八束脛洞窟遺跡の弥生時代中期人類のゲノムデータ
群馬県利根郡みなかみ町後閑の八束脛洞窟遺跡で発見された弥生時代中期の人類のゲノムデータを報告した研究(神澤他.,2024)が公表されました。私の観測範囲ではTwitterにおいて話題になっていたので、読みました。弥生時代の日本列島には、ユーラシア東方大陸部から日本列島に移民が到来してきて、この「渡来系」集団と縄文時代から日本列島に存在した在来の「縄文人」系集団との間で遺伝的混合が進み、現在の本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」集団が形成された、との二重構造説が有力と考えられてきました(関連記事)。形態人類学では、弥生時代において「渡来系」集団と「縄文系」集団の間ですぐに全面的な融合が進んだわけではなく、形態学的には「縄文人」的な集団も存在していた、と推測されていました。しかし、古代ゲノム研究では、そうした弥生時代の「縄文系」集団のうち、長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された2個体では、すでに「渡来系」と「縄文系」の遺伝的混合が進んでいた、と示されました(関連記事)。
本論文は、弥生時代の、とくに東日本の人類集団の遺伝的構成をさらに詳しく調べるため、八束脛洞窟遺跡で発見された弥生時代中期の人類のゲノムの解析結果を報告します。このゲノム解析された八束脛洞窟の個体の較正年代は、紀元前55~紀元後70年(95.4%の確率)です(設楽他.,2024)。X染色体とY染色体の読み取り比から、この個体は男性と推定されました。脱アミノ化の影響がないSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)に限定した汚染推定値は3.2%で、核ゲノムでは20.38%の領域が配列決定されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はN9b*、Y染色体ハプログループ(YHg)はD1a2a1a3です。
この八束脛洞窟個体は核ゲノム解析では、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)において遺伝学的に既知の「縄文人」と同質と示されました(図5)。八束脛洞窟は、中部・関東地方から南東北地方を中心に展開した弥生時代の再葬墓の終焉に近い頃(は弥生時代中期中葉)の遺跡ですが(設楽他.,2024)、まだ東日本の少なくとも一部には、日本列島「本土」の現代人とは異なり、遺伝的に「縄文人」と同質の人類集団が存在していたわけで、弥生時代の日本列島「本土」人類集団における遺伝的異質性の高さ(関連記事)が改めて示されています。再葬墓は縄文文化の伝統が強く見られる、と指摘されており、今後は、弥生時代でも文化と担い手の遺伝的構成との間に相関があったのか、検証が進むことを期待しています。以下は本論文の図5です。
八束脛洞窟の弥生時代個体は、母系(mtHg)でも父系(mtHg)でも「縄文人」系統で、核ゲノム解析の結果と矛盾しません。八束脛洞窟の弥生時代個体のmtHgは、既知の下位系統に分類されない祖型系統でした。束脛洞窟の弥生時代個体のYHgは、日本列島「本土」の現代人集団でも30~40%程度存在するD1a2a系統で、「縄文人」のYHgではこれまで、D1a2a系統しか見つかっていません。もちろん、本論文が指摘するように、今後日本列島の縄文時代の個体でD1a2a以外のYHgが見つかる可能性はありますが、現時点での知見から、「縄文人」のYHgではD1a2a系統が少なくとも圧倒的に多かった可能性はきわめて高い、と言えそうですし、「縄文人」のYHgでは初期段階からD1a2a系統しか存在しなかった可能性も考えられます。なお、八束脛洞窟の弥生時代個体のYHg-D1a2a1a3系統が現代日本人男性において占める割合は3.1%程度で、西日本より東日本の方が有意に高い割合となっています(関連記事)。
参考文献:
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2024)「群馬県八束脛洞窟遺跡出土弥生時代中期人骨の核ゲノム分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第252集P125-133
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000324
設楽博己、坂本稔、瀧上舞(2024)「群馬県八束脛洞窟遺跡出土弥生時代中期人骨の年代学的調査」『国立歴史民俗博物館研究報告』第252集P113-124
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000323
本論文は、弥生時代の、とくに東日本の人類集団の遺伝的構成をさらに詳しく調べるため、八束脛洞窟遺跡で発見された弥生時代中期の人類のゲノムの解析結果を報告します。このゲノム解析された八束脛洞窟の個体の較正年代は、紀元前55~紀元後70年(95.4%の確率)です(設楽他.,2024)。X染色体とY染色体の読み取り比から、この個体は男性と推定されました。脱アミノ化の影響がないSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)に限定した汚染推定値は3.2%で、核ゲノムでは20.38%の領域が配列決定されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はN9b*、Y染色体ハプログループ(YHg)はD1a2a1a3です。
この八束脛洞窟個体は核ゲノム解析では、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)において遺伝学的に既知の「縄文人」と同質と示されました(図5)。八束脛洞窟は、中部・関東地方から南東北地方を中心に展開した弥生時代の再葬墓の終焉に近い頃(は弥生時代中期中葉)の遺跡ですが(設楽他.,2024)、まだ東日本の少なくとも一部には、日本列島「本土」の現代人とは異なり、遺伝的に「縄文人」と同質の人類集団が存在していたわけで、弥生時代の日本列島「本土」人類集団における遺伝的異質性の高さ(関連記事)が改めて示されています。再葬墓は縄文文化の伝統が強く見られる、と指摘されており、今後は、弥生時代でも文化と担い手の遺伝的構成との間に相関があったのか、検証が進むことを期待しています。以下は本論文の図5です。
八束脛洞窟の弥生時代個体は、母系(mtHg)でも父系(mtHg)でも「縄文人」系統で、核ゲノム解析の結果と矛盾しません。八束脛洞窟の弥生時代個体のmtHgは、既知の下位系統に分類されない祖型系統でした。束脛洞窟の弥生時代個体のYHgは、日本列島「本土」の現代人集団でも30~40%程度存在するD1a2a系統で、「縄文人」のYHgではこれまで、D1a2a系統しか見つかっていません。もちろん、本論文が指摘するように、今後日本列島の縄文時代の個体でD1a2a以外のYHgが見つかる可能性はありますが、現時点での知見から、「縄文人」のYHgではD1a2a系統が少なくとも圧倒的に多かった可能性はきわめて高い、と言えそうですし、「縄文人」のYHgでは初期段階からD1a2a系統しか存在しなかった可能性も考えられます。なお、八束脛洞窟の弥生時代個体のYHg-D1a2a1a3系統が現代日本人男性において占める割合は3.1%程度で、西日本より東日本の方が有意に高い割合となっています(関連記事)。
参考文献:
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2024)「群馬県八束脛洞窟遺跡出土弥生時代中期人骨の核ゲノム分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第252集P125-133
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000324
設楽博己、坂本稔、瀧上舞(2024)「群馬県八束脛洞窟遺跡出土弥生時代中期人骨の年代学的調査」『国立歴史民俗博物館研究報告』第252集P113-124
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000323
この記事へのコメント
「縄文人」の父系についても、時空間的な違いがさらに明らかになっていけば、現代日本人の父系の形成過程もより詳しく解明されることが期待されます。
縄文同士の差異は非常に低いと思いますが、まぁ後世人ゲノムへの影響もある程度在地縄文が関与しているんでしょう
しかしというか、やはり縄文100%の個体からは相変わらずD1a2aしか見つからないですね