった1980年代から1990年代前半の頃には、伝統的な形態学では多地域進化説を主張する傾向が強かったのに対して、遺伝学ではアフリカ単一起源説を主張する傾向が強かったわけですが、今では、アフリカ単一起源説が基本的には正しい、との考えが有力です。
本書は、進化生物学における解釈の節約性を重視しますが、一方で、じっさいの進化が節約性だけに従っているわけではないことを指摘します。本書でその具体例として挙げられているのが収斂進化もしくは平行進化ですが、両者に違いがあることも指摘されています。収斂進化は、共通の遺伝的基盤に基づかずに独立して類似した特徴が出現したことを、平行進化は、共通祖先から継承された共通の遺伝的基盤から独立に類似した特徴が出現したことを意味しています。遺伝学による進化研究が盛んになると、収斂進化や平行進化の事例の報告が多くなってきたそうです。たとえば、ローラシア獣類である鯨類とアフリカ獣類である海牛類(ジュゴンやマナティーなど)は、独立して海で生きるようになったので、流線形の身体や後脚がないことなどは無似ているものの、大きく異なる系統です。
進化生物学の入門書的な性格もある本書は、退化が進化の一部であることも指摘し、退化の具体的事例も詳しく取り上げています。本書がとくに詳しく取り上げているのは味覚で、さまざまな哺乳類における味覚(旨味と甘味と苦味と塩味と酸味)喪失、つまり退化の事例が紹介されています。たとえばパンダでは旨味が退化しており、これはほぼタケに依存した食性では、タケに旨味成分がほとんどないことから、旨味の退化によって適応度が減少することはないため、と推測されています。この他に、鰭脚類の味覚喪失についても詳しく取り上げられており、海に進出(回帰と言うべきかもしれませんが)し、餌を噛まずに飲み込むことで、味覚喪失が適応度低下につながらないため、味覚が退化した、と考えられていますが、味覚喪失の遺伝的基盤の比較から、かつて一度は否定された、アザラシとアシカおよびセイウチが独立して海に進出した、との見解が再び有力になったそうです。
参考文献:
佐藤淳(2024)『進化生物学 DNAで学ぶ哺乳類の多様性』(東京大学出版会)
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