ホモ・フロレシエンシスの初期の研究をめぐる軋轢

 ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の研究が初めて公表されたのは2004年10月で、たいへん衝撃的でしたが、ホモ・フロレシエンシスをめぐって「醜聞」的な事態になっていたことは、日本語環境でも早くから知られており、『日経サイエンス』の2005年4月号に掲載された解説記事「人類進化の定説を覆す小さな原人の発見」(Wong., 2005)でも少し言及されていましたが、同年3月に『ネイチャー』に掲載された解説記事(Dalton., 2005)では、日本語記事よりもさらに先の事態まで取り上げられていました。最近、『Natureダイジェスト』2005年5月号に掲載されたこの解説記事の日本語訳を見つけたので、短く振り返ります。

 ホモ・フロレシエンシス化石はインドネシア領フローレス島のリアン・ブア(Liang Bua)洞窟で発見されましたが、問題となったのは、インドネシアの大物古人類学者で、ホモ・フロレシエンシスの発見には関わっていなかったテウク・ヤコブ(Teuku Jacob)氏の研究室へとホモ・フロレシエンシスの化石が貸し出され、その約束期間が延長されたうえに、返却された化石が破損していたことです。『ネイチャー』の解説記事では、テウク・ヤコブ氏が化石を破損させたことについては否定しているらしい、と伝えていますが、テウク・ヤコブ氏が今(2005年時点)では研究者の間で支持の少ない現生人類(Homo sapiens)多地域進化説に固執し、ホモ・フロレシエンシスとされる化石が実際には新種ではなく、病変の現生人類にすぎない、と主張したことを指摘しており、全体的にはテウク・ヤコブ氏にかなり批判的なように思えます。

 一方で『ネイチャー』の解説記事は、インドネシアに世界各国から来る研究者の態度が傲慢で、植民地主義的だとして、テウク・ヤコブ氏の態度が硬化していったことも指摘しています。『別冊日経サイエンス 人間性の進化』の編集を務めた馬場悠男氏も、こうしたホモ・フロレシエンシスをめぐる問題が生じた後に直接会ったテウク・ヤコブ氏から、「白人」研究者が植民地支配的な感覚で長年にわたってインドネシア人の化石研究者を除外もしくは軽視し、貴重なインドネシアの化石人骨を研究して発表してきたことに対する強い反発がある、との証言を聞いたそうです(『別冊日経サイエンス 人間性の進化』P81)。

 テウク・ヤコブ氏は2007年10月17日に77歳で亡くなりましたが、その訃報を伝えたある報道は、「人骨を盗んだ」とか「悪名を得た」とか「1970年代以降は重要な発見をしていなかった」とか、ひじょうに悪意に満ちたものだったように思います(関連記事)。ただ、「白人」研究者に植民地支配的な感覚があったとしても、ホモ・フロレシエンシスをめぐるテウク・ヤコブ氏の行動にかなり問題があったことを否定するのも、難しいとは思います。その意味で、テウク・ヤコブ氏をめぐる報道が批判的になったのも仕方のないところではあるのでしょう。

 ホモ・フロレシエンシスの研究は、2005年前半の時点と比較して大きく進展しており、病変現生人類と主張する研究者はもうほぼいないようで、当初の推定年代が大きく修正され(Sutikna et al., 2016)、何よりも、フローレス島中央部のソア盆地(Soa Basin)のマタ・メンゲ(Mata Menge)遺跡でホモ・フロレシエンシスと類似した人類遺骸が発見されたこと(van den Bergh et al., 2016)は、大きな進展だったように思います。ホモ・フロレシエンシスについては、以前短くまとめましたが(関連記事)、いずれ自分なりにもっと詳しくまとめるつもりです。


参考文献:
Dalton R.(2005): Looking for the ancestors. Nature, 434, 7032, 432-434.
https://doi.org/10.1038/434432a
日本語訳

Sutikna T. et al.(2016): Revised stratigraphy and chronology for Homo floresiensis at Liang Bua in Indonesia. Nature, 532, 7599, 366–369.
https://doi.org/10.1038/nature17179
関連記事

van den Bergh GD. et al.(2016): Homo floresiensis-like fossils from the early Middle Pleistocene of Flores. Nature, 534, 7606, 245–248.
https://doi.org/10.1038/nature17999
関連記事

Wong K. (2005)、『日経サイエンス』編集部訳「人類進化の定説を覆す小さな原人の発見」馬場悠男編『別冊日経サイエンス 人間性の進化』151号P72-81

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