ワラセアの人口史
現代人の新たなゲノムデータと既存の現代人および古代人のゲノムデータからワラセアの人口史を検証した研究(Purnomo et al., 2024)が公表されました。本論文は、ワラセア諸島とインドネシアの西パプア地域のヒトの遺伝的歴史の包括的研究を提示し、これには、ほぼ以前には報告されていなかった人口集団の、新たに配列決定された254個体が含まれます。言語学および考古学の証拠と組み合わせると、ワラセア社会は過去3500年間に西パプアからの遺伝子と言語の拡大によって変容し、それはオーストロネシア人の船乗りがワラセアおよびパプアの人類集団と活発に混合していたのと同じ期間だった、と示されます。これらの移住集団は在来のワラセアの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)供給源をほぼ置換し、ワラセアのパプア人関連祖先系統は5万年以上前となるサフル(更新世の寒冷期に陸続きだった現在のオーストラリア大陸とニューギニア島とタスマニア島)への最初の解剖学的現代人(anatomically modern human、略してAMH、現生人類)の移住経路に由来する、との一般的な仮説に異議を唱え、これら古代の移動が現代人の遺伝的データのみからは容易に回復できない可能性を示唆しています。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●要約
ワラセアの熱帯諸島には、AMHが5万年前頃までに最初に移住しており、その子孫集団は3500年前頃にオーストロネシア人の船乗りの到来の前には遺伝的に孤立したままだった、と考えられています。ワラセアの現代人は、在来の人口集団とオーストロネシア人の船乗りとの間の混合の証拠として考えられている、パプア人関連祖先系統とアジア人関連祖先系統の縦断的な逆勾配を示していますが、収束しつつある学際的証拠では、パプア人関連構成要素は代わりに、おもにニューギニアからの逆移住に由来する、と示唆されています。本論文はワラセアの12人口集団と西パプアの3人口集団から新たに報告された250個体以上のゲノムを用いて、ワラセアの人口集団の遺伝的歴史を再構築し、ワラセアにおけるパプア人関連祖先系統の大半(75~100%)はニューギニア起源の先史時代の移住に由来し、ごくわずかな割合が創始者AMH入植者に起因する、と確証します。パプア系統とワラセア系統との間の混合はワラセア諸島の西部および中央部に限られていたようで、今ではワラセア現代人の祖先系統の40~85%の間を構成する、オーストロネシア人の船乗りからの遺伝子の広範な導入と同時期に起きた可能性が高そうでが、歴史的混合事象の年代測定は、歴史時代に続く混合のため依然として困難です。考古学および言語学の記録と合わせると、本論文の調査結果は動的なワラセアの人口史を示しており、それは過去3500年間にパプア人の遺伝子と言語と文化の拡大によって大きく作り変えられました。
●研究史
ワラセア諸島は世界的に有名な生物多様性の特異的に高い場所(ホットスポット)で、西方の以前の更新世のスンダ大陸(マレー半島とスマトラ島とボルネオ島とジャワ島とバリ島をつなぎます)と、南方および東方のサフル(オーストラリアとタスマニア島とニューギニアとミソール島とアルー諸島)との間に位置しています。新生代における造山運動と火山活動による誕生以降、1000以上のワラセアの各島は、近隣の大陸および相互と、一連の大洋の海峡によって隔てられてきました。これらの航海は歴史時代の移住者にとって永続的な拡散の障壁となってきており、西のウォレス線と東のライデッカー線によって区切られる、移行的な生物圏の出現をもたらしました(図1)。これらの障害にも関わらず、石器と化石の記録は後期更新世におけるウォレス線横断に成功した複数の人類集団を証明しており[4、5]、AMHは5万年前頃にアフリカを越えた現生人類(Homo sapiens)のより広範な拡散の一部として到来し、同じ頃のサフルへの移住において現生人類の拡散は最高潮に達しました[6、7]。以下は本論文の図1です。
人類進化の拠点およびサフルへの歴史的なヒトの移住の入口としてのワラセアの重要性[9、10]は、この地域のヒトの居住を調査する研究数増加の動機となってきました。これらの研究は複数のヒト集団間の過去の移動や混合や交易など過去の動態を明らかにしてきており、現代のワラセア全域におけるパプア人およびオーストロネシア人関連の遺伝的祖先系統と言語懈怠の並行した逆勾配をもたらしました。しかし、複数の一連の証拠は、オーストロネシア人の船乗りがワラセアにおいてアジア人関連の遺伝子[13、14]および言語の供給源と証明していますが、パプア人関連祖先系統が創始者AMH入植者の子孫の証拠なのか、あるいはニューギニアからのその後の到来の結果なのかどうかについて、疑問が残っています[18]。
おそらく現時点では、ワラセアの最初の入植以降の遺伝的連続性の最良の証拠は、7200年前頃にスラウェシ島南部に暮らしていた中期完新世のトアレアン(Toalean)技術複合採食民1個体に由来し、この個体の祖先系統の約半分は近オセアニア(ニアオセアニア)人(つまり、オーストラリア先住民とメラネシア人)から分岐した系統に由来し、これら2集団も同じ頃に分離しました[19]。しかし、トアレアン採食民の祖先系統は、2500年前頃から現在のスラウェシ島や少数の東ワラセア諸島に暮らす個体群では検出されず[20]、すべての調査された個体は代わりに、現代のパプア人およびアジア人集団とより密接に関連しています。創始者AMH祖先系統を保持している証拠も、ミトコンドリアゲノムとY染色体のデータセットでは少なく、最近の二つの系統発生研究では、ワラセア系統はオーストラロ・パプア人と関連する基底部の系統発生的位置に現れ、パプア人クレード(単系統群)内で入れ子になって存在する可能性がはるかに高い、と分かりました。したがって、遺伝学的証拠の積み重ねから、ワラセアにおけるパプア人関連祖先系統の大きな割合、AMH創始者に由来すると完全に証明されたのではなく、ニューギニアからの逆移住に由来する、と示唆されます。
考古学と言語学の証拠の増加も、ワラセアの歴史形成におけるパプア人中心的役割を裏づけます。特定の技術や芸術形式や動物相やワラセア東部で話されている最近報告されたGWB(Greater West Bomberai、大西ボンベライ)語族はすべて、西パプアからもたらされた、と考えられています。ミトコンドリアゲノムから推測されたパプア人の推定逆移住も、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)末(15000年前頃)の東ワラセアにおける新たな海洋技術の島間交易網出現と年代が密接に一致しており、第二波はオーストロネシア人の船乗りがワラセア諸島全域に拡大し始めた頃に起きました。しかし、歴史的なパプア人の移住の根底にある詳細のほとんどは、起源人口集団の特定やオーストロネシア人移民の到来およびニューギニアで起きた人口統計学的変化[28]とのつながりを含めて、不明なままです。これら基本的な知識の間隙は、地理遺伝的構造の解明およびこれら謎めいたパプア人の移住の起源と影響の調査のための、現代のワラセア全域のより包括的な人口集団のゲノム調査必要性を浮き彫りにします。
●ワラセアと西パプアの人口集団のゲノデータセット
ワラセアの遺伝的歴史におけるこれら未解決の問題に取り組むため、インドネシアゲノム多様性計画によって確立された告知に基づく同意実施要綱に従って[29]、ワラセア全域の12ヶ所の異なる共同体および西パプアの3ヶ所の共同体から収集された254個体のゲノムで浅いショットガン配列決定が適用され(平均網羅率は2.3倍、0.8~11.3倍の範囲)、これらは約30の異なる民族および方言の集団で構成されます。これらのゲノムは以前に刊行された161個体の高網羅率のインドネシア人およびメラネシア人のゲノム[29]によって補完され、ワラセアの人口集団の総数は14に増加し、二つの主要な移住経路に沿った適切な代表性を提供します。それはつまり、北方経路の、スラウェシ島の南部12個体とダー(北部、21個体)、サナナ(Sanana)島の19個体、北モルッカ諸島の30個体、セラム(Seram)島のサワイ(Sawai)の7個体およびフアウル(Huaulu)の20個体、カイ(Kei)諸島の26個体、タニンバル(Tanimbar)諸島の28個体、およびフローレス島のベナ(Bena)の11個体とマンガライ(Manggarai)の34個体含む南方経路の、ロテ(Rote)島の28個体、レンバタ(Lembata)島の7個体、アロール(Alor)島の5個体で、この南北両経路を最初のAMH入植者が横断した、と提案されています(図1)。
本論文の標本抽出は、以前には1万年前頃に海面上昇によって分離する前のサフル海岸線に位置していた東ワラセアのアルー(Aru)諸島の最初に報告されたデータ(27個体)と、最初に報告された西パプア人口集団の遺伝的データセットの一部を含んでおり、この西パプア人口集団の遺伝的データセットには、ニューギニア中央部北方の西パプア州のキーロム(Keerom)県の26個体、ニューギニア南西部のマッピ(Mappi)の18個体、バーズヘッド(Bird’s Head)地域西部のソロン(Sorong)の27個体が含まれます。これにの集団は、曖昧な定義の西パプア地域の調査およびより一般的にパプア人の遺伝的歴史を促進し、ニューギニアからワラセアへのあり得る歴史的出口に加えて、サフルへの潜在的入口を把握します。
すべての新たに報告されるワラセアと西パプアの人々のゲノムについて、正確な補完された遺伝子型呼び出しを提供するため、位相化された遺伝的参照パネル、つまりHGDP(Human Genome Diversity Project、ヒトゲノム多様性計画)[32]や、対象の標本からの遺伝的情報を利用するGLIMPSEを用いて各個体で遺伝子型が呼び出されました。本論文の遺伝子型呼び出しの品質を評価するため、標本8点が高網羅率(平均約28倍)で再配列決定され、それぞれについて高精度な遺伝子型呼び出しが生成され、これらのデータがその後で補完的な低網羅率の呼び出しと比較されました。これらの分析から、補完された遺伝子型データは、本論文で採用された人口集団のゲノム推測手法を適用すると、正確で堅牢な結果を提供する、と示唆されます。
●パプア人およびアジア人関連祖先系統のワラセア現代人の遺伝的景観における優勢
より広い世界規模の状況内にワラセア人口集団を位置づけ、ワラセアと西パプア内の遺伝的構造を解明するため、本論文のインドネシア人とメラネシア人の標本が世界中の人口集団から得られた追加の高網羅率のゲノム[13、34、35]と組み合わされました。密接な親族関係(1親等および2親等)にある9個体とワラセアの重複した2個体の除外後に、844個体の得られたデータセットで主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTUREでの遺伝的祖先系統分解が実行されました。
ワラセアに関する以前の遺伝学的研究で報告された独特な二重祖先系統逆勾配[13、14]も、ワラセアの270個体とかなり大きな分類のPCAおよび祖先系統分解分析の両方において明確な特徴です(図2A)。ワラセアの祖先系統はK(系統構成要素数)=3~8までの全てのADMIXTUREモデルにおいて二つの遺伝的供給源へと効率的に分解され、先史時代オーストロネシア人船乗り、つまりアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)で構成される台湾の先住民集団(図2Aの濃青色)もしくは本土パプア人集団(図2Aの暗い青緑色)で現代人の遺伝的代理の最高の代表性が見つかります。アジア人関連祖先系統は東方から西方への一般的な増加を示し、逆にパプア人関連祖先系統は東方から西方にかけて減少し、ワラセア東部で最高となり(つまり、アルー諸島では約60%)、以前にスンダランドの一部だったインドネシア西部地域に暮らす人口集団、たとえばジャワ島やボルネオ島やスマトラ島やメンタワイ島やニアス島でといったWSE(西方アジア南東部島嶼部)集団では無視できるようになります(図2)。アジア人関連祖先系統パプア人関連祖先系統のよく知られている逆勾配分布は、PCAの第二次元に沿っても明らかで(図2B)、ワラセア東部の人口集団が勾配の一方の端でパプア人集団のより近くに位置し、ワラセア諸島西部の人口集団は反対側の端でアジア南東部人および台湾先住民集団の最も近くに位置します。注目すべきことに、このパターンはワラセアとインドネシア西部の個体群をアジア南東部と台湾とパプアニューギニア(Papua New Guinea、略してPNG)の人口集団から示された遺伝的多様性ら限定したPCA空間に投影することによって、PCAの第一次元に沿って密接に再現され(図2C)、ワラセア祖先系統はアジア人関連祖先系統とパプア人関連祖先系統の逆勾配として効率的にモデル化できる、と確証されます。
本論文のADMIXTUREモデルで祖先系統構成要素数を9から15供給源へと拡張すると、ワラセアの人口集団における追加の遺伝的構造が明らかになりましたが、多くの構成要素は、歴史的な地域への移住もしくは混合事象の情報を容易にはもたらさない、ワラセアの大集団間の構造を把握します。重要な例外は、最適ADMIXTUREモデル(K=9の祖先系統構成要素)で見られ、この場合にはアジア東部および南東部において最も顕著な供給源(つまり、図2Aのマンゴーのような橙色)が、ほとんどのワラセア集団において低水準から中程度の水準で現れます。この祖先系統供給源は、ワラセア東部ではさほど一般的ではなく、パプア人集団ではほぼ完全に欠けており、オーストロネシア人船乗りの代理とは遺伝的に異なる、ワラセアの一部におけるアジア南東部関連祖先系統の存在を推測した、以前のインドネシア人口集団のゲノム研究の調査結果を反映しています。最近の古ゲノムの証拠では、これら古代の移民はタイおよびラオスの集団と関連しており、2500~1000年前頃にワラセア全域に活発に拡大しつつあった、と示唆されています[20]。以下は本論文の図2です。
パプア人集団間の内部構造は、K=14の祖先系統構成要素(図2Aのからし色)で明らかになり、この新たな構成要素はPNGの東高地の地域の人口集団と最も強く関連し、他のパプア人の祖先系統供給源は今回、西パプアのキーロム県の人口集団において最も多くなります(図2A)。注目すべきことに、東高地関連祖先系統は西パプアとワラセアのほとんどの集団では稀か存在せず、小スンダ列島の人口集団において最も顕著です。これらのパターンから、パプア人祖先系統の複数の供給源がワラセアへと拡散し、主要な供給源は一部の西パプア現代人集団とより密接に関連しているかもしれない、と示唆されます。
●ワラセアにおけるAMH創始者祖先系統の保持の証拠
本論文のADMIXTURE分析は、アジア人関連祖先系統とパプア人関連祖先系統の複数の供給源がワラセア全域で一般的だった、と裏づけますが、ワラセアにおける創始者AMHの保持の証拠はさほど明確ではなく、それは、この分析においてこの深い祖先系統供給源の適切な遺伝的代理が欠けていることに起因するかもしれません。深いAMH祖先系統がワラセアの現代人に存在する、という示唆は、本論文の最適ADMIXTUREモデル(つまり、K=9~11)において5%未満の水準で観察される二つの祖先系統供給源によって提供され、その最高頻度はアンダマン諸島のオンゲ人とフィリピンのアエタ人(Aeta、Ayta)ネグリートで見られますが(図2Aの鮭色と赤色)、そうした低水準の祖先系統はモデル化の人工的効果も表しているかもしれません。同様に、完全な標本844点のPCA内での最近報告された7000年前頃のトアレアン採食民1個体の投影は、PCAの最初の二つの次元における孤立した中央の位置を示しており(図2B)、これは、その祖先系統が未知のアジア系統と近オセアニア系統の混合である、という以前の推定[19]と一致しますか、ワラセアにおけるAMH祖先系統供給源の直接的証拠を提供しません。
ワラセア現代人における創始者AMH祖先系統の存在をさらに調べ、これをメラネシア人固有の供給源、つまり、パプア人の全集団とビスマルク諸島のバイニング(Baining)人から区別するために、qpAdmを用いて妥当な祖先が特定され、各ワラセア人口集団への相対的寄与が推定されました。本論文のADMIXTUREおよびPCAの結果に従って、複数のアジアとメラネシアの人口集団(パプア諸語話者の部分集合に限定)が潜在的な祖先系統供給源として含められ、トアレアン採食民1個体とオンゲ人集団が創始者祖先系統の代理として追加されました。qpAdmの感度と検出力を改善するため、「左側」と「右側」の分類にわたって人口集団を交替し、妥当性について評価されたワラセアの各人口集団について祖先系統モデルの大規模な一式が生成されました。
本論文のADMIXTUREおよびPCAの結果と一致して、少なくとも一つのアジア人祖先系統と一つのパプア人祖先系統の供給源で構成される妥当なqpAdmモデルが、ワラセアの14の集団すべてで特定され(図3)、台湾先住民集団はすべての妥当なモデルで現れ、予想外に、西パプアのソロン集団が最も一般的に出現するパプア人供給源(10~50%)でした(図3B)。二つの最も一般的なqpAdmモデルはこれら二つの祖先系統を第三の供給源、つまりトアレアン採食民1個体かオンゲ人と組み合わせており(図3Bでは、それぞれワラセアの9人口集団と8人口集団)、これら3供給源モデルはワラセアの14人口集団のうち11人口集団で最も節約的な祖先系統構成でした。ほとんどのワラセアの人口集団に関して妥当なqpAdmモデルにおけるこの第三集団の存在は、ワラセア諸島西部のAMH創始者祖先系統の広範な保持と一致しており、その水準はワラセア西部(つまり、スラウェシ島とフローレス島)において最も高く、ワラセア諸島東部の集団では5%未満に低下します(図3C)。しかし、この第三の祖先系統供給源の遺伝的起源に関するさらなる解釈は、ほとんどのワラセア人口集団についての複数の等しく節約的なモデルの存在や、オンゲ人およびトアレアン採食民1個体関連祖先系統の系統発生的文脈の欠如によって複雑になります。したがって、混合図モデル化で、ワラセア現代人の祖先系統のさまざまな要素を堅牢な集団遺伝学的枠組み内に位置づけることによって、この問題への追加の洞察が提供されます。以下は本論文の図3です。
●ニューギニアからの逆移住はパプア人祖先系統をワラセア全域に広げました
ワラセアの人口集団の遺伝的歴史の根底にある分離および混合事象の節約的モデルを開発するために、最近開発されたfind_graph演算法を用いて、広範なモデル空間からよく適した混合図が特定されました。まず、ワラセア祖先系統への潜在的寄与として本論文の以前の分析で特定された全人口集団、つまり台湾先住民とバイニング人とオンゲ人とアエタ人とトアレアン採食民1個体と複数のフィリピンの人口集団の混合図が推測され、追加の歴史的な混合事象を把握するため、古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】のゲノムが追加され、さらなる系統発生の文脈を提供するために、他の少数のヒト集団(漢人、コンゴのムブティ人、オーストラリア先住民)が含められました。この最初の混合図は形態上の足場として機能し、find_graphも使用して、その後でそこにワラセアの人口集団の部分集合が追加されました。
find_graphによって特定された最適な混合図足場は、アフリカを越えたAMHの世界規模の拡散を把握した、以前に報告された図基本的な特徴を再現し、これには、この拡散の初期段階における、アジア人系統(台湾先住民とタイ人と漢人を合わせます)と「南方」系統(アエタ人とトアレアン採食民1個体と近オセアニア人を合わせます)との間の事実上の同時の分岐と、他のAMH集団には存在しない、南方系統への非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属)であるデニソワ人由来の約4%の祖先系統の遺伝子移入が含まれます(図4)。トアレアン採食民1個体の祖先系統の約1/3(中核qpAdm分析全体の平均値は35%)は未知の深く分岐したAMH集団に由来し、残りの祖先系統はオーストラリア先住民およびメラネシア人集団と遺伝的に等距離の系統に由来する、との最近の調査結果[19]も確証され、後者はサフルへの移住前に近オセアニア現代人の祖先から分岐した創始者ワラセアAMH系統を表している、との主張が裏づけられます。以下は本論文の図4です。
先行研究で明らかではない興味深い結果は、パプア諸語話者のソロン人口集団の約20%の祖先系統を構成する未知の系統の系統発生的位置で、この系統の他の近オセアニア人との分岐は、オーストラリア先住民の分離後であるものの、メラネシア人集団の多様化の前で、オーストラリア先住民とパプア人の祖先が別々の移動でサフルに到来したならば、ワラセア起源の可能性を示唆しています。しかし、追加の証拠から、この系統のニューギニア起源の方がより節約的である、と示唆され、それは、パプア諸語話者のソロン集団の祖先系統の残りが、セピク(Sepik)語族話者とキーロムの両人口集団と等しく関連している供給源に由来するからで、qpAdm検定はソロン集団における支配的な祖先系統供給源としてメラネシア人系統のこの独特な組み合わせを確証します(図3)。この系統発生的状況は、深く分岐したパプア人集団は42000年前頃までに、サフルへの移住の後で、ビスマルク諸島への植民の前の合間にバーズヘッド半島周辺に出現し、その後で、ニューギニア中央部北方の故地から東方へ移動した可能性が高い移民集団(この集団はニューギニア中央部北方のキーロムおよびセピク集団と等距離で関連しています)と混合した、との筋書きを示唆します(図4)。
find_graphを用いての本論文の混合図足場にワラセア人口集団を当てはめた後で、本論文の上述の分析と一致する人口集団の遺伝的歴史を推測する一連のよく適合したモデルが得られました。これらの混合図は本論文のqpGraphの結果の中核的発見を繰り返し、それには、いくつかのワラセア人口集団はトアレアン採食民1個体と関連する供給源に祖先系統が由来する、との発見が含まれますが、これは本論文の混合図ではワラセア西部および中央部の集団に限られます(図4)。注目すべきことに、ワラセア現代人を、深く分岐したAMH祖先系統を受け取る前にトアレアン採食民1個体系統から強制的に分岐させると、等しくよく適合したモデルが得られ、この謎めいたAMH集団がワラセア現代人の遺伝的特性に寄与していない可能性を示唆しています。さらに、すべてのワラセア人口集団は台湾先住民(つまり、オーストロネシア人の船乗り)、西パプアのソロン集団、別の未知の初期に分岐した近オセアニア人系統と関連する独特な3祖先系統供給源を共有しています(図4)。この未知の系統の系統発生的位置は、バイニング人の分岐後ではあるものの、本土パプア人の多様化の前に他の近オセアニア人集団から分岐しており、以前に報告された[28]内部の分離の前のニューギニアに起源があった、と示唆されます。
本論文のqpAdm分析と密接に一致して、混合図の結果から、ワラセアの現代人は全員、その祖先系統の15~60%がパプア人供給源に由来する、と示唆され、これはオーストロネシア人の船乗りからの割合(40~85%)に匹敵します(図4)。対照的に、在来のAMH創始者からの寄与は10%を超えず、ワラセア諸島の東側に位置する人口集団では存在しないようで(図4)、オーストラロ・メラネシア人を含む大きな系統樹で観察される基底部ワラセア系統の少なさを裏づけます。したがって、本論文の結果から、ワラセアの現代人で観察される独特なパプア人祖先系統勾配はおもに、ワラセア諸島の西端は影響力が小さくなったパプア人系統の逆移住によって生成され、AMH創始者祖先系統はじっさいに、この支配的なパプア人祖先系統勾配とは逆勾配で分布しているかもしれない、と示唆されます。
●歴史的な混合事象の年代測定
本論文の最適なワラセア混合図のすべてで共有されている特徴はさまざまな混合事象の一貫した順序で、パプア人関連の2祖先系統は常に台湾先住民関連系統との混合の前に混合し、トアレアン採食民1個体関連集団を含む混合はこれら2下位の混合上の間に起きています(図4)。一部の事例では、これらの混合事象は同時に、つまり間に入る浮動の分岐がなく起きており、診断できる遺伝的違いの生成には短すぎる期間による分離を示唆しています。注目すべきことに、この同時性はトアレアン採食民1個体関連系統をパプア人関連の2祖先系統と組み合わせた混合事象に限られており、台湾先住民関連祖先系統のその後の混合は、共有される浮動期間の後に起きる傾向があります。これらのパターンの節約的な解釈から、未知のパプア人系統はワラセア全域の拡散の前にニューギニアで混合し、ワラセアではトアレアン採食民1個体と関連する在来系統と混合し、両事象はオーストロネシア人の船乗り到来に先行していた、と示唆されます。
これらの歴史的事象の時期をより詳しく調べるために、ワラセアの各人口集団についてさまざまな推定祖先の組み合わせにMALDERが適用されました。驚くべきことに、妥当なMALDER推定値の約98%は3500年前頃以後に見られ(図4)、混合した西パプア人の年代も同様で、両地域の現代人の遺伝的多様性はオーストロネシア人の船乗りの到来後の混合事象から生じた、と示唆されます。ワラセアの人口集団は最初の混合事象を超えて、混合の連続的期間を経た可能性が高く、それは最初の混合期間ではなくより新しい事象へと推定値を偏らせるかもしれないので、代理祖先の一つからの遺伝子移入の二つの時間的に異なる波を調節させる手法であるLaNetaを用いて、ワラセアおよび西パプアの人口集団の部分集合で混合時期が再度推定されました。しかし、これによって複数のオーストロネシア人との前の混合年代が得られましたが、これらにはいくつかの年代的に間違えた事象が含まれているようで(つまり、3500年以上前のオーストロネシア人の船乗りの代理を含む混合)、推定の問題の可能性を示しています。したがって、本論文の混合時期推定値は、過去3500年間のパプア人の移民とオーストロネシア人の船乗りの両方を含む、歴史的な移動と混合事象を強く裏づけますが、それ以前の混合年代も依然として妥当で、さらなる評価は既存の考古学おおよび言語学の記録との文脈化を必要とします。
●考察
本論文におけるワラセアと西パプアから新たに生成された254個体のゲノムの調査は、ワラセアの遺伝的歴史の改訂された見解を提供し、パプア人関連祖先系統の特徴的な経度の勾配が、AMH創始者の異なる子孫ではなく、ニューギニアからの逆移住におもに起因する、と明らかにしました。本論文の分析で特定された混合事象の推定順序から、これら古代のパプア人の移住は、ニューギニアで起きた可能性が高い2回の別々の混合事象での融合後に、ワラセアへと異なる3祖先系統をもたらした、と示唆されます。本論文のLaNeta推定値から、これらの混合事象の最初は、ソロン集団の二つのパプア人祖先系統を含んでおり、PNGの高地および低地の地域に現在暮らす人口集団の最初の遺伝的分離[42]や、沿岸景観の水没および気温の温暖化に起因する高地の渓谷体系の利用可能性向上定住パターンの変化と一致する期間である、15000~10000年前頃に起きた、と示唆されます。人口統計学的に複雑なワラセアの人口集団に関する本論文のLaNeta混合時期推定値と関連する潜在的問題にも関わらず、ソロン集団の二重祖先系統の相対的な単純さから、これらの推定値はより堅牢である可能性が高く、ニューギニアにおける大きな人口統計学的変化としてLGM末を特定した、独立した遺伝学と考古学の証拠を裏づける、と示唆されます。
●西パプアの相互作用の拠点はワラセアへの拡散を促進したかもしれません
本論文のMALDER混合時期推定値から、ワラセアへの歴史的なパプア人の移住は、過去3500年間のオーストロネシア人の船乗りの到来が後に続いた一連の移動で起きており、自然の人口集団のゲノム研究から得られた調査結果[14、20]を反映している、と示唆されます。これらの時期はニューギニア固有のクスクス科であるハイイロクスクス(Phalanger orientalis)のティモールにおける3300年前頃の最初の出現と一致しており、これはヒトによる移動の可能性が高く、言語学的分析から、「クスクス」という単語は、在来のオーストロネシア語族の下位群の祖語間の借用によってニューギニアから東ワラセアへと拡散した可能性が高い「*mansər」を反映している、と示唆されています。本論文のMALDER年代のパターン化も、ワラセアの人口集団内よりも人口集団間でかなり多くの年代の差異があり(図4)、ワラセア全域の考古学的遺跡におけるオーストロネシア人関連の赤い泥漿(粘土と水を混ぜ合わせた泥状物質)土器の食い違い状の出現を反映しており、パプア人の移民とオーストロネシア人の船乗りは各島に同時に到来したものの、その最初の到来時期は島によって異なっていた可能性が高い、と示唆されます。
考古学と言語学の証拠の収斂から、西パプアはかつて在来のパプア人集団とオーストロネシア人の船乗りとの文化間相互作用の地域拠点として機能し、ボンベライ半島は東ワラセアへの歴史的な移住の出発点として機能したかもしれない、と示唆されます。たとえば、ほぼ同一の岩絵の模様がティモール・レステ(Timor-Leste)のトゥトゥアラ(Tutuala)地域と西パプアのボンベライ湾地域全体で出現しており、それは、年代測定されていませんが、後期更新世に誕生したオーストロネシア人の絵画伝統内にとよく適合し、最近の言語学的研究は、ボンベライ半島とティモール島やアロール島やパンタール(Pantar)島で話されているパプア諸語間の系譜関係を確証してきました。これらの調査結果はボンベライをワラセア東部全域におけるパプア人の言語や文化や遺伝子の島間の拡散の拠点に位置づけますが、ワラセア祖先系統における経度の勾配から、これらの歴史的な移住は単一の混合供給源の集中的拡散にまとめることはできない、と示唆されます。代わりに、現在の遺伝学的証拠は、過去1000年間へと続いた可能性が高い、混合の複数段階などより複雑な歴史を裏づけており、これには、本論文ではじゅうぶんに解明されていないアジア南東部人と関連する系統(後述)が含まれます。
●最初のオーストロネシア人との接触の前後の混合の証拠
ワラセアの考古学的記録は、オーストロネシア人の船乗りの到来後の期間における人口置換と移動性の高まりの痕跡を示しており、氏族間の争いの激化と奴隷および香辛料交易網の出現に対応して、歴史時代において活動は頂点に達します。これらの人口統計学的変化は、多くのワラセアの島における最初の混合事象を超えて、混合の機会を促進した可能性が高く、これは、アジア南東部人と関連するまだ不明の集団がフローレス島で、ワラセア諸島全域での東方への拡散において、過去1000年間に北モルッカ諸島に到達する前の2500年前頃までに在来集団と混合した、と示唆する古ゲノムの証拠[20]によって裏づけられる筋書きです。本論文のqpAdm分析も、タイ人と台湾先住民両方の供給源を含む、いくつかの妥当なモデルを生成しており(図3)、アジア南東部人関連祖先系統はオーストロネシア人関連祖先系統の別の代理ではなく、ワラセア現代人の遺伝的特性の独特な構成要素である、との以前の調査結果[20]と一致します。アジア南東部人関連集団の起源は曖昧なままですが、報告された混合事象の時期は金属器時代におけるアジア南東部本土からのドンソン(Dong Song)文化の太鼓の拡大と一致しており、後期完新世を通じてのワラセア全域での遺伝的系統と文化の活発な拡散をさらに実証します。
ワラセアにおける進行中の歴史的混合の重要な結果は、本論文の推定混合時期が現在に向かって偏っているかもしれないことで、そのため、オーストロネシア人以前の混合事象の可能性は依然として残ります。この筋書きには本論文の混合図からのいくらかの信頼性があり、その混合図では、パプア人と在来のワラセア人の祖先系統間の混合は、オーストロネシア人の船乗りの祖先系統の遺伝子移入の前の期間に続くことが多く、2回の混合事象間の時間的分離を示していますが、介在する枝野長さは時間に直接的には変換できません(図4)。LGMの前のワラセアへのパプア人の逆移住は、現在の考古学的記録では容易に裏づけられませんが、ワラセアの大きな島々では初期AMH(48000~44000年前頃)の共住遺跡の証拠があり[55]、LGM開始までの文化的連続性が示唆されます。LGMにおいては記録が疎らになりますが、以前に居住された遺跡の利用減少は、地域的な人口減少事象ではなく、海岸線の後退に沿って資源を追い求めるための、局所的な住民の移転を示しているかもしれません。
LGM後の期間は、ワラセア東部におけるより動的な期間の開始を示しており、黒曜石や海洋技術(たとえば、釣り針や研磨した貝殻の手斧)の島間の交換網の出現を裏づける証拠があり、これらは小さな島々の最初の植民およびより大きな島々での新しく強化された遺跡の利用と一致します。これらの交流網は、共有された調理技術の存在とニューギニアからのバナナ栽培の西方への拡大によって示唆されるように、ワラセア東部を西パプア沿岸部集団と結びつけた可能性があり、新たに占拠されたワラセアの遺跡におけるパプア人の再入植をもたらしたかもしれません。これは現代のワラセア東部人口集団における局所的なAMH創始者祖先系統の明らかな欠如を説明するでしょうが、これらの考古学的パターンは通常、海面が末期更新世に上昇するにつれて、変化する沿岸の景観や資源への依存に反応して、既存のワラセア集団の拡大の証拠として解釈されます。したがって、ワラセアへのパプア人の技術および遺伝子のオーストロネシア人以前の移動を裏づける現在の証拠は、本質的というよりは示唆的で、この問題の解明にはさらなる調査が必要です。
●パプア人の逆移住のより広範な地域的影響と将来の研究
以前の人口集団のゲノム研究から、パプア人関連祖先系統の歴史的な拡大は完新世にフィリピン南部に達した[62]ものの、以前にはスンダの一部だったインドネシア西部の島々には入り込まなかった、と示唆されています[14]。本論文の分析は、本論文ADMIXTUREの結果(図2)からパプア人関連祖先系統が低い割合(1~5%)でアティ人(Ati)集団に現れることや、インドネシア西部のボルネオ島人口集団の唯一の妥当なqpAdmモデル(図3)ではパプア人祖先系統供給源が欠けていることで、これらのパターンのさらなる裏づけを提供します。アティ人集団について妥当なqpAdmモデルを見つけることはできず、find_graphを用いて、この人口集団を本論文の混合図足場に追加すると、アエタ人集団と同様の系統発生的状況が得られたので、フィリピン南部とワラセアの現在の人口集団におけるパプア人祖先系統が共通の遺伝的起源を共有しているのかどうか、確証するには、将来の研究が必要です。
本論文はワラセアの遺伝的歴史の改訂された理解を提供し、パプア人の移民はオーストロネシア人の船乗りの寄与に匹敵するほど、ワラセアの現代人の遺伝的景観に影響を及ぼしてきた、と示します。これら2回の歴史的移住は、在来のAMH創始者祖先系統をほぼ置換し、これは、過去3500年間のワラセア全域の人口移動の水準の高まりと相まって、現代人の遺伝的データのみに依拠するサフルへの元々のAMHの移住の再構築に深刻な難題を課します。さらに未解決の問題には、ワラセア内および近隣地域へのパプア人の歴史的拡散に関する時期の改訂、これらの移動および混合事象のいずれもがオーストロネシア人の到来に先行するのかどうかの判断、在来のワラセア人口集団とさまざまな移民集団を含む遺伝的および文化的相互作用のより深い理解の獲得の必要性が含まれます。これらの基本的な問題に光を当てることは、さらなるゲノム研究、とくにオーストロネシア人の到来に先行するヒト遺骸を用いた古ゲノム研究や、既存および新規の言語学と考古学と古生態学の記録との統合が必要でしょう。
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●要約
ワラセアの熱帯諸島には、AMHが5万年前頃までに最初に移住しており、その子孫集団は3500年前頃にオーストロネシア人の船乗りの到来の前には遺伝的に孤立したままだった、と考えられています。ワラセアの現代人は、在来の人口集団とオーストロネシア人の船乗りとの間の混合の証拠として考えられている、パプア人関連祖先系統とアジア人関連祖先系統の縦断的な逆勾配を示していますが、収束しつつある学際的証拠では、パプア人関連構成要素は代わりに、おもにニューギニアからの逆移住に由来する、と示唆されています。本論文はワラセアの12人口集団と西パプアの3人口集団から新たに報告された250個体以上のゲノムを用いて、ワラセアの人口集団の遺伝的歴史を再構築し、ワラセアにおけるパプア人関連祖先系統の大半(75~100%)はニューギニア起源の先史時代の移住に由来し、ごくわずかな割合が創始者AMH入植者に起因する、と確証します。パプア系統とワラセア系統との間の混合はワラセア諸島の西部および中央部に限られていたようで、今ではワラセア現代人の祖先系統の40~85%の間を構成する、オーストロネシア人の船乗りからの遺伝子の広範な導入と同時期に起きた可能性が高そうでが、歴史的混合事象の年代測定は、歴史時代に続く混合のため依然として困難です。考古学および言語学の記録と合わせると、本論文の調査結果は動的なワラセアの人口史を示しており、それは過去3500年間にパプア人の遺伝子と言語と文化の拡大によって大きく作り変えられました。
●研究史
ワラセア諸島は世界的に有名な生物多様性の特異的に高い場所(ホットスポット)で、西方の以前の更新世のスンダ大陸(マレー半島とスマトラ島とボルネオ島とジャワ島とバリ島をつなぎます)と、南方および東方のサフル(オーストラリアとタスマニア島とニューギニアとミソール島とアルー諸島)との間に位置しています。新生代における造山運動と火山活動による誕生以降、1000以上のワラセアの各島は、近隣の大陸および相互と、一連の大洋の海峡によって隔てられてきました。これらの航海は歴史時代の移住者にとって永続的な拡散の障壁となってきており、西のウォレス線と東のライデッカー線によって区切られる、移行的な生物圏の出現をもたらしました(図1)。これらの障害にも関わらず、石器と化石の記録は後期更新世におけるウォレス線横断に成功した複数の人類集団を証明しており[4、5]、AMHは5万年前頃にアフリカを越えた現生人類(Homo sapiens)のより広範な拡散の一部として到来し、同じ頃のサフルへの移住において現生人類の拡散は最高潮に達しました[6、7]。以下は本論文の図1です。
人類進化の拠点およびサフルへの歴史的なヒトの移住の入口としてのワラセアの重要性[9、10]は、この地域のヒトの居住を調査する研究数増加の動機となってきました。これらの研究は複数のヒト集団間の過去の移動や混合や交易など過去の動態を明らかにしてきており、現代のワラセア全域におけるパプア人およびオーストロネシア人関連の遺伝的祖先系統と言語懈怠の並行した逆勾配をもたらしました。しかし、複数の一連の証拠は、オーストロネシア人の船乗りがワラセアにおいてアジア人関連の遺伝子[13、14]および言語の供給源と証明していますが、パプア人関連祖先系統が創始者AMH入植者の子孫の証拠なのか、あるいはニューギニアからのその後の到来の結果なのかどうかについて、疑問が残っています[18]。
おそらく現時点では、ワラセアの最初の入植以降の遺伝的連続性の最良の証拠は、7200年前頃にスラウェシ島南部に暮らしていた中期完新世のトアレアン(Toalean)技術複合採食民1個体に由来し、この個体の祖先系統の約半分は近オセアニア(ニアオセアニア)人(つまり、オーストラリア先住民とメラネシア人)から分岐した系統に由来し、これら2集団も同じ頃に分離しました[19]。しかし、トアレアン採食民の祖先系統は、2500年前頃から現在のスラウェシ島や少数の東ワラセア諸島に暮らす個体群では検出されず[20]、すべての調査された個体は代わりに、現代のパプア人およびアジア人集団とより密接に関連しています。創始者AMH祖先系統を保持している証拠も、ミトコンドリアゲノムとY染色体のデータセットでは少なく、最近の二つの系統発生研究では、ワラセア系統はオーストラロ・パプア人と関連する基底部の系統発生的位置に現れ、パプア人クレード(単系統群)内で入れ子になって存在する可能性がはるかに高い、と分かりました。したがって、遺伝学的証拠の積み重ねから、ワラセアにおけるパプア人関連祖先系統の大きな割合、AMH創始者に由来すると完全に証明されたのではなく、ニューギニアからの逆移住に由来する、と示唆されます。
考古学と言語学の証拠の増加も、ワラセアの歴史形成におけるパプア人中心的役割を裏づけます。特定の技術や芸術形式や動物相やワラセア東部で話されている最近報告されたGWB(Greater West Bomberai、大西ボンベライ)語族はすべて、西パプアからもたらされた、と考えられています。ミトコンドリアゲノムから推測されたパプア人の推定逆移住も、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)末(15000年前頃)の東ワラセアにおける新たな海洋技術の島間交易網出現と年代が密接に一致しており、第二波はオーストロネシア人の船乗りがワラセア諸島全域に拡大し始めた頃に起きました。しかし、歴史的なパプア人の移住の根底にある詳細のほとんどは、起源人口集団の特定やオーストロネシア人移民の到来およびニューギニアで起きた人口統計学的変化[28]とのつながりを含めて、不明なままです。これら基本的な知識の間隙は、地理遺伝的構造の解明およびこれら謎めいたパプア人の移住の起源と影響の調査のための、現代のワラセア全域のより包括的な人口集団のゲノム調査必要性を浮き彫りにします。
●ワラセアと西パプアの人口集団のゲノデータセット
ワラセアの遺伝的歴史におけるこれら未解決の問題に取り組むため、インドネシアゲノム多様性計画によって確立された告知に基づく同意実施要綱に従って[29]、ワラセア全域の12ヶ所の異なる共同体および西パプアの3ヶ所の共同体から収集された254個体のゲノムで浅いショットガン配列決定が適用され(平均網羅率は2.3倍、0.8~11.3倍の範囲)、これらは約30の異なる民族および方言の集団で構成されます。これらのゲノムは以前に刊行された161個体の高網羅率のインドネシア人およびメラネシア人のゲノム[29]によって補完され、ワラセアの人口集団の総数は14に増加し、二つの主要な移住経路に沿った適切な代表性を提供します。それはつまり、北方経路の、スラウェシ島の南部12個体とダー(北部、21個体)、サナナ(Sanana)島の19個体、北モルッカ諸島の30個体、セラム(Seram)島のサワイ(Sawai)の7個体およびフアウル(Huaulu)の20個体、カイ(Kei)諸島の26個体、タニンバル(Tanimbar)諸島の28個体、およびフローレス島のベナ(Bena)の11個体とマンガライ(Manggarai)の34個体含む南方経路の、ロテ(Rote)島の28個体、レンバタ(Lembata)島の7個体、アロール(Alor)島の5個体で、この南北両経路を最初のAMH入植者が横断した、と提案されています(図1)。
本論文の標本抽出は、以前には1万年前頃に海面上昇によって分離する前のサフル海岸線に位置していた東ワラセアのアルー(Aru)諸島の最初に報告されたデータ(27個体)と、最初に報告された西パプア人口集団の遺伝的データセットの一部を含んでおり、この西パプア人口集団の遺伝的データセットには、ニューギニア中央部北方の西パプア州のキーロム(Keerom)県の26個体、ニューギニア南西部のマッピ(Mappi)の18個体、バーズヘッド(Bird’s Head)地域西部のソロン(Sorong)の27個体が含まれます。これにの集団は、曖昧な定義の西パプア地域の調査およびより一般的にパプア人の遺伝的歴史を促進し、ニューギニアからワラセアへのあり得る歴史的出口に加えて、サフルへの潜在的入口を把握します。
すべての新たに報告されるワラセアと西パプアの人々のゲノムについて、正確な補完された遺伝子型呼び出しを提供するため、位相化された遺伝的参照パネル、つまりHGDP(Human Genome Diversity Project、ヒトゲノム多様性計画)[32]や、対象の標本からの遺伝的情報を利用するGLIMPSEを用いて各個体で遺伝子型が呼び出されました。本論文の遺伝子型呼び出しの品質を評価するため、標本8点が高網羅率(平均約28倍)で再配列決定され、それぞれについて高精度な遺伝子型呼び出しが生成され、これらのデータがその後で補完的な低網羅率の呼び出しと比較されました。これらの分析から、補完された遺伝子型データは、本論文で採用された人口集団のゲノム推測手法を適用すると、正確で堅牢な結果を提供する、と示唆されます。
●パプア人およびアジア人関連祖先系統のワラセア現代人の遺伝的景観における優勢
より広い世界規模の状況内にワラセア人口集団を位置づけ、ワラセアと西パプア内の遺伝的構造を解明するため、本論文のインドネシア人とメラネシア人の標本が世界中の人口集団から得られた追加の高網羅率のゲノム[13、34、35]と組み合わされました。密接な親族関係(1親等および2親等)にある9個体とワラセアの重複した2個体の除外後に、844個体の得られたデータセットで主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTUREでの遺伝的祖先系統分解が実行されました。
ワラセアに関する以前の遺伝学的研究で報告された独特な二重祖先系統逆勾配[13、14]も、ワラセアの270個体とかなり大きな分類のPCAおよび祖先系統分解分析の両方において明確な特徴です(図2A)。ワラセアの祖先系統はK(系統構成要素数)=3~8までの全てのADMIXTUREモデルにおいて二つの遺伝的供給源へと効率的に分解され、先史時代オーストロネシア人船乗り、つまりアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)で構成される台湾の先住民集団(図2Aの濃青色)もしくは本土パプア人集団(図2Aの暗い青緑色)で現代人の遺伝的代理の最高の代表性が見つかります。アジア人関連祖先系統は東方から西方への一般的な増加を示し、逆にパプア人関連祖先系統は東方から西方にかけて減少し、ワラセア東部で最高となり(つまり、アルー諸島では約60%)、以前にスンダランドの一部だったインドネシア西部地域に暮らす人口集団、たとえばジャワ島やボルネオ島やスマトラ島やメンタワイ島やニアス島でといったWSE(西方アジア南東部島嶼部)集団では無視できるようになります(図2)。アジア人関連祖先系統パプア人関連祖先系統のよく知られている逆勾配分布は、PCAの第二次元に沿っても明らかで(図2B)、ワラセア東部の人口集団が勾配の一方の端でパプア人集団のより近くに位置し、ワラセア諸島西部の人口集団は反対側の端でアジア南東部人および台湾先住民集団の最も近くに位置します。注目すべきことに、このパターンはワラセアとインドネシア西部の個体群をアジア南東部と台湾とパプアニューギニア(Papua New Guinea、略してPNG)の人口集団から示された遺伝的多様性ら限定したPCA空間に投影することによって、PCAの第一次元に沿って密接に再現され(図2C)、ワラセア祖先系統はアジア人関連祖先系統とパプア人関連祖先系統の逆勾配として効率的にモデル化できる、と確証されます。
本論文のADMIXTUREモデルで祖先系統構成要素数を9から15供給源へと拡張すると、ワラセアの人口集団における追加の遺伝的構造が明らかになりましたが、多くの構成要素は、歴史的な地域への移住もしくは混合事象の情報を容易にはもたらさない、ワラセアの大集団間の構造を把握します。重要な例外は、最適ADMIXTUREモデル(K=9の祖先系統構成要素)で見られ、この場合にはアジア東部および南東部において最も顕著な供給源(つまり、図2Aのマンゴーのような橙色)が、ほとんどのワラセア集団において低水準から中程度の水準で現れます。この祖先系統供給源は、ワラセア東部ではさほど一般的ではなく、パプア人集団ではほぼ完全に欠けており、オーストロネシア人船乗りの代理とは遺伝的に異なる、ワラセアの一部におけるアジア南東部関連祖先系統の存在を推測した、以前のインドネシア人口集団のゲノム研究の調査結果を反映しています。最近の古ゲノムの証拠では、これら古代の移民はタイおよびラオスの集団と関連しており、2500~1000年前頃にワラセア全域に活発に拡大しつつあった、と示唆されています[20]。以下は本論文の図2です。
パプア人集団間の内部構造は、K=14の祖先系統構成要素(図2Aのからし色)で明らかになり、この新たな構成要素はPNGの東高地の地域の人口集団と最も強く関連し、他のパプア人の祖先系統供給源は今回、西パプアのキーロム県の人口集団において最も多くなります(図2A)。注目すべきことに、東高地関連祖先系統は西パプアとワラセアのほとんどの集団では稀か存在せず、小スンダ列島の人口集団において最も顕著です。これらのパターンから、パプア人祖先系統の複数の供給源がワラセアへと拡散し、主要な供給源は一部の西パプア現代人集団とより密接に関連しているかもしれない、と示唆されます。
●ワラセアにおけるAMH創始者祖先系統の保持の証拠
本論文のADMIXTURE分析は、アジア人関連祖先系統とパプア人関連祖先系統の複数の供給源がワラセア全域で一般的だった、と裏づけますが、ワラセアにおける創始者AMHの保持の証拠はさほど明確ではなく、それは、この分析においてこの深い祖先系統供給源の適切な遺伝的代理が欠けていることに起因するかもしれません。深いAMH祖先系統がワラセアの現代人に存在する、という示唆は、本論文の最適ADMIXTUREモデル(つまり、K=9~11)において5%未満の水準で観察される二つの祖先系統供給源によって提供され、その最高頻度はアンダマン諸島のオンゲ人とフィリピンのアエタ人(Aeta、Ayta)ネグリートで見られますが(図2Aの鮭色と赤色)、そうした低水準の祖先系統はモデル化の人工的効果も表しているかもしれません。同様に、完全な標本844点のPCA内での最近報告された7000年前頃のトアレアン採食民1個体の投影は、PCAの最初の二つの次元における孤立した中央の位置を示しており(図2B)、これは、その祖先系統が未知のアジア系統と近オセアニア系統の混合である、という以前の推定[19]と一致しますか、ワラセアにおけるAMH祖先系統供給源の直接的証拠を提供しません。
ワラセア現代人における創始者AMH祖先系統の存在をさらに調べ、これをメラネシア人固有の供給源、つまり、パプア人の全集団とビスマルク諸島のバイニング(Baining)人から区別するために、qpAdmを用いて妥当な祖先が特定され、各ワラセア人口集団への相対的寄与が推定されました。本論文のADMIXTUREおよびPCAの結果に従って、複数のアジアとメラネシアの人口集団(パプア諸語話者の部分集合に限定)が潜在的な祖先系統供給源として含められ、トアレアン採食民1個体とオンゲ人集団が創始者祖先系統の代理として追加されました。qpAdmの感度と検出力を改善するため、「左側」と「右側」の分類にわたって人口集団を交替し、妥当性について評価されたワラセアの各人口集団について祖先系統モデルの大規模な一式が生成されました。
本論文のADMIXTUREおよびPCAの結果と一致して、少なくとも一つのアジア人祖先系統と一つのパプア人祖先系統の供給源で構成される妥当なqpAdmモデルが、ワラセアの14の集団すべてで特定され(図3)、台湾先住民集団はすべての妥当なモデルで現れ、予想外に、西パプアのソロン集団が最も一般的に出現するパプア人供給源(10~50%)でした(図3B)。二つの最も一般的なqpAdmモデルはこれら二つの祖先系統を第三の供給源、つまりトアレアン採食民1個体かオンゲ人と組み合わせており(図3Bでは、それぞれワラセアの9人口集団と8人口集団)、これら3供給源モデルはワラセアの14人口集団のうち11人口集団で最も節約的な祖先系統構成でした。ほとんどのワラセアの人口集団に関して妥当なqpAdmモデルにおけるこの第三集団の存在は、ワラセア諸島西部のAMH創始者祖先系統の広範な保持と一致しており、その水準はワラセア西部(つまり、スラウェシ島とフローレス島)において最も高く、ワラセア諸島東部の集団では5%未満に低下します(図3C)。しかし、この第三の祖先系統供給源の遺伝的起源に関するさらなる解釈は、ほとんどのワラセア人口集団についての複数の等しく節約的なモデルの存在や、オンゲ人およびトアレアン採食民1個体関連祖先系統の系統発生的文脈の欠如によって複雑になります。したがって、混合図モデル化で、ワラセア現代人の祖先系統のさまざまな要素を堅牢な集団遺伝学的枠組み内に位置づけることによって、この問題への追加の洞察が提供されます。以下は本論文の図3です。
●ニューギニアからの逆移住はパプア人祖先系統をワラセア全域に広げました
ワラセアの人口集団の遺伝的歴史の根底にある分離および混合事象の節約的モデルを開発するために、最近開発されたfind_graph演算法を用いて、広範なモデル空間からよく適した混合図が特定されました。まず、ワラセア祖先系統への潜在的寄与として本論文の以前の分析で特定された全人口集団、つまり台湾先住民とバイニング人とオンゲ人とアエタ人とトアレアン採食民1個体と複数のフィリピンの人口集団の混合図が推測され、追加の歴史的な混合事象を把握するため、古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】のゲノムが追加され、さらなる系統発生の文脈を提供するために、他の少数のヒト集団(漢人、コンゴのムブティ人、オーストラリア先住民)が含められました。この最初の混合図は形態上の足場として機能し、find_graphも使用して、その後でそこにワラセアの人口集団の部分集合が追加されました。
find_graphによって特定された最適な混合図足場は、アフリカを越えたAMHの世界規模の拡散を把握した、以前に報告された図基本的な特徴を再現し、これには、この拡散の初期段階における、アジア人系統(台湾先住民とタイ人と漢人を合わせます)と「南方」系統(アエタ人とトアレアン採食民1個体と近オセアニア人を合わせます)との間の事実上の同時の分岐と、他のAMH集団には存在しない、南方系統への非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属)であるデニソワ人由来の約4%の祖先系統の遺伝子移入が含まれます(図4)。トアレアン採食民1個体の祖先系統の約1/3(中核qpAdm分析全体の平均値は35%)は未知の深く分岐したAMH集団に由来し、残りの祖先系統はオーストラリア先住民およびメラネシア人集団と遺伝的に等距離の系統に由来する、との最近の調査結果[19]も確証され、後者はサフルへの移住前に近オセアニア現代人の祖先から分岐した創始者ワラセアAMH系統を表している、との主張が裏づけられます。以下は本論文の図4です。
先行研究で明らかではない興味深い結果は、パプア諸語話者のソロン人口集団の約20%の祖先系統を構成する未知の系統の系統発生的位置で、この系統の他の近オセアニア人との分岐は、オーストラリア先住民の分離後であるものの、メラネシア人集団の多様化の前で、オーストラリア先住民とパプア人の祖先が別々の移動でサフルに到来したならば、ワラセア起源の可能性を示唆しています。しかし、追加の証拠から、この系統のニューギニア起源の方がより節約的である、と示唆され、それは、パプア諸語話者のソロン集団の祖先系統の残りが、セピク(Sepik)語族話者とキーロムの両人口集団と等しく関連している供給源に由来するからで、qpAdm検定はソロン集団における支配的な祖先系統供給源としてメラネシア人系統のこの独特な組み合わせを確証します(図3)。この系統発生的状況は、深く分岐したパプア人集団は42000年前頃までに、サフルへの移住の後で、ビスマルク諸島への植民の前の合間にバーズヘッド半島周辺に出現し、その後で、ニューギニア中央部北方の故地から東方へ移動した可能性が高い移民集団(この集団はニューギニア中央部北方のキーロムおよびセピク集団と等距離で関連しています)と混合した、との筋書きを示唆します(図4)。
find_graphを用いての本論文の混合図足場にワラセア人口集団を当てはめた後で、本論文の上述の分析と一致する人口集団の遺伝的歴史を推測する一連のよく適合したモデルが得られました。これらの混合図は本論文のqpGraphの結果の中核的発見を繰り返し、それには、いくつかのワラセア人口集団はトアレアン採食民1個体と関連する供給源に祖先系統が由来する、との発見が含まれますが、これは本論文の混合図ではワラセア西部および中央部の集団に限られます(図4)。注目すべきことに、ワラセア現代人を、深く分岐したAMH祖先系統を受け取る前にトアレアン採食民1個体系統から強制的に分岐させると、等しくよく適合したモデルが得られ、この謎めいたAMH集団がワラセア現代人の遺伝的特性に寄与していない可能性を示唆しています。さらに、すべてのワラセア人口集団は台湾先住民(つまり、オーストロネシア人の船乗り)、西パプアのソロン集団、別の未知の初期に分岐した近オセアニア人系統と関連する独特な3祖先系統供給源を共有しています(図4)。この未知の系統の系統発生的位置は、バイニング人の分岐後ではあるものの、本土パプア人の多様化の前に他の近オセアニア人集団から分岐しており、以前に報告された[28]内部の分離の前のニューギニアに起源があった、と示唆されます。
本論文のqpAdm分析と密接に一致して、混合図の結果から、ワラセアの現代人は全員、その祖先系統の15~60%がパプア人供給源に由来する、と示唆され、これはオーストロネシア人の船乗りからの割合(40~85%)に匹敵します(図4)。対照的に、在来のAMH創始者からの寄与は10%を超えず、ワラセア諸島の東側に位置する人口集団では存在しないようで(図4)、オーストラロ・メラネシア人を含む大きな系統樹で観察される基底部ワラセア系統の少なさを裏づけます。したがって、本論文の結果から、ワラセアの現代人で観察される独特なパプア人祖先系統勾配はおもに、ワラセア諸島の西端は影響力が小さくなったパプア人系統の逆移住によって生成され、AMH創始者祖先系統はじっさいに、この支配的なパプア人祖先系統勾配とは逆勾配で分布しているかもしれない、と示唆されます。
●歴史的な混合事象の年代測定
本論文の最適なワラセア混合図のすべてで共有されている特徴はさまざまな混合事象の一貫した順序で、パプア人関連の2祖先系統は常に台湾先住民関連系統との混合の前に混合し、トアレアン採食民1個体関連集団を含む混合はこれら2下位の混合上の間に起きています(図4)。一部の事例では、これらの混合事象は同時に、つまり間に入る浮動の分岐がなく起きており、診断できる遺伝的違いの生成には短すぎる期間による分離を示唆しています。注目すべきことに、この同時性はトアレアン採食民1個体関連系統をパプア人関連の2祖先系統と組み合わせた混合事象に限られており、台湾先住民関連祖先系統のその後の混合は、共有される浮動期間の後に起きる傾向があります。これらのパターンの節約的な解釈から、未知のパプア人系統はワラセア全域の拡散の前にニューギニアで混合し、ワラセアではトアレアン採食民1個体と関連する在来系統と混合し、両事象はオーストロネシア人の船乗り到来に先行していた、と示唆されます。
これらの歴史的事象の時期をより詳しく調べるために、ワラセアの各人口集団についてさまざまな推定祖先の組み合わせにMALDERが適用されました。驚くべきことに、妥当なMALDER推定値の約98%は3500年前頃以後に見られ(図4)、混合した西パプア人の年代も同様で、両地域の現代人の遺伝的多様性はオーストロネシア人の船乗りの到来後の混合事象から生じた、と示唆されます。ワラセアの人口集団は最初の混合事象を超えて、混合の連続的期間を経た可能性が高く、それは最初の混合期間ではなくより新しい事象へと推定値を偏らせるかもしれないので、代理祖先の一つからの遺伝子移入の二つの時間的に異なる波を調節させる手法であるLaNetaを用いて、ワラセアおよび西パプアの人口集団の部分集合で混合時期が再度推定されました。しかし、これによって複数のオーストロネシア人との前の混合年代が得られましたが、これらにはいくつかの年代的に間違えた事象が含まれているようで(つまり、3500年以上前のオーストロネシア人の船乗りの代理を含む混合)、推定の問題の可能性を示しています。したがって、本論文の混合時期推定値は、過去3500年間のパプア人の移民とオーストロネシア人の船乗りの両方を含む、歴史的な移動と混合事象を強く裏づけますが、それ以前の混合年代も依然として妥当で、さらなる評価は既存の考古学おおよび言語学の記録との文脈化を必要とします。
●考察
本論文におけるワラセアと西パプアから新たに生成された254個体のゲノムの調査は、ワラセアの遺伝的歴史の改訂された見解を提供し、パプア人関連祖先系統の特徴的な経度の勾配が、AMH創始者の異なる子孫ではなく、ニューギニアからの逆移住におもに起因する、と明らかにしました。本論文の分析で特定された混合事象の推定順序から、これら古代のパプア人の移住は、ニューギニアで起きた可能性が高い2回の別々の混合事象での融合後に、ワラセアへと異なる3祖先系統をもたらした、と示唆されます。本論文のLaNeta推定値から、これらの混合事象の最初は、ソロン集団の二つのパプア人祖先系統を含んでおり、PNGの高地および低地の地域に現在暮らす人口集団の最初の遺伝的分離[42]や、沿岸景観の水没および気温の温暖化に起因する高地の渓谷体系の利用可能性向上定住パターンの変化と一致する期間である、15000~10000年前頃に起きた、と示唆されます。人口統計学的に複雑なワラセアの人口集団に関する本論文のLaNeta混合時期推定値と関連する潜在的問題にも関わらず、ソロン集団の二重祖先系統の相対的な単純さから、これらの推定値はより堅牢である可能性が高く、ニューギニアにおける大きな人口統計学的変化としてLGM末を特定した、独立した遺伝学と考古学の証拠を裏づける、と示唆されます。
●西パプアの相互作用の拠点はワラセアへの拡散を促進したかもしれません
本論文のMALDER混合時期推定値から、ワラセアへの歴史的なパプア人の移住は、過去3500年間のオーストロネシア人の船乗りの到来が後に続いた一連の移動で起きており、自然の人口集団のゲノム研究から得られた調査結果[14、20]を反映している、と示唆されます。これらの時期はニューギニア固有のクスクス科であるハイイロクスクス(Phalanger orientalis)のティモールにおける3300年前頃の最初の出現と一致しており、これはヒトによる移動の可能性が高く、言語学的分析から、「クスクス」という単語は、在来のオーストロネシア語族の下位群の祖語間の借用によってニューギニアから東ワラセアへと拡散した可能性が高い「*mansər」を反映している、と示唆されています。本論文のMALDER年代のパターン化も、ワラセアの人口集団内よりも人口集団間でかなり多くの年代の差異があり(図4)、ワラセア全域の考古学的遺跡におけるオーストロネシア人関連の赤い泥漿(粘土と水を混ぜ合わせた泥状物質)土器の食い違い状の出現を反映しており、パプア人の移民とオーストロネシア人の船乗りは各島に同時に到来したものの、その最初の到来時期は島によって異なっていた可能性が高い、と示唆されます。
考古学と言語学の証拠の収斂から、西パプアはかつて在来のパプア人集団とオーストロネシア人の船乗りとの文化間相互作用の地域拠点として機能し、ボンベライ半島は東ワラセアへの歴史的な移住の出発点として機能したかもしれない、と示唆されます。たとえば、ほぼ同一の岩絵の模様がティモール・レステ(Timor-Leste)のトゥトゥアラ(Tutuala)地域と西パプアのボンベライ湾地域全体で出現しており、それは、年代測定されていませんが、後期更新世に誕生したオーストロネシア人の絵画伝統内にとよく適合し、最近の言語学的研究は、ボンベライ半島とティモール島やアロール島やパンタール(Pantar)島で話されているパプア諸語間の系譜関係を確証してきました。これらの調査結果はボンベライをワラセア東部全域におけるパプア人の言語や文化や遺伝子の島間の拡散の拠点に位置づけますが、ワラセア祖先系統における経度の勾配から、これらの歴史的な移住は単一の混合供給源の集中的拡散にまとめることはできない、と示唆されます。代わりに、現在の遺伝学的証拠は、過去1000年間へと続いた可能性が高い、混合の複数段階などより複雑な歴史を裏づけており、これには、本論文ではじゅうぶんに解明されていないアジア南東部人と関連する系統(後述)が含まれます。
●最初のオーストロネシア人との接触の前後の混合の証拠
ワラセアの考古学的記録は、オーストロネシア人の船乗りの到来後の期間における人口置換と移動性の高まりの痕跡を示しており、氏族間の争いの激化と奴隷および香辛料交易網の出現に対応して、歴史時代において活動は頂点に達します。これらの人口統計学的変化は、多くのワラセアの島における最初の混合事象を超えて、混合の機会を促進した可能性が高く、これは、アジア南東部人と関連するまだ不明の集団がフローレス島で、ワラセア諸島全域での東方への拡散において、過去1000年間に北モルッカ諸島に到達する前の2500年前頃までに在来集団と混合した、と示唆する古ゲノムの証拠[20]によって裏づけられる筋書きです。本論文のqpAdm分析も、タイ人と台湾先住民両方の供給源を含む、いくつかの妥当なモデルを生成しており(図3)、アジア南東部人関連祖先系統はオーストロネシア人関連祖先系統の別の代理ではなく、ワラセア現代人の遺伝的特性の独特な構成要素である、との以前の調査結果[20]と一致します。アジア南東部人関連集団の起源は曖昧なままですが、報告された混合事象の時期は金属器時代におけるアジア南東部本土からのドンソン(Dong Song)文化の太鼓の拡大と一致しており、後期完新世を通じてのワラセア全域での遺伝的系統と文化の活発な拡散をさらに実証します。
ワラセアにおける進行中の歴史的混合の重要な結果は、本論文の推定混合時期が現在に向かって偏っているかもしれないことで、そのため、オーストロネシア人以前の混合事象の可能性は依然として残ります。この筋書きには本論文の混合図からのいくらかの信頼性があり、その混合図では、パプア人と在来のワラセア人の祖先系統間の混合は、オーストロネシア人の船乗りの祖先系統の遺伝子移入の前の期間に続くことが多く、2回の混合事象間の時間的分離を示していますが、介在する枝野長さは時間に直接的には変換できません(図4)。LGMの前のワラセアへのパプア人の逆移住は、現在の考古学的記録では容易に裏づけられませんが、ワラセアの大きな島々では初期AMH(48000~44000年前頃)の共住遺跡の証拠があり[55]、LGM開始までの文化的連続性が示唆されます。LGMにおいては記録が疎らになりますが、以前に居住された遺跡の利用減少は、地域的な人口減少事象ではなく、海岸線の後退に沿って資源を追い求めるための、局所的な住民の移転を示しているかもしれません。
LGM後の期間は、ワラセア東部におけるより動的な期間の開始を示しており、黒曜石や海洋技術(たとえば、釣り針や研磨した貝殻の手斧)の島間の交換網の出現を裏づける証拠があり、これらは小さな島々の最初の植民およびより大きな島々での新しく強化された遺跡の利用と一致します。これらの交流網は、共有された調理技術の存在とニューギニアからのバナナ栽培の西方への拡大によって示唆されるように、ワラセア東部を西パプア沿岸部集団と結びつけた可能性があり、新たに占拠されたワラセアの遺跡におけるパプア人の再入植をもたらしたかもしれません。これは現代のワラセア東部人口集団における局所的なAMH創始者祖先系統の明らかな欠如を説明するでしょうが、これらの考古学的パターンは通常、海面が末期更新世に上昇するにつれて、変化する沿岸の景観や資源への依存に反応して、既存のワラセア集団の拡大の証拠として解釈されます。したがって、ワラセアへのパプア人の技術および遺伝子のオーストロネシア人以前の移動を裏づける現在の証拠は、本質的というよりは示唆的で、この問題の解明にはさらなる調査が必要です。
●パプア人の逆移住のより広範な地域的影響と将来の研究
以前の人口集団のゲノム研究から、パプア人関連祖先系統の歴史的な拡大は完新世にフィリピン南部に達した[62]ものの、以前にはスンダの一部だったインドネシア西部の島々には入り込まなかった、と示唆されています[14]。本論文の分析は、本論文ADMIXTUREの結果(図2)からパプア人関連祖先系統が低い割合(1~5%)でアティ人(Ati)集団に現れることや、インドネシア西部のボルネオ島人口集団の唯一の妥当なqpAdmモデル(図3)ではパプア人祖先系統供給源が欠けていることで、これらのパターンのさらなる裏づけを提供します。アティ人集団について妥当なqpAdmモデルを見つけることはできず、find_graphを用いて、この人口集団を本論文の混合図足場に追加すると、アエタ人集団と同様の系統発生的状況が得られたので、フィリピン南部とワラセアの現在の人口集団におけるパプア人祖先系統が共通の遺伝的起源を共有しているのかどうか、確証するには、将来の研究が必要です。
本論文はワラセアの遺伝的歴史の改訂された理解を提供し、パプア人の移民はオーストロネシア人の船乗りの寄与に匹敵するほど、ワラセアの現代人の遺伝的景観に影響を及ぼしてきた、と示します。これら2回の歴史的移住は、在来のAMH創始者祖先系統をほぼ置換し、これは、過去3500年間のワラセア全域の人口移動の水準の高まりと相まって、現代人の遺伝的データのみに依拠するサフルへの元々のAMHの移住の再構築に深刻な難題を課します。さらに未解決の問題には、ワラセア内および近隣地域へのパプア人の歴史的拡散に関する時期の改訂、これらの移動および混合事象のいずれもがオーストロネシア人の到来に先行するのかどうかの判断、在来のワラセア人口集団とさまざまな移民集団を含む遺伝的および文化的相互作用のより深い理解の獲得の必要性が含まれます。これらの基本的な問題に光を当てることは、さらなるゲノム研究、とくにオーストロネシア人の到来に先行するヒト遺骸を用いた古ゲノム研究や、既存および新規の言語学と考古学と古生態学の記録との統合が必要でしょう。
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